今日はアルティリア王国の第一王女レティシアが王として即位する日である。
今日の主役であるレティシアは自室の開いた部屋の窓の前に立ち、夏の心地良い風に当たりながら、ぽつりと呟く。
「いい天気ね、戴冠式に相応しい快晴だわ」
あの頃の私はずっと陛下に愛されたいと、私のことを見てほしいと、そう強く思っていた。
だけど、私はあの日、侍女の会話を通して知ってしまった。自分が不義の子であると。
「今日を迎えるまで、本当に色々なことがあったわね」
レティシアは開けた窓から見える晴れた空を見上げながら、過去のことを思い出し始めたのであった。
王城から離れた離宮でアルティリア王国の第一王女レティシアは暮らしていた。
そんな離宮の通路で、レティシアの侍女である二人の女性は夜の静かな空気が漂う中、会話をしていた。
「明日はレティシア王女殿下の18歳の誕生日ね」
「そうね〜、ねえ、あのことってレティシア王女殿下は知っているのかしら?」
「あのことって?」
「レティシア王女殿下が不義の子であるっていうことよ」
侍女の一人がそう言えば、もう一人の侍女は何の話しかを理解したように頷き返す。
「あ、そのことね。多分、レティシア王女殿下は知らないわよ」
「そうよね、レティシア王女殿下も可哀想よね……」
「そうね、でも知らない方が幸せなこともあるのよ」
中々眠れずに自室を出たレティシアは通路の曲がり角でそんな侍女達の会話を偶然にも聞いてしまう。
「私が不義の子……」
レティシアはぽつりとそう呟いてから、その場を後にした。
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自室へと戻って来たレティシアはベット上に倒れ込み、数秒、枕に顔を埋めてから身体を起こして震えた右手を片手で抑えながら、今の自分の気持ちを声にする。
「私が不義の子…… そんなの、そんなの信じられないわ……!」
(陛下が私に離宮に行くように命じたのも、私のことを避けているのも、私が不義の子だったからなの……?)
陛下の本当の娘ではなかったという事実がレティシアの胸を深く傷つけた。侍女達の会話を通して知った事実にレティシアは今までの陛下の態度に納得がついた。
「私は陛下の娘ではなかった…… どうして……? なんで…… 私はずっと陛下の娘として生きてきたのに……」
月明かりが白いベットの上を照らす中、レティシアの視界は滲んだ。
(胸が張り裂けそうな程痛い。こんな思いをするくらいなら知りたくなかった…… )
声を押し殺して嗚咽する中、レティシアに用があって部屋の前まで来たレティシアの侍女であるルミリアはレティシアの泣いている声を聞いてしまう。
「レティシア王女殿下……」
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レティシアが18歳を迎える日の夜。レティシアは自身の誕生日を祝う為のパーティーに来ていた。
「初めまして、レティシア王女。私はラベリア国の第一王子グイードと申します。レティシア王女殿下、この度は18歳のお誕生日おめでとうございます」
「グイード王子殿下、ありがとうございます」
パーティーに招待したであろうアルティリア王国の隣国"ラベリア国"の第一王子グイードはレティシアに社交辞令の挨拶をしてから、話しを続ける。
「こうして会って話すのは初めてですね!」
「そうですわね。ん? そちらの方はグイード王子殿下の騎士の方ですか?」
レティシアはグイードの左隣に立つ騎士のアランを見てからグイードに問い掛ける。
「いいえ、違いますよ。王立騎士団の方です。名前は確か……」
「アランと申します。アルティリア王国の王立騎士団に所属しております。レティシア王女殿下、この度はお誕生日おめでとうございます」
アランはレティシアにお祝いの言葉を述べてから、軽く頭を下げる。
「そうなのね、ええ、ありがとう」
レティシアはアランの顔を見て嬉しそうに微笑み返した。
その後もレティシアは王族と関わりのある者達に社交辞令の挨拶をされながら、作られた笑顔で接していた。
レティシアの誕生日パーティーが終わった後、王立騎士団の者を呼び止めたレティシアは、隣国ラベリア国の第一王子グイードの護衛にあたっていたアランに明日、自分の元へ来るようにと伝えておくよう頼んでからパーティーが行われていた会場を後にした。
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その日の夜、レティシアは自室のベランダに出て、星が瞬く夜の空を見上げながら呟く。
