九重奏 ‐ノネット‐

「大分信用を得ているようだな。新撰組御用達の薬師がいると噂になっている。」



月見をしてから、更に月を三つまたいだ今日、鞍雀から呼び出された。


レイスの働きぶりに鞍雀は至極満足そうだ。



「ただ、オラシアのことが倒幕志士達の噂を介して新撰組の耳にも入ったらしい。監査が探りをいれている。」



その監査は山崎のことだろう。


菖の時はあからさまで素人だったから良かったが、今回はプロ同士。

それもターゲットとなれば探り合いだ。


「まぁ簡単に情報をくれてやるほど俺達は脆くはないがな。」


だてに暗殺組織を名乗ってはいない。



「だが、確信に迫られて個々に殺るのも面倒だ。ここらが潮時だろう。」



そして、鞍雀は本題に入る。



「次の満月の日、討ち入りでバラけ屯所は手薄になる。近藤勇と土方歳三は残るから、お前は2人を殺れ。」



表から潜入したレイスの他に、裏からと幕府側それに反幕府側にも潜入していた。


完璧に網羅して確実に仕留める。

それがオラシア。



全てはクライアントの利益の為に。

「何か掴めましたか?」


「それが、こちらの動きを察知したようでパッタリと。噂も消えました。」



山南は山崎に経過を尋ねるが、答えは芳しくない。



「そう、ですか…。撤退した、とは考えにくいですね。」



山南の読み通り、新撰組の動きを知った鞍雀が手を回したのだ。



「仕掛けてくるでしょうか。」


「分かりませんが、今度計画している討ち入りで屯所は手薄になります。これまでもありましたが、こちらの動きを知られたとなると…」


「ですが今度の討ち入り件、今を逃したら逃げられます。」



内偵を重ね掴んだ好機を決して逃すわけにはいかない。



「ええ、そうですね。何か手を打ちましょう。」



外からやってきた余所者に、治安を乱される訳にはいかない。


山南と参謀である伊東は培ってきた己の知識を駆使し、これまで幾度とあった危機的状況を回避し新撰組を守ってきた。


2人の頭脳があれば鬼に金棒だ。



「この件、実働する者以外には極秘とします。」


「分かりました。」



誠の名の下に誓った想いは皆同じ。

それが新撰組。



全ては未来の平和の為に。

幕が上がり、
まずは前奏曲(プレリュード)


狂想曲(カプリシオ)や
狂詩曲(ラプソディー)を

幾重にも奏で
終わらぬ輪舞曲(ロンド)



