目の前にはうねうねとうねるような妖がいる。蔓植物が変化したもののようだ。
周囲には簡易結界が貼られていて、一般人はこの場所には入って来られない。
茜結珠は隣に立つ藤小路龍真に頷いて合図した。
蔓植物はゆるゆると結珠と龍真に蔓を伸ばしてくる。
足元にいる結珠の使い魔の猫又はシャーっと蔓を威嚇するが、蔓はお構いなしにゆったりと伸びて来る。
結珠は妖に向けてスマホを構えた。画面にターゲットマークが出て、その中心に蔓植物を捉える。
画面下には御札のアイコンが出る。
柚は妖に狙いをつけ、退魔の力をこめて御札のアイコンを指で滑らせる。
が、御札は外れてしまった。
「結珠、もう一度だ」
「わかってる!」
龍真に促され、結珠は再度、スマホの中で封印の御札を投げる。
シュッと飛んだそれは蔓植物に届き、蔓植物は淡い光に包まれた。なにかに縛られたかのように、それ以上蔓を伸ばせず、じたばたとあがくような動きを見せる。
「とどめ!」
三枚目の御札を投げると、蔓植物は完全に光に包まれ、すうっと結珠のスマホの中に吸い込まれた。
「封印完了!」
結珠が言うと、龍真はにこっと笑って簡易結界を解いた。
直後、外界の音が戻って来る。
街中の人々の声、車の走る音。
彼女たちがいたのは公園だった。
遊具に向かって走る子供たちは、いまここで結珠と龍真が妖を封印したことなど知りもせず遊び始める。
今日は日曜日、結珠は高校の休みの日だけ退魔の仕事をしている。
「結珠、よくやった」
龍真はにっこり笑って結珠の頭をがしがしと勢いよく撫でる。
「やめてよ、恥ずかしいし髪が乱れちゃう」
結珠は頬を染めながら文句を言う。
「そういうとこ、かわいいなあ」
龍真はそう言って結珠の頭を抱く。
「やめてってば!」
結珠は慌てて離れようとするが、龍真は放してくれない。
小さいときからそうだった。
幼馴染の三つ上で二十歳の龍真は結珠を妹のように溺愛していて過保護。ふたりとも退魔師となった今は必ず結珠の退魔についてきて、フォローしてくれる。
「あれくらいならひとりでもできたのに」
「駄目だ、俺が心配だから。絶対にひとりでは行くなよ」
「龍真様は心配性だにゃ」
使い魔はビー玉のような目を彼に向けて言う。
「そりゃ、大事な大事な幼馴染だから。結珠になにかあったら結珠の両親に顔向けできないよ」
龍真が言い、結珠はちょっぴり胸が痛んだ。私を好きだからだったらいいのに、と思ってしまったからだ。
「今日はこのあと退魔協会に行って妖を収めたら終わりだな。一緒に帰ろう」
「うん」
龍真に手を繋がれ、結珠はまた赤くなりながら頷いた。
結珠と龍真は退魔師だ。
彼女らが属する組織では基本的には専用のスマホを使って退魔をする。スマホがない時代には紙の御札で退魔を行っていたらしいしが、結珠はその時代を知らない。高齢の退魔師は今でも紙の御札で退魔をしているという。
低級、中級、上級と階級があり、さらに一から三に分かれている。結珠は低級の二、下から二番目のランクで、龍真は上級の一、上から三つ目のランクだった。
龍真とはお隣同士だった。
お隣とは言っても結珠の家は普通の民家であり、龍真の家は豪邸だった。
通う学校も塾もなにもかもが違う。お隣でなければ出会うことなどなかった。
龍真は優しくて、結珠を妹のようにかわいがり、よく結珠と一緒に遊んでくれた。
龍真の家系は代々が退魔師だったのだが、あるとき、龍真のデビュー戦となる退魔のとき、結珠が結界の中に間違って入りこんでしまった。
ありえないミスだった。
結珠はそのときにケガを負い、以来、龍真はそれまで以上の過保護さを見せるようになっていた。
結珠が龍真に憧れて退魔師を目指したときにも、彼が必ず退魔に付きそうという条件つきで許可されたほどだった。
