「あかん…寝過ぎてもうた」
 
 目を覚ましてまず感じたのは手のひらに伝わるほんのりとした温もりだった。
 背中には柔らかい土のような感触。そして、土と芝の奥にほんのり甘い香りがしている。

「……ん、なんや……?」

 目を開けると、視界いっぱいに広がるのは、淡いピンク色の空と、ゆっくりと流れる雲。
 遠くにはいくつもの浮遊島がふわふわと漂い、絵本の中に迷い込んだような幻想的な風景が広がっていた。

 ——えっ? なんやこの世界!さっきまで会社にいて車の中で寝とって……まだ夢の中なん?

 頭がぼんやりする中、なんとか身体を起こそうとする。だが、その瞬間——。

「きゃああああっ!? モンスターよ!!」

 突然、甲高い悲鳴が響き渡った。

 振り向くと、そこには街の入り口らしき場所で、明らかにパニックになっている住人たち。
 全員が小柄で、どことなく人形のようなデフォルメ感のある顔立ち。まるでおとぎ話の住人みたいに、みんな可愛らしい見た目をしている。

「えっなに?なんでそんな怯えた顔でこっち見とんねん……」

 そう言いかけたその時——。

「そ、そのモンスターを倒して! 街に入れちゃダメよ!!」
「——え?」

 ぞろぞろとギルドの門番らしき兵士たちが槍を構えて猛ダッシュしてきた。

 ——最悪や。
 
「ちょっ、お前ら落ち着け!! オレはモンスターちゃうやん、よぉ見てみぃただの——」

ヒュンッ!!

 槍が目の前をかすめ、頬を冷たい風が撫でる。

「あっぶな!本気で攻撃する気ぃやんけ!!」

 即座に両手を上げるが、兵士たちは完全に戦闘態勢。

「オレはモンスターやない! よう見てみぃ!」
「騙されるな! 異形種のモンスターに違いない!」
「いや、ただのパーカー着た中年のおっさんやで!!」

 だが、兵士たちは一切聞く耳を持たず、今度は何やら詠唱まで始めた。彼らの前には魔法陣が浮かび上がり、ただならぬエネルギーを感じた。恐らく『魔法』だ。

 ——これはほんまに洒落にならん。

「ストップ。それ以上攻撃するな」

 突然、冷静で落ち着いた声が響いた。
 兵士たちがビクリと動きを止め、同時に周囲の視線が集中する。
 オレもそちらを振り向くと、そこにいたのは黒と金のごっつい服を着た、薄紫髪の小柄な女戦士だった。
 一瞬、年端もいかない少女に見えた。だが、その顔つきは静かで冷静、様々な経験を乗り越えたような落ち着きがある。

「そいつはモンスターじゃない。服装を見ればわかるだろう」
「で、ですが……!」
「私が保証する。それで十分なはずだ」

 兵士たちは顔を見合わせ、やがて「……はっ!」と敬礼して退いた。
 どうやらこの少女……いや、この女戦士は相当な実力者らしい。
 助けてもらった礼を言うと、女戦士は静かに頷いた。

「……助かったわぁほんま。あのまま刺されるところやったわ」
「こちらとしても街の前で倒れていた怪しい奴を放っておくわけにはいかないだけだ」

 そう言いながら、彼女はじっとオレを見つめる。

「それにしても……お前、見た目が異様だな」
「いや、オレからしたらお前らが異様やで」

 思わずため息をつきながら周囲を見回す。
 街を歩く住人たちは全員が「子供のような見た目」をしている。
 そして兵士も冒険者も、明らかにオレより年下に見える。

 ——というかこいつら全員、未成年にしか見えんのやけど……?

「……なんや、この世界。みんな可愛すぎへんか?」
「確かにこの国の者は成長が遅いようだ。だから、見た目は幼くても実年齢はそれなりに高い者が多い」
「なるほどな……ほな、えっと……」
「私はリリィ。戦士ギルドに所属しているタンクだ。今年でちょうど四十になる」
「四十!? いや、どう見ても十代前半やん!!」
「他の国のものからそう驚かれるのは慣れている。だが、私はこの世界で二十年以上戦場に立ち続けている」