演者(レイス)の心を置き去りにして

指揮者(マスター)は
指揮棒(アンジャク)を振る


観客(シンセングミ)は何を感じるのか


両者が抱く思惑(マーダー)の
終演(ラストエンドミュージック)は


栄光の讃歌(グロリア)か
不協和音(カコフォニー)か



後奏曲(ポストリュード)まであと少し

十重奏 ‐デクテット‐

月が綺麗な円となる満月の夜の屯所前。



「一人残らず制圧しろ。」


「んなもん、言われなくても分かってますよ。では、行ってきます。」


「うむ。気を付けてな。」



近藤と土方に見送られながら、沖田を初めとした隊士達が討ち入りへと出発した。



見送った後、近藤は山南と打ち合わせ、土方は自分の部屋へ戻る。



「!」



書類を片付けていると、月明かりが遮られる。

見ると背にした入り口の障子には一つの人影が映っていた。



「(山南さんの言う通りだな。しかし、一人だけとは俺もナメられたもんだ。)」



土方は、山南からオラシアの件を聞いていたので心の準備は出来ていた。


刀に手を伸ばし、臨戦態勢をとる。



「誰だ。」



殺気を込めながら問い掛けると、静かに障子が開いた。

「菖……」



そこに居たのは、いつもの着物姿ではなく、さながら監査の様な服装の菖だった。



「なんで、ここに…それに何だその格好は…」



屯所内にいるはずのない菖に、土方は戸惑う。



「っつ―――…………」



菖に気を取られ刀を持っていた手の力が抜けたその瞬間、土方は押し倒され短刀を突き付けられる。


その衝撃で刀は手から離れ丸腰状態だ。



「お前が暗殺者、なのか…」



目の前にしても信じられずに尋ねる。



「そうです。私は数年前、貴方が反逆と決め付け粛清した不知火厳羊の弟子、不知火菖。」



「不知火厳羊…」



土方には、その名に聞き覚えがあった。


方々旅をしているとても腕の良い薬師だと父から聞かされていた。


自分は違う道に進んだが、いつか会えたらと思っていたのだ。


そんな人物を自分が粛清したとは信じがたかった。

「貴方は覚えていないでしょうね。小さな宿場町の小さな出来事。だけど、私にとってはとても大きな出来事だった。」



そう、一人の優しき少女を暗殺者にまで変えた出来事。



「倒幕志士でも助けるのが師匠の…薬師としての信念だったから、目を瞑ることが出来なかった。」



「宿場町……倒幕志士……」



土方には思い当たる節がいくつもあった。

それもそのはず。

新撰組として粛清した数は多い。

大きな功績をあげたものなら多少なりとも覚えているが、小さいものは覚えていない。


後ろは振り返らない、前だけ見て突き進む。

結成の時、誠の旗に誓った。

そして、そう思い続けなければ潰れてしまいそうだった。

何人斬ろうが、罵られようが、鬼と恐れられようが、構わない。


幕府の為……じゃない。

京の為、
そして平和の未来の為に。

「まさか貴女だったとは、驚きですね。」


「本当に君が…」



「!」



土方への思いが溢れていた菖は、刀が転がった音に気付いた近藤と山南に背後を取られてしまった。



キンッ―――………



「っっ……、待ちなさい!」



3対1では分が悪い。

向けられた刃を交わし塀を越える。



「まじで菖…なのか…」


「信じられないけど本当みたいだな。」



「!!」



塀を越えた先にいたのは、討ち入りに出掛けたはずの沖田と平助だった。


何故2人がいるかは菖には分からなかったが、5対1では更に分が悪い。



「のわっ!!」



持っていた短刀を手前にいた沖田に投げつけ、町の中心部とは逆方向へ。



「沖田くん、平助くん!追って下さい。」



山南に言われ平助は追いかける。

放置すると危ないので短刀を拾い布でくるみ懐にしまうと、沖田も後を追った。

「お母ちゃん…どこ…」


「!」



菖の目の前に5~6歳ぐらいの女の子が厠を終えたのだろう、付いてきた母親を探していた。



「いたぞ!」


「!!」



「きゃぁ!!」


「なっ……!!」



「茶代っ!!」



追い付かれると思った菖は、女の子――茶代(サヨ)を抱え人質にし側の林へ。



「茶代!!茶代を助けて下さい!お願いします!!!」

「大丈夫です。落ち着いて下さい。」



叫ぶ母親に山南が冷静に話し掛ける。



「何ボケッとしてる!追い掛けるぞ!!」



土方が追い付き沖田と平助に檄を飛ばすと、菖と茶代が消えた林に向かう。


母親を連れてきた隊士に任せ、近藤と山南も追い掛ける。



「(直前とはいえ、作戦を変更して正解でした。)」



追いながらも山南は思う。


万が一のことを考慮し、討ち入りのメンバーから沖田と平助を外し出掛けたと見せかけて待機させていたのだ。


