向日葵の天秤が傾く時


アインス…ツヴァイ…ドライと降り懸かる厄介事

「ね、今日仕事終わったら飯行かない?」


「行きませんー!」

新人弁護士である砧怙驛(キヌタ ゴウ)の軽い誘いを、受付嬢の贔瀞学未(ヒイセ マナミ)は笑顔でにべもなく断る。


「学未ちゃんさー、ちょっとぐらい考えても」


「おいっ!いいから行くぞ!」


「ちょ、ちょっと…」



出勤前にやる気を削がれ驛が拗ねたその時、男の怒号が聞こえてきた。



「あれ、衢肖さんじゃない?」


「なんか揉めてるな、とにかく止めよう。」



男に腕を掴まれ引きずられているのは、同じ弁護士事務所に勤務する所長の秘書兼経理担当の衢肖巫莵(クユキ ミコト)だった。



「何してんだあんた。嫌がってんだろ。」


「砧怙さん……!」



「あ?何だお前ら。関係ないだろ!」


「関係大有りだよ。その人は俺らの先輩だから。」


「先輩とか関係ないだろ、こいつは俺のだ。どけ!連れて帰る。」



「はあ?あんた何言ってるわけ?離せよ!」


「お前が離せ!」



若い新人らしく、そして弁護士らしからぬ物言いで男に迫る驛。


学未は巻き込まれないように、それでいて隙あらば巫莵を引き離そうと機会を伺っている。

「いいから離せってんだろっ!」


「痛っ!痛ってーな!お前、今殴ったよな。訴えてやるからな!」


「は?……っ!ちょっ……!!」



男が巫莵を突き飛ばすように寄越した為、驛は男を追い掛けることが出来なかった。



「衢肖さん大丈夫ですか?」


「大丈夫…。砧怙さんすみません、ありがとうございます。でも訴えるって…」


「問題ないです。訴えるなんて口先だけで出来やしませんよ。」



「しかも殴ったって、肘が当たっただけじゃない!何なのあの男、知り合いですか?」


「い、いや………。とりあえず、行きましょ!遅刻しちゃいますから!」



曖昧に濁された気もするが、巫莵の言う通り出勤時間も迫っているので3人は歩き出す。


その日はクライアントが立て続けで、今朝のことを話題に出す暇も無く過ぎていった。



事が動いたのは翌日、アポイントの無い一人の男が訪ねてきたことに始まった。



「いらっしゃいませ。」


「私財占法律事務所の弁護士、寒紺阜紆奢(サコン フウシャ)と申します。砧怙驛様はいらっしゃいますでしょうか?アポは取っていないのですが、昨日の件だとお伝え頂ければご理解頂けると思います。」

新人の驛を名指しで訪ねるクライアントやお客はまだいない。

上司である挧框節(ウキョウ タカシ)と顔を見合せ、不思議に思いながらも阜紆奢に歩み寄る。



「砧怙驛は僕ですが、昨日の件とは何でしょうか?」


「覚えていらっしゃらないとは………。まあ、いいでしょう。自覚が無いのならば、こちらとしても弁護士の腕の見せどころですから。」



「あの……一体何の話ですか?」



阜紆奢の言っている意味が驛には全く分からない。



「砧怙驛さん、貴方を傷害罪で訴えるという依頼人がおりまして、私はその代理人です。」


「………………はい?」



にこやかに、しかし有無を言わさない雰囲気はやり手の弁護士故なのか?


それとも………?



「訴えるとは穏やかではありませんね。」



ゆったりとした口調でおもむろに立ち上がったのは、所長の劬耡夘薔次(クジョウ ショウジ)。


巫莵と巫莵の上司である稷詫樺堀(キビタ カホリ)とスケジュールの確認後、暫しの雑談中だった。



「砧怙も覚えが無いようですし、私もそのような報告は受けておりません。一度詳しい経緯をお聞かせ願えますか?」


「ええ、もちろん。」

「傷害罪って、砧怙くん何したんですかね?」


「分からないけど財占法律事務所が出てくるなんて、嵐の予感しかないわ。」



事態が飲み込めない総務の娑様瞠屡(サザマ ミハル)は樺堀に聞くが、返ってきた答えは良くも悪くも当たってしまう女の勘。



「財占って確か、所長が唯一嫌いな事務所ですよね。悪徳弁護士事務所だって。」



新人ではないものの勤めて短い学未でもその名を知っているのは、理由が極めて悪いからだ。



財占拳煙(ザイセン ゲンエン)が所長を務める法律事務所なのだが、金になる依頼しか受けず依頼人の利益より己の利益を優先する。


財を拳で掴み煙のように巻き上げ占有されてしまうと、名前を揶揄されるほどだ。



「まぁ、財占法律事務所に依頼する側も金に物を言わせてる奴らだから、どっちもどっちよ。」


「依頼人も弁護側も厄介事しか運んで来ないから、関わりたくないのが本音ですよね。」



瞠屡も学未も、苦い顔をする。


しかし、樺堀の心配は既にそこではなかった。



「衢肖さん大丈夫かしら…?」



応接室へ一緒に入った巫莵の顔色が、阜紆奢より昨日と聞いて以降ずっと真っ青であったから。

「さて、お聞かせ願えますかな。」



態度にも声色にも、幾分か鋭さを含んだ薔次が促す。


上座に阜紆奢、向かいに薔次と節が座り、その後ろに巫莵と驛が控える。


1対4と少々アンバランスだが、応接室にはニ人掛けのペアソファーしかないので致し方ない。



「依頼人は狄(エビス)銀行本部の常務取締役、瀑蛞拓(タキ カツヒロ)。昨日、表の歩道にて話をしていたところ、そちらの砧怙驛さんに話を中断された上に、一方的に殴られたと。」


