エピローグ

 僕の記録を見てきたってことは、君もこの世界に呪いがあるって知ってしまったんだね。くれぐれも悪用などしないように。まあ、君が僕の呪いと出会うことはないのだろうけれど。

 何年経ったのかすら忘れた。数百年のようにも、つい最近のようにも感じられる。坂野の体に異変が起きた。
 ズキ、と痛む胸と現れた冥界の王。坂野は一瞬にして全てを悟った。
「わたしの負けだ、小僧」
「……っ、約束は忘れてないだろうね?」
「腐ってもわたしは冥界の王だ。約束は守ろう」
 坂野の体が逆巻いていく。若く若く幼く、赤子に……――
 坂野は勝った、その生涯をかけて呪いを断ち切らんとした想いが、あるいは坂野の死を、救済を願う人々の想いが。そして、正友の、花江の思いが。
 人間を呪うのは人間に他ならない。しかし、人間を救うのもまた、人間なのだ。
 坂野が助けた人間たちの想い、呪詛るんに書かれた呪詛の力、そして自身の死を強く願った坂野の心、どれが欠けても坂野の悲願は叶わなかっただろう。
 坂野の願いは聞き入れられた。神なんてものは存在しない、願いを叶えるのはいつだって、人間の強い心だ。
 そうして坂野は死んだ。死んだ、というよりは、この世界から『消えた』。坂野が生まれてこなかった世界、それこそが全ての解、坂野が望んだ結末だった。

 世界は平和だ。呪詛や霊力の無くなった世界で、人々は幸せに暮らしている。
 武雄は春斗に妬まれ僻まれ、春斗の謀略によりいじめに遭った。いじめは日に日にエスカレートしていき、武雄はいじめを苦に自殺した。武雄が自殺したことでいじめが明るみに出て、春斗は社会的制裁を受けるに至った。
 一井は先輩に勧められた阿漕な商売に手を出したものの、騙した客のひとりに恨まれ、殺された。
 愛は言われなき逆恨みにより、見知らぬ女に殺された。通り魔である。そして愛を殺した女は当然、逮捕され人生を失った。
 円は過激な芸風を非難され、やがて自宅に嫌がらせが続くようになる。さしもの円も、毎日、毎日毎日繰り返された嫌がらせに、とうとう心が擦り切れた。芸能界を引退したものの嫌がらせは生涯続き、円の心が休まることはなかった。
 幸喜は魔術や霊力に傾倒しすぎて、学校でも浮いた存在になってしまう。他人となじめず悩んで、いじめを苦に自殺する。
 相野武は善悪の分別がつかず、多くの人間と摩擦を起こす。自己顕示欲が悪い方向に向かい、やがて武は身を亡ぼす。
 若菜は母子家庭の苦しさから、不法な商売に手を出した。詐欺罪で捕まった若菜は、当然その後の人生がうまくいくわけもなく、逮捕と釈放を繰り返し、誰にも相手にされない人生を送ることとなる。
 八戸みこと、彼女は明子を恨むあまり、とうとう明子に手をあげる。殺人まではいかなかったものの、殺人未遂で逮捕され、前科つきの人生で周りからの風当たりも強く、一家もろとも転落した人生で幕を閉じる。
 ストーカーに悩まされていた達也は、あやみによって逆恨みにより殺された。
 そして正友は、生まれてこなかった。花江の人生は坂野がいてこそのものである。花江の人生が転落すれば、おのずと正友は生まれてこない。
 花江は周りの人間より少しだけ勘の鋭い女の子だった。ゆえに、少しのズルをしても周りにばれず、一見華やかな人生を送った。その反面、いつも心の空虚感はぬぐえず、結果的に生涯独身を貫いた。花江の華やかな人生は、虚構で塗り固められたむなしいものであった。
 エドガーは霊力なく産まれてくるも、勘の良さは変わらなかった。だからエドガーは、この世界に疑問を抱いた。なにかがおかしい、この世界にはなにかが欠けている。
 エドガーはあらゆる書物を読んだ。今は廃れた魔術師のこと、日本の式神や霊力のこと。
 そうしてエドガーは――
「アナタは式神か?」
「わたしを呼び出すとは。なかなか骨のある小僧だ」
 いつの世にもイレギュラーな人間は存在する。霊的干渉がなくなった世界で、果たしてエドガーは、再び冥界の王を呼び出した。
 今年は閏年と月食が重なる、大天体ショーが話題となっている稀な年であった。古来より月食と霊力の関わりは深い。加えて、閏年というイレギュラーが付加されて、月が欠けたわずか一時間のその隙間、世界から消えたはずの霊力が、僅かばかり復活した。月は霊力のバランスを崩す。占いに星を用いるのは、理にかなったことである。星と霊力には密接な関係がある。
 エドガーはそれを突き止めて、この日に備えて様々な準備をしてきた。願うはひとつ。
「この世界に、霊的な力を与えることは可能なのか?」
「くっく」
「なにを笑っている」
「いや。『アイツ』の苦労が、こんなに簡単に無駄になるとはな」
 しかして、再び世界には霊力が戻った。むろん、呪いも。

 坂野が望んだ世界で、全ての人間が幸せに暮らせるとは限らない。
 呪詛るんの存在が人々の悪意を肩代わりしていた部分は否めない。他人への妬み嫉みを、呪詛るんに書き込むことで解消していた。それが無くなれば当然、悪意は直に他人に向けられる。
 それは坂野にも分かっていた。それでも、呪詛るんをこの世界から、霊力をこの世界から消すことは、坂野の願いであり希望であった。
 どうか坂野が消えた世界では、皆が幸せになりますように。その願いは、呆気なく崩されてしまった。もしかするとそれが、呪詛るんを開発した坂野への、本当の罰なのかもしれない。

 ひとの業は深い。
 犯した罪は、未来永劫許されることはない。

***

 ねえねえ知ってる? アプリに裏キーを入力すると、丑の刻参りアプリっていうのと繋がるんだって。そこに呪いたい人間の名前を書き込んで五寸釘を打ち込むと、その人は呪われちゃうんだって。すごくない? 私? 私は使ったことないよぉ。まさか。アナタに話すってことが、使ってないって証明だからね?
 裏キーを知りたいって? 仕方ないなぁ。他の人にはナイショだよ。裏キーの番号は――