おいしいものと女友達。私たちの人生に必要なもの。
私たちは毎日、いろんなことに悩んでいる。
成績のこと。友達のこと。好きな人のこと。
大人たちから見たらちっぽけな悩みでも、私たちにとっては世界に関わる大事なこと。
でもそんなちいさな悩みは、おいしいものと、悩みを理解してくれる友達、ゆったりとしたおしゃべりの時間があれば、実はもう半分くらい解決している。
だけど私たちは毎日いそがしい。
勉強は大変だし、おいしいものを友達と食べるお小遣いも、ゆっくりおしゃべりする時間もない。
だから私はみんなのために、毎日おいしいものを作る。
ちいさなきっかけが大きな勇気に変わることを信じて。
桃園高校料理部の扉は、いつでもあなたのために開いています。
どうしてこんなことになったのだろう。
薄暗い非常階段、右手にはお弁当箱、左手には謎の先輩の手。
お人形さんのような顔をした先輩は、期待のこもったきらきらした瞳で私を見つめている。
空気の読めない春風が、制服のスカートを揺らしながら私たちの間を通り抜けて行く。
どうしてこんなことになったのだろう?
そもそも私の人生、後悔ばかりだった。
人見知りなのに気が強くてプライドが高いから、友達がうまく作れなくてクラス替えの日はいつも憂鬱だった。
人に優しくされても上手にお礼が言えない。両親には小さいころから「こむぎは素直じゃないね」と言われてきた。
私の人生あまのじゃく。まるで演歌のタイトルみたい。泣ける曲が書けそう。
誰かに誘われたら部活に入ろうと思っていたけれど、最後まで誰にも誘われなかったので中学三年間ずっと帰宅部だった。仲の良い友達もいなかったから暇で、休みの日も勉強していたから成績だけは良かった。
無事に県で一番偏差値の高い女子高に入学できた。女子高だったら同性ばかりだし、友達もできやすいのではという期待もあった。校風も穏やかだし、進学校だったら私みたいな人間でもいじめられることはなさそう。
高校生になったら、ちゃんと友達を作ろう。勇気を出して部活にも入ってみよう。人並みに人付き合いのできる、新しい私になるんだ。
――そう、思っていたのだけれど。
入学して二週間。私は相変わらずひとりぼっちだ。
何度も周りの子に話しかけようとしたけれどダメで、それでも気のいい子が話の輪に入れてくれようとしたんだけれど、緊張して仏頂面で返事していたら「あの子もしかして一人でいるのが好きなのかな」と誤解されてしまったみたいだ。
ちがう、ちがう。本当は仲良くしたいのに言えない。ありがとうって言いたいのに言えない。嬉しいって思っていても、伝えられない。ひとりぼっちなんて好きじゃない。こんな自分も全然、好きじゃない。
一番つらいのはお昼休み。お弁当を一緒に食べる友達というのは高校生にとってものすごく大事なことで、クラスでは数日でグループが定着していた。もうできあがっているグループに入れてもらうなんて、私にとってはエベレスト登山より難しいことだった。
とは言ってもプライドが邪魔をして、教室で一人で食べることができない。いかにも「他のクラスに友達がいますよ」という体で教室を抜け出していたけれど、どこにも行くところがなく、どこに行っても人がいる校内をうろうろしていた。
お弁当を食べられないからいつも午後の授業はお腹がすいて大変だった。何も手をつけていないお弁当箱を持ちかえったら母に追及されるし、家に帰るまでお腹がもたないし……ということで、放課後の非常階段でお弁当を食べるようになった。
にぎやかな昼休みと違って、放課後はまわりに誰もいないから落ち着く。
石造りのひんやりした階段に腰をおろして、母お手製の卵焼きやハンバーグを食べていると、自分が情けなくて涙がこぼれた。
どうしてこんなことになったんだろう。
私の十五年の人生ってなんだったのかな。人より秀でたいとか、目立ちたいとか、そんなことは望んでない。一緒においしいごはんを食べられる友達が欲しい。それだけなのに――。
