「終わりだ。目を開けていいぞ」
奇妙な感覚が収まってすぐにエイルが頭から手を離した。
「……ウソ」
ややうつむいたまま目を開けたミツナの目に二つの手が見えた。
赤みを帯びた毛に覆われて鋭い爪を持った手はエイルのものではなくミツナのものだ。
ミツナは震える手で顔に触れた。
慎重に左目に触ってみるとそこには眼球がある感触があった。
左目は潰れてなくなったはずだと思いながらも包帯を外す。
期待と不安で呼吸が荒くなりながら恐る恐るミツナは左目を開けてみた。
最初はぼやけていた。
しかし何回かまばたきをしてみるとだんだんとしっかりと物が見え始めた。
「見える……」
ポロリと左目から涙が流れる。
もうダメだと思っていた。
右手と左目を失ったままこの先一生を生きていかねばならないのだと諦めていた。
命あるだけでもいいなんて言う人がいるけれど、右手と左目がなければまともに稼いで生きていくことなどできない苦痛の人生になるところだった。
死んだ方がマシかもしれないとすら思っていた。
ミツナが顔を上げるとエイルは少し汗ばんで優しく微笑んでいた。
「まさか……」
さらにミツナはお尻に手をやった。
「あぁ……!」
そこにはシッポがあった。
エイルはてっきりミツナにはシッポがないのだと思っていたけれど実はミツナにもシッポがあった。
根本から切断されて失われていただけでエイルの治療によってまた生えてきていたのである。
「どう? これで……」
「ありがとう!」
「おっと」
感極まったミツナはエイルに抱きついた。
この瞬間ミツナはエイルが憎んでいる人間であるということも忘れるほどに喜びを感じていた。
「ありがとうありがとうありがとう! ……うぅ……うっ!」
ミツナは泣いた。
両方の目から涙を流してワンワンと声を上げて泣いた。
泣くことを我慢できなかった。
エイルはミツナをただ受け入れた。
優しく笑ったままミツナの背中に手を回して子供をあやすようにトントンと叩いてくれる。
それがまた染み入るようで、どんなことがあっても揺らがないと構えていた心の予防線を簡単に越えてミツナの心を刺激した。
泣き始めると止まらなくて。
嬉しさとこれまでの苦しみが涙として溢れ出して。
子供のように泣いたミツナはエイルの温かさに抱かれて泣き続け、いつの間にか寝てしまっていた。
服が涙でびしょびしょになったエイルはそれでも優しく微笑むとミツナのことをベッドに寝かせる。
宿の人からうるさいと苦情を言われたのでなんとか平謝りで許してもらった。
ーーーーー
「調子はどう?」
大泣きしたミツナは次の日の昼近くに目が覚めた。
起きてみるとエイルはすでに起きていて、泣いたことも含めてミツナは顔を真っ赤にしながら謝った。
もちろんエイルは怒ってなどいなく、むしろミツナの体を心配する言葉をかけてくれた。
よくよく見てみると手や目だけでなく全身の細かな傷も全て治っていた。
たっぷりと寝て頭もスッキリとして、泣いたせいなのか心の中の重たい気持ちは晴れやかだった。
手も目も失う前よりも調子がいいくらい。
ミツナはエイルの能力に驚くばかりだった。
「……ミツナ!?」
「ちゅ、忠誠を誓う!」
最初よりも反抗的な目じゃなくなったなとエイルが思っていたらミツナが床に仰向けに寝転がった。
顔を真っ赤にして服をまくってお腹をさらけ出している。
何をしているのか分からなくてエイルは困惑してしまう。
「ちゅ、忠誠ってどういう……」
「な、治してくれたら忠誠を誓うと言った! だから……忠誠のポーズ……」
消え入りそうな声でポーズがなんなのか説明するミツナは恥ずかしそうに真っ赤になった顔を赤い毛で覆われた手で隠した。
お腹をさらして仰向けに寝転がるのは獣人の子供の間では降伏を示すポーズである。
しかしそれだけではなく隠されたもう一つの意味がある。
敵意はなく弱点を見せるということから相手に忠誠を誓うという意味をこのポーズは持っているのである。
ミツナはもし手や目を治してくれるのなら一生の忠誠を誓ってもいいと口にした。
誇り高い獣人は決して約束を違わない。
本当に治してくれた。
これだけでもとんでもない大恩なのである。
それだけでなく目や腕もなく可愛げもなくて売れそうにない奴隷を買ってくれて、冒険者から助けてくれて、ミツナが裏切られたことを証明までしてくれた。
宣言通りの忠誠を示す意味で忠誠のポーズをしてみせた。
ただすごい恥ずかしい。
傷だらけならまだよかったのに綺麗になったお腹を男の前に出して無防備な姿をさらすのは死にそうなぐらい恥ずかしくて顔から火が出そうになっていた。
けれど大きな恩まであってここでやっぱり忠誠は誓えませんなんて言えない。
「別に……忠誠なんて……」
「お、女の子に、こんなことやらせておいて嫌だって言うのか!」
「えぇ……」
確かに忠誠を誓うなんて言っていたけれどそれは言葉の綾のようなもので本当に忠誠を誓うだなんてエイルは思いもしなかった。
「私だって恥ずかしんだ! 男らしく受け入れてよ!」
お腹を出したまま恥ずかしさで潤んだ瞳でミツナはエイルのことを睨みつける。
「せ、責任取って!」
「おい、変な言い方……」
「昼間から盛ってんじゃねぇよ!」
「うわっ……す、すいません!」
ミツナの言葉を勘違いしたのか隣の部屋に泊まっている客が壁を叩いた。
そんなに高い宿でもないので大きな声を出してしまうと隣に声が聞こえてしまうのだ。
「ちゅ……忠誠を……」
「分かった……分かったから!」
これ以上同じポーズをさせているとミツナが恥ずかしさで泣き出してしまいそうだ。
ミツナに押し切られる形でエイルはミツナの忠誠を受け入れることにしたのであった。
「お前を買ってくれそうな人がいるぞ。ただ……ひどく殴られるかもしれないな」
そう言って奴隷商人はミツナの首に繋がれた鎖を引っ張った。
反抗的な態度のミツナは必要もないのに口輪をつけられていた。
「最高等級の扱いができるが腕もなければ反抗的……本当に売れるかな?」
奴隷商人はミツナを引き取ったことを後悔していた。
知り合いの頼みだったから引き受けたけれど支払った分をちゃんと取り戻せる金額で売れるような自信がない。
せめて可愛げぐらいあればいいのに人が嫌いで周りをものすごい目で睨む。
「黙ってれば顔ぐらいはいいのにな。胸は小さいが」
