ノートは、立樹くんが図書室から持ってきてくれた。
ベンチにふたりで座ると、彼は新しく描いた絵を見せてくれた。
白鳥が、シベリアの上空を悠々と飛んでいる絵。
夕焼け空が本当に綺麗で、毎回感動している私がいる。
「ありがとう。
白鳥の表情がすっごくすてきだね」
私がそう言って足をパタパタさせると、彼も嬉しそうだった。
それから私は、彼にあの奇妙な夢のことをゆっくりと話した。
彼は私の遅い口調に苛立ったりせず、
興味深そうに何度も頷きながら話を聞いてくれた。
それが、なにより嬉しかった。
彼は、女の子の私が男子高校生になる夢を見たと言っても全然驚いていなかった。
もしかして彼も、夢の中で性別の違う自分になったことがあるのかもしれない。
その頃の私は、夢の中でサッカーの合宿に行っていた。
合宿中、初めて試合でゴールを決めて自信をつけていた。
そして合宿から帰ってきた翌日、あの女の子と会う約束をしていた。
ゴールの報告をしようと意気揚々と公園に向かうのだが、女の子はそこには現れなかった。
私は、もう彼女に会えなくなるのではないかと不安になった。
代わりに、以前も一緒に絵を描いた男の子から彼女の伝言を聞くことができた。
彼女から預かっていたというノートも見せてもらうことになる。
伝言は、『約束を守れなくて、ごめん』と、
『私の今の居場所は、あなたなら自分で気付けるはず』
というものだった。
どういうことだろう? そう思いながら、ノートを受け取るところで夢は終わってしまった。
そのノートの表紙には、【だれかの】と書かれていた。
この物語のタイトルを女の子から聞いたことはなかったけど、これが題名なのだろうか。
日比野くんと私が書いたものと同じ言葉で、本当に驚いた。
* * *
そんな夢を見た翌日、事件が起きた。
昼休み中、私がお手洗いから教室に戻るとき、教室の中がなにやら騒がしくなっていることに気が付き、速足で教室に向かう。
嫌な笑い声が聞こえるので、誰かがからかわれているのでは、と思った。
しかし入口から見た光景は、私の想像を超えていた。
「なあなあ見ろよこれ。図書室の本棚に反対になって入ってたんだけどよ」
「どれどれ? ……なんだか絵本みたいだな」
「タイトルは【だれかの】? 変なの!」
「誰だよ、自作の絵本なんて、ださいよな」
ギャハハハ、と下品な笑い声が教室に響く。
そうやって話す男子たちの手には、案の定、私たちの【だれかの】と書かれたノートが握られていた。
彼らは、私をいじめていた人たちだった。
私は教室のそんな状況に、愕然とした。
怒り、悲しみ、そして悔しさ。
いろんな思いが渦巻く。
男子たちは、回してそれを読んでは、大笑いをしていた。
……私がいじめられたり馬鹿にされるのは、いい。
実際、私は物語を読むことしか能のない人間だ。
でも、彼は違う。
いじめに困る私のことを助けてくれる優しさがあるし、彼が描く絵には見る人を幸せな気持ちにする力がある。
それ以外はちょっと不器用なところがあるけれど、それが彼のよさでもある。
その絵を描き始めたときだって、きっともう私の物だってことには気付いていたはずだ。
それをわかって、私に理解者がいるんだよというメッセージを伝えるつもりで描いてくれたんだ。
その気持ちに私は気づいていた。
立樹くんがいたから、私は心が折れることなく、学校に来れた。
それなのに……。
そんな大切な、立樹くんの絵を、馬鹿にするなんて、許せないーー
「やめろっ!」
私が発した言葉ではない。
でも、その言葉は、私の心そのものだった。
怒りに震え、でもどうすることもできずに入口で立ちすくんでいた私の背後から聞こえた、とても大きな声だった。
