◆
二重奏 ‐デュオ‐
◆
月も隠れる新月の夜、寂れた小屋に2つの人影。
一人は、英国紳士風にスーツを着こなしている40代半ばの男。
もう一人は、赤紫の着物で年の頃15~16と思われる少女。
彼らは、闇で語り継がれ、表舞台に名が決して出ることがない
暗殺組織【オラシア】に属している。
「次のターゲットは新撰組だ。」
案内兼監査役である男の名は、鞍雀(アンジャク)
「新撰組……」
実行役の少女の名は、レイス。
「ようやく悲願が果たせるな。とは言え、いつも通り抜かりなく殺れ。」
「御意。」
オラシアの主であるマスターの命により、新撰組暗殺計画が幕を開けた。
◆
三重奏 ‐トリオ‐
◆
「団子3つお待ち。」
見回りの帰り、休憩とばかりに甘味屋へ寄った沖田と平助。
「お前まだ食べるのか?」
「腹が減っては戦は出来ぬって言うでしょ。何事も万全を期さなきゃ!」
無邪気にそう言って団子にパクつく平助に沖田は呆れ顔だ。
それもそのはず。
平助の隣には既に食べ終えた皿が10以上ある。
「お前ら見回りにいつまでかかってんだ!」
「げっ土方さん!」
鬼の副長と呼ばれている土方は、その名の通り鬼の様な形相で近付いてきた。
「見回り最中に油を売るとはいい度胸だな?」
「(やべ…)いや、これは、その…」
残りの団子をかき込んでいる平助を隠すようにしながら、見つからない言い訳に沖田は言葉を濁す。
「ゴフッ!!ゲホゲホ、ゲホゲホ…」
「だ、大丈夫か?!ほら水飲め、水!」
「はぁ~」
かき込んだせいでむせてしまった平助に慌てる沖田。
そんな2人に土方は頭を抱える。
◆
彼らは、新撰組。
浅葱色の羽織りを纏い、誠の文字を掲げる組織の一員だ。
ここ京都において幕府に仕え、反幕府勢力を取り締まっている。
治安維持の為持ち回りで見回りをしており、今日は一番隊隊長の沖田総司と八番隊隊長の藤堂平助だった。
しかし、いつまでたっても帰ってこない2人に痺れを切らした副長の土方歳三は、探しにやって来たのだ。
「もういい…帰るぞ。これ以上恥を晒すな。」
馬の耳に念仏というか、何というか…諦めにも似た心境で怒る気も失せる。
新撰組の威厳を保つ為にも、この2人を早く連れて帰ろうと土方は思う。
「イッ………―――」
屯所へ戻る途中、小道に入った所で隣を歩いていた平助が視界から消えたので振り返ると、お腹を押さえてうずくまっている。
「平助?どうした?」
沖田の声に土方も振り返る。
「なんだ、腹痛か?まぁあれだけ食べりゃあな…」
「う~」
余程苦しいのか涙目だ。
◆
四重奏 ‐カルテット‐
◆
「あの…どうかしましたか?」
うずくまる平助を不審に思ったのか少女が声をかける。
「食い意地張って馬鹿やっただけだ。心配いらん。」
「土方さんづめだい~、イテテ…」
「食べ過ぎならば、この薬をお飲みください。消化を助ける薬ですので。」
「あぁ…悪ぃりいな。」
薬と水を受け取り飲み込む。
「水まで持ってるとは準備がいいな。」
「あ、いえ。申し遅れました、私は菖(アヤメ)と申します。薬師(クスシ)を生業にしておりますので、水は常備しております。」
「ほぉ、その年齢で薬師とはな。それに、警戒もなく近付いて、俺達が襲ってきたらどうするつもりだったんだ?」
「薬師といっても流れですので…」
探る様な目付きの土方に、戸惑う菖。
薬師は漢方薬を用いて治療をする医者のこと。
薬師は身分が高く、普通はどこかの屋敷に雇われている。
こんな町中で、しかも無償で薬を渡すなどあり得ない。
◆
「その羽織り、新撰組の方々とお見受けします。ですから、近付いても大丈夫と判断した訳です。」
今にも斬りかかられそうな勢いの土方に、少し後退りながらも菖は答える。
「んな理由どぉでもいいじゃん!困ってた俺を助けてくれた心優しき女の子を怖がらせてどうすんだよ!」
菖に対する土方の態度に怒る平助。
「お前もう大丈夫なのか?」
「おう!治った!」
「治るの早っ!」
あっけらかんと言う平助に心配していた沖田は驚く。
「病は気から、とも言いますし。痛みが治まって良かったです。」
「おう!ありがとな!あ、そうだ。お礼にうちに来いよ。」
ニカッと笑い平助は菖を誘う。
「あ゛?」
「(土方さんの目が怖ぇ…)男所帯に女の子連れ込んでどうすんだよ!」
「飯くらい出せんだろ?ここまでしてもらっといて、礼だけ言ってサヨナラなんてひでーことでっきっかよ。」
「まぁそりゃそうだけど…」
平助の言うことにも一理ある。
◆
「それに、近藤さんにも紹介したいしさ。」
きっとびっくりするぜ。なんてお気楽発言。
「あ、いえ。いくらなんでも屯所にまでおしかけるという訳には…」
痛みが治まっただけで薬師としては十分ですし。と平助を睨んでいる土方を気にしつつ、菖は断りを入れる。
「いいじゃん連れてくくらい。新撰組が助けてもらって礼の一つもしないなんてどーすんだよ。」
睨まれてもなお意見を曲げないのはまだ10代という歳のせいか。
「はぁ。近藤さんに会わせるだけだぞ。」
「やりぃ。じゃ行こうぜ!」
「え、えっ?」
平助は菖の手を引いてかけていく。
「いいんですか?まったく甘いんだから。鬼の副長が聞いて呆れますよ。」
「うるせー。」
土方が沖田と平助を探しに来たのは、帰りが遅く襲撃に遭っていないか心配だったから。
反幕府や裏切者は決して許さないが、新撰組、特に昔からの仲間には特に甘い。
鬼の副長と恐れられていても、中身は堅物だが仲間思いの優しい人物である。
◆
上手くいった――――
そう心の中でほくそ笑んでいる人物が一人。
平助に手を引かれている菖だ。
菖の正体はなんと、暗殺の命を受けたレイスであった。
本来暗殺は、闇に紛れ音もなく行われるもの。
ターゲットが数人の場合ならそれでいい。
だが、今回の新撰組の様に大所帯の場合は、潜入し事細かな事情を把握してから事に及ぶ。
油断したところを一網打尽、これがオラシア独自のやり方。
