「そうよ、ここにいるママはみんな赤ちゃんにおっぱいあげてるの」
お隣のママは落ち着いた声で優しく言う。
私だったら「お隣をじろじろ見るんじゃありません!」って言っちゃうかも。
「ママもたろちゃんにあげてるもんねー」
女の子はにこっと笑い立ち上がると、ママの腕の中の弟をつっつく。
「なおちゃんも昔飲んでたわよ」
「知ってるよ。おいしーって飲んでたよ」
私は何となく、そのやりとりを見つめてしまった。
すると、ママの方と目が合う。
その人がにっこり笑った。
「女の子ですか?」
話しかけられ、私はびくっとする。
慌ててうなずいた。
「はい。一人目です。お二人目ですか?」
「三人目なんです。上の子は小学生」
そのママは化粧っけが薄く、私より年上のようだった。
髪はひとつに束ね、私とたいして変わらないチュニックとレギンス。
だけど、なんていうか……、
綺麗だった。
ニコニコ笑う顔も、上の子に話しかける姿も、
セレブなママに負けないくらい綺麗だった。
子育ての余裕?
三人目だから?
いや、きっとこの人は子育てを楽しんでいるんだ。
だから、飾らなくてもキラキラしてる。
私、ボロボロだ。
娘に振り回されて、余裕もなく、時間もなく……。
「ベテランのママが羨ましいです……」
思わず、本音がもれた。
だって、同じ月齢の子どもがいるのに、全然違う。
今の私、きっと育児を楽しんでなんかいない。
「いやぁ、私は適当なんです。一番上の子は百日咳に、熱性けいれんに色々大変でしたけど、二人目も三人目も手間がかからない子で、楽させてもらってるというか。手抜きばっかりですよ」
「そういうものなんですか」
「きっと、そうですよ。私、上の子の育児はいまだに『大変だった』って思い出しかないですもん」
そうなんだ……。
私だけじゃないんだ。
少し安心。
その後呼ばれた診察は、みなみに異常もなく、あっという間に終わった。
私とみなみはベビーカーで帰宅した。
はー、疲れた。
私は家で再びみなみに授乳しながらため息をついた。
でも、先輩ママの話を少し聞けてよかったな。
最近は責任感だけで育児をしていたけど、もうひと頑張りしてみよう。
ありがたいことに、みなみは健康に3ヶ月を迎えているんだもん。
最近、私はみなみとの散歩を頑張っている。
といっても、みなみはベビーカーか抱っこひもの中なので、私が歩き回ってるんだけど。
近所の公園や、もう少し先の巨大な公園。歩き回っては、ベンチでみなみを膝に降ろす。
冷たい秋の風や落ち葉を見せ、返事はこなくても一生懸命話しかける。
思いきって電車に乗って、新宿のデパートめぐりもやってみた。
デパートは便利だ。
授乳室が必ずあるし、広くて目まぐるしく光景が変わる。買わなくても、私も楽しい。
アフタービクスも積極的に行くことにした。
少し遠いけど、抱っこひもにみなみを入れてしまい、グズったら揺するを繰り返せばどうにかなる。
なぜ、こんなにお出かけをしているかというと、
みなみが夜寝るからなのだ。
これを発見したのは、3ヶ月健診。
健診から帰ったみなみは夕方は泣いたものの、夜はぐっすり眠った。
どうも日中活動的に過ごしたせいらしい。
午前中か昼頃出かけ、帰ってきてお昼寝をすると、みなみはいつもどおりたそがれ泣きを始める。
しかし、日中の刺激があるせいか、夜は8時頃こてっと入眠。
そして12時くらいまでグースカ寝てくれる。
これってすごいことだ。
寝ないことに定評のあるみなみが夜に4時間連続で寝てくれるなんて!
もちろん、相手はみなみさんなので、100パーセントの確率ではない。
ちょっと遠出して、刺激が強すぎた日は夕方泣きもひどく、夜中も興奮して起きやすい。微妙な加減が必要みたい。
でも、今のところ勝率7割!
私はこの4時間でゆっくりお風呂に入ったり、遅く帰ってくるゼンさんにヘルシーなお夕飯を作ったり、漫画やドラマを見たりする。
自分の時間、久しぶり!
ま、疲れて寝落ちしてることも結構あるんですケド。
「みなみがおとなしく寝ているなんて奇跡のようだな」
本日、少し早く帰ってきたゼンさんは、食卓でお夕飯中。
「ホント、素晴らしすぎて涙がでそうだよ。お散歩サマサマ」
しみじみ答える私。
「でも、12時過ぎから明け方までは、変わらず1時間おきで授乳なんだろ?」
そうなのだ。
だから、この4時間で私も休まないと、寝不足解消にはならない。
ゼンさんが言う。
「俺のこと、待っててくれなくていいぞ。この時間におまえも一緒に寝たらどうだ?」
「えー、でもー……」
こんなに寝不足なのに、時間が惜しく感じてしまうのだ。
みなみを抱っこせず、気楽に過ごせる貴重な時間……。
「確かに休まなきゃとは……思ってるんだけど……」
ゼンさんは自分で夕食の食器を下げ、洗い出した。
ホント、うちの旦那さんえらいわ。
「ゼンさんと二人で話せる時間も貴重だし」
洗い物をささっと終わらせ、ゼンさんがダイニングテーブルに戻ってくる。
そして、椅子に座る私の背後に立った。
「なに?ゼンさん」
私が斜め後ろに顔を上げると、ゼンさんが私の唇にキスをした。
ちょこんと触れるだけのキスだ。
「なっ……何事?」
驚いて見つめたイケメン旦那サマは、少し微笑んで答えた。
「デザート。食後の。ご馳走様」
私は途端に真っ赤になった。
旦那さん相手に何だという話だけど、まだ恋愛自体が始まって間もない私たち。
ゼンさんの何気ない行動言動が無性に照れる。
デザートとな!
ご馳走様とな!
狙って言ってます?旦那さん!
「そんな甘いセリフ、言う人でしたっけ?一色部長」
「まあな。好きな女の前では人並みに」
……そんなこと言われたら、もう全部明け渡したくなっちゃいます。
「ゼンさん……好き」
私が腕を伸ばし、ゼンさんの頭を引き寄せようとした時だ。
「んぎゃああああ!」
寝室から聞こえるこの声。
本日はみなみ起きちゃうdayらしい。
「ホント、みなみは空気を読んでるな」
ゼンさんが残念そうな、呆れたような声で言った。
私はゼンさんから離れ立ち上がると、寝室からみなみを連れてくる。
現金なみなみは抱っこされ、パパの顔を見たら黙った。
残念感は否めないけど、ま、親子三人もいいよね。
「パパが帰ってきたから会いたかったんだよねぇ」
「パパを愛するあまり、ママとの仲を妨害しているな」
ゼンさんがもっともらしく推察する。
ハイハイ、そうですねー。
「もしくは、まだ弟と妹も作るなってことか?」
ゼンさんの次の類推に私は目をむいた。
「二番目!?まだ、生理戻ってないから無理!こんなみなみ抱えてつわりは無理!まだ、痛いの忘れてないから無理っっ!」
「落ち着け。みなみが俺たちを妨害する理由の話だろ?みなみは弟妹ができると自分への注目度が下がるって知っていて、俺たちが子作りする気配を察すると起きて妨害する。これ、どうだ?」
ゼンさん、めっちゃ得意気ですけど、何その論理。
そこまで賢くないでしょ、このしもぶくれ女子。
でも、反論すると「俺の娘だから賢い!」って言うんだろうな。