サイコ・アクター──死神人形と呪いの館

夏の風物詩が泣き叫ぶ中、僕は病院のベッドにいた。

ここに入院した理由は、僕の足が骨折した……というより骨折させられたからだ。

“白い化け物に襲われて骨折した”というのが本当の理由だが、当然周りの人達は信じないだろうし言わないことにしている。

いい加減暇になったから、スマートフォンでSNSを開く。

そして、自分自身の名前で思いついたように検索をかける。

『桐生翔(きりゅう かける)』

すると画面には、とあるネット記事のリンク先が貼られたものがヒットする。

そこに飛ぶと、当然ながら僕のことを書いた記事が表示される。




【中学記録を持つ未来のホープ桐生翔! 事故で足を大骨折!? 競技継続は──】





大袈裟にそう書いてあった。

自慢になるが、自分は陸上競技で中学時代に記録を作れるくらい速かった。

ただ高校に入ってからというもの、伸び悩んでしまった。

そのせいかネットでも散々な言われようで、早熟だったとか指導者が悪いとか悪口が溢れていた。

直接、嫌がらせを受けたこともある。

そのせいか、色んな人に迷惑をかけてしまった。

ただ自分が事故に遭ってからというもの、流石にそういう悪口や嫌がらせも無くなってきたらしい。

……とんだ手のひら返しだ。

ネットが正義というわけではないが、情報社会故にどうしてもそういうものは嫌でも目にしてしまう。

情報というものにみな惑わされすぎだ。

自分も、この社会を生きる皆も。

実際、事故に遭ったその日には特に痛感した。

僕が怪我をした場所は、都市伝説で有名な館。

死神人形が出るという噂の館で、僕は本当にその子に出会った。

都市伝説では、死神人形に出会った者は殺されるらしい。

でも死神人形と呼ばれたその子は、本当は物凄く繊細で優しかった。

ネットであれやこれやと噂を立てられたせいで、殺されると思っていたがそんなことはなかったのだ。

ほんと、自分を含めて人間ってしょうもない。

そう思えた。

……だからこそ、あの事件が信じられない。

適当に僕は、最新のネット記事を閲覧する。

すると、僕の事故に関連したものが画面に現れる。



【桐生翔の指導者、自宅で死亡。死因は何者かによる他殺か】




僕の指導者である先生、三浦湊(みうら みなと)先生が、僕が怪我をしてから数日後に殺された。


僕が都市伝説スポットに行こうとしたきっかけを与えたのもこの先生だ。


色々ぶっ飛んでいた先生だったけど、明るくてよく陸上に関するアドバイスをよくしてくれた。


指導者として、僕としてはいい先生とは思っていた。

そんな三浦先生が、殺された。

僕はきっと知っている。

その犯人が誰なのか。

理由は、その現場に残されていたものが物語っている。

血の跡が残った汚れた黄色いレインコート。

子供サイズだ。

僕が出会った死神人形が着ていたサイズと、恐らく同じだ。

もちろん、それだけが理由ではない。

彼女が時折、僕の学校や先生について聞いてきたというのもある。

その時は追求しなかったが、よくよく考えればなぜそのことを聞いてきたのか。

答えはやはり、先生の情報を聞き出したかったのだろう。

なぜあの子は、先生を殺したのか。

そこまでのことを、あの先生はしたのだろうか。

分からない。

本当に訳が分からない。

「クエリィ……どうしてなんだ……」

僕は死神人形が名乗った名前を、ボソリと呟いた。

……分からないといえば、三浦先生に関する記事だ。

三浦先生の遺体の状態としては、めったざしにされていて穴だらけ。

出血多量での死亡。

悲惨な最期だというのに、記事の文章だけ読むと先生の死に顔が異常だったらしい。





“笑っていた”のだ。





……三浦先生、貴方は一体何をしたんだ。

ふと、僕はあの時のことを思い返す。

僕が都市伝説スポットに行こうとした、あの日を──。
「僕、死にたいんです」

蒸し暑く、湿気が酷い季節になってきた6月の始めに、僕と三浦先生は教室で向かい合っていた。

外は土砂降り。

その天気はまさに、僕の心情を表しているかのようだった。

対して、僕の情けない言葉を受け取った三浦先生はというと。

「じゃあさ。俺が行こうとしてた呪いの館ってやつ、行ってくれない?」

ちゃらんぽらんと、軽い口調で何の脈絡も感じ取れない返し方をされた。

「あの、先生。僕の話、聞いてました?」

「うん。聞いてたよ? 聞いてたさぁもちろん。だから提案してるんだよ」

「はぁ……」

思わずため息をついてしまう。

というよりも、この先生に相談したのが間違いだったのかもしれない。

友人に話すべきだっただろうか。

長身のイケメン体育教師、三浦湊。

性格は明るく、いつも楽しそうにニコニコとしている。

それ故に女子生徒から大人気。

絵に描いたような完璧な教師だが、ただ一点、変わった所がある。

それが先ほどの提案に繋がる。

「……オカルト趣味を、何でここでひけらかすんですか。タイミングおかしくないですかね」

いわゆるオカルトオタクというやつらしい。

ネットで有名な都市伝説スポットを巡るのが趣味らしい。

スポット巡りが終わった休み明け、時折手足が絆創膏だらけで登校してきたのを見てゾッとした。

そこまでして、巡りたいものなのだろうか。

僕がツッコミを入れると、三浦先生はケラケラと笑う。

「確かに相談なのにね。ウケるね」

何がだよ。

シンプルに腹が立つ。

顔が無駄にいいから余計に腹が立つ。

こういうどこかズレたコミュニケーションを他の生徒にもすることが多いから、一部の生徒からやべぇ思考してるサイコパス教師と揶揄されている。

実際何を考えているのか検討もつかないが、僕にとっては悪い先生とは思えない。

……じゃなきゃ相談なんてしないし。

彼に相談した理由としては、まず話しやすいこと。

基本的に明るい性格だから、何を言ってもマイペースに答えてくれると思ってたから。

それから一番の決め手はやはり顧問の先生で、なんだかんだ指導はしっかりしてくれていたからだ。