「陛下は私のことをどう思っているのかしら……?」
アルティリア王国の国王であるディアルは、まだ幼いレティシアに離宮に行くように命じてから、レティシアのことを明らかに避けるようになった。レティシアはその事に少なからず不満を抱いていた。
「陛下とは血の繋がりのない娘だから、陛下は私のことを避けているのだとしたら、私は……」
レティシアのそう呟いた悲しげな声は、静かな夜の空気に溶け込むように消えていった。
翌日の昼頃に離宮に来た騎士のアランは、離宮の応接室に招かれていた。
「レティシア王女殿下、こちらに来るのが遅くなってしまい大変申し訳ありません」
応接室に入るなり、アランは頭を下げて謝罪の言葉をレティシアに投げてくる。
「いいのよ、まあ、取り敢えず座って?」
レティシアはそんなアランを見て、優しい笑みを浮かべる。そしてアランにレティシアの目の前にソファに座るよう促すが、アランは首を横に振って申し訳なさそうに返答する。
「それは出来かねます……」
「そう、では場所を変えようかしらね。ついてきてちょうだい」
「わかりました」
レティシアはアランと共に離宮の中庭へと向かう為、応接室を後にした。
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アランを連れて離宮の中庭へと出たレティシアは足を止めてから、背後にいるアランに向き直る為、振り返る。
「単刀直入に言うわね。私の近衞騎士になってくれないかしら……?」
「近衞騎士ですか? それはレティシア王女殿下に仕える専属騎士ということですか?」
「まあ、そうなるわね。無理なら断ってくれても構わないわ!」
アランを近衞騎士にしたいと思ったのは、昨日、自身の誕生日パーティーが行われた会場でグイードと共に顔を合わせた時、直感でこの人を自分の騎士にしたいと思ったからだ。
だが、陛下から愛されていない、いかにも理由ありの王女の近衞騎士なんて嫌かもしれないと思っていたレティシアはダメ元で言ったのだが、アランの返事はレティシアの予想とは真逆の物だった。
「いいですよ。なります」
「即決なのね」
「はい、ずっとなりたいなと思っていましたので!」
「私の騎士に?」
「そうですよ!」
まさか、自分の騎士になりたいと思っていてくれたなんて思わなかったレティシアは嬉しそうに微笑む。
「そうなのね、嬉しいわ、ありがとう。アラン、これからよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします!」
アランは軽く会釈して、レティシアを見て優しい笑いかけた。
王城の執務室にて、ディオルの近衞騎士のソレスは机の上にある書類に目を通しながら、ペンを紙の上に走らせているディオルに話しかける。
「陛下、昨日はパーティーには顔を出さなかったのですか?」
「ああ、」
「そうなんですね。レティシア王女殿下は陛下に来て欲しかったと思いますけどね」
「そうか」
ディオルは昨日行われたレティシアの誕生日パーティーに顔を出さなかった。まだ幼かったレティシアに離宮に行くように命じたあの日から、ディオルはレティシアのことを避け続けてきた。
「それにしても、今日は暑いですね〜」
ソレスは再び訪れた沈黙を破るかのように、手をひらひらして顔を仰ぎながら発言する。
「ああ、そうだな」
ディオルはそんなソレスを見てふと笑みをこぼし、動かしていた手を止め、顔を上げて部屋の窓から見える夏の空を瞳に映した。
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麗らかな昼過ぎ頃、王城にある玉座の間にアルティリア王国の第二王女リリアーナが訪れる。玉座の席に座っていたディオルの目の前に来たリリアーナは頭を軽く下げてから、ディオルの顔を見て話し始める。
「陛下、この度はお話する時間を作って下さりありがとうございます」
「ああ、それで何用だ?」
「離宮にいるレティシア王女殿下に会いに行きたいのです。私は一度も顔を合わせてお話ししたことがございません。レティシア王女殿下に会いに行っても宜しいでしょうか?」
リリアーナの言葉通り、リリアーナはレティシアと一度も顔を合わせて話したことがなかった。だから会いに行きたいという純粋なリリアーナの言葉を聞いたディオルは頷き離宮に会いにいくことを許可を下した。
