「食事が来たようだ」
メイド服の女性がカートで料理を運んできた。
「マナーは気にしなくても構いません。お好きに食べてください」
おしゃれな肉料理にミツナはゴクリと唾を飲み込む。
ミツナはお肉が好きである。
エイルの目から見ても美味しそうな料理であった。
マナーは気にしなくてもいいと言われているけれど無礼講というわけでもない。
ミツナは最低限無礼にならないようにチラチラとエイルの所作を確認して真似しながら食べている。
「おかわりがいかがかな?」
「ぜひ! ……あっ」
「ふふふ、構いませんよ」
料理が美味しくてミツナは飛びつくように返事をしてしまった。
返事をした後に失礼だっただろうかとミツナは思ったけれどブラチアーノは優しく微笑んだ。
顔には出さなくとも神迷の獣人に対して嫌悪感を抱いている人は多くいるがブラチアーノは本当にミツナに対して偏見も何もないようだとエイルは感じた。
「さて……今日君たちを招いた理由を話そう」
恩はあれど家に招くほどではない。
しっかりと報酬は払っているのでわざわざ招いてまでお礼の言葉を述べる物好きはいないだろう。
なのにこうして招くのにまだ理由があるはずだとエイルは思っていた。
「先日領内で魔物の対処に困っていると報告が上がってきた。冒険者ギルドもなく冒険者もほとんどいない地域だ」
「……僕たちに魔物の討伐に行ってほしいと?」
「いや、そうではない」
こんな話をするということは魔物を倒しに行ってほしいのだなとエイルは理解したけれど、ブラチアーノはわずかに微笑んで首を横に振った。
「すでに兵は派遣してあります。解決も時間の問題でしょう」
「では……?」
「実は娘の婚約相手なのですが隣国の者なのです。そして相手のところに行かねばならないのですが……人手が足りないのです。本来ならばもう討伐を終えて帰還し始めていてもおかしくないのですが思ったよりも時間がかかっていまして」
魔物の討伐に不測の事態はつきものだ。
魔物が逃げた、強かった、狡猾だったなどの理由から想定していたよりも時間がかかってしまうことも度々起こりうる。
「ドレス完成のために日程はギリギリとなっていてもう出発の時が迫っています。ちょうど隣国へ向かう護衛依頼を受けようとしていたこともお聞きしました。タチーノがボムバードを完璧に倒してみせた手腕も褒めておりました。そのお力貸してはいただけないでしょうか?」
「つまり僕たちに護衛をお願いしたいということですか?」
「その通りだ。報酬も支払うし道中の食事などもこちらで持とう。食事や会話を見ていれば君たちの人となりも悪くなさそうなことは分かる。少し考えてみてくれはしないか?」
エイルからしてみれば渡りに船な提案だ。
ちょうどいい護衛依頼は探していたし、無くてもどの道出発しようと考えていた。
隣国へ行く護衛の依頼はあるならとてもありがたい。
報酬の他に食事などを持ってくれるなら護衛依頼の中でもさらに良い依頼に入ってくる。
「私はいいと思うぞ」
エイルが隣を見る。
ミツナは最後の一口をモグモグとしながらエイルのことを見ていた。
ミツナ自身もブラチアーノから嫌な感じを受けなかった。
イルージュはあまり気に食わないけど嫌いというほどでもない。
今の目的に合致した依頼ならば受けてもよさそうだとちゃんと話を聞いていた。
「今お答えを出すこともないのですが」
「いえ、お引き受けします」
「……分かりました。では詳細についてはディルアーから説明をさせます」
ミツナが嫌がらないのなら引き受けない理由はない。
もともと引き受けようと思っていた護衛依頼はなくなってしまった。
しかしタチーノから受けたボムバードの依頼が都合の良い方向に転がったのだった。
「何事もなければこれも割の良い仕事になりそうだな」
数日が過ぎ、エイルとミツナはイクレイ家の護衛として帯同する依頼を遂行することになった。
ブラチアーノとイルージュだけではなくブラチアーノの妻であるエリオーラも含めた三人を護衛する。
ただエイルとミツナだけではなくイクレイ家で雇っている兵士もいるので二人がやることは少ない。
食事の準備はしてくれるし夜の見張りも基本的に兵士が行う。
楽なのは楽なのだが、あまり信頼されていないといえばそうとも言える。
「あの女嫌い……」
「まあ、向こうの態度が悪いもんな」
ブラチアーノとイルージュはミツナに対してあまり偏見を出した態度を取らないのだが、エリオーラは違っていた。
初見で神迷の獣人であるミツナのことをジロジロと見たと思ったら本当に大丈夫なのかとエイルとミツナの前でブラチアーノに聞く始末だった。
ブラチアーノは苦笑いを浮かべて後にこっそりと謝罪してきたのだが、当人が謝ることはない。
ブラチアーノの態度の方が良いもので、エリオーラの態度の方が普通のなのかもしれない。
拗ねて嫌いだと口にするだけミツナも強くなっている。
ブラチアーノは他にも信頼できる冒険者を雇って護衛の人数を増やしているが、やはり神迷の獣人だからだろうかエイルとミツナは少し他の人たちからも浮いた存在になっていた。
