居間の端に設置した小さな仏壇にお供物を欠かさないように注意をしたが,生菓子や果物は何度も腐らせてしまった。

 妻がいたらそんなことはなかっただろうが,妻の遺影の下の置かれたお供物はどこか侘しく,いつも線香の灰が散って汚れていた。

 下着や靴下をどこで買えばいいのか,自分のサイズもよくわからないまま適当に買って何度も失敗した。洗濯も洗剤の量を何度も間違え,柔軟剤をどうやって使ったらよいのかもわからなかった。

 社会人になってからの思い出といえば,すべて仕事のことで,自分の息子よりも部下の顔がすぐに浮かび,妻の笑顔といえば若い頃の顔しか思い出せなかった。

 住宅ローンの返済が終わった家族と過ごすために建てた一軒家の思い出もなく,こうして独りで家のなかでどこになにがあるのかを探す日々に胸が締め付けられ,仕事を離れ歳とともに誰もいない広い家のなかで孤独に耐えられる自信がなくなっていった。

 家のなかの何もないところで転んで怪我をしても,絆創膏を貼るくらいしかできず自分がいかに仕事以外何もできないかを思い知らされた。

 夜になるといつから替えていないのかわからない変色したシーツの上で横になり,意味もわからず溢れ出す涙を湿った枕で受け止めた。

 涙が止まらなくなると家のなかを徘徊するように歩き回り,息子の部屋に入って壁に飾られている小学生のころに描いた絵を眺めたり,台所に立ってかつて妻が見た景色を想像した。

 満足に食事をとらないせいか,日に日にひどく痩せ細っていったがそれを注意する者も気にかける者もおらず,自分自身でも痩せていくことに気がついていなかった。

 いつの間にか髭を剃ることを忘れ,髪の毛は脂でベトつき,歯を磨くことも度々忘れたが朝起きて顔を洗うことだけは何故か忘れずに習慣になっていた。

 脱ぎ散らかした洗濯物もどれが洗ってあって,どれが着ていたものかがわからず放置するようになった。

 唯一,年金の受給とお金の計算の時だけは頭が冴え,現役で仕事をしていたときと同じようにしっかりと対応ができた。