「ふふんふんふ~ん」
 俺、石原大也は、鼻歌交じりでがけ沿いの細い道で車を走らせていた。
 俺は、自分で言うのもなんだがかなり目利きの宝石鑑定士だ。
 今日は俺のお得意様、金ヶ崎さんからの鑑定依頼。
 宝石を集めるのが趣味で、珍しいものからめったにお目にかかれないほど高価なものまで、本当にたくさんの宝石を持っている。
 がけの上に建てられた別荘は、宝石であふれているんだ。
 俺も、あんなふうに自分の宝石をたくさん持てたらいいのに。
 そうは思うが、俺にそこまでの金はない。
 まあ、だからこそこの仕事を選んだんだけどな。
 さて、今日はどんな宝石を見られるのだろうか。
 金ヶ崎さんの電話の口調だと、きっとものすごくレアな宝石なんだろうなぁ……。
 自然とにやけてくる口元を、慌てて引き締める。
 いかんいかん。これは仕事だぞ、石原大也。しっかりしろ。
 言い聞かせながらも再び口元がゆるんできた、その時。

 ――汝、選ばれし者なり

「――っ!?」
 突然頭の中に女のものらしき声が響いて、俺はびくっと肩を震わせた。
 な、なんだよ、これ。
 俺、今、一人だよな?
 助手席、後部座席、とバックミラーで確認するが、誰もいない。

 ――異界の地で育ちし者よ、我が命に従いて……あれ、なんて言うんだっけ……ってか危ないっ! 前見てっ!

「前?」
 視線をさまよわせていた俺が言われたとおりに前を見ると。
 ガッという衝撃とともに――俺の車は空を飛んでいた。

 わーすげー。
 俺の車って、空飛ぶ車だったのかー。

 ……なんていうはずもなく。
「うわぁぁぁーっ!」
 やばいやばいやばい、ガードレール突き破った!
 下は一面、木々がうっそうと茂る森。
 ワンチャン、死なないか?
 いや、この高さは確実に、死――

 ――ああっ、もういい! 召喚っ!

 そんな声が聞こえるのと同時に、俺は目をつぶった。

* * *

 ……あれ、痛くない。
 ぎゅうっと目をつぶった俺は、衝撃も痛みも来ないことに戸惑う。
 ってか、俺が今座ってるの、車の座席じゃなくて地面のような……?
 恐る恐る目を開けた俺の前に広がっていたのは。
「なん……じゃ、こりゃ……」
 一面の草原だった。
 俺、さっきまで崖の上を車で走ってたよな?
 で、ガードレールを突き破って、森の中に落っこちて……。
 もしかして、落ちたのは草原だったのか?
 いやいや、そんなわけないだろ。
 じゃああれか、俺はもう死んでいて、ここは天国ってわけか。
 ならせめて、こんなだだっ広い草原じゃなくて、もっと楽しそうなところに――
 グルルルルルルルル……
 突然背後から獣の唸り声のようなものが耳に入り、背筋が凍った。
 ま、まさか、な……?
 恐る恐る振り返る、と……。
 そこには、俺の身長の二倍も三倍も、下手したらもっとあるんじゃないか、というサイズの犬……それも、口から火を噴いている犬が、俺を見下ろしていた。
「ど、どうも~……」
 俺はそいつを見上げて、ひきつった笑みを浮かべる。
 こ、これ、どう考えても現実じゃないだろ。
 ほっぺたをぎゅっとつねる。……痛い。
 そうか、夢でも天国でもなく、現実か……。
 腰が抜けて立てないまま少しずつ後ずさりする、が。
「グルルルルァゥッ!」
 飛びかかってくる犬が、やけにスローモーションに見える。
 ……終わったな。
 さっきも死を覚悟してなぜだか助かったとこだったのに。
 なんでこんな、わけわからんところで死ぬんだよ……!