最後尾からゆったりと歩いてついていけばいいのでエイルとしてはかなり気が楽だった。
「しかし少しおかしいな……」
「何が?」
「護衛が多いと思ってな」
パッと見た感じでは兵士でも十分な数がいるようにエイルには思えていた。
魔物の討伐に実力者が出て、護衛についた兵士に不安があるとしても少し心配性な気がしてならない。
大事な娘を守るためなら金も惜しまないというのは理解できる。
それでもエイルを含めた冒険者も数に入れると十分すぎるぐらいの護衛がいる。
護衛依頼を提案してくれたことはありがたいがエリオーラのミツナに対する態度だって予見できただろう。
わざわざエイルたちに依頼することもなかったはずだ。
「なんだか嫌な予感がするってこと?」
「そこまでじゃないけどな」
嫌な予感と言われればそうかもしれないが、今は単に違和感のようなものを感じるというぐらいである。
「本当にヤバいことになったら……」
「なったら?」
「逃げちゃおう」
エイルはイタズラっぽく笑った。
「い、いいのか?」
「あんまり良くはないけど大事なのは自分の命、だからな」
ブラチアーノからの依頼はあくまでも個人からの依頼である。
冒険者ギルドを通した公式なものではなく、依頼失敗でもブラチアーノからの評価が下がるに過ぎない。
イクレイ家が支配する領地周辺で活動することは難しくなるだろうが、そもそもそんなところで活動するつもりはないのだから失敗してもエイルたちに痛手なことはないである。
実際何もないのに仕事を放棄することはない。
ただ何かが起きて最悪の事態になりそうなら逃げることも考えておくべきである。
どんな不名誉を被ろうとも命があることに代えられないとというのがエイルの信条だ。
「まあ何もなければ美味しい仕事……」
「山賊だ!」
「守備陣形を取るんだ!」
何事もないようなら逃げることもない。
そんなことを考えていたら前の方が騒がしくなった。
一番後ろのエイルとミツナまで情報は回ってこないが漏れ聞こえてくる声からすると山賊が現れたようである。
兵士や冒険者が護衛する馬車を狙うことは珍しい話ではない。
それだけの人が守っているということは裏を返せばお金を持っている可能性があるということだからだ。
「……どうやら戦いが始まったようだな」
戦わないだろうと思っていたのに案外あっさりと戦い始める声が聞こえてきてエイルは驚いた。
以前護衛で出会った山賊もそうだが幾らかの金を要求して戦わずに済ますことがほとんどである。
無駄に抵抗しない限り金を払えば安全に話は終わるので今回もそうだろうと思っていた。
冒険者まで雇うのだ、無駄な戦いは避けて安全にお金を渡すはずなのにどうして戦いになっているのかエイルには不思議でしょうがなかった。
「エイル!」
「おっと?」
どこかに隠れていたのか後ろの方からも山賊が迫っていた。
「割と綺麗な身なり……顔も隠してるな」
山賊を見てエイルはまた違和感を感じた。
全ての山賊がそうであるわけじゃないけれど、山賊という奴はあまり綺麗な格好をしていないことが多い。
何日も着古したようなヨレヨレの服を着て髭が伸び放題の顔を堂々と晒していたりする。
しかしこっそりと近づいてきた連中は黒っぽい小綺麗な服装に顔も黒い布で目から下を隠している。
山賊というより暗殺者のようだとエイルには感じられた。
「皆さん敵です!」
エイルが後方を守る冒険者たちに声をかける。
何かを考えるのは後回しだ。
山賊たちは殺気を放ってエイルたちに向かってきているので今は身を守らねばならない。
戦いとなれば神迷の獣人がとは言ってられない。
後方に配置されているのは冒険者が多く、みんなで固まるようにして山賊の動きを警戒する。
「問答無用か……」
山賊たちは何も言わずにただ襲いかかってきた。
降伏を促すこともなければ金銭を要求することもない。
ただ殺すという目をしている。
「ミツナ、やるぞ!」
共闘はするけれど他の冒険者との連携はあまり期待していない。
他の人の邪魔にならないようにしつつミツナと連携をとって戦う。
「はっ!」
「いいぞ! くらえ!」
ミツナが相手を傷つければエイルがそれをヒールする。
ヒール効果を最大限に引き出したエイルのヒールは小さい傷なら一瞬で治してしまう。
しかしその代わり激痛を伴う。
ミツナも攻撃して終わりではない。
攻撃してエイルがヒールしても傷が浅かったり相手が痛みに強かったりすると気絶しないこともある。
たとえ気絶しなくとも痛みに相手は怯む。
ちゃんと相手のことを見て気絶していないようならミツナはしっかりトドメを刺す。
エイルも当然戦う。
ミツナのフォローをするように立ち回りながらも山賊と戦って切りつけヒールする。
「な、なんだ!?」
ついでに他の人が傷つけた山賊もヒールして倒しておく。
目の前で急に人が倒れるものだからみんな困惑したが、エイルがやっているのだと分かると切り替えてそのまま戦いに集中する。