僕が死にたい、消えたいと思ってしまった原因の陸上部の顧問をやっている。

……いや違うか。

その陸上関係を巡るSNSでの誹謗中傷で、僕は消えたいって卑屈な思いを抱いてしまった。

僕という存在そのものを否定するような、そんな誹謗中傷を目の当たりにしてしまって、消えてしまいたくなった。

そんなものを見なければいいとは分かっている。

……それでもSNSを元々使ってたからか、どうしても気になってみてしまった。

自業自得といえばそれまでだ。

だからこそ、自分自身が嫌になってしまう。

指導してくれた三浦先生に申し訳ないとも思ってる。

……それはそれとして、この態度は如何なものかとも思う。

まぁそういう先生だから、気軽に相談できたのもあるけど。

せめてアドバイスでもしてほしい。

ひとしきりゲラゲラ笑い終えた三浦先生は、涙目になりながらも僕に話しかける。

そんなに面白かったかな。

「いや分かるよ。お前が陸上のことで悩んでるのはよぉく分かるさ。だからこその提案さ」

「……三浦先生なりのアドバイス、ってことですか?」

「そうそう! まぁ俺の趣味についていける同士を増やしたいってのも、もちろんあるけど」

「……そっちが本音でしょ」



僕が愚痴を吐くようにそう言うと、三浦先生はまたゲラゲラ笑い出す。

言わなきゃ良かった。

確かに、サイコパスと言われてもおかしくない笑い方だ。


「否定はしない。ただ陸上とは全く無縁のことをしてみるってのも、俺はいいと思うんだよ」

「それは、一理ありますが」

「だろだろ? んでさ、これ見てほしいんだけど」

三浦先生は自身のスマートフォンを、僕に差し出す。

素直に受け取って画面を見てみると、そこには美しい少女が、遠目にこちらを見つめていた写真が映し出されていた。

「……死神人形?」

「お? 流石に知ってるか」

死神人形。

ネットで昔から噂になっていて、今ではすっかり有名になっている都市伝説の一種。

その人形に出会うと寿命が削られるとか、呪い殺されるとか、散々な噂が立てられている。

……それが本当だとしたら、この写真を撮った人の命が危ない気がするけど。

「そりゃまぁ……有名ですからね。この子がどうしたんです?」

「この人形が出るっていう噂の館に行ってみてほしいんだよ」

「は?」

やはりサイコパスなのだろうか。

生徒にそんなヤバそうな場所に、一人で行かせるものなのか。

「……冗談ですよね?」

「なんだビビったか? まぁ俺自身も半信半疑だけどさ」

「いやそういうことではなくて、こんな館まで一人で行かせるのが意味分かんないですよ」

「そうか? 結構近いんだけどな?」

「いやだから……はぁ」

何だかまともに対応するのが馬鹿らしくなった。

風の噂では、三浦先生はオカルトが絡むとヤバい奴になるとは聞いていたが、ここまで面倒くさいとは正直思っていなかった。

あまり人のことを悪く言いたくないけど、ここまでめんどくさいとそう思ってしまう。

「……大体この写真の信憑性もその噂も、本当かどうか疑わしくないですか?」

「だから直接見に行くんだって」

「……三浦先生は、なんでそこまでオカルトにこだわるんですか」

僕が口を尖らせて言うと、三浦先生は真顔になる。

はっきり言って、異常なほど都市伝説スポットに執着している。

そこまで楽しいものなのだろうか。

三浦先生は先ほどの明るい顔とは打って変わって、心底真面目な表情で語る。

「俺、現実はつまらないもので満たされてるなぁって常々思ってるのよ」

「……はぁ」

「だからさ、こういう非日常に出会えるかもしれないっていう場所に行くことが生きがいなんだよね。きっとお前も行ってみれば分かるよ多分」

「生きがい、ですか」

「今のお前にはきっと、生きがいがないんだ。だから死にたいなんて言葉が出るんだよ」

最初に言った言葉が、今になって返ってくるとは思わなかった。

僕が答えないでいると、三浦先生はいつも通りニコニコとした表情を浮かべる。

「まぁあくまで俺の提案だしな。気分転換にいいと俺は思ったんだ。それに、そもそもいないとは思うし。宝探しみたいなもんよ」

「……これが気分転換になる三浦先生は、ヤバい教師ですよ」

「はは。ウケるよな」

だから何がだよ。

……でも、確かに陸上のことを考えなくて済むっていう意味では、気分転換にはなるかもしれない。

僕は中学から高校生になるまで、陸上のことしか頭になかった。

記録が伸びている時期は確かに楽しかったし、周りの期待の眼差しも正直満更でもなかった。

ただそれにだけ執着しすぎたのか、他のことが頭に入らなかった。

ならこれは、いわゆる転機というやつなのか。

だとしても、もっといい気分転換の方法があるもんだとは思うけど。

かといって、他の方法をやろうとか考えることが自分にはできない。

……じゃあ何もしないよりかは、行ってみてもいいか。

先生も同じようなこと言ってたけど、ツチノコを探しに行ってみるようなものだ。

陸上を離れてからは、家に引きこもることが多かった。

普段やらないことをやるせっかくの機会だし、行ってみてもいい。

そう三浦先生に話すと、先生の表情がより明るくなる。

その後、僕は先生から交通費を受け取り、その場所のマップなどをメールで送ってきた。

我ながら狂ったことをしようとしてることは、自覚している。

でもこれはそう、ある種の自殺願望なのかもしれない。

仮に本当にいたとしたら、死神人形に殺してもらえる。

僕はこの時、そう考えてしまった。

狂っている。

思考もこの行為も。

三浦先生のあの提案も。

休日になる前日、金曜日に僕はやってきてしまった。

目的地である呪いの館だ。

辺りを見渡すと本当に周りには森以外は何もないし、ホラーゲームに出てきそうな雰囲気を醸し出す異様な館が目の前にあるだけだ。

僕は早速、ゆっくりと館の扉を開けることにした。

しばらく使われていないのか、玄関は埃まみれでゴミがあちこちにあった。

思っている以上に玄関口は広かった。