次胸のこと言ったらぶっ殺すとミツナは奴隷商人を睨みつける。
「客の前では大人しくしてろよ?」
そうして引っ張り出された先にいたのがエイルだった。
第一印象は最悪だった。
獣人であるミツナは鼻もいい。
部屋に入ると酒臭くて嫌な気分になった。
昼間から酒を飲んで顔を赤くして奴隷を買いにくるようなクソ野郎がエイルがミツナの中での最初の印象だったのだ。
ただミツナの手や目がなくてもエイルは何も言わなかった。
そのことだけは少し評価してもいいと思った。
ミツナのことを見る目はいやらしくもないし、好きなようにできると聞いても特に興味もなそうな態度だった。
睨みつけても怒った様子はないし変な人だと感じた。
最終的にはミツナのことをその場で買ってしまった。
奴隷商人は大喜びだったけどミツナは恐怖を感じていた。
エイルの得体の知れなさ、目的の分からなさが理解できなくて怖かったのである。
口輪を外して好きにしていいと言って無防備に寝るし何がしたいのだと謎だった。
とりあえずエイルのことを殺して逃げられないかとまたがって首を絞めようとしたけれど、隷属の魔法によってエイルに害を加えることはできなかった。
「くそっ……」
どう頑張っても手に力が入らない。
爪で首を切ろうとすると寸前で手が止まってしまうし、噛みつこうとしたら牙を軽く当てるだけの甘噛み以上に顎が閉じられなかった。
ムカついて悔しかった。
どうしようもないということがわかったのでエイルから離れた。
エイルが用意したパンを食べるのも嫌だったし得体の知れないエイルから少しでも離れたくて部屋の隅で膝を抱えて丸くなった。
これからどうなってしまうのだろうという不安ばかりがミツナの胸の中では渦巻いていた。
そうしている間にムカムカとしてきた。
冒険者のことを思い出したのである。
「好きに……」
好きにしていいと言われた。
ならば復讐しに行ってやろうと思った。
エイルの荷物を漁ってナイフを見つけたので盗んで分かっていた冒険者たちの隠れ家に向かった。
結果はひどいものだった。
いきなり襲いかかった最初はよかった。
ナイフで相手を切り付けて暴れて、冒険者の方も困惑していて抵抗も少なかった。
けれど冒険者たちが落ち着いてくるとミツナはあっという間に制圧された。
片腕もなく人数差もあるので勝てるはずもなかったのだ。
それでも痛み無効で殴られても暴れるミツナの足を冒険者たちはたたき折って抵抗できないようにした。
このままミツナを活かしておくと危ないかもしれないという話が聞こえてきた。
殺されると思った。
でも殺されて全部終わるならそれでもいいかもしれないとも思った。
「やめろ!」
そんな時にエイルが助けに来てくれた。
理由がわからなかった。
どうしてこんな自分を助けに来てくれるのか不思議でたまらなかった。
でもその瞬間死にたくないと思った。
何もないから死んでいいと思ったのに助けてくれそうなエイルが現れた瞬間助けてほしいと思ってしまったのである。
殴られて気を失ったのでその後どうなったのミツナは知らない。
けれど起きた時には全てが終わっていて、殴られて少し頬を青くしたままのエイルが心配そうにミツナの顔を覗き込んでいた。
助かったんだと思った。
そして助けてくれた相手がエイルだと一瞬で理解した。
「大丈夫かい?」
助けてくれる人がいる。
そう思ってエイルの優しい声を聞いた瞬間に顔が熱くなってエイルを見ていられなくなった。
ミツナは自分の感情に困惑して、どうしてこんな気持ちになるのか分からなくなった。
心臓が痛いほどに鼓動してエイルが自分を心配してくれることが嬉しく感じられる。
「なんで……こんな気持ち……」
ーーーー
「……もし仮に目や手が戻ってくるならどうする?」
エイルは奇妙な質問はミツナにした。
仮にと言うけれどそんなことあり得ないのだから何の意味もない質問だと顔をしかめる。
「…………もし本当に戻ってくるのなら嬉しい。戻してくれた人には一生を誓ってもいい。だがそんなの不可能だ」
あり得ない話であるとミツナは首を振った。
でも本当に手や目が戻るのなら一生感謝してもしきれない。
たとえ嫌っている人間相手でも忠誠を誓ってもいい。
そんなことも頭の片隅では思っていた。
そしてエイルは不敵な笑みを浮かべるとミツナのことを本当に治療してしまった。
手や目を失ったことはミツナの心に暗い影を落としていたし、獣人にとってシッポは誇りでもあった。
治してくれたことも嬉しかったし、エイルの言葉がウソじゃなかったということも嬉しかった。
手や目、シッポが再び戻ってきた喜びが溢れたり、ミツナの心のどこかにあったまた人を信じてみたい心が刺激されたりして感情がぐちゃぐちゃになった。
わーっと込み上がるものがあって、それが涙として溢れて、思わずエイルに抱きついた。
また誰かを信じてもいいのかな。
泣きながらミツナの心のどこかでエイルのことを信じたいという気持ちが生まれ始めていたのであった。
ーーーーー
「ちゅ、忠誠を誓う!」
エイルは約束を果たしてくれた。
だから今度はミツナが約束を果たす。
口先だけではなく心から忠誠を誓うのだと表すためにミツナは床に転がった。
お腹を出して敵意はなく全てをさらけ出していることをアピールする。
エイルは驚いていた。
忠誠などいらないと拒否されてしまいそうになったけれどそれではミツナが約束を破ったことになってしまう。
それにエイルならと思っていた。
ウソもつかず対価も求めずに奴隷を治してくれ、神迷の獣人で奴隷であるミツナを見下さず対等に話してくれるエイルならばほんの少しぐらい信頼してもいいかもしれない。
どうせ何も持っていないミツナには忠誠を誓うぐらいに返せるものしかない。
自ら進んで付き従うと心に決めた。
「分かった……分かったから!」
最終的には無理矢理エイルに認めさせることにミツナは成功した。
人が嫌いで信じたくない自分とエイルを信じてみたいと思う自分がミツナの中ではせめぎ合っていたのである。
「じゃあミツナは俺に忠誠を誓ったってことでいいんだな?」
「……不本意ながら」
忠誠のポーズをやめたミツナはまだ少し頬を赤らめながらツンとした顔をしている。
忠誠を誓ったけれど態度は大きく変わらないようである。
