目下の悩みというのがいくつかあり一番の問題というのが、「運転免許証が無い」という事であるのだった。
「運転免許証が無い」というのが、何かしらの元々から運転免許証を所持していなかったというのでなくて二十歳の頃にパチンコ店で勤務していて新井自動車学校でローンを組んで自動車の運転免許証を取得していたのであったのであるのだが、令和2年と新潟県の上越市にあるとあるパチンコ店で隣の席に座って遊戯をしていた気持ちの悪い自称パチプロという「岡田」という気持ちの悪い男が修に声を掛けてきてなんやかんやと言って付きまとうようになって来たのだが、その「岡田」という男というのがどういった素姓の人物なのか定かでないものの「修」が過去に働いていた『ミスターパチンコ』というブランドの店名のパチンコ店のお客様であったという事をのたまわっていたり「飲酒運転で免許証を取り消しになった」というような事を言い出したりしていて移動手段に難渋していて自宅からパチンコ店まで電車や父親や母親に送迎して貰っており近隣のパチンコ店間の移動をMEGAドン・キホーテ上越店で購入した折り畳み自転車で行っているというようなアホみたいなというかアホ丸出しの話をして来てその会話の中で修の所持している「運転免許証」に目を付けて来た節というのを敏感に感じ取り心の中で「こんな糞みたいな奴と関わりたくない」思っていた修は、話半分で岡田の言葉を聞きつつも「どうすればこいつとの縁を切ることが出来るのだろう?」と思案をしたり考えあぐねてもいたのだったのだが、妙案というのも浮かぶことも無かったのであった。
「修」が、とあるパチンコ店に足を運ぶ理由というのが、パチンコ店関連の仕事を模索していたりとあるパチンコ店での「貯玉」や「貯メダル」というシステムというかサービスというものを利用して将来的な蓄財というの試みたりスロットマシーンでの胴体視力の訓練や能力の維持というのが目的であったり場合によってとあるパチンコ店に来店している人間との交友関係を築いたりパチンコ店の従業員との交際というのを視野にも入れていた為であったのだが、卓越した能力というものを持っていたり顔立ちが良かったり普段からの立ち居振る舞いというのが、スマートであるという場合に人脈というのが広まるという確固たる信念を持っている「修」の作戦というのもあながち悪くないのであったのであるのだが、岡田のようなハエやゴキブリのような奴というのは、「百害あって一利無し」でしか無いわけであるし娯楽の場であるパチンコ店にまともに仕事や収入の宛もないような「自称パチプロ」というのも存在してしまっているのだが、金の匂いのする遊び場であるのだから致し方ないものである。
元来のパチンコ店というのは、「プロお断り」という姿勢で営業をしているし昨今において「ギャンブル依存症」の定義においても岡田というのは、如何ともし難い立ち位置に存在していて「修」にとって『目の上のたんこぶ』として存在してしまっていた。
岡田の異常な行動というのの中に過去に足を運んでいたMIDガーデン上越店の店内での事であったのであるのだが、「修」が座って沖ドキというスロットマシーンで遊戯をしていた際にどういった心境であったのか不明であったのだが「修」の後ろに岡田が不意に現れてなんの前触れもなしに「二万円貸してください」と声を掛けて来たというようなことというのがあって「修」といえばその言葉にどのように対応するべきであったのか困らせられたことがあったのだった。
修と岡田という人間の関係というのが、基本的に全く関係のない「赤の他人」でしかなかったわけだし岡田の口にしていた二万円という金額というのも一般的な家庭の1ヶ月分の食事の金額といってもいいくらいの金額でもあるし「自称パチプロ」でまともに働いていないことを知っているまともな人間であれば決して貸したりするような事のない金額でもあるし付きまとってくるようなハエやゴキブリに餌を与えるようなお人好しでもない「修」であったのだが、「修」は「二万円貸してください」という岡田の言葉に耳を傾けてしまい財布の中から一万円札を二枚なきも言わずに差し出したのであったのだった。
パチンコ店の中でのお金の貸し借りというのは、基本的に心を鬼にしてしてならない行為である。
岡田について語るのは、岡田の事が憎いからかも知れないしパチンコ店に入り浸って勝った負けたとかお金をいくら使ったとか貯メダルを何枚増やしたとか何枚減らしたとかなんて事やお金が無くなって飯が食えなくなったとか大勝ちして美味いものや美味い酒が飲めたとかそんなくだらない話ばかりを聞かされたりもしてウザイというような感情的な部分があるかも知れないし岡田のくだらない話を真に受けて運転免許証を自主返納してしまったということの恨み辛みというのがあるからでもあるし少しでも元を取り戻すための行為でもってなのかも知れないが、「何が悪かったのか?」というのは、まだまだ語ることがあるのである。
「修」の働いていたパチンコ店というのに通っていたきゃくというのも糞ばかりだったし働いている従業員というのもそこそこの糞で構成されてもいてそこでの記憶や思い出というのを封印していたかったし思い出したくないという思いというのも修の中にいくつもあった。
『ミスターパチンコ』というブランドのパチンコ店というのは、修が望んだり好んで働きたい会社や職場というの無理というのがいくつもあった。
修がミスターパチンコというブランド名のパチンコ店で働きたした切っ掛けというのが、この物語の肝心要の肝なのである。
