『スタ文短編1』スピリチュアルライフ

咲は、名古屋に住むシングルの55歳。最近良く一番目のフランス人の夫が夢に出てくるので、今朝も懐かしい甘酸っぱい気持ちで目覚めた。彼と一緒にフランスのクレルモン・フェラン駅にいるのに、そこからは一人で旅をする夢だった。去年の暮れにヨーキーの雄を引き取って、その犬と一緒に寝ていると、温もりが夫を思い出させるのかもしれない。

元夫はポールという名前で咲と同じ年だった。大学で彼の妹と同じ寮だったので知り合った。おとなしくて、賢い真面目な男だった。ある時、誕生日占いの本を読んでいた。咲の誕生日(1月26日)を見ると、元夫の誕生日(10月7日)はソウルメイトだと書いてあった。先日参加したスピリチュアル・リトリートの際、講師は「結婚までする人はみんなソウルメイト。」と言っていた。「それでは、2番目の元夫カルロス(メキシコ人)もソウルメイトだったのか。」咲は、首を傾げた。誕生日占いの本では、カルロスの誕生日(10月9日)はソウルメイトの誕生日とは書かれていなかった。

ポールとカルロスは誕生日が近かった。次回もし結婚するとしたら、二人の誕生日の間の空白、10月8日の男かもしれない。カルロスは咲より14歳若かったが、ポールと共通点が音楽の好みだった。これはただの偶然かもしれない。ピンクフロイド、ビートルズ、それもジョンレノンが二人とも好きだった。ヨーコ・オノにでも憧れていたから咲との縁があったのだろうか?それにしても、ソウルメイトなのに、離婚してしまうとは、人生は分からないことだらけだ。

3番目の夫は、リッキーなのかな、と咲はふと思った。リッキーはヨーキーの雄だ。5歳という歳を考えると、後長くて10年ほど一緒に居られる。人間は面倒だから、犬をパートナーとして生きていこうとも思っている。咲にとってリッキーは、友人、家族(息子、パートナー)である。犬にも個体ごとに性格があるようで、前にいた雌犬はベッドの上にいても、適当な距離を取っていたのに、リッキーはお尻の方をくっつけてくる。ぴったりと体を寄せるので、母性本能をくすぐられ、愛おしいと思わせられる。

リッキーには、誕生日すらない。推定5歳というから、それを信じるしかないし、誕生日は咲のところにやってきた日に決めた。12月1日だった。咲は姫路まで行ってリッキーを貰い受けたので、お陰で日本一美しいと言われている白鷺城を目の当たりにできた。姫路の街はちょうどいい大きさで、商店街が沢山あり、散策も楽しかったし、アーモンドバターを塗ったトーストも気に入った。

咲には以前、姫路に一人知り合いがいた。大阪に劇を見に行った際隣の席に座った同世代の女性だ。大阪で待ち合わせて、歌舞伎を一回(愛之助が水の中に入って魚を捕まえる劇だった)、もう一回は確か蜷川幸雄の舞台だった。出会いが”火のようにさみしい姉がいて”だったか、”ハムレット”だったか定かではないが、この縁はこうして三回あったが、その後自然に消滅した。一期一会でそれで良いと今では思っている。実際咲はよく旅先で人と意気投合して、食事をしたり、お茶を飲んだりがよくある。そして、いろんな人の話を聞いて、世の中の勉強をしている。

咲はオーラの泉を見てから、背後霊や前世、と言ったスピリチュアルに興味を持っている。いろいろな本を読んだり、最近は講演会に一つ行ってみた。尊敬するご夫婦で、30年くらい前からスピリチュアル系の本を翻訳している人たちで、どんな人たちだろうと、ワクワクして行ってみると、素晴らしく希望の持てる内容で、二人とも優しく、謙虚で好感の持てる人たちだったので、安心した。新幹線に乗って住んでいる名古屋から大阪まで足を運んだ甲斐があった。

スピリチュアルに興味を持つと、中には、人の悩みや問題に付け込んで、パワーストーンを高額で売ったり、洗脳される危険もあるのは、過去の痛い経験もあったから、咲が最も恐れることだった。この講演会で一番嬉しかったのは、どの宗教にも属さず自分自身の道をそれぞれが進むようにとの言葉だった。咲は今、人生半ばで、本当に自分の心が何をしたいかを確かめたいと思っている。そして、考えるきっかけをこのようなスピリチュアルを通してもらえたらいいと思っている。

妹は姉思いで、咲のスピリチュアルへの傾倒ぶりを心配して、散財しないようメールをくれる。実際、咲の中にもその心配はある。お金を使ってその分の見返りが目に見える形で返ってはこないのだ。自分は果たして今後、きちんと経済生活を続けることができるのか、など、心配はどんどん浮かぶ。どんなお金持ちでも、美人で幸せそうに見える人も、将来に不安を抱えない人はいないだろう。これこそ、人として生まれた醍醐味なのかもしれない。

咲は、大阪で講演会に参加し、その後援者主催のリトリートにも参加してみた。スピリチュアルに興味を持った友人を見つけたいと思ったからだった。ここでも気付いたのは、一人ひとりが独立して道を進む。すると、縁のあるときはちゃんとその縁のある人が自分にとって必要な情報やメッセージを持ってきてくれるということ。自分の道は一人で進む覚悟が必要と言うあまりに当然な事実を再確認したのだった。リトリートで知り合った女性から、咲の興味を引く情報を教えてくれた。

彼女に起こった奇跡は、神戸で受けた呼吸法の授業中にやってきた。瞑想中の彼女の目をつぶっている目にある映像が浮かんだ。それはどこから伸びてきたのか、白い手だった。それは、目に見える世界でなく、目をつぶったその状態で起こったので、実際にその場にいた誰の手でもなかった。通常にはない速いスピードで、その手は彼女の左目に触れたという、瞼を開けたり閉じたりを猛スピードで行うと、彼女の左目のドライアイが完治したと言う。これを聞いた好奇心の強い咲は、その授業を自分も体験したいと思うようになった。

リトリートの後、自宅で検索すると、そのインド人女性の呼吸法クラスは未定になっていた。いつ開かれるか問い合わせると、三日後に瞑想クラスがあるので、そちらに参加するよう誘いがあった。もともと、その講師のパワーを目の当たりにしたかったので、思い切って、神戸でのクラスを受けることにした。ホテルは、カプセルホテルを予約し、予算を抑えた。新幹線チケットも格安チケットを購入した。受講料は2万円と咲にとっては、高額だが、のちにそれは、必要経費を賄った後、インドの子供達の教育に使われるとわかった。リッキーには可哀想だが、ペットホテルに預けた。

名古屋からの新幹線では、珍しくJRが5分遅れたお陰で時刻表より遅く来た列車に飛び乗ることができ、予定より一本早い新幹線に文字通り飛び乗った。自由席で、人の良さそうな、ビフテキ弁当を広げていた男性の横に座った。話をすると、彼は28歳で、出張の帰りだった。岡山出身で、製造で働くのが夢だが現在は営業をしているそうだった。咲はお節介にも、イメージしているとその通りに実現する法則を持ち出し、彼に実際製造で働いている自分を映像化するように勧めてみた。スピリチュアルの押し売りだ。新神戸に着く少し前、咲は持っていたせんべいを彼にあげた。話を聞いてくれたお礼のつもりだった。桃太郎が家来にきびだんごを渡すような気持ちかもしれない。

神戸の土地勘はなかったが、最初の旅行は、幼馴染ときた六甲山だった。中国人留学生の女の子を案内してフェリーボートに乗ったこともあった。着いてみると、神戸はコンパクトにまとまっていて、とても歩きやすかった。瞑想の授業の前に、異人館のある北野や南京町にも足を運んだせいか、万歩計は13567歩になっていた。県庁前の県民会館で座っていると、ニーラ先生は現れた。日本語のとても上手な笑顔の素敵な女性だった。白いバンジャブがとても綺麗だった。

驚くことに生徒は咲だけだったので、個人授業となった。咲には、(左目の治った)紹介者の女性のような奇跡はなかったが、講師によると、人によってがんが治る人もいるそうだった。簡単なヨガポーズ(5分)、呼吸法(5分)、瞑想(20分)を毎朝毎晩やってみるように課題が出されて、1日目の講座は終わった。

「さて、今日はどうやって時間まで過ごそう?」曇り空を見上げて、咲は考えた。昨日は、北野方面に出かけ、うろこの家の見える神社(北野天満宮)から神戸の街を眺めた。思いがけず、美しい鶯の声を聞いて春を満喫した。神戸の街は名古屋よりオシャレで、時々、素敵な着こなしの女性に目を見張る。港町はハイカラだ。三の宮駅の案内所で尋ねると、「兵庫県美術館で不思議の国アリス展やってますよ」と教えてもらった。朝ごはんをなか卯の納豆とオクラで済ませ、西村コーヒーの特製ブレンドを飲み干すと、早速美術館を目指した。

県美術館に向かう道で、観光客らしき若い女性をたくさん見たので、アリスは人気が高いことを再認識した。最近小説や童話を書きたいと思っているので、インスピレーションを得られたらラッキーと思っていた。アリスの話を思い出して、小さいころおばあちゃんに何度も繰り返して読んでとせがんだ記憶が蘇ってきた。アリスが裁判にかけられたり、ピンチになるくだりが、怖いのにとても好きだった。ディズニーの挿絵のアリスの絵もとても可愛くて好きだった。

