「───ところで、」



恐らく、この接続詞から始めるのは不適切だった。

とはいえ、それ以前に話していた会話など大した中身もない──テストが厳しかった授業のことやサークルにまつわる世間話など──だったから、話の切り出し方としてはまぁおかしくは無かっただろうけれど。



「ザリガニを釣りに行かない?」



そして、それに続く言葉の方がもっと不適切だった。

小さな折りたたみ式のローテーブルの輪郭に沿って腰を下ろす、私以外の4人は「ん?」と疑問符を口にした。

数秒の沈黙。



「……ザリガニ?」




大学一年生の夏休みは驚くほど暇だ。私は教職課程を取っていたので多少授業が入り込んでいたものの、2ヶ月近い休暇は持て余す他ない。週に2回程度のサークルでは埋めきれない暇がそこにある。

というわけで、いつかの合奏の終わりに、私はそんなことをサークルの友達に誘ってみたのだ。



「ザリガニって、あのザリガニ?」



まず、この井戸端会議の場所を提供してくれたA君がそう私に尋ねてきた。A君はやたら料理に凝る上、そこそこ気前も良かったのでこうして私たちを家に呼び、振舞ってくれる。そしてこういう変な話に食いつくのが早い。



「そう。この前聞いたんだよ、ここから自転車で30分ぐらい走った所の公園にザリガニのいる池があるって。小学生とかが釣って遊んでたりするらしいよ」



ようやく皆が、私の話が冗談ではなく真面目に言っているらしいと理解した。遅れてやってくる爆笑。よし、今日分の笑いは頂いた。



「え、何言っとんの?」



笑いが収まらないままそう尋ねてきたのはB君だ。私と同じ楽器の、恐らくこの中で一番常識のある人。

そう思うのも無理はない。が、私はれっきとした信念と筋の通った理由を持ってこのような誘いをしているので、ここで同調する訳にはいかない。



「逆に聞くよ。ザリガニ、釣りたくないの?」



本日2度目の爆笑だった。
暫く場が収まらず、テレビの音すら聞こえてこなかった。
特にC君 (彼も中々個性的だ。詳しくは後に説明する)に至っては、腹を抱えて笑い転げている。



「待って、なんでそんなこと思いついたの?」



そして最後に、私たちグループのマドンナであるNちゃんがそう聞いてきた。いつ如何なる時も彼女の微笑みには品がある。こんな変な人々の集うグループに属して頂いていいのだろうか。



「なんで、と聞かれたら思いついたからとしか言いようがないんだけど、」



と、私は1度前置きする。



「大学は人生の夏休み、という。じゃあ、大学の夏休みは、夏休みの夏休みということだ」

「……?まぁ、一旦聞くよ」

「そんな最高の休みをダラダラと過ごしていたら一瞬で過ぎ去ってしまう。それは嫌だ!私はもっと噛み締めるようにして休みを謳歌したいのだ」



そこはまるで、どこかの国の立派な演説舞台のようだった。少し視野を広げれば、ここが大学生の住む小さなアパートの一室であることはすぐに分かってしまうが。



「ある一定の時間が長く感じるか短く感じるかどうかは、経験の有無に依存すると考えている。例えば、知らない土地に行くとそこで見る物全てが新しいせいで、時計を確認する度にあまり進んでいないことに驚いたりする。一方、家の中で同じ日常をなぞるだけでは、数時間なんてあっという間に溶けてしまうだろう」

「……うーん、まぁ」

「要は、新生児や幼児と同じように、経験すること全てが新しければ、同じ1時間でも長く感じることが出来る。だから、普段やらないようなことを沢山すればいい。これはその一環だ」



理屈は分かるけれど、とでも言いたげな視線を浴びる。そして私は演説者としての皮を脱ぎ、最後に呟いた。



「小学生の夏休みみたいなさ、The夏を過ごしてみたいじゃん。まだ間に合うよ」




私たちは同学年、木管楽器の集まりだ。各々他県から進学しており、大学近辺に自身の部屋を構えていたので、日時と場所を指定し、『備考 : 自転車を携えて来い』とグループラインに連絡すれば話は一瞬だ。

