人は私のことを一人でなんでも我慢しすぎだという。
けれどそれはなんとなく違うように思う。
私は家族や友人がいる。支えてくれる人がいる。
だからこうやって失敗しても、何度でもやり直すために走ることができる。
私は一人じゃない。
正智さんも、京都に来てくれた時はこんな気分だったのだろうか。
私を失うかもしれないと、焦燥感に駆られながら、羽澄のビルを駆け上がったのだろうか。
(高嶺がいない世界?)
莉央は想像してみる。
確かに高嶺がいなければ悩まないでいられるかもしれない。
どうでもいいようなことで嫉妬して苦しんだり、しなくてもよくなるかもしれない。
けれど今の莉央に、高嶺のいない世界などありえないのだ。
そして結局のところ、こんな風にバカみたいに泣いて走らなければいけないのは、全部自分が素直になれないせいなのだ。