1月8日、高校三年生の三学期が始まった。生徒玄関で会った友達に「おはよう、久しぶり」なんて挨拶をして教室に向かう。長いろうかをぺたぺた歩いて、さらに長い長い階段をのぼる。この階段をのぼっていると、いつもの少し退屈な学校生活がまた始まるんだなと実感する。ふぁっと小さくあくびがもれて目をこすった。
「はよっ」
背後から聞こえた声にふり向くと、きらきらと太陽みたいなオレンジ色の頭が目に飛び込んできた。寝不足の俺には眩しすぎる。こんな頭の奴いたっけ? 記憶をたどるが寝ぼけた思考回路はうまく回らない。
「髪の毛ぴょんってなってる」
「え?…あぁ……って、九条?!」
自分の寝ぐせのことなんかどうでもいい。“あの九条が頭をオレンジにしている?! なぜ?”が頭の中でぐるぐる巡っている。
九条真叶といえば、いつもニコニコ笑っていて人当たりがいい、おっとりしたマイペースな奴。髪は短髪で学生らしい清潔感はあるが、髪色や服装に気を遣っているイメージはない。入学時から使っているであろう黒のリュックは、年季が入ってくったりしている。スニーカーはどこのブランドかわからない白一色で、スニーカーというか運動靴と呼んだ方が適切かもしれない。
そんな奴が初めての染髪で、派手で目立つオレンジを選んだことに驚いた。当の本人は、どうせまたゲームしてたんでしょ、と笑いながら俺の寝ぐせにちょんと触れている。
「いや、なにその頭? どうした?!」
「え? 気分転換? 変かな?」
照れたように目を伏せて髪をくしゃと触る。階段の踊り場の窓から、弱々しくやわらかな日差しが降り注ぎ、オレンジ色があたたかく反射している。
(あれ? 九条ってこんなきれいな顔してたっけ?)
俺より少しだけ背の高い九条。改めてみてみると整った顔立ちをしていた。きれいな二重の大きな目にぷっくりとした涙袋、鼻筋はスッと通っていて、形のいい薄い唇。オレンジ髪が爽やかな印象を与えていて、おもわず見惚れてしまった。
「…いいじゃん、似合ってる」
「なんだよ、その間は」
「ガチで、ガチで。髪染めてんの初めてみたからさ。意外だなって」
「夏休みに春樹が金髪にしてたのがかっこよくて、俺も染めてみた」
こいつにかっこいいと思われていたのも、髪を染める動機が俺なのも意外だった。仲が悪いわけではないが、特別良くもない。普通にしゃべるクラスメイトのうちの1人。そんな相手から褒められたら、どうリアクションしていいのかわからない。
「あん時は髪すぐ傷んだな。ケアとかちゃんとしてなかったし」
「ケア?」
「ちゃんとトリートメントした方がいいよ。パッサパサになるから」
「へぇ〜そうなんだ」
しゃべりながら階段をのぼり四階へ、まっすぐろうかを歩いて教室の前までやってきた。
「トリートメントってどんなんがいいの?」
「俺の使ってたやつは--」
ポケットからスマホを取り出して検索していると、九条に腕をつかまれて引き寄せられる。後ろから歩いてきたクラスメイトが九条に挨拶をして中に入っていった。ちょうど教室の出入り口に突っ立っていたから邪魔になっていたらしい。
「ぁ、ごめん」
「うん…」
スマホ画面をスクロールしてトリートメントの画像を探したが、どの商品だったかわからず、わかったら連絡するということで話がおわった。今更ながら九条と連絡先を交換した。あと二か月で卒業というタイミングでクラスメイトと連絡先を交換するとは思ってもみなかった。朝から少し憂鬱な気分だったから、なんだか嬉しい。
「真叶ー!」
ろうかに響き渡るくらいの叫び声を至近距離で聞いたため、俺たち二人はびくりと肩を震わせた。
「これ、どういうことかちゃんと説明して!じゃなきゃ納得できないから!」
声の主である女子生徒・桜庭美紀が、九条にスマホを突きつけて詰め寄っている。九条は数回瞬きすると俺に視線を向けてきた。SOSのサインだろうか。助けてあげたいけど、状況が全くわからない。
「桜庭さん、どうしたーー」
「仁科くんには関係ないでしょ。黙ってて」
