ズィーベン経過はアハトで交差しノインにて把握

「ね、その後どうなったの?」


「寒紺から連絡はあったんですか?」


「さん、は付けなさい贔瀞さん。気持ちは分かるけど。」



数週間経って卿焼が出社すると、気になっていたのか瞠屡も学未も樺堀も矢継ぎ早に聞いてきた。



「いまだに連絡ありませんよ。やる気があるのか無いのか、分かりません。」



事を荒立てたく無い巫莵の気持ちを考えると、強気に出れず卿焼はもどかしい。



「もしくは、こっちの出方を窺ってるとかね。」


「窺われてもな。示談を進める気無いだろ。」



鮖と節も頭を悩ませる。



「篁さん、あれから衢肖さんと行き帰り一緒みたいですね。」


「……うるさい。大体お前が原因だろうが。何か考えろ。」



茶化すような驛に一瞬照れるが、卿焼はすぐさま思い直し叱責する。



「俺にどうしろっていうんですかー。言い掛かりもいいとこなのに。これだけ連絡無いってことは、向こうも無理だと思ったんじゃないですかね?」



「そうだといいんだがね。」


「所長、衢肖さんお帰りなさい。」



「ただいまです。」



口をヘの字に曲げた驛による都合のいい解釈を、薔次は願わずにはいられない。

「あ、そうそう。篁くん、今日の夜は衢肖さん借りるわよ。」


「借りるって?」



「女子会。帰りは私達が送ってくから。」


「出る幕ナシでーす!」



鮖が突然言った言葉に瞠屡と学未も続く。



「いつも篁くんとじゃ飽きるでしょ。たまには私達と一緒に楽しみましょ。」


「それは、行きたいですけど……」



樺堀も加わり、巫莵は遠慮がちに卿焼を見る。



「俺のことは気にしなくていいから、楽しんできたら?」


「はい!」



仕事に戻りながらも話に花を咲かせる女子達。



「いいんですか?」


「無理強いは出来ないだろ。それに鵬承さんの目が…な。」



鮖の目には何故か有無を言わさない、という力が込められていた。


それに気付いたのは卿焼だけではない。



「どういうつもりだ?いきなり宣言みたいに女子会って。」



「ちょっとね。」


「ちょっとってなんだよ。」



「女の勘、私の勘。邪魔しない、黙って。」



突っ掛かる節を強制的に会話を終わらせ、女子会の会話に鮖は加わる。



「どうしたもんかね。」



この仲の良い従業員達を守るには。


頭を悩ませる薔次だった。

「いつまでかかってんだよ。」



音沙汰無い阜紆奢を蛞拓は呼び出していた。



「そう焦るな。こっちにだって色々準備があるんだ。苛つくのは糖分不足が原因じゃないのか?ほら飴でも食って落ち着け。」


「チッ。やっと手に入れて傍に置いたのに、あいつのせいで行方くらますわ専務争いにも遅れをとるわ、予定が狂って胸糞悪いんだよ。」



本部へ異動の時に巫莵をいとも簡単に引き抜けたのは人事部にいた同期の上司が頭取と仲が良かった為である。



そして、蛞拓が常務にまで大抜擢され出世コースを歩めた要因は巫莵の頑張りがあってのこと。


将来の頭取候補と名高かったはずが現在落ち目なのも巫莵がいないからで、蛞拓の言い分もあながち間違ってはいない。



「大体、あいつが俺と巫莵に横やり入れたからこうなったんだ。」


「まあ、その同期の上司は横恋慕されたことを理解してくれて、お前は処分無しだったんだろ?いいじゃないか。」



巫莵に惚れた同期は蛞拓から奪おう……いや、守ろうとして揉めた上に左遷されたというのに、蛞拓に自覚がまるで無い。


ただ、巫莵や周囲を考えないまま先走った為、同期にも騒動原因の一端はあるのだが。

「そりゃ神様だってちゃんと分かってるからな、俺の欲しい物を取り上げたりなんてしないんだよ。」



地位も名誉も。


そして、巫莵さえも?



