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何度も何度も、コンビニの入退店の音楽が片耳から片耳へ流れていく。
車での一件のあとも澤木さんもいつもと変わらず、私に接してきた。
残業はせずに、十六時半に早上がりして、そういえば火曜日と木曜日はいつも早く退勤していたなと気づいて、子どもを預け先から迎えに行く担当の日だったのかもしれない、と初めてその可能性を思った。
<昼間はごめんなさい。今年あと一度くらいはふたりで会いたい>
彼の退勤後すぐにショートメッセージを送ったけれど、返事はすぐには来なかった。鞄の奥底にスマホを押し込んで、私も澤木さんが退勤した一時間後には会社を出た。
そのまま帰ればよかったけれど、自分が何をしでかすのかもう分からなくって、自分の地盤がぐらぐらと揺らいでいて、そういう自分にも一気にとても疲れてしまって、いつもとは違う地下鉄に気持ちより身体が先に乗り込んでいた。
二十分ほど揺られて降りたのは、大学生の時に住んでいた街で、四番出口をあがってすぐのところにある行きつけだったコンビニに私は入った。
大学生の時、不倫、なんてファンタジーに近い言葉だった。
斜め後ろから手が伸びてきて、プリンが見事選ばれる。振り返りはせずに一歩ずれて、プリンがあった場所の隣に所狭しと並べられている不人気のレーズンサンドを二つ手に取って、レジまで行った。
四七六円をカードで支払っているあいだに、タイミングよく、四股もそうだな、とひらめく。四人も恋人を掛け持ちしたら、お相撲さんの迫力のある所作と重なってしまう。愛人もそう。恋よりも愛の方が真っ当な気もするけれど、恋人と愛人ではえらい違いだ。そういうのは全て日本語のバグ。
こんな日に限って、頭が冴えている。
コンビニを出ると、しとしとと雪が降っていた。
今日はオールだろ絶対、俺明日一限あるってー、サボれサボれ。後ろを変な髪色の大学生たちが通過して、ジャンカラに入っていく。
サボりとかオールとか、とにかく言いたいお年頃だ。私にもあった。
懐かしかった。まだ、今よりは、正しかったあの頃。
頭は冴えている。でも、泣けと言われたら今すぐ号泣できてしまうな。死ねと言われたら、駅まで戻って、来た地下鉄に突っ込んで死ねるかも。ああ、でも、だめだ。それができないように、飛び降り防止のゲートがある。それに、死んだって、何したって、別に自分がやったことがなくなるわけではない。
償いたいわけでもないのかもしれなかった。
反省もしていない。今更、反省なんてしてはいけない。
相手方を恨むことだってできてしまうような人間だ。澤木さんに子どもさえできていなければ、もしかしたら。私の方が奥さんより先に出会っていれば。澤木さんの奥さんと子どもが不慮の事故でいきなり死んだらあとはもう。そういうことを思えてしまう。自分の思考や態度に、死んだほうがいいよ、と思う。
凍てつくような風が吹く中で、懐かしい通りを早足で歩いて、私が向かったのは動物園のすぐ近くのマンションだった。
すたすた歩いてはいるものの、ここにくるのは実に三年半ぶりで、前に来たのは、はじめて入った会社で心を病んで、死んだほうがいいよ、ではなく、死んで楽になりたい、と思っていた時だった。
ああもうおしまい、自分の魂を撤収させなければ、と思った時に、頼れてしまう人が、私にだってこの世界にいる。
でも、何のアポもとらずに来てしまったな、出かけていたら、まだ大学にいたら、そうしたら私どうすればいいのだろう。そう思ったけれど、連絡をとるために、鞄の底からわざわざスマホを取り出したくなかった。
そもそも引っ越した可能性だってある、と自分の後先考えない行動にようやくうんざりしながらも、覚悟を決めて、目的地であるマンションの105号室の呼び鈴を鳴らすと、その数十秒後に、扉が開く。
顔をのぞかせたのは、お目当ての、顔色のあまりよくないひょろりとした男だった。