流石貴族が信頼した冒険者だけあって動きがいい。
山賊たちが次々と倒されていく。
「うっ!」
「ミツナ! 大丈夫か!」
「大丈夫!」
山賊の鋭い一撃がミツナに迫った。
なんとかガードが間に合ったけれど意外と危ないところであった。
乱雑に剣を振り回している山賊たちの中でしっかりとした剣術である。
何かが違うとエイルは感じた。
他の山賊と同じく黒い布で顔を隠していて分かりにくいが、小柄な体格と剣を持つ手から女の可能性があると見ていた。
「ミツナ、そいつ強いぞ!」
「ほん、と、だね!」
ミツナは山賊の攻撃をギリギリで防ぐ。
技術的には未熟でも動体視力が良くて相手の攻撃も容易く防いでしまうミツナが防戦を強いられている。
「チッ……他にも何人かいるな」
戦いを見ていてエイルは気がついた。
ミツナが戦っている山賊のように強いやつか何人かいることに。
弱い山賊が倒れて人数優位の状況なのでまだ大丈夫そうだが油断はできない。
「うっ!」
「危ない!」
エイルの優先はミツナである。
ガードが間に合わずミツナが切られかけたところをエイルが横から山賊に切りかかる。
練度の低い山賊ならそのまま切られていただろうが、ミツナが戦う女の山賊は周りのことがよく見えている。
エイルの攻撃をかわして素早く距離を取られてしまった。
「あんた何者だ? ただの山賊じゃないな?」
「…………チッ」
「逃すか!」
エイルの質問にも答えず目だけを動かして周りの状況を確認した女の山賊は軽く舌打ちすると背を向けて逃げ始めた。
ミツナがそれを見て素早く女の山賊を追いかける。
ボムバードとの戦いで培った瞬間的なダッシュを見せて女の山賊に迫る。
「はあっ!」
ミツナが剣を振る。
剣先が女の山賊に届いた。
エイルは手を伸ばしてヒールをかける。
「…………ダメか」
ヒールは発動しなかった。
確かに女の山賊に向けてヒールを飛ばしたはずなのに何も治せなかった。
「ダメだった?」
女の山賊はそのまま走り去ってしまい、悔しそうな顔をしたミツナが戻ってきた。
「どうやら掠めたのは服だけのようだ」
ミツナが間に挟まったとかでヒールできなかったわけでもなければヒールしたけど効かなかったわけでもない。
ヒールが発動しなかったのだ。
つまり女の山賊は怪我をしていなかったということになる。
ミツナの剣は相手に届いたけれども切先が服を僅かにかすめただけだったのである。
「ミツナはよく戦ったよ」
ミツナがぺたりと耳をたたんで撫でろ言わんばかりのスペースができている。
最後こそ逃してしまったが戦いに関してはミツナもよくやった。
無意識に耳をたたむミツナの頭を撫でてやる。
一瞬驚き、そして照れたように笑う。
「まあ無事でよかったと考えることにしようか」
「失礼します。少しお時間よろしいですか?」
まだ待ち受けている相手がいたり、戦いの血の匂いを嗅ぎつけて魔物が集まってくるかもしれない。
襲撃された場所からだいぶ移動して野営をすることになった。
エリオーラが馬車で就寝したタイミングを狙ってエイルはブラチアーノを訪ねた。
ミツナもエリオーラがいないならと静かにエイルの隣にいる。
「なんでしょうか?」
焚き火からエイルに視線を移してブラチアーノはにっこりと笑顔を浮かべる。
すでにイルージュも馬車で寝ていて周りには警戒のための兵士が数人いる。
「今回の依頼について私たちが聞いておくべきことはありませんか?」
少し遠回しにエイルは質問をぶつけた。
ずっと感じていた違和感が襲撃によってさらに深くなった。
依頼というのは金銭も大事だが信頼関係もまた大事である。
信頼できない人のために命を投げ出すような真似はできないのである。
仮にブラチアーノが何かを隠しているのならエイルはこの仕事を途中で降りることも考えていた。
「聞いておくべきこととは?」
「あの山賊たち、ただの山賊ではない……いや、山賊に山賊じゃない人たちが混ざっていました」
どう言うのが正しいのかエイルにもわからない。
「どういうことですか?」
「山賊にしては剣術をしっかり学んだような実力のある人たちがいました。それだけなら特に疑問にも思いませんが実力のある人たちは綺麗だったんです」
「綺麗?」
「全部がです」
戦いが終わったあとエイルは死体を確認した。
顔を覆っていた布を剥ぎ取ってどんな状態なのかを観察しておいたのである。
「一般論でいえば山賊はあまり身なりに気を使いません。髭をあまり剃らず体を洗うことも少ない。先に倒された弱い人たちはそんな感じの身なりをしていました」
先に倒れた弱い連中は髭が伸び放題だったり肌がガサガサとしていた。
近づけば少し臭っているような人までいた。
「対して強い人たちは綺麗だったんです。髭は生えていないし肌もツヤツヤとしていた。体は臭っていないし……特に歯が綺麗だったんです」
最後まで残っていた強い山賊は弱い山賊に比べて身なりが綺麗だった。
しっかり髭を剃っているし肌の手入れもされている。
臭い人はいなかったし、何より歯が綺麗だった。