「すっかり忘れていた」自分につぶやく。最近、ビクトリア女王とインド人の若い男性の友情の話を映画にした実話ベースの作品を見たところだったが、ルイスキャロルはその時代の人と知り、時代背景がより身近に感じられた。昨日古本屋で手に入れた村上春樹の短編の中にも幼馴染の娘に蜂蜜を売るクマの作り話を語ってあげる男の話が出てきた。あの人気作家もひょっとしてアリスやクマのプーさんが好きなのかもしれないと想像してみた。

北野でメルヘンチックな銅製の置物(音楽家が楽器を奏でているもの、童話的なモチーフ)を売っていた女性が、ロマンチックなものを男性客が好み、女性は実用的なアイテムを主に購入すると言っていた。これは、咲には新しい発見だった。この置物作家も、女性だと思ったが、男性作家が作っているとのことだった。

ルイスキャロルも数学教師をしながら、アリスに様々な物語を語って聞かせ、ある日アリスに「今日のお話を書いて本にして。」とお願いされ、一晩かかって書き上げたという。(うろ覚えだが、そんな経緯だったと思う)このアリスの申し出がなかったら、後生の私たちは、この楽しい奇妙な物語に出会えなかったかもしれない。「アリスちゃん、ありがとう」お茶会というとてもイギリス的な習慣が出てくるところも、日本人にとっては魅力的なことだ。外国人は桃太郎を読んで、きびだんごを食べたいと夢見るだろうか?英語では”ピーチ・ボーイ”として訳されているから面白い。

咲の妹は、父に本を読んでもらっていたようで、お気に入りは『北極のムーシカ、ミーシカ』だと言う。人にはそれぞれ、本との出会いがあるようだ。プルーストのマドレーヌを食べて過去を思い出す現象と同じで、不思議のアリス展は子供時代へ誘ってくれた。1400円のタイムトンネルだ。アリス展のポスターには謎めいた言葉が書かれていた。

『だったら、好きな方にすれば』

ちょうど、その時の咲は迷っていることがあった。一つは人とのしがらみで断りにくいこと、もう一つはまさに『好きな方』だったから、縁起担ぎの咲は、好きな方を優先することにした。心の趣くままに。

名古屋に住んでいる咲は、地元ではこの展覧会に足を運ばなかったかもしれない。午後からの予定まで時間があったから、偶然出かけたにすぎない。こう考えたらどうだろう、展覧会に行かせて、『だったら、好きな方にすれば。』とのメッセージを精霊か何かがくれていたとしたら?回りくどいが、ありがたい贈り物だ。

「利益とか、安定とかではないな。私の心が欲する方を選べば良いのかな。」迷える子羊は、ルイスキャロルからのメッセージを胸に前進するのみだ。大きく1つ息を吸うと、咲の胸は希望で膨らんだ。

この展覧会の後、雨が降り出した。午後6時から時間を早めて講座をしてくれることになっていた。それにしてもまだ6時間あった。咲は昨日ブックオフで買っておいた村上春樹の短編集をホテルのロビーで読もうと思った。一冊読み終わったので、フロントの中国人らしい女の子に、「村上春樹好き?」と聞いてみた。彼女が好きだと答えたので、「もし良かったら、この本もらってくれる?」と切り出すと、「日本語では読んでないので嬉しいです」と言われた。荷物も軽くなるし、咲は一度読んだ本を読み返すことがない。

咲はホテルに預けていた荷物を受け取ると(大した荷物ではなかった)雨の降る中駅へと向かった。お腹は空いていなかったが、ケーキとコーヒーで五百円という値段につられ、駅構内のチェーン店らしい喫茶店に入った。そこでは、雨宿りをする人が、濡れた傘を思い思いにテーブルに立てかけたり、席を取る為、店内を回る人など、混み合っていたが、食べ終わったら、瞑想クラスの会場のロビーでもう一冊の本を読もうと思ったので、気にならなかった。

雨はまだ降り続いていたが、3時ごろJRで元町に向かった。実は、地下鉄の駅からの方が近かったことに会館について気がついたが、後の祭りだった。ロビーには空いている席が幾つかあり、隅の方に陣取った。本を読むのにも飽きた頃、メキシコにいた頃の不思議な体験を思い出した。

メキシコでの不思議な体験:
その頃咲はメキシコの日本企業で秘書をしていた。当時、たくさんの日本人が製造のノーハウを教えていて、通訳が3人働いていた。3人は女性、Hさん、Mさん、Yさんだった。3人とも同じ日本人で職場以外でも食事に行ったり付き合いがあった。

Mさんは本当は法律事務所の社長の娘で、「通訳はプライベートで煩わしいことがあったので気分転換でやっている」と言っていた。Mさんは、ボリビア人の母親と日本人の父親の間に生まれたなかなかの美人で、日本語とスペイン語の通訳をしていた。

Yさんは、英語と日本語の通訳で、ネイティブのような素晴らしい英語を話すので好評だった。彼女を最初に見たとき、「とてもスタイルが良く素敵な人だな」と思った。出身地が咲と同じ名古屋だったと記憶している。

Hさんは、アメリカで生まれたせいか、日本語が少したどたどしく、子供のように可愛い喋り方だった。相当な資産家の娘らしく、咲にくれたスカートもドナキャランだったし、乗っている車もスポーツカーで高そうだった。母親のはとこが雅子様のお母さんと言うので日本では巡り会えないタイプの家柄らしかった。

ある日、HさんとYさんと一緒に出かけた。Yさんは「韓国のお金持ちと結婚しているが、自分も夫も自由に恋愛して良いと取り決めがある」と言っていた。実際、ひっきりなしにボーイフレンドから電話がかかってきていた。Hさん、Yさん共にタロットカードや降霊術の勉強をしているようだった。

Yさんはお守りにと言ってチベットのシールをくれたが、咲の部屋の窓の上にチベットのシールを貼ったら、ある週末泥棒に入られた。その窓枠が外れるようになっていたせいではあったが。

Yさんにもらったシールをヘルメットに貼った日本からの出張者はYさんにセクハラ発言をしたという理由で日本に送り返された。セクハラの内容は、ミニスカートを履いてきたYさんに「似合いますね」と言ったという話だった。Yさんは元々この出張者が好きではなかったらしい。

Hさんが、ある日お別れの挨拶で咲の席にやってきた。もう、通訳は一人で良くなったので契約終了とのことだった。咲は可哀想に思って、品質管理や生産管理の部長に通訳のニーズがないか聞きに行った。運良く、品質管理で必要とのことで、Hさんは新しく契約を結ぶことができた。

その頃Mさんはすでに契約を終了していたので、残ったのはYさん、Hさんの2人だった。次の週が始まった。月曜日の朝、Hさんに挨拶すると、
「今朝通勤バスでYさんに会ったらとてもびっくりしていた。自分が切らせた人物がいたから驚いたのかもね」
「そうか、YさんはHさんが邪魔だったから自分だけになるように動いたんだね」
咲たちは、やっと契約終了の裏にYさんの意図があったことに気づいた。

咲は、チベットのシールを貼った窓から泥棒に入られた話をHさんにした。Hさんは「Yさんはブラックマジックを使うから」と言っていた。
どうやら魔術には白と黒があり、白は人を助けるもので”善”、黒は人を陥れるもので”悪”とのことだった。そのせいかは分からないが、最初に綺麗な人と持っていたYさんが、その頃には少しやつれて光彩を放たない存在に見えることに気がついた。

Yさんは、前職で人事部にいたらしい。その企業は日系企業だが人の切り方がシビアで有名な会社だった。Yさんは多くの従業員に首と言い渡して、最終的に自分もレイオフされたと言う。それを知ると、人を恨むようになる気持ちも少し分かる気がした。

しばらくすると、出張者がノーハウを教えるプログラムの終了とともに、通訳スタッフもそれぞれ契約を終了していった、咲は、Mさんと、Hさんとは週末に時々お茶を飲んだりを続けていた。

ある時、Hさんが連絡をくれた。
「昔からお寺に入りたかったんだけど、1ヶ月禅寺の修行をするから、遊びに来て」
と言われた。Hさんはサイキックで人の波動を読むことができたので、興味のある主題でもあったので、1泊2日で遊びに行くことにした。

そこは、メキシコ国境から4時間ほど北に行った山間にあった。
「ここは昔インディアンの人が住んでいたのよ」と聞いて、昔のインディアンしか住んでいないアメリカに思いを馳せた。

Hさんはそこで調理助手をしてボランティアをしていた。そこに住む人々は末期癌の患者だあったり、日常生活を離れて禅修行をする人々だった。日本の禅寺のアメリカ版だった。

肉食はしないので、施設に居住する人は施設内で溜まるストレスを週末に晴らすべく、近隣のステーキハウスに週末隠れて食べに行くと聞いた。禅寺でもゆるい類だったのかもしれない。

Hさんに運気を見てもらおうと、咲は庭のベンチで座った。「何か普段身につけているものを貸して」と言われ、車のキーを渡すと、Hさんはキーに触れながら、リーディングを始めた。
「あなたは今とても快適な職場にいて、上司より恵まれた状況にいる。」
確かに、その職場では簡単なスケジュール管理とお茶を入れたり、愚痴を聞いてあげるくらいの作業しかしていなかった。給料が上司より良いわけではないが、誰にも邪魔されず、安定した生活だった。