玄関の先には廊下があり、階段があった。

「こういう場所は普段来ないし、行く機会すらないから非日常感があって面白い……かも」

誰もいないことをいいことに、独り言を呟きながら探索をすることにした。

その時、だった。

微かに足音が聞こえた。

2階、からだろうか。

「(僕と同じような理由で来た人がいるのか)」

正直驚いたが、自分を保つために都合の良い解釈をすることにした。

僕はその場を後にし、一階から探索することにした。

玄関よりかは、幾分か整えられていたリビングにやってきた。

だがそれでも、汚いものはとことん汚い。

ソファやテーブル、それからキッチンとテレビ。

ごく普通のリビングだ。

ただ、気味の悪いものがソファに置いてあった。

人の形をした、一つ目の人形がそこにあった。

まるで、自分の存在がわかっているような、そんな目をしていた。

「……趣味が悪いな」

また、上の階から軋む音が聞こえた。

何かがいることは確かだ。

「とにかく次だ」



広々とした図書室に移動した。

所々に蜘蛛の巣が張ってあった。

虫はどちらかというと苦手だ。

蜘蛛の巣を避けながら、図書室を歩いた。

しかし残念ながら、糸に引っかかった。

……最悪だ。

糸を取り払ったその後、また足音が聞こえた。

それも、上の階ではなく近くで。


「(ビビるな……鼠か何かだ。大丈夫大丈夫……)」


自己暗示し、その先を歩いた。

そして、たまたま目に付いた本を棚から取り出した。

やはり埃が被っていた。

中身は、英語で書かれている小説だった。

当然全く読めない。

周囲を見渡すと、目が眩むような本の数が見えた。

しかしそれよりも、気になることがあった。

部屋の空気が異常に悪い。

空気を入れ換えるために、僕は図書室の窓を探すことにした。

だが見当たらなかった。

一つもなかった。

また今更になって、胸騒ぎがした。

その時だった。

後方から気配を感じたのだ。

足音が大きい。

気配がかなり近い。



「(……まさか)」



僕はなるべく音を出さないよう、細心の注意を払いながら、後方を振り返ることにした。




















恐る恐る後方を見たが、そこには何もいなかった。

周囲を見渡しても、誰もいない。

ただ静寂だけがあった。

しかしまた、音が聞こえた。

図書室の扉が開いた音だ。

覚悟を決め、しばらく構えていたが、誰も僕の目の前に現れなかった。

肩を震わせながらも図書室を後にし、次の部屋へ向かうことにした。

一階の奥にある和室にやってきた。

障子を開けると、畳特有の匂いがした。

中は案外綺麗だった。

しかし──。




「(何だ……生臭い匂いがする……)」

鼻にツンとくる匂い。

多分、嗅いだらしばらく離れないような、そんな匂い。

念のため障子を閉め、和室の探索をすることにした。

身長の低い机には、小さな懐中電灯が置いてあった。

「……持っていくか」

それをポケットに入れ、机の下も確認した。

何もなかった。

座布団をひっくり返したり、高そうな壺の中身を確認したりした。

しかし、何もなかった。

「……残りは……」

奥にある襖のみとなった。

そこに近づくと、明らかに生臭い匂いが強くなった。

「……薄々そうだろうなとは思ってたけど……」


気になるが調べたくない。

かといって、調べないわけにもいかない。

僕は勇気を振り絞って、手を襖の方へ伸ばした。

そして、ゆっくりとそれをずらした。

その瞬間、僕の身体に何か重たいものが飛び込んできた。

「痛っ!?」

衝撃で、僕は床に倒れ込んだ。

「こ、今度は一体何なん……だ?」

そう言いながら、重たい何かを確認した。

僕の身体に倒れ込んできたものは──。

「し、死体……!?」

白目を剥き、血だらけになった男の死体だった。

「ヒッ……!!?」

僕は慌てて、その死体を払い除けた。

上半身に、血がべったりと付いた。

「ほ、本物……!?」

……だが、よく見るとそれは人間に限りなく近い人形だった。

しかし血は本物らしい。

誰が一体、何のためにこんなことをしているのか理解できない。

僕の内心を知ってか知らずか、畳みかけるようにまた近くで音が聞こえた。

障子を開ける音だ。

つまり、後方からだ。

僕は、再びゆっくりと後方を確認した。

























いた。

化け物だ。

鼻と口しかない。


ツノを生やした真っ白な巨人が。


そこにいた。

ほんとに。

目の前に。

いた。




「ぁ……あぁ……」

声にならない声を上げ、なるべく距離を取ろうとした。

だが、腰が抜けた。

足も、上手く動かせない。


「…………」


化け物は、ただ僕の目の前に立ち尽くしていた。

けどそれも、時間の問題だった。



「ギュオォォオオン!!!!」

突然、鬼は甲高い悲鳴のような声を上げた。

その叫び声を聞いたおかげか、突然足が動くようになった。

「……くっ!!」

僕は急いでその場を後にし、玄関を目指した。

火事場の馬鹿力なのか、すぐに玄関へたどり着いた。

しかし──。


「開かない!!?」

なぜか玄関の扉には、鍵が掛けられていた。

「くそ!!」

必死に扉を何とか開けようとした。

その時、また後方から奴の気配を感じ取った。

すぐに振り向くと、やはり化け物がいた。

「ギュオォォオ!!!」

また、叫び声。

「……畜生……!」


考えてみれば、僕は最悪死んでも構わないという気持ちでこの館にやって来た。

ならこれは、運命というやつなのだろう。

覚悟を決めたはずだ。


「(……そうだ。何で今更、こんなに必死になって逃げてるんだ……)」



襲い掛かろうとしている化け物を見ながら、僕は呟いた。

──死ぬ覚悟なんて、最初からなかったんだ。

──ただ、現実から逃げたいだけなんだ。



化け物が僕の元へ走ってきた。

恐怖と覚悟を心に抱え、目を閉じた。

…………。

…………。

…………?

