こうしてクワンは、泰地と共に日本での数日間の充実した旅を終えタイへ戻った。
それからというもの、週末には泰地とクワンは二人で実家の母の元を訪ね、餅づくりを手伝ったり、馬に乗りに行ったりと、都会と田舎での生活を交互に楽しむようになった。ある日、クワンが提案した。
「ねぇ泰地、母の実家で餅つきをやってみない?」
クワンは日本滞在中に、近所の人たちに交じって餅つき大会に参加した。出来立ての餅を焼いて、海苔を巻いて醤油をつけて食べた餅の美味しさが忘れられなかった。次の週末に行われる実家の村祭りの日に、近所の子供たちと一緒に餅つき大会をやろうと提案してきたのだ。
「餅つきかぁ‥‥‥いいなぁ!」
クワンの「餅つき大会」のアイデアに賛成した泰地は、すぐにバンコクに本部のある日本人会の友人に頼み、日本式の餅つきの用具一式とミニトラックを借りてクワンの実家へ向かった。
準備が整った祭の当日、二人は早朝から店先に大きな臼と杵を用意した。近所の人々も興味津々で手伝ってくれた。店の前の通りは色鮮やかな飾り付けが施され、広場にはコンサートや寸劇のステージが準備され、祭りの雰囲気をさらに盛り上げていった。
杵を振り下ろす泰地の姿に、集まった子供たちは目を輝かせ、「やらせて!」と次々に挑戦していく。クワンも手伝いながら子供たちに声をかけ、「こうやって、力を入れてね!」と励ましていた。泰地の「よいしょ!」という掛け声を真似て一緒に「よいしょ!よいしょ!」と声を上げる子供たちに近所の人たちからも歓声が巻き起こった。
その光景を見ていたクワンの母が、泰地の肩に手を置きそっと話しかけた。
「泰地さん、私の母があなたのお爺さんから授かった餅を、今こうして子供たちが美味しそうに食べてくれいる、本当にありがとう。母も喜んでいることと思います‥‥‥」
店先には餅を焼いた香ばしい匂いが漂って、日本の伝統的な餅や、クワンの発案で作った、タイの色とりどりのフルーツを使った餡の新作の大福餅が並び、昼過ぎには地元のお客さんが増えて、気さくな地元の人々と笑い合う時間を泰地は楽しんだ。
鉄道の駅の方からC56蒸気機関車が、正面に日本とタイの国旗を掲げて、甲高い汽笛を鳴らしやってきた。夜になって、この祭りのメインイベントでもある、鉄橋が爆破されるシーンを模した寸劇や、貨物列車を引いた蒸気機関車が、ライトアップされた鉄橋を渡る出し物が始まった。地元の人や都会からの旅行者も楽しそうに盛り上がっている。
祭りの熱気が最高潮に達したころ、一人の杖を突いた老人が家族に支えられながら、ゆっくり近づいて来た。背は曲がり、杖をついているものの、鋭い眼差しが輝いている。その老人は泰地を見つめ、声を震わせながら呼びかけた。
「サトー、サトー!…戻って来たのか?」
泰地は驚いて振り向いた。
老人は泰地をじっと見つめながら、「サトー…戻って来たんだな」と静かに呟いた。
その老人は、かつて泰三と親しくしていたタイ人の元衛生兵で、当時、泰三と一緒にマリーの店へ餅を買いに通っていた仲だったのだ。
泰地はその話を聞き、感慨深い気持ちで老人に向き直り、敬礼をしながらにっこりと微笑み、
「はい、戻ってまいりました!佐藤であります!」と敬礼をして応えた。
老人は少し震える手で杖を振り上げ、懐かしそうに目を細め、「ヨートー!ヨートー!」としわがれた声で叫んだ。
祭りのクライマックスで花火が夜空を彩る中、永遠の約束を交わした。泰三とマリーが築いた絆を、今度は自分たちが受け継いでいくのだという誓いを込めて…
---それから5年
タイと日本を繋ぐ「笑顔の和菓子店」は、地元の人々だけでなく観光客にも愛される名店となっていた。泰地とクワンの作る大福餅は、「マリーの幸せの餅」として評判を呼び、二人の名前と物語が伝説のように語られている。店の奥には、小さな展示コーナーが設けられ、泰地の祖父、泰三とクワンの祖母、マリーの写真や、当時の餅を作る道具などが飾られていた。
ある日、幼い女の子が展示を眺めながら、母親に小さな声で尋ねる。
「この写真の人たちも、お餅を作っていたの?」
母親は微笑みながら答える。
「そうよ。この人たちは、違う国で生まれたけど心が通じ合ったんですって。そして、こうやって私たちにもお餅を残してくれたのよ。」
その会話を耳にした泰地とクワンは、静かに目を合わせて微笑む。