「事務所の名前だって、あのガキが持ってた封筒を俺が覚えてたからすぐに分かったんだろ。俺には時間が無いんだ、早く連れ戻せよ。」



忌々しそうに吐き捨てると、舌で転がすように甘さの余韻を楽しむどころか噛み砕き、事務所を出ていった。



「ったく、唯我独尊もいいとこだな。分不相応な矜持だけは持ち合わせてるんだから始末が悪い。」



昔から誰かの調整役で損な役回りを、金になると感じたのはいつ頃だったか。


偽られた事実を知らぬふりするが仏で、隠された真実は言わぬが花な世界だ。



「憎まれっ子世にはばかるとよく言ったもんだな。」



狄銀行は大手だ。


阜紆奢だって引き受けたのは嫌々だったが、事務所の方針に従い成果をあげれば拳煙からの評価は上々、査定にもプラスに働くと思った。



「彼女には悪いが、旅に道連れもこの世に情けも無いんだ。」



関係を裂かして、時間を割かして、ナニを咲かす?


自分の都合しか考えない阜紆奢も、実は共犯者なのかもしれない。

「何だ、話って。」



次の日、つまり女子会の翌日。


片付けたい仕事があったのに、と節は呼び出した鮖に文句を付ける。


ここは所長室で、他に部屋の主である薔次と卿焼と驛がいる。



「衢肖さんの件よ。昨日、女子会して分かったことがあったから。」



「ああ、あのくだらない勘か。」


「くだらないって何?!」



「2人とも落ち着きなさい。鵬承君、話を戻して。」



脱線に加えヒートアップしそうな2人を薔次はたしなめる。



「すみません。衢肖さんが何か隠してる様子だったので、皆に協力して貰ったんです。」



「成る程、女子会はその為か。」


「それで、分かったことって何ですか?」



観察眼の鋭い鮖に感心する驛を横目に、卿焼は先を急いだ。



「衢肖さん、かなりオブラートに包んでたけど、瀑蛞拓から受けた仕打ちは酷いものよ。」



範囲を越える仕事の責務、


先輩からの指導という暴力と後輩からの噂という暴言、



深夜に呼び出されるのは当たり前、


無理矢理手籠めにされた挙げ句、付き合っているという既成事実まで作りあげられて、



今日が凶になって狂が積み上げられていった。

「何だそれ。許せねぇ…。」



「待ちなさい、篁くん!」


「でもっ……!」



怒りに任せ飛び出しそうな卿焼を、強い声で鮖は止める。



「酔わせて聞いたの…!強い酒飲ませて聞き出したの…!シラフの状態じゃ無理だと思ったから。」



「だから男子禁制の女子会だったのか。」


「ええ。案の定、今朝聞かれたわ。昨日変なこと言ってなかったかって。」



記憶が曖昧なことが巫莵にとって救いだとは。



「鵬承君の話は私も知らないことだ。」


「所長にも言えないぐらい衢肖さんにとって瀑蛞拓との件は公にしたくないことなんだと思います。」



確信は有るのに、確証が無い。



それは今回の件でも言えることだ。



「このまま進展がなければ裁判ですよね。俺、どうなっちゃうんだろ…」



「証拠が何一つ無いのはお互い様。ただ、衢肖さんは裁判になる前に条件をのもうとするはずよ。」


「何でそんなこと分かるんだよ?」



「所長から聞いた話と衢肖さんの態度が一致しなかったから私は気付いたのよ。そんな衢肖さんが砧怙くんが訴えられてることに何も思わないとでも?身を引くことを考えるに決まってるじゃない。」

「そういうことか。」


「衢肖君の性格なら想像に容易いな。」



銀行にいた時でさえ自ら死のうとはしたが、他人をどうこうという考えは聞く限りは無かった。


そんな巫莵が自分が条件ならば尚更、事務所の為に差し出すに決まっている。



「これ以上長引かせる訳にはいかないな。明日、寒紺弁護士と話そうか。細かい話というのもまだなことだし。」


「そうですね。連絡が無いのは、向こうも切るカードが無いからでしょうし。」



阜紆奢の内心は分からないが、証拠が無いのは同じ。


話と考えは纏まった。



「言い掛かりですからね。」


「渦中の人物ってこと、少しは自覚しろよな。」



驛のポジティブさに節は呆れるしかない。



「くれぐれも衢肖さんに言わないことよ。それと送り迎えは」


「言われなくても分かってますよ。寒紺弁護士はともかく、瀑蛞拓が接触してくる可能性はまだ捨てきれませんから、俺が絶対ガードします。」



心の奥底に仕舞い込んだ罪を、閉じ込めた本体は裁かれることを拒む。


罰は還らずそれが己の首を絞めようとも、他を想い続けるから。



時間が経過する毎に交差する思惑はいつ把握出来る?