「は?殴ってなんか…!」



「砧怙、落ち着け。……寒紺さん、こいつは弁護士としてまだまだ未熟者ですが、脈絡も理由も無く人を殴るような性格ではありません。話をしていたとの事ですが、瀑さんは誰とされていたのですか?」



決め付けた阜紆奢の口調に、前へ出かかる驛を止めながら節は冷静にそして丁寧に疑問点を口にする。



「それがそもそもの原因であり、示談の条件でもあります。……瀑の提示した示談の条件は、衢肖巫莵という女性の引き渡しです。」



「「はい??」」



疑問符が2人分、節と驛のものだ。



しかし薔次は顔をしかめ、巫莵に至っては顔色が青から白になりかけていた。

「衢肖巫莵って……うちの衢肖巫莵ですか?」


「ええ、御社に在籍されてる衢肖巫莵さんで間違いありません。瀑から聞きましたが、砧怙驛さんの先輩に当たる方だとか。」



節は驚き確認するが、阜紆奢はさも当たり前のように言う。



「瀑は衢肖巫莵さんとお付き合い…、所謂男女の関係であると聞いています。衢肖巫莵さんが職場を突然辞められてしまい、行方が分からず探していたようですよ。」


「つ、付き合って……?」



「まあ内容が内容だけに、驚かれるのも無理はありませんね。私も瀑が友人なもので引き受けたのが正直な話ですし、示談の条件も従業員のことですから代わりの方を探す時間も必要でしょう。本日は取り急ぎご説明までに伺っただけですから、細かい話はまた後日という事で。」



