第1話「無口少年とおしゃべり少女の物語」
その日は、中学二年の始業式だった。その日、彼女の事を初めて知った。
「……もしかしたら、同じクラスになるかもしれないって思って!」
「い、いや、そんな事言われても」
「だからお願いします! 逃げないで! それともそんなに私の事が嫌!? なんでなんでちょっと、逃げないで!」
「い、いやもういいよ! いいから!」
その景色はとても異様で、シュールな雰囲気を醸し出していた。2人の少女が居て、片方は相手に迫っていき、その相手は逃げ腰の様子でその場から逃げようとしている。そして、周りには数人の野次がいた。
俺がこの光景を見て思ったのは、『なんだこれ』だった。どうも妙な感じがする出来事であったので、思わず遠目からその光景の顛末を見届けようと思った。そして、その顛末は普通に相手が逃げ去っていき、その後を相手に迫りかかっていった少女が追いかけるという内容であった。
一体あれは何だったのだろうと、そう思っていたところだった。後ろから声をかけられたのだ。
「おお、昌弘(まさひろ)! ここにいたのか」
俺は相手の方を振り向き、挨拶をする。ただ、「おはよう」とは言えなかった。
「……相変わらずだな。何か一言言ってくれたらいいのに」
悪かったな、と意図的に顔に出した。奴は顔を見て察したのか「別にいいよ」と返した。
その相手は、俺たちの学年では情報通である事で有名な天野拓海(あまのたくみ)であった。……何故か、いつも俺に話しかけてくるため、こっちは対応に困る。
すると、後ろの方からまた声が聞こえる。振り向くと、そこにはあの少女が相手の少女を未だに追いかけまわしていたのだ。
「待って~! ちょっとまともに話しかけてくれてもいいじゃない!!」
「嫌! 絶対いや!!」
あそこまで拒否しなくてもいいのに……という考えがよぎった。すると、横から拓海が俺に語り掛けるように話してくる。
「あの、追いかけている方の女子、阪南神子(はんなんみこ)っていうんだよ」
話は続く。
「あいつ、どうもおしゃべりで延々と話し続けてくる上に相手に付きまとうという悪い癖があってな……いつもあんな感じで詰め寄ってくるんだよ」
……まじか。そりゃあ、相手の子があんな反応するな。
「まあ、そんなわけで皆阪南の奴とどう付き合っていいかわからないからつい避けてる……って感じだ」
それで、相手があそこまで避けているのかが納得してしまう。それは誰も近寄らないわけだ。
簡単に言ってしまえば、阪南の取るコミュニケーションはかなり過度なものであるために避けられているが、本人にはそういう自覚が無いので未だに避けられているのに気づいていないという厄介なもの……という話だ。
確かに、あそこまで避けられるのは阪南のやった結果が回ったものなのだとしか考えられない。
「んで、それはともかくどこのクラスか見に行ったのか?」
その言葉にハッとする。まだどのクラスか確認ができていなかった。
俺は拓海に確認してくるという合図を送ってその場を去っていった。去り際に、拓海は
「確か、クラスと席の表はグラウンド付近にあったはずだから、覚えとけよ」と伝えてきた。俺は拓海に感謝しつつ、そのままグラウンドへと向かう。
俺はグラウンドの端に張り付けられたクラス表を見つけ、確認する。クラス表の前には俺以外にも何人かいた。
自分の名前は2―2のクラス表に書かれてあった。江口(えぐち)という苗字であるため、番号は大体3~5番ぐらいだった。次に、クラスメイトの名前を確認する。
その中に、阪南神子の名前が書かれてあった。さっき、彼女の名前を知ったがために同じクラス表に書かれてあった事にはすぐに気づいた。そこで、まだ席を確認してないことに気づき、となりに貼られてあった席の表を確認する。
……まさか、阪南と俺の席は隣同士だったなんて思いもしなかった。
*
「……というわけで、よろしくお願いします」
そこで、先生の挨拶は終わる。今年の先生は去年と同じ先生だった。
先生が部屋から一旦出ると、何人かのクラスメイトから「江口くん、よろしく」「ヒロ~大変だろうけどよろしくな!」と声を掛けられる。
なぜか、俺に話しかけてくる同級生は結構居て、みなよく何かを話してくれる。自分では何故そんなに声を掛けてくるのかがわからない。
俺は無口な性分で、自分から話しかけられるようなタイプとは思えないのだ。
