六星行者【一之卷】~銀翼の天子

 無事に朝食を済ませた後──。

ボクは、氷見に伴われて、市内の一等地に在る『坂井総合病院』に向かった。

 その車中。氷見は、わざわざ遠回りをして、市街を案内をしてくれた。予定より少し早目に出発したのは、ボクに街の様子を見せてくれる為だったのだ。

氷見は、いつだってボクに優しい。
お陰で束の間のドライブ気分が味わえる。

 …だけど。車窓から眺める街は、何処かよそよそしく他人行儀だった。

見慣れない街──
見慣れない建物──
新鮮と云うより、寧ろ違和感を覚える。

『本来、お前が居るべき場所ではない』…と。そんな街の呟きが、何処からか聞こえて来るようだ。

まるで異邦人にでもなった様な疎外感…
焦燥にも似た、奇妙な孤独を覚える。

 やがて車は、滑るように院内の地下駐車場に入って行った。キッとフット・ブレーキを踏む音がして、エンジンが停止する。

「着きましたよ、薙さま。」

肩越しに振り返る氷見は、いつにも増して堅苦しい印象を受けた。真っ黒なスーツの所為かも知れない。

インナーにピンストライプのボタンダウンのシャツを合わせて、カジュアルに着熟してはいるけれど…。

 どう工夫を凝らしても、武骨なSPの様にしか見えない。生来の生真面目さが、逆に悪目立ちしてしまう…。

「…ふふ。」

 堪えきれず噴き出したら、氷見は怪訝に小首を傾げてボクを見た。

「如何なさいました、薙さま?」
「何でもない。行って来るね。」

「はい。私はロビーでお待ちしております。御用の際はお呼び下さい。」

 穏やかなその笑顔に、コクリと一つ頷いて、ボクは車を降りた。真面目で几帳面で、気が利いていて、誰よりも優しい氷見──

こうして傍に居て貰えるだけで安心出来る、ボクの心強い味方だ。
 名前を呼ばれて診察室に入ると、白衣に身を包んだ祐介がいた。黒い肘掛け椅子にゆったりと背を凭れている。

「…おはよう。」

ぎこちない調子で朝の挨拶をすると、彼は眼鏡越しにボクを見て『やあ』とだけ答えた。

取り立てて親しげでもなく…かと言って、取り澄ました風もない。実に淡々としている。ボクだけが、妙に落ち着かない。

 祐介と居ると、いつもこうだ。
からかわれまいとして、つい顔に力が入ってしまう。

 そんなボクの緊張を知ってか知らずか…あくまで医師の顔を崩さないまま、祐介は診察に入った。

一通りそれが終わると、ブリーフケースから一枚の紙を取り出して、ボクに提示する。

「検査結果だ。簡単に目を通して。」

 覗き込んだ用紙には、細かい数値が無機質に並んでいた。

素人のボクには、結果の善し悪しが判らない。じっと眺めている内に、どんどん体が傾いで来る…

「薙。」
「何?」
「近いよ。」
「え…??」

 気が付けば。ボクは祐介に大接近していた。見上げた先に、彼の端正な顔が迫る。

「ご、ごめん!」

「いや。積極的な女の子は嫌いじゃないよ。個人的には大歓迎のシチュエーションなんだけれどね。出来ればこういう事は、屋敷に帰ってからにしてくれないかな?此処は人目もあるからね。」

「───。」

 また…どうしてそういう色っぽい冗談を、真顔で言えるのか、この人は?

狼狽えるボクを見て、心から愉しんでいる。
祐介は、本当に底意地が悪い。

「ほら、また膨れっ面になっているよ。」

 指摘されて、ボクはハタと我に返った。

くそぅ…気を付けているつもりなのに。
祐介や一慶が傍に居ると、いつのまにか膨れっ面になっている。

彼等は、ボクをからかう達人だ。
だから原因は寧ろ、彼等の方にあると思う。
「で、検査結果だけれど。」
「…はい。」

 不機嫌に座り直したボクを見て、祐介が僅かに笑った様に見えた。

「通院する程では無いにしろ…やはり軽度の貧血症状が認められる。キミに必要なのは充分な休養と、バランスの良い食事だ。特に、血液を造るのに必要な栄養素を意識して摂るようにしないとね。薬に頼ってばかりじゃ駄目だよ?体質改善を心掛けないと。」

「はーい…」
「返事は『はい』で良し。」

そう言って、ボクの額をコツンと叩く。
彼のこういう處ろは、普段のそれと変わらない。

「キミ、今日は誰と来たの??氷見君?」

ボクが頷くと、祐介は引き出しから小さな冊子を取り出して手渡した。

「じゃあ、これを彼に渡しておいて。食事療法の『手引き書』だ。必要な栄養素と簡単なレシピ例が書いてある。今日の夕食から、こういう内容の食事に変えて貰うように。帰ったら、僕からも改めて、料理番に説明するつもりだけれど…。」

『帰ったら』という祐介の台詞が、何だか妙に嬉しかった。

屋敷に帰ったら──祐介が居て、苺が居て、遥が居て、一慶が居る。そういう生活が当たり前になりつつある自分に、また少し驚く。
「今日の診察はこれで終わりだけれど…何か質問はある?」

質問…?