 リリィは淡々と言い放ち、腰の剣を軽く撫でた。
 
「お前のことも少し気になる。どうせ行く当てもないのだろう? なら、しばらく一緒に行動しよう」
「……ええの?」
「お前は悪い奴には見えない。この世界のことを知らないのなら多少の説明はしてやろう」
 そう言ってリリィが歩き出す。
 
 ——オレは身体の感覚から確信をしていた。これは夢ではない。息子が話してた異世界転生ってやつだ。妻、息子、娘、そして仕事を置いて。ほんま最悪や。

「どこで間違えたんや……いや、考えてもしゃあないな」
「なんか言ったか?」
「いや。これどこ行くん?」
「ちょうど今、受けているクエストがある。お前もついてこい」
「ええけど、邪魔にならへんか?」
「それはお前次第だな」

 死んでしまったかもしれないショックは抑えられないが、この世界の情報を知るためにもとりあえず言われるがままリリィのクエストに付き添うことにした。

 オレはリリィの説明を聞きつつこの世界の仕組みを整理していく。

 ここは「アルカディア王国」という国で、オレたちがいるのはその中心都市「ルミナリエ」。

 冒険者はギルドに所属し、クエストをこなして報酬を得る。
 依頼には「討伐系」「護衛系」「探索系」などさまざまな種類があり、特に「モンスター討伐」は冒険者の主な収入源になっている。

 しかし、戦える者が全員戦士や魔法使いというわけではなく「タンク」「ヒーラー」「サポート職」などの役割があり、適切なパーティを組むのが基本。この辺は昔やったゲームみたいなものだ。

 ——その中で、現在不足しているのが「タンク職」 らしい。
 最近の若い冒険者は攻撃職に憧れる者が多く、盾役をやりたがる者が減少。
 その結果「防御を任せられる安定したタンク」が貴重になっている、という状況だ。
 
「さて、この先に標的がいるはずだ」

 オレたちが向かっているのは、「森の魔獣討伐」 というクエストの対象エリア。
 リリィは小柄ながら軽快に森の中を進んでいく。

「そういえば、お前……妙な魔力を持ってるな」
「……魔力?」

 リリィはじっとオレを見つめる。

「私は『対象の基礎ステータスがある程度見える』スキルを持っている。お前は戦闘経験こそゼロだが、回復系の魔力が妙に強い。お前一体今まで何をしていたんだ?」
「伝わるかわからんけど、IT会社で管理職しててん……まぁ簡単にいうとパーティ作っててん」
「ほう」
 なるほどな……ほんならオレはヒーラーか。まぁオレ仕事してる時もタイプ的には賢者やろなと思うてたしな。

「せやけど、オレはまだ魔法の使い方すら知らんで?」
「なら、試してみればいい」

 そう言って、リリィがポーチから取り出したのは……なぜかやたら可愛らしいステッキだった。

「……なんやこれ」
「ギルドの装備庫で余っていたものだ。貸してやる」

 ピンクと金色のそのステッキは20cmほどの長さで、その先にはキラキラした星形の装飾がついている。持ち手はパステルカラーのリボンとその真ん中に宝石のようなピンクの石が組み込まれていた。娘が昔遊んでいたおもちゃを本物にしたらこんな感じなのか。

 いやいや、オレにこれ持たせるんかい。

「……なんか、こういうのしか余ってへんの?」
「まぁこの国で作られたものだ。仕方ないだろう」
「いや、オレおっさんやで」

 ツッコミつつも、とりあえず受け取ることにした。

「さて、ちょうどいいタイミングだ。戦闘になりそうだぞ」

 リリィが剣を構え、木々の向こうを睨む。

 どうやら、この世界での初戦闘が始まりそうやな——。
 
 「出てくるぞ」
 リリィが剣を構え、前に出る。
 その視線の先、草むらがガサガサと揺れ——次の瞬間、ぬるっとした何かが飛び出してきた。

「ぽよよ~ん……」

「……は?」

 オレは目を疑った。
 そこに現れたのは——

 カラフルなゼリーみたいな体に、やる気のない顔をしたブサイクな生物。
 目は半開きで、口元にはダラーッと粘液のようなものが垂れている。
 背中にはキャンディのような斑点模様があり、動くたびにプルプル揺れる。

「……これ、モンスターか?」
「そうだ」
「いや、見た目がやる気ゼロのグミなんやけど」
「ナメるな。『スイートビースト』 は臭いで敵を弱らせる厄介なモンスターだ」
「臭い……?」

 するとその時——ぶわっと強烈な甘ったるい香りが鼻をついた。

「うっ……くっさ!!」
「言っただろう」

 スイートビーストはヨダレをたらしながら、ぬるりとした粘液を飛ばしてきた。

「攻撃がくるぞ!」
「ぽよんっ!」

——ベチャッ!!!