「わかった、会いに行けるように手配しておこう」
「ありがとうございます。陛下」
リリアーナはディオルに礼を伝えて、会釈をしてから玉座の間から出て行った。
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翌日の昼過ぎ頃、リリアーナはレティシアがいる離宮へとやって来た。
離宮の応接室へと通されたリリアーナは応接室でリリアーナのことを待っていたレティシアと初めて顔を合わせる。
「初めまして、レティシア王女。私は第二王女のリリアーナと申します。この度はこうして会えて嬉しく思います」
「ええ、初めまして、リリアーナ王女。私も会えて嬉しく思いますわ」
レティシアはそう言いリリアーナを見て優しく微笑む。そして向かいにある白いソファに座るよう促した。
レティシアに促されたリリアーナは白いソファに腰を下ろしてから話し始める。
「はい、それにしてもレティシア王女はどうしてこの離宮におられるのですか?」
「ちょっと色々理由がありまして」
「そうなのですね!」
「ええ、」
リリアーナは何の為に離宮へと来たのかわからずにいたレティシアだったが、リリアーナが唐突にくすりと笑った後、先程の優しい顔つきから冷たい、憐れむような顔へと変わったリリアーナを見てレティシアは身構えてしまう。
「わたくし、ずっとレティシア王女、貴方に会いたいなと思っていましたの。だけど、会ってわかりましたわ。貴方は私以下だってことが」
「え……?」
リリアーナから言われた言葉が思いもよらなかったものだった為、レティシアはまともに返事を返すことができなかった。
「レティシア王女殿下、貴方は陛下に愛されていない。だからいずれこの国の王となるのはわたくしですわ」
「そうですか……」
「ええ、今日はそれを言いに来ただけです。レティシア王女、貴方はずっとこの離宮に閉じこもっていて下さいな」
リリアーナはそう言い座っていたソファから立ち上がり、見下すような笑みを浮かべてレティシアを見てから応接室から出て行ってしまう。
部屋に残されたレティシアが少し悲しげな顔をしていたのを側にいたアランは見逃さなかった。
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リリアーナが離宮に訪れた翌日。レティシアは自室の部屋のベットに寝転がりながら、昨日リリアーナから言われた言葉を思い出していた。
「はぁ……、わざわざあんな事を言いに来るなんてね」
レティシアがポツリと呟くのと同時に、自室の茶色いドアをコンコンと2回ほどノックする音がレティシアの耳に届く。
「レティシア王女殿下、そろそろ朝食が出来上がります。起きてください」
「起きているわ。ルミリア、申し訳ないのだけれど今少し調子が悪くて、もう少ししたら起きるから」
侍女のルミリアにドア越しにそう伝えるとルミリアの落ち着いた優しい声色が返ってくる。
「そうなのですね、わかりました」
「ええ、」
レティシアの部屋の前を後にしたルミリアは通路を歩きながら、心の中で呟く。
(姫さま、大丈夫かしら…声に元気がなかったような気がするわ)
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穏やかな昼過ぎ頃、離宮の中庭でレティシアはぼんやりと花壇に咲いている白い花を見つめていた。そんなレティシアのことをたまたま見かけたレティシアの近衞騎士であるアストリッドはレティシアの元へと歩み寄り声を掛ける。
「殿下、今日はいい天気ですね」
アストリッドにそう声を掛けられたレティシアはその場から立ち上がり、アストリッドの方を向いて明るく返事を返してくる。
「あら、アストリッド、そうね、いい天気ね」
「はい、あの、殿下、大丈夫ですか?」
「大丈夫って?」
「いや、少し元気がないように見えたので……」
いつもより何処か元気がないことに気付いたアストリッドは目の前にいるレティシアを心配そうな顔で見つめる。
「そうなのね……」
「よければ話しを聞きましょうか?」
「ええ、昨日ねリリアーナ王女が離宮に来たのよ」
「そうだったのですね」
リリアーナが離宮にやって来たことをアストリッドは知っていたが、何の話しをしたのかはその場にいなかった為、アストリッドは知らなかった。
「ええ、私、リリアーナ王女から言われた言葉が少し胸に突き刺さってしまって」
「なるほど、それで少し元気がないのですね」
「ええ、そうね」