声をかけてみたものの、ぴしゃりとはねつけられて俺は口を引き結ぶ。”ごめん”と九条に視線を送ると、あきらめたように眉を下げてコクコクと小さくうなずいた。
「わかった。ちゃんと説明するから」
そう言うと桜庭と連れ立ってどこかへ行ってしまった。
桜庭美紀はクラス委員で九条の恋人だ。付き合って一年くらいになる。マイペースな九条がなにかやらかす度にしっかり者の桜庭が説教する。母親と息子のようなカップルだ。故に桜庭がチクチク怒っているのはよく見かけるが、これほど怒りを露わにしているのは初めてみた。九条はなにをやらかしたんだろう。
始業式、長い長い校長の話を聞くのが辛い。単調なリズムと抑揚のない声色が眠気を誘い、うとうとと船をこぐ。気づけば、校長が生活指導の体育教師に変わっていた。無駄に声を張り上げて説教を垂れている。
始業式が終わりクラスのHRで担任が連絡事項を告げると各自解散となった。この後、大学受験組への出願ガイダンスがある。俺は進路が決まっているのですぐにでも帰れるんだけど、
「春樹すぐ帰る?」
ガイダンスの資料を手にした冴島健吾があくびをかみ殺してから俺に尋ねる。校長の長話の被害者がここにもいた。
「ガイダンスってどんだけかかんの?」
「たぶん、1時間くらい」
同じく資料を手にした椎葉永嗣が俺の問いに応えた。
「帰ろうかな。寄りたいとこあるし」
「え~帰っちゃうの~ラーメンは~?」
「ごめん、また今度」
しょんぼりしている健吾を、永嗣がなだめながら教室を出て行った。学校が午前中でおわる日は、3人で駅前のラーメン屋に行くのがお決まりになっている。中でも健吾はみそラーメンが大好きで、行くと絶対にみそラーメンを注文する。そしてSNSに“みそラーメン最高!毎日でも食べたい!”とラーメンの画像をアップしていた。卒業したらなかなか来れなくなるから健吾はラーメン屋に行きたかったのだろう。残り少ない機会を断ってしまい悪かったなと思いながら、俺もカバンを手に教室を出る。
「春樹!」
教室を出たところで呼び止められた。オレンジ頭の九条が犬みたいに駆け寄ってきた。
「一緒に帰ろ!」
ない尻尾が左右にぶんぶん揺れている。おもわず小さくふきだしてしまい、なに? と聞かれたけど適当にごまかしておいた。
「ちょうどよかった。トリートメントみにいこ」
「え、いってくれんの? ありがとう」
「店に行ったら思い出すとおもうんだよね」
並んでろうかを歩く。校長の話が長かったとか、朝電車に乗り遅れそうになったとか、霜柱を踏むときもちいいとか。どうでもいい話を楽しそうにしている。
「そういえばさ、春樹は進路決まってるんだっけ?」
「うん、A大の建築デザイン学科」
「建築? なんかかっこいい」
「そうか? じぃちゃんが宮大工で俺もそういう仕事したくて」
「そっか~」
「九条は?」
「俺はね、製菓の専門学校」
「製菓ってお菓子作り?」
「そうそう。母さんの趣味がお菓子作りで俺もすきになっちゃって」
「いいじゃん。パティシエ」
九条が照れたように笑う。そのうち生徒玄関に着いて靴を履き替えていると、九条の恋人・桜庭美紀とはちあった。
「あ、美紀…ばいばい」
九条が少し気まずそうにしながら小さく手を振ると、ふいっと顔をそらしてスタスタと生徒玄関を出て行った。
「ケンカしてんの?」
「いや、ケンカじゃない」
「向こうが一方的に怒ってるとか?」
「…ううん、俺が美紀に…ひどいことしたから」
ケンカするほど仲がいいって聞くけど、九条と桜庭はまさにそんなカップルだった。よく痴話げんかはしていたもののすぐに仲直りしてたから、今回もすぐに元通りになるだろう。励ましのつもりで九条の背中をポンポン叩くと力なく笑って小さな声でありがとうと呟いた。
*****
学校から駅までつづいている商店街、そこにあるドラッグストアに入った。トリートメントが陳列されているコーナーでざっと商品を見渡す。確か、オレンジ色のパッケージだったっけ? いや、黄色だったような…?