ただ感謝はしているようで睨んだり噛みつきそうな顔をすることはしなくなった。
そもそも忠誠を誓ったところで何が違うのかエイルには分からない。
ひとまずは多少距離が縮まったぐらいに思っておくことにした。
結構雑な態度であるがエイルはあまり気にしていない。
「それでご主…………むぅ」
エイルのことをご主人様というのにはまだ抵抗感があるようだ。
「エイルでいいよ」
「エイル様は何者だ?」
てっきり呼び捨てにするのかと思ったけれど最低限の礼儀はあった。
「言っただろ、俺はヒーラーだよ」
「腕を生やせるヒーラーなんて聞いたことがない」
「そりゃそうだろうな。そんな力を持ったヒーラーそうそういるもんじゃない。それにそんな力があったとしても治療できないからな」
「治療できる力があるのに治療できない?」
ミツナは首を傾げた。
エイルの言っていることは矛盾しているように思われたからだ。
力があるのなら治療はできる。
力があるのに治療ができないなんて意味が分からない。
「この世は狂っててヒールで治療するのに痛みを伴うんだ」
なぜ治すのに痛みが必要なのか、そんな疑問に答えられる人はいない。
神が与えた肉体に傷をつけたからだとかヒールするために必要な反応だとか言う人はいるけれど、その正確な理由は誰にも分からないのだ。
「ヒールの強さ、治す傷によって痛みの強さも変わる」
ヒールを行うものの力が強く、ヒールの力が強いほど受ける痛みは大きくなる。
そして治す傷も小さければ当然痛みは小さく素早く治る。
腕を治せるほどの力となればヒーラーの中でもトップクラスの力となる。
つまり非常に強い力を必要とすることになる。
加えて腕がなくなっているとなると怪我の度合いとしてはかなり重篤な部類に入る。
このことを合わせて考えると欠損した腕を治すのにはとんでもない痛みが伴うのである。
「腕を生やす痛みに耐えられる人はまずいないだろう。あまりにも強い痛みはそれだけで人を死に至らしめるんだ」
だから治療できるけど治療できないのである。
治療をしてもいいのだけど結果的に相手が死んでしまう。
そんなものを治療と呼んでもいいのかとエイルは疑問に思う。
「そうなのか……」
痛みを感じないミツナにはなかなか理解のし難い話である。
痛いから死んでしまうというのは痛みを経験したこともないと分からないのだ。
「だから俺はパーティーを追い出されたんだ……」
エイルの力は強い。
世界中のヒーラーを集めて上から数えた方が早いぐらいにヒールの能力は高いのである。
比べる機会などないがもしかしたら今の世界でトップだと言ってもいいのかもしれない。
たとえ力を抑えてヒールしてもエイルのヒールはかなり痛い。
その代わりにどんな傷でも一瞬で治していたのに痛いから出ていけなどやっていられないとエイルはため息をついた。
「……エイル様も一人……なのか?」
珍しくミツナが悲しそうな目をしていた。
人嫌いというところが前面に出ているけれど、そこから一皮剥くとミツナは感情豊かかもしれないなとエイルは目を見て思った。
「ああ、俺には親もいないし信じていた仲間もいなくなった……」
「……私と一緒だな」
「そう……だな」
そういえばミツナも両親がおらず帰るところもない、エイルと同じような境遇であった。
「わ、私がお前と一緒にいてやる!」
「えっ?」
「私がお前……エイル様と一緒にいてやると言っているのだ!」
ミツナは顔を真っ赤にしている。
エイルは言っていることがすぐに飲み込めなくて驚いたような目をミツナに向ける。
「もう君は俺の奴隷じゃないんだ。俺といることなんて……」
「ちゅ、忠誠を誓った! それに私はエイル様に恩を返していない!」
「別に恩を返さなくても……」
「母は受けた恩は倍にして返しなさいと言った! 忠誠も誓ったし私はエイル様から離れない!」
もはや何を言っているのか支離滅裂になっている。
それはミツナも分かっていて毛に負けないほどに顔が真っ赤になっていた。
このままお別れになるのは嫌だとミツナは思った。
なんでこんな気持ちになったのかは分からない。
でもきっとここでエイルと別れたらもう二度と会うことはないだろうと思った。
神迷の獣人で奴隷だったミツナにも優しかった唯一の人でエイルならば心を開いてもいいかもしれないと思い始めている。
大きな恩があって、その恩の少しも返せていない。
忠誠も誓った。
ミツナとしてはエイルといる理由、いたい理由がたくさんあった。
「うーん……」
だがエイルからしてみればミツナといる理由はなかった。
勢いで買った奴隷であるしミツナを買ったのも痛み無効で治療ができそうだと思ったからだった。
冒険者を廃業して別のことをやろうと思っていたので最後くらい何か感謝されるようなことをしたかったというのが本音だった。
もうミツナは奴隷でないし、目や手も元通りになったのでエイルとおらずに一人でまた冒険者としてもやっていける。
「恩を返すまででいいから……」
エイルの返事の色があまり良くなくてミツナはしょぼんとうなだれる。
「うっ、その……ミツナは何かしたいことがないのかい?」
うなだれた様子がまた泣きそうな感じに見えてエイルは慌てる。
「やりたいこと……」
自分のやりたいことはなんだっただろうかとミツナは考える。
小さい頃は色々と考えたものだ。
しかし両親が死んで一人で生きていかねばならなくなってからはただその日を生きていくことに必死で、願いといえば今日を生き延びたいというぐらいのものだった。
「平和に生きたい……誰も私のことを馬鹿にしないようなところでのんびりと暮らしたい」
ミツナとて戦っていたいわけじゃなかった。
のんびりと暮らしていけるならそうしたいと思っていた。
周りの目を気にしないで自分らしくゆっくりと暮らせしたい。
今思いつくミツナのやりたいことだった。
「……そっか」
自分と同じだなとエイルは思った。
ミツナは傷ついていて、周りを気にせずに生きていきたいと願っているのだ。
エイルもまた周りに何か言われることに嫌気がさしていた。
「分かった」
「……エイル?」
「俺と……一緒に来てくれるか?」
「いいの?」
「ああ、俺もどっか程よい田舎でのんびりとするつもりなんだ。一人じゃ大変だし……ミツナがよかったら一緒に来て、のんびりとできるところでも探そう」