ミツナは何をしているんだと顔をしかめて見ていたがエイルはわざわざ死体の歯も確認していた。
弱い山賊たちの歯はボロボロだった。
きっと手入れなどしないで好きに酒を飲んだりしているせいだろう。
それなのに強い山賊は歯も綺麗だった。
あくまでも一般論に過ぎないがよくいる山賊の姿とは大きく異なっていた。
「剣術も上手いものでした。どこかで学んだようなしっかりしたもの……それこそ訓練を受けた兵士のようにも思えます」
エイルはじっとブラチアーノのことを見つめる。
返答次第ではこの仕事はここまでである。
たとえ報酬が良くとも信頼できないのならエイルは仕事をしない。
「……君は頭も良いのだね。冒険者にしておくにはもったいないぐらいだ」
ブラチアーノは寂しげに微笑んだ。
「……隣に座るといい」
「失礼します」
エイルがブラチアーノの隣に座り、エイルの隣にミツナが座る。
「君のいう通りあの山賊には山賊ではない者が混じっていた」
焚き火に視線を向けたブラチアーノはゆっくりと口を開いた。
「何者なんですか?」
「確実なことは言えないが……おそらくギャルチビーの連中だろう」
「ギャルチビー?」
「隣国の連中だ」
「隣国……ってこれから行く?」
「いいや違う」
ミツナの言葉にブラチアーノは首を横に振って否定した。
これから嫁に行くところが襲いかかってくるなど酷い話だと思ったが違うようである。
「イクレイ領は二つの国と国境を接している。ノリナトのシュダルツ領、それにワルキロウのギャルチビー領だ。昔から私たちイクレイを含めてこの三つの領地は仲が悪かった。兵力による小競り合いも絶えず、互いに睨み合っている状態が続いているのだ」
イクレイ、シュダルツ、ギャルチビーは国境を接していてそれぞれ仲が悪い。
これまで戦争にこそならなかったが小さな衝突は何度も起こっていた。
仲の悪さはその時によってまちまちであるが基本的に悪いことに変わりはない。
「今現在はシュダルツとギャルチビーが非常に仲が悪い。そしてイクレイは二つの睨み合いに干渉することなく傍観している立場だった。だがそんな三つ巴の関係に大きな変化が起きようとしている」
「イルージュ嬢の結婚ですね?」
「その通りだ」
今エイルたちが向かっているのはシュダルツ領であった。
つまりイルージュはシュダルツに嫁入りするのだ。
となると話は見えてきた。
「イクレイとシュダルツが婚姻で結ばれればギャルチビーは窮地に追いやられるのですね」
娘が結婚した相手なのだから敵対するわけにはいかない。
普通に考えればイクレイとシュダルツはこれから手を組むことになる。
そうなってしまうとイクレイはシュダルツ側に肩入れするだろう。
ギャルチビーはこれまで保ってきた微妙なバランスが崩れてしまうことを危惧しているのだ。
「ギャルチビーは結婚を邪魔しようとしているのですか?」
「そういうことになるな。今はまだ証拠がないから確実なことは言えないが……おそらく君が見た綺麗な身なりの山賊はギャルチビーから送り込まれた連中だろう」
ブラチアーノは深いため息をついた。
ギャルチビーが山賊に少し兵を混ぜただけの手駒に任せるはずがない。
本隊がどこかに隠れているかもしれない。
だから早めに移動した。
さらには他の人にギャルチビーから狙われているということを隠す意図もあった。
もし知られてしまえば冒険者が途中で仕事を投げ出したり士気に関わる可能性もあったからだ。
「他の者は?」
「多分気づいてないでしょう」
エイルだって疑いを持つに留まったぐらいである。
他に死体を漁っていたような物好きはいなかったしエイルの周りで気づいたような人はいない。
「シュダルツは何もしないのですか?」
こんな状況ならシュダルツ側から動きがあってもいいのにとエイルは思った。
シュダルツ側から兵を送ってくれてもいいだろう。
「もちろん婿殿の方もギャルチビーのことは警戒している。向こうからも助けを送ってくれる予定だったのだがギャルチビーがそれを許さなかった」
「どういうことですか?」
「表向きは魔物の討伐ということにして国境近くに兵を駐屯させているのだ。だがシュダルツの側では兵を出して討伐が必要なほどの魔物は確認されていない」
「圧力ですね……」
おそらくだがギャルチビーは魔物を討伐する気などない。
目的はシュダルツに対して圧力をかけることである。
なんの理由もなくいきなり戦争を仕掛けるような真似はしないだろうが、これまでの関係を考えるとギャルチビーが攻め込んできてもおかしくない。
シュダルツはギャルチビーの兵を警戒するために動けず手助けできずにいるのだ。
「卑怯な真似を……事情を隠していたことは謝罪しよう。だが仕事を降りないでほしい。どうか娘を無事に送り届けてやってほしいのだ」
ブラチアーノは父親の顔をしていた。
危険を承知で人をかき集めてこうしてシュダルツに向かっている。
襲撃される恐れがあってもブラチアーノが同行しているのは娘の晴れ舞台を見たいためだけでなく自分が同行することで少しでも多くの護衛を連れて行こうとしたのだ。