だけど、何も起きなかった。

僕は咄嗟に目を開いた。

視界では、化け物がドスンと玄関の脇の方へ倒れ込んでいたのを捉えた。


「逃げて下さい」



幼い少女の声が聞こえた。

その声の主は、倒れ込んだ白鬼の近くにいた。

クエスチョンマークの仮面を付け、黄色いレインコートで身を包んだ少女。

その少女の両手には、ナイフがあった。

状況が分からない。

思考が追いつかない。




「き、君は……?」

必死に、声を絞り出すも疑問符しか彼女に返せなかった。

「2階へ逃げて下さい。早く」



仮面のマークの通り謎の少女に促され、僕は2階へと向かった。







仮面を付けた少女と共に、2階の部屋にやってきた。

少女は何やら、扉に鍵を掛けていたようだ。

僕らは床に隣り合って座ることにした。



「ここまでくれば、一旦は大丈夫です」

「あ、あぁ。助かったよ……」

「怪我はしていませんか?」

「う、うん。大丈夫だよ」

「…………」

「…………」


気まずい沈黙が続いた。

さっきから現実離れしたことが起こりすぎていて、思考が追いついてない。

目の前にいる謎の仮面少女が何を考えているのか、どんな目的でここにいるのか分からない。

彼女の手元にある包丁が鋭く光っていて、血の跡が付いている。

それを見て、ようやく先ほどの光景が現実であることが自覚できた。

それ故に、余計に彼女に対しても恐怖心を覚えてしまう。

心臓がバクバクとしていて鳴り止まない。

でも何か、喋らないと。



「え、えっと……」

「……貴方は、なぜここに?」

僕が話題提供する間もなく、彼女が僕について聞いてきた。

「えっ。あぁえっと……僕は──」



僕は一度深呼吸をしてから、ここに来た理由を話した。

自暴自棄が過ぎる経緯だけど。



「そう、なんですか」

「うん……何か全てがどうでも良くなっちゃって……さ」

「……なるほど」

「死神人形じゃなかったけど、まさか本当にあんな化け物が存在するなんてね。死にかけたよ」

……なんて言ったが、そんな死神人形も目の前にいる気がする。

というか絶対この仮面を付けた少女だ。

だってあんな立ち回り、普通の女の子ができるはずもない。

明らかに人間離れしていた。

一体どんな仕組みで動いてるのか疑問だ。

でも、そんなことは口が裂けても言えなかった。

この死神人形──もとい仮面少女が何をしでかすか分からなかったからだ。

素直に話を聞いて、対応することにした。


「……悲しいものです」

しかし、仮面少女の反応は意外だった。

「……え?」

第一印象が冷たく感じたから、僕は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

「もう少し、自分を大事にして下さい」

……幼い声でそんな大人びたことを言われると
戸惑う。

まさか、都市伝説の人形に説教をくらうとは。


「……ははっ」

側から見たら情けない光景だ。

僕なんかより一回りも小さいのに、彼女は僕なんかよりよっぽど大人だ。

しかも僕のことも守ってくれたんだから、色んな意味で負かされた気分だ。

自分自身の不甲斐なさも相まって、僕は思わず吹き出してしまった。

対して仮面少女は、仮面のマークを表すように首を傾げる。

「私、何かおかしなことを言いましたか?」

「いいや。君みたいな女の子に説教されるなんて思いもしなかったから」

「……そういうもの、ですか」

「うん。そういう君は、どうしてここに?」

「私は……使命を果たすため」

「使命?」

「はい。人を救うこと、です」

「なんでそんなことを……?」

「……きっと、私はそのために生まれたんです」


妙に達観したような物言いをする仮面少女。

一体なぜそんな大層な使命を、背負っているのだろうか。

ただの思い込み……というわけではないのか。

僕が無駄に考察を重ねていると、仮面少女が僕に引き続き話しかけてきた。


「……あの」

「ん?」

「貴方のことは、どう呼べばいいんでしょう?」

「あぁそっか。えっと……」



思えば、未だに自己紹介をしていなかった。

僕は、自分の名前を言おうとした。

でも、それはやめることにした。

自分の名前を呼ばれるのが、この時は嫌だったからだ。



「ごめん。今はあんまり言いたくないかな」

「ではどう呼べば?」

「……何でもいいよ」

「それじゃあ、お兄さんと呼ばせていただきます」

「うん。宜しく」


中々呼ばれない名称で、なんだか気恥ずかしかった。


「じゃあ、僕は君のことをどう呼べばいいかな?」

「私はクエリィです」

「クエリィ……か。よろしくね」

「はい……それにしても、よくこんな場所まで来ましたね」

「あぁ……三浦先生が教えてくれてさ」

「三浦先生?」

僕はポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、三浦先生の写真をクエリィに見せる。

「結構、というよりかなり変わってる先生でさ。都市伝説の噂とかオカルトに心酔してるんだよ」

「……」

「……クエリィ?」

じーっと、クエリィは写真に映った彼を見つめる。

確かに妙にイケメンで高身長だから、目の保養にはなるけども。

そこまで黙りこくっていると、気まずい。

しかし沈黙は、ありがたいことにすぐに破られた。

「……すみません。どこかで会った気がして」

「え? この人に?」

まさか面識があるとは思わなかった。

……あの先生、都市伝説の化け物とかと遭遇したことないって言ってなかったかな。

「はい。ただ、話したことはないです」

「でも会ったことがあると?」

「……えぇ」

不思議な話だ。

クエリィがどこかのタイミングで三浦先生に会っていて、対して三浦先生は彼女に会ったことがない……。

明らかな矛盾だが、三浦先生は嘘をついていたのだろうか。

都市伝説に遭遇したことがあるなら、むしろ彼なら自慢してきそうなことだが。

何か理由があるのか。

それからも僕らは、しばらく話し合っていた。

僕自身の学校や、三浦先生のことも。

特に彼女にとっては、彼のことが気になっていたようだ。

そしてしばらくして、眠気が僕を襲った。

僕は座りながら、眠りに落ちた。
──夢を見ていた。

黒い人影たちが僕を囲っている。

その人影が僕を見て、口々に好き勝手に喋る。



「空前絶後の新記録! 中学記録更新!」

「これは未来のオリンピアン」

「将来が楽しみだねぇ」



…………。

場面が切り替わって、今度は今の自分が映し出された。

すると人影たちの目が赤く、血のように染まりまた口を開く。


「早熟タイプだったんだよきっと」

「まぁフォームを見ても伸びないかなとは思ってた」

「誰だよ未来のオリンピアンとか言ってたの」 


……やめてくれ。



「選手は悪くないよ。指導者が悪いよ」

「桐生選手、裏では遊んでるって噂ほんと?」
  
「まじかよ。残念だわー」


本当に……。



「中学記録作った癖に伸びねぇのかよ。期待外れ」

「やる気ないんじゃないの?」

「中学記録作るやつが伸びる訳ないでしょw そこで終わったんだよ桐生翔は」




ほっといてくれよ……。


……頼むから。



ふと、窓から光が差し込んでくるのを感じた。

視界に飛び込んできたのはその光と、タンスを調べているナナだった。

僕の視線に、彼女も気づいたらしい。


「起きましたか」

「う、うん。おはよう」

「よく寝れましたね」

「褒め言葉として受け取っとくよ」

「受け取るなら、警戒心をお願いします」

「はは……ねぇクエリィ」

「はい?」

「聞きそびれちゃったんだけど、何で仮面を……?」

「……」

もしかしたら地雷だったかもしれない。

余計なコミュニケーションを取ろうとしてしまった。

「い、言いづらかったら大丈夫。僕も名前を言ってないから」

「醜いから、です」

「え?」

「皆さんにとって、私の顔は醜いからです」


淡々と、僕の疑問に答えてくれた。

三浦先生が見せてくれた写真の通りであれば、むしろ顔は整っていてそんなことは気にしなくてもよい気がするが……そういう問題でもないのだろうか。

醜形恐怖症、というやつか。


「……そ、そっか」

どちらにせよ、寝起きとはいえもう少し気を遣うべきだった。

「ありがとう。教えてくれて」

「いえ……お礼を言われるようなことは──」



ドン!!