屯所へ売り込みに行こうと見張っていたが、タイミング良く平助が腹痛になったので計画を変更したのだ。
薬師という設定は、新撰組に近付きやすく流れでも怪しまれないから。
レイスが元薬師であるというのも理由の一つ。
付け焼き刃の知識ではない為、信憑性が高くなるのだ。
当初の計画と多少違いがあったものの、怪しまれずに近付けたので成功といえよう。
◆
五重奏 ‐クインテット‐
◆
「今帰った。近藤さんは?」
「お帰りなさい。近藤さんなら大広間です。」
菖を連れ帰ったおかげで屯所内は騒がしい。
「じゃあこっちだ。」
「あ、はい。」
平助はざわつく隊員達を無視し菖を連れ大広間へ。
平助一人だと心配なので、土方と沖田もついていく。
「近藤さん!!」
「おお、平助!帰ったか!」
大広間の襖を開け放ったにも関わらず、笑顔で迎える。
「平助!ったく近藤さんも注意しろよ…」
「トシは神経質なんだよ。」
局長の座にいて、新撰組を率いている近藤勇。
小さなことは気にしない豪快な人物である。
土方は気苦労が絶えないが、そんな近藤だからこそ荒くれものばかりの隊員達にも慕われているのだろう。
◆
「ん?そちらのお嬢さんは?」
「初めまして。薬師をしております、菖と申します。」
挨拶をしながらも、然り気無く間取りを頭に入れる。
「俺の腹痛治してくれたんだ。だからお礼さ、飯一緒に食べようと思って。」
「おお!そうなのか!うちのが世話になったな。」
菖がいる理由が分かり、更に笑顔になる。
「いえ。痛みが治って良かったです。お邪魔するつもりは無かったのですが、藤堂様のお言葉に甘えさせていただきました。」
「そんなことは気にする必要はない。ゆっくりしていきなさい。」
「ありがとうございます。」
屯所内へ潜入出来た上に、近藤からの印象も良い感じだ。
女な上に薬師、そして助けたとなれば警戒心が薄れ信用されるのは当然といえよう。
偶然とはいえ、まずまずの出だしだ。
◆
六重奏 ‐セックステット‐
◆
「もしかして腹痛の原因は、食べ過ぎですか?」
「山南さん!」
にこやかな微笑みを称えて、確信的なニュアンスを込めた質問をしたのは、総長の山南敬助だ。
「さすが山南さん。」
「どうして分かったんすか?!」
「平助くんが腹痛なんてそれしかないでしょう?」
―――腹痛と聞いただけで当たりを付けるとは、さすが総長といったところか。
僅かな気配で現れた山南に、菖は心の中で思う。
新撰組で一番気を付けなければならないのが、山南だ。
表舞台には余り登場せず、監査部隊を使い情報を集め分析し、作戦を練るのが山南の役割。
寛容な近藤や慎重な土方と違って、一筋縄ではいかない雰囲気を持っている。
その証拠に、部外者である菖を見る目が笑っていない。
◆
「山南さんに分からねぇものはねぇな。」
「そんなことありませんよ。ただ平助くんの場合は、分かりやすいだけです。」
土方は感心するが、平助の普段を見れば山南でなくても分かるというもの。
平助は育ち盛りかよく食べる。
甘味処の常連なのは、土方には内緒だ。
「こっちの女の子は…」
「菖さん、ですよね?初めまして。山南と申します。」
「あ、菖と申します。」
「山南さん、菖のこと知ってるの?」
紹介しようとした菖を、山南が知っていたことに驚く。
「今言ったでしょう?初めまして、と。平助くんの声が聞こえてきただけですよ。」
「な~んだ。びっくりした。」
「お前の声がでかいだけだ。もう少し大人しくしとけ。」
◆
―――やはり、食えない男。演技しておいて正解だった。
平助が大きな声で話をしたのは最初だけ。
山南が姿を現すまでの数十分の間は普通の音量だった。
それなのにも関わらず、話の内容を知っていたのは聞き耳を立てていたからに違いないと菖は推測する。
人が行き交う屯所内、僅かだがこちらを窺う気配はあった。
だから念の為、現れた山南に驚いた演技をしたのだ。
さすが京の街を守っているだけのことはあるようだ。
◆
七重奏 ‐セプテット‐
◆
「近藤さん飯出来ました。」
「ああ、運んでくれ。さっ、菖さんも。」
「こっち!俺の隣な。」
他の隊士が声をかけたようで、大部屋に集まってくる。
参謀の伊東甲子太郎を始め、
二番隊隊長、永倉新八
三番隊隊長、斎藤一
四番隊隊長、松原忠司
五番隊隊長、武田観柳斎
六番隊隊長、井上源三郎
七番隊隊長、谷三十郎
九番隊隊長、鈴木三樹三郎
十番隊隊長、原田左之助
既にいた近藤達を含めた14名が新撰組の幹部隊士である。
幹部隊士は他の隊士とは別で集まって食べるようだ。
近藤と土方と山南が上座に座る以外は、順番は特に決まっていないらしく、菖は平助の隣に招かれる。
隊士達に近藤が嬉しそうに菖が来た経緯を話すものだから、平助は口々に怒られたり呆れられたりしている。
◆
菖も、お礼を言われたり謝られたりで対応に忙しい。
…というフリをして、隊士一人一人の頭から足の先まで余すところなく観察する。
基本的には腕っぷしが強い人物が多い。
頭脳派は山南と伊東ぐらいだろうか。
「近藤さん、用意も出来たし食いましょう。」
もみくちゃにされている菖と平助を助ける様に、土方が声をかける。
「おお、そうだな。冷めないうちにな。」
土方の言葉で、興味津々だった隊士達も我に返ったのか席につく。
「うむ、では。」
「「「いただきます。」」」
メニューは、ご飯に焼き魚、味噌汁とお新香。
とまぁ町民とさほど変わらないのだが、なにせ量が多い。
菖の出された量の3倍はありそうだ。
◆
「菖さん、お味はいかがかな?」
「とても美味しいです。」
任務や鍛練で汗をかく隊士達の為か、少し濃い味付けだが食材の風味を殺さず引き出している。
「美味いだろ!俺達の故郷の味さ。」
平助は、食べながら故郷のことを自慢気に話す。
故郷といっても平助個人のではなく新撰組、つまり新撰組の前身である壬生浪士時代のことである。
話ながら、おかずを取り合いながら、そんな和気あいあいとした食事風景。
―――こんな奴等に…!!