しかし、今年は挨拶に何か一つ余計なものが入っているのだ。「大変だろうけど」という一言だ。それは、間違いなく隣にいる彼女のことなのだろう。
「……あなたって結構友達いるんだね~」
阪南神子。俺に敬いの声が掛けられる原因である少女が隣同士なのだから。
「ねえ、あなたってどんな性格なの」
いきなり、質問をされる。すると阪南は
「……ダメ? なら、これはどう?」
そう言って次の質問を出してくる。質問攻めはその後も続いていき、なかなか終わらない。数分ぐらい経って
「……あぁ! 何も答えてくれない! どれだけ口硬いの!!」
正直、質問の内容はどれもこれも困る内容のものしか無かったが、そもそも正直言って普通の質問を何故か一つも出さず、答える間も無く次の質問に移るため、一つも答えられなかったのだ。
「にしても、あなたって無口なんだ。 名前は?」
「……江口、昌弘」
正直、口を聞く事は嫌だったから余程の事ではないと聞こえないぐらいの小声だった。しかし、阪南は口の動きで気づいたのか。
「……江口昌弘って言うんだ。 よろしくね!」
俺の名前を正確に言い、明るい口調で話しかけたのだ。呆気に取られる間もなく、すぐに
「じゃあ、さっそく話をするね!」
と言って、すぐに話を始める。明るい口調で今日のあの出来事を語りかけてきたのだ。結局、相手には逃げられたそうだ。
その話をされなくてもオチは見えていたのだが、まあ逃げられるよな……と思った。あそこまでしつこく詰め寄られたら俺も逃げると想定する。
正直、そこまでは問題にはならなかった。しかし、その話が終わってからの事が問題だった。
「……昌弘君って以外と話聞いてくれてるかも」
……いきなり馴れ馴れしく昌弘君と話しかけてくるがそれは置いといておこう。とにかく、内容は突然こちらを褒めている。そして、次に、
「私の話、誰も聞いてくれないし、無理やり聞かせても寝てしまったり、途中ですぐに逃げ出したりする人ばっかりだけど」
とんでもないことを口走っているが、問題はここではなかった。その後だ。
「昌弘君はそういう事ないんだね。 ちゃんと最後まで聞いてくれてありがとう! 今日、学校終わったらあなたについてくね」
それは、あまりにも唐突なもので、しばらく放心していたと思う。
あまり話したことの無い相手がついてくるというとても意味不明な事をされるかもしれないのだ。正直、とても嫌だ。
*
「……んで、お前の隣の席は阪南だったわけか」
俺は拓海にそうだという様に首を縦に振る。入学式が終わった後、拓海に声を掛けられたのだ。その際に、拓海がクラスはどこだったか、隣の席の奴は誰だったかを聞いてきたため、俺はノートにクラスと阪南が隣の席だったという事を端的に説明した。
「そりゃあ大変だな!」
しかし、拓海は完全に他人事のような様子でムッとする。その表情を見た拓海は、
「悪い悪い、冗談だって」
俺は表情を戻そうとするが、
「お前って結構顔に出るよな」
と言ってきたため、結構腹が立った。その様子を見た拓海は、
「わ、悪かったからその顔で見ないでくれ」
と遠慮がちに言った。正直、そんなに怖い顔だったのだろうか。
「にしても、お前何か書くもの買ったらいいんじゃないか?」
拓海は突然俺に提案してくる。それはどういうことかと顔で見せる。すると、拓海は
「……いやぁ、何というか口で出すのがダメなら書いて伝えたらいいんじゃないかなって思った訳なんだ。 無理とは言わないけどさ」
なるほど。それはなかなか良いアイディアだと思った。俺は拓海に感謝の気持ちを出すために、グッドサインを出す。
拓海は別に良いと気楽に笑う。彼も無口な俺の事を友達と思ってそう提案してきたのかと初めて思った日でもあったような気もする。すると拓海はハッとした表情になる。
「……おっと、今日は早めに帰らないといけなかったんだ。 なわけで、俺帰るわ!」
拓海は捨て台詞を吐く様に駆け足でその場を去っていった。恐らく何かしらの用事があったのだろうと察しておく。
俺も、帰路に着こうとする。その時に不意に見えたのだ。
「……!」
阪南がいたのだ。今は気づいてないが気づかれるような事をしたらまずいと思い、見なかった事にしてそのまま歩いて行った。
もしかしたらこちらの後を付けてくるのかもしれない。厄介な事になってしまったと実感する。