当日、真夏の炎天下、大学前にて自転車の集団がたむろしていた時は流石に笑ってしまった。私たちが必死に受験勉強をした先に待ち受けていたのは、こんなヘンテコな未来だったのか。



しかし、主犯の私はそんな想いを顔に出すことなく、こう口にする。

「よっす、皆の衆」







面白いのが、木管楽器の2年生の先輩が1人参加してくれたことだ。私はザリガニ釣りについてこの4人以外の誰にも話していないのにも関わらず、何故メンバーが増えているのか。戦犯はそう、先程詳しく説明しなかったC君だ。


時は2日前に遡る。突然彼が、2年生の他、3年生や4年生も含む木管楽器全体グループでこう呼びかけたのだ。


『〇月〇日にザリガニを釣りに行きませんか?行きたい人は13時に大学前にお願いします!』

……なぜ言う!



こんな内輪ノリを他の先輩に押し付けるんじゃないよ、私たちが企てていることが如何にぶっ飛んでいるかわかるだろうが恥ずかしいだろ、と皆で彼を説教したのだが、実際に1人来てくれた挙句、他の先輩にも予定が無かったら行きたかった〜、なんて後に言われる始末。

大学生は皆狂気じみているのかと思った。




そんな訳で、A君、B君、C君、先輩 (Dさんとする。彼は原付──否、エンジン付き自転車で来てくれた)、Nちゃんと共に田舎道に繰り出したのだった。

8月の終わり、太陽光は痛々しいほどに容赦が無い。白線の掠れた、車通りの少ない道路の先は陽炎で揺らめいている。歩道は誰も手入れしないからか雑草が逞しく背丈を伸ばし、半袖の私たちを擽った。



「で、ザリガニ釣ってどうすんの?」



と、少し後ろを走るB君に尋ねられる。



「キャッチアンドリリースじゃない?え、食べたい人いる?」

「いねぇよ」



一応アメリカザリガニはちゃんと処理すれば食べられるらしいことは知っていたので、あらゆる可能性を考慮してそう返事したというのにこれだ。じとっと見つめてやりたいが、ガタガタの田舎道はよそ見出来る余裕が無い。



「もしくは飼う?」



そう言ったのはC君だ。ヘラヘラと笑う癖は喋り方にも移っている。



「俺らで世話しようよ、部室で」

「やめろ、絶対臭くなる」

「ちゃんと名前付けないと」

「話を聞きなさい」



不毛な会話をするうちに、いつの間にか河川敷を走っていた。茎の途中で切断された草が広がる芝生、ジリジリと焦げ付くような暑さを照り返すアスファルト、青色の澄んだ空、巨大な入道雲。自転車の金属部分が太陽を反射して眩しかった。

夏。これぞ夏だ。



「これが人生の夏休みか」



先頭を走る私の呟きは、恐らく誰の耳にも届いていない。





最後に急な坂を登れば、ようやく目的地の公園が見えてくる。小さな公民館と駐車場も併設されているようで、Dさんはエンジンという文明の利器を駆使し、先回りして隅っこに佇んでいた。



「お待たせしてすみません」

「んーん、全然」

「念の為聞くんですけど、本当に一緒にザリガニ釣ってくれるんですか」

「うん、そのつもり〜」



私は結局、Dさんが卒業する最後の日まで彼をあまりよく理解することは出来なかった。何に対しても曖昧な反応を示すので、彼の言葉が社交辞令なのか本心なのか汲み取れなかったのだ。