ツエーンで幕を引いたのは

「寒紺弁護士と正午にアポが取れました。午前中は先約があるとの事で。」


「分かった。」



「後2時間か。」


「示談は決裂決定なんだから気合い入れないとね。」



節と鮖は時計を見て確認しながら薔次と共に会議へと移動する。



「長くなりそうだししっかり食わないと、ですね。」


「万全の態勢で臨まないと、だろ。鵬承さんが言うように衢肖さんを絶対守らないと。」



驛の心配はそこなのか、と卿焼は呆れるが長丁場は覚悟しないといけない。



「何か出来ることがあれば何でも言ってね。」


「私達は衢肖さんの味方ですから。」



「ありがとう…ございます。」



瞠屡と学未も陰ながらでも支えたい思いを口にする。



阜紆奢…ひいては蛞拓との全面対決に、事務所一丸となって挑もうとする雰囲気に包まれ動こうとしたその時。



「巫莵っ!」


「っ!」



事務所のドアを破る勢いで開け怒鳴り込んで来たのは。



「あ、瀑蛞拓!」


「何だよいきなり!」



驛は指を指し卿焼が見た先には、威圧的な雰囲気の蛞拓がいた。


入口付近の瞠屡と学未は固まり、背を向けていた巫莵は振り向けないでいる。

「寒紺の奴も口だけでやる気無いし、当てにならないからな。結局、俺が連れて帰ればいいだけなんだよ。」



曖昧な返答の阜紆奢と進展しない事態に、痺れを切らし乗り込んだ姿はさながら強盗だ。



「ぃ、やめ…っ!」


「離せっ!」



「あ?なんだお前。」



強引に引きずり出ようとする蛞拓の肩を押し退け、巫莵を背へと庇う。



「寒紺弁護士に連絡!」


「は、はい!」



会議室まで聞こえた怒鳴り声。


鮖は樺堀に頼みながらも目線は蛞拓から離さない。



「挧框さん、瀑蛞拓です。」


「砧怙は、娑様さんと学未さんを。所長。」



「ああ。」



驛に入口付近で固まっている2人を任せ、節は薔次へ目配せする。



「瀑蛞拓さん……ですね。今日はどうかしましたか?寒紺弁護士は一緒ではないのですか?」



薔次は努めて冷静に言いながら、ゆっくりと近付く。



「今日、寒紺弁護士と会う約束なのですがね。一緒ではないのでしょうか?」



巫莵まで辿り着くと更に後ろへと下がらせ、蛞拓と距離を取る。



入口に蛞拓、そのすぐ前に卿焼、少し空いて薔次、巫莵を挟んで後のメンバーという位置になった。

「近くにいるそうで、すぐ行くと。」


「分かったわ。今、所長が相手になってるけど、いつまで持つか。男共がいるからとりあえず押さえ込みはいけそうね。」



敵対しても阜紆奢だって弁護士。


こんな事態になって、しかも友人らしいから、来ない訳には行かない。



「稷詫さん。」


「どうしましょう…」



「私達はここにいましょう。寒紺弁護士がすぐ来るそうだから、それまでの辛抱よ。」



驛に連れられた瞠屡と学未は樺堀と共に後ろに下がる。



「僕はどうしたらいいんでしょう。」


「貴方が行くとややこしいから、ここにいて。」



「…はい。」



鮖から戦力外通告を受けた驛は大人しく引き下がったものの、それだけでは情けないので樺堀達3人の前にいることにした。



「寒紺なんて知るかよ!もう示談とか交渉とかどうでもいいんだよ。巫莵をよこせ!」


「よこせって、衢肖さんは物じゃない。」



「俺が目を付けた俺のモノだ!良い地位に就かせて、良い暮らしさせて、俺がどんだけ犠牲にして育ててやったと思ってる?巫莵が俺の言うこと聞くのは当たり前だろうが!」



蛞拓の身勝手な言い分は更に膨れ上がる。

「つか大体お前何様?巫莵の何な訳?所長さん?が、しゃしゃり出てくるのは分かるけど。あぁ分かった。巫莵のストーカーか。巫莵は優しいから勘違いしたんだな、可哀想に。お前なんか眼中に無いから、とっとと諦めろ。」