その夜、インディアンの亡霊でも出てくるかと思ったが、そんなこともなく、Hさんと四方山話をした。すると、久々にYさんの話になった。
「この間、Y〇〇と言うナンバープレートで私と同じ車で色も一緒のがが停めてあるのを見てゾッとしたのよ」
Hさんはカボチャ色の高級車に乗っていたが、同じ色でYさんではないかと、思ったのだった。YさんはHさんの乗っている車を欲しくなって一緒の色の車を買ったのかもしれなかった。偶然かもしれないが、気持ちの悪い話だった。

Hさんは禅寺で後3週間務めると言っていた。サイキックな週末が終わり、メキシコに戻った。

会社に、メキシコシティ出身のEと言う契約社員がいた。淋しげでどことなくミステリアスな青年だった。何も悪いことをしていないのに、なぜか不幸が寄ってくる、そんなタイプだったので、周りも彼を大切にしてあげていた。
メキシコシティには元妻と女の子がいるが、元妻が娘に会わせてくれないらしかった。

ある時、Eのおばあちゃんが死んだ時の話をしてくれた。「おばあちゃん、魔女だったらしくて、死んだ時衣類の整理をしていたら、魔術の本が出てきた」と言うので、「白魔術?それとも黒?」と聞くと、「両方」と返ってきた。「黒を防ぐためには、白魔術の知識だけでは破れないから、黒も勉強する必要がある」らしい。

その時、咲にはなぜいつも罪のないEに不幸が降りかかるのかを理解した。祖母の使った黒魔術の報いではないかと思ったのだ。確かテレビ番組でそんなことを聞いた気がする。

「悪いことをしてその報いが本人ではなく、何の関係もない子孫に行くことがあるから、可哀想よね」とある番組で言っていたのだ。魔女のおばあちゃんを持つと大変だ。

何年かのち、Eから連絡をもらい、彼が再婚したことを知った。どうやらカルマを返し終わったのか、幸せにしているらしい。今では正社員になって活躍している様子だった。

Hさんは霊能者としてアメリカで生計を立てているようだ。Yさんがどうなったのか定かではないが、咲は人からむやみに物をもらうのはやめることにした。

なぜ今頃メキシコの記憶が蘇ったのかは分からないが、時刻はすでに5時半になっていた。5時45分にニーラ先生から電話で連絡があり、
「もうすぐ着くから待っていて」とのことだった。

時刻通り、むしろ時刻より早く、授業は終わり、咲はお礼を言って終了の印か、領収書を受け取った。先生の旦那さんが車で会館に向かっているから、と言うので顔だけ見て行ってと勧められrて、挨拶をした。先生より年上のように見受けられた。急いでいる様子だったので、急いで挨拶すると、新幹線に乗るべく新神戸駅に向かった。

名古屋に着くと、まだ早い時間で、飼い犬のリッキーがいないので少し寂しい気持ちで床についた。

次の日、咲は次のようなファンタジーの短編を書いてみた。

咲の短編ファンタジー:
”夢物語と思って聞いてください。昔々まだ地球が生まれる前、宇宙の生命体が金星で会議を開きました。生命体はエネルギー体なので、今まで体を持ったことのない精霊たちです。天の声が言いました。
「今地球という星を作ろうとしている。募集しているのは、そこに体を持って生まれたいメンバーのことだ」
精霊たちは、「僕も」「私も」とこぞって地球に生まれることを希望しました。もちろん、体を持つことは、怪我をする、痛みを知る、死ぬ、という今まで彼らが経験していなかったことを修行することなので、生命体としてもっと経験を積みたい精霊はみんな地球で生まれ違っていました。

地球で生まれたい精霊を全部地球に行かせると、戻ってこれないで死んで亡くなってしまう可能性がありました。そこで、希望する精霊の半分を送ります。自分が地球に行く前精霊だったことを忘れないように、神様は精霊の一粒をひと滴垂らして体を作ることにしました。以前試しに送った精霊のうちの殆どが結局自分が精霊だったことを忘れて帰ってこれず肉体の塊として死んでしまったからです。戻ってこれたわずかな精霊は、愛を知っていたお陰で自分の本来の姿を忘れることなく戻ってこれたからでした。

競争率の高い地球での生命体としてのミッション、それを勝ち抜いて行けた者たちなのに、地球上での厳しい生活に忙殺されて次第に愛を忘れて、大半が死んで、土塊になってしまいました。天の声が心配して、時々愛を忘れないようにというメッセージを精霊に選ばれた人々に送るのですが、精霊の記憶を忘れた人間にはなかなかピンとこない様子でした。それでも、精霊のメッセージは、時々お釈迦様やイエスキリストのようなリーダーたちによって伝えられていました。

これでは足りないと判断されて、再び、金星で精霊たちの会議が開かれました。「もっと精霊のメッセージを伝える必要がある」
との天の声の呼びかけに、メッセンジャーを増やすことが決まりました。今度は夢や占いと通して精霊のメッセージをより多くの人に伝えることになりました。

咲はそんな折に夢を見ました。
「咲ちゃん、久子です、今日は、精霊からのメッセージを伝えに来ました。神戸に居て瞑想のクラスを教えているインド人の女性のレッスンを受けてください。」
あまりに具体的なメッセージに咲は企業からの勧誘のような押し付けがましさを感じました。半信半疑で、週末のクラスを取ってみることにしました。その先生は、クラスの前に果物やお線香でお清めをすると、瞑想のクラスを始めました。精霊を呼ぶためでした。精霊は、一生懸命咲にメッセージを伝えようとしたのに、咲のアンテナが鈍っていたので、受け取れませんでした。咲には、愛が不足していたのです。

先は、瞑想クラスで奇跡的なことが起こり、何か人生を変えるメッセージを受け取れるかもしれないと思っていたので、何も起こらなかったのに、新幹線代、ホテル代、クラス台を使った自分にがっかりしていました。
咲の友人の久子には奇跡が起こった話を聞いていたからです。久子はインド人の先生の呼吸法クラスを受けていて、その時瞑想中にドライアイが完治する奇跡に遭遇していたのでした。咲は久子が選ばれて、咲には奇跡が起こらなかったことで自信をすっかり無くしてしまったのです。これは、愛が原因でした。咲は自分を信じていないのです。自分はダメだと思っているのです。

「久子ちゃん、私もクラスを受けたけど、何も奇跡は起きませんでした。先生は『がんが治る人もいるけれど、それは保証できません』と言っていました」

久子にメールを送った後も、咲は気持ちが立て直せず、
「やっぱり、神様は私を愛してくれない」とひがんで過ごしていました。

久子からは「この本読んでみてください」と一冊の本の紹介があったので、その本を買ってみました。本のタイトルは”魂の約束”でした。

その後も、咲は道に迷い続け、自分自身に満足できず、腹を立てて日々を過ごしていました。インターネットで無料のタロットカードを引いてみたりしつつ、2ヶ月が過ぎました。そんなある夜、咲はまた夢を見ました。

それは、精霊たちが金星に集まって地球に行くメンバーを選抜している場面の夢でした。咲は、自分がその精霊の一人だったことを思い出しました。そして久子に次の朝メールを送りました。
「やっと、自分が精霊であった記憶が戻りました。久子ちゃんに起こった奇跡は私には起きなかったけど」すると、咲の頬に涙が溢れてきました。
「ああ、私は自分を許せます。今まで、許せなくて、ごめんなさい。私は自分の人生を愛しています!本当に地球に生まれることができて、ありがたいです。」この言葉を言い終えると、肩から重荷が下されたようにすっきりした気分でした。

咲はもう、自分はダメなんて思いません。咲は咲なりに頑張ってきたのです。体をもらった時から、このように苦しみ、悩むことがプログラムされていたのです。

それを望んで地球に生を受けたことを咲はすっかり綺麗に忘れていたのでした。自分が買った福袋なのに、その中身が何だったか分からなくなっていたのでした。

咲は不安が頭をよぎる度に、不安を体験できているこの人生に感謝することができるようになりました。まるで咲がもう一人いて、この人生の視聴者になって、第3者のように客観的に不安というドラマを楽しめるようになったのです。

地球を救うとは大きなことのようですが、実際は咲が愛に気が付けば十分と言うことでした。

咲は76歳で体としての死を迎えた後、金星に戻り、次の生命体のアドバイザーになりました。自分の失敗を肥やしになかなか人気のアドバイザーとして次に生まれる地球の人間の育成に活躍しているそうです。”

「私、バカみたい」咲は自分の作品を読んで言いました。

その次の日もまた”マーフィーの法則”からインスピレーションを受けた短編を書きました。

マーフィーの法則からインスピレーションを受けた作品:

”「あなたが会社の悪口を言っていると、首を言い渡されるでしょう」
マーフィーの法則の言葉がばっちり当たった。

咲は去年9月のある金曜日、突然会社の人事部から呼び出された。そこで、解雇通知を受け取り損なった。咲には「これは受け取ってはいけない」と直感で分かったからだった。呼び出された場所は動物園の前にあるファミリーレストランだったので、次長と課長の二人を置き去りにして、その場を立ち去った。彼らの言い分は同名の病気で休業が一定期間を超えたため、社則に従って解雇するという内容だった。

前後に起こった出来事から薄々そうなることに気付いていた。「もうどうでも良いや」と持ち前の行き当たりばったりな性格で4月に新しく赴任した社長にお別れのメールを書いた。今までの感謝と、社長への応援のエール、そして最近亡くなった同僚の自殺についての会社の対応に対する不満を書くことも忘れなかった。

