「世界に並ぶもののいない 最強の人間 それがこの私 遠藤修 である。 」
「令和7年3月21日何から伝えればいいのかわからないけれども、私は今大変な事態に直面している」
 「平成12年7月に新潟県上越市にある川室記念病院という精神科を中心としている病院に入院することとなり、そこで 主治医となった 加藤邦夫という精神科医に精神分裂病という病名をつけられることになり 、それ以降の人生を長い 闘病生活に費やすこととなり 仕事や 交際相手であったり多くのものを失うこととなりどうにもならない人生というものを本当にどうにも人生というものを歩む ハメになってしまったのである。」
「まあ 確かにその当時は、色々なことがあり 大変に疲れていたり 精神的に参っている部分もあったりしていたので、一概に主治医が全て悪いという風に考えるということもできないわけでないが、根本的に間違っていたということでしかないのであったたわけである。」
 「川室記念病院という上越市の外れに設置されている個人経営の病院ということであるだろうと思えるのだけれども、元々 精神科病院に関わるような人間なんてどこかしらおかしかったり 頭がいかれていたりしているわけであるから病気なのか本当に頭が狂っているのか、目で見て理解できるような人間ばかりでないので判断がつきづらいが、精神科病院に通院していたり 入院していたり そこで働いてる医療従事者と言われる 精神科医師であったり 看護師や ケースワーカーと言われる 精神保健福祉士の資格所有者や社会福祉士の資格保有者 、その他にも臨床心理士 や事務所で働いている事務員や 受付などの対応 続行する様々な職種の人間についてもまともな人間であると言えるのかどうかが まず 怪しいと思えていた」
 「私は精神科病院に関して医療従事者 やそこに通院している患者や入院している患者に対してもやはり 偏見というのをいくらか 持っていたし外見や 話す言葉であったり話の内容に関しても個人個人で違った考え方や 違った ものの捉え方と言うべきか 人間として未熟であるがゆえに対応の方法が分からないという未熟 という言葉で片付けてしまえてるような方々というのも 存在しているわけであったと思えている」
 「私が入院していた病棟については、精神科病院 特有の閉鎖病棟と言われている日常的に常に鍵をかけられているという環境で、その中でも行動制限を行うような隔離室というものも用意されていて 隔離室の中には、トイレが設置されていて ベッドがあるだけでしたし隔離室のドアの内側にドアノブというのは、存在しておらず中の患者の容体によって鍵を開けられたり解放させるというような指示を医師が看護師に行って患者の行動を に関して注意を払うといったことや精神科医師ならではの、患者に対して経過観察を行うというような視点から治療または処置を行っているようであった」
 「端的に言ってしまえば『精神科病院』そのものの存在というもの自体があってはならないものであるのであるのだが、精神保健福祉法や精神科病院を取り巻く法律といったものによって定められているようでもあるし医師法にも照らし合わせた上で治療というものが行われていると考えられると思うんだけれども、まあその時に初めて精神科病院に関わったということであるので、全くよくわからなかったが、とにもかくにも大変だったという認識であるし 隔離室に隔離されている間に正真正銘の臨死体験というものを経験することにもなっていたので、私は一刻も早く精神科病院と縁を切りたいと思ってもいたけれども、それがなかなか大変なことであったり 面倒なことであったりしてもいて何よりも問題なのが、私の姉と結婚していた義兄という存在であったのである」
 『私の姉は、なぜだかわけのわからない男と結婚をすることになったのであるのだが、その結婚そのものも 本来であればあってはならない結婚であったと弟の私は思っていたのである』