「春樹は髪染めないの?」
商品を手に取り説明を読んでいると、後ろでブリーチ剤を見ている九条が声をかけてきた。
「卒業したら派手髪にしたいんだよね。赤とか青とか」
「みたい! 春樹の派手髪! 金髪めっちゃかっこよかったからさ、絶対似合うよ。シルバーとかもいいんじゃない?」
ブリーチ剤の箱を俺の顔の横に並べる九条。交互に見ながらう~んと唸っている。
「あ! ちょ、動かないで!」
「はぁ?」
「横顔きれいだよね。鼻高いし、この顎のライン最高。目の下のホクロも色っぽくてすごくいい」
マジマジと顔をみながら顎をすーっと撫でられる。驚いている間に親指の腹で目尻を撫でられて、右目の下にあるホクロをちょんと触られた。
「え? なに急に?」
距離を取ろうと一歩後ずさりしたら、背後にはトリートメントの陳列棚がありこれ以上後ろに行けない。
「肩幅があるぶん、腰が細くみえて色っぽいよね。あと、手がめちゃくちゃきれい」
俺の手を掬い取ると、またもや親指の腹でスリスリと撫でている。手の甲にキスでもするんじゃないかというくらい至近距離でみつめている。
(マジでなんなんだよ、コイツ……)
「九条、トリートメント」
空いている方の手でトリートメントを差しだすと、手を離して「ありがとう」とトリートメントを受け取った。そのまま会計に向かう九条。触れられた手と九条の背中をみてため息がこぼれた。
九条ってこんな奴だったっけ?
距離の詰め方おかしくない?
人との距離感バグってない?
パーソナルスペースないの?
会計を終えた九条がこちらに戻ってきた。困惑している俺をよそに、にこにこと人当たりのいい笑顔を浮かべている。
「春樹のおかげでトリートメント買えたわ。ありがとう」
「よかったね」
「そういえばさ、この前ーー」
ドラッグストアを出て並んで商店街を歩く。今朝と同じように他愛ない話を楽しそうにしている。
そうだ、コイツは超が付くマイペース人間だった。さっきのも九条なりのスキンシップだったのかもしれない。うん。きっとそうだ。そう自分に言い聞かせて、俺は深く考えるのをやめた。
1月9日、午前中はLHR、国語、数学の授業。授業といってもほぼ自習。午後からは体育の授業がある。
「体育なにすんだろうね?」
「サッカーじゃね?」
午前の授業をおえて待ちに待った昼食の時間。俺の前の席に座る永嗣が弁当を取り出して後ろを向いた。俺も朝コンビニで買ったパン2個とおにぎり1個を机の上に置く。
「晴れてるし、外いかない?」
弁当を手にしてやってきた健吾が窓の外に視線を遣る。確かに、今日は風もなく穏やかな日差しが雲間から伸びている。
「おーいく?」
永嗣に尋ねると頷いてくれたので3人連れ立って教室を出た。天気がいい日は外で昼食を摂る。俺が弁当の匂いが充満した教室が苦手だから、2人が気を遣って外に連れ出してくれる。苦手といっても吐くほどではない。少し気分がわるくなるだけ。
「春樹!俺も一緒に食べていい?」
教室を出たところで、弁当を持った九条がまたもや犬みたいに寄ってきた。なんで廊下で待機してるんだろう。
「俺は全然いいけど…」
2人の顔をうかがうと、快く了承してくれたので4人で中庭に向かう。中庭には木が何本か植っていて中央に立派な花壇がある。花壇は校長が丹精込めて手入れをしていて、いつも色とりどりの花が咲いている。その周りを囲むようにベンチが設置してあり、俺と九条、健吾と永嗣に分かれてベンチに座った。
「あ、変わってる」
季節ごとに変わる花を、永嗣は毎回スマホで写真を撮っている。今日も昼食を後回しにしてスマホをかまえていろんな角度から花を撮る。写真を撮るのが好きで、日常の風景や俺や健吾やクラスメイトの何気ない姿をスマホに収めている。
「こっちはパンジーだよね?そっちは何の花?」
「これはスミレかな」
「へぇ〜かわいい」