次の日は週末だったので、同僚の男性と1日乗車券を使って、名古屋見物の日だった。朝覚王山日泰寺に行き、軽くモーニングを食べて、人事部との激しいやりとりについてコメントした。彼は共感してくれたが、彼自身もいつそうなるか分からない恐怖感もあるのか、踏み込んだことは何もなかった。東山動物園を訪れ、名古屋城に足を伸ばし、最後に豊臣秀吉の生まれたという豊国神社を参った。神社の境内でお茶を飲んでいると、社長からメールの返信が来ていた。
「咲さんを会社に戻すことを約束します。安心してゆっくり休養してください」という内容だった。

咲には何が起こったか分からなかった。同僚の男性にもそのメールを見せた。彼も驚き、一緒に喜んでくれた。
「奇跡だね。これであの会社も変わるかもしれないね」と言ってくれたので、ネガティブな感情に支配されていた咲の心もポジティブな気持ちになった。会社から手紙が届き、休業期間が変更になり、咲はさらに休業することが可能になった。それが、社則が変更になったとの知らせだったからだ。

咲は社長にメールした時、自分の利益については考えていなかった。自死した同僚のためにふさわしい黙祷なり、彼の死を尊厳を持って扱ってほしいという気持ちだった。これが、社長の心を動かしたに違いなかった。

咲の心は安定し、流れに身をまかせることを決意し始めている。タイミング良く、年末と年始に生前贈与と言って予想外の入金があった。休業中は手当金が出るが、通常より給与が減るので嬉しいニュースだった。何故かは分からないが急に2月に為替が郵送されてきて、ある企業から2万円を受け取った。

「お金の悪口を言っていると、お金が入ってきません」と言うマーフィーの法則を1月に聞いてからお金を悪いものと考えないようにしていたのが原因だったのかもしれない。ただの偶然かもしれない。

介護老人ホームにいる父に会いに見舞いに行く時、毎回ジュースや果物、菓子パンを持って行っているので、給与が半分くらいになっている咲にとっては出費ではあったが、「豊かになりたければ人を豊かにしなさい」という言葉を信じていた。父は咲の出費を心配して、一万円くれた。
これもただの偶然かもしれないが、法則には乗っ取っている。

3月にスピリチュアル講演会に大阪まで行き、その講演会の主催のリトリートがあったので、1泊2日のリトリートにも参加した。初めてのリトリートで何をするのか半信半疑だった。

自己紹介で、面白いエピソードが幾つかあった。龍の姿が実際に目の前によく現れるという人もいれば、背中から誰かが出る気配を感じた人もいた。いろいろな超常体験をした人の話は興味深かった。

同室の女性曰く、人間はすべてメッセージを受け取る力を持っているということだった。咲はオーラの泉を見て以来、オーラや超常現象に興味を持っていたのでこのような人々と一緒に居られるだけで、嬉しかった。

このようなスピリチュアル世界との触れ合いで絵を描き始める人もいれば、小説を書き始める人もいると言うので、咲は後者のようだ。同室の女性で絵を描き出した人は作品の写真の幾つかを見せてくれた。

「最善を信じれば、最善なことがあなたに起こります」
大いなる力を信じて、咲も自分の本当にやりたいことを探求する気持ちになってきた。休業は今年の12月中旬まで。小説を書くのに好機だ。

休業が始まったと同時期に父も介護施設に入ったので、時間のある咲は、見舞いにも行ける。

こじつけのようだが、去年の11月に愛犬を亡くした。仕事に行っていれば付き添って看病することも叶わなかったが、休みだったので、きちんと看取ることができた。

新しい犬を迎え入れるのにも丁度時間に余裕があってタイミングが良かった。すべて、天が導いてくれたかのようだった。

咲は僻みっぽいところがある性格だったのに、今では、朝晩、人事部の人々や意地悪してきた同僚にも感謝の祈りを捧げている。こうすると、幸福感に包まれて、心が穏やかになる。

「クリエイティブな仕事をしたい人は、朝晩潜在意識にそれが実現されるよう働きかけてください」
実際、咲は、読書を欠かさないで、読むのに飽きると書き出し、書くのに飽きると読み出す。寝る前に「あのエピソードを作品にしよう」と思ったり、眠っているのに、執筆している感覚があることもある。

咲はリトリートで教えてもらったモーニングノートを時々やってみている。朝でも夜でもいいのだが、ノートとペンを用意して、頭に浮かんだ言葉を書き付けるのだ。

「自動書記はどうやったら出来ますか?」と質問したら、「モーニングノートをやってみたら?」と勧められたのだ。自動書記とは精霊からのメッセージのチャネリングの事だ。精霊からのメッセージを受け取り、それを書き出す作業だ。誰にでもできることらしい。

「自分と同じように相手を思い愛することが愛です」
これは、とても難しい。

今の所、褒める相手も貶す相手も愛犬なので、あまり練習する機会はない。ただ、以前は不安感から相手を疑ったり愚痴を言っていたが、不安感が現れるとすぐに気分を切り替えて不安でないようにしているので、物事について心配する機会が減った。

一つ、咲は一月に2人の友人を失うよう仕向けた。一人は常に相手を傷つけることを言う人で何回かは我慢したが、自分の人格を低くするし、そろそろ、新しい友人の入ってくるスペースも必要だと言うことで別れを告げた。

もう一人は経済的にとてもケチなところがあり、人から与えてもらってもそれに対して慣れてしまっていたので、与えることに疲れたので同じく関係を絶った。

無理して付き合う必要はなく、咲は執筆作業の時間、読書の時間を前より持てるようになったし、不思議に星占いにも一月の友人関係の清算について良い事だと告げていた。それは前もって知っていたのではなく、清算後に振り返ってみてそうだった。これは、咲が違う方向に舵を取った事の象徴かもしれない。

「相手を自分の思い通りに変えようとしてはいけません」
これは、人間関係にとって重要だ。怒る時の立腹の理由は、価値観の相違だとも聞いたことがある。

フジコヘミングのコンサートに行くとある時言ったら、相手が「言った人を複数知っているけど、みんな演奏が下手だと言っていた」と教えてくれた。参考になるようで、お節介な情報で、立ち話をしたその人とそれ以上会話をする気持ちにはならなかった。咲が行って聞いてみて判断すればいい気がした。

咲はフジコヘミングという人物が好きだから、その不遇の青春期を送ったピアニストにエールを送りたい、そして彼女の人生の滲み出る演奏を聴いてみたい、だけかもしれない。上手下手は重要ではなかった。実際、言った相手は、嬉しい気持ちをそぐことが目的だっただけかもしれない。

マーフィーの法則を聞きながら、以上のようなエピソードが咲の頭に浮かんできた。内観というか、自分で自分は見えにくい。こんな作業もたまには良いなと咲は思った。”

咲は次の朝起きると、アメリカに住む妹の美里からメールが来ていた。
「そうか、とりあえず出版したい作品はありそうな感じ?
250万円の内訳ってどうなってるんだろうね。
自費出版、著作権と印税で収入を得る仕組みってどうなってるんだろう。
フランスに留学した時も語学学校行かず、直接大学院にいって効率よく難しい事を達成出来たよね。自分のプロフィールもまとめるといいね。
つてはある?話聞ける人がいるといいね。」と書いてあった。

昨日、出版社から電話があったと書き送ったので、その返事だった。

「いろいろアイディアありがとうね!調べてみます」と、返事を書いた。

実際、出版してお金をもらうことは無かったことに気づいた。妹はこんなに自分のことを信じてくれている。ありがたい存在だ。

咲は、今日の作品は妹とアメリカで出会ったノーマについて書いてみようと考えついた。

ノーマと犬の顔:
”「見て、この犬の顔が虫に食われて、変でしょ?」そう言うと、ノーマは顔の部分が欠けている油絵の犬を見せた。
咲と美里は顔を見合わせた。そして、繕うように、「そんなこと気にしないほうがいいですよ」と言った。いつになく、ノーマは気分が沈んでいるようで、帰り際にも名残惜しい気がした。「ノーマ、近いうちにまた会いに来るから、元気でいて下さいね」そして、これがノーマに会った最後の午後だった。

「お姉ちゃん、やっぱりあの油絵の犬の顔が虫に食われたのは、お知らせだったのかもね」「そう思いたくもなるよね。あれから半年しない内に亡くなったんだもんね」ノーマはいく枚かの油絵を咲と美里に残していたが、どの絵も完璧な状態で、虫などに食われていなかった。ノーマが不吉に思ったことも不思議ではない。ノーマはボランティアで犬の里親募集を手伝っていた。自分でも行き先の見つからなかったサムという犬を預かっていた。ノーマが飼っていたヨーキーのクッキーはノーマが88歳で亡くなった後、娘のキャッシーに引き取られた。

ノーマは高齢にもかかわらず、車も運転していたし、おしゃれで、料理上手な女性だった。最後に会った時、「もう料理が作れなくなった」と珍しく弱気なことを言っていた。彼女に招かれると、素敵なフランス料理の雑誌を参考に作ったお料理をご馳走してくれた。出かける時もいつもオシャレで自慢の友達だった。アメリカ人の友人は片手で数えるほどしかいない咲にとってこんな素敵な友人に恵まれたことは奇跡だった。咲がアメリカに住んだのは半年しかないのに、犬を通じて知り合ったのだった。預かった犬の散歩中に出会ったので、”犬も歩けば棒に当たる”だ。