「は?お前こそ何様のつもりだよ。衢肖さんを物扱いした挙げ句に傷付けて。ストーカーはそっちだろ。」



「篁君、冷静に、落ち着きなさい。」



普段、頭に血がのぼることが多いのは鮖で諌め役は卿焼の方なのに。


今回は逆で、薔次にまで止められる程の喧嘩腰だ。



「余裕無いねぇ。彼女居ないだろ。女も抱いたことない顔してるしな。いいの紹介してやろうか?ヤるだけの女ならいくらでもいるぜ。」


「ふざけるのも大概にしろよ。」



「ふざけてねぇよ?お前の勘違いを正そうとしてんの。お前は巫莵の人生の中のモブキャラにしか過ぎないってことをよぉ。」


「衢肖さんは俺の、俺の……俺の女だ!!勘違いはお前だ!」



「は?何言ってんだ?巫莵がお前みたいな奴、相手にする訳無いだろ。弁護士のくせに妄想とか、笑えるわ。」



驚いたのは蛞拓だけではなく、卿焼も本音なのか若干動揺が伺えた。


しかし突き通す。

「瀑!お前何やってんだ!」


「寒紺。お前がちんたらしてんのが悪いだろうが。まぁおかげで笑い話が聞けたがな。」



そのつもりはないのだろうが、卿焼が蛞拓と言い合いをしていた間に阜紆奢が到着した。



「ちんたらって。準備があるって言っただろ。とにかく外に出るぞ!」



「待て。巫莵も一緒だ。」


「いや衢肖さんは…」



「あと、こいつをシメる。巫莵に悪影響だ。」



こいつとは卿焼のことらしい。



「はあ?シメるとか問題起こすな。今だってクライアントに無理言って来てんだからな。」


「瀑蛞拓、やれるもんならやってみろ!二度目は無い、もう奪われてたまるか。」



止める阜紆奢に構わず、卿焼と蛞拓は臨戦態勢。



張り詰めた空気に殴り合いを覚悟した、その時。



パンッ………―――――



「訴えるなら、訴えて構わない!全部覚えてる……職場であったことも、ホテルでしたことも、言われたことも、されたことも、全部全部覚えてる!だから、だから私の…、私の好きな人を、これ以上侮辱しないで!」