「ちなみに、花びらが大きいのがパンジーで小さいのがビオラね」
「え、全部パンジーだと思ってた!」
花の話をする永嗣と健吾。花に全く興味がない俺は2人の和やかな雰囲気にあくびをこぼしながらパンの袋を開けた。
「春樹っていつも菓子パンと惣菜パンを1個ずつ食べてるね」
焼きそばパンを一口頬張ったところで、隣に座る九条が話しかけてきた。九条はきれいに巻かれた卵焼きを口に運んでいる。たぶんこれは砂糖が入った甘い卵焼きだ。
「甘いもの食べると辛いもの食べたくなるだろ?パン2個食べたら米が食べたくなるじゃん。だから菓子パンと惣菜パンとおにぎりを買っちゃうんだよね、毎回」
「なるほど。弁当は買わないの?弁当だったらいろんなおかずが入ってるよ」
「弁当は親が作ってくれた時に食べるからさ。買って食べようと思わない」
「ああ、なんかわかるかも」
九条と話しながら焼きそばパンを食べ終えた頃、隣のベンチから盛り上がっている健吾の声が響いた。
「ねぇ、知ってた?!パンジーもビオラも、スミレ科スミレ属の花なんだって!スミレじゃないのに!ややこしい!」
たぶん永嗣から教えてもらった知識を、嬉々として興奮しながら俺たちに伝えてきた。九条の上をいくマイペース人間で、普段はおじいちゃんみたいに落ちついていてあまり焦ることのない健吾。たまに子どもみたいに興奮している姿をみるとおもしろい。
「まだ花の話してんのかよ」
「だってさ、ここからここまで全部スミレ科スミレ属なんだよ!おかしくない?!」
健吾の隣で永嗣がクスクス笑っている。
「それ言ったら、ライオンもトラもネコ科だし、スイカやメロンもウリ科だろ」
「あ、そうか…」
「命名法のルールって複雑でよくわかんないよね」
永嗣の発言でこの話題は終わったと思ったら九条がワンテンポ遅れてケラケラ笑い始めた。
「え?今かよ!笑うとこあった?」
「…っ、なんかね、3人のやりとりがおもしろい…あと、春樹がツッコミで忙しそうだなって」
「春樹はね、元々ツッコミの人じゃなかったんだけど俺たちの中にツッコミがいないから仕方なくツッコミ担当してくれてるよね」
「や、べつにツッコまなくても会話は成り立つんだけどツッコまずにはいられないんだよ。この2人の空気感がふわふわしてるから」
健吾と永嗣は顔を見合わせて「そうかな?」「まぁ、ゆっくりではあるよね」「話すスピードが?」と2人の世界に入ってしまった。
「いいなぁ〜俺も春樹にツッコまれたい」
メロンパンの袋を開けていると、九条が期待の眼差しを向けてきた。メロンパンを頬張り、九条の次の発言を待つ。二口目、三口目とメロンパンを食べすすめるが、九条はずっとキラキラした目で俺をみつめるだけ。
「…なんかしゃべってくれないとツッコミようがないんだけど」
わはっと無邪気な笑顔を浮かべる九条。
「ね、今ツッコんだ!ツッコんだよね!やったー!俺の勝ち!」
「今のはツッコミじゃないでしょ!あと、勝ち負けとかないから」
「あ、またツッコんだ!」
「バカにしてる?」
内容がない俺たちの会話に健吾と永嗣が笑っていて、九条もつられて笑うから、俺も連鎖反応で笑ってしまった。
1月15日、九条が俺たちと一緒に昼食を食べ始めて一週間が経過した。つまり、桜庭美紀とケンカ(九条はケンカじゃないと言っている)をしてから一週間が経過している。九条は桜庭については何も話さないから聞くに聞けない。「春樹聞いてみてよ」と健吾と永嗣に言われたけど、本人が話したくないことかもしれない。それに仲良くなって日も浅いし、やっぱり聞きづらい。「じゃあ、じゃんけんで負けた人が聞くことにしよう」永嗣の提案に頷いて三人でじゃんけんをした。
「九条、あのさ…」