ノーマは、若い頃はあだ名が”ザ・ボディ”と言う程スタイルの良い女性だった。メキシコのティファナに半年住んでいた時は、メキシコ人の美男子にバラの花束をプレゼントされたそうだ。その上、新聞社で働くキャリア・ウーマンでもあった。
「サンディエゴで女性で家を買った一番最初の女性として男の人からも嫉妬されたのよ」と話していたから、先駆者としての苦労も経験していた。
彼女の家はレモン色が好きだったノーマの趣味を反映して、黄色い家だった。庭には、レモンやオレンジの木が植えてあり、実がなると咲たちも良くもらったものだった。

咲は、ノーマにもう一度会いたくなり、友人の久子が降霊術をやってくれると申し出たので、飛びついた。死んだ後どうしているのか知りたかったのだ。美里も誘うつもりだったが、反対されそうなので今回は一人で、久子の住むエンシニータスに向かった。久子は、幼少期から霊感が強く、声が聞こえたり、タロットカードで占ったりするのが得意だった。彼女は時に通訳をやっているので、咲は働いている会社にこの友人が通訳として来たのがきっかけで知り合った。久子は、少したどたどしい日本語を話す。それが、外国っぽくて魅力的だった。

久子は、アパートに着いた咲にハーブティーを勧めると、降霊術は日暮れを待って始めると告げた。霊を降ろすせいか部屋はきれいに片付けられ、お香でも炊いたのか、リラックスするいい香りがした。フルーツと花もお盆に備えられていた。咲は精霊に向き合うためお清めの代わりにシャワーを浴びてさっぱりさせてもらった。食べ物もこの降霊術前は軽くするように勧められて、野菜や果物中心に軽く済ませていた。久子の透き通るような声が歌のような美しい呪文を唱えると、
「今からサンディエゴに住んでいて、2月に亡くなったM通り135番地ののノーマ・ブレナンさんに来ていただきます」と続けた。
咲は目をつむって一生懸命ノーマの姿を思い浮かべようとしていた。久子の前には、咲が持ってきたノーマの写真が置かれていた。

「咲、久しぶり、元気にしてる?」どうやら、ノーマが来たらしい。
「ノーマ、どうしてる?今はどこにいるの?」
「お花畑よ。そばにきれいな川が流れているわ。ここは快適よ」
「ノーマ、懐かしくて、とても嬉しい。犬は、クッキーはキャッシーが面倒を見てるから安心して下さいね」
生きているときは英語で会話していたのに、今ノーマと日本語で会話しているのが不思議だった。
「あなたに黄色いワンピースをあげたかったのに、渡せなくて残念だったわ」「良いんですよ。そのお気持ちだけで、嬉しいですから」ノーマは生前から黄色のワンピースをくれると言っていた。最後にお邪魔した際に探してくれて、見つからなかったことを死んだ後も気にしてくれていたのだ。

「私は本当に日本人と、ユダヤ人は素晴らしいと思ってるわ。あなたたちは頭が良いから、尊敬しているわ」
これは、ノーマがいつも言っていたことだ。久子にはこのことは何も話していないから、このセリフはノーマが良く言っていた言葉だ。
「ノーマ、あなたがいなくなって私も美里も寂しいです。でもアメリカであなたに知り合えて本当にラッキーだと思います」
「私は、ここからいつも咲と美里を見守っているから、頑張ってね」
咲は涙で何も言えなかったが「ありがとうございます」と涙と鼻水に悩まされながら、やっとの事で言えた。
「そろそろ、さよならだけど、私たちの思い出を忘れないでね」咲は頷き、セッションが終わった。

セッションが終わると、
「あ!あの絵の話をし忘れた」と犬の顔が虫に食われた話をすることを忘れたことに気づいた。でもあまりにも不吉な出来事だったので、忘れて良かった。せっかく、ノーマと久々に話せるのだから楽しいことだけ話せば良い。久子はセッションで疲れたのか、「眠い」と言って先に眠ってしまった。咲はセッションでの会話を何度も反芻していた。ちょうど一人でその余韻に浸れて良かった。

次の日の朝、折角なので近所の美味しいベーグル屋で朝食を採った。
「久子さんは、いつから降霊術をやってるの?」
「大学の時からかな?」と久子は思い出しているようだった。
「そうそう、声が聞こえるようになったのは、中学の時だけど、大学の時降霊術の教室に通って、その後ね。最初は同級生に頼まれてやっていて、正式にお金を取るようになったのは社会人になって3年目くらいかな」
「ねえ、本当に今回は無料で良いの?この朝食代は私に払わせてね」
久子は黙って頷くと「次回からは正規料金でお願いね。30分50ドル一時間100ドルね」と微笑んだ。二人はしばらく会っていなかったので積もる話もあったが、今回は降霊術の話に花が咲いて時間が足りなかった。名残惜しい気もしていたが、時間が来たので帰らなくてはならなかった。

咲は次の週末まで美里には会えなかったが、美里に会ってノーマの話をしたくて仕様が無かった。
「お姉ちゃん、例の降霊術どうだった?怪しいことに巻き込まれないでね」美里にはメールで降霊術でノーマと話したと伝えていたので、開口一番その話になった。
「すごいよ。ノーマが日本語でメッセージ送ってきた。あれは絶対本人だった」「へえ、どんなことが?」咲はノーマと美里しか知らない内容を霊が話したことを妹に教えた。
「それって、偶然じゃないの?」やはり、その場にいなかった美里には半信半疑だったようだ。
「それで、お姉ちゃんいくら払ったの?」
「ただにしてくれた。次回は正規料金だって」
「気をつけてよ。これでその降霊術にはまり込まないようにね」妹の現実的なセリフは想定内だったが、この辺でこの話は切り上げたほうが良さそうだった。

咲はノーマとこれ以上話す必要はないと美里を安心させ、
「ノーマは私と美里を見守ると言ってくれたよ」と伝言を伝えた。この経験はベーグル代で済んだことも忘れずに美里に伝えると、
「でも、あの犬の顔が虫に食われたのは不思議だったね」と美里は言った。
「虫の知らせ、かな?ノーマさんもさすがに恐ろしがっていたよね」美里の家にはノーマの描いた白アザラシの絵が掛かっていた。
「あの絵だけだったね、虫が食ったのは」人は時として天からのメッセージを受け取るのかもしれない。知ることが良いのか悪いのかは別として。”

書き終えると、咲はあることに気が付いた書いていると亡くなった友人もまるで生きているような感覚になることだった。
「そうか、死んだ人と会えるのは降霊術だけではないか」
そう思うと、自分の大好きなノーマのことについて書くことは幸せな作業に思えてきた。うまくいけば、ノーマのことがもっと多くの人に知ってもらえる。

咲は去年会社で起こった事件について書いてみようと思った。それは、30になって間もない1人の男性についてだった。

差出人不明の迷惑メール:
”そのメールは、迷惑メールとして届いていた。金城はもう少しで削除するところだった。
「桜の花が散る。寂しいことです。」
と書いたメールの差出人は”X”とサインがあったが、金城には心当たりはなかった。

昼休憩に、同僚の今野に相談した。
「変なメール来なかった?」
「今朝は、忙しくてメールチェックしてないよ。で、どんな内容のメール?」
金城はそのメールが、何かを告げているようだと言うと、
「気になるんなら、課長に相談すれば。」
「それほどの事もないから削除する。」
そろそろ午後1時になり、休憩も終わる。その場は、それで終わった

金城は、その午後は配達物を届ける用事で外出し、午後4時頃、席に戻ってきた。すると、今野が寄ってきた。
「おい、聞いたか?」
「なんだよ。」
「お前の今朝のメール、どうした?」
「なんで、気持ち悪いから消したけど。」
「死んだらしい。」
「え!誰が?」
「しばらく会社休んでた井上君だよ。噂では、自殺らしい。」それだけ、言うと、今野は自分の席に戻って行った。

井上と言うのは、若手で期待されていた真面目そうな男で、負荷が高かったその部署での仕事に疲れ、休業していた若手だった。金城は、顔見知り程度で、よく知る相手ではない。
会社ではストレスから休業する社員が後を絶たない。
金城は、「若いのに可哀想に」と思いながらも、「もっと状況を詳しく知りたい」好奇心も感じていた。あのメールが、井上の親しい者宛に来ていたら、自殺との関連性も考えられるが、井上と金城は口を聞いたのも2、3度程しかない。
「あのメールは削除して良かったんだ。」と金城は思った。

想像通り、狭いオフィスに幾つかのグループで噂話に花が咲いている。単調な作業の毎日には時として、こうした刺激が必要だとでも言うように、噂は会社を活気付けてくれる。
「人の不幸は蜜の味」とはよく言ったもので、結婚話は退屈な部類で、不倫もの、左遷ものが人気の種だった。いつになく、秘書の女性たちも活気を帯び、そういう類に混ざることが、金城も女性の輪に入れる機会でちょっぴり楽しくもあった。

「ねえ、金ちゃん(秘書は金城をこう呼ぶ)、井上くんの話聞いた?最近会社休んでたよね」
業務上、守秘義務を持つこの女性(陽子)は、低く小さな声で話しかけてきた。”守秘義務”これこそが最大のスクープネタなのだ。
「いや、ちょっと外に出ていたから。何があったの?」念のため、向こうの情報を聞き出してみる。
「それがね…」やはり、今野と同じ情報だった。唯一違うのは死因については、公表されていないようだった。
金城はもう少しでメールのことを話しそうになったが、なぜだか、言うのを躊躇った。陽子は口が硬い方ではないので、言いふらされるのを恐れたのだ。過去にも尾ひれをつけた情報が社内を駆け巡り、面倒な事件に幾つか巻き込まれていた。