 甘ったるいジャム状の粘液がリリィの肩に飛び、その硬そうな服が蒸気を出して溶け出していった。周りの剣士たちは静観してるところを見ると、さほど強い敵ではないようだが……

「お前服溶けてへんか!?」
「気をつけろ!こいつの酸は金属をも溶かす厄介なものだ!さらに『スイートパニック』状態になり、一時的に思考力が低下する。要は頭がぼーっとしてハッピーになってしまう効果だ」
「いや、それ『酔っぱらいのデバフ』やんけ!」
「おい、ヒーラーなら回復魔法を試してみろ!」
「せやけど、どうやって?」
「心に浮かんだ言葉を唱えるんだ」
「……ほんまにそれでええの?」
「意識すれば自然と『お前に合った魔法』が出るはずだ」

 リリィが甘ったるい粘液を肩に受け、軽く苦悶の表情を浮かべる。

 とりあえず、リリィの傷を治すことを考えながらステッキを構える。
 身体の血をめぐって指先に集まった魔力はステッキを伝っていくのがわかった。なんとなく行けそうだと思った時、ステッキの先の星の装飾が七色に光った。

 ——今や!!

「ふわふわミラクル♡シュガーハート!!」

……は?

 一瞬、場の空気が止まった。

 リリィがこちらを無言で見つめている。他の剣士たちもこちらを見つめているのが見なくてもわかる。
 スイートビーストですら「えっ?」という顔をしているように見えた。

 いやいやいや、ちょっと待てや

「……なんやねんこれ!」

「ふむ……」

 リリィは傷口を確認しながら、小さく頷いた。

「完璧だな。傷はすぐに塞がった」
「いや、そこやなくて名前の話や!!」
「お前が『心に浮かんだ』ものがこれだったんだろう?」
「ちゃうちゃう! オレは普通に『回復しろ』って……!!」
「つまり、お前の魔法の適性は『こういう系統』ということだな」

 オレは天を仰ぐ。

 『こういう系統』てなんなん!?

「……いや、オレほんまにヒーラー向いてるん?」
「向いているな。適性は間違いなくある」
「……こんな適性、認めたないわ……」
「ともかく、戦闘はまだ終わってないぞ」
「せやったな……!」

 リリィの指示でオレはパーティの回復を担当し、他の剣士たちもリリィの指示に従って戦った。
 リリィのタンクとしての戦い方も流石のものであり、モンスターを確実に制御し、最終的には無事に討伐完了となった。最初は余裕だと思ったが、意外と手強い相手だった。

「……お疲れさんやな」
「悪くない初陣だったな」

 オレは疲れた息をつきながらステッキを見つめる。
 魔法の適性があるのはええとして……
 この可愛すぎるん、どうにかならんの!?

「案外、そのままでも悪くないんじゃないか?」
「誰が『ふわふわミラクル』やねん……」

 こうしてオレのヒーラー適性は、強制的に開花することになった。
 頭を抱えるオレを見て、リリィは微かに笑っていた。
 ——なにわろてんねん。

 そんなこんなでこの世界での初戦闘を終え、ヒーラーとしての適性 も確認できた。
 やはり回復職は貴重らしいが、ただのヒーラーでは生き残れない。
 それならば、オレはオレなりのやり方でこの世界を生き抜く方法を考えるしかない。

「なぁ、リリィ」
「なんだ?」
「オレ……タンクを育てたいと思っとる」
「タンクの育成?」
「ああ。この世界、タンク不足なんやろ?」
「確かにな……だがタンクは『攻撃を受ける』だけの存在ではない。『敵のコントロール』をし、パーティを支える重要な役割だ。 いい加減な者を育てても、無意味だぞ」
「せやな……せやから、適性がある奴を探すのが先やな。若い子の方がええ」