 「姉の結婚については、順序立てて定められて決定されていたような結婚というわけでもなく姉が、自身の不手際や不始末といったものをごまかすために無理やりに行われた結婚であるし、もうその経緯についてもとやかく言ってもしょうがないような状況でしかなくなってもいるし姉もその結婚相手とは 今から5年ほどぐらい前に離婚してしまっているということであるので、義兄であった人間とは言っても、もう何も関係のない相手であるからあーだこうだと言ったところで何かが変わるというようなこともないであろうし 結婚生活の中で起きた 諍いや事件やあれやこれやや義理の弟と義理の兄の関係と言っても、一緒に食事をしたことや あれやこれやそれやなんかもしたこともあるけれども、直接 聞かされていないけれども 姉との結婚に関して少し事情があるというようなことであるということを私は薄々感じてもいたので、そのに事情に関して何かしらの話をされたとしても何とも言い難い というのが私の本音であったから、複雑な事情を抱えての結婚というのは、中学校2年の頃に執り行われたのであるのだけれども複雑な事情に関して触れてはならないという風に私は考えていたし姉や義理の兄からその話を聞かされて その話に関してどのように対応するべきかというようなことに関しても打ち合わせというか そういったものもほぼ無かったので、私は知らないふりをして、その複雑な事情が解決するという頃合いを待つということしか手立てはなかったと思えている」
『複雑な事情というのは、単純に結婚前に姉が妊娠してその子供の父親に関してのあれやこれやというような感じの真実に触れるべきか触れないべきかというような案件というようなお話であるので、中学生の頃から、まぁ、それなりに私は何かしらを認識していたので、姉のお腹の中にいた子供が大人になるというような頃合いになるまで沈黙を守るだけであるんだろうなというような認識で、この事に関して母親に相談したり姉の上にいる兄に相談するなんてこともしていないのであるのだけれども、もう世間を騙すような行動をとってしまっている姉に関しては、擁護できない状況でもあるし姉夫婦たちの中で解決してもらわなければならない問題であったわけだから何も言えなかったというのが正解である』
 「まあ我が家は不幸であるということに関しては母親が父親と離婚をしたというところから もうすでに始まっていたわけであるし テレビドラマやら なんかでもそういったことは、色々と取り上げられているような話題であるので話題?というか テーマであるので、まあなるようになるしかないというような状況で苦肉の策として行った芸当であったので、その事情を知っている我々家族からすれば 姉の旦那というのは、ある意味被害者であるし我が家にとっての恩人であるとも言えるわけなので、最終的な結果については、私の母親も他界したし姉もその相手と離婚をしてしまったということであるので、いくつもが 終幕している状況でもあるので、後はそれらの後遺症として残された私の様々な不幸や不具合であったり 現状回復ということを行わなければならないのであるけれども それに関して 誰かが援助してくるというようなこともなく 誰かに責任を取って欲しいと思っているけれども その相手と言えるのが 誰であるのかということに関して考えていくと不始末をしでかした姉であるというのが最大の対象者であるかと思えるけれども、骨肉の争い というにしてもこれは世界を揺るがす問題となってもらわなければならないであろうと私は思っているのである」
 「本来であれば美談として語り継がれるような話ってあるのかもしれないけれども、美談として語り継がれるためには、姉の子供、娘であったんだけれどもその娘が幸せな生活を送り続けているというところが、着地点である場合と姉と姉の結婚相手の男性との間には、実際に父親と血の繋がっている子供というのが2人いて長男か次女のどちらかが、後世に名を残すようなことをするか複雑な結婚の事情の元となっている娘というのが日本の総理大臣が何かになったりした場合や後世に名を残すような偉業を達成したみたいなことをしたのであれば美談として 賞賛を浴びることになるかもしれないけれども、義兄というのは、基本的にろくでもない男であったわけで結婚するかそれ以前に消費者金融借金を作っていたりもしていたり姉が二人目の子供を妊娠している時に色々な問題を起こして仕事を失うことになり 繁華街でスナックの雇われ店長をしていたという頃にその店のお客と肉体関係を持ったかどうかは知らないけれども 浮気をしていたみたいな話もしていたこともあったり スナックのイベントでパーティーを行うというような際にイベントのために用意されていたお金を使い込んでしまったということもあったようで、いくつかの問題というのも起きていたという理由から姉と一度離婚しているという経緯 もあるし義兄の味方をするということを もうこれ以上できないわけであるから姉が自分でしでかした 不始末の責任を自分できちんと取るということをしてもらわなければならないということである」