突然、扉を乱暴に叩く音が聞こえた。

この音を出すのは奴以外考えられない。

どうやらバレてしまったらしい。

僕が心臓の音をバクバクと鳴らしてる中、クエリィは冷静だった。

彼女は静かに僕を見つめ、呼びかけた。



「……お兄さん」

「ど、どうした?」

「脱いで下さい」

「……はい?」

「服を、脱いで下さい」

「この状況で!?」

「さぁ早く」

「え、えぇっ」




訳が分からないまま、僕は小さな彼女に服を脱がされることになった。

それから服をそこらに投げ捨て、僕らはタンスの中に隠れることになった。












しばらくして、部屋の扉が壊れた音がした。

化け物が入ってきた。

何かを探しているのか、犬のように鼻を鳴らしている。

ドシン、ドシンという大きな足音を部屋中に響かせながら。

心臓が飛び出してしまいそうだ。

バクバクと、相変わらずその音を鳴らしてしまう。

この音も、奴には聞こえているのだろうか。

しかし、化け物は気づかない。

聴覚はないのか。


「ギュルルルル……」


化け物は妙な音を出し、匂いを頼りに物を探す。

そして、ついに奴は拾い上げた。


僕の服を。

血がべったりついた服を。

やがて、足音を響かせながら白鬼は部屋を去った。

「……行ったか?」

僕はゆっくりと隠れていたタンスを開け、そこから出た。

「……あいつ。僕の服を……」

「あの鬼は、恐らく血の匂いが好きなんです」

「だから脱げと……」

「はい。お兄さんを追いかけてきたのも、そのせいかと」


服を脱いで、上半身がシャツだけになったせいか若干寒い。

クエリィは、そんな僕を不思議そうに見つめていた。

あまりじっと見つめられると恥ずかしいから、とりあえず言葉を発した。

「……部活やってたんだよ。それなりに鍛えてた」

「そうなんですか」

「陸上部。最近までやってたんだ……けど」

「……お兄さん?」

また余計なことを喋ろうとしてしまった。

会って数時間ぐらいの少女……もとい死神人形に自分に関するどうでもいい話をするところだった。

「何でもない。行こう」


かくして僕らは、子供部屋を後にした。

一階に降り、洗面所に移動した。

そこにはカゴが置いてあり、僕でも着れそうな服があった。

正直躊躇するが、適当に着込むことにした。

ずっと裸のままだと流石に寒い。

服を着込みながら、クエリィに話しかける。


「……クエリィ、何かありそう?」

「いえ、何もありません」

「そっか……」

「玄関には鍵が掛けられているんですよね」

「そうなんだよ。あいつが持っている可能性もあるし……というかそもそも、アイツに鍵をかける知能なんてあるのか──」

「お兄さん」

「うん?」

「お兄さんは、私が怖くないんですか?」




突然、何を言い出すんだろうとクエリィを見つめる。

しかしよくよく考えてみれば、彼女とは特殊な出会いをした。

恐らく僕を助けるため、白鬼に向かって両手のナイフで斬りつけた少女。

それも不意打ちで。

彼女は不気味だ。

確定はしていないが、都市伝説の噂によれば、彼女は僕を殺していても不思議じゃない。






「……怖くないと言えば嘘になるかも」

「じゃあ怖い、と?」

「うん。でも……同時に頼もしいとも感じる」

「頼もしい?」

「女の子に頼るのも情け無いけどね。君しか、頼れないし」

何をしでかすか分からないから、とまでは言わない。

もしかしたら、僕の命をタイミングを測って奪おうとするかもしれない。

情報を信用するわけではないが、彼女自身も信用しすぎるのもよくないと考えていた。

……命の恩人にそう考えるのもよくないが、どうしても都市伝説の情報がチラついてしまう。

僕は愚かだ。


「初めてです。そういう風に言われたのは」

「……少なくとも、僕は君のことを信頼してる」

どの口が言ってるのか、僕は淡々とそう言う。


「信頼……ですか」

「うん」

「……それなら、言ってもいいですか?」

「うん?」

「これから死にたいなんて、思わないで下さい」




力強く、彼女は静かにそう言った。

さっきから思っていたが、彼女は死に関わる話にかなり反応する。

……きっと僕が、馬鹿で自暴自棄だから故に注意しているだけなのかもしれないが。



「言葉っていうのは力になるんです。きっとあの鬼も、言葉によって生み出されたもの」

「……言霊、か」

「えぇ」


非現実的な話だが、言葉に関することは何となく理解してる。

言葉は毒にも薬にもなることは、身を持って実感してるつもりだ。

知らない誰かが変な情報を流せば、人っていうのはそれにハマってしまうものだ。

だからこそ、情報には左右されたくないんだけど。