元気がない原因がリリアーナ王女にある。とわかったアストリッドはレティシアを元気づける為の言葉をかけることにした。
「リリアーナ王女殿下からどんなことを言われたのかはわかりませんが、世の中色々な人がおりますから、こちらにマイナスな気持ちを与えてくる人のことを気にする必要はないと俺は思いますよ」
「そうよね、確かにそうだわ!」
レティシアは頷きながら、アストリッドの言葉に納得する。アストリッドはそんなレティシアを見て優しい笑みを浮かべて告げる。
「殿下、俺はどんなことがあっても殿下の味方ですから。なんかあったら頼って下さいね」
「ええ、ありがとう…! アストリッド」
翌日の麗らかな昼過ぎ頃、レティシアはディオルに会いに王城へと訪れる。
「陛下、この度はお話をする時間を作って下さりありがとうございます。第一王女のレティシアと申します」
「ああ、こうして顔を合わせてまともに話すのは初めてだな」
玉座の間に座るディオルはレティシアを見てそう言い少し悲しげな顔をする。
「そうですね。陛下、私はずっと気になっていたことがあるのです。どうして私は離宮で暮らさなければならないのでしょうか? 私はこの国の第一王女ですよね?」
「ああ、お前はこの国の第一王女だ」
「では、何故、私は王城ではなく離宮に居なければならないのですか?」
レティシアはずっと疑問に思っていたことをディオルに問い掛けると、ディオルは顔を曇らせる。
「それは……」
「言えないことなのですか……?」
「申し訳ないがレティシア、お前の問いには答えることはできない」
「そうなんですね、わかりました。お時間頂きありがとうございました」
レティシアはディオルに会釈して、王座の間から立ち去る。
玉座の間を出たレティシアは胸の内に黒い感情が広がっていくような気がしたが、この気持ちが何なのかをあえて深く考えないようにした。
一方、王座の間に残されたディオルは玉座の間の茶色い扉を見つめながら、陽の光が入り暖かさを感じさせる大部屋で一人呟く。
「離宮で暮らすように命じたのは、私の気持ちが掻き乱されるからだ。なんて言えるはずがないだろう……」
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空が茜色に染まり始めた頃、王城の執務室で仕事しているディオルにディオルの近衞騎士であるソレスは話し掛ける。
「今日、レティシア王女が陛下の元に来たみたいですが、何をお話されたのですか?」
ソレスの唐突と問いにディオルは書類の上にペンを走らせていた手を止めて、席の斜め後ろに立つソレスの方に身体を向けて、嫌そうな顔する。
「何をか、言う必要あるか?」
「言いたくないのなら言わなくてもいいですよ」
「いや、言いたくないとは言っていないが」
「そうなのですか?明らかに嫌そうな顔をしていましたけど」
どうやら顔に出ていたらしい。
ディオルはため息をついてから、また机に向き直ると止めていた手をまた書類の上で動かし始めた。
「まあ、嫌ではあるな。あまり聞いてほしくはないとは思っている」
「そうですか、わかりました。あ、もうこんな時間ですか、私はこれから少し用があるのでお暇させて頂きますね」
「ああ、わかった」
ディアルがソレスにそう返事を返すと、ソレスはディオルに会釈をして、部屋から出て行く。
部屋に残されたディオルは手を止めてぽつりとずっと思っていた自身の思いを口にする。
「本当の娘であったらこんな思いをしなくて済んだのにな……」
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アルティリア王国の隣国であるラベリア国の第一王女ユリアーネがディオルの元に嫁ぐ為にやって来たあの日。
王城の正門に入ってきたユリアーネを乗せた馬車がゆっくりと止まり、馬車の中から降りてきたユリアーネを見てディオルは心を奪われた。
「初めまして、ディオル陛下、ラベリア国の第一王女ユリアーネと申します。これからどうぞよろしくお願い致します」
望んだ婚約ではなかったが、ユリアーネはディオルが思っていた倍以上に美しかった。
サファイアブルーの瞳は宝石のように綺麗で、金色の髪は陽の光にあたって美しさを際立てていた。
「ああ、こちらこそだ」
アルティリア王国の隣国であるラベリア国の第一王女ユリアーネ。彼女とは顔を合わせて話したことはなく、一度、舞踏会で顔を見たことがあるくらいであった。
しかし、俺はユリアーネと話していく中でユリアーネに惹かれていった。