 「そう、だから私が精神分裂病と診断されたということに関してもそういった事情を全て紐解いていけば納得してもらえると思うのだけれども精神科医師が一度精神病と診断してしまったのであるならば 、その診断が間違っているということを誰かに訂正してもらえなければいつまでたっても病気だと思われているし当然のように明るい未来なんて来るわけがないしそれによって様々な 弊害というのも起きていたりいろいろな問題というのも当然のように発生しているので、事態を収束させるために有識者の協力というのを煽らなければならない、それが最大の課題である」

 目下の悩みというのがいくつかあり一番の問題というのが、「運転免許証が無い」という事であるのだった。
 
 「運転免許証が無い」というのが、何かしらの元々から運転免許証を所持していなかったというのでなくて二十歳の頃にパチンコ店で勤務していて新井自動車学校でローンを組んで自動車の運転免許証を取得していたのであったのであるのだが、令和2年と新潟県の上越市にあるとあるパチンコ店で隣の席に座って遊戯をしていた気持ちの悪い自称パチプロという「岡田」という気持ちの悪い男が修に声を掛けてきてなんやかんやと言って付きまとうようになって来たのだが、その「岡田」という男というのがどういった素姓の人物なのか定かでないものの「修」が過去に働いていた『ミスターパチンコ』というブランドの店名のパチンコ店のお客様であったという事をのたまわっていたり「飲酒運転で免許証を取り消しになった」というような事を言い出したりしていて移動手段に難渋していて自宅からパチンコ店まで電車や父親や母親に送迎して貰っており近隣のパチンコ店間の移動をMEGAドン・キホーテ上越店で購入した折り畳み自転車で行っているというようなアホみたいなというかアホ丸出しの話をして来てその会話の中で修の所持している「運転免許証」に目を付けて来た節というのを敏感に感じ取り心の中で「こんな糞みたいな奴と関わりたくない」思っていた修は、話半分で岡田の言葉を聞きつつも「どうすればこいつとの縁を切ることが出来るのだろう?」と思案をしたり考えあぐねてもいたのだったのだが、妙案というのも浮かぶことも無かったのであった。
 「修」が、とあるパチンコ店に足を運ぶ理由というのが、パチンコ店関連の仕事を模索していたりとあるパチンコ店での「貯玉」や「貯メダル」というシステムというかサービスというものを利用して将来的な蓄財というの試みたりスロットマシーンでの胴体視力の訓練や能力の維持というのが目的であったり場合によってとあるパチンコ店に来店している人間との交友関係を築いたりパチンコ店の従業員との交際というのを視野にも入れていた為であったのだが、卓越した能力というものを持っていたり顔立ちが良かったり普段からの立ち居振る舞いというのが、スマートであるという場合に人脈というのが広まるという確固たる信念を持っている「修」の作戦というのもあながち悪くないのであったのであるのだが、岡田のようなハエやゴキブリのような奴というのは、「百害あって一利無し」でしか無いわけであるし娯楽の場であるパチンコ店にまともに仕事や収入の宛もないような「自称パチプロ」というのも存在してしまっているのだが、金の匂いのする遊び場であるのだから致し方ないものである。
 元来のパチンコ店というのは、「プロお断り」という姿勢で営業をしているし昨今において「ギャンブル依存症」の定義においても岡田というのは、如何ともし難い立ち位置に存在していて「修」にとって『目の上のたんこぶ』として存在してしまっていた。