赤の他人が出てこなかったことに胸をなでおろしながら、「いきなりごめん」と一応謝ると、男はまだ状況を掴めていないのかぽやぽやとした頼りない表情で、数秒停止して、それから「とりあえず、入りなよ」と困ったような顔で言った。
男に続いて玄関に入ると、室内なのに寒くて、「暖房けちってるの」と聞くと、「当たり前だよ」とうすい背中が即答した。だのに、男は私が部屋に入るとすぐに暖房をつけてくれて、くちゃくちゃになった毛布まで渡してきた。
男の部屋は前に来た時とはちっとも変わっておらず、典型的な研究者の部屋、だった。
本の山々と、散らかった机、テレビはなくて、食べかけの弁当が床にそのままになっていた。窓際の花瓶に活けられた淡い色の花だけが、秘密裏に美しい私生活、という感じがする、その男によるその男のためだけの部屋だった。
私は渡された毛布にくるまって窓辺まで行って、突っ立ったまま、男を見た。
「園山」
「ん?」
「なんで、ここに来たか聞かないの」
「今から聞こうとしてたけど。久しぶりっていうのが先か、考えてた。だって、三年ぶりくらいだろ」
「どっちも言えばいいのに」
「……じゃあ、久しぶり。野波、ちゃんと自分のこと守れて生きてた?」
あ、この人は変わらないんだ。何にも、ずっと、変わらずに善良で優しいままの人間なんだ。そう思った瞬間、身体から力が抜けてしゃがんでしまいたくなったけれど、そういう脱力すら許せなくて、私はぐっと足に力をいれて頷いた。
男――園山は、ならよかった、と幸の薄い下手くそな笑みを浮かべて、椅子に座った。
「研究、順調?」
「ぼちぼちかな。でも最近は、卒論の相談ばっかり受けてて自分のがまずくなってる」
「あ、そういう時期か」
「まあ、なんとかするけど。野波は? 順調? いろいろと」
「順調だったら、ここには来てない」
「それはそれで寂しいけど。でも、野波の場合はそうか。というか、本当に突然だよな」
そう言って、園山はちょっと変な感じで瞬きをした。
園山は、幸が薄そうだけれども、身体もとても薄いけれど、相変わらず、穢れに触れたことがないような美しい男だなと思った。私が知っている人間の中でいちばん洗練されているのが園山だった。
「仕事は順調。本当に、転職してよかったって思う。やりがいも、ある」
「でも、それだけじゃないから、俺のとこにいきなり来た、であってる?」
「あってる」
「俺が帰ってなかったら、どうしてたの。危ないよ。明日も仕事だろ。連絡くらいくれれば」
「スマホ、触りたくなかったから。ごめんね」
「家にいて本当によかった」
「ね。あと、園山が引っ越してなくて、よかった」
「大学を卒業するとき、言ったはずだけど。この街にいるうちは絶対にこの部屋にいるからねって、そしたら野波は、海みたいな場所だなって、いつでも帰れるってことか、みたいなこと言って」
「うん。覚えてる。でも、そういうのって、口で言うだけで満足できるものだから。三年前もたぶん同じような会話したよね」
「うん。した。なんか、そう思うと、全部あっという間だな」
園山と出会ったのは、大学三年生の時だった。
研究分野も近く、同じゼミに所属することになった彼とは、課題意識もとても似ていて、意気投合したことがはじまりだった。
園山は子どもがすきで、子どもの不幸が嫌い。
彼は口癖のように、全員がじゅうぶんに幸せにはなれないかもしれないけれど、もし不幸せな子どもがいたとして、その不幸せの全てがあなたの責任だというわけでは絶対にない、一緒に最善を尽くすからって、目を見て、ずっと伝えていたいんだと思う、と口にしていた。長くても覚えているのは、それくらい何度も何度も、彼がそう言っていたからだ。
自分と関わった人間全員に惜しみなく自分の優しさをあげようとするような男だったから、親しくなればなるほどに、私は園山によりかかり、他人を頼るっていうのはこういうことなんだ、と彼をもって知った。
それは今までの依存とは全く違うもので、命綱ではなく、お守りを握っているような感覚だった。今もその感覚は変わっていなくて、でも、もうここまできたら依存なのかもなとも少し思う。