ただ、意外にもC君はDさんと仲が良かったので、「実は結構楽しみにしてたらしい」と後にC君づてに聞くことになる。



「でさ、」



と、エンジンを停めた原付に腰掛けるDさんが聞く。



「誰がザリガニ釣ろうなんて言い始めたの?」



ぎこちない笑いが沈黙をコーティングした。私はおずおずと手を挙げる。



「あの……私です」



その時ばかりはDさんが何を考えていたか、表情から読み取れた。「え、マジで?」







ようやく本題のザリガニ釣りに移る。用意した道具はタコ糸とさきいか(・・・・)のみ。後はその辺に落ちている木の棒に括りつけ、即席釣竿の完成だ。



「あのねぇ、あなた」



あなた、と相手をなじるときのA君は説教モードの時だ。私はその言葉の先を察してしまったので、謝罪モードの体勢をとる。両腕を身体のラインに沿わせ、背筋を伸ばす。



「言い出しっぺの癖になんで俺に準備させるのよ」



これらの材料は全てA君が買ってきてくれた(ちゃんと代金は割り勘した)。その経緯は覚えていないが、少なくとも彼にやらせたのは事実。大変申し訳。

更に言えば、釣竿を作ってくれたのもA君だ。聞けば彼は地元でも釣りを嗜んでいたらしく、この手のことに関しては滅法詳しく、手慣れていた。この数ヶ月後、私はA君とC君と共に冬の海へ繰り出し、大量の(いわし)を釣ってたらふく食べることに成功するのだが、これはまた別の話。




「ねぇ、Nちゃん……」

「ん?」

「嫌だったら無理しなくていいんだからね?」



隣で釣竿を持つNちゃんに話しかける。

彼女は人見知りの傾向があり、このような集まりがあっても私が居ない限り顔を出さない。ただ、皆と遊びたいという気持ちもあるのはちゃんと伝わってくる。だから、本当はザリガニなんか釣りたくないけれど無理して付き合ってくれているのでは、と勘ぐってしまったのだ。華の女子大生が、澱んだ池に生きる甲殻類に触れたいはずがない。



「ううん、楽しいよ」



Dさんと似た回答。ますます不安になった。



「本当に?」

「ほんとほんと。面白そうじゃん」



確かに、彼女の微笑みからは紛れもない興味が滲み出ていた。この時にはまだ気がついていなかったが、Nちゃんはあまり偏見を持たない。基本的に、良い人か悪い人かで判断するので、やばい思考を持つというだけでは引いたりしない。

こんなヘンテコ話に乗ってくださってありがとう、マドンナ様。





こんな簡易的な釣竿で出来るものなのか、と読者の方々は思うだろう。私自身も半信半疑だった。そもそもザリガニがいるのかも分からないし。



「……あ、いる!」



なんて心配は一瞬でクリアした。池の縁に沿うように、それはじっと息を潜めていた。2本の長い触覚を伸ばし、赤黒い鎧で身を守る、両の爪が立派な。

おぉ、と感嘆の声が上がる。先陣を切って私が、恐る恐る釣り糸を垂らしてみた。小さな波紋を広げ、さきいかが水面下で揺蕩う。

次の瞬間。



「かかった!」



水中で砂埃が舞った。手のひらに乗る程の小さな生物だというのに、餌を狙うその引力は凄まじかった。大きな爪でがっちりとさきいかを掴んだザリガニは、私が空中に引きあげても尚離す気配がない。



「すげぇ、釣れた!」

「え、マジで居るんだザリガニ」



各々の感想が飛び交う。私たちの空気には興奮が満ちていた。かつての、子供時代の好奇心を刺激された瞬間だった。皆一斉に散り散りになり、己の縄張りを作り始める。





だが、私はその場で、釣り上げたばかりのザリガニと見つめあっていた。糸が回転し、連動してザリガニも展示台のように回る。何故か突然、冷めた感情になったのだ。

こんな風に、何かの”生”に触れ合ったのはいつぶりだろうか。地元を離れ、人間の為だけに整備された街中で暮らす私にとって、自然の中に生きるものと正対するのは酷く久しいような気がした。あの頃は全てが遊びの毎日だった。容赦なくトンボの羽を掴んでは放し、蝶を素手の中に収めた。子供の無垢な感覚は、時に残酷だ。それを今になってまた再現しようとしているのだろうか。夏の思い出作りの為だけに。

小学三年生の頃、クラスで飼育していた2匹のアメリカザリガニが、共食いで死んでいたことを思い出していた。