「……ありがとう。何から何まで心配してくれて」

「いえ、当たり前のことを言っただけです」




その後、僕らは探索を続けた。

今まで行った和室やリビング、それから2階の部屋も探索した。

しかし、玄関の鍵はどこにも見当たらない。

やがて、蜘蛛の巣が大量に張ってある図書室にやってきた。






「……苦手なんだよね。虫」

「斬りつけましょうか?」

「それはそれで、血が飛び出すから嫌だな……」




虫を無視して図書室を見渡していると、違和感を覚えた。

「ヒューッ」と風が吹き抜ける音が聞こえたからだ。


「どうしました?」

「いや、何か風の音が……?」

「もしかしたら、どこかに隠し通路があるのかもしれませんね」

「そう、なのかな」

「お兄さん」

「?」

「あそこから音が漏れているみたいです」



図書室の一番奥にある本棚。

そこから音が漏れているらしい。

僕らは協力してその棚を横に退けた。

すると、地下に繋がるような階段が現れた。




「!!」

「ありましたね」

「(さっきまでこんな音、漏れてたっけ……?)」



妙な疑心が生まれたが、とにかくこの先に行かなければ先には進めないことは確かだ。

僕らはその階段を降りることにした。

薄暗かったので、ポケットにある懐中電灯を使った。


「準備がいいんですね」

「拾ったんだ。和室で」


階段を降りると、実験室のような所にたどり着いた。

謎の薬品があちこちに置いてあった。

都市伝説スポットの噂では、この館はかつて宗教団体が利用していた場所と一部囁かれていた。

恐らく、ここがそうなのだろう。

……あの化け物と仮面少女に出会わなければ、もう少し驚いたかもしれない。

実験室のような場所を散策していると、光る物を見つけた。

僕はすぐにそこへ走り出した。

拾い上げて確認すると、それは鍵だった。


「どこのでしょうか……」

「多分……玄関の鍵、かな」

「だとしたら、物凄くあっさりでしたね」

「本当にね……」




玄関の鍵らしき物をポケットに入れ、その場から立ち去ろうとした時だった。

あの、不気味な声が聞こえた。









「お兄さん!!」




「え?」



突然、クエリィが僕を突き飛ばした。

いや、庇ったのだ。

化け物の攻撃から、僕を。

僕が床に叩き付けられているのに対し、クエリィは壁に叩き付けられた。

「クエリィ!!?」



僕は急いで彼女の元に走り出した。

仮面の端っこにひび割れができてしまった。

僕なんかを庇ったせいで。


「……うっ」

「な、何で……僕なんか庇ったんだ!」

「……きっと似ているから、です」

「……えっ」

突然何を言いだすのか、僕には分からなかった。

なぜこんな時にそんなことを言ったのか。

「だから、私のことも怖がってた。そうでしょう?」

ドキッと、心臓が跳ね上がる音がした。

「……知って、たのか……?」

「お兄さんの手の震えとか、お兄さんが私から少し距離を取って話していたから、です」


自分自身の心の弱さと、彼女の優しい言葉が重なって、涙が溢れそうになった。

隠していたつもりだったのに、全く隠せていなかった。

情けない。

本当に情けない。

ボロボロになっているというのに、彼女はずっと冷静で優しかった。

僕のことを思って、何も言わないでいてくれた。

「……私も人の視線が怖いから、仮面を付けてます。お互い様、です」

「そ、それは……!」


それは僕らが勝手に作り出した噂のせいだ。

みんな面白がって、彼女を都市伝説として作り上げていたんだ。

死神人形としての顔が有名になったせいで、仮面を付けざるを得なくなったんだ。

本当の彼女は、優しく繊細だった。

大層な使命を抱えていて、現実離れした化け物に立ち向かっていた。

彼女は苦しめられていた。

僕は気づかなかった。

気づいてあげられなかった。


「ごめんクエリィ……ごめんね──」

できることならもっと謝りたかったのに、白い化け物が奇声を上げて、今にもこちらに走り出してきそうだった。

「はし、って……ください」

「だ、駄目だ! クエリィも一緒に……!」

「……」

「クエリィ……?」

僕が呼びかけても、彼女は動かなかった。

動けなくなったのだ。


「どうして……こんな、ことに……」



恐怖と悲しみで、頭がおかしくなりそうだった。

いや、最初からおかしかったのだ。

この館に行こうとした時からずっとだ。

でも、彼女と出会ったことで。

僕は少しずつ、気持ちを落ち着かせていたのだ。

だが、そんな優しい彼女は動かなくなった。

じゃあどうする?

彼女は最後に、僕に何を言っていた。

僕は何を聞いた?