説明だけと言う割には衝撃的な爆弾を落として帰って行った阜紆奢。



「戻りました。」


「ただいま。…どうしたの?何かあったの?」



クライアントの元へ出向いていた事務所の稼ぎ頭で弁護士の鵬承鮖(ホウショウ カジカ)とその部下の篁卿焼(タカムラ キョウヤ)が、阜紆奢と入れ違いで帰って来た。


いつもと違う雰囲気に2人は首を傾げる。

「ありましたよ、ありまくりました!」


「砧怙さんがですね…!」



「2人とも落ち着きなさい…。所長、どうなりました?」



瞠屡と学未が状況を説明しようにも興奮し過ぎて文章にならない。


樺堀は2人を落ち着かせると共に薔次へ事情を伺う。



「ああ、それなんだが……。衢肖君、少し風にでも当たって外の空気を吸って来なさい。」


「………は、い……」



所長大好きと公言し、秘書として常に明るく笑顔な巫莵が今、弱々しく返事すら精一杯で青ざめている姿は一体誰が想像出来ただろうか。


出ていく後ろ姿に、誰も声を掛けることは出来なかった。



「所長良いんですか?衢肖さんを一人にして。」


「整理するには時間が必要だろう。私でさえ混乱してるんだ。」



好奇の目ではないが、皆から一旦離れた方が良いと薔次は判断した。



「あの…、衢肖さんのことはとっても気になりますが、一体何があったんです?」


「砧怙さんが訴えられそうなのよ。」



「訴えられそうって、理由は?」


「人を殴った傷害だって、さっき弁護士が来たんですよ。」



落ち着きを取り戻した瞠屡と学未は、卿焼と鮖へ説明をする。

「とりあえず砧怙君、最初から説明してくれるか?寒紺弁護士の言い分だけでは判断出来ないし、時系列もバラバラだったからね。」



「はい。昨日の朝、出勤途中に衢肖さんが男と揉めてる場面に遭遇しました。引き離そうとした時に肘が当たってしまったのは事実ですけど、殴ってはいませんよ。」


「私もその場にいましたから間違いありません。砧怙さんは殴ってません。」



尋ねた薔次に詳細……と言ってもそのままでしかないが、驛と学未も答える。



「しかし砧怙、訴えると言われて、なんで俺に報告しなかったんだ?」


「まさか肘が当たっただけで、訴えられるなんて思わないですよ~。普通口先だけだと思うじゃないですか~」



「お前…、それでも弁護士か…?」



頭をかきながら怒りの込められた苦い顔の節へ、答える驛の軽い口調に卿焼は呆れる。



「けど、事務所の名前まで喋っちゃったんでしょ?」


「しゃ、喋ってませんよ!……あれ?だけどなんであの弁護士、昨日の今日で俺のこと分かったんだろ?」



「金にモノを言わせたんじゃないの?あそこの所長がそうなんだから。」



鮖の疑惑を驛は即座に否定し、瞠屡もそれに続いた。

フィーア~フュンフと巻き戻す

「砧怙の名前は知ってるのに顔は知らないし、衢肖さんに至っては示談の条件にも関わらず知らないって……、金出した割には随分ずさんな調べだな。」



同じ弁護士としてその調査方法に、節は不愉快になる。



「え?衢肖さんが示談の条件って、どういう事ですか?」


「いや、それは俺にも……」



目を見開く卿焼に、理由までは知らないと節は言った。



「その件については、私から話そう。」



薔次が重く話始めたのは、巫莵が事務所に来る前の事。



「橋に佇んでいたんだ。その顔がなんとも言えなくてな。」



それは4年前に遡る。


薔次が小雨降る中帰宅を急いでいると、橋の欄干に両腕をつき凭れ掛かっている女性を見かけた。


傘も差さずに、暗く悲しい顔をしながら遠くを見つめる巫莵を。



「どうかされましたか?雨に濡れては風邪をひきますよ。」


「……いいんです、濡れたい気分なんで…。それにもう、この世に私の居場所なんてありませんから。」


「…良かったら話だけでも聞かせてもらえませんか?私は弁護士であり、決して怪しい者ではありませんから。」



自殺を仄めかす言動に、刺激しないよう努めて誘った。

「ここは私の行き付けの店でしてね。煮物がこれまた美味いんですよ。」



薔次が巫莵を連れて来たのは、落ち着いた雰囲気漂う小料理屋。


座敷の小さな個室に案内され、渡されたタオルで体を拭きながら女将と話す薔次を見る。



「自己紹介がまだでしたね。私は劬耡夘薔次、職業は弁護士…そして従業員5人の小さな事務所を経営しています。」


「……私は衢肖巫莵です。今は…無職、です。」



「そうですか。衢肖さん、料理が来ましたから冷めないうちに食べませんか?」



勧められた料理の数々は確かに美味しく、久しぶりに食べる温かみは全身に染み渡り巫莵の緊張を解していく。


その様子を見て、薔次は本題を切り出す事にした。



「差し支えない範囲で結構ですから、お話聞かせてもらえますか?」



「…はい。私、先月まで狄銀行の本部で役員秘書をしていたんです。ですが、役員同士が社内で揉め事を起こしてしまって。その原因が私だったことから、懲戒解雇に。」


「懲戒解雇……それは随分重い処分ですね。衢肖さんが原因というのは?」



「部長である瀑蛞拓という方の秘書だったのですが、入行当時から好意を寄せられていまして。」

支店の経理部門に大卒で入行した巫莵。


最初の1年は順調に仕事を覚えこなしていたのだが、当時支店長であった蛞拓が一目惚れしたことにより状況は一変する。



「瀑さんの私へのあからさま言動が先輩達の耳にも入ってしまって、それが引き金となったみたいで職場の雰囲気が……。」


「支店長に取り入ってると思われてしまった訳ですか…。」



「はい。その後1年経って瀑さんが本部の部長に栄転するのを機に、私も本部の秘書室に異動になりまして、瀑の秘書をすることに。瀑さんのアプローチと周囲の噂は絶えませんでしたが、瀑さんが常務に昇進してからは、ますます……」