「……どうして敵同士だったのに結婚することになったの?」
「ミツナ……」
「いいんだよ」
気になったことをミツナはそのまま口に出してしまった。
失礼になるんじゃないかとエイルは焦ったけれどブラチアーノは優しく微笑んだ。
「婿殿の一目惚れだそうだ」
ブラチアーノは枝を折って焚き火に放り込む。
「おかしいと思ったのだよ。向こうから急に近づいてきた。こちらに有利になるような提案をしてきたり……最初は疑ったものだ。イルージュも何かの裏があるのだと警戒していたものだ」
そう昔のことでもないがブラチアーノは懐かしさを覚えて笑う。
「結局婿殿の一目惚れで動いていたと聞いた時には拍子抜けするほど驚いたよ」
イルージュも相手の誠実さに心動かされた。
ブラチアーノも最終的には相手のことを認めて、二人は結ばれることとなったのである。
「見た目が良いから色々な男性に言い寄られてイルージュは少し人に対して心を閉ざしているところがあった。それを溶かしてくれたのが婿殿なのだ」
「素敵な話ですね」
「うん」
「たとえ何があろうと娘を幸せにしてやりたいのだ。頼む……」
ブラチアーノは頭を下げた。
娘のためでも冒険者にも頭を下げられる貴族はそう多くはないのではないかとエイルは思う。
エイルがミツナを見るとミツナは強く頷いた。
「最後までやり遂げます。僕たちの全力をあげてお守りします」
「ありがとう……感謝する」
なんとなく感じていた違和感の正体は分かった。
エイルたちを騙す意図ではなく理由があったものだった。
ならば最後まで仕事はやり遂げる。
ミツナもそのつもりであるようだしエイルはできる限りのことをしようと思ったのであった。
「あの女だけ木に縛りつけていかないか?」
「気持ちは分かるけどダメだよ……」
事情を知ってしまったエイルとミツナは最後方からブラチアーノたちが乗る馬車の近くに配置された。
それはいいのだけど若干の問題があった。
エリオーラがうるさいのである。
ミツナが気に入らないことはもちろん冒険者であるエイルのことも気に入らないらしい。
ブツブツと文句を言ってはブラチアーノにたしなめられている。
たしなめられることもまた気に入らないようだ。
「なぜあんな人と結婚したんですか?」
「ミツナ……それは……」
野営においてもエイルとミツナはブラチアーノの近くにいた。
ただ目に見える場所にいるとエリオーラがうるさいので目につかないようにしている。
エリオーラが寝たので少し緩く護衛を続けようと思っていたらミツナがブラチアーノに突撃してしまった。
流石にその質問は失礼だろうとエイルは焦る。
確かにブラチアーノの人の良さからしてエリオーラが釣り合っていないようにはエイルも思ってしまう。
「真っ直ぐだな。……気まぐれに答えようか」
妻をあんな人と言われれば良く言われているように感じる人はいない。
怒り出してもおかしくないのにブラチアーノは小さくため息をついただけだった。
「エリオーラも昔はああじゃなかった」
ブラチアーノはゆっくりと首を振る。
エリオーラの昔の姿をまぶたの裏に思い起こす。
「出会った頃のエリオーラは大人しい娘だった。そうだな……今のイルージュにも似ている」
「イルージュさんと……」
エイルはイルージュの姿を思い浮かべた。
人が苦手というだけあってあまり姿を現したがらない。
だが姿を現せば静かで周りに心配りのできる人であって、兵士たちの信頼も高い。
特に話したことはないので人となりは知らないけれど、外から見た感じでは見た目から大きく性格がズレることはないだろう。
対してエリオーラは美人なことは間違いないが性格が顔に出ているようでキツい目つきをしている。
大人しくしていればいいのにずっと馬車の外を見ていて兵士たちが何かしようものならすぐに文句を口にする。
兵士には辟易としている人もいたぐらいだ。
イルージュが裏で文句を言いまくっている人でもない限り似ているとは思えない。
「エリオーラは変わってしまったのだ。そして彼女を変えたのは人の死だ」
「……何があったのかお聞きしてもよいのですか?」
少し重たそうな話だとエイルは思った。
かなり内輪の踏み込んだものにもなりそうで、聞いてもいいものかとブラチアーノを見る。
「今宵は月が美しい。少しぐらい夜更かししても怒るものはいない」
遠回しのイエスの返事。
ブラチアーノがいいと言うのなら聞きませんとエイルが答えるのは失礼になる。
「私には息子が二人、娘が一人いる。だが十年前は息子が三人だった」
ゆっくりとブラチアーノは語り出した。
「末の子は上の兄たちと違って線の細い子だった。穏やかで優しく戦いに向かない性格をしていた。やんちゃなこともなくエリオーラはその子をとても可愛がっていた」
噂を聞いて集めた時には三人目の息子がいることは聞こえてこなかった。
あまりいい結末の話ではなさそうだということはエイルも覚悟して話を聞く。
