それに今日は珍しく、白露さんが橋の前で佇んでいる姿まで見えた。


「白露さん! 迎えに来てくれたんですか?」


 白露さんは基本的に、自分の店から出ない。

 仕事以外の用事で彼が出歩くのを、私はほとんど見たことがない。

 だから白露さんがこの辺りを歩いているのは、非常にレアだ。

 私には白露さんの私生活がどんな感じか分からないし、謎が多い。だけど、彼が出不精なことはよく知っている。


 私のことを見つけても、白露さんはさして興味がなさそうだった。


「別に貴方を迎えにきたわけではありません。何となく、散歩したい気分でしたので」

「そうですか。もうお店に戻りますか? それとももうちょっと散歩します?」


 白露庵には、開店時間も閉店時間もない。白露さんの気分で開いたり閉めたりする。自由な店だ。

 白露さんは金色の瞳で遠くを見つめながら、静かに頷いた。


「店に戻りましょうか。雨も降り始めたようですし」


 言われて空を仰ぐと、太陽が出ているのに細い雨がしとしとと降り出していた。


「天気雨……こういうの、狐の嫁入りって言うんでしたっけ。雨なんて、珍しいですね」


 こちら側にいる時、雨が降るのを見たことはほとんどない。

 白露庵の周囲の気候は安定しているから、てっきり雨など降らないのだと何となく思い込んでいた。

 私は白露さんの隣に並び、彼を見上げながら声をかける。

 私の顔は、ちょうど白露さんの肩くらいの位置にある。白露さんは相変わらず着物姿で、ゆらりと歩いていた。

 光で銀色に輝く髪の毛が、綺麗だと思う。


「今日はどんなお客様が来るんでしょうか?」

「さて、どんなお客様でしょうね。でも雨が降り始めましたから、もしかしたら今日は誰も来ないかもしれません」


 白露さんの言葉には、何か含みがあるような気がした。


「そんなこともあるんですか?」

「さて、どうでしょう?」


 こうやって質問をかわされるのにも、もう慣れた。

 白露さんの真意が分からないのは、いつものことだ。



 店につくと、私はいつものように和風の制服に着替え、店の掃除をする。

 毎回慣れている作業なので、十五分くらいであっという間に終わってしまった。

 掃除は好きだ。

 別に掃除をしろと言われたことはないし、そもそも毎日店に来いと言われているわけでもない。むしろ「そんなにしょっちゅう来なくてもいいんですよ。暇なんですか、あなたは」なんて言われてしまう。

 それに友達にはバイトだと言ったけれど、別にここで働くことで、お給料を貰っているわけでもない。完全に私の趣味のようなものなのだ。

 多分白露さんに「もう来ません」って言っても、平気な顔で「そうですか」って言われて、引き止められもしないだろう。そうなるのは悲しいしちょっと悔しいので、二度と来るなと言われるまではしつこく通うつもりだ。


 白露さんは店の表にある長椅子に座って、雨が降る様子をしっとりと眺めている。

 今は誰もいないので、ふわふわの大きな白い尻尾と白い狐耳も出しっぱなしだ。

 それに触ると、ぬいぐるみなんかよりももっとやわらかくて気持ちがいいことを、私はよく知っている。

 触ってみたいなぁ、でもダメかなぁ、とうずうずしながら白露さんに声をかけた。


「お客さん、来ませんねぇ」

「だから来ないかもしれないと言ったでしょう」

「白露さん、何か飲みますか?」


 問いかけると、白露さんは嬉しそうに唇を持ち上げた。


「おや、珍しく気が利きますね。それでは、梅昆布茶を作ってくれますか?」

「はい、分かりました」