涙をぬぐっていると、突然頭上の扉がガチャリと開いた。
「え」
「あら」
顔を出したのは、きれいな女の子。長い髪と色白の肌がお人形さんみたい。ほっそりしていて手足も長くて、みんなと同じ制服を着ているのに一人だけ世界が違うみたいだ。
泣いてるところ、見られてしまった――。早く出てってよ、と思うのにその人は私のそばまで階段を降りてきた。
上履きの色を見ると、三年生だった。同学年じゃなかったことにほっとしたけれど、先輩相手じゃどっか行ってなんて失礼なことも言えない。
「ここでなにしてるの?」
先輩は隣に座って、にこにこしながら私の顔を覗きこむ。初対面なのにやたら距離が近い。
見れば分かるでしょう、一人でお弁当を食べてるんですよ――とは言えなかった。
「えっと、その……」
「あら、おいしそうなお弁当」
先輩が、私の涙が落ちた冷え冷えのお弁当を見下ろす。恥ずかしくて、早くこの場から逃げ出したかった。
「私、帰ります」
慌ただしくお弁当を包み直して立ち上がる。誰なのか知らないけれど、放っておいてほしい。
「ちょっと待って」
強めに言ったのに、先輩はにこにこした顔のまま私の腕をつかんでくる。
「こんな寒いところで食べていたから、身体が冷えちゃったでしょ? 今から調理室に行きましょ? お弁当に合う、あったかいスープをごちそうしてあげる」
「はぁ……!?」
「ほらほら早く」
「あ、ちょ、ちょっと」
顔に似合わず強引な先輩は、手を繋ぎ直すと問答無用で階段を上っていく。抗議の言葉なんてうまく出てこない。転びそうになりながら後をついていくのでせいいっぱいだ。
「私は百瀬(ももせ)菓子。お菓子って書いてかのこ、って読むのよ。料理部の部長なの。あなたのお名前は?」
「小鳥遊(たかなし)こむぎです……」
「かわいくて、おいしそうな名前!」
百瀬先輩は私の手を引きながら、非常階段の重い扉を開け放ってくれた。私よりももっとおいしそうな名前をもつその先輩の手は、びっくりするくらいあたたかかった。
「じゃあ、急いであたため直しちゃうわね。適当に座って待っててね」
調理室に着くと、先輩は三角巾と割烹着を身に付け、てきぱきと動き始める。もうこの先輩に逆らう気がなくなっていた私は、おとなしく適当な席に腰を下ろした。
さっきまでお人形のような美少女だった先輩は、髪をシュシュでまとめて割烹着を着ただけで、雰囲気が様変わりしていた。
なんだろう、定食屋のおばさん……のような親しみやすい感じで、近所のおばあちゃん……みたいな優しい感じ。でももっと身近であたたかな――。
「もうすぐできるからね~。あ、お弁当もそこのレンジであたため直しましょうか?」
あっこれは、お母さんだ。世話焼きで、嫌味がなくて、ちょっと強引だけど従っちゃう感じ。思わず割烹着の背中に抱きつきたくなるくらい、お母さんだ――。
私がぼうっとしている間に百瀬先輩はテーブルセッティングを終えていた。ギンガムチェックの可愛いランチョンマットに、あたためてくれたお弁当箱とスープ用スプーンが並んでいる。
「はい、熱いから気を付けてね」
先輩はお鍋からスープを注ぐと、大きめのスープカップを私の前に置いた。おいしそうな赤いスープからは、湯気が立ちあがっている。
「ミネストローネよ。あったかいうちにめしあがれ」
「い、いただきます……」
「良かったあ。先輩たちが卒業しちゃって、今部員が私だけなの。誰か味見してくれる人が欲しくって。ありがとう、こむぎちゃん」
笑顔でお礼を言う百瀬先輩は、あまのじゃく族いじっぱり科の私とは違う人種みたい。ほんわか村の住人なのかな。
スプーンをゆっくりミネストローネに沈める。具がたくさん入っていて、スープと言うより煮込み料理みたいだ。ジャガイモ、玉ねぎ、にんじん、あとこれは……なんかの豆?