二十二歳の私は就職を選び、園山は大学院を選び、でもそれからも私と園山の人生は交わるのだろうという確信があって、現にその通りになっている。
窓辺の花をじっと見下ろしていたら、また、スマホの画面に写る幼い子どもが頭に浮かんで、慌てて鞄からコンビニで買ったレーズンサンドを取り出す。
園山に渡すと、「俺、レーズン苦手なんだ」と言いながらも彼は一度はそれを受け取った。だけど、数秒後、「ごめん、せっかく買ってきてくれたんだろうけど。やっぱり、苦手だから美味しく食べられない」と申し訳なさそうな声と共にレーズンサンドが返ってきた。
なんなんだよと思いながら、何にも面白いことなんてないのに、可笑しくなってしまって、私は笑ってしまう。
そしたら、園山が子どもがとても好きなこと、ずっとだから子どもを不幸せから遠ざけるような居場所支援の研究をしていること、私だってとても好きだったこと、だれも不幸せになってほしくないのにそれよりも澤木さんを好きでいること、澤木さんに子どもがいること、その子は何も悪くないこと、でも子どもがいるかどうかなんて、そんなの関係なしにずっと不倫してたこと、こんな恋愛を続けるはずじゃなかったこと、こんなところで園山に謝ってもらう資格だって本当は自分にはないんだってこと、もう、こと、こと、こと、が一斉に自分に押し寄せてきて、いつの間にか、その場にしゃがみこんでしまっていた。
私だって別にレーズンサンドは好きじゃなくて、でも、売れ残っていて、可哀想で、それで園山とふたりで食べようと思って買ってきたのだった。
園山は、学生時代の後半、私のそばにいすぎたせいで、私の情緒が不安定で、いつもはひた隠しにしているけれど本当はジェットコースターみたいな人間なんだって知ってしまっているから、しゃがみこむ私に慌てて寄り添うなんてこともなく、椅子に座ったまま、黙っていた。
暖房の音だけがしばらく響き、私はレーズンサンドの食品表示をじっと睨みながら、思い切って息を吸いこんだ。
プリン、と言った。不倫、と言い直した。
「既婚者と付き合ってた」
澤木さんと私だけの、昼間の車内には希望なんてなかったから、失望もなかった。でも、ここには、ほんの少しは希望がある気がした。それは園山が私を評価してくれている部分が少なからずあるんじゃないかって自惚れかもしれないけれど、でも、私たちは終わっているような関係ではないから、ここにはやっぱり失望だってある気がして、少し怖かった。
「既婚者だって知ってて付き合ってたんだけど、付き合ってるんだけど、でも、まあいっかとか思っちゃってた。私は騙されているってことですむかなって。好きで、どうしてもかは分からないけど、本当に好きで、手放したくない、触れていてほしい、相手だった。でも、今日ね、とつぜん、相手に子どもがいるんだって知って、その子どもが二歳になるくらいなんだってことも知って、相手が、私が騙されているわけじゃなくて不倫だって分かってて付き合っていると知ってたってことも知って、だから相手は騙すことすらしてなかったわけで、なんか、なんか、どっちも、終わっているなと思って」
「うん」
「その子どもがね、いなかったらとか、死んだらとか、そういうことも考えちゃって、なんか、なんか、本当に終わってるなーって、でも、なにも悪いことしてないですって顔で地下鉄乗って、ここまできて、そしたら、歩きながら思い出した、本当にみんな、本当にみんなだよ、幸せになってほしいって願ってた時のこととか、だれも不当に悲しみませんようにって思いながら、卒論書いてた時のこととか、でも、その相手の子どもの不幸せの片棒をかついでるよな私って、それでも、全然平気なんだよなあって、今更、ごめんなさいとかしていいわけないし」
「……野波、いつの間に、そんなことになってたの」
「ね。なんか、大学卒業してから、失敗ばっかりしてる。メンタル病んで、仕事速攻で辞めて、園山に泣きついて、転職して、そこで恋愛したかと思えば、不倫で、知ってるくせにずっと続けてて、また園山のとこきて、本当に何してんだろうね」
「…………」
「いったん、殺して」
