ご懐妊!!2~俺様上司は育メン愛妻家になりました~

「育児って難しいね。想像してた100倍くらい大変」


「そうかも。痛い出産を終えたのに、真の大変さはその後に控えていたのよね」


私たちはふーっとため息をついて、お茶を飲んで別れた。
週二回の産後クラスに一緒に行く約束をして。




*****




その夜、私はお風呂の後に早速ミルクの準備をしてみた。

缶ミルクを開けるのは思いとどまり、試供品でもらった粉ミルクをお湯で溶かす。
そして、ボウルにはった冷水で人肌に冷やす。

むむ、この調乳という作業。
結構、面倒くさい。

ミルク育児のママは夜中にこれをやるのか。
それも大変そうだ。
「みなみ~、さあ寝る前にこれを飲んでみよっか~」


私は哺乳瓶を振り振り、みなみに歩み寄る。

みなみは一重の目でぎろりと私を睨む。
怖いよ、アナタ。
もうちょっと可愛い顔しなさいよ。

抱き上げて、みなみの口に哺乳瓶の乳首をきゅむっと入れる。


さあ、ゴックゴク飲みたまえ!


しかし、みなみは口からぼろりと乳首を押し出した。


「あれ?」


全然飲んだ気配ないけど。
私は哺乳瓶を持ち上げ、ミルクの減り具合を確認するけれど、さっぱり減ってない。


「うーん、もう一回ね」


私は再び、みなみの口に哺乳瓶の乳首をくわえさせる。
今度は、はっきりとみなみが嫌な顔をした。
そして、小さな舌と一緒に乳首を外に押し出す。

「え~?なんで~?飲もうよ、みなみ~」


どうやらみなみは、哺乳瓶の乳首を「ごはん」と認識しなかったみたいだ。
感触が違うのと、味も違うみたい……。

産院を退院して以来、ミルクを与えなかったから、哺乳瓶を忘れちゃったんだ……。

そうこうしているうちに、みなみが怒りだした。
彼女からすると、お風呂あがりにもらえるお楽しみのおっぱいをもらえず、変なものを口に押し込まれている現状。
怒る理由は揃っている。


「あっぎゃあああああああああ!!!ふぅぎゃああああああ!!」


私はがっくりと肩を落として哺乳瓶をローテーブルに置く。諦めて、みなみに授乳した。

はー、大きなミルク缶の封を切らなかったことが、せめてもの救いだわ。







土曜のイレギュラー出勤から帰ってきたゼンさんは、ダイニングで遅めの夕食を摂っていた。
私はお向かいでみなみを抱っこしてゆらゆらしている。

寝かしつけを兼ねているんだけど、かれこれ一時間、うとうとしては起きるので、スリングに入れてしまった。

スリング好きのみなみは結構すぐに寝てくれる。
しかし、スリングから出してベッドに置くのがまた一苦労なんだよね~。
温かくホールドされたスリングから外界に引きずり出されるその瞬間、みなみが目覚めるリスクは高い。

なので、寝かせに行くタイミングを図りつつ、眠りを深くしようとゆらゆらする私。


「明日はお誕生日だね、ゼンさん」


私が言うと、ゼンさんがうんうんと頷いた。ごはんが口いっぱいで頷くしかできなかったのだ。


「料理、腕によりをかけるから!」


結婚して初めてのバースデーだ。
みなみは2ヶ月だし、遠出はまだ難しそう。
プレゼントも、買いにいけてない。

代わりに料理くらいは頑張らなきゃ!

格別料理上手ってわけではないけど、ゼンさんの喜ぶ顔を見たいもん!
いでよ、クックパッド!

私とみなみが退院してきた時は、ゼンさんがごちそう作ってくれたんだし。やっぱ、ささやかでも愛を表現しやすいのは手料理だよね。


「そっか、じゃあ買い物行かなきゃだな」


「そうだね、ゼンさんが車出してくれると助かるかなぁ」


「佐波、おまえひとりで行ってくるか?」


私はゼンさんからの思わぬ言葉に驚いた。

ひとりで買い物?


「え?だって、みなみは?」


「俺が見てる。その間、おまえが買い物してこいよ。荷物が多いようなら車を使えばいいし」

えー?いいの?いいの?
ゼンさん見ててくれるの?

でも、ゼンさんだって今日は土曜出勤だったし、疲れてるよね。しかも誕生日にみなみと留守番なんて、すっごい苦行になっちゃわない?


「お義母さんが帰ってから、佐波もみなみと離れる時間がないだろ?たまにはひとりの時間を楽しんでこいよ。といっても買い物程度で悪いけど」


「ううん!それはいいけど、ゼンさん平気?」


「ミルクも準備しておくし、二時間くらいならギリギリもつんじゃないか?」


確かに……。
母が帰ってから、私はみなみとべったりだった。
どんなに疲れても、眠くても、赤ちゃんは待ってくれない。
みなみのペースで授乳して、抱っこして、オムツ替えて……。

正直な話、「ちょっとくらい別々に過ごしたい!」とは思っていた。

もちろん、そんなことを考えてしまう自分に自己嫌悪を感じ、実質的に離れる環境もないから、毎日のお世話に追われるばかりだった。

だから、ゼンさんの申し出は涙が出るくらい嬉しいんだけど……。


「ホントに……いい?」


「いいって言ってるぞ。どうせなら、買い物ついでにお茶でも飲んで休憩してこい。そのくらいの時間、俺がどうにかする」


ゼンさん……、嬉しいよう……。


私は感動とともに、俄然ワクワクし始めた。

やった!ひとりで買い物!
当たり前のことがものすごいイベントに感じられた。

翌日午前10時、私は買い物に出発した。

色々考え、買い物は近場の小さいスーパーで済ませ、帰りに軽くお茶を飲んでくることにする。
すべての行程は徒歩だ。

少し離れたのスーパーの方が大きいし、食材も豊富だ。しかし、問題点もある。

まず、車の運転が不安だった。
私、ペーパーなんだもん。
しかも、この辺は新宿に近い住宅地。いざ大きな通りに出ると車がビュンビュン飛ばしている。交通量も多くて、田舎で免許を取った身には怖いんだよ~。
寝不足だし安全な方がいいよね!

さらに、近場で徒歩の範囲なら、最悪みなみが泣き止まない場合、ゼンさんがベビーカーで出動すればいいのだ。
そして、買い物orお茶中の私と合流&授乳。

この作戦なら、無理なく私も出かけられる。


出がけのゼンさんは自信満々だった。

みなみを抱いて、絶対大丈夫だからゆっくりしてこいと言ってくれた彼。
頼もしいと思いつつ、一抹の不安を拭い去れない私。

ともかく、私は念願の一人旅に出発したのだった。
「気持ちいいな~」


10月の頭の日曜日は、秋晴れの美しい日だった。
街路樹は少し色をつけ始め、どこからかキンモクセイの匂いがする。

ゼンさん、すごく良い時期に産まれましたねぇ。
私は心の中で呟く。
きっと、ゼンさんが産まれた日もこんな綺麗で清々しい日だったんだろうな。

ゼンさんのお母さんのことが浮かぶ。
みなみがもう少し大きくなったら、お母さんに見せに行きたい。
お母さんは、すでに色々なことがわからなくなっている。でも、妊娠中に会った時、お腹のみなみにだけは反応を見せてくれた。

会いに行きたいな。
もしかすると、欠片でも今のゼンさんを思い出してくれるかもしれない。