あまり知らない相手に付いて行かれないように帰れなければ安心ができない。俺は気づかれないように身を隠した。
そして、彼女が気づいていないかを改めて確認し、急いでその場を走って後にする。
まだ油断はできない。何かしらの拍子で見つかってしまうかもしれないかもしれないので、走る速さを上げていく。無我夢中に走っていたのでどこを走ったのかは覚えてなかったが、段々と学校から遠のいている事はわかったような気がした。
結構な距離を走ったと感じた。俺は丁度いい場所で足を止めた。結構全力で走ったので息が切れ切れだった。
息を整えて、後ろを確認する。そこには阪南の姿は無く、俺はホッと息を吐く。
視線を前に戻すと、そこはいつも帰り道では使わない商店街の入り口の前であった。昼なので、外には買い物に来た主婦の人がほとんどであった。
だが、商店街の周りはあまり詳しくないので、商店街経由の道で家に帰るしかなかった。かなり歩くが、仕方ないので商店街の通りを歩いて行った。
ここの商店街は俺の家からも、学校からもそう遠くない場所にある。商店街の周りは住宅街が広がっているため、地元の人はよく利用する商店街なのだ。
俺はここに来るのは久しぶりで、確か一年ぐらい前に行ったきりだったと思う。その時、何をしていたのかは覚えてはいない。
今日は阪南絡みで良いことは無かった。阪南が相手の女子を追いかける光景を目撃した後に、同じクラスになり、且つ隣の席になり、更には一緒に帰りましょうと宣言してきたのだ。
これはまずい状況になってしまったと感じる。一体これからどうなってしまうのだろうか。
俺はそんな事を考えながら歩いた。そういえば、今どの辺りを歩いているのかを見ていなかった。考えに集中しすぎて危険な事をしていたと自らを恥じる。
一旦、近くに見えた店の端に寄って立ち止まる。近くには見覚えのある喫茶店や和菓子屋、文房具やなどがあった。そういえば、一年前はこの喫茶店に入った事もあったような気がした。
だが、寄り道する意味も無いので、今日は真っすぐと家に帰るようにした。そういえば、今日は金曜日だった筈なので、月曜日まで学校は無かった事を思い出す。少なくとも今日からはしばらくゆっくりとできる。
そんな事を考えながら、帰り道を歩いて行った。あの後は、特に何も起こらず、家に帰った。ちなみに、家は一般的な二階建ての一軒家だ。
家に帰ると母から今日は遅いと心配をされた。いつもなら何故そんな事で心配を……と顔で示すが、今日はそんな気力も無かった。そのせいで余計に怪しまれてしまった。
俺は、母に部屋で寝てくると伝えて部屋に入っていく。
始業式の日は金曜日であったため、月曜日までゆっくり出来たのだが、如何せん今日の出来事は、疲れが非常に溜まる事ばかりであったので、土日にやった事と言えば部屋でぐっすりと眠ってしまったぐらいであった。
そうして休日はあっという間に消えてなくなり、月曜日が始まったのだ。
「おはよ! 昌弘君!」
教室に入ると、阪南は元気良くこちらに声を掛けてきた。同時に周りの目線がこちらに向いた。その目にはどうみても哀れみであった。
「先週の金曜日、学校が終わった後あなたと会えなかったけどさ」
金曜の事かと思ったが、ここで引っかかる。先週、一緒に帰宅すると阪南は言っていた。まさかとは思うが、そういう事なのでは?そして、その考え通り、話を切り出してきた。
「――――今日こそ、一緒に帰ろ!」
そんな感じで、阪南と一緒に帰る事になってしまった。阪南と付き合うのはかなり疲れると先週、わかったばかりなので避けたい事がらなのだ。そもそも、先週なんとかして一緒に帰宅するのを回避してしまったがために、今日こうなったのだが。
今日は早速授業が始まる日であったのもタイミングが悪かった。授業に身が入らないのだ。今日の放課後の事に気が滅入って授業に集中が出来ない。その原因である彼女は、のんきに小声でこちらに話をして、先生に注意を受けている。それが一回だけで済めば良かったのだがそれが今日だけで何十回もあったのだ。
阪南のおしゃべり癖は普通ではないなという実感がとても湧き出てくる。まさかここまでおしゃべりなのか……ここまで来たら清々しい感覚になってくる。
昼休みでも相変わらずだった。本当は一人で弁当を食べるつもりだったのだが、その時阪南が席をくっつけてきたのだ。