「酷くなったと。…身勝手なパワハラにセクハラ……、どちらも許せませんね。」



同じ女を冒涜するようなデマまで流れ、貶めようとする狂気の思想に駆られた名も無き集団は、何の疑念もなく暴走していく。


滂沱たる愛を以て相まったのは、惨憺たるイジメの現実。



大変許しがたいのは確かだが薔次に浮かんだ疑問、それは。



「失礼ながら、お辞めになることは考えなかったのでしょうか?いくら就職が簡単で無くなった時勢とはいえ、続けるのは心身共によくありませんから。」

「母が……、母が大学在学中に病気で入院しまして。早くに父を亡くして、女で一つで育ててくれた母に余計な心配をかけたくは無かったんです。」



数字が苦手な母に代わり、家計をやりくりしているうちに簿記を覚え進む道を決めた。


高校を出たら働くと言ったのだが、学ぶことが好きだった巫莵の勉強の機会を奪いたくない、頑張るから大学に行って欲しいと母に言われ、奨学金を受けて入学した。



頑張りすぎた結果とはいえない病名だったが、勉強も楽しくそんな巫莵の話を聞くのが楽しそうな母を見ているのが嬉しかった。



「そんな母が懲戒解雇を受ける数日前に亡くなりまして。」



奨学金返済、入院費と治療費の支払いが給与の殆どを占め、貯金もままならなかった。



「それから夢を……、都合のいい夢を良く見るようになったんです。」



真っ黒な空に浮かぶ真っ白な満月



その光に照らされた貴女


景色ははっきりしているのにその姿はぼやけてる



話しかけたって答えない


困った様に
悲しそうに
寂しそうに


それでも幸せそうに声も無く笑うだけ



これが夢だと認識したのは


貴女がこの世にもう居ないと気付いたから

「病室で毎日してた挨拶さえ、こんなにも私の中で大きくなってたとは思わなくて。」



「行ってきます」

『行ってらっしゃい』


「ただいま」

『お帰り』



行って来るけど必ず帰るよ


そんな暗黙の約束だった



「だからもう潮時かと思いまして。」



懲戒解雇されたことで張りつめていた糸が切れたように無気力になってしまった。



露骨で姑息な仕打ちにも、独占欲ならぬ毒占欲にも。


耐える意味も必要性も無くなってしまったから。



「まあ辞めなかったのは母だけが理由ではなく、仕事にやりがいがあったというのもありましたけど。」



控え目に笑う巫莵の感情を忖度する薔次は、一つ提案をしてみることにした。



「衢肖さん、事情は分かりました。私もね、数年前に妻を事故で亡くしておりましてお気持ちは分かります。ただ、生前妻が言っていたんですよ。」



愛する人が自分の死を悲しんでくれる、それはとても幸せなことよ。


だけど悲しんでばかりでは心配してしまうわ。


だから、



「だから思いっきり悲しんだ後は、時々思い出すぐらいがちょうどいい。」



忘れることなんて出来やしないのだから。

「ここで一つ、私から提案があるのですが……。次が決まっていないのであればうちで働きませんか?」


「……え?」



「いやね、秘書はいるんですがなにぶん少人数なのに案件が多くて事務所に付きっきりなんですよ。私も外に出る時に秘書が欲しいなと、だんだん思うようになりましてね。それに、衢肖さんは経理も出来る。うちにピッタリだと思うんですよ。」



「いや、でも……」


「うちは私にとって気が置けない人物ばかりを採用しています。ただ、男が怖いと思うのなら、私を好きだと言って構いません。初頭効果……?メラビアンの法則……?まぁ何にせよ、私を盾にしてもらってかわせばいい。情けは人のためならず、と言いますでしょ。私の為、事務所の為だと思って、この話引き受けてくれませんかね?」



優しさや気遣いは感じられたが、同情や哀れみの類いは感じられなかった。



「大変有難い話ですが、さっき知り合った私に何故そこまで……。歪んでるかもしれませんが、嘘だとは思わないのですか?何で信じてくれるんですか?」


「それは疑う理由が無いからですよ。」



悪魔の証明にすらならない


長年の経験で培った賜物がこの鑑識眼だから。

黄昏ゼクス

真っ白い部屋に私と貴女



スースー、スースー

カチコチ、カチコチ


規則正しく刻み響く

呼吸する音と時計の音


ス、スー、ス………

カチ、コ、カ………


貴女の呼吸と時計の音が止まる時

私は壊れ、世界は停止する



「衢肖さん。」



卿焼は呼んだ、屋上の手摺に凭れかかり一人佇む巫莵を。


夕陽が照度差幻惑よろしく逆光で表情が見えない上に、呼び掛けにも応えてくれない。



「所長から聞きました、4年前のこと。」



近付いて分かる、巫莵の体が小刻み揺れていることに。



「皆、断固戦うって張り切ってます。………だから…、戻りましょ。戻って作戦練りましょ。」


「……所長って凄いですね。」


「え?」



巫莵は動く気配無く、その代わりポツリと呟いた。



「私の言葉は誰も信じてくれなかった。支店長に限ってあり得ない、先輩も優しいって。なのに所長は初対面の私の話を信じ、最初から最後まで疑わずに聞いてくれた。こんな迷惑だって皆が信じてくれるのは、所長の人徳ですね。」