笑いながらも菖は腸が煮え繰り返っていた。
殺気が微塵も感じられないのは暗殺者故だ。
このまま回数を重ねて、更に信用されるように持っていく。
復讐決行への一歩を踏み出した。
◆
八重奏 ‐オクテット‐
◆
「菖、いるか?」
「はい。いらっしゃいませ、土方さん。」
新撰組の面々と初めて会った日、流れ商人で決まった宿がない菖に近藤が屯所近くの長屋を紹介した。
そして、せっかくだからしばらくの間京にいてはどうか、と提案されたのだ。
菖にとっては願ったり叶ったりだったので、さりげなく遠慮しつつも申し出を受けた。
そして、今日で月を三つまたいでいる。
「今日はどんな感じだ?」
「打ち身や筋肉痛といった疲労を訴える方が多いですね。新撰組の方々は主に切り傷や捻挫ですが。」
「そうか。なら、こういう組み合わせはどうだ?」
任務や見回り以外の時間、土方が一緒に薬を調合研究するのがここ最近の日常だ。
土方の実家が薬屋を営んでいることもあり、菖とは話が合った。
最初は平助が入り浸っていたが徐々に回数が減っていき、顔を出すものの今では気苦労の多い土方の休息場所になっている。
山南や伊東も慎重な土方が気を許している姿を見て、完全とはいえないが警戒を解いているようだ。
◆
「今日は天気も良いし散歩でもするか。」
土方の気まぐれにより2人は町へと繰り出す。
いくつか店を回り、次に立ち寄ったのは小物屋。
色とりどりの櫛や簪、紅などが置いてある。
「………。」
「なんだ?気に入ったのか?」
「あ、いえ!綺麗だと思っただけですから。」
そういって違う小物へ移動する菖。
土方の目線の先には、先程まで菖が見ていたもの。
紫色の菖蒲があしらわれた簪だ。
自分の名前が入っているからか、綺麗で見惚れていたというよりは魅入っていたといった方が正しいのかもしれない。
「そろそろいきましょうか?」
「ああ。」
小物屋を出て甘味屋へ寄る。
あんみつを食べていると、土方が無言で小さい紙袋を菖に差し出す。
「?あの…」
「開けてみろ。」
◆
中には簪、それも菖が小物屋で見ていた紫色の菖蒲があしらわれたものだ。
「やる。」
「えっ、でも…」
「いらなかったら捨てろ。返されても困る。」
そう言うと土方は明後日の方向を向いてしまった。
「…………。ふっふふふ…」
「なんだ。」
「いえ。」
土方の態度に失笑してしまう。
居心地が悪そうにする土方に睨まれるも全然怖くない。
「ありがとうございます。大切にしますね。」
笑いながら髪にさす。
「どうですか?」
「馬子にも衣装だな。」
「もぅなんですかそれ。」
自分で贈っておいてなんという言い草だろうか。
そう思いつつも、照れてぶっきらぼうになっているだけだと丸わかりで、笑いが止まらない菖だった。
◆
「菖、今いいか?」
夕餉を食べ終わって一息ついていると外から土方の声がする。
「どうしたんですか、このような時間に。どなたかの具合でも…」
「いや、違う。ちょっと出れるか?」
不思議に思いつつも付いて行くと、長屋の裏手にある小さな川の畔に土方が腰を下ろしたので菖もそれに倣う。
「今宵は空気が澄んでいるし、月見でもしようかと思ってな。」
土方は持っていた風呂敷包みを開け、中の重箱も開けるとそこには…
「ずんだ餅…」
「良い枝豆が手に入ったから作らせた。」
お重の中には、鮮やかな緑色をしたずんだ餅が詰められていた。
「ふふ、ずんだ餅でお月見ですか?」
「いいだろ、餅なんかなんでも。」
「そうですね。」
月明かりの下、ずんだ餅を食べながら2人で月を愛でる。
◆
「懐かしい味…」
「懐かしい?」
ふと呟いた言葉が聞こえたらしい。
「えぇ…。私農家の出なので。よく母と作っていました。」
「農家?薬師の家系ではないのか?」
あれだけの知識がありながら、農家の出と聞いて驚く。
「はい。薬のことは師匠から教わりました。病で父も母も亡くした私を引き取ってくれたのが、師匠なんです。」
とても素晴らしい人で、今の私があるのは師匠のおかげなんです。と菖は嬉しそうに言う。
「今その人は…」
「師匠も数年前に。歳には勝てないと言っていました。」
「そうか。」
師匠が亡くなった後も師匠の意志を継ぎ、定住せず流れのまま薬師をしている。
「会ってみたかったな、その人に。」
薬のこと聞きたかった、と。
そしてなにより、菖を育てた人物に土方は会いたかった。
「そうですね。土方さんとなら話が合ったかもしれません。」
そう言う菖は凄く寂しい顔をしていた。
◆
菖と土方が月見をしている頃、新撰組の屯所でも月見と称して酒盛りをしていた。
ただ、そこにいない人物が2人。
一人はもちろん土方だが、もう一人は山南だ。
山南は監査部隊の一人、山崎烝より報告を受けていた。
「ここ最近は反幕府勢力も落ち着いてきています。」
「そうですか。嵐の前の静けさとならないように警戒は続けましょう。」
「はい。……ところで、山南様はオラシアという組織はご存知ですか?」
「いいえ、聞いたことがありませんね。」
聞き慣れない名前に山南は首をかしげる。
「裏の世界で暗躍している暗殺組織のようです。ただかなりガードが硬く全容は分かっていません。」
「その組織がどうかしましたか?」
「噂の域を出ないのですが、反幕府勢力が大人しいのはオラシアが新撰組を潰すからだと。」
「成る程。オラシアが殺るから自分たちが動かなくてもいいということですか。」
そういう理由なら目立った動きがないのも納得がいく。
◆
「噂でしかないのにかなり信用されているんですねぇ。」
「海を渡った国々では有名らしいです。」
今は表立った争いはなく一応平和だ。
だが、暗殺組織が進出してきたとなれば、表と裏の均衡が崩れ裏の勢力が増してしまう。
幕府としても新撰組としても、それは避けたい。
「新撰組を暗殺ですか。随分と甘く見られたものですね。」
人数が多い上に幕府直轄組織。
暗殺となれば骨が折れそうなものだが。
「しかし気を付けるに越したことはないでしょう。その組織、探ってみましょうか。」
「分かりました。」
山崎がいなくなると山南も月を見上げる。
「暗殺組織…ですか。」
自分達も似たようなことはしている。
表か、裏か
京を守る為か、私利私欲の為か
目的は違うが、他の者から見ればやっていることは同じ。
「結局、同じ穴の狢ということでしょうかね。」
山南は一人自嘲の笑みを浮かべるのだった。
◆
土方に送ってもらい、床につく準備をするが眠る気になれない。
ぼんやり月を見上げる。
―――何故…?