 リリィは腕を組み、考えるように目を閉じる。

「……なるほど、お前はパーティを作るつもりなのか」
「まぁ、そんなとこやね」
「お前は元々パーティを作った経験があるんだもんな。面白い。普通の冒険者はすぐに強くなりたいなどと言うが、組織を作るという考えはなかなかない」
「まぁ管理職やったからな。生きていくためには強さだけやなく、組織の運営も重要やろ」
「ふむ……確かに、それは一理あるな」

 リリィは少し考えたあと、オレを見た。

「では、お前に適性のありそうな奴を紹介しよう」
「いや、もうほんまありがとうリリィ。リリィがおらんかったらほんまシンドかったわ」
「ちょうどギルドに気になっていた奴がいるんだ。剣士志望だが、まったくの未経験らしい」
「……ほう?」
「志望する理由は『妹を養うため』らしい」

 オレは興味を持った。

「ほな、そいつを見てみよか」
 
 オレたちは街へ戻り、ギルドへ向かった。
 街もギルドもピンクが基調でお菓子でできたような可愛い作りになっている。ギルドのビスケットのようなカウンター席にその子は一人で座っていた。

「おーい、ラッカ!」

 リリィが声をかけると、カウンターの近くでうつむいていた少女(だと思う)が顔を上げた。

「はいっ!」

 現れたのは150cmくらいの小柄な少女。ふわっとしたクリーム色の髪を持ち、少し不安げな表情を浮かべている。手の先まであるオーバーサイズの冒険者用の服を着ている。さっきの剣士たちよりも良さそうな素材に見えた。形から入るタイプらしい。

「お前、冒険者になりたいんだろう?」
「……はい。でも、剣の経験はなくて……」
「こいつが新しいパーティを作るらしい。話を聞いてみるか?」
「えっ?」

 ラッカは驚いた顔をしたあと、オレをまじまじと見た。

「……モン……スター?」
「ごめんな。モンスターちゃうねん。おっさんでもおっちゃんでも好きなように呼んでええよ」
「はぁ……」
「まぁオレのことは後で話すんやけど、なんで冒険者になりたいの」
「……妹を養うためです」
「妹?」
「はい。この前のモンスターの襲撃で両親いなくなってしまって、私が頑張らないといけなくて……」
「でも冒険者じゃなくても生活はできるんちゃうん?」
「今までパン屋さんでバイト・裁縫や畑仕事・荷運びなどをしてきましたがどれも不安定な収入だったので、もっと稼ぎが期待できる冒険者に登録しました」
「すごいな。器用なんやね」
 
 オレはラッカの話を聞きながら、考える。

 未経験の剣士志望……ただし『生活のため』に冒険者に登録した。
 志望動機が薄いため普通だったら不採用だろうと判断するところだろうが——

「ほな、ちょっと聞くけど……『強くなりたい』って気持ちはあるか?」
「……!」

 ラッカの瞳が、ピクリと動いた。

「私は……」

 一瞬の間の後、ラッカは拳をぎゅっと握りしめた。

「私は『誰かに守られる』だけじゃなくて……『私が守れる』ようになりたいんです!」

 オレは、ラッカの目を見て確信した。

 ——こいつは育てがいがある。

「……ええやん」

 オレはニヤリと笑った。

「お前、タンクになれ」
「え?」
「若い剣士は飽和しとる。せやけど、タンクは若い人が全然おらへんのや。市場に求められる人材になることが稼ぎを増やすコツやで」
「でも……私、まだ剣士にもなれてないのに……」
「だからこそやでラッカ。ええか?今『守りたい』言うたやろ? そんなら『守る』ための仕事についた方がええんちゃう?」
「……!」

 ラッカは目を見開き、オレをじっと見つめた。

「せやけどタンクは『ええ加減やったら無意味』らしいねん。ほんなら教えられる奴をつけるしかないよなぁ」

 オレはリリィを見た。

「……なんだ?」
「リリィほんま何べんもごめん!いい先生がお前しかおらんねん」
「……なるほどな」
「ありがとうございます!!」
 オレはわざとらしく深々と頭を下げた。
 リリィは薄く笑い、ラッカを見た。

「いいだろう。お前が本気なら、私が鍛えてやる」
「ほ、本気です! ぜひお願いします!!」

 こうして、オレのパーティの最初の仲間が決まった。

「よっしゃ! ほな、いいパーティ作っていくで!」

 オレが、このムッチャ可愛い世界で生きる道はこれや——
 組織を作り、人を育て、確実に稼ぐ。おっさんのサバイバルはここからや!

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