まさか相手が菖とは、さすがの山南も思わなかったのだが。

「ぃゃはなして…」


恐怖で声は小さいものの嫌だ、離して、と茶代は繰り返す。



「………。」

「…ぅぇ?」



林の中腹まで来た時、菖は茶代を降ろす。



「ごめんね。ここで待ってれば迎えが来るから。」



今日は満月。

林にも月明かりが射し込み明るい。茶代をその明かりの下へ。



「動いちゃ駄目だからね。」


「おねぇちゃん…??」



離れる菖に茶代は首を傾げる。



「……怖い思いをさせてごめんね。」



菖は茶代の頭を撫でた後、林を進む。

泣きじゃくる茶代が幼い過去の自分と重なってしまって、これ以上一緒にいられなかった。



「あ、いた!」


「ねぇ、お姉ちゃんどっち行った?」


菖が茶代から離れてから数分後、平助と沖田が来て菖の行方を尋ねる。



「あっち…」


「よし行くぞ!」



茶代の指差した方向へ土方達は進む。



「?」


土方達が去った後、茶代は足下に何かを見付けた。



「あれ……?」



茶代救出の為土方達の後を付いてきた隊士が、こっちにいる。連れていけ、と沖田の声が聞こえたのでいるはずなのだが…

茶代の姿を探すも見当たらない。

「なっ……」


「山南の読みが当たったな。」


「いえ、林を通ればここに辿り着く確率が一番多いので。」



林を抜けた先にいたのは後ろから追い掛けていたはずの近藤と山南だった。


林を抜けた先のここは町外れの少し開けた場所。


普通は林を通るが、入りくんだ町の中を回っても辿り着ける。


町を網羅している新撰組ならではだ。



「追い付いたな。」


「!」



前は、近藤と山南。

後ろには、林を抜けてきた土方・沖田・平助。


懐から出した短刀を構えるが、菖は囲まれてしまう。



「もう逃げられませんよ。貴女がどういう経緯で私達に手を出したのか、これからたっぷり話してもらいましょうか。」



「菖ちゃん、俺達は君を傷付けたくない。その短刀を渡してくれ。」



間合いをつめながらも近藤は説得する。

「……甘い、ですね。」


「え?」


「傷付けたくないのは、私だからですか?平助さんを、新撰組を、助け利益をもたらした反幕府ではない人物。だからですか?」



「それは……」



菖の顔に悲しみが見てとれて近藤は言い淀む。



「菖、お前本当に暗殺者なのか!?俺達を騙してたってことかよ!?」


「平助、落ち着け。」


平助はいまだに信じられない様に興奮しており、沖田が抑える。



「不知火厳羊…と言ったな、お前の師匠の名前。」


「不知火厳羊…確か腕の良い薬師だと土方さんが言っていた人物ですよね。」


「あぁ、俺はその人物を斬ったらしい。」



菖の目的が土方より語られる。



「え?!」

「まじですか?」


「成る程。復讐、という訳ですか。」



山南は納得がいったが、沖田と平助は驚きを隠せない。



「初めから仕組まれていた、そういうことなのか……」



近藤に至ってはショックを受けている様だ。

「お姉ちゃん!!」


「!!」



緊張感漂う空間に響いたのは、菖を呼ぶ茶代の声だった。



「なんで……」



茶代の登場で皆の殺気が消える。



「お姉ちゃん、これ。」


「これ………」



菖に近付いた茶代の掌にあったのは簪。

それも紫色の菖蒲があしらわれた菖のもの。



「落ちてたから。」



菖に抱えられた時、懐から見え隠れしていた簪を茶代は見ていた。

それが茶代を降ろした時落ちて、届けようと後を追ってきたらしい。



「大事な物は胸のところに入れるってお母ちゃんが言ってた。お姉ちゃんの大事な物でしょ?」


「……そう、だね。ありがとう。」



茶代の言葉に一瞬目を見開くが、簪を受け取り懐へしまう。


そんな菖を複雑な思いで見つめるのは土方だ。

まさか自分を復讐で殺そうとしているのにも関わらず、まだ簪を持っていたとは。


屯所で過去を語った時も近藤の言葉に返した時も、復讐を遂げているいう感じはしなかった。


菖の気持ちが分からない。

「さすがだ、レイス。一網打尽にはもってこいの場所だな。」


「「「!!!」」」




近藤と山南の後ろから音もなく現れたのは鞍雀だった。


鞍雀が引き連れてきた、オラシアではドールと呼ばれている暗殺者達。

ザッと見ても30人はいるだろうか、その手には小太刀や鎌といった様々な武器が握られている。


菖と茶代のやり取りに気を取られて気付くのが遅れ、周りを囲まれてしまった。

その場が一気に殺気立つ。



「かかれ。」



鞍雀の合図で、ドール達が一斉に攻撃を開始する。


茶代を探していた隊士達も加わり辺りは戦場と化す。



