ほんの少しだけ皺の寄った薄桃色の封筒を、コートのポケットから取り出した。
その封筒は無地のもので、表面には自分史上最高に丁寧な文字で『相馬 遥希くんへ』と書いてある。
裏面の逆三角形の封じ口には、シーリングスタンプに見立てた赤いステッカー。ベタにハートのステッカーにしようかと迷ったのだが、あまりに気恥ずかしいのでやめることにした。
手紙は一カ月前に書いた私の八カ月間の想い。
ちなみに、これは三代目。
一代目は握りしめすぎて、ものの三日でシワシワのヨレヨレになってしまい、二代目は角がすり減り、みすぼらしくなってしまった。とても渡せるような代物ではなくなってしまったので、昨日新たに書き直したのだった。
震える手をどうにか落ち着かせて、一文字一文字に気持ちを込めた。渡す瞬間のことを想像して、心臓がトクンとスキップするように高鳴った。
同じ内容のものを書くのは三度目のことなのに、ちっとも慣れてはくれなくて、相馬くんへの想いは日に日に膨れ上がっていく。
昨夜、手紙を書き終えた時には明日こそ渡すんだ! と、意を決したはずだったのだけれど……。
今日もまた、渡すことが出来なかった。
明日こそは……
私はそう心に決めて、手紙の入った封筒を登校用の鞄の内ポケットにしまった。
ここ数日、気温の上がり下がりが激しく、路面はツルツルのアイスバーン状態。そこに昨晩、薄っすらと雪が積もったせいでつい油断してしまう。
「今日も滑るから、気をつけてな……日中も気温上がるらしいから、それはそれでまた滑るから」
登校途中、少しだけ傾斜になっている場所に、町内会長さんが滑り止め用の砂を撒いてくれていた。
「うん、ありがとうございます。会長さんも」
会長さんの忠告を頭に置いて、氷が見えない所でも、小股でチョコチョコと足をスライドさせて歩く。足の底全体が地面に着くように、そして少し小走りくらいの方が逆に転びにくい。十六年……いや、二足歩行ができるようになってから十五年にもなると、北国で育った者ならば、滑る冬道の歩き方くらい心得ている。
油断なんかしないもん……
周りの車と足元に神経を集中させて、どうにか無事にバスに乗り込み、ふぅ〜と、緊張を解いて外を眺めた。
朝日のオレンジを反射させた家々、冬木には雪の蕾。飛んできたカラスが電線にとまり、薄っすら積もっていた雪がハラリと零れ落ちる。その落ちてきた雪が、朝日に照らされて煌めいた。
寒い冬は大嫌いなのだが、雪が降った翌朝の晴れた日に見せる幻想的な景色は、どう頑張っても嫌いにはなれない。
七つ目のバス停。いつも相馬くんが乗ってくる停留所。
鞄から手鏡を取り出して、私は前髪を整えた。
相馬くんの姿を確認する前から、ドキドキと私の心臓は早鐘を打つ。そして、チェックのマフラーに顔をうずめた相馬くんがバスに乗り込んで来るのを目視して、私の心臓は口から飛び出しそうなほどに暴れだす。
あまりに凝視しすぎていたかもしれない。相馬くんと一瞬パチリと視線がかち合った。鼻の頭が赤くなっている相馬くんは、表情を変えることなく私に軽く会釈して、フイっと視線を逸らした。
ドキドキドキドキ……
私は鞄の中の手紙を意識して、いつまでも心臓は落ち着いてくれなかった。
クラスの違う相馬くんとは、委員会が一緒で、生活の注意を促すポスター作りで同じグループだった。
人見知りの私は、なかなかグループの意見交換の輪に入れずにいた。
「"ネクタイをしっかりと着けましょう"ってここに書いて、その下にネクタイの絵でよいんじゃない?」
「そうだなー……って、これ書いてる俺らもネクタイしてないけどね」
同じグループの子たちがケラケラと笑う。
「私、字へただからパス」
「俺も無理」
「絵はどうすんの?」
「ネクタイくらいなら描けるかも……でも字はちょっと無理」
「じゃあ、絵は任せる」
私と相馬くん以外の四人が話を進めていく。
誰一人知ってる人がいない上に、「私がやります」と自ら立候補することは「私、字には自信があります」と主張することになるような気がした。私の性格上、とてもじゃないが言い出すことはできなかった。
それでも何かやらないと……という気持ちはあって、「えっと、私……」と小声でモジモジする。すると、相馬くんが「綾瀬さん字、上手だよ」と皆に言った。それから「頼める?」と静かに私に尋ねた。
「綾瀬、字うまいんだ?」
「え~助かる!」
「字うまいのいいなぁ」
他のグループの子たちも相馬くんの発言に乗っかり、私はあっという間に輪の中に入っていた。
何の接点もなかった寡黙でクールな相馬くんが、私なんかの字を見てくれていたことに驚いた。そして、なんだか自分が認められたような気がして、すごく嬉しかった。
それから、気が付けばいつも相馬くんを目で追っていた。ごく稀に見せる笑顔が見られた時には、こそばゆい気持ちになり、その笑顔が自分に向けられたら……と想像して、私の心臓はドキンとスキップした。
相馬くんはどこで私の字を見たのだろう?