あの時は薔次の不思議そうな顔に救われ、今も薔次によって救われている。


だから屋上に留まっていられる。

「何で衢肖さんの言葉を疑うんだよ!」


「っ…!」



らしく無かった。


弁護士になる為にがむしゃらに頑張って、今も一人前になる為によそ見なんかしたく無かった。


そんな暇だって無い。



だけど。



「俺自身の意思で信じるだけだ。」



抱き締めたいという衝動が抑えきれなかったのは、過去を知ったという理由だけでは無いはずだ。



「たか、むらさん…」



当然のことのように言う卿焼の言葉が嬉しかった。



「………ぁ、ごめんっ…!何やってんだ、俺……」



耳元で巫莵の声が聞こえたことで、自身の行動に気が付いた卿焼は慌てて体を離し背を向けた。



「もうしない、もうしないから……ってか、そういう問題じゃない…!」



戸惑いが駆け巡る頭を掻いた後、片手だけでも手摺を握り落ち着こうと試みる。



気遣いだけが見え隠れする背に、巫莵は。



「…!」


「少し、少しだけ…、このままで、いい…ですか?すぐ、離します、から……」


「ぁ、ああ……」



重ねられた手から伝わる小刻みな振動と弱い力は、気のせいなんかじゃないから。


微かに聞こえる泣き声が止むまでそうしていた。

ズィーベン経過はアハトで交差しノインにて把握

「ね、その後どうなったの?」


「寒紺から連絡はあったんですか?」


「さん、は付けなさい贔瀞さん。気持ちは分かるけど。」



数週間経って卿焼が出社すると、気になっていたのか瞠屡も学未も樺堀も矢継ぎ早に聞いてきた。



「いまだに連絡ありませんよ。やる気があるのか無いのか、分かりません。」



事を荒立てたく無い巫莵の気持ちを考えると、強気に出れず卿焼はもどかしい。



「もしくは、こっちの出方を窺ってるとかね。」


「窺われてもな。示談を進める気無いだろ。」



鮖と節も頭を悩ませる。



「篁さん、あれから衢肖さんと行き帰り一緒みたいですね。」


「……うるさい。大体お前が原因だろうが。何か考えろ。」



茶化すような驛に一瞬照れるが、卿焼はすぐさま思い直し叱責する。



「俺にどうしろっていうんですかー。言い掛かりもいいとこなのに。これだけ連絡無いってことは、向こうも無理だと思ったんじゃないですかね?」



「そうだといいんだがね。」


「所長、衢肖さんお帰りなさい。」



「ただいまです。」



口をヘの字に曲げた驛による都合のいい解釈を、薔次は願わずにはいられない。

「あ、そうそう。篁くん、今日の夜は衢肖さん借りるわよ。」


「借りるって?」



「女子会。帰りは私達が送ってくから。」


「出る幕ナシでーす!」



鮖が突然言った言葉に瞠屡と学未も続く。



「いつも篁くんとじゃ飽きるでしょ。たまには私達と一緒に楽しみましょ。」


「それは、行きたいですけど……」



樺堀も加わり、巫莵は遠慮がちに卿焼を見る。



「俺のことは気にしなくていいから、楽しんできたら?」


「はい!」



仕事に戻りながらも話に花を咲かせる女子達。



「いいんですか?」


「無理強いは出来ないだろ。それに鵬承さんの目が…な。」



鮖の目には何故か有無を言わさない、という力が込められていた。


それに気付いたのは卿焼だけではない。



「どういうつもりだ?いきなり宣言みたいに女子会って。」



「ちょっとね。」


「ちょっとってなんだよ。」



「女の勘、私の勘。邪魔しない、黙って。」



突っ掛かる節を強制的に会話を終わらせ、女子会の会話に鮖は加わる。



「どうしたもんかね。」



この仲の良い従業員達を守るには。


頭を悩ませる薔次だった。

「いつまでかかってんだよ。」



音沙汰無い阜紆奢を蛞拓は呼び出していた。



「そう焦るな。こっちにだって色々準備があるんだ。苛つくのは糖分不足が原因じゃないのか?ほら飴でも食って落ち着け。」


「チッ。やっと手に入れて傍に置いたのに、あいつのせいで行方くらますわ専務争いにも遅れをとるわ、予定が狂って胸糞悪いんだよ。」



本部へ異動の時に巫莵をいとも簡単に引き抜けたのは人事部にいた同期の上司が頭取と仲が良かった為である。



そして、蛞拓が常務にまで大抜擢され出世コースを歩めた要因は巫莵の頑張りがあってのこと。


将来の頭取候補と名高かったはずが現在落ち目なのも巫莵がいないからで、蛞拓の言い分もあながち間違ってはいない。



「大体、あいつが俺と巫莵に横やり入れたからこうなったんだ。」


「まあ、その同期の上司は横恋慕されたことを理解してくれて、お前は処分無しだったんだろ?いいじゃないか。」



巫莵に惚れた同期は蛞拓から奪おう……いや、守ろうとして揉めた上に左遷されたというのに、蛞拓に自覚がまるで無い。


ただ、巫莵や周囲を考えないまま先走った為、同期にも騒動原因の一端はあるのだが。

「そりゃ神様だってちゃんと分かってるからな、俺の欲しい物を取り上げたりなんてしないんだよ。」



地位も名誉も。


そして、巫莵さえも?



「事務所の名前だって、あのガキが持ってた封筒を俺が覚えてたからすぐに分かったんだろ。俺には時間が無いんだ、早く連れ戻せよ。」



忌々しそうに吐き捨てると、舌で転がすように甘さの余韻を楽しむどころか噛み砕き、事務所を出ていった。



「ったく、唯我独尊もいいとこだな。分不相応な矜持だけは持ち合わせてるんだから始末が悪い。」



昔から誰かの調整役で損な役回りを、金になると感じたのはいつ頃だったか。


偽られた事実を知らぬふりするが仏で、隠された真実は言わぬが花な世界だ。



「憎まれっ子世にはばかるとよく言ったもんだな。」



狄銀行は大手だ。


阜紆奢だって引き受けたのは嫌々だったが、事務所の方針に従い成果をあげれば拳煙からの評価は上々、査定にもプラスに働くと思った。



「彼女には悪いが、旅に道連れもこの世に情けも無いんだ。」



関係を裂かして、時間を割かして、ナニを咲かす?