昼休みの中庭、俺の隣に座って弁当箱のフタを開ける九条におずおずと声をかけた。「なに?」と不思議そうな顔をしている九条。隣のベンチからじっとこちらをみている健吾と永嗣。ポケットからスマホを取り出し、みんなの視線から逃れるようにスマホをいじりながら意味もなくメッセージアプリを開く。
「桜庭さんと、どうなってんのかな~って」
チラと隣に視線を遣ると、九条はさっき開けたばかりの弁当箱のフタを閉めた。
「…わかれた」
「え?!」と驚きの声を上げる健吾。永嗣が慌てて健吾の口をふさぐ。俺もびっくりしてスマホから顔を上げた。
「ぇ、そうなんだ。なんで?」
「他に好きな人ができたからわかれてほしいって俺から言った」
今度は永嗣が「えぇ?!」と声を上げて、健吾は「あら〜」と目をぱちぱちさせている。俺はスマホを地面に落としてしまい、慌てて拾い上げた。
「自分勝手で最低だよね…」
視線を落としため息をこぼす九条。
「二人のことだから俺はどうこう言えないけど…九条に気持ちがないならしかたないよな。俺が桜庭さんだったら"最低最悪しね!"って呪いころすけどね」
「めっちゃ根に持つじゃん。怖い」
苦笑しながら弁当箱のフタを開ける九条。俺も今日は弁当なので、同じタイミングでフタを開けた。俺の弁当に入っているタコのウィンナーをねだってきたので卵焼きと交換してやった。それを口に運ぶと、やっぱり甘くて優しい味だった。
『好きな人できたからわかれてください』
中三の時に初めて付き合った女の子からふられた時に送られてきたメッセージ。ふと頭に過ぎって、ズキンと胸が痛くなった。
*****
1月16日の放課後、健吾と永嗣は共通テスト対策で学校に残っている。俺は九条に付き合ってもらって駅前の雑貨屋に来た。
「なぁ、これとかどう思う?」
帯に赤い字で合格祈願と書かれた黄色の消しゴム。ただの消しゴムなのに1個300円もする。
「いいんじゃない?消しゴムなら絶対使うし」
「でもさ、受験終わったら使いにくいよな」
そっと棚に戻す。
「ねぇ、さっきから選んだやつ全部戻してるんですけど。全然決まらないじゃん」
「こういうの苦手なんだよ。自分のならすぐに決められるんだけど」
二日後に共通テストを控えている健吾と永嗣に、応援のつもりでなにかプレゼントしたいなって思ったけど色々考えすぎて全然決まらない。
「直感で決めちゃえば?これとかよくない?」
九条が適当に手に取ったのはぐったりしている小さいパンダのぬいぐるみ。ストレス社会に疲弊している現代人の心を表しているらしい。さすがにこれは受験生には刺さらないだろう。ってか、どの層に刺さるんだこのキャラ。
「お前、適当すぎ」
「春樹が考えすぎなんだって。プレゼントは気持ちが大事なんだから、その人への気持ちが込められてたらなんでもいいよ」
「なんでもってわけにはいかないでしょ」
ブツブツ文句を言っている九条をよそに引き続き雑貨を物色していたら、隣の棚からキャッキャと騒がしい女の子の声が聞こえてきた。いい匂いだとか臭いとか言いながら、スプレーをプッシュする音が聞こえる。どうやら香水のテスターを試しているらしい。いろんな香水が混ざった匂いがこっちにも漂ってきて、俺は少し気分が悪くなった。
「九条、出よ」
九条の制服の裾を引っ張って店を出ようとしたとき、
「春樹?春樹じゃない?」
名前を呼ばれてハッとした。振り向くと「久しぶり~」と明るく笑っている。三年ぶりに会った彼女ーーー市原華は、髪が伸びて少し大人っぽくなっていた。
「なにしてんの?買い物?ってか、背伸びたね~!めっちゃ男っぽくなってる~!」
無邪気な様子は三年前と変わらない。ドクドクとうるさくなる心臓、動揺していることを悟られないようゴクリとつばを飲み込み彼女を真っすぐに見据える。
「そっちはなんか雰囲気変わったね。ぱっと見誰かわかんなかった」
「あはは!どう?かわいくなったっしょ?ってか、ホントかっこよくなったね!彼女とかいるの?」