確かに私は小中学の頃から字を褒められることが多かった。だが、クラスの違う相馬くんの目に触れることがあっただろうか……
私がグループの輪に入れずにモジモジしていたから、それを見かねてのハッタリ?
そんなことを考えたりもしたが、それは単なるきっかけに過ぎない。あの出来事がなくても、私はきっと相馬くんを好きになっていたんだろうなと、今ではハッキリそう思う。
◇
「望結はいつになったら相馬 遥希に告るの?」
同じクラスの親友の琴音が、メロンパンにかぶり付きながら私に尋ねた。
私は、焼きそばパンを頬張りながら「……今日かな」とボソリと小さく呟いた。
「でた、告る告る詐欺」と、琴音が苦笑する。
「し、仕方なくない? 私だよ? チキンだよ?」と、私は言い訳。
「そこはグイグイ押さないと! チキンな望結には羽那ちゃん特製の鶏肉のザンギをあげましょう」と、最近バレー部の先輩と付き合い始めたリア充の羽那が、私の口の前にザンギを差し出した。
私はそのザンギにパクっと食いついた。
「はい、チキン食べたのでチキンさんはサヨウナラ~」と、満面の笑みを浮かべてから「まずは伝える。そして、諦めない! 押して押して押して、ダメなら引いてみる。それでもダメなら……その時はその時に考える!」
羽那は無邪気にそう言って、しり込みしている私の背中を押した。
琴音は眉を下げて呆れ顔をするが「まっ、頑張れ頑張れ~」とニカっと歯を見せて笑った。
私は鞄の中から取り出した薄桃色の封筒を、コートのポケットに忍ばせた。そして、好機を狙って、玄関先で相馬くんが出てくるのを待った。
学校からバス停に行くまでの間……もしくは、相馬くんと同じところでバスを降りて……
私が手紙を渡すタイミングをイメージしていると「じゃあ、望結、頑張ってね」と、琴音が幼馴染 兼 彼氏の悟くんと帰って行った。
寒空の下、玄関から出た二人は楽しそうに白い息を吐きながら肩を並べて歩いていく。
微笑ましいカップルだな……と、しばらく遠目に眺めていると、悟くんが琴音の手を自分のダウンジャケットのポケットの中に招き入れるのが見えた。
うぉぉぉ……
見ているこっちが恥ずかしくなり、なんだかとってもくすぐったい。私は口元を緩ませて、つい足をバタつかせてしまった。
よし! 何かわかんないけど、頑張ろう。
そう気合を入れていると、気づけば相馬くんが目の前を通り過ぎて、バス停に向かって行ってしまっていた。私は慌てて相馬くんの背中を追いかける。
ポケットの中に手を入れて、サラリと滑らかな紙の感触を確かめて、気持ちを奮い立たせる。
ドキドキドキドキ……
心臓がまた暴れ出す。
周りに他の生徒たちはいない。
今かな? ……今だよね?
「あの…….」
私はついに声をかけた。そしてもう一度「あの、相馬くん」と名前を呼ぼうとした時。
――――ズル!!
