淡く色づいた桜が散り、緑が深まる頃。高校最後の体育祭は晴天に恵まれた。
赤や黄色、緑など各々のクラスカラーを主張するハチマキを身につけた生徒たちが横切っていく。楽しそうな声が響き渡る昇降口を抜けて校庭に出たときだった。


「あのさ」

喧騒の中、澄んだ声が耳に届く。声の主が誰なのか察しがつき、顔が強張る。おずおずと振り返れば神妙な面持ちの彼がいた。体育祭前日にギリギリ仕上げた赤色のハチマキをぎゅっと握りしめて、逃げ出したい気持ちを必死に堪える。


「体育祭が終わったら……話があるんだけど」

弱々しく頷くと、彼は少し気まずそうに視線を逸らして生徒たちが集まる方へと足を進めていく。その背中を私は見送ることしかできなかった。



この日、彼は私になんて言おうとしていたのだろう。

聞けないまま時が過ぎ、季節は春を連れてきた。



***




昼休みの教室は普段なら仲のいい人たちで集まって自由に談笑をしているけれど、今日は違っていた。真ん中の席にみんなが集まって、ファイルを捲っていく。

一ページずつ可愛らしい手書きの文字やシール、写真などでデコレーションされていて、楽しそうなページばかりだった。けれど、それを見ているクラスメイトたちは難しそうな表情をしている。


「もー、全然終わってないじゃん!」

采花が作業の遅さに嘆くと、ルーズリーフに足りないページを一覧にしていく。まだ仕上がっていないのは、四月〜八月だった。

間に合うのかなと誰かが言い出すと、場の雰囲気が一気に重たくなる。


「で、でも、まだ一週間あるから大丈夫だよ!」

なんの力にもなれていない私がフォローをしたところで意味なんてないとわかっているけれど、言わずにはいられなかった。

すでに完成している表紙ページには『卒業アルバム』の文字。これは生徒たちのものではなく、生徒たちから担任の先生に贈るたった一つの手作りの卒業アルバムだ。

月ごとに写真や文字で思い出を振り返り、最後には先生への感謝のメッセージを綴る。そんなオリジナルの卒業アルバムをクラスのみんなでこっそりと作成している。

けれど、もう時間がない。あっという間に三月になり、来週には卒業式を迎えてしまう。

あと一週間で抜けている四月〜八月分と今月分をどう形にするかの話し合いをしていると、最近では恒例となりつつある男子と女子での言い争いが始まった。


「だいたいさー、ここって男子のページじゃん。女子のページはほとんど完成してるのに」
「お前らが字下手とか言うから、最初からやりなおすはめになってんだろ」
「だって本当に暗号かってくらい下手だったし。せめて読める字で書いてよ」

そのやりとりを不安げに見守っている人が多いけれど、私は少しだけ嬉しかった。采花と瀬川くんがまた話している。喧嘩だったとしても、目も合わせず、まったく話さなくなった頃よりかはずっとよかった。


「じゃあ、女子が文字書いて、男子が写真を選定するってのはどう?」

横から聞こえてきた提案に、賛成だと私も頷く。これなら一緒に作れるし、同じような揉め事を防ぐことができそうだ。

男女でページを分けていたけれど、手の空いている人たちで組み合わせてページを割り振っていく。休み時間だけでなく、放課後も使わないと間に合わないかもしれない。それでも頑張ればなんとかなりそうだった。

先ほどまでピリピリとしていた空気も少しだけ柔らかくなり、早速同じページのメンバーが集まってどんな風にするのかと話し合いが始まった。


「五月かぁ。鯉のぼりの絵でも書く?」
「鯉のぼり以外ってなにかあったっけ。……新緑、とか?」
「あとはゴールデンウィークくらいしか思い浮かばないな」

采花と未来ちゃんがなにを描くか決めていると、写真を選んでいた麻野くんが大きな声を上げた。


「五月といえば、体育祭があったじゃん! これメインにしよう」

動きを止めたのは私だけではなかった。
采花も瀬川くんも表情を消して、なにも言わなかった。


それは私たちの中であまり触れられたくないこと。触れられるのが怖かったことだ。








「なつかしー。俺らのクラス優勝だったよな! 采花がリレーで大活躍してさー」

机の上に並べられた体育祭の写真に視線を落とすと、ピースサインをしてクラスメイトと映っている私を発見した。苦々しい思い出に胸が苦しくなる。

采花とも瀬川くんとも写真を撮ることはなかった。あの頃の私たちはいつも一緒にいたのに体育祭の日だけは、一緒に笑いあうことはなくていい思い出はない。


「あ、でも……」

麻野くんの表情が次第に曇り、気まずそうに口元を引きつらせた。きっと彼もあることを思い出してしまったのだろう。采花と瀬川くんを交互に見て、しまったという顔で口を噤んでしまった。