「いないけど」
「えーそうなんだ!ライン教えて!機種変したときにみんなのやつ消えちゃってさ~」
あぁー早くこの場から立ち去りたい。消えたい。なんでこいつは無遠慮に俺に声かけてくんの。マジで関わりたくないんだけど。
「今スマホ持ってない。家に忘れた」
「そっかぁ~じゃあさ……」
カバンからペンを取り出したかと思ったら俺の左手を取り手の平になにかを書いている。
「これ、あたしのアカ。連絡してね!またあそぼ!」
別れ際の屈託のない笑顔が、中学時代の彼女を思い出させて、胸がぎゅっと痛くなる。
雑貨屋を出たところで外気の冷たさに身体が震え、ぐらっと目の前がゆがんだ。
「っ!春樹?!大丈夫?!」
後ろにいた九条が咄嗟に支えてくれたおかげで倒れずに済んだ。
「…ごめん、ちょっと気持ち悪くて」
「休もうか?…立てる?」
九条の腕につかまりゆっくりと歩きだす。下を向いているのでどこに向かっているかわからないけど、「大丈夫?もう少しで着くからね」と九条が優しく声をかけてくれて安心した。
顔をぺたぺたと触られているような感触がして目が覚めた。霞がかった視界が徐々にクリアになっていく。目の前に九条が現れて俺の頬をゆっくりと撫でていた。
「あ、春樹おはよ」
ゆっくりと上半身を起こして周りを見回す。俺はでっかいベッドに寝ていて、その傍らに九条が座っている。照明は薄暗く、少し埃っぽい匂いがした。部屋の中には小さいテーブルとソファ、大きなテレビ、窓はあるけどなにかが張り付けてあるのか外はみえないようになっている。もしかしてこの場所は…
「ラブホ?」
「そうそう。飲食店だと匂いが気になるかなと思って。カラオケやネカフェは遠いしビジホは入りにくくて」
そういえば入る前に、ラブホでいい? と九条から聞かれた気がする。
「…ラブホのが入りにくいだろ。男同士だし」
「受付とかないし、誰にも会わないからいいかなって」
「まぁ、確かに…。俺どんくらい寝てた?」
「たぶん30分くらいかな~」
「マジか…」
わざわざここまで俺を連れてきてくれて寝かせてくれたんだと思うと申し訳ない。九条にごめんとありがとうを伝えたら今度倍返ししてくれたらいいよと笑っていて、某ドラマの有名なセリフが頭に浮かんだ。
「これさ、ここいじったら照明とか変えれるし音楽も流せるんだよ。すごくない?」
ベットサイドのパネルをいじって照明を明るくしたり、BGMの有線のチャンネルを変えて遊んでいる。
「タブレットで食べ物注文できるんだって!カラオケもあるしゲームもあるし、俺ここに住もうかな?」
初めて来たときは俺もはしゃいでたな~と無邪気な九条を微笑ましくみていると、九条がテレビのリモコンを手に取った。
「あ!」
やばいと思った時にはもう手遅れで、大画面に裸の女の人が映し出され甲高い嬌声が部屋中に響いている。九条は口を開けたまま固まってしまい、俺は九条の手からリモコンを奪いすぐにテレビを消した。
「…びっくりしたー……そっか、ラブホだからこういうのがあるんだ…」
「俺も初めて来たときやらかしてちょっと気まずくなった。まさかテレビからあんなの流れてくるとか思わないじゃん」
気まずさを和らげようとしたのに裏目に出たのか、なぜか九条は黙ってしまった。あれ?余計に気まずくなった?
「腹へってない?なんか食べる?」
タブレットに手を伸ばしメニューをみていると、九条がベッドに上がり俺の正面に座った。
「誰と来たの?さっき雑貨屋で会った子?」
「いや、あいつとはすぐわかれたから…」
「誰?俺の知らない子?」
「なんだよ、なんか怖いんだけど」
いつになく真剣な顔でまっすぐにみつめてくる。いつも笑っている九条にこんな顔をされたら、胸がざわざわして落ち着かない。なにも悪いことをしていないのに責められている気分だ。九条の視線に抗うことをあきらめてため息をつき、ベッドサイドにタブレットを戻した。
