晴ヶ丘高校洗濯部!





「一年生の戸田葵(とだあおい)です。今日からおせ、お世話になりますよろしくお願いします……」


噛んじゃった、という恥ずかしさで最後のほうはもごもごと消えるように言った。

長く伸ばした前髪で自分を隠しながら、様子を窺っていれば、特に気にした様子もなく笑いかけてくれる先輩二人。


「葵ちゃん。よろしくね」

「よろしく葵! 期待してんぞ!」


その屈託のない笑顔に、ようやく緊張が解けていくような気がして、私もぎこちなく口角を上げた。


「ということで、洗濯部はついに部員が四人になりました! 乾杯!」

「え、あ、か、乾杯」


突然グラスを持ち上げてそう言った日向先輩。遅れて私もグラスを持ち上げ、コツンと日向先輩のそれとぶつける。


「喜ぶようなことなのかしらね」

「何言ってんすか紫苑先輩、仲間が増えたんだから喜ぶべきだろ」

「あんたは相変わらずね」


呆れたように溜め息を吐いて、紫苑先輩は頬杖をつく。気だるげな仕草も絵になるのは、その美貌からだろうか。

オレンジジュースの入ったグラスの周りには結露がついていて、そっとなぞると指に水滴がついてきた。

日向先輩は仲間について何やら熱く語っている。海賊王になりたい少年も火影になりたい忍者も仲間は大切にしてきたんだとか。

どんどん論点がずれていく話を半分聞き流しながら、私は前髪の隙間からちらりと窓際へ視線を向けた。






私たちと離れて窓際にいる真央くんは、パイプ椅子の上で三角座りをしながら、膝の上で器用にスケッチブックを広げていた。

シャッシャッと鉛筆が音を立てている。鉛筆を持つ手は左のようだ。

明らかな拒絶をされたあとだから、その瞳がこちらを向いていないことにほっとする。スケッチブックへ熱視線を送る真央くんの姿に息を吐いて、私はゆっくりと視線を戻した。



「そういうわけで葵、分かんないこととかあったら、遠慮せず聞いてくれ!」

「え!? う、えと、……はい」

「初歩的なことでも何でもいいからさ、どーんと来いよ!」


そう言って日向先輩は目尻に皺を作る。仲間云々の話はここに行き着いたらしい。紫苑先輩は飽きたみたいで、枝毛探しをしていた。

人懐こい笑顔を向けられて落ち着かないような気持ちになって、視線をオレンジジュースの入ったグラスに落とす。が、そのあとすぐに一番聞きたかったことを思い出して、パッと顔を上げた。