「ちょっと飲み物買ってくるね」

この重たい空気が流れる場には不釣合いなくらい明るい声だった。

采花が立ち上がると、一緒に作業していた未来ちゃんも立ち上がり後追うように教室から出て行く。瀬川くんのことも気になったけれど、采花のことが放っておけなくて私も追いかけることにした。

階段を下っていくふたりの後ろ姿を見つけて、小走りで駆け寄る。「大丈夫?」と未来ちゃんに声をかけられた采花はぎこちなく微笑んだ。

采花は嘘が下手だ。隠そうとしても、顔に出てしまっている。


「ちょっと気分転換したいなって思っただけだよ。心配かけてごめんね」

未来ちゃんも私も采花が動揺してあの場から抜け出したのはわかっていた。
ずっと蓋をしてきた過去。蓋を開けて、向き合って手放さなければいけないときが近づいてきている。


それでも開かないようにとかたく締めていた蓋を開けるのは容易ではない。

思い出したくない出来事。他の誰かに触れられたくないトラウマ。楽しかった思い出さえも、曇っていく。

私はあの日々を、綺麗なものだけ集めて飾り付けたいわけじゃない。後悔も焦がれた醜さも、すべて含めて大事な日々だったと思いたい。



「あの頃さ、采花と瀬川って付き合ってるのかと思ってた」

自動販売機の前に着くと、未来ちゃんはポケットから取り出した百円玉を弄びながらラインナップを吟味していた。

その横で采花は訝しげに眉を寄せて、口をへの字に曲げる。


「私と瀬川が?」
「仲良かったじゃん。幼なじみだっけ」
「違うよ。中学から一緒なだけだし、ただの腐れ縁」

采花と瀬川くんは中学からの同級生だ。高一で私が采花と仲良くなって、高二のときに三人で同じクラスになってから一緒にいるようになった。今では三人で過ごした日々は遠い思い出のように感じる。

明るくて周りの人たちを楽しませるのが得意な采花と、好奇心旺盛で話し上手な瀬川くん。そんなふたりの間には口下手で要領の悪い私がいた。

昼休みは基本的に室内にいた私をふたりは外へとよく連れ出した。借りてきたバスケットボールでシュートやドリブルの練習をしているだけなのに、何故か笑いが絶えなくて、外で遊ぶ楽しさを教えてくれたんだ。

いつだってふたりは私の腕を引いて、明るい方へと引っ張ってくれた。


でも————もう三人でいることはなくなった。









「お似合いだったと思うけどなぁ」

未来ちゃんの言う通り、ふたりはお似合いで噂されていたほどだった。あのことがなければ、ふたりは今ごろ付き合っていたかもしれない。


「ないない。お似合いなのは私じゃないでしょ」
「まあ、悠理か采花のどっちかと瀬川が付き合ってるんじゃないかってみんな思ってたんじゃない?」

私の名前を出されて、思わず背筋が伸びる。周りから見たら、私たち三人の中の誰かが付き合っているように見えていたのかと、なんとも言えない気持ちになった。

「私は……」

言葉の続きが出てこない。

采花の気持ち。瀬川くんの気持ち。私の気持ち。全部が綺麗に纏まるはずがなくて、私たちは変わらない関係ではいられなかった。

未来ちゃんがサイダーを購入すると、采花はそれを見つめながら百円玉を握りしめた。


「采花?」
「あ……ちょっとトイレ行ってくるから、先に戻ってて」

采花の様子がいつもと違うのは未来ちゃんもわかっているようで、なにか言いたそうに開きかけた口を躊躇うように閉じて頷いた。

私は未来ちゃんと教室に戻るか、采花と一緒に行くか迷ったけれど、采花のことがどうしても気になって追っていく。


元来た道とは逆方向へと足を進めていった采花はトイレの前を通り過ぎて、音楽室へと入っていくのが見えた。

中に入ると電気はつけられていなかったが日差しのおかげで十分すぎるくらい明るい。けれど采花の姿が見当たらない。普段生徒たちが座っている席は空っぽで、教卓にも誰もいなかった。