その条件は退魔協会にも通達されており、長く退魔協会に貢献してきた藤小路家の願いならばと承認されている。
だから結珠はいつまでたってもひとりで退魔をさせてもらえない。相手がどんなに弱い妖の退魔であっても。
むしろ弱い妖ばかりを割り当てられている気がしてならない。それはきっと龍真が手を回しているに違いなくて、結珠はそれが不満だった。
ひとりで退治して、龍真に一人前だと認められたい。
それが今の結珠の願いだった。
「妖って実は宇宙人じゃね? って思うんだけどさ」
駅から退魔協会に向かうシャトルバスの中で、龍真が言う。
「宇宙人って」
結珠は思わず笑った。
「だってさ、おかしくね? 進化もなにもかも違ってて、変な力まであってさ」
「妖からしたら私たちだっておかしな力を使う存在よね?」
「そうかもだけどさ、そしたら俺たちだって宇宙人じゃね?」
「なんか昔、友達とそういう話をしたことあるなあ。地球って宇宙に浮いてるんだから、自分たちも宇宙人なんじゃない、みたいな」
「そういうんじゃなくてさあ、もっとロマンを持とうぜ」
結珠はまた笑った。
龍真はもう二十歳なのに、たまにこうして子どもみたいなことを言うのがかわいくなってしまう。
退魔協会に着いた結珠は、封印した退魔をATMのような端末で吸い出して、スマホの封印用ストレージを空にする。
その間、龍真は退魔協会の人となにやら話し込んでいた。確かあの人はなにかの部長だった気がする、と思いながらその様子を眺めた。
結珠が作業を終えたことに気が付くと、龍真は話しててる人に断り、いったん結珠のところへ来る。
「悪い、ちょっと話が長引きそうなんだ。先に帰ってもらっていい?」
「うん、いいよ」
そもそも退魔協会からならばひとりでも帰ることができる。駅まではシャトルバスがあるし、彼女の住む町は治安がいい。
「今度、新鮮堂のフルーツタルトおごるから」
「やった!」
ネットで話題のフルーツショップの限定タルトだ。食べたいなあ、と呟いたのを彼は覚えていてくれたのだ。
「じゃあ、気を付けて帰れよ。家に着いたら連絡して」
「わかった。じゃあね」
手を振って別れ、結珠は出口に向かう。
退魔協会のそのフロアはどことなく市役所に似ていた。
カウンターで仕切られ、来客の対応をする職員。カウンターの奥には事務処理をする人たち。
来客は主に退魔師と、退魔を依頼する人。
「退魔依頼は一番のカウンターです。次の方……退魔師免許の更新ですね、五番へお進みください」
受付の美人がにこにこと客をさばいていく。
私もあれくらい美人だったらな、と結珠はため息をついた。
そうしたら自信を持って龍真の隣にいられるだろうか。
イケメンの龍真はどこへ行っても女性にモテモテで、彼に片想いをしている結珠はいつも気が気ではない。
せめて退魔だけでもしっかりしたいと思うのに、それもできない。
今日だって一発で仕留めることができなかった。
スマホのお札は自身の力を乗せて射出するので、自分の力が足りなければ封印はできない。
龍真は上級退魔師だから、本来ならもっと強い妖の退魔に駆り出されるはずであり、自分程度に関わっている場合ではないのだ。
「……はい、はい、すみません」
ふと、電話で謝っている男性の声が聞こえた。
「いえ、その件につきましては……決して、低級の妖だからとあとまわしにしているわけではなくて、順番に退魔をしておりますので……」
職員がぺこぺこと頭を下げながら電話の相手に謝っている。
「今すぐ来いとおっしゃられましても、人手が足りなくてですね……」
「あの……」
結珠は思わず話し掛けていた。
「よかったら私、行きましょうか? 低級ですよね?」
職員は驚いて結珠を見た。
「少々お待ちください」
電話を保留にして、彼は目を輝かせて彼女を見る。
「ほんとに、行ってくれる?」
「はい。低級しか無理ですけど」