菖、いやレイスは自問自答していた。
土方に話した菖の過去は、ほとんどレイス自身のことだ。
違ったことといえば、今は薬師ではなく暗殺者であること。
それから、師匠の死の経緯。
レイスの師匠、不知火厳羊(シラヌイ ゲンヨウ)は病死ではない。
立ち寄ったある町に、新撰組と大立ち回りをして怪我をした反幕府勢力である倒幕志士の残党が療養していた。
怪我人を放っておけなかった厳羊は治療をした。
それが幕府反逆に当たるとして、見せしめの為に町民もろとも捜索していた新撰組によって殺されてしまった。
それも、現場の指揮をとっていた土方に。
◆
―――数年前、レイスは近くの裏山へ足りなくなった薬草を採りに行っていた。
帰ってくると人だかりができ騒がしい。
その人だかりの中心には土方と沖田それに平助がおり、周りには数十人の隊士が残党を捕縛している。
「そいつを渡せ。」
「この人は怪我人なんだ。」
「怪我人だろうがなんだろうが、そいつは幕府に背いた。それを取り締まるのが俺達の仕事だ。」
土方と厳羊が押し問答を繰り返していた。
「もうおっちゃん、聞き分け悪ぃなぁ。そいつは悪い奴なの!捕まえなきゃいけないの!」
平助が説得するも、厳羊は頑として譲らない。
薬師として、反幕府であろうと怪我人を治療の途中で投げ出す訳にはいかない。
誰であろうと、どんな立場にいようと。
それが、厳羊の信念だからだ。
「土方さんどうします?これじゃあ埒があかないですよ。」
平助が説得している間、沖田が小声で話しかける。
◆
「そうだな。こいつらみたいな倒幕志士を庇う奴がこれからも出てきては困る。」
土方は眼光を鋭くし、刀を鞘から抜くと声をあげる。
「誠の名の下に全員粛清だ!」
「「「了解!!!」」」
土方の一声により、町の民にも牙を剥く。
「なんてことを…!!」
「どう思われようが関係ない。これが俺達の、新撰組のやり方だ。」
ザッ………――――
土方は、厳羊の首先に向けた切っ先を真横に振り切った。
!!!
厳羊の頭と胴体が崩れ落ちる。
その様子を、逃げ惑う人垣の合間から見ていたレイスは動けなかった。
まるで、地獄絵図を見ているようで。
「!」
突然誰かに引っ張られる。
「女将さん…」
見ると、宿屋の女将だった。
歳は60を超えているのにとても元気で、とても優しい人。
小さな町の人々は、倒幕志士も旅人も優しく迎え入れてくれた。
そう、ここは山に囲まれた小さな宿場町。
来るもの拒まず、去るもの追わず
そんな寛容な町だった。
◆
「ここから逃げ!裏山を抜けたらええ。」
「で、でも皆が…それに…」
―――師匠も……
「ここにいたらあかん。あたしらのことはええから。」
裏山へ通じる茂みにレイスを追いやる。
「生きて、菖ちゃん!」
―――『菖』
菖蒲の花言葉、優しい心にあやかって両親がつけたレイスの本当の名だ。
レイスはコードネームであるし、いつもは偽名を使う。
だが今回は、本名を名乗った。
オラシアのレイスでもなく、暗殺者でもなく、
不知火厳羊の弟子、不知火菖として成し遂げたかったからだ。
そして大きな声を出してしまった女将は、『菖』を茂みに押し込んだ直後隊士に見つかり殺された。
女将の言葉に押され裏山へ走り出す。
走って、走って、走って……
裏山を抜けても走り続けた。
◆
どこにそんな力があったのだろうか。
歩みを止めたのは、山を2つ程越した後。
何十年も人の住んだ気配がない荒れ果てた村を目の前にした時だった。
叫ぶ気力すらないはずなのに、鳥が驚いて逃げるほどの大声で泣いた。
悲しいのか、寂しいのか、悔しいのか、憎いのか、
何が何だか分からないけれど、涙だけはいつまででも溢れてくる。
…………
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
陽が沈んでゆくので、夕刻だろう。
―――許さない、絶対に。
泣き腫らした目には、強い光が宿っている。
倒幕志士から聞いた噂。
反幕府勢力に加担する暗殺組織があると。
復讐という名の狂気は、『菖』を変えた。
薬師としての仕事を活かし、裏社会に染まって情報を探した。
そして、鞍雀に辿り着いた。
鞍雀の方も自分達を探っている人物がいると気付いていたので話は早かった。
いつか新撰組に、土方歳三に、復讐出来ることを信じて『薬師 菖』は『暗殺者 レイス』となった。
◆
―――土方さん。きっと貴方は知らないのでしょうね、菖蒲の花言葉を。
寝る為に外した簪を月明かりに翳す。
菖蒲の花言葉は他にもある。
その中には、『愛』『あなたを大切にします』そんな意味もある。
飾りものながらその菖蒲は美しかった。
真っ黒な自分とは対照的に。
―――復讐だけが生き甲斐だった。
なのに、この気持ちは……。
師匠や町の人達の命は、こんな気持ちで惑わされるほど軽くはない。
だから、暗殺者になった。
そして、今回のターゲットは新撰組。
この絶好のチャンスを逃すわけにはいかない。
出会い方も潜入も印象も、今までの中で最高だ。
順調に行っていると思ってたのに。
―――どうして貴方なのだろうか………
知らずに流れる涙は、運命を嘆き憂いていた。
二重奏 ‐デュオ‐
◆
月も隠れる新月の夜、寂れた小屋に2つの人影。
一人は、英国紳士風にスーツを着こなしている40代半ばの男。
もう一人は、赤紫の着物で年の頃15~16と思われる少女。
彼らは、闇で語り継がれ、表舞台に名が決して出ることがない
暗殺組織【オラシア】に属している。
「次のターゲットは新撰組だ。」
案内兼監査役である男の名は、鞍雀(アンジャク)
「新撰組……」
実行役の少女の名は、レイス。
「ようやく悲願が果たせるな。とは言え、いつも通り抜かりなく殺れ。」