ほら舞台に上がりなさいな。


貴方の悪事耳を揃えて暴いてあげるわ。


死なば諸共なのよ。

巫莵の目が、痛む頬が、そう語っている気がして。



救いの女神を軽んじた為に、破滅の悪魔が微笑んだ。


蛞拓へ裁きを下したのは、他でもない巫莵だった。



「瀑、行くぞ。」



阜紆奢は呆然としている蛞拓を引っ張って出ていった。



「お、終わった…?」


「と、とりあえず…?」



おっかなびっくり、学未と瞠屡は顔を見合わせる。



「何とかなったわね。」


「衢肖さん様々だ。」


「ですね。」



鮖と節は一大事にはならず安堵の表情を浮かべ、驛もそれに同意した。



「もう少し冷静にな。」


「すみません…」



だけど助かった。



小声でそう言う薔次の顔は珍しく疲れていて、卿焼も一気に襲ってくる疲労を全身に感じていた。



「は、はぁ、ぁ……っ…」


「衢肖さんっ。」



張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。


倒れ込むように巫莵はその場にへたり込んでしまった。



「衢肖さん、よく頑張ったわ。もう…もう大丈夫よ。大丈夫、大丈夫よ。」



駆け寄った樺堀は、震える巫莵を温める様にさすりながら声をかける。


巫莵の瞳から溢れる滴を、誰一人見ないふりをして。

エルフを頼らずとも

「衢肖君、今日はもういいから帰りなさい。」


「え?でも、まだ昼前…」



落ち着きを取り戻した巫莵は吹っ切れたのか晴れやかな顔つきで、仕事をバリバリしようかと意気込んでいたのだが。



「構いませんよね、稷詫君。」


「ええ。後はやっておくから、帰ってゆっくり休みなさい。寝て無いでしょ。だからよく寝て、明日からまた頑張ってくれたらいいから。」



「所長…、稷詫さん…ありがとうございます。」



温かさに包まれながら、巫莵は帰路についた。



「篁くん、行って!」


「行くって何処へ?」



指差し鮖は言った。



「分からない?鈍いわね。」


「衢肖さんのとこ!」


「僕でも分かりましたよ。」



たたみかけるように瞠屡と学未、更には驛も自慢気に言う。



「え?何で…?」



「気付いて無いのか?衢肖さんが瀑蛞拓へ啖呵切っただろ。その時、何て言った?思い出してみろ。」


「………!!お、俺、行ってきます!」



卿焼は駆け出す、巫莵の元へ。



「無自覚というのは、殊更世話が焼けるものだな。」



この気の利く職員達を採用して良かったと、薔次はしみじみ思うのだった。

「衢肖さん!」


「篁さん。どうしたんですか?」



息を切らして追い掛けて来た卿焼を何事かと巫莵は驚く。



「はぁはぁ、はぁ。あの、言いたい、ことがあって…」


「とりあえず、落ち着いてからで大丈夫ですから。」



全力疾走だったのか言葉が途切れ途切れになる。


巫莵の言葉に甘えて、息を整えてから巫莵を見た。



「衢肖さん。」


「はい。」



培い秘めたアンクレットに誇りを詰めて、


皆から得た評価をマントの様に纏い、



自信を結果に変えたいと祈りグレードは加速する。



「俺は衢肖さんのことが好きです。明るくて笑ってる姿が俺の癒しだった。今回過去を知って男が怖いと思ってるかもしれない、所長以外の男には失望してるかもしれないと思った。だけど、衢肖さんには笑ってて欲しいから、ちゃんと知って欲しいから。俺と少しずつでいいから、食事したりどこか出掛けたりしませんか?俺も試験を理由に向き合って来なかったし、前提としては付き合うってことでお願いします!」



俺の女だ発言を巫莵が覚えているかは定かでは無いが、覚えていないことを願って伝える。



淡い想いが濃くなって消せないことを。

「篁さん。私は男性を怖いとか失望とかは無いです。ただ、誰も信じられなくなってしまったんです。」



蛞拓だけが原因ではないが、全ての切っ掛けではある。



「けど、所長と出会ってもう一度だけ信じてみようと思えたんです。」



出会わなければ、今頃……。



「所長の言う通り、皆優しくって仕事も楽しくって。」



薔次は家にも行き来する仲になり、



樺堀は上司だけど母親のような包容力に包まれ、


鮖は時に薔次より頼りがいがあって、



節は鮖と子供のような喧嘩をするのに兄貴肌で、


瞠屡は細かい裏話まで知ってる情報通、



学未は事務所一の努力家で、


驛は空気は読めないが几帳面だったり、



そして、卿焼は。



「私を信じてくれた篁さんを私は信じたい。私自身の意思で。」



さりげない気遣いと、はっきりとした意志と、そして真っ直ぐに感じる気持ち。



「私も篁さんと一緒に一歩ずつ進みたい。よろしくお願いします。」



あても無く探し続けていた、存在しているかすら分からない大切なもの。


だけどやっと逢えて辿り着いた愛情(オアシス)。



僕だけの為に微笑んでくれる君に。

「聞きました?瀑蛞拓、訴えられるって話。」


「聞いた聞いた。狄銀行から私文書偽造で、でしょ。」



瞠屡からの問いに鮖は答える。


数日後の事務所内は瀑蛞拓の話題で持ちきりだった。



「でも寒紺弁護士って瀑蛞拓の友人でしたよね。利益相反になるんじゃ?」



「財占法律事務所は切ったんだ、瀑蛞拓を。」


「うわ~シビアですね。」



驛の疑問に卿焼は嫌そうに答えるが、学未は言葉の割に自業自得だという表情。



「私欲じゃ俺だって寒紺弁護士と同じ、弁護する気も失せる。」



拳煙と言わない辺り節が抱く嫌悪感のせいだろう。



裏切るつもりはない。


だが、利益を生むつもりもない奴を足枷などにもしない。


金をむしり取る為のただの踏み台であり、そこに利用価値など存在しないのだから。



拳煙のそんな心の内が聞こえてきそうだ。



「衢肖君、色々言ってるが?」


「大丈夫よね?」



「はい。なんたって俺の女ですから。」



薔次と樺堀が尋ねてもどこ吹く風。


ただ、記憶力だけ良いのは内緒ですよと巫莵は笑った。




不条理に勝るは金でも法律でも無く、愛し愛される関係である。