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婚約式の前日の夜。王城の通路でディオルとソレスは婚約のことについて話しをしていた。
「陛下はユリアーネ王女のことをどう思っているのですか? この婚約は望んでしたものではないですよね」
「そうだな、望んでしたものではない。ユリアーネは跡継ぎを作る為に必要な存在だ」
「そうですね」
そんなソレスとディオルの会話をたまたま近くにいたユリアーネは聞いてしまう。
「そのように思っていたのですね、ディオル陛下……」
ユリアーネは悲しげに呟き、自室へと戻る為、月明かりに照らされた夜の通路を歩き始める。一方のソレスとディオルはユリアーネがこの会話を聞いていたことなど知る由もなく会話を続けていた。
「陛下は愛しておられるのですか? ユリアーネ王女のことを」
「ああ、勿論、愛している」
「そうですか。幸せになってくださいね」
「ああ、」
✧
王城の一室に当たるユリアーネの部屋がノックされたのはユリアーネが部屋に戻って来て少し経った頃であった。
「エドルです。殿下、遅くなり申し訳ありません」
「エドル、入ってきていいわよ」
「はい、わかりました。失礼します」
ユリアーネの近衞騎士であるエドルはユリアーネがいる部屋に入ってくるエドル。
「私は今から城を出ます。エドル、私と共に着いてきてくれるかしら?」
ユリアーネの言葉にエドルは厳しい顔つきになる。
「殿下、貴方はディオル陛下の婚約者なのですよ。城を出るなんてことは許されるはずがありません」
「ディオル陛下は私のことを愛してはいないわ…… 私は愛のない結婚はできない」
「ディオル陛下から言われたのですか? 愛していないと……」
エドルはユリアーネのことを好いていた。それは王女としてではなく、一人の女性としての感情を含んでいるものであった。
目の前にいる彼女が幸せになるならそれでもいいとそう思っていた。
だが、今、エドルの前にいるユリアーネは深く傷ついた顔をしていた。
「いいえ、愛していないとは言われていないわ。だけど、私は跡継ぎを作る為に必要な存在なのだと言っていたわ。きっと誰でもよかったのよ……」
ディオル陛下がそんなことを殿下に言ったのか。とエドルは思ったが、ユリアーネの傷ついた顔を見て本当に言われたのだなとエドルは思う。
「そうですか……」
「ねえ、エドル、私と共に来てくれないかしら。私には貴方が必要なのよ」
ユリアーネの心はもう決まっていた。
婚約者であるディオルとの婚約を破棄する為に城を出る。エドルは近衞騎士としてユリアーネが共に来て欲しいと望むのであれば何処までもお供しよう。と覚悟を決める。
「殿下…… わかりました。一緒に行きます」
「ありがとう、エドル」
その夜、ディオルの婚約者であったユリアーネ王女と王女の近衞騎士である男は城を出た。
翌日、王女がいなくなったことが大事になったことは言うまでもない。
✧
アルティリア王国の左端にある街でユリアーネとエドルは暮らしていた。
エドルとユリアーネが共に王城から出てから1ヶ月半が経った頃、国王"ディオル"の近衞騎士である者が街へとやってくる。
そんな中、街中にあるユリアーネとエドルが暮らす家では穏やかな時間が流れていた。
「早く私達の子に会いたいわ」
「そうですね」
王城から出た私とエドルは、王国の左端にある街で家を買い。私は姫という身分を、エドルは騎士という役職を捨てひっそりと暮らしていた。そして私とエドルは一緒にいる中で、互いに惹かれていった。
「エドルってば、相変わらず敬語が抜けないのね」
「はは、すまない。じゃあ、行ってくるよ。夜にならない内に帰るから」
「ええ、わかったわ。いってらっしゃい、エドル」
「ああ、」
エドルはユリアーネに見送られて、家のドアを開けて外へと出る。
いつもと何も変わり映えのない朝であるが、この日は違っていた。外に出たエドルを待ち構えていたのは王国の騎士二人であったからだ。
「ずっと探しておりました。貴方はユリアーネ王女の近衞騎士で間違いありませんね?」
「この家にユリアーネ王女がいることはわかっている。嘘をつかない方が身の為だぞ!」
騎士二人に問い詰められたエドルは冷静に目の前にいる二人の騎士を見て問う。
「どうしてわかったのですか?」
「この街にいる人から聞いた。まさか、こんな所にいるとは思っていなかったが」
茶髪の若い騎士がきつい口調でそう言えば、茶髪の騎士の左隣に立っていた年配の黒髪の騎士は鋭い目つきでエドルを見据えて告げる。