「御意。」
オラシアの主であるマスターの命により、新撰組暗殺計画が幕を開けた。
◆
三重奏 ‐トリオ‐
◆
「団子3つお待ち。」
見回りの帰り、休憩とばかりに甘味屋へ寄った沖田と平助。
「お前まだ食べるのか?」
「腹が減っては戦は出来ぬって言うでしょ。何事も万全を期さなきゃ!」
無邪気にそう言って団子にパクつく平助に沖田は呆れ顔だ。
それもそのはず。
平助の隣には既に食べ終えた皿が10以上ある。
「お前ら見回りにいつまでかかってんだ!」
「げっ土方さん!」
鬼の副長と呼ばれている土方は、その名の通り鬼の様な形相で近付いてきた。
「見回り最中に油を売るとはいい度胸だな?」
「(やべ…)いや、これは、その…」
残りの団子をかき込んでいる平助を隠すようにしながら、見つからない言い訳に沖田は言葉を濁す。
「ゴフッ!!ゲホゲホ、ゲホゲホ…」
「だ、大丈夫か?!ほら水飲め、水!」
「はぁ~」
かき込んだせいでむせてしまった平助に慌てる沖田。
そんな2人に土方は頭を抱える。
◆
彼らは、新撰組。
浅葱色の羽織りを纏い、誠の文字を掲げる組織の一員だ。
ここ京都において幕府に仕え、反幕府勢力を取り締まっている。
治安維持の為持ち回りで見回りをしており、今日は一番隊隊長の沖田総司と八番隊隊長の藤堂平助だった。
しかし、いつまでたっても帰ってこない2人に痺れを切らした副長の土方歳三は、探しにやって来たのだ。
「もういい…帰るぞ。これ以上恥を晒すな。」
馬の耳に念仏というか、何というか…諦めにも似た心境で怒る気も失せる。
新撰組の威厳を保つ為にも、この2人を早く連れて帰ろうと土方は思う。
「イッ………―――」
屯所へ戻る途中、小道に入った所で隣を歩いていた平助が視界から消えたので振り返ると、お腹を押さえてうずくまっている。
「平助?どうした?」
沖田の声に土方も振り返る。
「なんだ、腹痛か?まぁあれだけ食べりゃあな…」
「う~」
余程苦しいのか涙目だ。
◆
四重奏 ‐カルテット‐
◆
「あの…どうかしましたか?」
うずくまる平助を不審に思ったのか少女が声をかける。
「食い意地張って馬鹿やっただけだ。心配いらん。」
「土方さんづめだい~、イテテ…」
「食べ過ぎならば、この薬をお飲みください。消化を助ける薬ですので。」
「あぁ…悪ぃりいな。」
薬と水を受け取り飲み込む。
「水まで持ってるとは準備がいいな。」
「あ、いえ。申し遅れました、私は菖(アヤメ)と申します。薬師(クスシ)を生業にしておりますので、水は常備しております。」
「ほぉ、その年齢で薬師とはな。それに、警戒もなく近付いて、俺達が襲ってきたらどうするつもりだったんだ?」
「薬師といっても流れですので…」
探る様な目付きの土方に、戸惑う菖。
薬師は漢方薬を用いて治療をする医者のこと。
薬師は身分が高く、普通はどこかの屋敷に雇われている。
こんな町中で、しかも無償で薬を渡すなどあり得ない。
◆
「その羽織り、新撰組の方々とお見受けします。ですから、近付いても大丈夫と判断した訳です。」
今にも斬りかかられそうな勢いの土方に、少し後退りながらも菖は答える。
「んな理由どぉでもいいじゃん!困ってた俺を助けてくれた心優しき女の子を怖がらせてどうすんだよ!」
菖に対する土方の態度に怒る平助。
「お前もう大丈夫なのか?」
「おう!治った!」
「治るの早っ!」
あっけらかんと言う平助に心配していた沖田は驚く。
「病は気から、とも言いますし。痛みが治まって良かったです。」
「おう!ありがとな!あ、そうだ。お礼にうちに来いよ。」
ニカッと笑い平助は菖を誘う。
「あ゛?」
「(土方さんの目が怖ぇ…)男所帯に女の子連れ込んでどうすんだよ!」
「飯くらい出せんだろ?ここまでしてもらっといて、礼だけ言ってサヨナラなんてひでーことでっきっかよ。」
「まぁそりゃそうだけど…」
平助の言うことにも一理ある。
◆
「それに、近藤さんにも紹介したいしさ。」
きっとびっくりするぜ。なんてお気楽発言。
「あ、いえ。いくらなんでも屯所にまでおしかけるという訳には…」
痛みが治まっただけで薬師としては十分ですし。と平助を睨んでいる土方を気にしつつ、菖は断りを入れる。
「いいじゃん連れてくくらい。新撰組が助けてもらって礼の一つもしないなんてどーすんだよ。」
睨まれてもなお意見を曲げないのはまだ10代という歳のせいか。
「はぁ。近藤さんに会わせるだけだぞ。」
「やりぃ。じゃ行こうぜ!」
「え、えっ?」
平助は菖の手を引いてかけていく。
「いいんですか?まったく甘いんだから。鬼の副長が聞いて呆れますよ。」
「うるせー。」
土方が沖田と平助を探しに来たのは、帰りが遅く襲撃に遭っていないか心配だったから。
反幕府や裏切者は決して許さないが、新撰組、特に昔からの仲間には特に甘い。
鬼の副長と恐れられていても、中身は堅物だが仲間思いの優しい人物である。
◆
上手くいった――――
そう心の中でほくそ笑んでいる人物が一人。
平助に手を引かれている菖だ。
菖の正体はなんと、暗殺の命を受けたレイスであった。
本来暗殺は、闇に紛れ音もなく行われるもの。
ターゲットが数人の場合ならそれでいい。
だが、今回の新撰組の様に大所帯の場合は、潜入し事細かな事情を把握してから事に及ぶ。
油断したところを一網打尽、これがオラシア独自のやり方。
屯所へ売り込みに行こうと見張っていたが、タイミング良く平助が腹痛になったので計画を変更したのだ。
薬師という設定は、新撰組に近付きやすく流れでも怪しまれないから。
レイスが元薬師であるというのも理由の一つ。
付け焼き刃の知識ではない為、信憑性が高くなるのだ。