「他校の女子、年上だったかな。2年の時に逆ナンされてラブホいって、それっきり会ってない」
「ふ~ん…他には?」
「え?」
「それだけじゃないよね?」
口元は笑ってるけど目が笑ってない。尋問されてるみたいだ。こえーよ、なんなんだよ。
「…去年の夏休みに、女子大生と…」
まだじっとみてくるので、この2回だけだと付け足すと、ふ~んとまだ納得していない様子で俺の左手を取る。
「この子とはより戻すの?」
手の平に書かれた市原華のアカウントを指さしている。
「より戻す気ならちゃんと連絡先交換するだろ」
ポケットからスマホを取り出してみせると、持ってたんだと眉を下げて笑った。
「じゃあこれは必要ないから消すね?」
俺の返事を待たずにベッドサイドにあるウェットティッシュに手を伸ばし、それで俺の手の平を拭き始めた。
「…初めて付き合った子でさ、めちゃくちゃ好きだったんだけど、二股された挙句すぐにふられた」
「えぐいね…もしかして、それ以来誰とも付き合ってないとか?」
「え?」
「他校の女子と女子大生だっけ?さっきの口ぶりからして、この二人とは付き合ってはないんだろうなって思ったから」
「当たり……ださいよな。傷つきたくなくて避けてたらいつの間にかまともに恋愛できなくなってた」
「ださくない…ださくないけど、」
ずっと俺の手の平をみていた九条が、顔を上げて真っすぐに俺を見据える。
「そろそろこっち側に戻ってきてもいいんじゃない?」
九条が拭いてくれた手の平、書かれていた文字は消えて、少し赤くなっていた。
「ねっ?」
(やばい、なんで泣きそうになってんだよ…)
九条が、あまりにも優しい顔で穏やかに笑うから、きゅっと胸が苦しくなった。
1月17日、1~3時間目は通常授業、4時間目は体育館で共通テスト壮行会が行われる。3時間目の授業を終えて壮行会に向かう健吾と永嗣に声をかけ、昨日買ったプレゼントをわたした。健吾にはラーメン店の食事券、永嗣には風景の写真集。
「うわ~!めっちゃうれしい!ありがと。今度みんなで食べにいこ」
「えー、これ欲しかったやつ…春樹ありがとう」
「おぉ…共通テストがんばれ」
二人とも喜んでくれてよかった。昨日、九条とラブホを出てから2時間くらい歩き回って、結局一番最初に選んだものを買った。連れ回すのが申し訳なくて先に帰ってくれと言ったのに、心配だからと最後まで付き合ってくれた。本当にいい奴だ。今度昼飯でも奢ってやろう。
「あーそれわたしたんだ。昨日さ、これ買いに行くのついてったんだけど、春樹ってばめちゃくちゃ迷って3時間くらいウロウロしたよ」
急に現れて言わなくてもいいことをさらっと口にする九条。
「お前、余計なこと言うなよ」
健吾と永嗣が驚いて目を見合わせている。
「3時間も…疲れたでしょ。そんなの聞いたらもったいなくて使えんわ」
「そうだよね、春樹プレゼント選び苦手なのに…ほんとありがと」
「いや、べつにそんなたいしたことないから…ほら、壮行会始まるぞ」
4時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り、二人の背中をおして壮行会に送り出した。
高価なものを買ったわけでもないから本当にたいしたことないのに二人ともすごく喜んでくれた。俺もうれしくて顔がにやにやしてしまう。
「ふにゃふにゃしてる。かわいいなぁ~春樹は」
顔を覗きこみ頬にぶすぶすと人差し指を突き刺してくる。九条の方がよっぽどふにゃふにゃデレデレしている。イケメンが台無し。
「うるさい、帰るぞ」
「あ、ごめん。今日は美紀と一緒に帰る約束してるから」
リュックを背負い桜庭美紀の席へいき、「じゃあね春樹」と手を振ると、二人並んで教室を出て行った。
「……え?」
どういうこと?もしかしてより戻した??