思い出せ。

反芻しろ。


──走ってください。






言葉だけなら簡単だ。

でも、やろうとすると大変だ。

けど彼女は、僕を信頼してそう言ってくれた。

きっと逃げられると。

なら決まっている。

「ありがとう。クエリィ……」

僕は階段に向かって、全力疾走した。

彼女を、置いて。



階段を駆け上がり、振り向かずに玄関へ向かった。

「ギュオォォオオン!!」

何かを壊す音が聞こえる。

大きな足音が近づく音も聞こえた。

怖かった。

それでも、僕は玄関に向かって走った。

しばらく、周りの目が怖くて走ることができなかったこの足で。



図書室の扉を乱暴に開け、玄関に向かう。

1秒でも早く、扉へたどり着きたい。

後、100メートル。

こんなにも生きたいという気持ちがあるとは、自分でも驚きだ。

早く、外の空気を吸いたい。

後、50メートル。

もう少し彼女と話がしたかったのか、涙がまた溢れた。

本当に情けない。

後、25メートル。

本当に、彼女にはどれだけ感謝しても足りなかった。

後、10メートル。

もうすぐ。

……のはずだった。

「あがっ!!?」

右足を掴まれた。

白い化け物に。

右足が取れてしまうほどに、強い力がそこに加わる。

「いっ!!? だっ!?」



死ぬ。

僕は、ここで死ぬ。

手を伸ばせば届きそうなのに。

届かない。

彼女の気持ちを、ここで踏みにじることになってしまう。

メキメキと、骨が折れる音が聞こえた。




「ぐっ!!?」

これだけ誰かのことを思えたのも、久しぶりだ。

精神的な痛みと物理的な痛みで、意識が遠のいてしまいそうだった。




















足の感覚が、もうない。

いや、僕は死んでしまったのかもしれない。

僕は必死になって身体を動かそうとした。

左足だけは動いた。

右足の感覚だけが、もうなかった。

それよりも──。



「あいつの、手がない?」





身体を何とかひっくり返し、白鬼のいる方向を確認した。






















いた。


化け物が。

昨日のように倒れている化け物が。

そいつを視界に捉えたと同時に、燃えるような音が耳に入った。

「アガァァァアア!!?」

「!?」

化け物の真っ白な身体が、真っ黒に染め上げられようとしている。

「一体、何が……」

奴を痛めつけている者は、化け物の後方にいた。

あの子だ。

仮面を付けた、少女だ。

「クエリィ……?」

「グガアァァ!!?」

恐ろしい光景のはずなのに、僕は感動していた。

恐らく、彼女の行動によって化け物が燃やされているというのに。

それ以上に、彼女と会えたのを嬉しく感じていた。

やがて、化け物の叫び声は聞こえなくなった。

そして奴の残骸は、灰になって砂のようになった。

それから消えた。

まるで、最初から居なかったかのように。

クエリィは、スタスタとこちらに歩いてきた。

血で染まったコートと、謎の仮面。

不気味な存在が、僕を安心させた。

クエリィが、空っぽの瓶を見せつけた。

どうやら、あの実験室にあった薬品を利用してあの化け物を燃やしたようだ。

抜け目がないし、本当に冷静な子だ。

「立てますか?」

「……何とか」

壁を利用して、僕はその場に立った。


ポケットに入れておいた鍵を、扉にガチャリと入れた。

外の空気を吸った。

夕陽の空を見上げた。

当たり前のことなのに、それが嬉しかった。

右足を引きずりながら、なんとか歩こうとする。



「大丈夫ですか?」

「うん。クエリィ……その、君は」

「……隠しても、もう仕方ありませんね」


クエリィは徐に仮面を取った。


真っ白な顔が、そこにあった。


あの化け物とは違う。


綺麗な色だった。


だが彼女の顔からは、人間の生気を感じられなかった。


クエリィの顔が夕日に照らされる。


それでも彼女の顔は白い。


「あなたと同じ、人間ではありません」

「……君が死神人形、ってやつだよね」

「……えぇ。残念ながらそのようです」

三浦先生が見せてくれたあの写真とそう変わらない。

綺麗な顔立ちだが、人間離れした異質さが確かにそこにあった。

いわゆる不気味の谷現象、というやつだろうか。

知らない人間からしてみれば、確かに怖いと思われてもしょうがないし、妙な噂が上がってもおかしくない。

でも、今までの彼女の行動からそんなことは思わないし、思いたくなかった。

「綺麗だよ。すごく」

ありふれた褒め言葉しか出せなかった。

「ありがとうございます」

人形の顔故に、彼女の表情は変わらなかったが微笑んでいるように見えた。