「私たちの大福は、ただの食べ物じゃなくて、きっと心を繋ぐものなんだね。」
クワンがそう呟くと、泰地はそっと彼女の手を握りながら頷く。
その夜、二人は店のテラスで満月を見上げていた。満月は、二人の祖先が戦争の時代に見ていたのと同じ美しい光を放っていた。泰地はクワンに語りかける。
「祖父たちが築いた絆は、僕たちに希望をくれた。これからもこの店を通じて、どんな人にもその希望を届けたい」
クワンは泰地の肩にもたれながら、静かに呟く。
「そして、いつか私たちの子供たちが、この光を受け継いでくれる日が来るわね」
展示コーナーの写真の中で、かつての二人も微笑んでいるように見えた。
こうして、大福餅に込められた「マリーの幸せの餅」は、二人の手から未来の世代へと受け継がれていった……
(完)
あとがき
この物語を語るきっかけとなったのは、あるタイのニュース記事に掲載された、一人の日本軍の軍医とタイの菓子売りの女性の物語でした。戦火が広がる中で出会い、わずかな時間を共にしながらも深い絆で結ばれた二人の姿に、筆者は心を奪われたのでした。異なる国と文化を背負った二人が、日本の伝統和菓子の『大福餅』というささやかなつながりを通じて、お互いに愛と希望を見いだしたその話は、遠い昔のから現在に繋がる奇跡のように思えたのです。
日本の教科書では教わらない、多くの愛や友情が戦争という無情の波にのみ込まれていったことでしょう。それでも人々の心にはその温かな記憶が息づき、それが次の世代に受け継がれていることを知り、筆者は大きな感動を覚えました。
この物語では、そんな二人の出会いと絆を元に、フィクションとしてのファンタジーの要素を交えながら、現代へとつながる物語を紡ぎました。彼らが夢見た未来が、どれほどの困難を越えてでも叶えられたなら――そんな願いを込めて。
私たちは、時に日常の中で他人とのつながりの尊さを忘れがちです。しかし、たとえ異なる国に生まれたとしても、心が通い合う瞬間がある。その尊さを、この物語を通じて少しでも感じ取っていただけたら幸いです。
最後まで読んでくださった皆さまへ、深く感謝を申し上げます。そして、この物語が、あなたの人生に小さな甘い奇跡をもたらしてくれることを心から願っています。
それからというもの、週末には泰地とクワンは二人で実家の母の元を訪ね、餅づくりを手伝ったり、馬に乗りに行ったりと、都会と田舎での生活を交互に楽しむようになった。ある日、クワンが提案した。
「ねぇ泰地、母の実家で餅つきをやってみない?」
クワンは日本滞在中に、近所の人たちに交じって餅つき大会に参加した。出来立ての餅を焼いて、海苔を巻いて醤油をつけて食べた餅の美味しさが忘れられなかった。次の週末に行われる実家の村祭りの日に、近所の子供たちと一緒に餅つき大会をやろうと提案してきたのだ。
「餅つきかぁ‥‥‥いいなぁ!」
クワンの「餅つき大会」のアイデアに賛成した泰地は、すぐにバンコクに本部のある日本人会の友人に頼み、日本式の餅つきの用具一式とミニトラックを借りてクワンの実家へ向かった。
準備が整った祭の当日、二人は早朝から店先に大きな臼と杵を用意した。近所の人々も興味津々で手伝ってくれた。店の前の通りは色鮮やかな飾り付けが施され、広場にはコンサートや寸劇のステージが準備され、祭りの雰囲気をさらに盛り上げていった。
杵を振り下ろす泰地の姿に、集まった子供たちは目を輝かせ、「やらせて!」と次々に挑戦していく。クワンも手伝いながら子供たちに声をかけ、「こうやって、力を入れてね!」と励ましていた。泰地の「よいしょ!」という掛け声を真似て一緒に「よいしょ!よいしょ!」と声を上げる子供たちに近所の人たちからも歓声が巻き起こった。
その光景を見ていたクワンの母が、泰地の肩に手を置きそっと話しかけた。
「泰地さん、私の母があなたのお爺さんから授かった餅を、今こうして子供たちが美味しそうに食べてくれいる、本当にありがとう。母も喜んでいることと思います‥‥‥」
店先には餅を焼いた香ばしい匂いが漂って、日本の伝統的な餅や、クワンの発案で作った、タイの色とりどりのフルーツを使った餡の新作の大福餅が並び、昼過ぎには地元のお客さんが増えて、気さくな地元の人々と笑い合う時間を泰地は楽しんだ。