「ってか、なんで??」
なんかさっきから胸がチクチク痛くて少し息苦しい。周りを見回すと、教室に残っているのは俺だけだった。
さみしいな…健吾と永嗣おわるの待ってようかな。でも、1時間も一人でいるの嫌だし…
「はぁ…かえろ」
小さなため息が静まり返った広い教室に響く。カバンを手に取り廊下をでた。「春樹、帰ろ!」と、いつも笑顔で駆けてくる九条は今日はいない。たったそれだけのことなのに、頭がモヤモヤして胸がチクチクする。それを振り払うように、イヤフォンを耳につけて音楽を再生した。
*****
1月20日、共通テストの自己採点の日。18日と19日の共通テストを受けた生徒は、登校して自己採点をしなければならない。俺は共通テストを受けていないので登校しなくてもいいんだけど、健吾・永嗣と昼にラーメンを食べに行く約束をしたので、そのためにわざわざ学校にきた。
図書室にて、月末にある卒業テストに向けて勉強中…のはずが、集中力が切れて机に突っ伏してしまっている。隣に座る九条が、数学のノートに変なラクガキをして笑わせてくる。ムキムキマッチョな猫がパワーポーズをしてヤー!と叫んでいる。普段ならおもしろくもなんともないのに、図書室の静かな空間の中ではなぜか笑いがこみ上げてくる。笑ってはいけないと思うと余計におかしくて、口をおさえて笑うのを必死に我慢する。そのうち、ブッフォ…と九条がふきだしてしまい、それを合図に俺もブフーと声をだしてしまった。カウンターで作業していた司書の先生に睨まれたので、慌てて片付けてそそくさと図書室を出た。
廊下の窓からグラウンドをみると、昨夜チラチラと降った雪が少しだけ積もっている。「雪だるまつくろ~」と九条が歌い始め、俺の手を引いてパタパタと廊下を走る。教室から顔を出した教師にうるさいぞ~と注意され、ゆっくりと歩く。その教師が教室に引っ込んだのを見計らって再び廊下を走る。いつの間にか九条との競走になっていて、生徒玄関の下駄箱まで全速力で走った。
「イェーイ!俺の勝ち!」
下駄箱に先にタッチしたのは九条だった。
「えぇー…なんでそんな速い…全然息もきれてないし…」
肩で息をする俺とニッと余裕の笑みを浮かべる九条。
「運動神経いいんだよね。自慢じゃないけど、運動神経いいんだよね」
「二回言った。うざっ」
そういえば、体育祭の時リレーでアンカーしてたっけ。
下駄箱で靴を履き替えて外に出た。学校のグラウンドで雪だるまなんか作ったらまた教師に怒られてめんどくさい。俺たちは近くにある公園広場に行くことにした。
学校の西側にある公園広場は遊具ゾーンと芝生ゾーンに分かれている。学校のグラウンドと同じくらいの広さだ。俺たちが着いた時にはまだ誰も足を踏み入れておらず、九条と顔を見合わせてニヨニヨ笑いながら「わーっ!」と駆け回った。白銀の世界にたくさんの足跡がついていく。振り返り自分がつけた足跡をみてなぞの達成感に満たされる。
芝生ゾーンで雪の上にダイブしてころころ転がっている九条。黒のダウンジャケットに雪がちらほら付着している。俺は遊具ゾーンにいって、遊具の上に積もっている雪を集めて雪玉を作った。大の字に寝転がっている九条の顔面めがけて雪玉を投げつけた。雪玉は顔面に命中し「つめたっ!」と九条が驚いて上半身を起こした。九条からの反撃に備えて腕でガードしていたが、反撃してこないので恐る恐る九条の方をみると、こっちにおいでと手招きしていた。警戒しながら九条の元へいく。
「春樹~足に力が入んないよ~起こして~」
「はぁ? ったく、なにしてんだよ」
伸ばされた手を握り引っ張ろうとしたら逆に引っ張られて、バランスを崩して九条の身体の上に倒れた。九条は「ぐへっ」とつぶれたカエルのような悲鳴をあげた。
「ふはっ! カエルいた」
「ヴェェー」
「それヤギじゃね?」
「あ、そっか」
立ち上がろうとしたが後頭部と背中に手を回されてがっちりホールドされている。俺は九条の肩口に顔をうめている状態で身動きができない。
「春樹いい匂いするね」
俺の髪に鼻を押し当てて匂いを嗅いでいる。息が耳にあたってくすぐったい。
「ちょ…やめろって」
身じろぎしていたらすぐに解放された。二人でゆっくりと立ち上がる。
「へへっ、春樹はかわいいなぁ~」
またあのふにゃデレ顔で俺をみつめる。怒るつもりだったのに九条といると毒気を抜かれる。
「お前、ほんと俺のことすきだよな?」
冗談のつもりだったのに、みるみるうちに九条の顔が赤くなり下を向いてしまった。
(え…?なにこの反応?!ガチでおれのことすきなの?!)
俺もつられて顔が熱くなる。
「……きだよ」
蚊の鳴くような小さな声が震えている。九条は顔を上げて真っ赤な顔で俺をみる。
「すきだよ、春樹のこと……」
いつもよりも低い声が、しんと静まり返った真っ白な世界に消えていく。しんしんと雪が降り始め、九条のオレンジ髪に触れてはすぐに溶けていく。さっき雪を触った手は氷のように冷たくなって感覚がない。その手を九条が優しく握ってくれる。
「……そろそろいこっか。健吾たちがまってるよ」
九条の手は俺のよりも少しだけあたたかかった。