 岡田の異常な行動というのの中に過去に足を運んでいたMIDガーデン上越店の店内での事であったのであるのだが、「修」が座って沖ドキというスロットマシーンで遊戯をしていた際にどういった心境であったのか不明であったのだが「修」の後ろに岡田が不意に現れてなんの前触れもなしに「二万円貸してください」と声を掛けて来たというようなことというのがあって「修」といえばその言葉にどのように対応するべきであったのか困らせられたことがあったのだった。
 修と岡田という人間の関係というのが、基本的に全く関係のない「赤の他人」でしかなかったわけだし岡田の口にしていた二万円という金額というのも一般的な家庭の1ヶ月分の食事の金額といってもいいくらいの金額でもあるし「自称パチプロ」でまともに働いていないことを知っているまともな人間であれば決して貸したりするような事のない金額でもあるし付きまとってくるようなハエやゴキブリに餌を与えるようなお人好しでもない「修」であったのだが、「修」は「二万円貸してください」という岡田の言葉に耳を傾けてしまい財布の中から一万円札を二枚なきも言わずに差し出したのであったのだった。
 パチンコ店の中でのお金の貸し借りというのは、基本的に心を鬼にしてしてならない行為である。
 

 岡田について語るのは、岡田の事が憎いからかも知れないしパチンコ店に入り浸って勝った負けたとかお金をいくら使ったとか貯メダルを何枚増やしたとか何枚減らしたとかなんて事やお金が無くなって飯が食えなくなったとか大勝ちして美味いものや美味い酒が飲めたとかそんなくだらない話ばかりを聞かされたりもしてウザイというような感情的な部分があるかも知れないし岡田のくだらない話を真に受けて運転免許証を自主返納してしまったということの恨み辛みというのがあるからでもあるし少しでも元を取り戻すための行為でもってなのかも知れないが、「何が悪かったのか?」というのは、まだまだ語ることがあるのである。
 
 「修」の働いていたパチンコ店というのに通っていたきゃくというのも糞ばかりだったし働いている従業員というのもそこそこの糞で構成されてもいてそこでの記憶や思い出というのを封印していたかったし思い出したくないという思いというのも修の中にいくつもあった。
 
 『ミスターパチンコ』というブランドのパチンコ店というのは、修が望んだり好んで働きたい会社や職場というの無理というのがいくつもあった。
 修がミスターパチンコというブランド名のパチンコ店で働きたした切っ掛けというのが、この物語の肝心要の肝なのである。


 修が、ミスターパチンコというパチンコ店で働き出したのは、修の姉と理由ありの結婚をした義理の兄が働いていた事のある自衛隊に修が入隊するまでの繋ぎのアルバイトとして自衛隊の勧誘員の人間に口利きをして貰ってアルバイトという事で働き始めることになったのであったのだが、その話というのは立ち消えになりその会社で働くということに意味を失ってしまったり同僚との付き合い方や対人関係なんかについてもいくつもの納得のいかないことや不誠実な人間というのも何人かいたりアルコール中毒で精神科病院に入院したり精神科病院に入院歴のある在日韓国人というのが働き始めるような環境でもあったし妻子がいるにも関わらず同僚の女性従業員に手を出したりするキチガイというのもいたり見栄か趣味趣向でフランス製の車に乗りつつもパチンコに狂って消費者金融に借金をしているようなこれまた勘違いの中間管理職というのも職場で大きい顔をしていたりもしていたのでにっちもさっちもいかないようなろくでもない人間ばかりが集まってしまっていたしお客様の中にも様々な人種というのが有り体に存在していて如何にもヤクザというような人間もどういったわけか幅を利かせていた昭和というか平成の一時代でもあった。
 パチンコ店といえば其れまでだがミスターパチンコというブランドのパチンコ店というのは、テレビのコマーシャルもしていたし新台入れ替えともなれば新聞にチラシも入れて大々的に宣伝をしたり店舗の駐車場の入り口に花輪をを飾って集客を狙っていたりしていてそれなりに宣伝広告にも力を入れていたようであったし日本テレビ系のスーパーテレビという番組で当時のパチンコ店の特集を組まれたことがあるような会社でもあったし地域のお祭りに協賛したり高田公園のお花見会(観桜会)にも提灯を出したり地域貢献も其れなりにしている会社でもあったので優良企業でもあったのだろうけれども、その当時の「修」というのは、私立の高等学校を自主退学してしまっていたために学歴といえば中学校卒業程度の低学歴で学歴に対してのコンプレックスであったり母子家庭の子供という環境で経済的に恵まれていないために社会的な信用というのにかなり欠けていたのであったし身近に暮らしていた姉というのも理由のある結婚をしていて旦那に幾つもの負い目というのを抱えながら秘密を世間に隠しながら生きていてその秘密というのを姉の口から厳密に弟の修に伝えられるということというのをなされていないのであったし三十年程の結婚生活の終止符が打たれて数年間の経た現在もその真実というのを伝えられていないままであるのだった。