「ひゃっ!!」
相馬くんが振り返る瞬間、私の視界から相馬くんが消えた。
日中、気温が上がったのか、路面の氷が少し溶けて、所々にアスファルトが見えていた。だから私は完全に油断していた。
今朝の町内会長さんの言葉が、今さら頭の中でリフレインする。
氷の表面に薄っすら解けた水のせいで、私は激しく滑って宙を舞った。
私の視界は、除雪されて積まれた白い雪山と相馬くんを捉えていたはずだった。だが、あっという間に、空の青に浮かぶ薄いレモン色に染まった雲を仰いだ。そして、続けてビリビリっと何かが破れるような異様な音と、お尻に痛みを感じた。
それはあまりに一瞬の出来事だったのだが、どういうわけか、目に映るものがスロー再生するかのようだった。
それなのに、ドシンと体が地面に倒れ込んだ瞬間、自分に何が起こったのか、頭が真っ白になって理解できなかった。
「痛たた……」
「だ、大丈夫?」
空色と薄レモン色と白の世界に、相馬くんが現れた。
相馬くんは眉を下げて心配そうに私を見下ろす。そして、直ぐに相馬くんの表情が緩んだ。
「綾瀬さん……手! ぷくく……ポケット!」
相馬くんは笑いを堪えながら、私の体を指さした。
私は指さされた方へと視線を向けると、左手がコートのポケットを突き破って飛び出していた。
「えっ! 嘘……」
ポケットに手を入れたまま滑ってバランスを崩したため、咄嗟に動いた手があらぬ方向にエネルギーを発してポケットを突き破ったらしい。
私は、私に向けられた相馬くんの笑顔にドギマギしていたのだが、ポケットから飛び出した自分の左手を見て、突として現実へと引き戻された。
それはもの凄く滑稽で、私は恥ずかしくなり、慌てて左手をポケットから抜き出した。
シュルリ……
勢いよく引き抜いた拍子に、ポケットに入れていた薄桃色の封筒が相馬くんの足元へと飛び出した。
―――あ。
相馬くんは「なんか落ちたよ」と、薄桃色のそれを拾い上げた。
「手紙……?」
まさか、こんな風に相馬くんの手に渡るとは……
心臓が胸を突き破る勢いでバクバクいって、私はどうしていいかわからずに、相馬くんを直視できずに俯いた。
「笑ってごめん。大丈夫? あの、これ――」
相馬くんはそう言って、ほんの刹那、沈黙した。
「え? 俺……宛て?」
私はコクン、と小さく頷いた。
相馬くんはどんな反応をしている?
そう思いながら、恐る恐る相馬くんの方を見た。
すると相馬くんは、顔を真っ赤にさせて、チェックのマフラーを鼻が隠れるまで引っ張り上げて顔をうずめた。隠しきれていない耳までもが赤くなっている。
「不意打ち……」
相馬くんはそう言って、泳がせていた視線を私に向けた。そして顔をマフラーから出して、はにかんで笑った。
「綾瀬さん、やっぱり字が綺麗だ……帰ってから読んでいい?」
私は相馬くんの笑顔に悩殺されて、コクコクと首を縦にふるだけの人になった。
そんな私を見て、相馬くんはまたフフフっと笑い、手紙を自分のダウンジャケットのポケットに入れた。それから、私の目の前に手を差し出して、私はその手にグイッと引っ張り起こされる。
相馬くんがまた、急にフハハっと顔を背けて笑い出す。
「え? まだどっか変?」
「くくく……違っ……ごめん、それ見たらやっぱり可笑しくて」
相馬くんが指し示した破れたポケットに、私も視線を落として「だよね」と言って、へヘヘと笑う。
そして、互いに繋がれたままの手に気づいて、どちらともなく慌ててその手を離した。
私たちは照れを隠すように、バスが到着するまでの数分間、破れたポケットをネタに笑い続けた。
「私の字だけど……どこで見たの?」
「……さあ、内緒」
「えー……」
渡したかった私の想いは、ちゃんと相馬くんのポケットの中。
手紙を読んだ相馬くんは、明日、どんな顔で会ってくれるかな……
私は、相馬くんの眩しい笑顔を眺めて、ほんのちょっぴり期待に胸が膨らんだ。
その封筒は無地のもので、表面には自分史上最高に丁寧な文字で『相馬 遥希くんへ』と書いてある。
裏面の逆三角形の封じ口には、シーリングスタンプに見立てた赤いステッカー。ベタにハートのステッカーにしようかと迷ったのだが、あまりに気恥ずかしいのでやめることにした。
手紙は一カ月前に書いた私の八カ月間の想い。
ちなみに、これは三代目。
