そこには滝がある。
 神秘的なまでに繊細で、衝動的になる程豪快な滝が流れる。
 周囲は森と草で囲まれ、何者もその景色を汚す事はできない。
 そんな場所にたった一人……迷い込んでしまった少年がいた。

「ここは……」

 ゆっくりと流れる滝に近寄る。
 そこで少年は目を疑った。
 
 竜がいる――

 流れ落ちる滝の水。
 その水を身体で受け止めるように眠っている。
 道理で神秘的なはずだ。
 まさに神秘の象徴とも言える存在が、そこに居たのだから。
 白銀のウロコを纏い、巨大な翼を休めている。
 少年が近寄ると、竜はゆっくりと閉じていた瞳を見開く。

「あっ……えっと……」

 目が合ってしまった少年は、その眼光に戸惑いを見せる。
 しかし視線は逸らさなかった。
 そんな少年を見つめていた竜が、重い口をゆっくりと動かす。

『珍しいな――ここに生きた人間が来るとは――』

「生きた……人間?」

『ここは生と死の境界――死に行く運命にある魂が、冥界へ降る途中で迷い込む場所だ』

「死に行く運命……」

 少年が呟く。
 そして思い出す。
 自分がこの場所へ辿り着く前の出来事を……次に悟った。

 ああ、そうか……。
 俺……死んだのか。

 
 今から約1時間ほど前の事。
 季節は夏。夏休み真っ只中の少年は、仲の良い友達と山奥の川辺へ遊びに来ていた。
 インドア派で普段はほとんど外で遊ばない少年だったが、この日は幼馴染の少女にほぼ無理やり連れて来られている。
 さらにこの時は、とある事情から落ち込んでおり、とても遊ぶ気分ではなかったのだ。
 最初は呆けていた少年だったが、幼馴染に手を引かれ川へ入る。
 しかしそれがいけなかった。
 遊ぶ気が無い中途半端な状態で川へ入ってしまった少年は、不規則に来る波に足を捕られる。
 倒れ込む途中、少年の手は少女の手をするりと抜け、少年だけが波となった。

「それで流された後は、苦しくて気を失ったんだっけ? そりゃあ死ぬよな……」

『何をぼやいているのだ? 少年、君はまだ生きているぞ』

「えっ? でも今、死ぬ運命とか言ってた気が……」

 ここで少年は最初に竜が言った一言を思い出す。
 珍しいな――ここに生きた人間が来るとは――

「思い出した様だな? 少年」

「で、でもだったら何で俺……こんな場所にいるんだ? あの時確かに川へ……」

『簡単な話だ』

 少年の疑問に、竜は親切に答えを教えた。

『お前はまだ生きている。だがおそらく瀕死なのだろう。このまま放っておけば死ぬ……だからこの場所に迷い込んだのだ』

「そっか……」

 なんだ……
 やっぱり死ぬんだな……俺。

「ん? ちょっと待って、という事はつまりあんたも同じなの?」

『何の話だ?』

「あんたも俺と同じ死にかけなのかなって話」

 寝そべっていた竜が、ゆっくりと起き上がる。
 そうして自身の事を語りだした。

『その通りだ少年。我もお前と同じ死に損ないの魂よ……これでも我は不老不死を司る竜でな。どんな事があっても死なん。大昔に致命傷を受けたが、こうして生きながらえている。ただ肉体を失ってしまった所為で、もう二度とここから出る事は叶わんがな……』

「もう二度とって……いつからここにいるの?」

「さぁな。昔の事過ぎて忘れてしまったよ」

 竜は切なげにそう言った。
 少年には竜の表情なんてわからない。
 わからないはずなのに、どうしようもなく悲しそうだった。

「未練とかないの?」

 だからこんな質問をしたのだろう。

『未練か……あるとも……』

「どんな未練?」

 少年は何の躊躇も無く聞いていく。
 竜を相手にしているとは思えない程冷静で、どこか諦めているようだった。
 そんな少年に対して、竜も友人と接するように話す。

『ずっと昔、我を救ってくれた女が居た……。我と女はもう一度会う約束をした。その時に、救ってくれた礼を言うつもりだった……だが今となっては、もう叶わん願いだ』

「そっか……」

「お前はどうなのだ? 少年」

「えっ、俺? 俺は……そうだな~」

 少年は俯き、そして上を見上げる。

「もちろんあるよ。だってまだ子供だし……やりたい事は山ほどあったよ」

 だけどもう出来ない。
 そう思うと涙が溢れそうになる。
 さっきまで一緒に居た友達とも、もう二度と会えない。
 それはとても悲しい事だ。

『涙は流さんのだな?』

「ああ、泣いても何も変わらないって知ってるからさ」

『強いのだな。少年は……』

「別に強くなんか――」

『一つだけ生きる方法がある』

 突然告げられた希望に、少年は声を出さずに驚く。
 竜は続けてこう言った。

『この方法なら、お前は再び現世へ帰還できるだろう』

「そんな方法あるのか!?」

『ある。ただし、この方法を用いれば……お前は人間では無くなるがな』

「えっ……」

 人間じゃなくなる??

「どんな方法なんだ?」

『我と一つになれば良い。我は不老不死の竜神……お前の肉体も修復できよう』

「あーなんだ……そういう事か。それなら頼む!」

 少年は笑顔で言った。
 その態度に竜は驚く。

『良いのか? そんな簡単に決めてしまって。 我と一つになれば、君は純粋な人では無くなるのだぞ?』

「わかってる。でもそうすれば、あんたも復活できるんだろ?」

 予想外の返答に竜は再び驚かされる。

「だったら一石二鳥でしょ? 俺もあんたも、まだやりたい事ができるんだからさ」

『少年……』

 屈託の無い笑顔で少年は言いきる。
 この少年は自分の事だけでなく、この竜の心まで思考の材料にしていた。
 そこに竜は少年のうちにある優しさに触れる。

『やはり強いな少年……お前は強い心をもった少年だ』

「普通だって!」

 それを普通と言える事が、強い心を持っている証拠なのだ。
 竜がゆっくりと歩み寄る。
 滝から出て、少年の立つ場所へと進む。
 少年は身構える事無く、ただ真っ直ぐに竜を見つめていた。
 そうして互いに視線を合わせる。

『少年、名を聞いておこう』

「あーそういえば名乗ってなかったっけ? 俺はそらと――水瀬天斗《みなせそらと》だ」

『天斗、いい名だ』

「あんたの名前は?」

『我は竜神――名は天武《てんぶ》。天斗、お前に最上の感謝を送ろう』

「こちらこそ、ありがとう」

 天斗が右手を差し出し、天武が顔を近づける。
 こうして少年と竜は出会い――

 ひとつになった。