ミツナはエイルが自分のことを蔑んだ目で見ないと思っているのと同様にエイルもミツナがヒーラーを見下すような目で自分を見ないのだと感じていた。
痛み無効なのでヒールが痛いという感覚が分からないのだろう。
ミツナの中ではエイルはただ怪我を治せる人であり、世の中の人が見るような感情で見てくることがなかった。
だから一緒にいて心地の悪さを感じたことがなかった。
敵対心を剥き出しにされるのは苦々しい思いだったけれどしょうがないことであるし嫌というほどでもなかった。
違うのだけれど同じような傷や思いを抱えた者同士。
あんなことがあった後でミツナが他の人と冒険者としてやっていくのも大変だろう。
ならば一緒にのんびりとできる場所を探してもいいのではないかと思った。
どこかでミツナが良い場所を見つけたら別れてもいい。
見つからなくて旅を続けるなら二人の方が楽なことも多い。
「ただし」
「ただし?」
何を言われるのか。
何でもしようとミツナはエイルの言葉の先を待つ。
「エイル様ってのはやめて。エイルでいい」
「で、でも……」
「これから俺とミツナは旅の仲間だ」
「仲間……」
「そう。対等な仲間だ。様なんて付ける必要はない。もし付けるならこの話は無しだ」
「わ、分かった! エイル……こ、これでいいか?」
エイルの名前を呼んでミツナは少し頬を赤らめる。
名前を呼ぶだけなのに少し気恥ずかしい。
「ふふ、それでいい。これからよろしくね、ミツナ」
「よろしく……エイル」
なんとなく勢いに任せた感じはあるけれども、こうした決断は勢いでやってしまうのもいい。
エイルが差し出した手を見てミツナはそっと自分の赤い毛に覆われた手を出してぎゅっと握手を交わす。
治療が痛すぎてパーティーをクビになったヒーラーと人にも獣人にも嫌われる神迷の獣人はこうして不思議な経緯を経て仲間になったのだった。
「それでこれからなんだけど……この町からは離れようと思う」
ミツナに会っていようと会っていなかろうとエイルはこの町を離れることを決めていた。
かつての仲間たちの存在はあまりにも大きい。
再び冒険者として活動するにも枷が大きすぎるのである。
どこかもっと落ち着けるところを探してやり直そうと考えていた。
「冒険者をやるのか?」
「当分はそのつもりだ」
「当分?」
「金もないしな……何かを始めるには元手が必要だ。ミツナもいるしな」
色々と勢いで決まった関係ではあるけれど、一緒にいると決めた以上はしっかりとミツナのことも考えるつもりはエイルにあった。
「何かを始めるつもりがあるのか?」
ミツナはエイルの言葉を聞いてそんなに冒険者を続けるつもりもなさそうな気配を感じた。
「薬屋でもやろうかなと思ったんだ。ヒーラーとしてやってくのに師匠から色々学んだ。薬とか毒とか色々知識があるんだよ。それを活かして薬でも使って売ろうかなと思ってな」
薬ならば痛みは伴わない。
近くに薬を作れる人もいないところも多いので上手く場所を見つけられれば食うに困らないぐらい稼げるはずだと酔いながら考えていた。
ただ薬屋をやるのにも色々と必要なものは多い。
お店、製薬の道具、薬の材料と必要なものを揃えようとしたら多くのお金がいる。
しばらくはいい場所を探しながら冒険者としてお金を稼ぐしかない。
「こんな感じが俺の今後計画だけど……どうだ?」
「いいと思う。やりたいことがあって、やれることがあって、いいと思う」
「しばらくは移動しながらだから大変になるかもしれないぞ?」
「お前は私に希望をくれた。誇りを失って、腕も目もない中で一生を生きていかねばならないところを助けてくれた。エイルがいくなら私もいく」
「……うん、ありがとう」
ミツナにとっては単なる恩返しなのかもしれない。
けれどそれでもついてきてくれる人がいるというのは心強いものだなとエイルは思った。
「それじゃあまずは必要なものを揃えよう」
町を出て、どこかに行くということだけは決まった。
どこへ行くのかは決まっていないけど町を出て旅をするのだから準備が必要となった。
エイルは冒険者なのでそれほど多くのものを追加で準備する必要はなかったけれどもミツナは奴隷であり何も持っていない。
一から全てのものを用意する必要があったのだ。
「見ろよ……」
「ああ……」
冒険者ギルドの前に立つミツナはヒソヒソと聞こえてくる声に苛立った視線を向ける。
これだから人間は嫌いだと思った。
ミツナの手足は毛で覆われている。
全身でもなく手足なので目立つし、神迷の獣人だと一目でわかる。
どうせなら全身に毛が生えていればよかったのにと思ってしまうが、神迷の獣人には神迷の獣人なりのプライドがある。
獣人も半獣人もバカにはしないのに神迷の獣人だけバカにするのも気に入らない。
中には獣人全体を嫌っている人もいるが、今現在多くの人は獣人を見下したりしない。
なのに神迷の獣人はバカにされる。
おそらく獣人が神迷の獣人のことを認めていないから人間もそうなのだが、ミツナからしてみると納得がいかないのだ。
獣人の中で立ち位置が微妙であるということは認める。
それでもバカにされるいわれなんてない。
ただ獣人が獣人という広い同じ枠の中で神迷の獣人は何かが違うから何かを言われることにある程度理解は示す。
一方で人間が獣人の中でも神迷の獣人だけを表立ってバカにするのは非常に気に入らない。
「なんでこんなところに半端者がいるんだ?」
まだバカにされてるだけならいいかもしれない。
そんな風に思っているととうとうミツナに絡んでくる輩が出てきた。
半端者とは獣人の間でも獣人と半獣人の間に位置する神迷の獣人のことを指す差別的な言葉である。
つまりミツナのことを言っているのだ。
こんなところにいたっていいだろうとミツナはいかにもバカっぽい顔をした男たちのことを無視する。
「あ? 無視すんのかよ?」
ミツナがなんの反応も見せないことに男は苛立った様子を見せた。
「なんでこんなところに突っ立ってるんだ?」
ただ無視する。
どんな反応を見せたとしても相手が引き下がることはないとミツナは知っているからだ。
「無視すんなよ!」
「うっ!」
一人の男がミツナの肩を強く押す。
周りにいる人は遠巻きに見ているだけで助けてくれるような様子などない。
「なんだその目は?」