「やった、ありがと、じゃあすぐ手配する」
職員は顔を輝かせ、保留を解除すると相手の人に「これから行きます!」と伝えていた。
職員はその後、依頼主や依頼された場所などのデータを結珠に送ってくれた。結珠は添付された地図を元に退魔協会が用意したタクシーで現場に向かった。
タクシーを降りた結珠は目の前の古屋敷に頬をひきつらせた。
「ねえ、ほんとにひとりでやるの?」
姿を現した使い魔のタマが不安そうに言う。
「だって、はやく独り立ちしたいじゃない」
「龍真様にいいとこ見せたいのはわかるけどさ……不安だよ。僕は猫又になってからそんなにたってないから妖力が弱くてサポートも下手だし」
タマはそわそわとしっぽを動かす。
「大丈夫だって。龍真と一緒ならたくさん封印してきたじゃない」
「だけど、もし低級に見せかけた上級の妖だったら? 知恵をつけた妖はそういう偽装をするって言うじゃん」
「退魔協会はちゃんと調べてからわりふってるから大丈夫よ」
実際、結珠は今まで一度もそんなミスには遭遇していない。
調査によるとここに出る妖はアメーバ状で、調査員を見るとすばやく身を隠してしまうのだと言う。
「えっと、まずは結界を張る」
スマホを出して、退魔アプリを起動する。『結界を張る』を選択してタップ。
ぶん、と音がして結界が屋敷の敷地に貼られる。これでもう一般人は入って来られない。
「さあ、行くよ」
「うん!」
結珠はタマを伴い、預かった鍵で玄関の鍵を開けて中に入っていった。
***
退魔協会で部長に捕まっていた龍真は、ようやく解放されてほっと息を吐いた。
話は結珠のことだった。
そろそろ彼女を独り立ちさせたい、と言われて龍真は断った。
「でもさあ、上級の君がいつまでも下級のお世話をしてるってのもねえ。ただでさえ人手が足りないのに、上級の君がさあ」
部長は懇願するように龍真を見る。
「結珠のことだけはどれだけ頼まれても駄目です」
「結珠ちゃんが大事なのはわかるけどさ、だったら彼女に引退してもらって、安全なところへ……」
言いかけた部長は龍真の殺意のこもった目でにらまれ、びくっとして言葉を続けられない。
「わかったよ、だけどもうちょっと上級の仕事をしてもらわないと」
「俺、大学生ですよ。授業もあるうえ、ここの仕事してたらバイトもできないのに。この仕事、危険なわりに給料少ないし。そうだ、結珠と一緒に辞めようかな」
にやり、と笑って部長を見る。
「わかったよ、給料上げるから。結珠ちゃんとのペアも認めるから」
部長は観念したように言った。
「話が早くて助かります」
にっこりと笑って龍真は言う。
「そのかわり、単独の依頼もちゃんと受けてよね」
「わかってますよ。話は以上ですよね、帰ります」
龍真は話を打ち切って出口へと向かう。
途中、退魔依頼受付カウンターでバタバタと人が走っているのが見えた。
「おい、有田、C地区の屋敷の退魔依頼ってまだ誰も行ってないよな?」
「ああ、植田さん、あれ、大丈夫です。さっき行ってもらいました」
「やべえよ、あれ、再調査の結果がさっき出たんだけどさ、低級じゃなかったんだよ!」
「ええ? 低級退魔師に行ってもらったんですよ、やばいじゃないですか」
有田は青ざめて同僚を見た。
「誰? 早く連絡して、中止して」
「えっと、茜結珠さんなんだけど……」
聞こえた言葉に、龍真は驚愕した。
カウンターをざっと飛び越え、職員の襟首を掴む。
「わわ、なんだ君は」
「誰が退魔に行ったって!?」
「あ、茜結珠さん……」
「なぜひとりで行かせた!?」
「なぜって……普通はひとりで行くものでしょう?」
有田は困惑して答える。
彼は新人で、結珠が必ず龍真とのペアでなくてはならないことを知らなかった。
龍真は舌打ちした。
「その場所はどこだ、俺が行く!」
「あなたは……」
植田が戸惑いながら尋ねる。