「っっ!!」



ドール達は、新撰組だけではなく仲間であるはずの菖にまで攻撃を仕掛けてきた。


傍にいた茶代を咄嗟に庇って、菖は背中や腹などを刺されてしまう。



「菖、大丈夫か!?」



土方が割り込み、菖と距離を取らせる様にドール達を牽制する。



「お姉ちゃん……」


「大丈夫。この子を遠くへ。」


心配顔の茶代を安心させる様に笑いかけ、傍にいた隊士に預ける。

気配から安全だと判断した林へと誘導し逃がす。

「なんで心配しているんですか?私、敵ですよ?」



土方の行動に苦笑い浮かべ、体勢を整えながらその大きな背に問いかける。



「じゃあ何でお前は味方に攻撃されてんだ?」


「そうですね。見るからにお知り合いみたいですし。私も不思議に思いますよ。」



土方の疑問は最もだと、応戦しながら山南も賛同する。



「その疑問、冥土の土産に答えてやろう。」



護衛にドールを数人控えさせた鞍雀が、嘲笑うかの様に口元に笑みを浮かべながら話始める。



「復讐心を買ってお前を育ててやったのに、その恩も忘れよって。恋心などに現を抜かしていたこと、俺が気付いてないとでも思ってたのか?」



「「っ…!!」」


「(成る程。そういうことですか。)」



鞍雀の言葉に、菖と土方は目を見開き、山南は2人のこれまでの言動に納得する。



「「「(恋心?)」」」



山南以外の隊士は、思い当たる節が無いのかただ鈍感なのか、不思議そうに菖を見る。

「潜入役とはいえドールに感情など、やはり不要であった。完璧に仕事を遂行出来ないお前に、もう価値などない。」



復讐心という感情に突き動かされていた菖は、この場にいるドール達の様に『完全な殺戮人形』にはなれなかった。


鞍雀はそれを見抜き、菖を新撰組もろとも葬り去る計画に変更したのだ。

だてに監査役ではないということか。



「遊びは終わりだ。新撰組と共にこの場で果てろ。お前達、全員消せ。」



「「「御意。」」」



鞍雀の命に、今までの違いあしらう感じは消えドール達の攻撃に勢いが増す。



「ちっ――……」



新撰組は勿論だが、手負いの菖に攻撃が特に集中し動く度に服に血が滲んでいく。


そんな菖に、土方は動かなくていいように菖とドール達の間合いに入り攻撃を受け流す。

「くそっ……」



まるで疲れを知らないドール達に、新撰組の面々も菖を庇いながら戦う土方も傷を負った菖も息が切れてきた。


鍛練を積んだ新撰組でさえ防戦一方で決着が一向に着かない。

これでは消耗戦だ。



「(このままじゃ……)」


「菖っっ!!!」



一瞬考えた隙を突かれドール達が菖に攻め込む。



カン、カラン、カララ……

「くっ―――――……」


「!!!」


「土方さん!!」



咄嗟に菖を庇った土方は、刀が間に合わず右腕を斬られ刀を落としてしまう。



すかさずドールが土方目掛けて斬り込んで来たので沖田が応戦する。



「心配ない、構うな!」



2人を庇いながら戦う余裕はないはず。

そう考え叫んだ土方は、血に染まった手で刀を握り直し立ち上がる。

「(もう、これ以上は……)」



鞍雀の言葉を表す様に、ドール達は無表情で目は虚ろ。

更には、攻撃にも一切衰えが見えず不気味極まりない。


しかし、新撰組の面々は疲労困憊、土方に至っては出血が止まらず辺りは血だらけだ。



「(!)」



自分の前にいる土方を見ると、いつの間に落ちたのだろうか。

懐に入れたはずの簪が足元にあった。


少し赤く染まっているが、美しい紫色を保っている。

その色に思い出されるのは、自分の心と花言葉。



「(いいよね、師匠……)」



師匠を、町の人達を思い返すその表情は、
『暗殺者 レイス』ではなく『薬師 菖』だった。



「(女将さん、ごめんなさい。貴女の最期の願い守れそうにありません。私は……)」



菖が懐から取り出したのは、古い短刀。

野草を採る為に師匠から貰ったもので、薬師としての始まり。



「(本当は命を奪う為の物じゃないけれど。)」



助ける為の物だけれど。



「(もう、偽りたくない…!)」



短刀を握り直し駆け出す菖の目には、強い光が宿っていた。

復讐を誓ったあの時とは真逆の光が。

ザシュッ―――………


「菖……!」



目の前に立ちはだかって、一人のドールを倒した菖に土方は驚く。


その後も、今までの動きが嘘の様に電光石火の如くドール達を倒してゆく。


その姿はまるで、花から花へ舞う蝶の様のようだ。



「ちっ。お前達もいけ!」



次々と倒されてゆくドール達になりふり構ってられなくなったのか、鞍雀は護衛のドールにも命をだす。



「くっ―――……」



残り数人となったところで、菖の動きが止まる。