室内をくまなく探してみると、窓際の端っこになにかを発見した。よく見ると両膝を抱えて座っている女子生徒の姿。


「……采花?」

普段の采花からは想像がつかないくらい、弱々しく肩を震わせている。


「私……どうしたらよかった?」

掠れて消えそうなくらい小さな声だった。もうすぐ一年が経つけれど、采花は未だに苦しんで悩んでいる。

なにも言うことができなくて、私は采花の隣に座ることしかできなかった。

采花が強くないことは知っている。気が強くて明るくて、よく笑う采花を悩みがなさそうなんて失礼なことを言う男子もいたけれど、落ち込むことがあるとなかなか立ち直れなくて脆い部分を持っている。

そんな采花を私は支えていたつもりだったのに、なにもできていなかった。采花の苦しみをどうしたら軽くすることができるのだろう。

自分の手を見つめながら、下唇を噛み締める。

采花のために今の私ができることはあるのだろうか。





***




采花と仲良くなったきっかけは高校一年生のときに私が教科書を忘れてしまったことからだった。

まだ周りに仲がいい人がいなくて、口下手で積極的に話しかけるのが苦手な私は頼れる人がいなかった。それに入学してすぐに仲良くなっているクラスメイトたちに気後れしていたのだ。

頭の中でぐるぐると思い悩んでいると先生が来てしまい、授業開始の号令をする。内心かなり焦りながら、教科書なしでいくかと考えていると肘になにかが当たった。

隣を見ると、肩に掛かるくらいの短めの髪の女の子がシャーペンの頭の方で私の肘を突いていた。

「教科書ないの?」

先生に聞こえないように配慮してくれたのか小さな声で話しかけてくれた。私は初めて会話をする相手に緊張しながらも、ぎこちなく頷く。すると彼女はにっこりと笑って、机をくっつけてくると教科書を広げた。

私と彼女の机に半分ずつ広げられた教科書をまじまじと見つめながら、ぽつりと「ありがとう」と呟くと、どういたしましてと笑いながら返してくれた。

「ね、これ見て。先生の似顔絵」
「……似てる」
「やっぱ? 私絵の才能あるかも」

彼女は授業中にこっそりと教科書に落書きをして笑わせてくる。声を出さないように必死に堪えながら笑いあう。無邪気で明るくて、優しい。

そんな彼女————采花が高校生活で最初にできた友達だった。


采花はクラスの中心的存在だった。人前で話すことが得意で、行事ごとでは率先してみんなを引っ張ってくれる。先生からも頼りにされて、クラスメイトたちも明るい采花に惹かれて集まっていく。

運動神経も良くて走ることが得意。バスケ部では一年生の中で次のレギュラー確実と言われるくらいの実力だったそう。次第に采花は先輩たちとも交流の幅を広げていって、上級生からよく声をかけられていた。

人と接するのが苦手で言葉数が少ない私とは対照的。眩しくて憧れる女の子だった。

それでも采花は私のところによく来てくれた。
休み時間や部活のない放課後、特に面白味もない私と一緒にいたいと言ってくれる。それが不思議だった。私だけじゃなくて周囲の人たちも私たちが一緒にいることを不思議に思っていたみたいで、昔から仲が良かったのかと聞かれたこともある。

ふたりで夕暮れに染まる道を歩いていると、自動販売機の前で采花が立ち止まった。


「そういえば私たちって誕生日過ぎちゃったよね」

私も采花も四月の初めに誕生日を迎えていたので、仲良くなった頃には過ぎてしまっていたのだ。今度一緒にお祝いしようと話していたけれど、実現しないまま初夏になっていた。