一代目は握りしめすぎて、ものの三日でシワシワのヨレヨレになってしまい、二代目は角がすり減り、みすぼらしくなってしまった。とても渡せるような代物ではなくなってしまったので、昨日新たに書き直したのだった。
震える手をどうにか落ち着かせて、一文字一文字に気持ちを込めた。渡す瞬間のことを想像して、心臓がトクンとスキップするように高鳴った。
同じ内容のものを書くのは三度目のことなのに、ちっとも慣れてはくれなくて、相馬くんへの想いは日に日に膨れ上がっていく。
昨夜、手紙を書き終えた時には明日こそ渡すんだ! と、意を決したはずだったのだけれど……。
今日もまた、渡すことが出来なかった。
明日こそは……
私はそう心に決めて、手紙の入った封筒を登校用の鞄の内ポケットにしまった。
ここ数日、気温の上がり下がりが激しく、路面はツルツルのアイスバーン状態。そこに昨晩、薄っすらと雪が積もったせいでつい油断してしまう。
「今日も滑るから、気をつけてな……日中も気温上がるらしいから、それはそれでまた滑るから」
登校途中、少しだけ傾斜になっている場所に、町内会長さんが滑り止め用の砂を撒いてくれていた。
「うん、ありがとうございます。会長さんも」
会長さんの忠告を頭に置いて、氷が見えない所でも、小股でチョコチョコと足をスライドさせて歩く。足の底全体が地面に着くように、そして少し小走りくらいの方が逆に転びにくい。十六年……いや、二足歩行ができるようになってから十五年にもなると、北国で育った者ならば、滑る冬道の歩き方くらい心得ている。
油断なんかしないもん……
周りの車と足元に神経を集中させて、どうにか無事にバスに乗り込み、ふぅ〜と、緊張を解いて外を眺めた。
朝日のオレンジを反射させた家々、冬木には雪の蕾。飛んできたカラスが電線にとまり、薄っすら積もっていた雪がハラリと零れ落ちる。その落ちてきた雪が、朝日に照らされて煌めいた。
寒い冬は大嫌いなのだが、雪が降った翌朝の晴れた日に見せる幻想的な景色は、どう頑張っても嫌いにはなれない。
七つ目のバス停。いつも相馬くんが乗ってくる停留所。
鞄から手鏡を取り出して、私は前髪を整えた。
相馬くんの姿を確認する前から、ドキドキと私の心臓は早鐘を打つ。そして、チェックのマフラーに顔をうずめた相馬くんがバスに乗り込んで来るのを目視して、私の心臓は口から飛び出しそうなほどに暴れだす。
あまりに凝視しすぎていたかもしれない。相馬くんと一瞬パチリと視線がかち合った。鼻の頭が赤くなっている相馬くんは、表情を変えることなく私に軽く会釈して、フイっと視線を逸らした。
ドキドキドキドキ……
私は鞄の中の手紙を意識して、いつまでも心臓は落ち着いてくれなかった。
クラスの違う相馬くんとは、委員会が一緒で、生活の注意を促すポスター作りで同じグループだった。
人見知りの私は、なかなかグループの意見交換の輪に入れずにいた。
「"ネクタイをしっかりと着けましょう"ってここに書いて、その下にネクタイの絵でよいんじゃない?」
「そうだなー……って、これ書いてる俺らもネクタイしてないけどね」
同じグループの子たちがケラケラと笑う。
「私、字へただからパス」
「俺も無理」
「絵はどうすんの?」
「ネクタイくらいなら描けるかも……でも字はちょっと無理」
「じゃあ、絵は任せる」
私と相馬くん以外の四人が話を進めていく。
誰一人知ってる人がいない上に、「私がやります」と自ら立候補することは「私、字には自信があります」と主張することになるような気がした。私の性格上、とてもじゃないが言い出すことはできなかった。
それでも何かやらないと……という気持ちはあって、「えっと、私……」と小声でモジモジする。すると、相馬くんが「綾瀬さん字、上手だよ」と皆に言った。それから「頼める?」と静かに私に尋ねた。
「綾瀬、字うまいんだ?」
「え~助かる!」
「字うまいのいいなぁ」
他のグループの子たちも相馬くんの発言に乗っかり、私はあっという間に輪の中に入っていた。
何の接点もなかった寡黙でクールな相馬くんが、私なんかの字を見てくれていたことに驚いた。そして、なんだか自分が認められたような気がして、すごく嬉しかった。
それから、気が付けばいつも相馬くんを目で追っていた。ごく稀に見せる笑顔が見られた時には、こそばゆい気持ちになり、その笑顔が自分に向けられたら……と想像して、私の心臓はドキンとスキップした。
相馬くんはどこで私の字を見たのだろう?