自分の都合しか考えない阜紆奢も、実は共犯者なのかもしれない。

「何だ、話って。」



次の日、つまり女子会の翌日。


片付けたい仕事があったのに、と節は呼び出した鮖に文句を付ける。


ここは所長室で、他に部屋の主である薔次と卿焼と驛がいる。



「衢肖さんの件よ。昨日、女子会して分かったことがあったから。」



「ああ、あのくだらない勘か。」


「くだらないって何?!」



「2人とも落ち着きなさい。鵬承君、話を戻して。」



脱線に加えヒートアップしそうな2人を薔次はたしなめる。



「すみません。衢肖さんが何か隠してる様子だったので、皆に協力して貰ったんです。」



「成る程、女子会はその為か。」


「それで、分かったことって何ですか?」



観察眼の鋭い鮖に感心する驛を横目に、卿焼は先を急いだ。



「衢肖さん、かなりオブラートに包んでたけど、瀑蛞拓から受けた仕打ちは酷いものよ。」



範囲を越える仕事の責務、


先輩からの指導という暴力と後輩からの噂という暴言、



深夜に呼び出されるのは当たり前、


無理矢理手籠めにされた挙げ句、付き合っているという既成事実まで作りあげられて、



今日が凶になって狂が積み上げられていった。

「何だそれ。許せねぇ…。」



「待ちなさい、篁くん!」


「でもっ……!」



怒りに任せ飛び出しそうな卿焼を、強い声で鮖は止める。



「酔わせて聞いたの…!強い酒飲ませて聞き出したの…!シラフの状態じゃ無理だと思ったから。」



「だから男子禁制の女子会だったのか。」


「ええ。案の定、今朝聞かれたわ。昨日変なこと言ってなかったかって。」



記憶が曖昧なことが巫莵にとって救いだとは。



「鵬承君の話は私も知らないことだ。」


「所長にも言えないぐらい衢肖さんにとって瀑蛞拓との件は公にしたくないことなんだと思います。」



確信は有るのに、確証が無い。



それは今回の件でも言えることだ。



「このまま進展がなければ裁判ですよね。俺、どうなっちゃうんだろ…」



「証拠が何一つ無いのはお互い様。ただ、衢肖さんは裁判になる前に条件をのもうとするはずよ。」


「何でそんなこと分かるんだよ?」



「所長から聞いた話と衢肖さんの態度が一致しなかったから私は気付いたのよ。そんな衢肖さんが砧怙くんが訴えられてることに何も思わないとでも?身を引くことを考えるに決まってるじゃない。」

「そういうことか。」


「衢肖君の性格なら想像に容易いな。」



銀行にいた時でさえ自ら死のうとはしたが、他人をどうこうという考えは聞く限りは無かった。


そんな巫莵が自分が条件ならば尚更、事務所の為に差し出すに決まっている。



「これ以上長引かせる訳にはいかないな。明日、寒紺弁護士と話そうか。細かい話というのもまだなことだし。」


「そうですね。連絡が無いのは、向こうも切るカードが無いからでしょうし。」



阜紆奢の内心は分からないが、証拠が無いのは同じ。


話と考えは纏まった。



「言い掛かりですからね。」


「渦中の人物ってこと、少しは自覚しろよな。」



驛のポジティブさに節は呆れるしかない。



「くれぐれも衢肖さんに言わないことよ。それと送り迎えは」


「言われなくても分かってますよ。寒紺弁護士はともかく、瀑蛞拓が接触してくる可能性はまだ捨てきれませんから、俺が絶対ガードします。」



心の奥底に仕舞い込んだ罪を、閉じ込めた本体は裁かれることを拒む。


罰は還らずそれが己の首を絞めようとも、他を想い続けるから。



時間が経過する毎に交差する思惑はいつ把握出来る?