「菖!!!」



腹を押さえ、片膝を付く。



「しっかりしろ!」



「はぁ、はぁ、はぁ……」



土方の声にも答えられないほど、肩が上下に動き息が上がっている。



「ここまでのようだな。」



呟く鞍雀の手には拳銃が握られていた。


銃口の先には、菖。



「くそっ……!!」



引き金を引く瞬間、鞍雀は勝ち誇った様にニヤリと笑った。

バンッ――――――………





「!!!」



神秘的な満月の夜に似つかわしくない、鈍く重い銃声が響き渡る。

その音に胸を赤く染めたのは2人。



短刀を投げ捨てた菖と
拳銃を握ったままの鞍雀だ。




「菖っっ!!」



撃たれそうになった菖を土方は庇おうとした。

だが、それに気付いた菖は土方を突き飛ばしたのだ。


まさに、一瞬の出来事。




「何故、この私が……お前らごときに………」



撃つと同時に短刀が左胸に刺さった鞍雀は、そのまま倒れ絶命する。



「くそっ、間に合わなかった…」



短刀を投げたのは沖田。

屯所前で菖が投げ付けたものだ。


発想は良かったが普段短刀など使わない為、拳銃を狙ったつもりだったが外れてしまった。



結果的に鞍雀を倒せたのは良かったものの、発砲には間に合わなかったようだ。



「菖!!」



膝から崩れ落ちる菖を、土方は抱きとめる。



「菖――!!」



残りの数人を倒した平助達も菖に駆け寄る。


指令役がいないと機能しなくなる。

それが自我を持たないドールの唯一の弱点だ。

「おい、菖!目を開けろ!」



隊服が血に染まるのも構わず、土方は菖を抱き締め呼び続ける。



「(これは外国製の…。それに医療班を呼んでも、この出血量では…)」



山南の見たところ、鞍雀の持っていた銃は外国製で威力も高い。

派手に動き回った分、刺された傷口が開いて更に出血し、菖の顔は青ざめている。



「「菖!!」」



平助と沖田も懸命に呼び掛けるが反応がない。



「しっかりするんだ!」



隊士にこの場の処理を命じた近藤も呼び掛ける。



「……なんて顔…しているんですか……」



うっすら目を開けた菖が、土方の表情を見て唇を動かす。


浅く荒い呼吸を繰り返し、息をするのもやっとの状態だ。



「お前もう喋るな。今医者呼んでやるから。」



「医者…って…無駄足…ですから…止めて…ください。」



「んなこと言うもんじゃねぇ!無駄足になんか絶対ならねぇ。」



土方の強い声に菖は小さく笑う。

「私…医者ですよ。自分の…状態…ぐらい、分かります。」



動かない首の代わりに目だけ動かし周りを見やる。



「私…より、土方…さんを…。他の…皆さんは、怪我…していない…ようですね。良かった。」


「人の心配してる場合じゃねーって。」



殺そうとしていた相手を気遣う菖に、平助は止血している手に一層力を込める。



「医療班まだかよ…」


「まだ着かんのか?!」


「い、今向かっている頃かと…」



屯所からの距離はそれほどない。

だが、一刻を争う状態に苛立ちは募る。



「ふっ、ふふふ……おかしな…状況……ですね。」


「あ?」



菖がそう言い笑う。



「殺しに…きた私を…心配して…いるんですから。」



「そう…だな…」



菖の言葉に土方も少し笑う。



「手…疲れますよ。もう…いいですから。」


「何言ってんだよ!全然疲れてねーから!」



止血している平助の手に自分の手を重ね、大丈夫と意思表示する。


そんな菖に、涙を浮かべながらも安心させるように口元に笑みを作る。

「私…復讐…したかった…んです…」



過去を思い出しているのか、菖は遠い目をする。



「だから、組織に…入ったんです…」



思い出すのは、復讐を誓ったあの日のこと。



「貴方を、殺したかった…師匠達の命を…奪った貴方に。」



復讐する為だけに生きてきた。
殺す為に暗殺者にもなった。

それほど土方の死を望んでいた。

だけど………。



「じゃあなんで俺を庇った?!」



―――復讐したい俺なんかを…


菖の言葉に、土方は悔しそうに顔を歪める。



「仕方が、ないじゃ…ないですか…体が…勝手に動いたん…ですから。」



ははは、と力なく笑う。


結果も、望んでいた結末も、
現実はまるで違っていた。


それでも、泣くより先に笑うことが出来るのは……


―――貴方が生きているから。なのでしょうか……



心の中での問いに、土方は気付けない。

「薬を研究…している時、楽しかった。それに、お月見も。こんな綺麗な満月…でしたよね…」



土方の後ろに見える満月は、地上の殺伐とした状況とは真逆に煌々と輝いている。


魅入られたのは、
天使(恋)か?悪魔(死)か?