「何でも良いの?」

『どうぞ』と言われて、ふと思い当たった事を口にしてみる。

「何故、眼鏡を掛けているの?」
「薙、それは…」

「だって、何を訊いても良いんでしょう?どうして、病院では眼鏡を掛けるの?? 家では、掛けないのに。」

「………。」

 ──幾ばくかの沈黙の後。
祐介は、疲れた様に嘆息して答えた。

「この眼鏡をしていないと『見えてはいけないモノ達』が視えてしまうからだよ。こういう場所は、特にね。」

…『見えてはいけないモノ』?

その語彙を想像した途端、背筋が寒くなった。不意に今朝ほどの事件を思い出す。

『紅い蛇』の群れ──。

あれも恐らくは『見えてはいけないモノ』の一つなのだろう。

 祐介は神妙な面持ちで言う。

「病院にはね。朝から晩まで大勢の患者が出入りしている。皆、病や怪我と一緒に、様々なモノを持ち込んで来るんだよ。」

「様々な…『何』を?」
「因縁霊。」
「いんねんれい?」

「病気や怪我をする人の過去には、『そうならなければならない原因』が必ず在るんだ。例えば、先祖の中に、自分と同じ病や怪我で苦しんだ者がいたり…前世に『同じ境遇』で亡くなっていた血縁者がいたりとかね。その《因縁》が解消されないまま転生した結果、現世でも同じ苦しみを繰り返しているんだ。そういう人達の背後には、やはり『同じ因縁』を持つ因縁霊が憑いている。そうして、僕に救いを求めてくるんだ。」

「祐介には、それが視える?」

 ボクが尋ねると、彼は無言で頷いた。

「彼等の声や姿に、いちいち反応していたら診察にならないからね。眼鏡に祈念を込めて、それ等を『見えなくして』あるんだよ。」

 事も無げに言う祐介──だが。
ボクには、それが実感出来なかった。

『見えない世界』の住人達が、現実世界にも大きく関与しながら存在しているという真実を、まだ素直に受け入れられない。

 何度となく見せ付けられる怪異の中に在(ア)って…それでも、疑念が払拭出来なかった。
「もう良いかな?」
「…え?」

 独り悶々と物思いに耽っていると、呆れた様に訊ねられた。

「他に質問は無い?あぁ、個人的なものは受け付けないよ。帰ってからにして。」

 そんな風に言われたら、『無い』と答えるしかない。

「じゃあ、後は帰ってからにする。」

 仕方無くそう答えると、祐介は今日初めての優雅な笑みを見せた。

「じゃあね、気を付けて帰って。」
「うん。」
「お大事に。」

 廊下に出ると、待合室には、未だ大勢の患者が順番を待っていた。

この人達一人一人の背後に──
居るのだろうか、因縁霊とやらが?
………

想像したら、またゾワリと悪感が走った。
逃げる様にその場を離れて、早足でロビーへ向かう。

 氷見が待っている筈だ。
一刻も早く彼と合流して、とにかく安心したかった。

 急いで廊下を曲がった──その時。
焦って前を良く見ていなかったボクは、出合い頭に小柄な女の子と打つかってしまった。

『きゃ!』と小さな悲鳴がして、女の子がよろける。ボクは咄嗟に手を延べて、彼女の体を支えた。

「ごめんなさい!大丈夫?」

 そう言って、華奢な体を助け起こすと…女の子は、ボクを見て、ハッと息を飲み、そのまま固まってしまった。

 ──中学生くらいだろうか?
雰囲気が、少し篝に似ている気がする…。
床に座り込んだ彼女の背に両手を添えて、ボクは彼女を抱き起こした。

  …軽い。
まるで羽根の様だ。

肩まで伸ばした栗色の髪から、フワリと消毒薬の香りがする。
「ゴメンね。本当に大丈夫?どこか痛めていない??」

 ボクは、改めて謝罪をしたが──。

「………。」

女の子は驚きのあまり、声が出ない様子だった。大きく目を見開いている。病衣を来ている處ろを見ると、どうやら入院患者らしい。

少女は、とてもホッソリしていた。
可愛い子だけれど、ちょっと痩せ過ぎているのが気に掛かる。

何の病気だろう?
掴んだ手首が折れそうに細い。

「此処に入院しているの?」

ボクの問い掛けに、少女はコクンと頷いた。

「病室まで送ろうか?」
「…いいの?」

 漸く口をきいてくれた。
少しだけ笑っている。

怪我は無いようだけれど、折角こうして心を開いてくれたのだから、誠意ある対応をしたい。

 ボクは、彼女を病室まで送る事にした。
少しの間なら、氷見も待っていてくれるだろうし、無事に送り届けたら、直ぐにお暇すれば良い。

 ──この後、何が起こるかも知らずに。
ボクは踵を返して、彼女の病室へと向かった。
 少女の肩を支えながら、ボクはエレベーターに乗り込んだ。

「病室は何階?」

そう訊ねると、少女はスッと手を伸ばして階のボタンを押す。

 最上階…
かなり上等の個室があるフロアだ。
もしかして、良いところのお嬢様かな?