「え、無理。一緒に生きてたい」
汚い真実を告げたというのに、園山は本当に心の底から思っているような声音でそう言ってから少し間をおいて、「不倫のこと、俺に言いたくて、ここまで来た感じ?」と恐る恐ると言った口調で尋ねてきた。
そっと頷いたら、「言って、どうしたかったの?」と再び尋ねられたので、今度は首を横に振った。
園山の声は優しくて、五歳くらい精神年齢を引きずり降ろされるような不思議な力があるせいで私は甘えた気持ちになりながら、首を何度も横に振った。
澤木さんは、私にこんな一面があるだなんて思ったこともないだろう。園山にしかみせない、卑怯な私だった。
もう言いたいことはなくなってしまって、確かに私はどうしてここに来たのだろう、と考えながら、レーズンサンドの食品表示を睨み続けていたら、園山が椅子からおりて、私に近づいてきた。
見上げると、ペンとコピー用紙をもって、なだめるような表情で口元をぐにょぐにょさせている園山がいて、彼は、私のそばにしゃがみこんだ。それから、コピー用紙を床に置いて、そこにペンを走らせる。
歪な三角形があらわれて、なんだなんだと首を傾げると、「今、関わってる施設で暮らしてる高二の子に、教えてもらったんだけど」と園山が話し出した。
「どんなに歪な三角形でも、どんなに綺麗でも、醜くても、三角形である限り、ひとしく、それぞれの内角を三等分線を引いて、それぞれどっかの、ちょっとちゃんとした言葉忘れちゃったんだけど、とにかくな、どっかの交点を結ぶと正三角形ができるんだって。どんな三角形も、正三角形を内包しているらしい。正しさが、ひとしくある。モーリーの定理って呼ばれていて、その子はユーチューブで見たって言ってた」
ほら、と園山が、歪な三角形の内角を雑に三等分して線を伸ばす。そして交点をつないであらわれた三角形は、全然、正三角形には見えなかったけれど、きちんと行えば、きちんとした正三角形になるらしかった。
園山は、「俺、下手くそで駄目だね」と困ったように笑った後、私の顔をのぞきこむように見た。
善良な人間の言葉は、きれいごとじゃなくて、きれいだから、茶化すことだって私、できなくて、はじめてきちんと叱られたような気持ちになりながら、園山と視線を絡めた。
「その相手のことは俺、分からない。何か事情があってたとしても、不倫がいいとは言えないし。野波が既婚者と付き合ってたってことも、いまいち受け止めきれないって言うか。それがどれくらい悪いことかは、普遍じゃないし、俺には分からないし。でも、野波が野波の中で正しいってことを見つけたから、ここに来たんじゃないかなって、俺はすこし思うから。あなたはいつもそうな気がするから。だから、別に、悪いなって思うんだったら、ごめんなさいって思うことを自分に許したっていいじゃんって思うし、今更だろうがなんだろうが、正しくあろうとしたいなら、それを許したっていいじゃんとも思う」
「……モーリーと何か関係あるの?」
「はは、確かに。ないかも、悪い、ない、たぶん。でも、なんで俺がいきなりこの話を野波にしたかったかっていうと、別に、野波、死ぬほどのことはしてないし、罪悪感を抱くことに、罪悪感を抱いていたら、もう無限ループだから、いったん、最悪なことをしました、でもまだ終了できるか分かりません、でもいったん最悪なことをしましたって立ち止まれてはいます、でもいいんじゃないかなと思って。つまり、それが野波の善の部分っていうか、内にある正三角形の部分だから、それをなかったことには野波もできないんだよって、いいたくて。伝わってる?」
「あんまり」
「えー、あんまりか」
園山は困ったように目を細めた。あなたの目尻のしわ程度でいいから、私だって、本当は、もっとまともになりたい。
号泣しろと言われても、今は絶対に泣きたくなかった。でも、泣きそうだった。
嘘を吐いていた。伝わっている。十分、十分、伝わっている。
今日の昼間、澤木さんに子どもの写真を見せられた時、私は自分が大切に抱えようとしてきた悪事に、裏切られたと思ったんだ。揺らいだ。地震だった。