エイルに迷惑がかかるからやらないけれど、許されるなら押してきた手を噛みちぎってやるのにとミツナはやや歯を剥き出して威嚇する。
「なんでこんないるんだよ、迷子か?」
「仲間に捨てられたのかもしれないな」
男たちが笑う。
ミツナは悔しくて握りしめた拳の爪が手のひらに刺さって血が流れる。
「はぁ……その目気に入らないな!」
睨みつけるようなミツナの目に苛立った男が手を振り上げる。
「おい、やめろ!」
「あっ?」
エイルが冒険者ギルドから出てきた。
ミツナが絡まれているのを見て険しい表情を浮かべてミツナを叩こうとした手を掴む。
「お前……エイルじゃないか?」
「エイル? ああ、あのクビになった」
男はエイルの顔を見ると鼻で笑った。
エイルがミッドエルドをクビになったことはだいぶ話が広まっていた。
有名パーティーをクビになったヒーラーなどいい笑いのネタでしかない。
「クビにされたヒーラーが半端者をどうして守る?」
「まさかこいつと組んだのか?」
「こりゃお似合いだな!」
エイルのことを正面からバカにして男たちはケラケラと笑う。
「いいから、どっかいけ!」
「くっ……」
エイルが手に力を込めると男は顔をしかめた。
ヒーラーのくせに思ったよりも力が強く、掴まれた腕に痛みが走る。
「お前こそ……放せよ!」
痛みに顔をしかめた男は掴まれた腕を引き寄せてエイルを殴りつけようとした。
「なっ……」
エイルは男の拳を掴むように受け止めた。
ヒーラーなんてケンカのケの字も知らないような奴らなのに拳を止められて男は驚いた。
体に力を入れて手を振り払おうとするけれど掴まれた腕も拳も微動だにしない。
パッとエイルが手を放すと体に力を入れていた男は後ろに倒れてしまいそうにふらついた。
「大丈夫か、ミツナ?」
「あ、ああ……」
男らしく間に割り込んできたエイルにミツナも驚いた。
「痛えじゃねえか!」
すぐさまエイルに背を向けられて男は無視されたかのような苛立ちを覚えた。
一度殴りかかったのだから二度も変わりないと男がまたエイルに向かって拳を振り上げた。
「痛かった? 済まないな」
「…………はっ?」
拳を振り下ろそうとした男が急に倒れた。
何が起きたのか分からず、ミツナだけでなく男の仲間たちも呆然として倒れた男のことを見ている。
「て、テメェ!」
何をされたのかは知らないけれどエイルがやったのは確かだ。
男たちはエイルが何かの攻撃をしたのだと判断して殴りかかってきた。
「ぐっ……かっ!」
「一撃で……」
エイルは男の拳をひょいとかわすと腹に反撃を叩き込んだ。
なんの変哲もないパンチに見えたのに男は白目を剥いて倒れてしまった。
「な、なんなんだ?」
「先にケンカ売ったのそっちだからな」
残された男は比較的細腕に見えるエイルがどんなことをしたら一撃で男を倒せるのかわからなくて困惑していた。
その隙をついてエイルは一気に男と距離を詰めると顔面を殴りつける。
男は盛大に後ろに転がりそのまま気を失って動かなくなった。
「強い……」
ミツナは思わずシッポを振ってしまった。
瞬く間に男たちを片付けたエイルはまた優しい笑顔をミツナに向けてくれる。
獣人は強い者が偉く、強い者に惹かれるという習性がある。
エイルの思わぬ強さを目の当たりにしてミツナはドキッとしてしまった。
「行こう。注目されすぎちゃった」
エイルが倒れた男たちを放っておいて歩き出すとミツナも慌ててついていく。
「やっぱり連れていけばよかったね」
冒険者ギルドに用事があって訪ねてきたのだけどあまり視線にさらされるのが嫌だったミツナはギルドの中に入るのを嫌がった。
通りすがりに見られて噂されるぐらいなら我慢できるけど建物の中で荒っぽい冒険者の視線を浴び続けるのは避けたかったのだ。
「手続に手間取っちゃって一人にしてごめんよ」
短い間なら平気だろうと思っていたのに運悪く柄の悪い連中が来てしまった。
「でもこれで正式に俺たちはパーティーの仲間だ」
エイルが冒険者ギルドを訪ねたのはミツナとのパーティー申請をするためだった。
一度冒険者の資格を剥奪されたミツナだったけれどデルカンのおかげで冒険者の資格も復活した。
これから一緒に活動していく上で同じパーティーとして登録しておいた方が動きやすくなる。
パーティーのリーダーはエイルで、今後依頼を受ける時もエイルが責任者を務めるつもりである。
「それじゃあ買い物行こうか」
旅をするのにも色々と必要となる。
ミツナは全てのものを借金の返済に充てられてしまって持ち物はない。
そのために全てのものを揃える必要があるのだ。
ミツナを買うために使ったお金も返ってきているので金銭的に余裕はある。
最初はエイルにお金を出してもらうことを申し訳なく思っていらないと言っていたミツナだけど替えの服すらないので結局エイルに頼ることになった。
「そ、そんなことよりあれどうやったんだ?」
「なにがだ?」
「どうやってあいつら倒したんだ?」
強い人なら一撃で倒すこともできるかもしれない。
けれど正直エイルにそんな力があるようには思えないのである。
それに一撃で倒すなら相手が大きく吹き飛んでもいいはずなのに男たちはさほど衝撃があったように見えなかった。
エイルが強いのは確かであるけれど単なるパワーだけとも思えなかった。
「簡単なことだよ。俺はあいつらを治してやったんだ」
「な、治す?」
「そう。俺はヒーラーだからね」
「どうして治してやると倒れるんだ?」
「言っただろう。ヒールは痛いってな」
仮にエイルが力を抑えずにヒールしたらどうなるか。
それはそれは痛いヒールとなる。
小さい怪我なら一瞬で治ってしまうような治癒ができるけれどその一瞬でも相手の体には大きな痛みが伴う。
「ダメージを与えて治してやったのさ。だけどその代わりあいつらの体には激痛が走るっていう寸法なのさ」
ヒールを攻撃として使う。
一見矛盾しているようだが、ヒールする時に発生する痛みを利用して相手にダメージを与えようという発想の転換である。
「俺の師匠である人が言うにはヒールの痛みは誰にも止められないのだから逆に利用してやればいいって」
男の腕を強く握って少しダメージを与えた。
そんなもの放っておけばすぐに痛みも無くなるような怪我とも呼べないものであるのだが、エイルは普段抑えている力を引き上げて腕を治してやった。