水龍(アクア・ドラゴン)っ!」

 犬の噴いた炎が俺のすぐそばまで迫ってきたとき、幼い女の子の声が、草原に響いた。
 その声と同時にゴォォォォッと音を立てて水の渦ができたかと思うと、瞬く間に龍の形へと変化する。
「――っ⁉」
 そいつが巨大な水の球を一瞬で生み出し、犬に向かって打ち込むと。
 犬は、ざぁっと黒い粒子になって消えた。
 龍は犬が消えたのを見ると、自分の役目は果たしたとでも言うように、パシャンと水になって消えた。
 雨のように地上に降りそそぐその水を浴びながら、俺は唖然、呆然。
 ……い、いったい、なにがどうなってんだ……?
「いやー、危機一髪。危なかったねぇ」
 その声にはっと振り向くと。
 そこにいたのは、まだ小学生ほどに見える少女。
 傘を閉じながらこちらに歩いてくる彼女に、俺の目は釘付けになった。
 黒曜石のように黒い艶やかな髪と、ガーネットのような赤い瞳を持つその少女は、幼いがとても整った顔立ちをしている。大人になればさぞかし美人になるだろう……が。
 俺はそんなことよりも、彼女の身につけている装飾品に釘付けになっていた。
 髪飾りの水色の宝石は、パライバトルマリンか?
 紫色の耳飾りは、アメシストだろうか。
 指輪なんて、いくつついているかわからないぞ。
 赤、黄、白などカラフルな宝石が、彼女の小さな手を彩っている。
 そして何よりも、首元のペンダントの虹色に発光する宝石。
 あれはレインボームーンストーンか? いや、フローライトかもしれないな。
 吸い寄せられるような不思議な魅力に、俺は目が離せなくなる。
「ん? キミ、この装飾品に興味があるのかい? これは魔石でできているんだよ。魔石っていうのは魔物を倒すときに手に入るもので、これは……」
 じっと見ているのに気がついたのか、少女は自慢げに解説を始める。
 宝石鑑定士として、その話に興味がないわけがない……が、俺はその欲望を振り切って彼女の話をさえぎる。
「すまない。ここがどういう場所か、教えてもらえないか? それと、きみがさっきの龍……」
「そっ! ここはキミたちの言う『異世界』ってやつだ。ボクは、この世界の創造主だよ。気軽に神様って呼んでね!」
 …………は?
 俺はしばらく少女の言葉を理解するのに時間がかかった。
 ここが、異世界? この子が……神様?
「キミは異界から来たばかりだからね。ホントはボクがこの世界に直接干渉するのはダメなんだけど、特別に助けてあげたんだよ。でも、これは特例だからね? 次はないと思って」
 真面目な顔をして言う神様に、俺はこくこくとうなずく。
「キミのいた世界はずいぶんと平和だったみたいだけど、この世界はそうじゃない。だから、気をつけるんだよ? 人々は剣と魔法で戦い続けている。ときには人同士で、ときには、さっきキミが襲われかけた魔物と……」
 その言葉でさっきの恐怖がよみがえってきて、俺はぶるりと体を震わせた。
「いやぁ、まさか召喚しようとした勇者が2回も死にそうになるとはね~、焦った焦った」
 ……うん?
「……つまり、きみが俺をこの世界に召喚したってことか? あの声も、きみの?」
「そう! ボクが召喚しようとしたら、いきなり『くるま』で空中に飛び出しちゃうんだもん、びっくりしたよ。本当に、危機一髪だったねぇ」
「俺が、草原のど真ん中に放り出されたのは?」
「キミが死にそうになるからあわてちゃってさ、ちょっとミスっちゃった。まあ、ボクが助けられたからよかったけどね」
 ふふんっ、と胸を張る神様。
「キミを危機から2度も助けてあげたんだ。たーっくさん感謝してくれても――」