その地震は、良心を揺すって、揺すられた良心がはじめて恋愛よりも重くなった。天秤の、反対方向に、傾いた。その自分の一貫性のなさを、許してはいけないと思って、でも、許してもらいたくて、楽になるためにではなく苦しむために許してほしくて、ここまで、やってきたのだ。
「ほんとは、伝わってる」と、園山が描いた歪な三角形の中にある歪な正三角形を見つめながら呟くと、園山は「せっかくここまで来たんだから、学生の時にふたりでよく行ってた中華料理屋、今から行く?」と私の背をぽんぽんと叩きながら、言った。
絶対に泣きたくないのにそう思えば思うほどに泣きたくなってくる。我慢するために眉間にぐっと皺を寄せて頷いたら、園山は呆れたように笑って「ほんとはさ、こういうことになる前に、会いに来てほしいし、会いに行きたいから、今度はよろしく。友達なんだから」と先に立ち上がろうとした。でも、私は引き留めて、「お願いがあるんだけど」と図々しくまた園山をしゃがませる。
「見守っててほしい」
そう言って鞄の奥底からスマホを取り出して、澤木さんとのSMSの画面を開いた。
澤木さんからは一時間ほど前に、<俺もごめんね。もちろん会うよ>と返事が来ていた。
息子の存在を知って取り乱してもなお会いたいと澤木さんに送った私の愚かさをきちんと園山にも見てほしかった。そのうえで、今から私がすることを見守っていてほしかった。
園山は私の意図をくんでくれたのか、じっと私のスマホの画面を見下ろしていた。私は画面上に表示されているキーボードに触れ、一文字ずつ慎重に文字を打っていった。
<すみません。よく考えたんですけど、やっぱり息子さんがいるとなると、ちょっと重いので。もう個人的には会わないことにしたいです。急に気が変わって本当に申し訳ないですけど、このあたりで終わりで大丈夫です。ただ、澤木さんのことは、仕事の面ではとても尊敬しているので、これからは、ただの上司と部下としてお願いいたします。返信不要です>
こんなメッセージ一つで終われるとは全く思っていない。そんなに簡単なことじゃないって分かってる。
でも、今、終わろうと思えていた。好きだ。それは、本当だ。あなたに惹かれていた。でも、失望もし合えない関係に未来なんてなくて、未来なんてなくていい恋愛に今の私の全てを捧げ続けられるほどに、人生は長くない。不倫で、二十代の後半全てを費やして、何が残る?
打ち終わって、送信ボタンを押す。それからすぐにスマホの電源を落として、園山に視線を向けた。
「ありがとね、まあ、いったん、終わり」
「俺、何もしてないよ」
「園山の存在。園山は、いつもいつも、私の人生の大切な時に、ピリオドを打つ手助けをしてくれる」
「……俺じゃなくて、今回はモーリーじゃないか」
「ふは、そうかも。でも、園山、ありがとう」
園山は、ちょっと居心地が悪そうな顔で、どういたしまして、と言って、今度こそ立ち上がった。私も立ち上がる。身体が少し軽くなっているように感じた。
園山がいて、本当によかったなと思った。この世が、恋愛だけじゃなくて、本当に本当によかったなと思った。
「園山、この三角形の紙、もらっていい?」
「え、別にいいけど、作図失敗してるよ? 書き直す?」
「いいの。これを持ってたら、揺らがない気がする。揺らいだらまた園山に会いに来ていい?」
「全然いいけど、今度はほんとに連絡して」
「分かった。園山も、私にしてほしいことあったらいって。頼りないかもしれないけど」
「特にない。一緒に生きてるって思えるだけで、いい感じかもな。でも、もう少し、会いたいよ。それこそ、野波が元気な時とか。いつか、動物園にオットセイ見に行こ」
「はは、分かった。あと、今からの中華、私が奢る」
「うお、それはめちゃくちゃ嬉しい。金ないから」
園山が笑う。本当に幸の薄そうな笑顔。でも、安心する。明日、澤木さんと会った時、私は絶対に絶対に、園山の善良さのことを考えていようと思った。それから、自分の正三角形のこと。
モーリーの言う通りに、私は私の力でしてみせたい。