確かに私は小中学の頃から字を褒められることが多かった。だが、クラスの違う相馬くんの目に触れることがあっただろうか……
私がグループの輪に入れずにモジモジしていたから、それを見かねてのハッタリ?
そんなことを考えたりもしたが、それは単なるきっかけに過ぎない。あの出来事がなくても、私はきっと相馬くんを好きになっていたんだろうなと、今ではハッキリそう思う。
◇
「望結はいつになったら相馬 遥希に告るの?」
同じクラスの親友の琴音が、メロンパンにかぶり付きながら私に尋ねた。
私は、焼きそばパンを頬張りながら「……今日かな」とボソリと小さく呟いた。
「でた、告る告る詐欺」と、琴音が苦笑する。
「し、仕方なくない? 私だよ? チキンだよ?」と、私は言い訳。
「そこはグイグイ押さないと! チキンな望結には羽那ちゃん特製の鶏肉のザンギをあげましょう」と、最近バレー部の先輩と付き合い始めたリア充の羽那が、私の口の前にザンギを差し出した。
私はそのザンギにパクっと食いついた。
「はい、チキン食べたのでチキンさんはサヨウナラ~」と、満面の笑みを浮かべてから「まずは伝える。そして、諦めない! 押して押して押して、ダメなら引いてみる。それでもダメなら……その時はその時に考える!」
羽那は無邪気にそう言って、しり込みしている私の背中を押した。
琴音は眉を下げて呆れ顔をするが「まっ、頑張れ頑張れ~」とニカっと歯を見せて笑った。
私は鞄の中から取り出した薄桃色の封筒を、コートのポケットに忍ばせた。そして、好機を狙って、玄関先で相馬くんが出てくるのを待った。
学校からバス停に行くまでの間……もしくは、相馬くんと同じところでバスを降りて……
私が手紙を渡すタイミングをイメージしていると「じゃあ、望結、頑張ってね」と、琴音が幼馴染 兼 彼氏の悟くんと帰って行った。
寒空の下、玄関から出た二人は楽しそうに白い息を吐きながら肩を並べて歩いていく。
微笑ましいカップルだな……と、しばらく遠目に眺めていると、悟くんが琴音の手を自分のダウンジャケットのポケットの中に招き入れるのが見えた。
うぉぉぉ……
見ているこっちが恥ずかしくなり、なんだかとってもくすぐったい。私は口元を緩ませて、つい足をバタつかせてしまった。
よし! 何かわかんないけど、頑張ろう。
そう気合を入れていると、気づけば相馬くんが目の前を通り過ぎて、バス停に向かって行ってしまっていた。私は慌てて相馬くんの背中を追いかける。
ポケットの中に手を入れて、サラリと滑らかな紙の感触を確かめて、気持ちを奮い立たせる。
ドキドキドキドキ……
心臓がまた暴れ出す。
周りに他の生徒たちはいない。
今かな? ……今だよね?
「あの…….」
私はついに声をかけた。そしてもう一度「あの、相馬くん」と名前を呼ぼうとした時。
――――ズル!!