「当時ギャルチビーと仲が悪かったのはうちの方なのだ。何かにつけてちょっかいを出してきて、成人したばかりのギャルチビーの倅の一人が国境を越えてきたのだ。おそらく間違ったのだろう。しかし国境を越えてくれば完全にやり過ぎた行為だ。我々も兵をあげて攻撃した」
若い指揮官がやる気を空回りさせて目測を誤り越えてはならないラインを超えてしまうことはあることかもしれない。
しかし隣国の国境を許可もなしに兵力を抱えて越えることは許されざることである。
結果としてイクレイとギャルチビーの間で小競り合いを越えた小規模な戦闘が起きてしまった。
相手の副官の判断だろう、比較的早くギャルチビーは兵を引いたのだが、その後が良くなかった。
「ギャルチビーの倅が帰る途中で魔物に襲われて死んでしまったのだ」
「えっ!?」
「失敗を焦ったのか、なぜそんなことになったのかは知らない。しかしギャルチビーは我々のせいだと非難したのだ」
「どこらへんが?」
話を聞いている限りイクレイ家に非難される謂れはない。
ミツナは顔をしかめた。
「どこにも我々の責任はないさ。ただ越境した挙句魔物にやられたなど恥の上塗りでしかない。だからギャルチビーは少しでも責任を負わなくていいように噂を用いて攻撃してきた」
政治的なやり方である。
イクレイが息子を暗殺したとか、魔物をけしかけたとかなんの証拠もないがイクレイにも責任がありそうなことを言って自分たちの責任をうやむやにしようとしたのである。
ギャルチビーという連中はどうにも好きになれないなとミツナは思った。
「どう噂を流そうとも我々に責任などない。好きなように噂を流せばいい。そう思って構えていたのだがある時事件が起こってしまったのだ」
木の枝がパチリと弾けた。
「白い花が咲いた……俺は花に詳しくないからなんの花か知らないのだが、その年はとにかく白い花がよく咲いた。だから庭師を呼んで綺麗に整えようとしたんだ。そしたら来たのはいつものとは違う庭師でな。体調が悪いから代わりに来たと」
ブラチアーノは感情を押し殺すように淡々とした口調で語る。
「対応したのは妻だった。特に疑うこともしないで中に入れたそうだ。だが代わりの庭師は……偽物だった」
「偽物?」
「その庭師の正体は刺客だった。ギャルチビーが雇った殺し屋だったのだ」
「こ、殺し屋!?」
「そうだ。噂を正当化し、ありもしない復讐を成し遂げようと殺し屋はエリオーラと……オレイオスに襲いかかった」
平静を保とうとしているブラチアーノだったが、声がわずかに震えてしまっていた。
「勇敢な子だった……オレイオスは母親であるエリオーラを守って死んだ……」
花がどうなるのかとエリオーラとオレイオスは庭に出ていた。
そして殺し屋が狙ったのはエリオーラの方だったのだが、オレイオスはとっさに身をていして母親を守ったのだ。
すぐさま殺し屋は兵士に捕えられ、オレイオスを治療しようと医者を呼んだのだが遅かった。
オレイオスは治療の甲斐もなく亡くなってしまった。
「このことがエリオーラを変えた……まず彼女は簡単に人を信じなくなった。そしてどんな些細なことでも兵士たちの仕事に穴があると呼び出して叱責した。おそらく彼女は自責の念に駆られているのだ」
ブラチアーノはうなだれると手で目を覆う。
泣いているわけではないだろうが、内心では涙を流しているのかもしれない。
「あの時自分がもっと確かめていれば、兵に指示しておけばとな。自分がもっとちゃんとしていればオレイオスは亡くならなかったかもしれないと彼女は全てにおいて口を出すようになった。花のような彼女はどこかに行き、イクレイ家は万全の備えをした家となったのだ」
「そんなことが……」
「今思えばイルージュもあの頃からより内向的になったのかもしれない……そして、今はさらに輪をかけてエリオーラはキツくなっている。きっと不安なのだ」
「不安……?」
「手塩にかけて育てた愛娘がこれまで敵対関係にあった隣国の領地に嫁に行くのだ。何か間違って四角い箱に入れられて悲しい帰郷を成し遂げるとも限らないのだよ」
つまりシュダルツ領で死んでしまうことだってあり得ないことではないというのである。
結婚相手が良い人だとまだエリオーラには確証が持てない。
よそからきた嫁がいびられたり慣れない土地での心労だってある。
内向的なエリオーラが耐えられるのかそれもまた心配なのだ。
「少しでもイルージュの負担を減らしたいのだろう。だから周りの冒険者は信頼せず、兵士たちにもキツく当たるのだ」
「……ミツナ、分かったか?」
「う、うん……変なこと聞いてごめんなさい……」
「いいんだ。勝手に話したのは私の方だからな。いつか……彼女が自分の罪を許して、以前の彼女に戻ってくれることを願っている」
空を見上げたブラチアーノは泣いていないのだけど泣いているようにも見えた。
「人の事情を聞くってことはああした話も出てくるもんだ」
「うん……今後は気をつける」
天真爛漫なところもミツナの良いところではある。