「近衞騎士である貴方がユリアーネ王女の前から姿を消さなければ、ユリアーネ王女と近衞騎士であるお前を殺すようにと陛下から命じられている。今すぐに選択しろ」
近衞騎士としてどちらを選択するべきか。そんなことはわかっている。けれど、自分が殿下の前から姿を消せば、今度は自分がユリアーネを傷つけることになるだろう。
「ユリアーネ王女の前から姿を消すか、ユリアーネ王女と共に死ぬか。近衞騎士であるならわかるだろう? どちらを選択すれば良いかが」
すぐに選択しないエドルに茶髪の騎士は少し苛立ちを交えた声でエドルに畳み掛ける。
エドルは少し口をつぐんでから、静かに答える。
「わかりました…… 殿下の前から姿を消します。ですが、私が消えた後、殿下に危害を加えないとお約束してください」
「ああ、それは勿論だ」
「ありがとうございます。では、そこを退いていただけますか?」
「ああ、」
近衞騎士二人の横を通り越して、立ち止まらずに歩き続けたエドルは、船が出る港近くまで来てそっと歩くペースを緩める。
(俺は彼女のことを愛しているのに、側にはいることはできないんだな…… さようなら、ユリアーネ)
エドルは心の中で大切な人への思いを呟き、再び歩き始めたのであった。
✧
その日の夜。ユリアーネは帰ってこないエドルのことを心配していた。
「夜にならない内に帰ってくるって言っていたのに帰ってこないわね。何かあったのかしら……」
その日、エドルは帰ってこなかった。
エドルが帰ってくるのをずっと待ち続けていたユリアーネだったが、気付かない内に寝てしまっていたことに気付いて、ユリアーネはソファから勢いよく起き上がる。
「私、寝てしまっていたのね。エドル、今どこにいるの……?」
✧
エドルがユリアーネの前から姿を消してから、2日経った日の昼過ぎ。ユリアーネの元に国王"ディオル"の近衞騎士であるソレスが訪れる。
「誰かしら……?」
家のドアを2回ほどノックされ、ユリアーネは座っていた木製で出来た茶色い椅子の上から立ち上がり、玄関まで行きドアを開ける。
「貴方は……!?」
玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは婚約者であったディオルの近衞騎士であった。玄関から出てきたユリアーネの顔を見るなり、ソレスは優しい微笑みをユリアーネに向けてくる。
「初めまして、ユリアーネ王女。私はディオル陛下の近衞騎士のソレスと申します。貴方の近衞騎士であるエドル様は、ユリアーネ王女、もう貴方の元には帰ってきませんよ」
「エドルが帰ってこない……? それはどういうこと?」
エドルが帰ってこないと言ったソレスの言葉にユリアーネは嫌な予感がした。
「詳しくはお話しできませんが、ユリアーネ王女、貴方の為なのです」
「私の為ってどういうこと?」
「明日、王城までご同行願います。馬車で迎えに参りますので、それでは失礼いたします」
ソレスはユリアーネにそう言い、会釈をしてその場から立ち去って行く。
ユリアーネは去って行くソレスの後ろ姿を見送りながら、不安を含んだ声色で呟いた。
「エドル…… どうして私の前からいなくなったの……?」
翌日。ユリアーネはソレスと共に王城へとやって来た。王城の正門へと入った馬車はゆっくりと止まりユリアーネは馬車から降りる。
「数ヶ月振りね……」
まさかまた城に戻ってくることになるなんて思いもしなかったユリアーネは目の前にある王城を見上げて呟く。
「ユリアーネ王女、行きましょうか」
「ええ、」
ユリアーネはソレスと共にディオルがいる玉座の間へと向かう為、歩き出した。
✧
ディオルがいる玉座の間の大部屋へと足を踏み入れたユリアーネは、玉座の席に座りこちらを見下ろし見ているディオルの前へと歩み寄ってからぺこりと頭を下げる。
「ユリアーネ、久しぶりだな」
ディオルの声は優しく、ユリアーネの緊張はほんの少し和らいだ。
「ディオル陛下、お久しぶりです……」
「ああ、お腹の中にいる子は近衞騎士との子か、」
「何故、知っているのですか……!?」
私のお腹に子供がいることはエドルしか知らないはずであるのに。ユリアーネはそう思いながら少し強張った顔つきで玉座の先に座るディオルを見上げる。
「ユリアーネ王女、貴方の近衞騎士が直接話してくれたのです」
ディオルの近衞騎士であるソレスがユリアーネにそう伝えれば、ユリアーネは確認の問いをディオルに投げる。
「エドルが話したのですか……?」