きっとそれだけ、僕が彼女に心を許せたからだ。

「いや、こちらこそありがとうクエリィ。感謝しきれてもしきれない」

「いいえ。私の方こそ救われました」

「……ん? それは、どういうこと?」

僕が彼女を守った記憶はない。

感謝されるようなことは一つもしていない。

改めて振り返ると、自分自身がどうしようもなく感じてしまう。

クエリィは、ひび割れた仮面を見つめながら話した。

「私の仮面も、この名前も、与えてくれた人がいました。私のことを偏見の目で見なかった人でした」

「……優しい人だったんだね」

「えぇ。ですが──」

クエリィは視線を夕陽に移す。

彼女の真っ白い顔が夕焼けに染まった。

「その人はもう、この世にはいません。私は、守れませんでした」

「……守れなかったということは、まさかあの化け物が……」

「……見た目は違いますが、似たようなものに遭遇しました」

「……災難、だったね」

「……えぇ。だからこそ、貴方を守れたことに安堵しているんです。お兄さん」

「クエリィ……」

「生きててくれて、ありがとうございます」

彼女の暖かい言葉は、深く心に刺さった。

大事な人を失った彼女だからこそ、言葉には重みがあった。

それ故に涙が溢れてしまった。

こんな優しい彼女を、僕らは死神というイメージに仕立ててしまった。

罪深いことをしてしまった。

謝りたい。

でも僕が謝った所で、みんなのイメージが変わるものでもないしこれからも簡単に変わらないだろう。

……ならせめて、彼女と同じように返すことが必要だ。

「こちらこそありがとう」

言葉は毒にも薬にもなる。

本当にその通りだ。

「……お礼を言われるのは、気持ちが良いものですね」

「……そうだね」

「世界がそういう言葉で溢れてくれたら、どんなに良いのでしょうね」

クエリィはそう言いながら、化け物がいた館を見つめた。

彼女は言っていた。

彼女が言った化け物の存在は、言霊で形成されていると。

どういう経緯で奴が作られたのか。

結局分からなかった。

ただ一つ言えることは、決して他人事ではない気がした。

きっと、僕ら人間にも当てはまるのだ。

人間の言葉一つで、人というのは変わってしまう。

そうじゃなきゃ、僕が精神的に病むこともなかった。

……それは流石に、責任転嫁が過ぎるか。

ふと、僕はクエリィに問いかけた。

「クエリィ、君は誰に作られたのか覚えてる?」

「……覚えていません」

「そっか……。君は、これからどうするの?」

「人間の皆さんが噂してる都市伝説スポットを巡ってきます。きっとまだ、化け物がいる気がしますから」

日本の都市伝説スポットというと、途方もない数になる。

しかも、人間がいる限り日に日に増やされていく気がする。

そんなことを一人でやろうとするのか。

「それなら──」

「ダメです。お兄さん」

“僕も手伝おう”と言う前にクエリィが止めてきた。

クエリィが、僕の右足を見ながら続けて口を開いた。

「……お兄さんには、お兄さんのやるべきことがあります。まずその足を治してください」

「……あはは。二重の意味で足手まといだしね。ごめんね、変な提案しようとして」

「いえ。気持ちだけでも嬉しいです」

「そうだね。僕は目の前のことだけ、とりあえず見て……生きてみる」

「えぇ。お互いに、頑張りましょう」

右足のように折れ曲がった形だけど、僕はこの日、少しだけ前を向こうと思った。

夕陽に照らされながら、僕らは別々の道へ歩むことになった。

その別れ際、彼女が僕に問いかけた。

「お兄さんがここに来た理由は、学校の先生の勧めですよね?」

妙なタイミングで聞いてきたから、思わず驚いた。

素っ頓狂な声を出してから、僕は答える。

「あ、あぁ。そうなんだよ」

「……三浦先生、でしたよね。もう一度、写真を見せてもらっても?」

「……え? 別に構わないけど……」

僕は木に寄りかかりながら、スマートフォンを取り出した。

そして館で見せたあの写真を見せた。

クエリィがその写真をじーっと見つめた。

「……何か思い出したの?」

「……いいえ。彼がいる学校を教えてもらっても?」

僕は素直に、自分自身が通ってる学校の住所を教えた。

否定はしたが、きっと彼女は、僕には言えない何かを思い出したのだ。

この時が分岐点だった。

三浦先生が、彼女に殺されたのは。

いつか彼女にまた出会えるのなら、もう一度話をしたい。

そして名前もその時に名乗りたい。

彼女に再会できた時は、僕のことを認知している人間も徐々に減っているだろうから、ただの桐生翔として話せるはずだ。

身勝手な話なのは重々承知している。

……でもそれはお互い様、だよね。

クエリィ。