「その危機全部、お前のせいじゃねーかぁぁぁぁぁぁっ!!」

 俺の絶叫が、草原に響き渡った。

    * * *

「ごめんよ?」
「…………」
「ねえ、ごめんってばぁ」
「…………」
 無視を続けていると、俺を見つめる神様の目がだんだんとうるんでくる。
 ……くそっ、偉そうにしてるけど、こいつの見た目はまだ幼いんだよな。
 幼い少女に泣かれてなお無言を貫けるほど、俺の精神は強くない。
「……で? なんでお前は俺を召喚したんだ?」
 つっけんどんな言い方で、俺は少女に話しかけた。
「言葉遣いに気をつけることだね。ボクは神様なんだ、うんと敬いなさい」
 口をきいたとたんこれかよ、めんどくさいやつだな。
 ……だがこの場合、無視する方が何倍も面倒だろう。
「じゃあ神様、なんで俺をこの世界に召喚したんですか」
 俺の棒読みの言葉に、神様は満足げにうなずく。
 いや、これでいいんかい。
 俺は心の中で突っ込む。
「キミは、選ばれし勇者だ。キミには、この世界を支配する魔王を討ってもらいたい」
 あーはいはい、ラノベとかでよくあるやつね。
 そりゃあ、昔はラノベを読んであこがれたものさ。
 チート能力で無双するだとか、弱小貴族に転生して何とかだとか。
 だが、俺はもう26の大人だ、こんなことに付き合ってられるかよ。
「なんで俺なんですか、別に俺じゃなくたって……」
「そりゃあ、キミが特別な力を持っているからさ。この世界に生まれ育つ人間は、良くも悪くも並みの能力しか持って生まれない。世界を変えられるほどの強大な力を持つ者は、異世界にしかいないんだ」
「はあ。……ってか、神様が魔王をちゃちゃっと倒せばいいんじゃないんですか? 神様なんだから、強いんだろ」
「……そういうわけには、いかないのさ。さっきも言っただろう? ボクは、この世界に干渉しすぎてはいけないんだよ」
 少し悲しげな力のない声に、俺は少しだけ同情してしまう。
「……そもそも、俺の能力って何なんですか?」
「うんうん、いい質問だね! ようやくこの世界を救う気になってくれたか」
 再び明るい調子で言う神様。
「別にそういうわけじゃないですよ。とっとと帰してほしいくらいだ」
「まだそんなことを言うか……」
 神様は、少し考えこむようにあごに手を当てた。
 その指にはめている指輪に、思わず俺の目が吸い寄せられる。
「……キミ、この魔石たちに興味があるんじゃないの?」
 俺はその言葉ではっとして目線をそらした。
「強い魔物からは、それだけ強力な魔石が手に入れられるんだけどなぁ」
 ……いや、そんなこと言われても俺はやらないぞ。
 俺はそっぽを向いたまま誘惑に耐えようとする。
「せっかくレアな魔石もコレクションできるチャンスなのに、もったいない」
 レアな魔石を、コレクション……?
 俺はつい、神様の方を向いてしまった。
 神様は、いたずらっ子のように笑って俺の顔を覗き込んでくる。
「魔王は強い。だが、それだけたくさんの強力な魔物を使役している。強くなれば、そいつらから採れるレアな魔石がたーっくさん手に入るよ?」
 ……本当ならごめんだ、こんなよくわからん異世界で、命を懸けて世界を救うなんて。
 だが、神様の身に着けている魔石が脳裏から離れない。
 あれをもし、俺のものにできたら……。
「あ、ちなみにキミの持つ特殊な能力は、キミにぴったりだと思うよ。なんと、『魔石の能力を最大まで引き出せる能力』!」
「最大まで?」
「そのままの意味さ。たとえるならば……キミが乗っていた『くるま』だね。『あくせる』とやらを踏んでスピードを上げるのだろう? この世界の一般人は、魔石の『あくせる』を踏む力が弱い。だが、キミは最初から『あくせる』を最大まで踏めるというわけだ」
 はあ。わかったような、わからなかったような……。
「ま、物は試しだ。これをキミにあげよう」
 神様は指から赤い宝石のついた指輪を外すと、差しだした俺の手にコロンと乗せた。
「はめてみなさい」
「はめてみろって……こんなに小さいやつ、はめられるわけ……」
 そう言いながら指にはめようとすると、なぜかすっと指にはまった。
「……!?」
「その指輪は魔法で細工がしてあってね、はめる人の手に合うようにサイズが変わるんだよ」
「へえー……」
 俺は太陽――とこの世界でも言うのかはわからないが――の光にかざしてみる。
 赤い魔石の中で、何かがチラチラと揺らめいているのが見えた。
「それじゃあ、さっそく使ってみようか。頭の中で火をイメージしながら……火球(ファイヤ・ボール)!」
 神様の声とともに、小さな火の玉がぽうっと現れた。
「ほら、やってみて」
 そんな急に言われたって、できるわけないだろ。
 そう思いつつも、言われたとおりに火をイメージする。
火球(ファイヤ・ボール)――あっつ!!」
 俺の目の前に、ごうごうと燃えさかる火の玉が出現した。
「すっ……げー……」
 これ、本当に俺が創り出したのか?
 マジでファンタジーじゃん……。
 この歳で異世界なんてとは思っていたが、こうして魔法が使えるとやはり興奮してしまう。
「おぉ~っ、完璧じゃないか! やはりボクの目は間違っていなかったようだね」
 うんうんとうなずく神様。
「じゃ、実戦といきますか!」
「え? いや、さすがにそれはまだじゃ――」
 俺の言葉を無視した神様がパチンと指を鳴らすと。
「は⁉」
 俺たちは小高い丘の上にいた。
「瞬間移動しただけさ。さあ、ここで実戦だよ」
「だから、そんな急に……」
「ここは、低級魔物『刃兎(ブレイド・ラビット)』の群棲地なんだ。練習にはちょうどいいだろう?」
 ほら、と神様が指し示した方から、何かが走ってくる。
 ……ん? いやいやちょっと待てちょっと待て、なんか多くないか?
「おおっ! 運がいいね、群れで来たじゃないか」
「それって本当に運がいいのか⁉」
「ほらほら、がんばれ~!」
 神様は地面に座り込んで、完全に傍観モードだ。
「死にそうになったら助けてくれるんだろうな⁉」
「キミなら大丈夫さ」
 ああもう、どうにでもなれっ!
 俺は神様にもらった指輪を群れの方に向ける。
 頭の中で、飛んでいく火の玉をイメージする。