午後一番で、部署全員35人が会議室に召集された。死んだ井上の上司だった課長が言った。
「今日は、悲しいお知らせです。病気で休業していた井上くんが1週間前、亡くなってしまったことをお伝えしなくてはなりません。彼はとても仕事熱心な若者で、素晴らしい仲間でした。」
代わって、部長がスピーチをした。「他の部署への多言は無用なので、くれぐれも注意してください。」
黙祷はなく、この会議が口止めのためであることは、明白だった。一人の人間への最後のお別れの意味などどうでも良いのだった。あるのは、サラリーマン特有の”保身”だった。

金城はその後、メールを受け取ることはなかった。心のどこかで、以前は会社に対して抱いていた理想や忠誠心が自分の中にないと感じた。
金城自身も、「仕事ができない」と言われて死んでしまいたいと思った過去はないとは言い切れなかった。でも死んで尚、あの上司たちがのうのうと生きていくことに何の変化ももたらされない現実を見せられた今、「図太く生きてやろう」と闘志がわいていた。

井上の死にモヤモヤしたのは、金城一人ではなかった。休憩室の片隅で内緒話をする際、飲み会でプライバシーが守られた状態の中で、少しずつ、仲間は心の内を語る。

結局、最後まで、あのメールの送り手は分からず仕舞いだ。

この事件後、あの時会議で話した部長は副社長に就任し、課長だった男は次長になった。人が死のうと、企業の中ではインパクトは無いようだった。

金城は春になり、桜が咲く度、散っていった30歳の命を思い出す役を背負ったようだった。

他人事には思えなかった。”

咲はこの事件に憤りを感じていた。井上と書いた人物は、部会で咲を一度手伝ってくれたことがあった。とても丁寧な仕事ぶりで、気遣いのできる感じの良い人だった。咲はお礼に彼の席までチョコレートのかかった柿の種を持って行った。「井上君、あの柿の種食べてくれたのかな?」
ふと、そんなことを思った。

「あ、あのエピソードも書いてみよう!」
記憶が記憶を呼び覚ますように次の作品に取り掛かった。それは、那覇に旅行した時、井上君のあの事件を思い出させる不思議な体験をした話だった。

高い志:
”「行ってらっしゃいよ。折角なんだから」
M夫人は咲に旅行に行くことを勧めた。気分転換になるから、との理由だった。
「でも、会社を休んでいるし」実際、お金を使うのももったいない気もしていた。
「10周年の記念なんでしょ。会社からも多少補助が出るんでしょ?記念になるはずよ」

咲は、M夫人と会ったその足で、旅行業社のカウンターに向かった。
「どこに行かれますか?」
ちょうどその朝ニュースで沖縄県知事選が話題になっていた。地下鉄では安室奈美恵の引退が雑誌のタイトルになっていた。
「では、那覇行きを。2泊3日で今週末でお願いします」
こうして咲は那覇に行くことになった。なぜか行ってみたくなったのだ。

セントレア空港は黒いTシャツの若者たちが咲と同じ那覇行きのゲートにいた。そのTシャツには”高志保青年団”と書かれていた。
「奇遇ね。井上君と同じ名前だわ」
井上と言うのは咲の会社の同僚で”高志”と言う名前だった。彼は病気で休業中、何度会社が連絡しても出てこようとしなかった。最終的に自宅で亡くなっているのが先月、分かったところだった。

「ご両親が高い志を持つ子に育てようとしていたのね。若いのに可哀想に」と会社でも噂になっていた。
偶然とは言え、彼の名前に似たTシャツが目に入った時はドキッとした。咲は
「この青年のためにも会社と戦おう」と思っていた所だったのだ。

フライト時間になり、席に着く、隣には人の良さそうな、爽やかな容姿の男性が座った。咲は尋ねた。
「ご旅行ですか?私は初めてで、観光なんですけど」
男性はちょっとびっくりしたようだったが、
「友達の結婚式で名古屋に来たのですが、那覇で働いています」と快く答えてくれた。そして、出身は熊本で、仕事は那覇だと教えてくれた。
「失礼ですが、どのようなお仕事ですか?」さらに聞くと。
「労働基準局の監査官です」との返事だった。
「生まれて初めてです。労働局の監査官には今まで一度も会ったことがありません」喜ぶ咲に、男性はどのような経緯で監査官になったかを話してくれた。

「もしも、大学生が監査官になりたいと相談してきたら、どのようなアドバイスをしますか?」と咲が調子に乗って、問うと、
「会社と争って、経済的にも苦しい相談者に寄り添える人になってほしい、と伝えたいです」との返答が返ってきた。
咲はこの男性の考え方に感銘を受けた。
「あなたのように誠実な方が監査官をやっていると分かっただけでも、この旅は素晴らしいです」と告げると、名も知らぬ男性は嬉しそうだった。

こんな感じで、おしゃべりをしていたので時間はあっという間に過ぎ、那覇に着く時間になっていた。男性は名前を教えてくれたが、今では咲はもう忘れてしまった。一期一会である。

それにしても、偶然とは不思議で、”高志”と書いたTシャツの人々に会ったり、会社とトラブルになっている最中に労働基準局の監査官に会ったりするなんて神様のシナリオは出来すぎている。

那覇の街は咲の行ったところがある場所では、どことなく台湾を思わせる気がした。すれ違う人々は普段名古屋で見かける人たちより異国情緒を感じさせる。彫りの深い顔立ちだった。どことなく生活に疲れた様子も漂っていた。

街角では県知事選の選挙活動をしている人が呼びかけをしている。咲はモノレールでホテルのある駅にたどり着いた。

ホテルのフロントで「この近くに郷土料理を食べられるお店ありませんか」と聞くと、ホテルの目の前にある有名店を教えてくれた。行ってみると観光客がよく来る店らしく、テレビ取材に来た芸能人のサイン色紙が飾ってあった。咲は、沖縄そばと豚の角煮を注文したが、値段は結構高く、二品で2000円もした。

次の日の朝、小雨の中、ホテルを出ると、バスターミナルへと向かった。ひめゆりの塔へ行こうとしたのだ。
「糸満バスセンターで次のバスに乗り換えてね」
案内所の女性に教えてもらい、1台目の糸満バスターミナル行きのバスに乗り込んだ。

朝の通学バスのようで高校生がたくさん乗っていた。雨はどんどん激しさを増す中、咲は那覇の景色を見ようと思った。糸満に着くと雨は止んでくれていた。乗り換えのひめゆりの塔行きのバスまで、まだ一時間半もあったので、海を眺めて過ごそうと歩き出した。

バスターミナルの隣はとても立派なお屋敷でシーザーが二匹屋敷を守っていた。その向かいは海で覗き込むと熱帯魚のように綺麗な魚が泳いでいた。
「なんだ、これなら水族館に行かなくてもいいや」などと思いながら釣り人を見たりして時間をやり過ごした。まだまだ時間が余っていたので、ターミナルから反対側に少し歩くと、ちょっとした食堂を見つけた。

「いらっしゃい」と明るい笑顔の女性が招いてくれたので、
「飲み物だけですけど、良いですか?」と断り、大丈夫だったので、食堂に入った。
ハーブティーが海風で冷えた体にはぴったりなようだったので注文し、大きな水槽のある部屋に落ち着いた。この食堂は、釣り船も出しているそうで、その日は凪で船は出していないとのことだった。メニューにはシャーク・フライ、つまりサメのフライもあった。食堂にはガイドブックの他、琉球王朝についての本も置いてあったので、それに目を通したりすると、バスの時間が来た。そこで、ターミナルへと戻った。

入り口に花束を売っていたので、1束買うと慰霊碑に供えた。修学旅行のグループが案内係りの説明を受けていた。一面に亡くなった女学生や先生の写真が飾られていた。涙なしには見れなかった。乙女たちの写真と一人ひとりの性格などを読んでいると、彼女たちがよりリアルな存在として浮かんで、若くして戦場で命を失ったことが改めて分かった。
「あなたたちの死を無駄にはしませんから」とつぶやいていた。こんな無残な無意味な死を作った戦争が憎く、何もしてあげられない自分が悔しかった。

帰り際、少女が2人母親らしき女性に伴われて入っていくのに気がついた、手には花束がなかったので、咲は花束を急いで買って、その母娘を追いかけた。
「良かったら、これ備えてください」
親子はお礼を言い、花束を受け取ると、去って行った。
咲は少女が慰霊碑に花を供えることが、意味深い気がしたのだった。

帰りのバスでは、東京から来ていた女性と知り合い、思ったことを述べあった。
彼女も「かわいそうでたまらない」と言っていた。
「今からどうするんですか」と聞くと、偶然にも咲と同じく首里城へ行くとの返事だった。彼女は那覇に友人がいて、その人との約束があったので、そこで別れた。
「もしかしたら、首里城出会うかもしれないですね」と言っていたが、首里城では再会しなかった。