しかし時と場合を選ばねばいけない時もある。
一人にして欲しいというのでイルージュが眠る馬車に駆けつけられるようなところまで離れた。
「でも辛い話だね」
「そうだな」
流石のミツナも少し反省した。
エリオーラがあまりにも傍若無人であったために軽く聞いてしまったが、その裏には悲しい事情があったのだった。
今エリオーラは自分を自分で罰しているのだ。
愛した息子を死なせてしまった自分を罰して周りにもキツく当たっている。
それが正しいことだとは言えない。
しかし同じ傷を持つブラチアーノが何も言わないのなら周りの人に何が言えるだろうか。
「体の傷は治せても心の傷はヒールじゃ治せない。このことはイクレイ家全体の問題で、彼らが自分で乗り越えるしかないんだ」
エリオーラにも多少の同情はできる。
だがたとえヒールが使えようとも心に負った傷までは治せないのだ。
心の痛みは刺さった棘のように痛む。
自分で抜かねばいつまでも刺さったままになる。
ブラチアーノはエリオーラが変わってしまったというが、それをただ見ているだけのブラチアーノもどこかで変わってしまったのかもしれない。
「とりあえず仕事続けることに異論はないな?」
「……まだ気に入らないけどイルージュは守ってあげる」
たとえ心に傷抱えていようとも見下したような態度は気に入らない。
しかし大なり小なり同情できるところはあるのだからイルージュを守ることは続けてあげようとミツナも思った。
「それでいいさ。俺たちはただ仕事をしよう。何事もなければただこのまま馬車に付き添えばいいんだし」
何事もないだろうか。
そんな思いはありつつも話も聞いてしまったのだから仕事は完遂しようとエイルも思ったのだった。
ーーーーー
「ここからはより一層警戒するぞ!」
ブラチアーノが兵士たちに声をかける。
ここからの道はイクレイ寮、シュダルツ領、ギャルチビー領の三つが接する場所に近く、シュダルツ領に入っていくことになる。
狙うならここだろうとブラチアーノは考えていた。
領内であれば兵を動かしても誰にも文句は言わせない。
国境線ギリギリまで兵を動かして何かをするのにもちょうどいい場所である。
シュダルツ領に入ってしまえば目的地までは近いので邪魔する最後のチャンスでもあった。
警戒を高めつつも速度は維持して進む。
「森の中か……厄介だな」
地図上でも攻撃される可能性が高い場所なのだが周りの地理的環境を見ても攻撃される可能性がありそうだとエイルは思った。
今通っている道は森の中にあった。
かなり鬱蒼とした森で、視界が悪い。
道幅も狭くて移動の隊列が長く伸びやすくなっている。
襲撃するなら今がベストだろう。
「ミツナ、少し馬車に近寄るぞ」
嫌な予感がする。
エイルはミツナとイルージュとエリオーラの乗る馬車に近付いておく。
警戒が強まっていることを察してからエリオーラも窓から周りの粗を探すことはやめている。
窓から見えにくい所にいる分には大丈夫だ。
「アレは持ってるな?」
「うん、持ってるけど……使うことあるのかな?」
「分からない……だけど念のためにな」
「襲撃だ!」
何事もなければいい。
そんな思い虚しく、先を行く兵士の声が響き渡った。
「守備陣形を取れ! イルージュだけは何としても守るんだ!」
ブラチアーノが指示を飛ばして兵士たちが馬車の周りを囲む。
「森の中から何かが来るぞ!」
狭い道の中で兵士たちが集まりきれていない。
そんな中で森の中からローブを着た何者かが迫ってきていた。
「……もはや手段も問わぬか」
ブラチアーノは顔をしかめる。
おそらく相手はギャルチビーの兵士だろう。
目立つ鎧や身分の分かるものは置いてあたかも山賊を装って襲撃してきている。
身分が分からない以上死ねば兵士ではなくただの浮浪者として処理される。
兵士たちもそれを分かっているだろうに戦いに身を投じているのだ。
何がそこまで彼らを駆り立てるのかブラチアーノには分からなかった。
「領主様をお守りせよ!」
イクレイの兵士とギャルチビーの兵士が衝突する。
「行かないの?」
「俺らの目的は護衛だ。敵を倒すことじゃないからな」
エイルはイルージュとエリオーラが乗った馬車の近くに留まった。
戦いに行かないのかとミツナは首を傾げるけれど、エイルたちの目的はイルージュを守ることであって敵を倒しにいくことではない。
まだ何があるか分からない以上馬車のそばを離れることはないのである。
「前方と後方からも攻められています!」
「くっ……あまり良くないな」
完全に固まりきることができないまま乱戦になってしまった。
「……押されてるな」
戦況を見てエイルは顔をしかめる。
イクレイの兵士たちがやや劣勢の状況にある。
昔から三つの領地の中で一番強いのがギャルチビーであった。
大きな川が流れているために農耕が盛んで金銭的な余裕がある。
兵士に対しても惜しみなくお金を投資して正面衝突ならイクレイもシュダルツも敵わない。
三つ巴の状況が何とかギャルチビーを押し留めていたのである。