「ああ、そうだ」
「そうなのですね、」
「ああ、」
もしかしたら、陛下はエドルが今何処にいるのかを知っているかもしれない。そう心の中で思ったユリアーネは淡い期待を抱きながら口を開く。
「エドルは今何処にいるのですか……?」
「自国にいるだろう。私が帰らせたのだ」
「陛下が帰らせた……? どういうことです?」
ユリアーネはディオルが言った言葉をすぐには理解できなかった。ディオルは少し悲しげにユリアーネを見つめながら話しを続けた。
「ユリアーネ、お前のお腹の中にいる子供は私との子供ではないことも、お前の心が私ではなく近衞騎士にあることも全てわかっている。だけど私は、ユリアーネ、お前に側にいてほしいんだ」
「そうなのですね。陛下、誠に申し訳ないのですが、私は陛下とこれから先も一緒にいることは出来ません」
あの日、ディオルとの婚約式の前日の夜に城を出ると決めたあの時から私の心は決まっていた。もう陛下と共に歩む未来はないと。
「そうか…… わかった。但し、一つだけお願いがある」
「お願いですか……?」
「ああ、家に帰るのは子供が生まれてからにしてくれ」
「子供が生まれてからですか……?」
ディオルは近衞騎士縦にエドルから頼まれていた。ユリアーネのお腹にいる子供が生まれるまで、城で過ごさせてあげてほしいと。
だが、エドルから頼まれているからだと。ディオルはあえてユリアーネに言わなかった。
「ああ、それまで離宮にいてくれないか」
「わかりました……」
「ああ、ではソレス、後は頼んだぞ」
「はい、陛下、お任せ下さいませ」
✧
ユリアーネが王城へと戻ってきてから月日が流れ1年が経った頃、ユリアーネはまだ小さいレティシアを連れてエドルと共に暮らしていた家へと帰ることになった。
アルティリア王国の左端にある街にユリアーネとレティシアを乗せた馬車はたどり着く。
1年半振りの街の風景をユリアーネは馬車の窓越しに見つめていた。そんなユリアーネに向かいに座っていたソレスは話しかける。
「ユリアーネ王女、私は陛下と一緒になられた方が幸せだと思うのですが」
「そうね、けれどもう決めたことなの。私はこの子を一人でちゃんと育てあげるって」
ユリアーネは自分の腕の中にいるまだ赤子のレティシアの頭を優しく撫でてから、芯のあるサファイアブルーの瞳をソレスに向けた。
✧
数年後、レティシアが12歳となった頃。
ユリアーネは病に侵され寝たきりの状態になってしまう。そんなユリアーネの容態を知ったディオルはユリアーネとレティシアがいる家へと訪れていた。
「ディオル陛下……」
「ユリアーネ、私は間違っていた……」
ベットに横たわる少しやつれたユリアーネを見つめながら、ディオルは悲しげな顔で呟いた。
「何を間違っていたのですか……?」
「私の脅しによって、ユリアーネ、お前の騎士であったエドルは自国へ帰ったのだ」
ディオルはずっとエドルを脅すように自分が命じたことを黙っていた。病に侵されたユリアーネを見て、自分がしたことがどれ程にユリアーネを苦しめたのか、その事実がディオルの胸を苦しめた。
「そうだったのですね…‥ ディオル陛下、貴方は私の心をまた傷つけるのですね」
「また傷つけるとはどういうことだ?」
「ディオル陛下、あの日、婚約式の前日の夜。陛下の近衞騎士であるソレス様との会話を私は聞いてしまったのです」
婚約式前日の夜。ユリアーネはソレスとディオルの会話を聞いていた。ディオルはユリアーネが言うソレスとの会話とは何の話しであるかわからず、自身の過去の記憶を辿る。
「婚約式前日の夜……? ソレスとの会話…… あの時のことか!」
「はい、陛下は跡継ぎを作る為に私は必要な存在だと。あの言葉で私は陛下が跡継ぎを作れるなら誰でもよかったのだと思い、苦しくて、エドルと共に城を出たのです」
ユリアーネが自分の元からいなくなった原因を聞かされたディオルは少し驚いた顔をしたが、すぐに冷静な顔つきに戻る。
「そうだったのか…… 聞いていたのだな。あの時の会話を、」
「はい、聞いておりました」
「すまなかった。だが、私はユリアーネ、お前を愛していた。ユリアーネが聞いたのは会話のごく一部だ。その後に私は愛していると発言した」
ユリアーネのことを愛していたと発言していたということをディオルから伝えられると、ユリアーネは驚きの声を上げる。
「そうだったのですか……!?」
「ああ、だが、傷つけたことには変わりないな。ユリアーネとお前の近衞騎士を引き離したのは私だ。私は二度も大切な人を傷つけてしまった……」