その瞬間男の体には大きな痛みが走って耐えられなくて男は気を失ってしまったのである。
他の男もそうだった。
殴ったダメージそのものはそうでもない。
おそらく殴っただけでは倒せなかったのであるけれど殴ったダメージを治すことによって大きな痛みを与えて気絶させたのである。
「治して……倒す?」
とんでもないやり方で倒していたのだとミツナは呆然としてしまった。
ヒールすることでダメージを与えて倒すなんて誰が思いつくのか。
治すための行為を攻撃にするなんて普通の人の考えではない。
「変な師匠だろ? でも色々学んだし……これから師匠の教えが活きてくるような気がするんだ」
「ちょうどいい仕事があったな」
どこへいくと聞かれても目的はない。
とりあえずミッドエルドの活動範囲から離れようとエイルは思っていた。
どうせなら何か仕事でもないかと冒険者ギルドに行ってみると町を離れる商人の護衛依頼が出ていた。
町から移動しながらもお金を稼ぐチャンスであるので仕事を引き受けることに決めた。
「……本当によかったのか?」
「いいに決まってるだろ? 今更返品もできないしな」
エイルとミツナは商人が持っている馬車の空いたスペースに並んで座っている。
ミツナは奴隷だったのでお世辞にも綺麗な服装をしていなかった。
当然のことながら持ち物なんてなく、装備品や服なんてものも持っていない。
だからエイルのお金で装備なども整えた。
服を多少買い増すならともかく装備まで買ってくれたことにミツナは困惑していた。
エイルはいつか返してくれればいいなんて笑って答える。
手や目、シッポまで治してもらったのにこんなことまでしてくれて本当によかったのかと疑問にすら思う。
「確かにミツナは奴隷だったのかもしれない。それに神迷の獣人でもあるかもしれないけど俺は君をそんな扱いするつもりはない」
実は最初からミツナのことは治療したら奴隷から解放するつもりだった。
しかし色々と事件もあったし、エイルが何かしなくともミツナは奴隷から解放された。
奴隷はちゃんと管理がされていて買った以上は責任を持たねばならず、ミツナの場合一年は奴隷から解放できないなんてルールがあったのですぐに解放することはどの道できなかった。
だからミツナが奴隷でなくなってよかったとエイルは思う。
結局ミツナはエイルに忠誠を誓ったので奴隷でなくともついてくることになった。
元々奴隷としての扱いをするつもりなんてないが忠誠まで誓われては余計にそんな扱いできない。
一人で旅をするのも大変だ。
少なくとも一年は共にいることになるのでちゃんとした仲間として扱うつもりだった。
「よう兄ちゃん、あんたら仲間か?」
同じく馬車に乗っていた冒険者がエイルに声をかけてきた。
「ええ……まあ、そうです」
もうパーティー申請もしているし公的にも仲間である。
エイルは堂々とうなずく。
「ふーん……神迷の獣人だが綺麗な顔してるな。兄ちゃんのこれか?」
おっさんの冒険者は親指を中指の真ん中につけて輪っかを作る。
下品なジェスチャーの一つで性的な関係にあるんだろうという意味である。
若い男女がパーティーを組んでいる。
ミツナは神迷の獣人だが顔は綺麗でスタイルもいい。
それに二人の間にはなんとなく微妙な空気感があるとおっさんの冒険者は感じていた。
それがそうした関係に起因するものだと勘違いしてもおかしくはない。
「別にそんなんじゃないですよ」
エイルは困り顔で否定する。
立場的にエイルはミツナにそうした行為を要求することもできるかもしれない。
けれど仲間にそんなことを要求はしない。
「へぇ……」
エイルが普通に答えたので本当なのだろうとおっさんの冒険者は疑ってはいない。
けれど隣に座るミツナは顔を赤くしてうつむいている。
案外そうした関係もミツナの方は嫌だとは思っていなさそうだなとおっさんの冒険者は思った。
「若いねぇ」
エイルとミツナは歳としてもそんなに離れていない。
エイルも整った顔立ちはしているしここまでの感じでは物腰は柔らかくミツナのことを丁寧に扱っている。
乱雑に扱われがちな神迷の獣人ならさらに扱いは良くないはず。
そこを丁寧に扱われれば惚れることもあるだろうなとおっさんの冒険者は一人で納得していた。
何があったのかは知らないけれど普通の奴隷関係ではなさそうなことは間違いないと感じている。
「えっと……」
「カミンだ」
「カミンさんは流しの冒険者ですか?」
冒険者は冒険者というがあちこちを冒険している人の方が少ない。
どこかに拠点を置いてそこを中心として活動をしている。
大体が拠点としている町周辺で、広く活動していても拠点を置いている国の中ぐらいまでしか移動しない。
流しの冒険者とはそうした拠点を置かないで色んなところに行って冒険者として活動する人のことを言う。
今回の商人の護衛はかなり遠くまで行くことになっていた。
拠点を置いて活動している冒険者は長距離移動をする護衛任務は敬遠する傾向にある。
その分割はいいのだが受ける人は広く活動している人やお金が欲しい人、移動を厭わない流しの冒険者などが主になる。
カミンはお金に困っているようには見えない。
荷物は適度な大きさで旅慣れている感じがあってやや浅黒い肌をしていてこの国の人ではなさそうだった。
となると流しの冒険者かなとエイルは考えていた。
「ああ、その通りだ。前に食ったことがある店が美味くてまた食いに来たんだが無くなっててな。食ったのも十年も前のことだからな……お前らも良い店見つけたら無くなる前に行くこったな」
やはりカミンは流しの冒険者だった。
流しの冒険者は色々なところに行くので色々な人に出会う。
そのために偏見が少ないことも多い。
だからミツナに対しても偏見の目を向けていないのであった。
「一つお尋ねしたいのですが行くのに良い国はありますか?」
「なんだ、ざっくりとした質問だな。この国も悪くはないと思うが……そうしたことを聞きたいんじゃなさそうだな」
カミンは今一度エイルとミツナを見た。
若い男と若い女の二人パーティー。
長距離移動の護衛依頼を受けていて、他の国について聞いてきた。
何かの訳ありのようだとカミンはすぐに勘づく。
観光に行こうとしているなんてつもりじゃなさそうなことは明らかである。
「良い国か……うむ」
カミンは腕を組んで考える。