「ひゃっ!!」
相馬くんが振り返る瞬間、私の視界から相馬くんが消えた。
日中、気温が上がったのか、路面の氷が少し溶けて、所々にアスファルトが見えていた。だから私は完全に油断していた。
今朝の町内会長さんの言葉が、今さら頭の中でリフレインする。
氷の表面に薄っすら解けた水のせいで、私は激しく滑って宙を舞った。
私の視界は、除雪されて積まれた白い雪山と相馬くんを捉えていたはずだった。だが、あっという間に、空の青に浮かぶ薄いレモン色に染まった雲を仰いだ。そして、続けてビリビリっと何かが破れるような異様な音と、お尻に痛みを感じた。
それはあまりに一瞬の出来事だったのだが、どういうわけか、目に映るものがスロー再生するかのようだった。
それなのに、ドシンと体が地面に倒れ込んだ瞬間、自分に何が起こったのか、頭が真っ白になって理解できなかった。
「痛たた……」
「だ、大丈夫?」
空色と薄レモン色と白の世界に、相馬くんが現れた。
相馬くんは眉を下げて心配そうに私を見下ろす。そして、直ぐに相馬くんの表情が緩んだ。
「綾瀬さん……手! ぷくく……ポケット!」
相馬くんは笑いを堪えながら、私の体を指さした。
私は指さされた方へと視線を向けると、左手がコートのポケットを突き破って飛び出していた。
「えっ! 嘘……」
ポケットに手を入れたまま滑ってバランスを崩したため、咄嗟に動いた手があらぬ方向にエネルギーを発してポケットを突き破ったらしい。
私は、私に向けられた相馬くんの笑顔にドギマギしていたのだが、ポケットから飛び出した自分の左手を見て、突として現実へと引き戻された。
それはもの凄く滑稽で、私は恥ずかしくなり、慌てて左手をポケットから抜き出した。
シュルリ……
勢いよく引き抜いた拍子に、ポケットに入れていた薄桃色の封筒が相馬くんの足元へと飛び出した。
―――あ。
相馬くんは「なんか落ちたよ」と、薄桃色のそれを拾い上げた。
「手紙……?」
まさか、こんな風に相馬くんの手に渡るとは……
心臓が胸を突き破る勢いでバクバクいって、私はどうしていいかわからずに、相馬くんを直視できずに俯いた。
「笑ってごめん。大丈夫? あの、これ――」
相馬くんはそう言って、ほんの刹那、沈黙した。
「え? 俺……宛て?」
私はコクン、と小さく頷いた。
相馬くんはどんな反応をしている?
そう思いながら、恐る恐る相馬くんの方を見た。
すると相馬くんは、顔を真っ赤にさせて、チェックのマフラーを鼻が隠れるまで引っ張り上げて顔をうずめた。隠しきれていない耳までもが赤くなっている。
「不意打ち……」
相馬くんはそう言って、泳がせていた視線を私に向けた。そして顔をマフラーから出して、はにかんで笑った。
「綾瀬さん、やっぱり字が綺麗だ……帰ってから読んでいい?」
私は相馬くんの笑顔に悩殺されて、コクコクと首を縦にふるだけの人になった。
そんな私を見て、相馬くんはまたフフフっと笑い、手紙を自分のダウンジャケットのポケットに入れた。それから、私の目の前に手を差し出して、私はその手にグイッと引っ張り起こされる。
相馬くんがまた、急にフハハっと顔を背けて笑い出す。
「え? まだどっか変?」
「くくく……違っ……ごめん、それ見たらやっぱり可笑しくて」
相馬くんが指し示した破れたポケットに、私も視線を落として「だよね」と言って、へヘヘと笑う。
そして、互いに繋がれたままの手に気づいて、どちらともなく慌ててその手を離した。
私たちは照れを隠すように、バスが到着するまでの数分間、破れたポケットをネタに笑い続けた。
「私の字だけど……どこで見たの?」
「……さあ、内緒」
「えー……」
渡したかった私の想いは、ちゃんと相馬くんのポケットの中。
手紙を読んだ相馬くんは、明日、どんな顔で会ってくれるかな……
私は、相馬くんの眩しい笑顔を眺めて、ほんのちょっぴり期待に胸が膨らんだ。