その答えは、菖にしか分からない。



「それに、簪、嬉し…かったんですよ。花…言葉も含めて…貴方がくれたから。」



視界の端に映るのは捨てられなかった簪。


茶代の言う通り大事なもの。

土方に貰ったものだから、捨てられるはずが無かった。



「消え…ようと…思って…いたんです。でも私…が消えても計画は遂行…される。…だからせめて、私の手で…と思って…いたのですが。上手くは…いきま…せんね…」



ゴポッと血の塊を吐き出す。



「菖っ!いいから黙れ!もう喋るな!そんな事、後でいくらでも聞いてやるから!」



そう―――、

医者が来て、傷を治療して、治ったら、いくらでも……

「…土方さん…、貴方は…優しい。鬼の中に…それを…見つけてしまった……あの時、それに気付けて…いれば、何かが…変わった…のでしょうか。」



斬った人達の分まで、生を背負っているということに。



「旗に…誓った…こと、話して…くれました…よね。」



後ろは振り返らない、前だけ見て突き進む、と。



「だから、忘れて…下さい。こんな間抜けな…私のこと…なんて…」



功績と引き換えに恐れられてゆくも、誓った強い意思が新撰組にはある。


真意を知った今、邪魔はしたくなかった。

これまでも、これからも。


だから、忘れて欲しかった。



「忘れねぇ。絶対忘れねぇし、この事態の責任取って俺のそばにいろ!そんなこと二度と考えねぇ様に見張っててやる。」



「頑固、ですね…1度…だけでいいんです…最後の…お願い…ですから…聞いて…下さい…」



「最後なんて言うんじゃねぇ。これから、何度だって……」



血に濡れた震える手を土方の頬に伸ばす。



「私…みたいに…過去…に囚われ…ないで…ください…」



幼い子供をあやす様に、優しい笑顔で伝う涙を拭う。
















「土方さん、大好きでした。」















頬に触れていた手は、重力に逆らうことなく地面に落ちる。



閉じられた目も、言葉を紡いでいた唇も、何故だか微笑んで見えた。

もう二度と、動き出すことはないけれど。







抱き締めていた土方も、



止血していた平助も、

事態を収拾していた沖田も、



指揮をとっていた近藤も、

この後を思案していた山南も、



到着した医療班も、

処理をしていた隊士達も、






言葉を発することなく、
指一本動かすことさえ出来なかった。



増援の隊士が来るまで、誰一人として。

独 奏 ‐ソロ‐

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クラシックが流れるとある部屋。


外見は近代ヨーロッパ風のお城だが、内装は実にクラシカルな雰囲気が漂う。

家人の趣味だろうか、部屋の壁には至るところにビスクドールが飾られている。



大きな暖炉前では、一人の男が椅子に腰掛け、流れる音楽に合わせ優雅に指揮者の真似をしながら楽しんでいる。



その男、すなわち城の主だが、50代後半の恰幅の良いオジサマといったところか。


上品に仕立てられたオーダーメイドのスーツを身に纏い、貴族を思わせる風貌だ。



「旦那様、ご報告があります。」



この城のメイドだろうか。


音楽を鑑賞している最中にも関わらず、男に話し掛けたのは10代前半の少女。



「あぁ。なんだい?」



男は気にする素振りを微塵も見せず、ニコリとメイドに問い掛ける。



「新撰組の件、失敗に終わりました。ドール32名、及び潜入役レイス・監査役鞍雀、合計34名全滅。新撰組側の被害は多少の怪我人のみです。」



メイドは抑揚のない声で、淡々と告げる。

「そうか、失敗したか。それは残念だ。レイスには期待していたんだがね。」



そう言う男だが、表情は全く残念そうではない。

むしろ楽しそうに微笑んでいる。



「クライアントにはどのように報告を致しますか?」


「出来損ないが失礼した。次はもう少し楽しんで頂ける様に嗜好を凝らそう。そう伝えておいてくれ。」



「かしこまりました。新撰組の方はいかが致しましょう。」



「処理は新撰組がしたのだろう。暗殺者を自ら招いたなどと失態を外に漏らすような真似はしないだろう。放っておいてかまわない。」



「かしこまりました。」



報告が終わるとメイドは一礼して下がる。

部屋には男一人になり、再び音楽に乗る。