どんな事情があるのかは知らないけれどエイルとミツナは悪い人には見えなかった。
ならば真面目に質問に答えてやろうと思った。
「ここから二つぐらい隣にウガチという国がある。そこなんか良いんじゃないか?」
「ウガチですか?」
「古くは開拓によって生まれた国で多くの開拓者が集まっていたためかよそ者にも寛容な雰囲気がある国だ。さらには五年ほど前に戦争があってな。今はだいぶ回復して物が流通するようになったが人は足りないでいる。若い奴らなら歓迎されるだろう」
しっかりとした理由まで教えてくれた。
不真面目そうに見えて良いおっさんであるとエイルは思った。
「あとは少し遠いがイセキテなんかいいだろう。あそこは獣人の町まである国だ。他にはそれこそ獣人の国にいってしまうのはどうだ? 人間はあまり歓迎されないかもしれないが認めてくれれば良い奴らだ」
「イセキテに獣人の国ですね」
忘れないように覚えておこうとエイルは思った。
「他には何か……おっと?」
馬車が急に止まった。
エイルの隣に座っていたミツナが馬車の急ブレーキの勢いで
「護衛の皆さん、お願いします!」
御者台の商人が焦った顔をして振り返る。
エイルたちが馬車を降りて前の方に行ってみると十人ほどの男たちが道を塞いでいた。
あまり綺麗な身なりをしていない男たちはニヤニヤとした表情を浮かべている。
「ここを通りたきゃ金を払いな」
中でも体のデカい男が金を要求する。
男たちはいわゆる山賊というやつで体のデカい男はリーダーのようである。
金を要求する名目は通行料。
通してやるから金を払えという話であるのだが正当な要求ではなく金を払わなきゃ暴力に出るというただの脅しに他ならない。
「ここら守っていらっしゃる方ですか。いつもご苦労様です。少ないですがこちらをどうぞ」
護衛がいるから払わない。
そんなことはしない。
お金を払って無駄な争いを避けられるのならそうするべきであり、商人はあらかじめ用意してあったお金の入った小袋を取り出した。
お金を多少の損はするけれど無用の戦いを生んで仮に負けてしまうことがあれば命すら危うくなる。
ちょっとお金を払ってそれで終わりにできるのならその方がいいのである。
護衛は万が一戦いになった時のために出てもらったということだ。
いなければ足元を見られるし、いるなら山賊だって無駄に戦うことは避けたいのである。
「分かってるじゃないか」
山賊のリーダーがお金の入った袋を受け取る。
「それと……そこの女置いてけ」
「な、なんですって?」
「そこの女だ。神迷の獣人のようだが綺麗な顔してやがる。俺が可愛がってやるよ」
お金を受け取って終わりにしておけばいいのに山賊のリーダーはミツナに視線を向けてニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべている。
「それはどうか……」
流石に護衛を差し出すわけにはいかないと商人が困り顔をする。
「なんだ? ここを通りたくないのか?」
「ですが流石にそれはちょっと」
「ならば10倍だ」
「へっ?」
「10倍の額を払えば見逃してやろう」
なんとも傲慢だとミツナは顔をしかめる。
気持ちの悪い視線を向けられただけでも嫌なのに堂々と置いていけと要求されるだなんて非常に腹立たしく思う。
「10倍だなんて……そんなの」
「ウダウダうるせぇんだよ!」
そもそも真っ当に話し合いで解決できるような相手だったら山賊なんてやっていない。
自分の要求が通らないことに激昂した山賊のリーダーは手に持っていた斧を振り上げた。
「エイル……」
エイルはどうするつもりなのだろうかとミツナが横に視線を向けるとエイルは冷たい目で山賊のことを見ていた。
「ひっ……!」
商人が慌てて引き下がりエイルたちの後ろに逃げる。
正直なところ商人としては差し出してしまえと言いたいところであるがそこまで命令する権利は商人にはない。
死にはしないだろうが死ねと命令するのと同じようなものである。
そこまでの金も関係性も商人との間にない。
ただお前のせいだからどうにかしろという目を商人はエイルに向けていた。
「……ミツナ」
「……はい」
「戦えるか?」
「……はい!」
一瞬差し出されるのかなとミツナは思っていた。
けれどエイルがそんなことをするはずはなかった。
「なんだ? 俺たちとやるつもりか?」
今のエイルをヒーラーだと思う人はいない。
ヒーラーというやつは白いローブのようなものを身につけていかにも治しますよという格好をしている。
けれども今のエイルは普通に剣を腰に差していて、ローブも目立つ白いものではなく普通のローブだった。
ただの剣士っぽい感じである。
ヒーラーの格好にしても剣士の格好にしてもエイルはあまり強そうには見えない。
なので山賊のリーダーは睨みつけるような目をしているエイルのことを鼻で笑っていた。
「ふん、お前ら分からせてやれ。ただし女は殺すなよ」
山賊たちが武器を構えてエイルとミツナも剣を抜く。
獣人といえば爪や牙で戦うことも多いのであるがミツナは剣を扱った。
爪もあるので爪でも戦えるけれどそれは最終手段らしい。
「……任せて」
「くれぐれも怪我はするなよ」
「しても治してくれるんでしょう?」
「それでも怪我なんかしない方がいい」
ミツナは痛みを感じない。
だからいくら怪我をしてもエイルが治すことができる。
けれどエイルはたとえ治せるとしても怪我なんかしない方がいいと考えていた。
「……変なの」
別に治せるからいいだろうとミツナは思うのだけど、怪我はするだけ動きに影響を及ぼす可能性もあるのでミツナも自ら攻撃を受けるつもりはない。
「早く行け!」
山賊のリーダーの叱責で他の山賊も動き出す。
「舐めるなよ!」
ミツナも地面を蹴って走り出した。
「ひゅう、速いな」
ミツナは瞬く間に山賊の男たちの中に飛び込むと剣を振った。
神迷の獣人は弱いから蔑まれているのではない。
見た目として中途半端だから蔑まれているのが大きな理由なのであるが、その能力にも獣人が神迷の獣人を排他しようとしている理由があった。
獣人は高い身体能力を持っている。
人間よりもはるかに体が強くて力も素早さも高く、嗅覚や聴覚なんかも優れている。
その代わり獣人は体に持っている魔力が少ない上に魔力のコントロールが下手くそで魔法がほとんど使えないという弱点がある。
