三学期の始業式。いよいよ決戦の日だ。
 なのに……登校する私にはいくつもの不躾な視線が突き刺さり、そこここで囁き声が聞こえる。

 すっかり忘れていたけど、藤倉君と付き合い始めれば、こうなることは予想できた。初詣に行って、毎日一緒に図書館で勉強して、誰にも見られていないはずがない。鞠にばかり気を取られて失念していた。

 でもそう、いつか琴平さんが言ってくれた。堂々としてたら? と。
 今の私は地味で冴えなくて頭が悪くて、あの頃とは正反対だけど、でも心は変わったもの。だから堂々としていよう。鞠の美しい姿勢を思い出して背筋を伸ばした。

「美麗」

 振り返れば、朝日にも負けない眩しい笑顔の藤倉君が、私に向かって手を上げていた。途端に大きくなるざわめき。噂は本当だったのかと、落胆、嫉妬、様々な感情が渦巻きこの場を埋め尽くす。それはとても息苦しいものだったけど、私の背筋は曲がらない。

 一緒に過ごすうちに、彼は私を名前で呼びたい、と言った。“うらら”と呼んでとはさすがに言えなくて、でも今はこの華美な名前もそれほど嫌じゃなくなった。美しく麗しい、外見がそうならばそれに越したことはなかったけれども、大切なのは内面だ、といつかの彼が言ってくれたから。私は美しく麗しい心を持てるように、この名前を呼ばれるたび努力しようと思えるようになった。

「おはよう」

 立ち止まり、笑顔を返す。彼は本当にカッコよくて、私の顔はどんなに抑えようとしてもどんどん熱くなってしまう。

 私を好きになったきっかけの話を、私は先日彼に聞いた。これは戻った過去でも語られることのなかったことで、そんなに小さい頃既に出会っていたなんて本当に驚きだった。しかも知らないうちに彼の進路まで私が決めていたというのだから、世の中何があるか分からない。

 彼は繰り返す。あのとき俺の新しい扉を開き、未知の世界を教えてくれたのは美麗だった。だから俺も何か力になりたい、と。
 気持ちはとても嬉しくて、でもそれは私の与り知らぬ所で起こった出来事。だからそれを理由に彼を頼るのは何か違う、私はそう思っている。だってそれはただのきっかけに過ぎなくて、その先たゆまぬ努力を重ねたのは他でもない、彼自身なのだから。
 過去にこだわることなんてしなくても、私はこれから先どんな些細なことでも彼の力になりたいと思っているし、きっと彼だってそうだ。難しく考えることなく、ただそれで良いと思う。

「おはよう。結構騒ぎになっちゃったなぁ」

 口ではそう言ったにもかかわらず直後に繋がれた手に驚いて、私はバッと彼を振り仰いだ。周りから小さい悲鳴が上がる。

「ちょっと、藤倉君?」
「藤倉、嬉しいのは分かるが、やりすぎるなよ」

 突然かけられた声の出所を探せば、渡り廊下を歩く影森先生が、苦笑を浮かべてこちらを見ていた。
 感慨深い気持ちが胸を満たす。とても素敵な先生だった。それはきっと今も変わらない。向けられる眼差しはとことん優しかった。

「月島さん、風邪はどう?」
「はい、お蔭様でよくなりました。終業式の日は、突然勝手に帰ったりしてすみませんでした」

 近付きながら頭を下げれば、良いの良いの、とまた笑う。

「藤倉、良かったな」
「うん」

 暖かい笑顔を向けられて、藤倉君は照れ臭そうにはにかんでいる。

「何の話?」
「純情少年の話」
「ちょっと!」

 私は笑ってしまう。やっぱり二人は仲の良い兄弟みたいだ。

「困ったことがあったら、いつでも相談に来てね」
「それはもう俺の役目なの!」

 拗ねたように突っかかって、先生といると藤倉君はまるで子供みたい。

「お前に相談しにくいことだってあるだろ?」
「え、あるの?」

 先生の言葉に踊らされて、途端に元気のなくなる彼。堪えきれなくなって、私はとうとう声を上げて笑ってしまった。

「ないよ。でも今日私凄く頑張らないといけないことがあるから、藤倉君応援しててね」

 私は一人じゃない。そう、いつだって一人じゃなかったのだ。

 藤倉君は不思議そうな顔をしていたけど、繋ぐ手に少しだけ力を込めて、頑張れ、と言ってくれた。影森先生も、頑張れよ、と微笑んでくれる。
 とてもとても大きな力が湧いてきた気がした。