「復讐心というものに期待していたんだがね。上手くいかないものだ。」



皆様、もうお気付きだろう。

独り言を呟くこの男こそ、オラシアでマスターと呼ばれている人物その人である。

オラシアは暗殺組織。
それは間違いのない事実だ。


だが、裏の世界でも知る人間が限られている真実がある。



それは、暗殺と同時にそれを奏楽つまりショーとして、貴族達に娯楽を提供しているのだ。



「今回は新撰組との戦いが見たいとの要望だったから、始末しなくても構わないんだけれど。」



京を強靭に守る新撰組をドールと戦わせてみたいと。

あわよくば、幕府までも。



「人間の心というものは、いくら強くあろうとも移ろいゆくものなのかね。」



己の見込み違いだったかと感傷に浸る。



「鞍雀もいい働きをしてくれていたのにねぇ。惜しい事をした。」



ドール達は見世物であり、シナリオを遂行する駒でしかない。

このことは、ドール達は勿論、長年ドールを見てきた鞍雀でさえ知らされてはいなかった。

「まぁ余興にはハプニングは付きものだ。」



うんうんと頷き一人納得する。



「我がコレクションのドールもいくらか減ってしまったな。」



部屋にあるビスクドールを眺める。



「ドールもお前達の様に、いつまでも美しく壊れたら作り直せれば良いのだがね。」



人間というのは至極残念な生き物だ。

マスターはつくづく思う。



「代わりなどいくらでも造れるが、精度はもっと上げなければいかんな。」



己が立てた完璧な演目を演じるマリオネット達を。



これから忙しくなる、そう満足気に笑みを浮かべるのだった。




今回も、それまでも、これからも、オラシアの暗殺劇は続く。

マスターと貴族達だけが知る、暇潰しの賭け事であり、無情なお遊びが―――。

『無常に過ぎゆく時が奏でた協奏曲(コンチェルト)』



レイス…いや、不知火菖の復讐劇が失敗に終わり早数ヶ月……


京の町は相変わらず、新撰組の見廻りのおかげで平和だ。



『幻想的(ファンタスティック)に、郷愁的(ノスタルジック)に』



菖がいなくなって騒がしくなったのも数週間。

何故なら、旅人が多い京の町。

流れの薬師が突然いなくなろうとも、気にするのはほんの一時のこと。



『流れる様(レガート)に、時々思い出す様(スタッカート)に』



沖田と平助が、お別れは寂しいから……と別れを告げずに旅立った。と騒いだ町民に説明したのも大きな要因だ。



『複雑に絡み合った音(オモイ)は、解こうにも元に戻せない』



新撰組も何事も無かった様に日常を過ごしている。



『ついに最後には無音になってしまった』



近藤は幕府の要人と会合

山南は監査の山崎と作戦を練り


沖田は剣の修行に励み

平助は団子の大食い記録に挑戦


土方は鬼の副長として前にもまして厳格に




何も変わらず、笑ったり、泣いたり、怒ったり。

その裏に抱えているものを微塵も見せることなく。

ただ違ったのは、屯所の片隅に小さいお墓が建てられていたこと。

一見犬や猫の墓と見間違う程の簡易なもの。



ひっそりと建てられたそれは、菖の墓だった。




ドール達は処理出来たものの、菖だけはどうしても出来なかった。

かといって、大っぴらには建てられない。


泣きつく平助に、山南が提案し屯所に建てたのだ。



討ち入りの行き帰りに報告したり、日々の愚痴や出来事を話したりするのが、新撰組屯所内での密かな日常となっている。



更に満月の夜には、季節の甘味を肴に月見をするのが、土方の心の拠り所にもなっている。




それは、何も変わらない、けれど何かが変わったという証拠なのだろう。

どこにでもありそうな、なんてことないただの復讐劇。


闇が闇で塗り潰されただけのこと。



幕末の動乱の中にかき消され、歴史にさえも残らない。




だが、何もかも消滅した訳ではない。


確かに存在した、その証。




花言葉を知った男が、生涯肌身離さず持っていた。



少し赤黒く染まっている綺麗な紫色をした簪。


万人にはただ薄汚れた使えないであろうその簪。



それだけが、全ての真実を知っている。





一人の男に、強い憎しみと強い愛を誓った少女。

一人の少女に、強い悲しみと強い愛を抱いた男。


そして、2人を祝福してくれるであろう仲間。



そんな奴らの人生(モノガタリ)を。