横目でチラと盗み見ると、思い掛けず視線が交わった。途端に、フワリと微笑される。

 不思議な子だ。実体感があるのに、どこか透けて見える様な…?

 奇妙な違和感に戸惑いながら…。
エレベーターが止まるまでの僅かな時間を、ボク達は会話も無いままに過ごした。

 ポーン!

軽快なチャイムと共に、漸くドアが開く。
微かに安堵の溜め息を吐くと──ボクは、少女の背に軽く手を添えながら、病室へ向かった。

「何号室?」

最終目的地を訊ねれば、少女はスイと手を挙げ指を差す。

「…ずーっと向こう…」

 ──『向こう』?

彼女が指差す方向には、全く同じ造りのドアが、ズラリと並んでいる。

 あの一番端にある部屋だろうか?
かなり遠いが、乗り掛かった船だ。
自分から言い出したのだから、投げ出したくもない。

 コツンコツン…と足音を響かせながら、ボクは彼女の部屋を目指した。病棟の端まで歩いた處ろで、不意に袖口を引かれる。

「この部屋?」

問い掛ければ、少女はコクリと頷いた。
510号室──本当に角部屋だ。

「入って。」

 掠れる様な声でそう言うと…少女は、ジッとボクを見詰め上げた。
 どうしよう。
入っては、いけない気がする。
ボクの中の何かが、『これ以上先に進むな』と激しく警鐘を鳴らしている。

 躊躇のあまり動けなくなったボクを急かす様に、少女がまた袖口を引っ張った。

「入って。」

 俄(ニワ)かに芽生えた恐怖。
ガラス玉の様な彼女の瞳には、拒絶を許さない強い『意思』が感じられる。

その異様な雰囲気に飲まれて──ボクは、誘われるがまま部屋の中に歩を進めた。

 ピ…ピ…ピ…ピ…

入るなり、規則正しい機械音が聞こえた。
カーテンに閉ざされた薄暗い病室。

無機質な医療用ベッド──其処に。
静かに横倒わる、少女の白い手が見える。

 点滴のカテーテルが繋がった先には、名前が書かれた輸液のパックがぶら下がっていた。

ベッドの枕元に、同じ名前のプレート。
病室の前にも、同様の札がさげられていたのを思い出す。

『高原奈津美』──彼女の名前だ。

 ボクは、もう気付いていた。
隣に立つ少女が、高原奈津美の『幻影』であるという事を。

 幻影の少女は、感情の映らない目で、ベッドに横たわる『自分自身』を見下ろしていた。ボクは、恐る恐る彼女に訊ねる。

「…君は、高原奈津美ちゃんなの?」

少女は頷き、掠れ声で懇願した。

「お願いがあるの。あれを外して?」
 『あれ』と彼女が指差す先には、物々しい機械の箱が措かれていた。

──『人工呼吸器』。
そこから伸びた管の先は、ベッドの上で眠る痩せた少女の体に繋がっている。

ピ…ピ…ピ…

心臓の鼓動を示す電子音。
これは、彼女の『命』を繋ぐ機械だ。
もし、外したりしたら──

 耗弱したまま動けずにいると、唐突に病室のドアが開いた。

「ごめんね、なっちゃん。すっかり遅くなっちゃって。」

 そう言って現れたのは、痩れた様子の熟年女性。紙袋とバッグを抱えて、いそいそと入って来る──と、そこで。ボクの姿を見咎め、ギクリと足を止めた。

「…どなた?」

誰何(スイカ)されたが、答えられない。
何をどう説明すれば良いのか解らない。

 女性は、高原奈津美に良く似ていた。
母親だろうか?

クッキリ浮き出た目の下の隈。
生気の失せた顔。
眉間に深く刻まれた縦皺が、長い闘病生活の過酷さを物語っている。

「ぁ、あの……」

 怯えた様に顔を強張らせる女性に、何とか事情を説明しようと、ボクは渾身の力で喉から声を絞り出そうとした。

──その時である。

『体、貸して…』

 掠れた声が、突然ボクの脳内に囁いた。
見れば、さっきまで隣にいた筈の少女の姿が消えている。

『あなたの体、貸して』
「え?…あ、ぁ…!」

 声と同時に『何か』がボクの中に入って来た。全身にゾワリと冷たい痺れが走る。

顔が、声が、手が──望まぬ方向に動いていくのに、自力でそれを抑えられない。魂だけが離脱した様な、奇妙な感覚がボクを襲う。

怖い。
どうなってしまうんだろう?

 得体の知れない恐怖と嫌悪感に、ボクは激しく混乱した…そこへ。高原奈津美が話し掛けてくる。

『お願い…協力して…』
(協力って?)
『ママと話がしたいの…』

 それきり奈津美は口を閉ざした。
足が勝手に前に出る。

一歩二歩…と、女性に近付く。
ボクの精神は体から切り離され、最早自分のものではなくなっていた。

 奈津美が『何を』するつもりなのか──今は見ている事しか出来ない。