修が、ミスターパチンコというパチンコ店で働き出したのは、修の姉と理由ありの結婚をした義理の兄が働いていた事のある自衛隊に修が入隊するまでの繋ぎのアルバイトとして自衛隊の勧誘員の人間に口利きをして貰ってアルバイトという事で働き始めることになったのであったのだが、その話というのは立ち消えになりその会社で働くということに意味を失ってしまったり同僚との付き合い方や対人関係なんかについてもいくつもの納得のいかないことや不誠実な人間というのも何人かいたりアルコール中毒で精神科病院に入院したり精神科病院に入院歴のある在日韓国人というのが働き始めるような環境でもあったし妻子がいるにも関わらず同僚の女性従業員に手を出したりするキチガイというのもいたり見栄か趣味趣向でフランス製の車に乗りつつもパチンコに狂って消費者金融に借金をしているようなこれまた勘違いの中間管理職というのも職場で大きい顔をしていたりもしていたのでにっちもさっちもいかないようなろくでもない人間ばかりが集まってしまっていたしお客様の中にも様々な人種というのが有り体に存在していて如何にもヤクザというような人間もどういったわけか幅を利かせていた昭和というか平成の一時代でもあった。
パチンコ店といえば其れまでだがミスターパチンコというブランドのパチンコ店というのは、テレビのコマーシャルもしていたし新台入れ替えともなれば新聞にチラシも入れて大々的に宣伝をしたり店舗の駐車場の入り口に花輪をを飾って集客を狙っていたりしていてそれなりに宣伝広告にも力を入れていたようであったし日本テレビ系のスーパーテレビという番組で当時のパチンコ店の特集を組まれたことがあるような会社でもあったし地域のお祭りに協賛したり高田公園のお花見会(観桜会)にも提灯を出したり地域貢献も其れなりにしている会社でもあったので優良企業でもあったのだろうけれども、その当時の「修」というのは、私立の高等学校を自主退学してしまっていたために学歴といえば中学校卒業程度の低学歴で学歴に対してのコンプレックスであったり母子家庭の子供という環境で経済的に恵まれていないために社会的な信用というのにかなり欠けていたのであったし身近に暮らしていた姉というのも理由のある結婚をしていて旦那に幾つもの負い目というのを抱えながら秘密を世間に隠しながら生きていてその秘密というのを姉の口から厳密に弟の修に伝えられるということというのをなされていないのであったし三十年程の結婚生活の終止符が打たれて数年間の経た現在もその真実というのを伝えられていないままであるのだった。
「修」の中学生の頃に三つ年上の姉の結婚話というのが持ち上がり結婚と妊娠と出産というの一連の騒動というのが、母子家庭の我が家の中で起こったのであったのだった。
姉の結婚の経緯というのについて修といえば中学生であったり男の子ということで基本的に蚊帳の外であったし母親と姉とのやり取りについて外野席から伺っていただけであったので話の流れというのも真実というのを知らないままであったのであるのだが、事の発端や顛末というのについていささか違和感を覚えていたし母親と姉とのやりとりや雰囲気なんかからただ事で無いという事だけを伺い知っていた。
姉と母親とのやり取りについて同席していなかったのだけれども事態というのは急を要していたようであったしまず始めに母親が動いていたのを違和感を感じながら見ていると結婚よりも先に妊娠の発覚というところに問題が在ったようで当の本人の姉というのは、喫茶店でアルバイトをしながら新潟県立高田南城高等学校の定時制に通学している女子高校生という状況で妊娠させた相手の男というのも普通に考えれば年端も行かないような男性と考えられそうであったし責任を取っての?いや責任を取らせての結婚という具合に話を進めるにしたとしても母子家庭の娘で未成年ともなれば相手の親からすれば世間体も悪いし簡単に「うん」と二つ返事を出来るような相手でも無さそうだし姉の風貌や妊娠したという事からも良家の良識のある女性と見られずらく節操の無い盛りのついた雌猫というような感覚で自分が相手の親の立場になったらどっちかといえば敬遠したくなるような相手であったわけだと当時の修も其れから数十年経た現在の修も『無いわ~』としか言えないような相手であるとしか思えていないし当時の姉といえば中絶の出来ない時期になるまで悩んでいたのか其れとも既成事実をつくってしまえばなんとかなるという考えやその頃の姉の読んでいた漫画なんかにも学生結婚を題材にしたものがあったりもしたんでなんとかなると思えていたのかも知れなかったのだけれども現実に結婚という状況に至っていなかった筈である。
子供を中絶も出来ずに結婚も断られてしまっていて途方に暮れていた母親と姉というのは、平静を装っていたもののシングルマザーとしての道を選ばざるをえないという状況でしかないにも関わらずにそれを良しと考えずに色々と策を弄した姉といえばどういった訳か母親の元に自衛隊に勤務しながら新潟県立高田南城高等学校に在籍しているという19歳の男性を連れて来ることになったのだった。
「修」は、姉のとった行動と連れてきた男性に対して『大丈夫か?』とこの頃から数十年も経過している現在も頭の中に疑問符が浮かび続けてしまっているのだけれども姉が真実を自分の口から修に話をしない以上何かしらの言葉を姉の旦那に質したり問い掛けたりするということをしてならないと黙して語らずを徹しなければならなかったり最悪の場合に墓場まで持って行かなければならない問題であると思えていたし持って行かなければならないのかなと思っているのだったが、母親が死んで遺体を焼くために斎場に姉と顔を合わせた際に姉の口から数年前に離婚したということを告げられたり姉の娘も結婚してお腹の中に子供を宿しているという状態になっていて「修」中にあった姉の人に言えない秘密や理由のある結婚というものも全て終了していて隠さなければならない秘密も当人逹だけの小さな問題という認識に上書きされてしまっていて「修」が真実を知る必要というのや育ての父親という役目もある意味で終了していて離婚したことによって自分自身の幸せを追うことの出来るようになった義理の兄の存在というのも何となく知ることが出来て一件落着してくれていて良かったなと胸を撫でおろせたのであったのがせめてもの救いになった。


