父が銃だけ残して出て行った。黒いリボルバーだ。

 テーブルにそいつをみつけたとき、父がもう二度と帰ってはこないのだと少年は思った。少年は残された銃を手に取った。本物かどうか疑った。おもちゃの銃のほうが父にはふさわしいように思えたからだ。

 あいつがホンモノであったためしなんかないんだ!

 だがはじめて握ったそいつはニセモノにしてはずっしりと重かった。

「これさえありゃあ、ほかはなあんもいらねえ」と父親はよく言った。「なあんもいらない」のなかに自分が含まれているのを少年はわかっていた。

 少年は母の子であって、父の子ではなかった。ふたりがいっしょに暮らす前から少年は母の中にいた。父は母が家を出ていくまで、少年を自分の息子だと信じていた。

 父親は夜になってもやはり帰ってこなかった。

 もう帰ってくることはないと確信はしていたが、それでも少年はしばらく父を待つことにした。ときどき食事を作ってくれるスナックの女がそう言った。

「なんでも三日は待たなくっちゃ」

 母がいなくなったあと、父は数人に女とつきあった。

 どの女も少年に「母親になってあげようか」と言った。父も少年もその気になりかけたことがあった。だが父は、酒で酔った勢いで殴ったり、女の財布から金をすくねたり、どうでもいい別の女と浮気をしたりして、最後にはいつも台無しにしてしまっていた。

 なぜそんなことをするのか少年にはわからなかった。父の飲み友達が「未練なんだよ」と笑いながら教えてくれた。

「おまえの顔をみていると、あいつをおもいだすらしいぜ」

 父はまたいろんなことを台無しにしようとしているのだろうか。それともここから逃げ出して未練を断ち切ろうとしたのだろうか。
 どうしてあと一年待てないのだろう。

 少年は中学三年生になったばかりで、卒業したら働きに出かけるつもりだった。いろいろ調べた。定時制か通信で高校に通いながら、住み込みで働けるところを探していた。もっといいところがあればいいが、そうでなければ新聞配達をしようと思っていた。

 あんたが出ていかなくても、おれが出て行ったのに。

 スナックの女が言う通り、三日待った。

 そのあいだ少年は銃を持ち歩いた。

 たしかに父が言う通り、これさえあれば「なあんにもいらない」と思った。学校でバカにされたり殴られたりしても平気だった。

 最後にはこれをぶっ放せばいいと思うと笑みさえ浮かんできた。
 父は銃以外なにも置いていかなかった。家中探したが金はなかった。

 四日目の夜、スナックの女がやってきた。

 女はテーブルにデパートの地下で買った総菜が皿にものせずに並べた。腹が減っていたので、少年はいただきますも言わずにかぶりついたが、女はなかなか箸がすすまなかった。

 ふたりは黙ったまま食卓を囲んだ。テレビは野球中継で、ホームランバッターがチャンスでゲッツーになった。

「だめだな、ことしは」
「おとうさん、もう帰ってこないんだよ」と女はようやく絞り出すような声をだした。

 少年はその一言で父から連絡があったのだと思った。

 少年は女の言葉を無視して、野球を見続けた。鶏のから揚げをほおばりながら、いけ、とか、ああ、とか、一喜一憂してみせた。

「これからどうするの」女はきいた。

 エースが打ち込まれ、ランナーがふたり生還した。

「母のところに行こうかと思っています」と少年はうそをついた。

 少年の言葉に女は安心した。男がいないのに息子だけ面倒をみるのは嫌だったし、だからといって施設に預けに行くのも少年を見捨てるみたいで心苦しかった。女は財布から一万円札を二枚出し「交通費くらいにはなるかな」と少年にわたした。

 女はようやくハンバーグに手をつけた。

「なんにもおいてかないなんてね」

 そう言って顔をあげると少年が銃を女に向けていた。

「もっとだせよ」とうわずった声ですごんだ。

 女は一瞬たじろいだが、悲しい顔をして「そうね」と財布ごと少年にわたした。

「おもちゃでもそんなものひとにむけちゃだめよ」

 出ていくまで、少年は銃口をむけたままだった。

 女は全く抵抗していないのに、ホンモノだぞ。ホンモノなんだぞ。親父がおいてったんだ。親父はホンモノだって言ってた。そう叫び続けた。

 女は総菜のプラスチックのパックを冷蔵庫に入れ「あとで温めて食べなさいよ」と優しく言った。

「じゃあ、さようなら」

 女は出て行った。
 少年は銃をおろした。

 腕が鉛のように重たかった。財布の中身は千円札が二枚入っているだけだった。野球はいつのまにか終わっていて、天気予報が明日は晴れだと告げていた。

 この金でいけるところまで行こうと少年は決心した。本屋で時刻表を立ち読みし、旅行の計画をたてた。ほんとうは飛行機に乗ってみたかったが、あきらめた。金属探知機にひっかるといけないから、と自分にいいきかせた。本当は金がこころもとなかったからだ。

 二万二千円だもんな。

 女の悲しそうな顔を思い出した。

 くそっと悪態をついて頭を振って、女の顔をおいやった。もう二度と会うことのないやつだ。もう二度と。そうつぶやいた。それに、と少年は銃を握りしめて自分に言い聞かせた。

「それに、これを置いてったってことは、ああやって食いつなげ、ってことだろ」