「まだ早い。早すぎる。本当は俺の役割なんだけど……やってみるか颯大?」
おじさんは真剣に言い
凪子の腕を引っぱり自分の胸に入れ
綺麗な髪を無造作に上げ白い首筋を俺に見せる。
俺は白いうなじをジッと見つめる。
凪子は静かにうなずき
おじさんの腕の中で目を閉じた。
俺は一歩凪子に近寄り
その首筋に唇を重ねた。
凪子の香りがする
柔らかく
なめらかな肌。
凪子の身体が一瞬ピクリと動き
俺はその瞬間
獲物を捕らえるように
彼女のうなじに歯を立てる。
身体の奥から
わからないくらいの力がみなぎり
血液が逆流したように
頭がカーッと熱くなり
目がチカチカして
口の中に違和感を感じた。
奥の方に
牙が
生えてる。
鋭い牙が凪子の首筋に刺さり
凪子の身体が堅くなる。
ごめん
痛そうだ。
でも彼女の身体をいたわる余裕が俺にはない。
凪子の首筋から流れる赤い滴。
大切に
一滴残らず俺の中に入れたい。
口の中が甘く痺れ
頭の中が舞い上がり
心臓がバクバクする
官能と快楽
全てが満ち足りていた。
夢中になってると
「颯大!」
怒鳴られて
思いっきり頭を殴られ現実に戻る。
「殺したいのかこのバカ!初心者飛ばしすぎだろ!」
智和おじさんに怒られ
凪子から口を離すと
凪子は青ざめた顔で俺の腕の中に崩れた。
「凪子?」
名前を呼ぶと
彼女はうっすら目を開く。
「ありがとう」
凪子はそう言い
本当に
これまで見た事のないくらい
幸せそうに微笑んで
もう一度
目を閉じた。
あれから
月日は流れ
もう誰も
須田兄妹の事は
忘れてしまっているだろう。
須田海斗は
ドロン山へ行き
行方不明。
須田凪子は
家に帰る事になり
引っ越しをして
俺達の町から去って行く。
あの後
凪子をおじさんの家である
町の診療所へ運んだ。
「一週間ほど体調が悪くなるけどすぐ慣れるから。こっちからプルミルを送るので週に2つは必ず飲む事。いいか?必ずだぞ」
智和おじさんにきつく言われて
凪子は診療所のベッドの中でうなずいた。
「五年離れろ」
おじさんは俺にそう言った。
「きっと彼女に会うと我慢できずにまた血を吸ってしまう。その若さで血の味を覚えたら、プルミルの効果はない。そうなると限度がわからず必ず彼女を殺してしまう。五年間は連絡を取らないで頑張れ」
「そんな事は……」
「俺がそうだった」
イケメン医師の独身の理由を知る。
智和おじさんは
俺みたいに
この町以外の子で
好きな女の人がいたけれど
自分で彼女の命を奪ってしまったのだろう。
そう言われて
俺は何も言えなくなり黙りこむ。
そして
凪子はこの町を去り
俺達は
離れた。
松本は一ヶ月後
元気に学校へやって来た。
パックリ割れて
骨まで見えた彼女の頬の傷は
ウソのように無くなっていた。
どこにもない
全然ない。
「ちょ……マジかよ」
じっくり顔を見ていたら
「やめてよ颯大!」って明るく答える。
でも
その明るさは
どこかぎこちなく
周りのみんなより
一歩先に大人になった笑顔だった。
俺と七瀬と松本は
先に真実を知った
でも
高校卒業まで
周りの友達には何も言わない
それが
この町のオキテだから。
七瀬は俺達三人の中では一番ダメージがあって、色々と大変だったけど家族のサポートで立ち直る。
自分だけじゃなくて
俺と松本の存在も大きかっただろう。
実際
俺もそうだから。
ウサギ殺しと松本の頬を斬りつけた事件は、松本の証言から須田海斗の仕業とみんなに公表する。
須田凪子は須田海斗を説得して
自分が犠牲になり
事件を起こさないようにしていたって……俺と松本と七瀬はみんなにそれも言っておいた。
全部悪いのは須田海斗
そして奴はドロン山に行って行方不明。
おしまい。
制服が夏から秋になり
乾いた風が山から降りてきて
野々村商店前で食べるおやつが
ガリガリ君からあんまんに変わる。
「日が短くなってきたね」
星座はもう秋で
部活の帰り
七瀬と並んでチャリで帰宅。
商店街の入口で
カンスケさんに深く頭を下げる。
「うちらさぁ」
七瀬がクスクス笑う。
「前より深々とカンスケさんに頭下げてるよね」
思わせぶりにそう言って「あーぁ」と大きな声を上げた。
「何だよ?」
「別に」
「ふーん」
「ムカつく返事だなぁ」
「お前が先に言ってんだろ」
「颯大可愛くない」
くだらない会話をして歩く俺達。
そのくだらなさが
平和って事なんだよな。
しばらく何も話さず歩いていると
「あの子のね……」
七瀬は急に話始める。
「あの子の靴を隠したの私なの」
凪子の靴か
そういえば
よく無くなってたらしい。
凪子と過ごした時間
一度だけそっと重ねた唇
この夏の出来事なのに
全てが夢の出来事……そんな気がする。
「私。あの子が颯大と仲良くしてたから、嫉妬してあの子にイジワルしてた」
「うん」
「悪かったって反省してる」
「うん」
「今度会えたら……謝りたい」
「……だな」
今度
いつ会えるんだろう。
俺は高校卒業後
町の商工会にすぐ就職し
町に残った。
この町が裕福なのを
給料をもらって理解する。
ハンパないぞ
この初任給。
大学へ行くのも考えたけど
父親のコネもあり
商工会で二名の募集をしてたので
試験を受けると合格し
そちらへと進む。
例の話は
高校の卒業式が終わり
役場の人が来て俺達に話をし
家に帰ってから
祖父に聞く。
「呪われた血と思わないでほしい」
そう言われて
しっかり心に刻み込んだ。
他のみんなも
素直にそれを受け入れる。
それが俺達の運命
この町に生まれた俺達の
逃れられない運命だから。
大学へ進む友達も多いけど
地元に残り
親の職種を継ぎ
町に就職する奴らも多かった。
そして
大学へ進んでも
リターン組が多いのがこの町の特色だった。
若者の働く場所がなければ
考えて作ればいいだけ
パンがなければ
お菓子をお食べ……そんな金持ちの町だから。
七瀬は町を離れた。
心配する家族を説得し
町から離れ短大へと進み
航空会社へ入社して大きな空港のグランドスタッフとして働く。
「ハリウッドスターを空港で見たんだけど、プルミル飲んでた」
去年集まった
初めてのクラス会でそんな発言をし、みんなに『ないわー』ってツッコまれてたけど
広い世界で
この町と同じような町があって
俺達と同じような奴らがいても
不思議じゃないだろう。
松本も町から出た。
そして
雑誌の表紙を飾るモデルになった。
今はモデル事務所に入り
忙しい毎日を送ってるらしい。
頬の傷はもちろんない。
ツィッターで『うちの町の特産物』って、冷蔵庫に山ほど入ったプルミルを宣伝していた。
おい
いいのか?
まぁいいか
普通の人が飲んでも害はないから。
そういえば
凪子も美味しいって飲んでたのを思い出す。