 「修」の中学生の頃に三つ年上の姉の結婚話というのが持ち上がり結婚と妊娠と出産というの一連の騒動というのが、母子家庭の我が家の中で起こったのであったのだった。
 姉の結婚の経緯というのについて修といえば中学生であったり男の子ということで基本的に蚊帳の外であったし母親と姉とのやり取りについて外野席から伺っていただけであったので話の流れというのも真実というのを知らないままであったのであるのだが、事の発端や顛末というのについていささか違和感を覚えていたし母親と姉とのやりとりや雰囲気なんかからただ事で無いという事だけを伺い知っていた。

 姉と母親とのやり取りについて同席していなかったのだけれども事態というのは急を要していたようであったしまず始めに母親が動いていたのを違和感を感じながら見ていると結婚よりも先に妊娠の発覚というところに問題が在ったようで当の本人の姉というのは、喫茶店でアルバイトをしながら新潟県立高田南城高等学校の定時制に通学している女子高校生という状況で妊娠させた相手の男というのも普通に考えれば年端も行かないような男性と考えられそうであったし責任を取っての?いや責任を取らせての結婚という具合に話を進めるにしたとしても母子家庭の娘で未成年ともなれば相手の親からすれば世間体も悪いし簡単に「うん」と二つ返事を出来るような相手でも無さそうだし姉の風貌や妊娠したという事からも良家の良識のある女性と見られずらく節操の無い盛りのついた雌猫というような感覚で自分が相手の親の立場になったらどっちかといえば敬遠したくなるような相手であったわけだと当時の修も其れから数十年経た現在の修も『無いわ~』としか言えないような相手であるとしか思えていないし当時の姉といえば中絶の出来ない時期になるまで悩んでいたのか其れとも既成事実をつくってしまえばなんとかなるという考えやその頃の姉の読んでいた漫画なんかにも学生結婚を題材にしたものがあったりもしたんでなんとかなると思えていたのかも知れなかったのだけれども現実に結婚という状況に至っていなかった筈である。

 子供を中絶も出来ずに結婚も断られてしまっていて途方に暮れていた母親と姉というのは、平静を装っていたもののシングルマザーとしての道を選ばざるをえないという状況でしかないにも関わらずにそれを良しと考えずに色々と策を弄した姉といえばどういった訳か母親の元に自衛隊に勤務しながら新潟県立高田南城高等学校に在籍しているという19歳の男性を連れて来ることになったのだった。
 
 「修」は、姉のとった行動と連れてきた男性に対して『大丈夫か?』とこの頃から数十年も経過している現在も頭の中に疑問符が浮かび続けてしまっているのだけれども姉が真実を自分の口から修に話をしない以上何かしらの言葉を姉の旦那に質したり問い掛けたりするということをしてならないと黙して語らずを徹しなければならなかったり最悪の場合に墓場まで持って行かなければならない問題であると思えていたし持って行かなければならないのかなと思っているのだったが、母親が死んで遺体を焼くために斎場に姉と顔を合わせた際に姉の口から数年前に離婚したということを告げられたり姉の娘も結婚してお腹の中に子供を宿しているという状態になっていて「修」中にあった姉の人に言えない秘密や理由のある結婚というものも全て終了していて隠さなければならない秘密も当人逹だけの小さな問題という認識に上書きされてしまっていて「修」が真実を知る必要というのや育ての父親という役目もある意味で終了していて離婚したことによって自分自身の幸せを追うことの出来るようになった義理の兄の存在というのも何となく知ることが出来て一件落着してくれていて良かったなと胸を撫でおろせたのであったのがせめてもの救いになった。

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