当初の計画と多少違いがあったものの、怪しまれずに近付けたので成功といえよう。
◆
五重奏 ‐クインテット‐
◆
「今帰った。近藤さんは?」
「お帰りなさい。近藤さんなら大広間です。」
菖を連れ帰ったおかげで屯所内は騒がしい。
「じゃあこっちだ。」
「あ、はい。」
平助はざわつく隊員達を無視し菖を連れ大広間へ。
平助一人だと心配なので、土方と沖田もついていく。
「近藤さん!!」
「おお、平助!帰ったか!」
大広間の襖を開け放ったにも関わらず、笑顔で迎える。
「平助!ったく近藤さんも注意しろよ…」
「トシは神経質なんだよ。」
局長の座にいて、新撰組を率いている近藤勇。
小さなことは気にしない豪快な人物である。
土方は気苦労が絶えないが、そんな近藤だからこそ荒くれものばかりの隊員達にも慕われているのだろう。
◆
「ん?そちらのお嬢さんは?」
「初めまして。薬師をしております、菖と申します。」
挨拶をしながらも、然り気無く間取りを頭に入れる。
「俺の腹痛治してくれたんだ。だからお礼さ、飯一緒に食べようと思って。」
「おお!そうなのか!うちのが世話になったな。」
菖がいる理由が分かり、更に笑顔になる。
「いえ。痛みが治って良かったです。お邪魔するつもりは無かったのですが、藤堂様のお言葉に甘えさせていただきました。」
「そんなことは気にする必要はない。ゆっくりしていきなさい。」
「ありがとうございます。」
屯所内へ潜入出来た上に、近藤からの印象も良い感じだ。
女な上に薬師、そして助けたとなれば警戒心が薄れ信用されるのは当然といえよう。
偶然とはいえ、まずまずの出だしだ。
◆
六重奏 ‐セックステット‐
◆
「もしかして腹痛の原因は、食べ過ぎですか?」
「山南さん!」
にこやかな微笑みを称えて、確信的なニュアンスを込めた質問をしたのは、総長の山南敬助だ。
「さすが山南さん。」
「どうして分かったんすか?!」
「平助くんが腹痛なんてそれしかないでしょう?」
―――腹痛と聞いただけで当たりを付けるとは、さすが総長といったところか。
僅かな気配で現れた山南に、菖は心の中で思う。
新撰組で一番気を付けなければならないのが、山南だ。
表舞台には余り登場せず、監査部隊を使い情報を集め分析し、作戦を練るのが山南の役割。
寛容な近藤や慎重な土方と違って、一筋縄ではいかない雰囲気を持っている。
その証拠に、部外者である菖を見る目が笑っていない。
◆
「山南さんに分からねぇものはねぇな。」
「そんなことありませんよ。ただ平助くんの場合は、分かりやすいだけです。」
土方は感心するが、平助の普段を見れば山南でなくても分かるというもの。
平助は育ち盛りかよく食べる。
甘味処の常連なのは、土方には内緒だ。
「こっちの女の子は…」
「菖さん、ですよね?初めまして。山南と申します。」
「あ、菖と申します。」
「山南さん、菖のこと知ってるの?」
紹介しようとした菖を、山南が知っていたことに驚く。
「今言ったでしょう?初めまして、と。平助くんの声が聞こえてきただけですよ。」
「な~んだ。びっくりした。」
「お前の声がでかいだけだ。もう少し大人しくしとけ。」
◆
―――やはり、食えない男。演技しておいて正解だった。
平助が大きな声で話をしたのは最初だけ。
山南が姿を現すまでの数十分の間は普通の音量だった。
それなのにも関わらず、話の内容を知っていたのは聞き耳を立てていたからに違いないと菖は推測する。
人が行き交う屯所内、僅かだがこちらを窺う気配はあった。
だから念の為、現れた山南に驚いた演技をしたのだ。
さすが京の街を守っているだけのことはあるようだ。
◆
七重奏 ‐セプテット‐
◆
「近藤さん飯出来ました。」
「ああ、運んでくれ。さっ、菖さんも。」
「こっち!俺の隣な。」
他の隊士が声をかけたようで、大部屋に集まってくる。
参謀の伊東甲子太郎を始め、
二番隊隊長、永倉新八
三番隊隊長、斎藤一
四番隊隊長、松原忠司
五番隊隊長、武田観柳斎
六番隊隊長、井上源三郎
七番隊隊長、谷三十郎
九番隊隊長、鈴木三樹三郎
十番隊隊長、原田左之助
既にいた近藤達を含めた14名が新撰組の幹部隊士である。
幹部隊士は他の隊士とは別で集まって食べるようだ。
近藤と土方と山南が上座に座る以外は、順番は特に決まっていないらしく、菖は平助の隣に招かれる。
隊士達に近藤が嬉しそうに菖が来た経緯を話すものだから、平助は口々に怒られたり呆れられたりしている。
◆
菖も、お礼を言われたり謝られたりで対応に忙しい。
…というフリをして、隊士一人一人の頭から足の先まで余すところなく観察する。
基本的には腕っぷしが強い人物が多い。
頭脳派は山南と伊東ぐらいだろうか。
「近藤さん、用意も出来たし食いましょう。」
もみくちゃにされている菖と平助を助ける様に、土方が声をかける。
「おお、そうだな。冷めないうちにな。」
土方の言葉で、興味津々だった隊士達も我に返ったのか席につく。
「うむ、では。」
「「「いただきます。」」」
メニューは、ご飯に焼き魚、味噌汁とお新香。
とまぁ町民とさほど変わらないのだが、なにせ量が多い。
菖の出された量の3倍はありそうだ。
◆
「菖さん、お味はいかがかな?」
「とても美味しいです。」
任務や鍛練で汗をかく隊士達の為か、少し濃い味付けだが食材の風味を殺さず引き出している。
「美味いだろ!俺達の故郷の味さ。」
平助は、食べながら故郷のことを自慢気に話す。
故郷といっても平助個人のではなく新撰組、つまり新撰組の前身である壬生浪士時代のことである。
話ながら、おかずを取り合いながら、そんな和気あいあいとした食事風景。
―――こんな奴等に…!!