そうしたところから獣人は身体能力、人間は魔法というところで対等な関係を築いている。
一方で半獣人と呼ばれるミミやシッポなど体の一部だけが獣の特徴を持つ獣人は身体能力は人間よりも高めではあるものの獣人には及ばない。
その代わりに魔力が高くて魔法を使える人も多くなっている。
言うなれば獣人と人間の間のような存在である。
そして神迷の獣人はというと身体能力は獣人とほぼ同じ。
高い身体能力を持っていてやや力で劣るかもしれないというぐらいで人によってはそんな差もない。
さらに神迷の獣人は魔力保有量も人間並みに多い。
つまりは神迷の獣人は獣人と人間のハイブリッドのような存在なのである。
自分よりも優れた種族。
そうした点で神迷の獣人は獣人から嫌われていて抑圧されているのだ。
「ぐわっ!」
「なんだこいつ!」
獣人による抑圧から神迷の獣人が潰されていった結果神迷の獣人はほとんど人前から消え去った。
今では獣人と人間両方からただ蔑まれる存在となっていて、神迷の獣人が強いなど知っている人は少なくなった。
ミツナもまともに装備を身につけて戦えば普通に強かった。
剣の扱いも悪くなく、山賊たちを次々と切りつけていく。
これは思ったよりもミツナの実力は高いかもしれないとエイルは思った。
「じゃあ俺も」
「なんだ!?」
ミツナに切り付けられた山賊たちが一斉に倒れた。
何が起きたのか分からなくて山賊たちのみならずカミンも驚いた顔をしていた。
「てめえ、何をしやがった!」
ミツナではないと山賊のリーダーは思った。
山賊のリーダーは切り付けたミツナではなく山賊の方に手を伸ばしているエイルのことを睨みつける。
ミツナも実は目の前で急に相手が倒れたことに驚いたが、エイルがやったのだなと分かるとすぐに戦いを再開した。
ミツナが何人か切りつけると、切りつけられた男たちが倒れる。
経験豊かなカミンですらエイルがどうやって男たちのことを倒しているのか予想がつかない。
よく見れば切りつけられた怪我が治っているのだけどそんなこと見る人はまずいない。
「チッ!」
いつの間にか山賊も残り数人となっている。
普通に数が多くいてもミツナを捉えられていないのに少なくなってしまうと勝ち目はない。
山賊のリーダーは大きく舌打ちしてエイルに向かって走り出した。
「エイル!」
「……俺なら倒せるとでも?」
「むっ!」
エイルは剣を抜いて振り下ろされた斧を受け流す。
「ほう……」
山賊のリーダーが乱雑に振り回す斧をエイルは受け流して防いでいく。
想像していたよりも剣の技術があってカミンは感嘆の声を漏らす。
ミツナは身体能力に任せたような剣の扱いをしているけれどエイルは緻密な技術に基づいて剣を操っている。
若いのにかなり強そうだと驚きを禁じ得ない。
「ぐっ……ぐぅっ!?」
振り回される斧の隙を狙ってエイルが山賊のリーダーの腕を切りつけた。
切られた鋭い痛みに続いて不可解な大きな痛みを感じて山賊のリーダーは思わず斧を落とした。
そのままエイルは怯んだ隙に山賊のリーダーの腕を深々と剣で突き刺し、続けて足を切りつけた。
こうなれば逃げることもできないし斧を持つこともできない。
「う……くそっ……」
地面に膝をついた山賊のリーダーはエイルのことを睨みつけている。
「エイル、大丈夫か!」
エイルが山賊のリーダーと戦っている間にミツナは残りの山賊たちを倒してしまっていた。
「ああ、俺は大丈夫だ。ミツナもよくやったな」
「あ、あれぐらい普通だし」
口ではそう言いながらもエイルに褒められて嬉しいミツナのシッポは激しく振られていた。
油断するとお尻ごと振ってしまいそうでミツナは必死にそこだけは気をつけている。
「チッ……」
仲間も倒された。
手足までやられて逃げることもできない。
「殺せよ……」
大きく舌打ちした山賊のリーダーはうなだれた。
こうなればもう未来など分かっている。
捕まって突き出されるか、殺される。
仮に見逃されたところで手足を怪我していては山賊稼業も続けられない。
それならばさっさと殺してもらった方がいいと山賊のリーダーは思った。
「何をしている?」
「…………」
「ふっ、人も殺せない甘ちゃん……」
「口数の多いやつだな」
エイルは剣を持ったまま黙って山賊のリーダーを見下ろしていた。
山賊のリーダーの言う通り人を殺すことはできないと言って剣を収めようとした時だった。
カミンが山賊のリーダーの首を横から切り落とした。
「なっ……」
「情けをかけるのも構わんが殺すべき相手は殺すべきだ」
驚きを見せるエイルにカミンはゆっくりと首を振ってみせた。
「こいつを生かしておいてなんになる? 武器も持てなくてどうやって生きていく? 仮に手足が治ったらどうなると思う?」
エイルの足元に山賊のリーダーの首が転がってくる。
「お前たちは二度とこいつに会わないかもしれないがここで活動する依頼主はそうもいかない。もしかしたら治療のための金を取ろうと今までより過激なことをするかもしれない。手を出すなら最後までやることだな」
「…………そうですね」
おっさんの言葉が胸に突き刺さってエイルは苦い表情を浮かべる。
「そっちの奴らもただ気絶しているだけのようだな」
カミンは気を失って倒れている山賊たちにトドメを刺していく。
非情なようであるがカミンが言っていることは正しい。
山賊をここで見逃してものちの被害者が出るだけになる。
むしろ復讐のために商人が襲われる可能性すらある。
相手に情けをかけて見逃すことに一定の美徳も認めるけれど、情けをかけるべき相手とかけるべきではない相手がいる。
山賊は情けをかけてもいい相手ではない。
「エイル……」
エイルは足元に転がってきた山賊のリーダーの頭をただ見つめていた。
ミツナはエイルの感情が分からなくて尻尾を下げて困った顔をしている。
「あ、ああ、大丈夫だよ」
声をかけられたエイルはミツナを見てぎこちなく笑顔を浮かべた。
「エイル、死体をどけるぞ。手伝え」
「……分かりました」
「わ、私もやる」
気を失っている山賊にトドメを刺したカミンは馬車が通れるように死体を引きずって道端にどけていた。
エイルとミツナも手伝って道を開け、妙に態度が下手になった商人の馬車に乗って再び進み始めた。