首里城はとても良い空気が漂う場所で、一歩敷地内に入った瞬間精霊たちが
「良く来たね。メンソーレ」と挨拶してくれている気がした。それは木々や花々の妖精たちのように感じた。嬉しい気持ちで涙が流れて
「ありがとう!」を何度も繰り返した。こんな気持ちは生まれて初めてだった。
首里城前のおにぎり屋で一休憩すると、そこで働く女性も東京から首里に移り住んだと言っていた。不思議な吸引力を持った地なのかもしれない。

咲は体をほぐそうと、ネットで見つけたマッサージ店を予約した。店の名前が面白く、”グリグリ”と言う店だった。担当は60過ぎの太った女性で、沖縄の宮古島出身だった。経営者も宮古島出身で働く人も皆宮古島の人たちだった。どういう経緯があったのか、多分スピリチュアルの話で意気投合して、その夜はマッサージの女性と食事に行くことになった。店から歩いて10分の居酒屋を予約してもらい、二人は歩いてそこに向かった。居酒屋は特別美味しいわけでもなく普通の居酒屋だったが、観光客の咲は地元の人と一緒に食事ができるだけで嬉しかった。
この女性曰く、
「沖縄の人は結構したたかだから、安心して良い」との話だった。咲は沖縄が損をしているのではないか心配だったので、この言葉は意外で、新鮮だった。
「この女性の言う通りなのかも知れない」そう思えてくる夜だった。不思議と気持ちは軽くなった。

こうして、咲の2泊3日の旅は終わった。学びの多い旅だった。沖縄の空気に触れ、湿度を肌で感じた後、親近感を持ってニュースを見るように変わっていた。選挙結果が出て、沖縄県知事が決まった。自分が選挙戦を実際に見てきた土地の選挙結果は楽しみだった。けれど、咲は政治にそれほど興味がある方ではない。結果は咲が勝ってほしいと願っていた方が勝っていた。

今回のひめゆりの塔と首里城のチョイスはとても良かったと自己満足している。たまたまそこに行っただけだが、連れて行かれたのかもしれない。

咲は高い志を持つようにと望まれたあの同僚のことを思い出す。何もしてあげることができなかった自分への無念さも感じている。ひめゆりの塔でつぶやいたあの言葉が頭に浮かんだ。
「あなたの死は無駄にしませんから」

咲はこの先彼女たちや彼の分も生きる決意を迫られたのだ。那覇への旅はその”きっかけの旅”だった。”

咲は、今、自分が浮き草のように思えた。悪い意味でなく、川の流れに乗って流れている。この流れに逆らわない生き方が今の自分に合っている。
興味があることは一歩踏み出す。そのスタンスだ。

「そうだ、全てのきっかけになった3月の講演会についても書いてみよう」と思った。

咲が3月に見た夢:
”夢を見た。Sくんがお見合いして、その相手が”ティンカー・ベル”(ピーターパンに出てくる妖精)だった。脈絡のない奇想天外な夢だ。
Sくんは、「ティンカー・ベルとの間に子供ができるか」
「長生きしないのではないか」と、心配している様子だった。

ティンカー・ベルは妖精だから、人間のように年をとることもないし、ひょっとしたら何も食べなくても、愛だけあれば生きられるかもしれない。
Sくんとはしばらく会っていないし、親しい仲でもない。突然の夢の中での登場が不思議だった。

続けてもう一つ夢を見た。

ペンギンが出てきた。どうやら咲が飼っているらしい。咲にはペンギンと話せる能力があるらしく、
「誰かにこの新発見を伝えたい」と思っている夢だった。

ちょうど、その翌日に精神世界の”引き寄せの法則”の講演会に行く予定だったので、この夢を引き寄せたのかもしれなかった。いやいや、前の日に村上春樹の小説を読んでいた。その中にペンギンの形の携帯ストラップが確か出てきたから、そのせいかもしれない。

”引き寄せの法則”の講演会当日、名古屋から新幹線で、大阪に行ってみると、気持ちがポジティブになる講演会だった。
「エゴを捨て、自分自身が素晴らしい存在であることに気づきなさい。感謝を持って、起こっていることをありがままに受け入れるなさい。」
このメッセージは、咲の心に刺さった。心で物事を感じることの大切さについても話があった。
「何かをやろうとすると、宇宙全体が助けてくれる。」と聞いて、咲は最近暗い気持ちに押しつぶされそうだったので、明るい光を見た気がした。

咲のお気に入りは、質問コーナーだった。一人目の手が上がった。夫の愚痴に迷惑な気持ちを抱いていた主婦は、夫に優しく接してあげたり、マッサージをしてあげなさいとアドバイスをもらった。男の人は小さい子供のように母性みたいな優しさを求めているはずだ。優しい言葉には、きっと癒されるはずだ。

2人目の質問は、母親とうまく付き合えない女性で、母親への不満を具体的に200書き出すようアドバイスされた。書いているうちにどうでも良くなってくるそうだ。咲は幸運にも、両親に対する確執は過去に何とか浄化していたので、今の所これを必要とはしないが、知っておいて損はない情報だと思った。

3人目も、女性で、今度は双子の7歳の娘に関することだった。この双子は霊感少女らしく、母親の将来の不安について(健康状態)占ってくれるらしい。咲は結婚もしていないし、子供もいないので、このような超能力者の近くにいるこの母親が羨ましい気がした。この母親の質問は、娘たちの育て方についてだった。「二人について本でも出せば?」との返答だった。

4人目は、阪神淡路の地震で生き埋めになりかかったトラウマを抱えた女性で、このPTSD(Post Traumatic Stress Disorderー心的外傷後ストレス障害)を乗り越える方法がないか質問した。とても難しい質問だと思ったが、アドバイスはシンプルで、貧乏ゆすりなど体を揺り動かす体操がトラウマには効くそうだ。

人生で悩み事が生まれてアドバイスが欲しい時など、自分が質問を紙に書いて、悩み事の解決法を目をつぶって考えると、自然に頭に答えが浮かぶこともあるそうで、咲も次回何か質問があったら、試してみようと思った。

咲の見た夢を分析すると、Sくんは咲自身で、妖精のような魔法の存在と知り合いたいと思っていて、できれば神様や天の声が聞けるようになりたいという欲求がペンギンと話せる自分として現れた気がする。

人に頼らず、自分の中にあるメッセージに耳を傾けよう、そう思わされる午後のひとときだった。
「良いことを考えて、どんどん良いものを引き寄せよう。」と心が震えた。
ペンギンも妖精も自分の心に住んでいて、ここから時々取り出して、相談すればいいのかもしれない。”

よくよく考えると、ペンギンもティンカー・ベルも咲の飼っている犬のリッキーが形を変えて登場しているのかもしれない。

リッキーを飼い始めたのは、前に飼っていたクッキーの亡くなったことが発端だった。咲は里親になった体験も書いておこうとパソコンに向かった。

犬に飼われる:
”昨日クッキーを火葬した。火葬所ではダンボール箱に入れたクッキーを他の箱と一緒に燃やしたようだ。骨はもちろん拾えない。でも拾いたいとは思わなかった。その代わり、クッキーの毛を一つまみ切り取って、思い出に取っておくことにした。クッキーと一緒に暮らした年月は7年。6歳から13歳までを過ごせた。心に空いた穴をどうやって埋めるのか?
「やはり、また里親になろう。」

インターネットでヨークシャテリアのメスを探しても、一匹も見つからなかった。出てくるのはオスばかり、連絡しても、
「一人暮らしの方には差し上げられません」
「保証人が居ないとダメです」と梨の礫だった。
咲は愛知県に住んでいるので、名古屋やその近郊で探したが、見つからなかった。

一人、「何匹かおりますので会いに来てください」と言ってくれた神戸の里親会の人がいるにはいたが、犬種が違うので、結局断った。

最後に、姫路の里親会にヨーキーのオス(推定5歳)がいるというので、連絡を取ると、「取りに来て下さい」との返事だった。

約束の12月1日がやってきた。結局、1日前に姫路に行っていた咲は、ドキドキしながら、姫路駅に向かった。約束時刻の5分前にその女性はやってきた。新幹線の予約時間まで10分しかなかったので、大急ぎで書類にサインし、約束通り5万円の料金を払うと、まだ咲に慣れていない犬をキャリーバックに入れると、名古屋へ向かった。

震えている犬をカバンの中に手を入れて撫でながら新幹線は目的地名古屋に到着した。咲は地下鉄に乗っている時も犬の入ったバッグが誰かに迷惑をかけるのではないか、そわそわしていたが、無事に覚王山の駅に着いた。

犬は当たり前かもしれないが、生きていた、そして、元気だった。咲はホッとした。覚王山には、前から気になっていた獣医があったので、早速そこへ連れて行った。獣医も助手も犬好きらしく、うまく犬をあやしながら皮膚の具合を確認して、栄養不足から荒れている皮膚にクリームを塗ってくれた。
耳もかなり汚れていたので、洗浄し、クリームのような薬をくれた。
餌代も合わせると1万円くらいかかったが、必要経費だ、仕様がない。
犬はまだ散歩したことがないらしく、うまく歩けない。またバッグに戻すと、咲はアパートに向かって歩き出した。

まだ名前が決めていなかったので、道々いろいろな名前を考えていた。結局、前の犬がクッキーだったので、リッキーと名付けた。一番心配なのは、おしっこの躾だっt。オスはメスと違って、足を上げて用をたす。最初のうちはオムツをしていたが、試しに取ってみた。心配するほどのことはなかった。