「――火球(ファイヤ・ボール)っ!」

 俺の叫びとともに現れた、ごうごうと燃え盛る炎。
 そいつはイメージ通りにまっすぐ飛んでいくと、群れに真正面からぶつかっていった。
 や、やったか⁉
 目を凝らすと、さっきの犬のときのように、黒い粒子が風に乗って飛ばされていくのが見えた。
 た、倒せた……。
 どっどっどっとうるさい心臓を、深呼吸して鎮める。
「すごいすごい、一発じゃないか!」
 後ろから、神様ののんきな声が聞こえてくる。
「あのなぁ――」
「ほら、魔石! 拾ってきなよ」
 神様の方を向きかけた俺は、ばっと向き直る。
 よくよく目を凝らしてみると、きらっと何かが光るのが見えた。
 急いで走り寄って、小さな粒を拾い上げる。
「うわぁ……!」
 俺は思わず感嘆した。
 落ちていたのは、グレーがかった1センチほどの魔石。
 もちろん、出てきたばかりで磨かれてすらいない宝石は、装飾品に使われるものとは比べ物にならないほどに質が悪い。
 それでも、ちろちろと何かが奥で揺らめいているのだけは、はっきりとわかる。
 それが、あっちにも、こっちにも……。
 大群で運がいいって、こういうことだったのか。
「おめでとう。それはぜーんぶ、キミのものだよ」
「全部、俺のもの……」
 現実世界では、触れられても一生自分のものにはならなかった宝石が、今、自分のものとしていくつも俺の手の上にある。
 強くなれば、もっとたくさん、手に入れられるのか。
 大粒の魔石も、レアな魔石も、全部俺のものに……?
「え……キミ、大丈夫……?」
 神様のドン引きする声が聞こえてきて初めて、俺は自分がぐふぐふと奇妙な笑い声を漏らしていることに気がついた。
「ン”ン”っ……。ま、まあ、やってやらなくもねーよ、魔王を倒すとかいうやつ」
 ただし、魔石を集めるのが最優先、だけどな。
 俺は心の中でそっと付け足す。
「ありがとう! キミならそう言ってくれると思っていたよ!」
 神様は近づいてくると、バシバシと俺の背中をたたく。
 ……見かけによらず力強いな、こいつ。
「じゃ、あとは自分で頑張れ〜! この世界の命運は、キミに託したぞ!」
「え? ちょ、俺、ここに放置されんの⁉」
「下に街が見えるだろう? あそこまで行けば、まあ何とかなるさ」
 バイバーイと手を振った神様は、本当に跡形もなくふっと消えてしまった。
「そんな適当な……」
 俺の声は神様には届くことなく、風に流されていく。
 俺は再び、一人になった。
 だが、最初と違って俺の心は少しワクワクしていた。
 魔王? 勇者? そんなの知るか。
 俺はこの能力を、魔石集めのために使ってやる。
 待ってろよ、魔石たちっ!
 俺はグレーの魔石たちを握りしめて、丘の下の街を目指して歩き出した。

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