苦手なセロリが入っていないのがありがたかった。ふーふーしてから口に運ぶと、トマトの甘味と酸味が口いっぱいに広がった。
「……おいしい!」
「本当? 良かったあ」
「はい。トマトの味がすごく濃い……」
私の好みはけっこううるさくて、酸味が強すぎてもダメ、水っぽすぎてもダメ。たぶん今までの人生で一番おいしいミネストローネ。
「私、給食のミネストローネは薄くてあまり好きじゃなかったんですけど、これは本当においしいです。あとこの豆もおいしい……」
「ひよこ豆なの。ほくほくしておいしいでしょ? あと、使うトマト缶に合わせて水の量や味付けを変えるのが水っぽくならないポイントよ。イタリア産のホールトマトが、甘味も味も濃くてオススメなの」
一口食べたあとは勢いがついて、そのまま夢中で全部食べてしまった。お弁当と一緒に食べるよう計らってくれたのに、お弁当にはまだ手をつけていない。
お腹が落ち着いて冷静になると、先輩は私が非常階段にいた理由を何も聞かないことに気付いた。聞かれていたらきっと、こんなに安心してこの場所にいられなかったと思う。
気を使ってくれた? 興味がないだけ? それとも――。
「あの、百瀬先輩、どうして――」
顔をあげると、先輩はあさっての方向を向いていた。向かいに座っているのに、顔だけ必死にそっぽを向いているから首が痛そうだ。
「あ、あの、どうしたんですか?」
「ほら、猫って食べるところを人間に見られるの嫌じゃない? こむぎちゃん、すごく猫っぽいから、もしかしてそうなのかなって」
「私は猫ですかっ!」
へなへなと気が抜けてしまった。先輩は、私がそんな理由で非常階段にいたと思っているのか。
「私は食べてるところ見ないから、いつでもお弁当食べにきていいのよ。明日はミルクスープにする予定なの。こむぎちゃん、明日も味見してくれる?」
私はその言葉には答えられなかった。黙りこんだ私に、先輩は二杯目のミネストローネを注いでくれた。お弁当とそれを無言で食べ終わると、
「帰ります」
私はお礼も言えずに立ちあがってしまった。
「こむぎちゃん!」
百瀬先輩の声だけが追ってくる。
「放課後、調理室の扉はいつでも開いているからね」
その言葉を背中で聞いて、後ろ手で扉を閉める。
悲しくないのにあふれてきた涙を、この人に見られたくなかった。
*
二日目。変わらず非常階段でお弁当を食べていた私を、百瀬先輩が当たり前のように迎えに来た。ミルクスープは優しい味でおいしかった。クラムチャウダーに似ているけれど、もっと軽めでいくらでも飲めちゃう感じ。味付けに味噌を加えるとまろやかになるそうだ。
三日目。自分から調理室に行ってみた。先輩は嬉しそうな顔で迎えてくれた。今日はオニオングラタンスープだった。フランスパンにスープがしみしみでチーズがとろとろで、すごくおいしかった。玉ねぎは、前日の夜に何時間もかけて炒めたそうだ。部活でこんなに手のかかるものを作るのかと驚いた。百瀬先輩は、部活というよりほとんど趣味のようなものだから、と微笑わらっていた。
四日目。放課後になると先輩が教室まで迎えに来た。なんでクラスが分かったのか尋ねると、一組からしらみつぶしに探していったらしい。メニューは豚汁だった。たしかにこれもスープだけど。豆腐が包丁を使わず手で崩してあって私好みだった。今日もおいしかった。
五日目。朝登校すると、なぜか百瀬先輩が教室の前で待っていた。
「朝からどうしたんですか!?」
先輩の容姿は目立つので、通りがかる生徒がみんなちらちらと見ていく。
「こむぎちゃんに渡すものがあって。はいこれ」
やたら大きい、魔法瓶のようなものを渡された。
「何ですか、これ」
「スープジャーなの。中にスープが入っているから、お昼休みに食べて欲しいの」
「放課後じゃダメなんですか?」
「朝早く起きて作ったのよ~。どうしても放課後までに感想が聞きたいの! 放課後は違うものを用意しておくから、絶対食べてね! あっ、中身はカレー風味のスープよ!」
「えっ、ちょっと……!」
引き留める間もなく先輩は去って行ってしまった。先輩に気付いた一年生が道をあけるので、廊下が割れた海のようになっていく。百瀬先輩はモーゼだったのか、とその光景をぼんやり見送った。