鉄道の駅の方からC56蒸気機関車が、正面に日本とタイの国旗を掲げて、甲高い汽笛を鳴らしやってきた。夜になって、この祭りのメインイベントでもある、鉄橋が爆破されるシーンを模した寸劇や、貨物列車を引いた蒸気機関車が、ライトアップされた鉄橋を渡る出し物が始まった。地元の人や都会からの旅行者も楽しそうに盛り上がっている。
祭りの熱気が最高潮に達したころ、一人の杖を突いた老人が家族に支えられながら、ゆっくり近づいて来た。背は曲がり、杖をついているものの、鋭い眼差しが輝いている。その老人は泰地を見つめ、声を震わせながら呼びかけた。
「サトー、サトー!…戻って来たのか?」
泰地は驚いて振り向いた。
老人は泰地をじっと見つめながら、「サトー…戻って来たんだな」と静かに呟いた。
その老人は、かつて泰三と親しくしていたタイ人の元衛生兵で、当時、泰三と一緒にマリーの店へ餅を買いに通っていた仲だったのだ。
泰地はその話を聞き、感慨深い気持ちで老人に向き直り、敬礼をしながらにっこりと微笑み、
「はい、戻ってまいりました!佐藤であります!」と敬礼をして応えた。
老人は少し震える手で杖を振り上げ、懐かしそうに目を細め、「ヨートー!ヨートー!」としわがれた声で叫んだ。
祭りのクライマックスで花火が夜空を彩る中、永遠の約束を交わした。泰三とマリーが築いた絆を、今度は自分たちが受け継いでいくのだという誓いを込めて…
---それから5年
タイと日本を繋ぐ「笑顔の和菓子店」は、地元の人々だけでなく観光客にも愛される名店となっていた。泰地とクワンの作る大福餅は、「マリーの幸せの餅」として評判を呼び、二人の名前と物語が伝説のように語られている。店の奥には、小さな展示コーナーが設けられ、泰地の祖父、泰三とクワンの祖母、マリーの写真や、当時の餅を作る道具などが飾られていた。
ある日、幼い女の子が展示を眺めながら、母親に小さな声で尋ねる。
「この写真の人たちも、お餅を作っていたの?」
母親は微笑みながら答える。
「そうよ。この人たちは、違う国で生まれたけど心が通じ合ったんですって。そして、こうやって私たちにもお餅を残してくれたのよ。」
その会話を耳にした泰地とクワンは、静かに目を合わせて微笑む。
「私たちの大福は、ただの食べ物じゃなくて、きっと心を繋ぐものなんだね。」
クワンがそう呟くと、泰地はそっと彼女の手を握りながら頷く。
その夜、二人は店のテラスで満月を見上げていた。満月は、二人の祖先が戦争の時代に見ていたのと同じ美しい光を放っていた。泰地はクワンに語りかける。
「祖父たちが築いた絆は、僕たちに希望をくれた。これからもこの店を通じて、どんな人にもその希望を届けたい」
クワンは泰地の肩にもたれながら、静かに呟く。
「そして、いつか私たちの子供たちが、この光を受け継いでくれる日が来るわね」
展示コーナーの写真の中で、かつての二人も微笑んでいるように見えた。
こうして、大福餅に込められた「マリーの幸せの餅」は、二人の手から未来の世代へと受け継がれていった……
(完)
あとがき
この物語を語るきっかけとなったのは、あるタイのニュース記事に掲載された、一人の日本軍の軍医とタイの菓子売りの女性の物語でした。戦火が広がる中で出会い、わずかな時間を共にしながらも深い絆で結ばれた二人の姿に、筆者は心を奪われたのでした。異なる国と文化を背負った二人が、日本の伝統和菓子の『大福餅』というささやかなつながりを通じて、お互いに愛と希望を見いだしたその話は、遠い昔のから現在に繋がる奇跡のように思えたのです。
日本の教科書では教わらない、多くの愛や友情が戦争という無情の波にのみ込まれていったことでしょう。それでも人々の心にはその温かな記憶が息づき、それが次の世代に受け継がれていることを知り、筆者は大きな感動を覚えました。
この物語では、そんな二人の出会いと絆を元に、フィクションとしてのファンタジーの要素を交えながら、現代へとつながる物語を紡ぎました。彼らが夢見た未来が、どれほどの困難を越えてでも叶えられたなら――そんな願いを込めて。
私たちは、時に日常の中で他人とのつながりの尊さを忘れがちです。しかし、たとえ異なる国に生まれたとしても、心が通い合う瞬間がある。その尊さを、この物語を通じて少しでも感じ取っていただけたら幸いです。
最後まで読んでくださった皆さまへ、深く感謝を申し上げます。そして、この物語が、あなたの人生に小さな甘い奇跡をもたらしてくれることを心から願っています。