ツエーンで幕を引いたのは

「寒紺弁護士と正午にアポが取れました。午前中は先約があるとの事で。」


「分かった。」



「後2時間か。」


「示談は決裂決定なんだから気合い入れないとね。」



節と鮖は時計を見て確認しながら薔次と共に会議へと移動する。



「長くなりそうだししっかり食わないと、ですね。」


「万全の態勢で臨まないと、だろ。鵬承さんが言うように衢肖さんを絶対守らないと。」



驛の心配はそこなのか、と卿焼は呆れるが長丁場は覚悟しないといけない。



「何か出来ることがあれば何でも言ってね。」


「私達は衢肖さんの味方ですから。」



「ありがとう…ございます。」



瞠屡と学未も陰ながらでも支えたい思いを口にする。



阜紆奢…ひいては蛞拓との全面対決に、事務所一丸となって挑もうとする雰囲気に包まれ動こうとしたその時。



「巫莵っ!」


「っ!」



事務所のドアを破る勢いで開け怒鳴り込んで来たのは。



「あ、瀑蛞拓!」


「何だよいきなり!」



驛は指を指し卿焼が見た先には、威圧的な雰囲気の蛞拓がいた。


入口付近の瞠屡と学未は固まり、背を向けていた巫莵は振り向けないでいる。

「寒紺の奴も口だけでやる気無いし、当てにならないからな。結局、俺が連れて帰ればいいだけなんだよ。」



曖昧な返答の阜紆奢と進展しない事態に、痺れを切らし乗り込んだ姿はさながら強盗だ。



「ぃ、やめ…っ!」


「離せっ!」



「あ?なんだお前。」



強引に引きずり出ようとする蛞拓の肩を押し退け、巫莵を背へと庇う。



「寒紺弁護士に連絡!」


「は、はい!」



会議室まで聞こえた怒鳴り声。


鮖は樺堀に頼みながらも目線は蛞拓から離さない。



「挧框さん、瀑蛞拓です。」


「砧怙は、娑様さんと学未さんを。所長。」



「ああ。」



驛に入口付近で固まっている2人を任せ、節は薔次へ目配せする。



「瀑蛞拓さん……ですね。今日はどうかしましたか?寒紺弁護士は一緒ではないのですか?」



薔次は努めて冷静に言いながら、ゆっくりと近付く。



「今日、寒紺弁護士と会う約束なのですがね。一緒ではないのでしょうか?」



巫莵まで辿り着くと更に後ろへと下がらせ、蛞拓と距離を取る。



入口に蛞拓、そのすぐ前に卿焼、少し空いて薔次、巫莵を挟んで後のメンバーという位置になった。

「近くにいるそうで、すぐ行くと。」


「分かったわ。今、所長が相手になってるけど、いつまで持つか。男共がいるからとりあえず押さえ込みはいけそうね。」



敵対しても阜紆奢だって弁護士。


こんな事態になって、しかも友人らしいから、来ない訳には行かない。



「稷詫さん。」


「どうしましょう…」



「私達はここにいましょう。寒紺弁護士がすぐ来るそうだから、それまでの辛抱よ。」



驛に連れられた瞠屡と学未は樺堀と共に後ろに下がる。



「僕はどうしたらいいんでしょう。」


「貴方が行くとややこしいから、ここにいて。」



「…はい。」



鮖から戦力外通告を受けた驛は大人しく引き下がったものの、それだけでは情けないので樺堀達3人の前にいることにした。



「寒紺なんて知るかよ!もう示談とか交渉とかどうでもいいんだよ。巫莵をよこせ!」


「よこせって、衢肖さんは物じゃない。」



「俺が目を付けた俺のモノだ!良い地位に就かせて、良い暮らしさせて、俺がどんだけ犠牲にして育ててやったと思ってる?巫莵が俺の言うこと聞くのは当たり前だろうが!」



蛞拓の身勝手な言い分は更に膨れ上がる。

「つか大体お前何様?巫莵の何な訳?所長さん?が、しゃしゃり出てくるのは分かるけど。あぁ分かった。巫莵のストーカーか。巫莵は優しいから勘違いしたんだな、可哀想に。お前なんか眼中に無いから、とっとと諦めろ。」



「は?お前こそ何様のつもりだよ。衢肖さんを物扱いした挙げ句に傷付けて。ストーカーはそっちだろ。」



「篁君、冷静に、落ち着きなさい。」



普段、頭に血がのぼることが多いのは鮖で諌め役は卿焼の方なのに。


今回は逆で、薔次にまで止められる程の喧嘩腰だ。



「余裕無いねぇ。彼女居ないだろ。女も抱いたことない顔してるしな。いいの紹介してやろうか?ヤるだけの女ならいくらでもいるぜ。」


「ふざけるのも大概にしろよ。」



「ふざけてねぇよ?お前の勘違いを正そうとしてんの。お前は巫莵の人生の中のモブキャラにしか過ぎないってことをよぉ。」


「衢肖さんは俺の、俺の……俺の女だ!!勘違いはお前だ!」



「は?何言ってんだ?巫莵がお前みたいな奴、相手にする訳無いだろ。弁護士のくせに妄想とか、笑えるわ。」



驚いたのは蛞拓だけではなく、卿焼も本音なのか若干動揺が伺えた。


しかし突き通す。

「瀑!お前何やってんだ!」


「寒紺。お前がちんたらしてんのが悪いだろうが。まぁおかげで笑い話が聞けたがな。」



そのつもりはないのだろうが、卿焼が蛞拓と言い合いをしていた間に阜紆奢が到着した。



「ちんたらって。準備があるって言っただろ。とにかく外に出るぞ!」



「待て。巫莵も一緒だ。」


「いや衢肖さんは…」



「あと、こいつをシメる。巫莵に悪影響だ。」



こいつとは卿焼のことらしい。



「はあ?シメるとか問題起こすな。今だってクライアントに無理言って来てんだからな。」


「瀑蛞拓、やれるもんならやってみろ!二度目は無い、もう奪われてたまるか。」



止める阜紆奢に構わず、卿焼と蛞拓は臨戦態勢。



張り詰めた空気に殴り合いを覚悟した、その時。



パンッ………―――――



「訴えるなら、訴えて構わない!全部覚えてる……職場であったことも、ホテルでしたことも、言われたことも、されたことも、全部全部覚えてる!だから、だから私の…、私の好きな人を、これ以上侮辱しないで!」