教室が、一瞬でしん、と静かになる。
振り向くと、そこには立樹くんがいた。
いつもの穏やかな顔ではない。
全身を震わせ、口は一文字に閉じられている。
その様子から、彼が私と同じ気持ちでいることがわかった。
ーー許せない。絶対にーー
その姿を見て、私の目からは自然と涙があふれた。
きゅっと胸が苦しくなって、私は膝から崩れ落ちた。
「なんだあ、立樹。もしかして、お前が描いたのか? これ、おもしれーな!」
ノートを持っている、体の大きな男子が口を開くと、周りの男子もまた騒ぎ出した。
彼の言う『おもしろい』は、明らかに褒め言葉ではない。
馬鹿にしているのだ。
ーーその瞬間。
「返せっ!」
……彼が。あの立樹くんが、身体の大きな男子に強烈な体当たりをしていた。
誰もが、目を疑った。
もちろん、私も。
体当たりされた男子も。
不意をつかれた彼は、あお向けにひっくり返った。
勢い余った立樹くんもそれに覆いかぶさり、ノートにしがみつく。
「なにすんだ……よっ!」
大柄の男子は、仰向けのまま立樹くんを思い切り殴った。
ごん、と鈍い音がする。
彼のかけていた眼鏡が宙を舞い、カシャンと音を立てて落ちた。
私は、思わず目を覆いたくなった。
しかし、私が目を背けちゃいけない気がした。
殴られても、彼の細い腕はノートから離れていなかった。
「かえ……せぇっ!」
また、叫ぶ。
叫びながら、殴られながら、彼はノートにしがみついている。
でも、体格差がありすぎる。このままでは危ない。
自分はどうなってもいい。
そう思って止めに入ろうと思った瞬間、彼が思いもよらないひとことを叫んだ。
「これは、僕らの宝物なんだっ!」
その言葉を聞いたとき、じん、と熱いものが込み上げ、私の視界は涙でいっぱいになった。
それと同時に、私先生が駆け込んできた。
「やめなさいっ!」
歪んだ視界で、彼は先生によって男子から引き剥がされていた。
手には、あのノートがしっかりと握られている。
それを最後に、私は前を見ることができなくなり、手で顔を抑えて泣き崩れた。
「なんだあ、立樹。もしかして、お前が描いたのか? これ、おもしれーな!」
ノートを持っている、体の大きな男子が口を開くと、周りの男子もまた騒ぎ出した。
彼の言う『おもしろい』は、明らかに褒め言葉ではない。
馬鹿にしているのだ。
ーーその瞬間。
「返せっ!」
……彼が。あの立樹くんが、身体の大きな男子に強烈な体当たりをしていた。
誰もが、目を疑った。
もちろん、私も。
体当たりされた男子も。
不意をつかれた彼は、あお向けにひっくり返った。
勢い余った立樹くんもそれに覆いかぶさり、ノートにしがみつく。
「なにすんだ……よっ!」
大柄の男子は、仰向けのまま立樹くんを思い切り殴った。
ごん、と鈍い音がする。
彼のかけていた眼鏡が宙を舞い、カシャンと音を立てて落ちた。
私は、思わず目を覆いたくなった。
しかし、私が目を背けちゃいけない気がした。
殴られても、彼の細い腕はノートから離れていなかった。
「かえ……せぇっ!」
また、叫ぶ。
叫びながら、殴られながら、彼はノートにしがみついている。
でも、体格差がありすぎる。このままでは危ない。
自分はどうなってもいい。
そう思って止めに入ろうと思った瞬間、彼が思いもよらないひとことを叫んだ。
「これは、僕らの宝物なんだっ!」
その言葉を聞いたとき、じん、と熱いものが込み上げ、私の視界は涙でいっぱいになった。
それと同時に、私先生が駆け込んできた。
「やめなさいっ!」
歪んだ視界で、彼は先生によって男子から引き剥がされていた。
手には、あのノートがしっかりと握られている。
それを最後に、私は前を見ることができなくなり、手で顔を抑えて泣き崩れた。