「ね、お互いのイメージに合った飲み物選んでプレゼントってのはどう?」
「それ楽しそう」
「よし、じゃー、なにがいいかなぁ」

並んでいる飲み物をじっくりと眺めながら采花に合ったものを考える。購入したものを見ないようにして、「せーの」で渡しあう。

お互いに渡されたものを見て、目を丸くした。


「え」
「うそ」

手に握られているペットボトルの中身は透明のサイダー。
正反対な私たちは何故かお互いにイメージした飲み物が同じだった。


「こんなことあるんだ! びっくりしたー!」
「采花は明るくて元気いっぱいで、しゅわしゅわした炭酸ってイメージがあったから……」

それに純粋で心が綺麗だから、透明のサイダーが似合う気がしたんだ。私にサイダーというイメージの方がつかなくて、どうして選んでくれたのかわからなかった。

「悠理は透明が似合うなぁって思ったんだよね。透明で綺麗で、清楚な感じ。でも、話してみると案外はっきりとモノをいうところが刺激的というかさ。それでサイダーが似合うなって」

私たちは違う人間で、誰がどう見ても似ている部分なんてほとんどない。それでもお互いのことをイメージすると同じものを選ぶ。不思議だけど、それが嬉しかった。

「私たちって気が合うね」

采花が笑うと私もつられて笑顔になる。遠いようで近い存在。きっと私たちだけが共感できるところがあって、だからこそ一緒にいたいと思うのかもしれない。


通学路の途中にある小さな公園に立ち寄って、ふたりで並んでブランコに乗ってオレンジ色に染まる空を眺める。ほんの少し蒸し暑い風が頬を撫でて、もう時期本格的な夏が始まるのだと感じた。

采花からもらったサイダーがしゅわしゅわと口の中で弾けていく。久しぶりに飲んだサイダーは刺激が強くて少し舌が痛いけれど、甘くて美味しかった。


「私たちって似てないけど、悠理と一緒にいると落ち着くんだよね」

私も同じだった。采花とは性格も趣味も違う。それなのに一緒にいると落ち着く。それにひとりでは退屈なことが采花といると楽しいことに変わるんだ。


「悠理はさ、私にないものたくさん持ってる」

采花の持っていないもので、私が持っているもの。考えてみても思いつかない。

逆ならいくらでも思いつく。明るいところ人を惹きつけるところ。運動ができるところ。手先が器用なところ。私にないものをたくさん持っていて、羨ましいくらいだ。


「私の話をちゃんと聞いてくれて、一緒に考えてくれるでしょ」
「それは……誰にでもできるよ」
「そうかな。私はなにかあったとき、悠理に話そう。悠理ならきっと一緒に考えてくれるって思うと安心するんだ」

悠理のこと頼りすぎかな。と采花が笑う。鼻の奥がツンとして、視界がじわりと歪む。

私が持っているものは誰の目にもわかりやすく映るものじゃないかもしれない。でも大切な人が、采花が見つけてくれている。私を頼りにしてくれている。そう考えると今の私で良かったと思えた。







そして高校二年生になり、采花とまた同じクラスになった私は中学から一緒だという瀬川くんと知り合った。

「瀬川とは中学三年間同じクラスだったんだけど、また高校で同じクラスになるなんてねー」
「本当腐れ縁だよな」

瀬川くんも采花と同じように明るくてクラスの中で目立つ存在だった。中学の頃は陸上部だったらしく、少し焼けた肌に切れ長の目。爽やかな雰囲気を纏った男の子だった。

初めての男友達という存在に戸惑ったけれど、瀬川くんは気さくに話しかけてくれた。そのおかげで少しずつ緊張がほぐれていった。

私と采花と瀬川くんは、得意なことも好きなものも違うけれど、不思議と一緒にいると居心地がよくて気がついたら三人でいることが当たり前になっていたのだ。


「悠理―! ここの問題教えて!」
「俺が先だっつーの。割り込むなよなぁ」
「私の方がプリント終わってないんだから譲ってよ!」

口喧嘩をするふたりを宥めながら、数学を教えていく。勉強は平均点よりも少し上くらいだけれど、ふたりの力になれるのが嬉しくて、私自身も勉強を頑張るようになった。

「悠理の字って、綺麗だよなー。見やすい」
「瀬川の字は暗号みたいに下手だよね」
「お前も上手くはないだろ!」

褒められたことが照れくさくて、でも少しだけ誇らしくて自然と笑顔になる。特に意識していなかったけれど、見やすい字でよかった。


「はぁ、悠理の笑顔癒されるわー。瀬川なんて癒しゼロだし」
「悠理、こいつやる気ないから俺を優先して教えて」
「やる気あるし!」

采花が瀬川くんの頭を下敷きで軽く叩くと、瀬川くんが采花の髪を下敷きでこすって静電気を起こさせる。

「采花も瀬川くんも、ストップ! 時間なくなっちゃうよ!」

子どもみたいなやり取りを繰り返すふたりは、場の空気をいつだって明るくて楽しいものにしてくれた。大好きな時間。大好きな人たち。それはふとしたときに消えてしまうくらい繊細で、かけがえのないものだったのだ。