「陛下……、」
「申し訳なかった……」
ディオルはベットに横たわるユリアーネに謝罪をして深々と頭を下げる。ユリアーネはそんなディオルを悲しげに見つめていた。
✧
ディオルが病にふせているユリアーネの元へ訪れてから数ヶ月が経った頃、ディオルはユリアーネの近衞騎士であったエドル宛に手紙を送った。
隣国ラベリアの王城にあるラベリア国王が実務をこなす執務室にエドルは呼ばれた。
「エドル、お前宛の手紙が届いていたぞ」
王から手渡された手紙を見て、エドルは眉を顰める。
「私宛の手紙ですか?」
「ああ、そうみたいだ」
「そうなのですね」
エドルは封筒の封を切り、中に入ってある手紙を取り出し、四つ折りにされていた手紙を広げて手紙を読み始める。
「ディオル陛下から……だと」
手紙にはユリアーネが病に侵されていること、レティシアが無事に生まれたことが書かれていた。
「陛下、外出許可を頂けないでしょうか?」
「ああ、いいだろう」
「ありがとうございます」
エドルは王に会釈をしてから、執務室を後にした。
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アルティリア王国の左端にある街へと着いたエドルはかつてユリアーネと自分が暮らしていた家へと向かっていた。
自分がいた頃とほんの少し変わった街の風景を横目に見ながら、エドルはユリアーネとレティシアがいる家へと辿り着く。
家のドアを軽くノックすれば、家のドアがゆっくりと開き、中からユリアーネと同じ金色の髪をした少女が出てくる。
「はい、だれですか?」
「レティシアか……?」
「なんでわたしのなまえ知ってるの?」
「俺はお母さんの知り合いなんだ」
自分は父親だと言うのは今ではない気がしたエドルは誤魔化す。
「そうなのね、じゃあ、はいっていいわよ」
「ああ、ありがとう」
レティシアに家の中へと招き入れられたエドルはゆっくりとユリアーネがいる部屋へと足を踏み入れた。
エドルがユリアーネが横たわるベット近くまで歩み寄り声を掛けると、窓から見える空を見ていたユリアーネの顔は勢いよくエドルに向けられる。
「ユリアーネ……!」
「エドルなの……?」
ユリアーネはエドルを見て、弱々しげに問い掛ける。
「ああ、ユリアーネ、急にいなくなってしまって本当にすまなかった……」
「全て、ディオル陛下から聞いているわ。いいのよ、エドル、貴方は私とレティシアのことを守ろうとして、私の前から姿を消したのでしょう?」
「ああ、だが、側にいるべきだった……」
ずっと、後悔していたことをエドルは言葉にする。ユリアーネは今にも泣きそうな顔でエドルを見て優しく微笑む。
「私はこうして貴方ともう一度会えたことがとても嬉しいの。エドル、残された時間をレティシアと貴方と私の3人で過ごしたいわ」
「ああ、そうだな」
その日の夜、エドルはユリアーネと大切な二人の娘であるレティシア。家族三人での温かな時間を過ごした。
ずっと家族3人で過ごすこの幸せな時間が続いてほしいとエドルは思っていた。だが、束の間のひと時も過ぎていき、明け方頃にユリアーネは息を引き取った。
「おかあさん……!! ねえ、どうしてお母さんは目を覚まさないの……?」
「お母さんはな、長い長い眠りについたんだ」
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ユリアーネが亡くなってから3日目の昼過ぎ頃、エドルはレティシアを連れて王城へと訪れる。
「ディオル陛下、突然来てしまい大変申し訳ございません」
「いや、大丈夫だ。手紙は読んだんだな?」
「はい、読みました」
「そうか、それでどうする?」
ディオルは目の前にいるエドルを見て、問い掛けた。レティシアをどうするか。王族として育てていくべきか、自分が親として育てあげるべきか。その二択どちらを選択すれば良いかなどわかりきっていた。
「レティシアのことをどうぞよろしくお願いします」
「わかった」
「はい……」
「おねがいしますって……?」
エドルの隣に立つレティシアは不安そうにエドルを見上げて、服の裾を掴んでくる。
エドルはそんなレティシアを見て、頭を優しく撫でてから、しゃがみ込み、レティシアと同じ顔の高さになってから柔らかい声で告げた。
「どんなに離れた場所にいても俺はレティシアを愛している。それだけは覚えていてくれ」
エドルはレティシアの頭を再度撫でてから、レティシアを玉座の間に残して、その場を後にした。