笑いながらも菖は腸が煮え繰り返っていた。
殺気が微塵も感じられないのは暗殺者故だ。
このまま回数を重ねて、更に信用されるように持っていく。
復讐決行への一歩を踏み出した。
◆
八重奏 ‐オクテット‐
◆
「菖、いるか?」
「はい。いらっしゃいませ、土方さん。」
新撰組の面々と初めて会った日、流れ商人で決まった宿がない菖に近藤が屯所近くの長屋を紹介した。
そして、せっかくだからしばらくの間京にいてはどうか、と提案されたのだ。
菖にとっては願ったり叶ったりだったので、さりげなく遠慮しつつも申し出を受けた。
そして、今日で月を三つまたいでいる。
「今日はどんな感じだ?」
「打ち身や筋肉痛といった疲労を訴える方が多いですね。新撰組の方々は主に切り傷や捻挫ですが。」
「そうか。なら、こういう組み合わせはどうだ?」
任務や見回り以外の時間、土方が一緒に薬を調合研究するのがここ最近の日常だ。
土方の実家が薬屋を営んでいることもあり、菖とは話が合った。
最初は平助が入り浸っていたが徐々に回数が減っていき、顔を出すものの今では気苦労の多い土方の休息場所になっている。
山南や伊東も慎重な土方が気を許している姿を見て、完全とはいえないが警戒を解いているようだ。
◆
「今日は天気も良いし散歩でもするか。」
土方の気まぐれにより2人は町へと繰り出す。
いくつか店を回り、次に立ち寄ったのは小物屋。
色とりどりの櫛や簪、紅などが置いてある。
「………。」
「なんだ?気に入ったのか?」
「あ、いえ!綺麗だと思っただけですから。」
そういって違う小物へ移動する菖。
土方の目線の先には、先程まで菖が見ていたもの。
紫色の菖蒲があしらわれた簪だ。
自分の名前が入っているからか、綺麗で見惚れていたというよりは魅入っていたといった方が正しいのかもしれない。
「そろそろいきましょうか?」
「ああ。」
小物屋を出て甘味屋へ寄る。
あんみつを食べていると、土方が無言で小さい紙袋を菖に差し出す。
「?あの…」
「開けてみろ。」
◆
中には簪、それも菖が小物屋で見ていた紫色の菖蒲があしらわれたものだ。
「やる。」
「えっ、でも…」
「いらなかったら捨てろ。返されても困る。」
そう言うと土方は明後日の方向を向いてしまった。
「…………。ふっふふふ…」
「なんだ。」
「いえ。」
土方の態度に失笑してしまう。
居心地が悪そうにする土方に睨まれるも全然怖くない。
「ありがとうございます。大切にしますね。」
笑いながら髪にさす。
「どうですか?」
「馬子にも衣装だな。」
「もぅなんですかそれ。」
自分で贈っておいてなんという言い草だろうか。
そう思いつつも、照れてぶっきらぼうになっているだけだと丸わかりで、笑いが止まらない菖だった。
◆
「菖、今いいか?」
夕餉を食べ終わって一息ついていると外から土方の声がする。
「どうしたんですか、このような時間に。どなたかの具合でも…」
「いや、違う。ちょっと出れるか?」
不思議に思いつつも付いて行くと、長屋の裏手にある小さな川の畔に土方が腰を下ろしたので菖もそれに倣う。
「今宵は空気が澄んでいるし、月見でもしようかと思ってな。」
土方は持っていた風呂敷包みを開け、中の重箱も開けるとそこには…
「ずんだ餅…」
「良い枝豆が手に入ったから作らせた。」
お重の中には、鮮やかな緑色をしたずんだ餅が詰められていた。
「ふふ、ずんだ餅でお月見ですか?」
「いいだろ、餅なんかなんでも。」
「そうですね。」
月明かりの下、ずんだ餅を食べながら2人で月を愛でる。
◆
「懐かしい味…」
「懐かしい?」
ふと呟いた言葉が聞こえたらしい。
「えぇ…。私農家の出なので。よく母と作っていました。」
「農家?薬師の家系ではないのか?」
あれだけの知識がありながら、農家の出と聞いて驚く。
「はい。薬のことは師匠から教わりました。病で父も母も亡くした私を引き取ってくれたのが、師匠なんです。」
とても素晴らしい人で、今の私があるのは師匠のおかげなんです。と菖は嬉しそうに言う。
「今その人は…」
「師匠も数年前に。歳には勝てないと言っていました。」
「そうか。」
師匠が亡くなった後も師匠の意志を継ぎ、定住せず流れのまま薬師をしている。
「会ってみたかったな、その人に。」
薬のこと聞きたかった、と。
そしてなにより、菖を育てた人物に土方は会いたかった。
「そうですね。土方さんとなら話が合ったかもしれません。」
そう言う菖は凄く寂しい顔をしていた。
◆
菖と土方が月見をしている頃、新撰組の屯所でも月見と称して酒盛りをしていた。
ただ、そこにいない人物が2人。
一人はもちろん土方だが、もう一人は山南だ。
山南は監査部隊の一人、山崎烝より報告を受けていた。
「ここ最近は反幕府勢力も落ち着いてきています。」
「そうですか。嵐の前の静けさとならないように警戒は続けましょう。」
「はい。……ところで、山南様はオラシアという組織はご存知ですか?」
「いいえ、聞いたことがありませんね。」
聞き慣れない名前に山南は首をかしげる。
「裏の世界で暗躍している暗殺組織のようです。ただかなりガードが硬く全容は分かっていません。」
「その組織がどうかしましたか?」
「噂の域を出ないのですが、反幕府勢力が大人しいのはオラシアが新撰組を潰すからだと。」
「成る程。オラシアが殺るから自分たちが動かなくてもいいということですか。」
そういう理由なら目立った動きがないのも納得がいく。
◆
「噂でしかないのにかなり信用されているんですねぇ。」
「海を渡った国々では有名らしいです。」
今は表立った争いはなく一応平和だ。
だが、暗殺組織が進出してきたとなれば、表と裏の均衡が崩れ裏の勢力が増してしまう。
幕府としても新撰組としても、それは避けたい。
「新撰組を暗殺ですか。随分と甘く見られたものですね。」
人数が多い上に幕府直轄組織。
暗殺となれば骨が折れそうなものだが。
「しかし気を付けるに越したことはないでしょう。その組織、探ってみましょうか。」
「分かりました。」
山崎がいなくなると山南も月を見上げる。
「暗殺組織…ですか。」
自分達も似たようなことはしている。
表か、裏か
京を守る為か、私利私欲の為か
目的は違うが、他の者から見ればやっていることは同じ。
「結局、同じ穴の狢ということでしょうかね。」
山南は一人自嘲の笑みを浮かべるのだった。
◆
土方に送ってもらい、床につく準備をするが眠る気になれない。
ぼんやり月を見上げる。
―――何故…?