前の犬は足が悪かったので、今度の犬は、若くよく動く。同じ犬種でも、性格が違う。眠るときもリッキーは咲にぴったりと体をくっつけてくる。甘えっ子のようだった。耳の汚れは、1週間もすると治り、皮膚の乾燥もトリマーに分けてもらった薬用のシャンプーのお陰で良くなってきた。

澱んでいた家の中の空気は、リッキーの動き回るエネルギーにかき混ぜられて気の巡りも良くなったようだった。痩せぎすだったリッキーは咲の手作りご飯を食べてしっかりした骨組みに変わった。

リッキーはどこから来たのか?里親会に聞いても、
「分からない」との返事だった。リッキーにクッキーの話をすると、やきもちを焼いている雰囲気だ。この存在感はアパートを充満させる。

「僕を見て、僕を見て。僕がこの世界の中心だよ」そう叫んでいるようだ。

リッキーを迎えに行くまで、咲は姫路に行こうなんて思いもしなかった。
でも咲は姫路城を見ることもできた。アーモンドトーストも食べた。人生は分からない。

咲はクッキーの後追いもしなくて済んだ。新しく生きる希望(理由)ができたから。それで良い。咲にとって大事なのは、もう一人でないことだ。

まあるい二つの瞳が咲の一挙手一投足を見ている。咲が動けば、リッキーも動く。これは、一人と一匹にしかできないダンスだ。咲が撫でると、リッキーはうっとりと目を閉じる。リッキーはお腹がすくと咲の唇を舐める。赤ちゃん犬が母犬にするように。

人間が犬を飼うことは、主人が人間のようだが、実際、犬は人間を癒してくれる。咲をよく知る友人も、
「咲さん、犬を飼ってから精神的に大分落ち着いたよね」と言っていた。

第一、犬は人を裏切らない。その逆はあるけれど。犬を飼うと、予防接種、フィラリア治療薬、登録料、餌代、等々出費が嵩む。

犬を飼ってはいけない物件もあるのだから、飼えることに感謝しないといけないかもしれない。

犬は咲についてどう思っているのか?どうも、リッキーを見ている限り、リッキーが主人で咲を飼っていると思われている。

「まあ、いいや。幸せだから」

犬に飼われる人間は「明日もこいつのために頑張って生きよう」と思う。”

「こんな話、犬を買っていない人には退屈だろうな」咲は自虐的に思った。
この話を書きつつ、クッキーを亡くした時危うい自分がいたことに気付いた。
それほど、犬は自分を支えてくれている。

共感は得られないかもしれないが、これはまぎれもない真実だ。

「本当に書く作業を通して自分の心の中にしまっていたものが出てくるようだ」

咲は最近いろいろな作家の生き方に興味を持ち出した。インタビュー記事を読んだり、本を読んだり、結構面白い。最近読んだものから着想を得て、次のような文章を書いた。

その他大勢:
”「はい、只今お繋ぎします。」ところが、つなぐべき相手の名前も部署も分からない。
「すみません、xx部のyyさんにお電話なんですが、内線番号教えてください。」

あれ、おかしい、この同僚は2年ほど前に辞めていたはず?おかしいと思ったら全ては夢の中での出来事だった。
久々に見る会社の夢だ。

咲が動いたのに気づき、横に寝ていた愛犬もベッドから飛び降り、朝ご飯の催促をしてくる。昨日、会社を舞台にした短編小説を書いていたので、眠りにつく時も夢の中で小説を書き続けていた。小説を書いても今のところ誰も読んでくれてはいない。

しかし、咲は書き続ける。誰かが言っていた。ハンガリーからスイスに亡命したアゴタ・クリストフだったと思う。「自分を信じて書き続けることが大事だ」と。

昨日は、アガサ・クリスティが残したメモ書きのノートを解読した人が書いた本を読んでいた。
実に何通も登場人物についてのメモがあり、最後まで殺人方法や誰を犯人にするか迷っていた様子が伺えた。
買い物メモのような、雑然としたメモから探偵小説の金字塔が生み出されていたとは!”そして誰もいなくなった”の登場人物も最初は10人以上だったというから驚きだ。そして、クリスティは自信たっぷりな人物でなく、謙虚な人物だったことも嬉しい発見だった。

咲は、時間つぶしにYouTubeでいろいろな番組を見たり聞いたりしている。昨日は有名な文学賞をとって話題のお笑い芸人のインタビューを見ていた。彼の第1作に描かれた売れない芸人についてのコメントが咲の心に留まった。売れない芸人は無意味な存在ではない。実際に表面に出てこなくても、彼らがいることで、芸人全体のレベルにも影響を与えると言う内容だった。不思議にこれが頭に残って、今朝もまたこの言葉が頭に浮かんだ。

先日、精子について新説を知った。卵子にたどり着いて子供として生まれる精子と一緒に伴走する生まれることのできない精子は伴走のために生まれてくると聞いた。伴奏もまたその精子の役割という訳だ。妙に芸人の話と精子のことがリンクした。咲も主役ではなく”その他大勢”に属している。そこにその役割と言う意味を見いだせることは救いになる。「自分なんて生まれる意味がない」と嘆く必要がなくなる。

咲はこの社会の中で、”その他大勢”役を演じているが、家族や友人にとっては、主要登場人物になっている。飼っている愛犬にとっては、メインキャストとも言える。「リッキー、お前は私の最重要登場人物だよ」咲は飼い犬の頭を撫でて、こう言う。飼い犬のリッキーは退屈そうにあくびをするが、幸せそうでもある。咲は55歳で未だに道に迷いあがいている。子供の頃には、夢があった。自信も今以上にあったのではないだろうか?

ネットでニュースを見ていて、シンガーソングライターのスガシカオのインタビューも読んだ。どうやら咲は苦悶するアーティストの姿を見て自分も同じだと思いたいらしい。
「売れっ子で才能に溢れていてもストレスやスランプで苦しむのなら、咲がもやもやするくらいは大したことはない」そう思いたいのだ。

”その他大勢”役の咲がなぜ小説を書こうとしているのか?それには、少し説明が必要だ。ある時、先の妹美里が言った。
「ロベルトがお姉ちゃんは本を書くと良いって言っていたよ」なぜかそれがインプットされてしまったらしい。
「そうだ、私は文学部だから、きっと本が書けるに違いない」無意識化でそう思い込んでしまった。
ロベルトは美里の夫でメキシコ人だ。大雑把でどことなくドン・キホーテのようなコミカルな人物だが、妙に説得力がある。そして、なぜかロベルトの父カルロスは咲を絶賛するのだった。多分それは咲が読書家だと思われているからだった。
「自発的ではないが、これが小説家を目指すきっかけであれば、それで結構」と本人も納得している。

そして、もう一つ、現在咲は1年間休業中で傷病手当金で生活していて時間がある。これが第二の理由だ。1日中犬と遊んでいることもできないし、それならと書き出した。芸人作家が言った言葉が残っている。
お笑い芸人の作家も言っていた。
「大切なのは、走り続けるではなく、走り出し続けること」らしい。

犬が応援するかのように咲の鼻の頭を舐めてきた。本当はお腹がすいてご飯くれという意味だが、咲は自分を励ます意味と取る。

この世界の片隅で小説を書いている自分は取るに足りない小さな存在だ。書く作業は楽しい。自分の中から”思い”が出てくる。馬鹿にされても、笑われても良い。意地悪な人は言うだろう。
「それで、何か文学賞取ったの?」と。
学生時代に読んだパスカルのパンセは彼が神様に向けた手紙に過ぎなかった。
それを何世紀も後の私たちが読むことにパスカル自身驚いてはいないだろうか?

純粋になれば良い。迷ったら、その迷いを、苦しんだら、その苦しみを、そのまま表現する、それで良いんじゃないか?
自分は書きたいのだから。

咲は走り出すことを続けて行く。”その他大勢”という名の仲間とともに。咲の書いた小説が生まれてくる名作達の伴走を続けられるように。”

大阪の講演会、京都のリトリート、神戸の瞑想クラス、そして、戻ってきた咲は文章を書き出す。

何も起こらなかったのも事実、咲が文章を綴り出したのも事実、咲に重要なのは、自分が何をしたいかで、結果は後から付いてくる。

自分は役立たずだと思って生きるのも良い、そして、誰かが読んでくれると信じ続けるのもきっと良いはずだ。

「そうか、私には目が治る奇跡ではない。私はきっとクリエイティビティの扉を開かれたんだ」

リッキーは咲の手を取り、かじると
「どっちでも良いじゃん。好きなようにすれば」と咲に言った。【完】

あらすじ:

50歳を過ぎて、キャリアにも花が咲かない悶々とした日々を送っていた。
ストレスが原因で会社を休業する咲に、愛犬を失うという不幸が襲った。
悲しみを抑えて、新しく犬を飼うことにした咲は、お陰か立ち直った。
悶々とした日々のある日、大阪での精神世界の講演会に出かけてみた。
京都で関連のリトリートがあり、参加すると、参加者に神戸の呼吸法クラスで奇跡が起こった話を聞いた。
神戸でのクラスに参加してみるが、どうやら彼女に起こった奇跡は咲には起こらなかった。教師はがんの治った人もいると言っていたのに。
ホテル、新幹線、クラスの代金まで払って何も起こらなかったと、がっかりして名古屋に戻った咲は、次の日から文章を書き始めた、まるで、今まで喋れなかった人が突然喋りだすかのように、次々と物語を書き続けた。書く作業を通して、咲は自分の中に物語がたまっていたことに気づいた。咲に奇跡は起こるのか?

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