***


目を閉じて、あの頃の日々を懐かしむ。胸が痛くて、堪えないと涙が出てきそうだった。


音楽室の端っこで蹲っている采花は顔が見えないので泣いているのかはわからない。


「采花、あのね」

言いかけた言葉を飲み込む。きっとひとりで考えたいからここに来たはずだ。この場に留まるのはよくない気がして立ち上がる。振り返っても采花の顔は隠れたままで、本音を聞けそうにない。


「……先に行ってるね」

一旦教室へと戻ることにして、音楽室を出る。

瀬川くんの方は大丈夫だろうか。あまり顔に出さないけれど、瀬川くんも思うことはあるはずだ。

階段を上りながら、すれ違う生徒たちを見て寂しさが胸に広がる。今更かもしれない。あの日々に戻れないことはわかっている。それでも卒業する前にせめてふたりには後悔が残らないように話をしてもらいたい。きっとこれは私のエゴだ。

だけど、このままでいいと放り出してしまったら、過ごしてきた大事な日々が消えて無くなっていく気がして怖かった。


教室に入るよりも先に瀬川くんの姿を廊下で見つけた。窓枠に肘をつきながら、麻野くんと話している。

「瀬川さー、このままでいいの?」
「なにが?」
「卒業前に采花とちゃんと話したほうがいいんじゃねーの?」
「……采花は俺と話したくないだろ」

違う。采花も本当は瀬川くんと話しがしたいはずだ。でもそれは簡単なものじゃないってお互いわかっている。話して終わり。それだけでは意味がない。

あの時の自分たちの本当の気持ちを。胸の中に残る後悔と苦しさを。共有できるのはきっとふたりだけのはずだから。


「でももう会えるのもあと数日じゃん」
「わかってる。……でもそんな簡単な問題じゃないだろ」

もうすぐお別れだ。誰にも抗えない卒業という終わりの日。采花も瀬川くんも、私も、クラスのみんなも別々の道を行く。


「つーか、俺もごめん。お前たちにとってあんまり触れられたくない話だったよな」

麻野くんの言葉は私の心に暗い影を落とした。

立聞きをして、思い出して傷つくなんて勝手すぎる。私もそろそろ自分の気持ちに決着をつけなくてはいけない。







教室に入ると窓際の私の席から桜が見えた。
最近開花して、卒業式あたりでは満開が予想されていると朝のホームルームのときに先生が話していたのを思い出す。

今年の桜は例年よりも早く満開を迎えるらしい。


懐かしいと顔を綻ばせながら桜を眺める。

ちょうどこの一つ上の階が二年生のときの私たちの教室だった。



***


二年生の修了式の日、教室で私たち三人は居残りをしていた。

「もー、やだ。無理! こんなに持って帰れないんだけど!」

采花が半泣きになりながら嘆き、必死に荷物をまとめている。けれど、どうみても教科書の山と書道道具やジャージ、学祭で使った景品のオモチャなどをひとりで持って帰るのは大変そうだ。


「お前が今日まで持って帰らなかったのが悪いんだろー」
「だってさぁ、別に私ら卒業じゃないじゃん!」
「それにしてもこれは溜め込みすぎ」
「ひとつ上の階に持っていけると思ってたの! それくらいいいじゃん。本当先生ケチ」

どうやら采花は荷物をそのまま三年生の教室に持っていけると思っていたようだったけれど、クラス発表は四月なので荷物は全て持って帰るようにと先生に言われてしまったらしい。

机に広げられた景品の残りのオモチャで瀬川くんが遊んでいると、采花が不貞腐れたようにオモチャを指先で弾いた。

「それ全部あげる」
「いらねー。責任もって持って帰れ」

持って帰ってもあまり使うことがなさそうなオモチャたち。指人形やスーパーボールなんて久しぶりに見た。確か誰も景品の余りを持って帰りたがる人がいなくて、采花が引き受けてくれたのだ。