ほら舞台に上がりなさいな。


貴方の悪事耳を揃えて暴いてあげるわ。


死なば諸共なのよ。

巫莵の目が、痛む頬が、そう語っている気がして。



救いの女神を軽んじた為に、破滅の悪魔が微笑んだ。


蛞拓へ裁きを下したのは、他でもない巫莵だった。



「瀑、行くぞ。」



阜紆奢は呆然としている蛞拓を引っ張って出ていった。



「お、終わった…?」


「と、とりあえず…?」



おっかなびっくり、学未と瞠屡は顔を見合わせる。



「何とかなったわね。」


「衢肖さん様々だ。」


「ですね。」



鮖と節は一大事にはならず安堵の表情を浮かべ、驛もそれに同意した。



「もう少し冷静にな。」


「すみません…」



だけど助かった。



小声でそう言う薔次の顔は珍しく疲れていて、卿焼も一気に襲ってくる疲労を全身に感じていた。



「は、はぁ、ぁ……っ…」


「衢肖さんっ。」



張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。


倒れ込むように巫莵はその場にへたり込んでしまった。



「衢肖さん、よく頑張ったわ。もう…もう大丈夫よ。大丈夫、大丈夫よ。」



駆け寄った樺堀は、震える巫莵を温める様にさすりながら声をかける。


巫莵の瞳から溢れる滴を、誰一人見ないふりをして。

エルフを頼らずとも

「衢肖君、今日はもういいから帰りなさい。」


「え?でも、まだ昼前…」



落ち着きを取り戻した巫莵は吹っ切れたのか晴れやかな顔つきで、仕事をバリバリしようかと意気込んでいたのだが。



「構いませんよね、稷詫君。」


「ええ。後はやっておくから、帰ってゆっくり休みなさい。寝て無いでしょ。だからよく寝て、明日からまた頑張ってくれたらいいから。」



「所長…、稷詫さん…ありがとうございます。」



温かさに包まれながら、巫莵は帰路についた。



「篁くん、行って!」


「行くって何処へ?」



指差し鮖は言った。



「分からない?鈍いわね。」


「衢肖さんのとこ!」


「僕でも分かりましたよ。」



たたみかけるように瞠屡と学未、更には驛も自慢気に言う。



「え?何で…?」



「気付いて無いのか?衢肖さんが瀑蛞拓へ啖呵切っただろ。その時、何て言った?思い出してみろ。」


「………!!お、俺、行ってきます!」



卿焼は駆け出す、巫莵の元へ。



「無自覚というのは、殊更世話が焼けるものだな。」



この気の利く職員達を採用して良かったと、薔次はしみじみ思うのだった。

「衢肖さん!」


「篁さん。どうしたんですか?」



息を切らして追い掛けて来た卿焼を何事かと巫莵は驚く。



「はぁはぁ、はぁ。あの、言いたい、ことがあって…」


「とりあえず、落ち着いてからで大丈夫ですから。」



全力疾走だったのか言葉が途切れ途切れになる。


巫莵の言葉に甘えて、息を整えてから巫莵を見た。



「衢肖さん。」


「はい。」



培い秘めたアンクレットに誇りを詰めて、


皆から得た評価をマントの様に纏い、



自信を結果に変えたいと祈りグレードは加速する。



「俺は衢肖さんのことが好きです。明るくて笑ってる姿が俺の癒しだった。今回過去を知って男が怖いと思ってるかもしれない、所長以外の男には失望してるかもしれないと思った。だけど、衢肖さんには笑ってて欲しいから、ちゃんと知って欲しいから。俺と少しずつでいいから、食事したりどこか出掛けたりしませんか?俺も試験を理由に向き合って来なかったし、前提としては付き合うってことでお願いします!」



俺の女だ発言を巫莵が覚えているかは定かでは無いが、覚えていないことを願って伝える。



淡い想いが濃くなって消せないことを。

「篁さん。私は男性を怖いとか失望とかは無いです。ただ、誰も信じられなくなってしまったんです。」



蛞拓だけが原因ではないが、全ての切っ掛けではある。



「けど、所長と出会ってもう一度だけ信じてみようと思えたんです。」



出会わなければ、今頃……。



「所長の言う通り、皆優しくって仕事も楽しくって。」



薔次は家にも行き来する仲になり、



樺堀は上司だけど母親のような包容力に包まれ、


鮖は時に薔次より頼りがいがあって、



節は鮖と子供のような喧嘩をするのに兄貴肌で、


瞠屡は細かい裏話まで知ってる情報通、



学未は事務所一の努力家で、


驛は空気は読めないが几帳面だったり、



そして、卿焼は。



「私を信じてくれた篁さんを私は信じたい。私自身の意思で。」



さりげない気遣いと、はっきりとした意志と、そして真っ直ぐに感じる気持ち。



「私も篁さんと一緒に一歩ずつ進みたい。よろしくお願いします。」



あても無く探し続けていた、存在しているかすら分からない大切なもの。


だけどやっと逢えて辿り着いた愛情(オアシス)。



僕だけの為に微笑んでくれる君に。

「聞きました?瀑蛞拓、訴えられるって話。」


「聞いた聞いた。狄銀行から私文書偽造で、でしょ。」



瞠屡からの問いに鮖は答える。


数日後の事務所内は瀑蛞拓の話題で持ちきりだった。



「でも寒紺弁護士って瀑蛞拓の友人でしたよね。利益相反になるんじゃ?」



「財占法律事務所は切ったんだ、瀑蛞拓を。」


「うわ~シビアですね。」



驛の疑問に卿焼は嫌そうに答えるが、学未は言葉の割に自業自得だという表情。



「私欲じゃ俺だって寒紺弁護士と同じ、弁護する気も失せる。」



拳煙と言わない辺り節が抱く嫌悪感のせいだろう。



裏切るつもりはない。


だが、利益を生むつもりもない奴を足枷などにもしない。


金をむしり取る為のただの踏み台であり、そこに利用価値など存在しないのだから。



拳煙のそんな心の内が聞こえてきそうだ。



「衢肖君、色々言ってるが?」


「大丈夫よね?」



「はい。なんたって俺の女ですから。」



薔次と樺堀が尋ねてもどこ吹く風。


ただ、記憶力だけ良いのは内緒ですよと巫莵は笑った。




不条理に勝るは金でも法律でも無く、愛し愛される関係である。

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