「あ、あの、じゃあ、早速なんですけど」

「おう、何だ!?」


嬉しそうに身を乗り出してくる日向先輩。その生き生きとした表情が眩しい。

私はその眩しさに目を細めながら、ずっと気になっていたことを口にした。









「“洗濯部”って何ですか!?」




ぽかん、と。

私の問いかけに、日向先輩は口を開けて固まった。










5月9日 晴れ




春の紫外線が一番危険だって言ってんのに、日向は関係なしにこき使ってくる。

今日で絶対焼けたわ。最悪。



紫苑











放課後のグラウンドは賑やかだ。

堅苦しい授業で凝り固まった体を解放させるかのように生徒は動き、各部活の様々な音が行き交っている。

たまに吹き抜ける風が涼しい。晴れた青空の下。


私は色んな意味で顔を強張らせていた。



「サッカー部野球部ラグビー部、その他汚れた物があるみなさん! こんにちは、洗濯部です!」

「ちょ、ちょっと待ってください先輩……! こ、これは何の罰ゲームですか?」


意気揚々と先頭を歩く日向先輩。その背中に引っ付きながら声をかけると、何言ってんだ、と不思議そうな声が返ってきた。


「見りゃ分かんだろ。部活だよ」

「いやいやいや、え、えっと、え?」

「どうもみなさんこんにちはー! 汚れた物はありませんか! 洗濯部です!」


困惑する私を放ったらかして日向先輩は声を張り上げる。

嘘だろ、と思いながら後ろを振り向けば紫苑先輩。


「し、紫苑先輩、……日焼け対策ばっちりですね」

「五月の紫外線って油断できないのよ。だから私は部室で待ってるって言ったのに」


そう言って不貞腐れている紫苑先輩はよっぽど焼けるのが嫌らしく、日傘を差してサングラスをしていた。

ちなみにさっき五号館二階の空き教室――部室を出る前にはSPF50+の日焼け止めを塗りたくっていた。

意識の高さに恐れおののいていると、ハッとしたように紫苑先輩は後ろを向く。


「ちょっと真央くん、自分だけ逃げようとしないでくれる?」

「……」


紫苑先輩に首根っこを掴まれて、ちらりとこちらを見た真央くんは、面倒くさいというオーラを全身から醸し出している。

眉間に皺を寄せて、不機嫌そうに口をへの字に曲げていた。






「い、いつもこんな感じなんですか?」


真央くんの腕を引っ張りながら歩く紫苑先輩に問いかければ、頷きが返ってくる。


「そうね。活動としては運動部の練習着やユニフォームの洗濯がメインかも」

「な、なるほど。じゃあ文化部とはあんまり関わらない感じですか……?」

「あんまりっていうか、全く関わらないわよ。洗濯するもの無いし」

「そ、そうですか……」


その答えにほっと息を吐いていれば、不思議そうに紫苑先輩が首を傾げた。


「あ、いえ、ちょっと特に意味はないんですけど」

「そう? ならいいけど」


へらりと笑って曖昧に受け流す。と、不意に感じた視線。

そちらへ顔を向けると真央くんがじっと私を睨むように見ていた。

私の心を読んでいるような、探るようなその目つきに背中がぞわりと震えた。


「あ、保健室のものを洗濯することもあるかな」

「え? あ、そ、そうなんですか?」


真央くんからパッと視線を逸らし、紫苑先輩を見上げる。

真央くんはまだ私のほうを見ているような気がしたけれど、その視線から逃げるように紫苑先輩を見た。







「うん。養護教諭の古賀ちゃんって分かる?」

「養護教諭、……魔女先生ですか?」

「あ、知ってるのね」


紫苑先輩はくすくすと笑いながら、そう、と頷く。

噂話に疎い私でも知っている養護教諭の古賀先生。見た感じ若い女の先生だけれど、実は随分長い間この学校の保健室にいるらしく、年齢不詳だそうだ。

ふわふわと優しい雰囲気の古賀先生は、一部の生徒から魔女先生と呼ばれている。


「古賀ちゃんね、うちの部の顧問みたいな感じで、まあ結構様子見に来てくれてて」

「へ、へえ」

「だから保健室のものもたまに洗濯してくれって押し付けてくるのよ。それで……」


「ちょっと! いつの間にみんな消えてんだよ!」



紫苑先輩の言葉を遮るように聞こえた、大きな声。

聞き覚えのあるその声に振り向くと、すでに一人で突き進んでいたらしい日向先輩が、顔を赤くしながら私たちのほうに戻ってくるのが見えた。

話し込んでいてすっかりその存在を忘れてしまっていた、と思いながらちらりと紫苑先輩を見ると、あーはいはいと気の抜けた返事をしていた。どうやら、こういうことはよくあるらしい。


「まったく、洗濯物取りに行くだけですげー時間かかるじゃねーか」

「まあまあ」

「お願いだからついてきて!」


なだめるように笑う紫苑先輩と、不服そうな日向先輩。

二人の様子を交互に見やって、戸惑いながらも今度こそ日向先輩の後に続いてグラウンドを歩いた。








「ラグビー部さんこんにちは! 洗濯部です!」


まず初めにやって来たのは、ラグビー部のところ。

日向先輩が元気よく挨拶をすれば、ちわーっす、と野太い声が束になって返ってきた。

ぞろぞろとこちらに歩いてくる部員は、みんな揃ってガタイがいい。むわっと熱気のようなものが押し寄せてくる。

あまりの迫力に思わず後ずさりすると、トンと背中が何かにぶつかった。


「あ、すみませ……」

「……」


振り向けば、私をじっと見下ろす美青年。真央くんである。

その色素の薄い瞳が何の感情も表していないことに気付いて、慌てて距離をとり、ぺこりと頭を下げる。


「……す、すみません」

「……」


もう一度謝ると、興味なさげに視線が逸らされた。

よかった、と胸を撫で下ろしていれば、日向先輩がラグビー部の部長さんらしき人と話をしているところが視界に入った。


「よお、いつも悪いな。そこにある分頼んでいいか?」

「任せとけ! 新しい部員も入ったから、こんぐらい超余裕」

「新しい部員?」







不思議そうに首を傾げた部長さんに、日向先輩が私を見る。その視線を辿るように部長さんは私を見て、おお、と声を上げた。

どう反応するのが正解なのか分からず、とりあえずぺこりと頭を下げた私に、日向先輩は満足げに頷く。

部長さんは、ふむふむ、と頷きながら私をまじまじと見る。これ以上どう反応すればいいか分からなくて視線を落とした。


と、そのとき。



「紫苑さん今日も美しいっす!」


ひときわ大きくて野太い声が耳に飛び込んできた。

反射的に顔を上げて声がしたほうを見れば、紫苑先輩を囲うように数人の部員さんが立っていて。


「ありがとう、みんなも練習お疲れさま」


サングラスを外して、にこりと笑った紫苑先輩。顔の傾き加減が絶妙で、黒髪が流れるように肩から落ちる。

笑顔を向けられた部員さんたちはみんな照れたように笑って頭を掻いていた。


「す、すごいね紫苑先輩の人気……」

「……」


呆気にとられて、思わず隣に立っていた真央くんに話しかける。

が、もちろん返事はない。ちらりと私を見下ろして、真央くんはまた興味なさげに視線を逸らしていく。

予想通りの反応に、もはや削られるメンタルもない。








「よし、じゃあそろそろ次行くぞ! 真央これよろしく……ってどうした、また喧嘩か?」


にこにこと笑顔を振りまきながら戻ってきた日向先輩は、私たちの間に漂う微妙な空気に首を傾げる。


「け、喧嘩はしたことないです……」


というより相手にされていないと思います、と心の中で付け足して答える。

真央くんにビブスが入ったかごを渡しながら日向先輩は意外そうに、へえ、と呟いた。

どっさりと洗濯物が入ったかごを押し付けられた真央くんは、眉間に皺を寄せてすごく嫌そうな顔をしていた。


「紫苑せんぱーい! 次行きますよ!」


呼ばれた紫苑先輩は、いまだラグビー部の部員さんに囲まれている。ガタイが良い部員さんの隙間から、ぽつりと日傘だけが見えていた。


「おーい、次行くってばー! 時間無いんすよ!」


日向先輩はそう声を掛けるけれど、届いているのかいないのか。紫苑先輩がこちらに来る気配はない。

ここから呼んでも無駄だと思ったのか、もう、と言いながら日向先輩は紫苑先輩を囲む集団のほうへと足を向ける。

それに付いて行くべきか迷ったけれど、動く気配のない真央くんにつられて私もここにとどまることにした。