「これ、私も半分くらい持って帰ろうか?」

采花に押し付けてしまったのは申し訳なくて、今更だけど私も引き取って持って帰ろう。今日は修了式だけだったのでカバンの中身はほとんど空っぽだ。

「悠理がスーパーボールで遊ぶのとか想像できねぇな」
「いや待って、私だってスーパーボールで遊ばないけど!」
「お前なら違和感ない」
「はあ?」

いつもどおりふざけ合いながら口喧嘩をするふたりに私は笑ってしまう。この時間がたまらなく好きだった。

「そうだ!」

ある案を閃いて大きな声を上げるとふたりが口論をやめて不思議そうに振り向いた。

「書道の道具とか、三年生でまた使うものは部室に置かせてもらうのはどうかな」

采花はバスケ部で一階の今は使われていない第一準備室を部室として使っていたはずだ。そこなら先生もチェックをしに来ないだろう。


「悠理、天才! それ採用!」
「采花に影響されて悠理が悪い思考になってきてんな」
「私に似た柔軟性を身につけたってことだね」

早速置いていくものと、持って帰るものに分け始める。それにしても驚くくらい荷物が多い。
授業で使うものよりも、遊び道具の方がある気がする。漫画本やバドミントンのセット、大きなシャボン玉を作る道具や水鉄砲。どれも一緒に遊んだ記憶があるものばかりだ。

二年生の教科書はさすがに置いていくのは厳しいので采花のカバンは膨れ上がっていた。

「うわー、重っ! 絶対明日肩痛くなる!」
「頑張れ、それは俺も手伝えねぇ」
「わかってるけどさー。でも書道の道具とか置いていけるならまだマシだー」

持って帰るものと置いていくものの仕分けが終わり、一息つく。けれど、これから運ぶのも一苦労だろう。

席を立ち、窓際からすぐそばの淡く色づいている桜を眺める。花びらが風に吹かれて散っていく光景が綺麗だった。今日は学校全体が部活は休みなので人もほとんどいなくて静かだ。


徐に鍵に手をかけて窓を開けると、春の暖かな風が私の髪を攫うように吹き抜ける。

目が回るほどの勢いで通り過ぎていくのは風に乗った雪のような桜の花びらたち。手を伸ばして花びらをつかもうとしたけれど、早すぎて手の中からすり抜けていった。



「う、わっ!」

采花の声が聞こえて、振り返ると教室に桜の花びらがはらはらと舞っている。采花も瀬川くんも唖然としていて、言葉を交わすことなく三人でこの光景を眺めていた。

陽だまりの匂いに教室に舞う桜の花びら。
私たちを包み込むような春の風。
三人だけの放課後のひととき。



この瞬間を忘れたくないと目に焼き付ける。


「ちょ、悠理! 早く閉めて!」

采花の声に我に返って慌てて窓を閉めた。床に散らばったたくさんの花びらに顔が引きつる。私が窓を開けてしまったから、かなり散らかしてしまった。


「ご、ごめん……すぐ片付けるね」

慌てて掃除箱からホウキとちりとりを持って、花びらをかき集める。口を閉ざしていた瀬川くんが沈黙を破るように吹き出した。

「時々悠理って驚かせることするよな」
「そーそー、悠理ってそういうとこおもしろくて好き」

つられるように采花も笑い出す。驚かせるつもりはなかったんだけどと困惑していると、笑っていたふたりも花びらを集めるのを手伝ってくれた。

「先生に見つかる前に片付けちゃおう」
「采花も先生に見つかる前に荷物避難しないとな。知られたら説教確定だし」
「それは困る」

私たちは変わらない。ずっとこのまま一緒に居られる。そう信じて疑わなかった。


かき集められた淡く色づく桜の花びら。一度散ってしまったら、もう戻ることはできない。ほんのひとときの美しさだからこそ、儚くて尊いものに感じる。


この時間がどうしようもなく愛おしかったのだと、過ぎてから思い知る。




采花と瀬川くんと私。

同じ学年の人たちなら、きっとほとんどの人が知っていた仲のいい三人組。そのくらい一緒に行動することが多かった。

でも、その三人の関係を最初に壊したのは————私だ。