今は混迷極める状況である。
隊列が伸びたところに前方と後方、そして真ん中の三つに分かれて襲撃されている。
前方と真ん中は兵士が多く何とかまとまろうとしているが、後方は雇った冒険者も多くてうまく機能していない。
「……前進だ! このまま先に進んでウィルア草原に出る!」
難しい判断だがブラチアーノは前に進むことを選んだ。
このままダラダラと戦って包囲されてしまえばそれこそうつ手がなくなる。
もう少し進めば森が開けて草原に出る。
ギャルチビーが兵力を国境付近に置いてシュダルツの目を引きつけているのなら今襲撃している人員が動員できる最大だろう。
先の草原まで進んでも罠はないはずだと考えた。
この状況を突破して体制を整える。
無理なら自分は残って戦い、イルージュだけでも逃がそうとブラチアーノは指示を飛ばす。
後方の冒険者たちは見捨てることになる。
しかししょうがない判断ではある。
ギャルチビーのことに気が付かず後方に配置されていたら危なかったかもしれないとエイルは思った。
「はっ!」
相手の兵士も馬車まで近づいてくる者が出始めた。
ただ無理に近づいても上手くいくはずもなく、ミツナや他の兵士の攻撃を受けて相手は倒れる。
「前へ進め!」
ブラチアーノの指示通りに隊列が前に進み始めた。
やはり後方の動きは鈍いけれども気にかけている余裕はない。
ブラチアーノ本人も前方に向かって打開を目指す。
しかしそうしている間にもどんどんとイクレイ側は押されていっていた。
「お嬢様方に敵を近づけるな!」
もどかしいなとエイルは思った。
ヒールが使えたなら。
痛みを伴わずみんなを治すことができたなら状況を打開することも可能だったろうと思わざるを得ない。
「ミツナ、あまり突っ込みすぎるな!」
ギャルチビーの兵士がだいぶ近くまで迫ってくるようになった。
エイルは馬車のそばにつきながらミツナが前に出て戦う。
だがエイルがすぐにフォローできるようにミツナにはやや引き気味に戦ってもらう。
怪我はしてもらいたくないが戦いである以上怪我をする可能性はどうしても無くならない。
怪我したら気付ける位置、ヒールが届く位置にいてもらわねば困るのだ。
「このままだと分断されて囲まれるな……」
かなり押し込まれてきてエイルも自ら剣を振る。
ブラチアーノが前方に行ったけれど敵を突破できないのか前にもなかなか進まない。
かなり状況が良くない。
打開するために何かないと押し切られてしまうと感じていた。
「お母様!」
「チッ……もうそこまで!」
気づくと相手の兵士が馬車にまで迫っていた。
「娘には指一本触らせない!」
「なっ……!」
馬車のドアをこじ開けた兵士の目にナイフが突き刺さった。
「この子には……近づかないで!」
馬車の中から伸びてきたナイフはエリオーラが突き出したものだった。
血に濡れたナイフを両手で持ってエリオーラは馬車を守ろうとする。
「チッ、邪魔だ!」
「ああああああっ! あーっ!」
「なに!? うわああああっ!」
目的はイルージュである。
エリオーラは殺しても構わないと兵士が剣を振り下ろした。
戦いの心得もないのに小さいナイフでは剣など防ぐことできずエリオーラの右腕が切り飛ばされる。
しかしエリオーラは痛みに声を上げながらナイフを首に突き立てたのである。
もはや執念のようなものを感じる。
「この女……!」
「やめろ!」
「ぐっ!」
仲間をやられたエリオーラにトドメを刺そうをした兵士の背中をブラチアーノが切り裂いた。
「エリオーラ!」
「私はいいから……イルージュを……」
「お父様!」
「イルージュ! ……くっ、邪魔をするな!」
気づいたら兵士がイルージュを抱えて連れ去ろうとしていた。
ブラチアーノが助けに行こうとするけれど兵士たちが素早く間に割り込んで行かせまいとする。
「大丈夫ですか!」
ミツナを呼び寄せたエイルがブラチアーノの助太刀に入った。
「……エイル。私が道を開ける。娘を助けてくれ!」
「……しかしそれでは」
今無茶に相手に突っ込めばかなり危険である。
道を開けようとするブラチアーノの負担はとても大きくなる。
兵士はこうした事態に対応するような訓練は受けていない。
誰かを追いかけていくなら重装でもなく、冒険者として経験のあるエイルたちがいいだろうと咄嗟に判断を下した。
「よい! 私は死んでもいいのだ!」
「お願い……娘を! イルージュを!」
「そんな……」
「私が死んだらつつがなく息子が跡を継ぐことになっている! だから!」
「……分かりました」
ブラチアーノの決死の思い。
エイルは頷くしかなかった。
「うおおおおっ!」
「ミツナ、切り付けながら駆け抜けろ!」
「任せて!」
ブラチアーノが数名の兵士とともに相手に突っ込む。
その後ろからエイルとミツナが続いた。
「お願い……あの子を助けて……」
ブラチアーノたちが何とか切り開いた道をエイルとミツナでさらにこじ開ける。
エイルはヒールを駆使して兵士たちを倒して一気に駆け抜ける。
「無影の魔法使い……頼むぞ」