一体何のつもりだと聞くか……と考える前に、阪南は「一緒に食べよう!」と断れない誘いをしてきたのでそんな事を言うまでもなかった。
「んで、昌弘君の声一回も聞いた事もないんだけど」
唐突な事だった。結局昼食を一緒に食べたのだが、阪南は俺が一言も発さないと不服を立てたのだ。
「ね、折角だから声を聴きたいんだけど……と言いたいけどもし声にコンプレックスがあったら失礼だよね……」
もう言っているが。まあコンプレックスがあるかもしれないという考えはあって良かった。ただ、俺の場合は声にコンプレックスは無い。
「……あ、でも聞いていたかも。 小さい唸り声とか」
そんな細かい事はどうでもいいのではないのかと思うが、阪南にとってそこはとても重要なポイントなのだろうと思う。
ただ、それとこれとは話が別である。恐らく今日は付いていくだろう。そして、そのまま家に入ってくるということも考えられる。
「あ、そうだ」
阪南がまるで思い出したかのように口を出してくる。
「今日こそ昌弘くんと一緒に帰るから!」
……やはり、俺の予想は当たっていたようだ。
「……!」
俺は、阪南の弁当の方を見た。まったく手をつけていないわけではないが、半分は手を付けていない有様であった。俺は、阪南の肩をつつく。ちゃんと反応したため、次に弁当に指を指す。
「……あぁ! お弁当、まだこんなにある!」
阪南が慌てて食べ始めた隙に、俺は残り少ないおかずやご飯を食べきる。次にお弁当箱を片付けた。そして、その場を逃げるように後にする。
「○★7△~! ☆♪ZД∞◇!?」
阪南が口に食べ物を含みながら何か叫んでいる様子だった。というより、食べ物がない状態で話せと突っ込みたい。しかし、口に出す勇気は無い。仕方ないので自分のカバンの方に行き、ノートを取り出す。このノートは今日の朝に結局買ったけど使わなかったノートから探したすこしお洒落なデザインで小さいサイズのノートだ。
次に筆箱を取り出してノートに自分の要件を書く。
「……何してるの?」
口の中にあった食べ物を飲み込んだのか、良く聞こえる声で阪南が声を掛けてきた。俺は急いで書き終わらせ、阪南に見せる。
「ふむふむ……トイレ行きたむごっ!?」
俺は素早く阪南の口に手を置く。一瞬、周りの視線がこっちに集まったが、すぐに元の方へ戻った。そして、口に人差し指を添えて、教室を後にした。
そうやって廊下の歩いていたタイミングだっただろう。
「お~い!! 昌弘~!」
後ろから声を掛けられる。振り向くと、その声の主は拓海だった。
「……拓海か」
意識せず、声を上げる。
「? 珍しいな、お前が声上げるの。 声が小さくてよく聞こえなかったが」
ただ、声が小さくて内容は聞き取りづらかったらしい。まあ、聞こえても聞こえなくても問題のない事なのだが。
「……んで、阪南の方はどうなんだ?」
阪南の事を聞いてくるとは思っていたが、どう対応すればいいか困る。
純粋に、どういう状況かがわからないのだ。どう展開を見せるのかもわからないのに、下手に言える筈がない。
「……まあ、無理にとは言わないか」
拓海はそんな俺の心情的な悩みを察したのかそんな言葉を投げかける。
「んで、今は一体どうしようとしてるんだ?」
「……トイレ」
「なら早く行って来いよ。 少しでも遅れたら大変な事になるぞ」
ついでに余計な事を言っていたが、気にしないようにする。俺は、手を振ってトイレに急行した。
トイレで用を済ませた後、教室に戻る。阪南は俺が席に座ったタイミングで、また話を再開させる。彼女は楽しそうな顔で様々な話をする。夢の中での話、通学路で遭遇した出来事に家での出来事。彼女はいざという時の引き出しは十分に用意してある。
彼女にとって誰かと話を共有し合うという事は楽しい事なのだろう。問題は、彼女が必要以上の口数の多さだという事だろう。
結局の所、話は授業が始まる直前まで続いたのだ。話の後半は完全に上の空でまったく内容を覚えていない。
上の空の状態のまま授業を受けてしまったため、次いでに授業の方も全然頭が入らずじまいだった。
そんな調子で、残りの授業は終わった。終わりの挨拶を済ませた後、さっさと帰ろうとした。しかし、彼女はそうさせてはくれなかった。
「……ねね、もう帰っちゃうの?」
返答するのも嫌だった。でも、返さないのはかえって逆効果だ。俺はノートを使って、伝えたい内容を書いた。
「今日は疲れたから、一人で帰る」と。