菖、いやレイスは自問自答していた。
土方に話した菖の過去は、ほとんどレイス自身のことだ。
違ったことといえば、今は薬師ではなく暗殺者であること。
それから、師匠の死の経緯。
レイスの師匠、不知火厳羊(シラヌイ ゲンヨウ)は病死ではない。
立ち寄ったある町に、新撰組と大立ち回りをして怪我をした反幕府勢力である倒幕志士の残党が療養していた。
怪我人を放っておけなかった厳羊は治療をした。
それが幕府反逆に当たるとして、見せしめの為に町民もろとも捜索していた新撰組によって殺されてしまった。
それも、現場の指揮をとっていた土方に。
◆
―――数年前、レイスは近くの裏山へ足りなくなった薬草を採りに行っていた。
帰ってくると人だかりができ騒がしい。
その人だかりの中心には土方と沖田それに平助がおり、周りには数十人の隊士が残党を捕縛している。
「そいつを渡せ。」
「この人は怪我人なんだ。」
「怪我人だろうがなんだろうが、そいつは幕府に背いた。それを取り締まるのが俺達の仕事だ。」
土方と厳羊が押し問答を繰り返していた。
「もうおっちゃん、聞き分け悪ぃなぁ。そいつは悪い奴なの!捕まえなきゃいけないの!」
平助が説得するも、厳羊は頑として譲らない。
薬師として、反幕府であろうと怪我人を治療の途中で投げ出す訳にはいかない。
誰であろうと、どんな立場にいようと。
それが、厳羊の信念だからだ。
「土方さんどうします?これじゃあ埒があかないですよ。」
平助が説得している間、沖田が小声で話しかける。
◆
「そうだな。こいつらみたいな倒幕志士を庇う奴がこれからも出てきては困る。」
土方は眼光を鋭くし、刀を鞘から抜くと声をあげる。
「誠の名の下に全員粛清だ!」
「「「了解!!!」」」
土方の一声により、町の民にも牙を剥く。
「なんてことを…!!」
「どう思われようが関係ない。これが俺達の、新撰組のやり方だ。」
ザッ………――――
土方は、厳羊の首先に向けた切っ先を真横に振り切った。
!!!
厳羊の頭と胴体が崩れ落ちる。
その様子を、逃げ惑う人垣の合間から見ていたレイスは動けなかった。
まるで、地獄絵図を見ているようで。
「!」
突然誰かに引っ張られる。
「女将さん…」
見ると、宿屋の女将だった。
歳は60を超えているのにとても元気で、とても優しい人。
小さな町の人々は、倒幕志士も旅人も優しく迎え入れてくれた。
そう、ここは山に囲まれた小さな宿場町。
来るもの拒まず、去るもの追わず
そんな寛容な町だった。
◆
「ここから逃げ!裏山を抜けたらええ。」
「で、でも皆が…それに…」
―――師匠も……
「ここにいたらあかん。あたしらのことはええから。」
裏山へ通じる茂みにレイスを追いやる。
「生きて、菖ちゃん!」
―――『菖』
菖蒲の花言葉、優しい心にあやかって両親がつけたレイスの本当の名だ。
レイスはコードネームであるし、いつもは偽名を使う。
だが今回は、本名を名乗った。
オラシアのレイスでもなく、暗殺者でもなく、
不知火厳羊の弟子、不知火菖として成し遂げたかったからだ。
そして大きな声を出してしまった女将は、『菖』を茂みに押し込んだ直後隊士に見つかり殺された。
女将の言葉に押され裏山へ走り出す。
走って、走って、走って……
裏山を抜けても走り続けた。
◆
どこにそんな力があったのだろうか。
歩みを止めたのは、山を2つ程越した後。
何十年も人の住んだ気配がない荒れ果てた村を目の前にした時だった。
叫ぶ気力すらないはずなのに、鳥が驚いて逃げるほどの大声で泣いた。
悲しいのか、寂しいのか、悔しいのか、憎いのか、
何が何だか分からないけれど、涙だけはいつまででも溢れてくる。
…………
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
陽が沈んでゆくので、夕刻だろう。
―――許さない、絶対に。
泣き腫らした目には、強い光が宿っている。
倒幕志士から聞いた噂。
反幕府勢力に加担する暗殺組織があると。
復讐という名の狂気は、『菖』を変えた。
薬師としての仕事を活かし、裏社会に染まって情報を探した。
そして、鞍雀に辿り着いた。
鞍雀の方も自分達を探っている人物がいると気付いていたので話は早かった。
いつか新撰組に、土方歳三に、復讐出来ることを信じて『薬師 菖』は『暗殺者 レイス』となった。
◆
―――土方さん。きっと貴方は知らないのでしょうね、菖蒲の花言葉を。
寝る為に外した簪を月明かりに翳す。
菖蒲の花言葉は他にもある。
その中には、『愛』『あなたを大切にします』そんな意味もある。
飾りものながらその菖蒲は美しかった。
真っ黒な自分とは対照的に。
―――復讐だけが生き甲斐だった。
なのに、この気持ちは……。
師匠や町の人達の命は、こんな気持ちで惑わされるほど軽くはない。
だから、暗殺者になった。
そして、今回のターゲットは新撰組。
この絶好のチャンスを逃すわけにはいかない。
出会い方も潜入も印象も、今までの中で最高だ。
順調に行っていると思ってたのに。
―――どうして貴方なのだろうか………
知らずに流れる涙は、運命を嘆き憂いていた。