この本を読む人間は心するがいい。読めば最期を迎えることとなる。
この本にはわたしが調べた、地図にも載っていないような、とある山奥の村の昔話と、そこを訪れたわたしの忌まわしい体験が綴ってある。
その村は怪奇に塗れていた。
自己紹介をしよう。わたしは西園寺悟朗、書き物を生業とする、しがない小説家だ。
いや、今となっては小説家と名乗るのもおこがましい。
稼ぎはスズメの涙で、親が残してくれた遺産を切り崩しながら糊口をしのいでいるのだから。
このままでは、行く末に待ち受ける運命は浮浪者か、ケチな盗みでお縄となった犯罪者か。
どのみちろくな将来は待っていないだろう。
一念発起し、わたしは小説にとりかかった。だが、困ったことになんの案も浮かんでこない。
わたしの創造の泉は枯れ果てていた。
「悟朗、いい場所を紹介してやるよ」
久しぶりにわたしの家を訪ねてきた記者の友人、大川が手土産の日本酒を飲みながらにやりと笑った。
「けっこうだ、どうせくだらん場所だろう。女遊びをしたって、わたしの気は晴れないし、ロマンス小説を書く気にはならんぞ」
「馬鹿だなあ、お前さんにロマンスなんざ誰が期待するかい。お前さんの本領はあの鮮烈なデビュー作のような怪奇小説よ」
「ああ、怪奇小説か―…」
「最近じゃあさっぱりじゃねえか。なんでだい?」
「かつては、まだ若く感覚も鋭かった。だから色々と感じることができたし、それを物語に生まれ変わらせることもできた。だが、最近では近代化の波に加え、誰も彼もが怖いものなど無くなってきた。もう、怪奇小説はお払い箱だ」
「そんなこたあねえよ、俺は必要としてる」
私は日本酒を一気に呷った。喉をひりついた酒が焼いていく。
「そんな変わり者、おまえぐらいだ」
「いやいや、ブームは再来するもんよ。いいから、聞きなって。損はさせないよ」
「わかった、聞こう。それで、どこなんだ?」
「M県鬼形村さ」
「聞いたことがないな」
「そらそうさ、地図には載ってない秘境だからなあ」
カラカラと笑う大川にのせられ、わたしはひとり、その鬼形村とやらに行くことになった。
独り身で職も無い、時間だけは腐るほどあった。
わたしは翌週さっそく、旅行鞄を手に一張羅を着てM県行きの列車に乗った。旅費は大川がカンパしてくれた。
鬼形村への旅行で啓示がおりていい小説が書けたらまっさきに読ませてくれ、そういう約束で、いくらか金をくれたのだ。
旅するにあたって調べたが、大川の言うとおり鬼形村は地図に載っていなかった。
正確な場所は分からないが、M県の最南端にあるK町の外れ、トンネルを抜けた先にあるという。
「おや、お兄ちゃん。こんな場所にひとりでどうしたんだい?」
わたしの年齢は三十路を過ぎていた。
お兄ちゃんと呼ばれる年齢ではなかったが、声をかけてきた海女さんは七十はとっくに越えているであろう年齢だったので、彼女から見ればわたしはただの若造だったのかもしれない。
「村を探していまして」
「村?」
「鬼形村という村は御存知でしょうか?」
そう尋ねた瞬間、朗らかだった海女さんの顔は青褪めて引き攣った。
「その村を探すのはやめとき」
「何故ですか?」
「鬼形村は呪われた村で有名なんやよ」
「呪われた村―…」
大川からおおざっぱな話は聞いていた。
鬼形村は昭和初期に地図からその名を消した村らしい。
なんでも村に鬼が出て、多くの村人が殺される事件があったそうだ。
その後、生き残った数少ない村人や新しく越してきた村人が移り住んだが、血生臭い事件や怪奇現象が起きて、けっきょく村人は一人残らずいなくなって廃村になった。
そんな呪われた村だそうだ。
「あそこに行くと、呪われてしまうんやよ。悪いことは言わん、お兄ちゃんも行くのはやめとき」
頑なな態度だった。
この海女さんから情報を仕入れるのは難しいと判断して、わたしは物わかりのいい顔で「わかりました」と頷いて、漁港を離れた。
さて、どうしたものか。
ふらふらしていると、同年代の猟師らしき二人の男が歩いてくるのが見えた。
一人は背が高くて粗野な雰囲気であり、もう一人は中背で飄々とした雰囲気の凸凹コンビだった。
私は人見知りであり、自分から初対面の人間に話しかけるのを苦手としている。
だが、そんなことは言っていられない。この辺りは人が少なく、彼らを逃せば次にいつ誰が通りかかるかわからない。
意を決してわたしは彼らに近づく。
「すみません、お尋ねしたいことがあるのですが」
「アンタ見ない顔だな。洒落た服着て、旅行者か?」
背が高い粗野そうな男のほうに警戒した顔で尋ねられ、わたしは小さく頷いた。
「はい。ある村を探していまして、鬼形村という村なのですが」
二人の男は顔を見合わせた。
そして、二人そろっていたずらっ子のような顔でまたこちらを見る。
「鬼形村とは物好きだな。あんなところに行くのは、肝試しをする輩くらいだ」
「そうそう。シャレになってないホラースポットなんやって」
「意気揚々とやって来たわりに、たいていすぐ逃げ帰ってくる。村に行くにはトンネルをくぐらなくてはいけないんだがな、それがまず怖いんだってよ」
「場所を教えてもらえますか?」
「やめとけよ、無駄足になるって」
「いいやん、教えたれば。この道をまっすぐ歩いて二十分ぐらいで、トンネルが見えてくる。トンネルを抜けた先が鬼形村やで」
飄々とした男が車一台通るのがやっとの道を指さした。
私道なのかいっさい舗装されておらず、道の左右は背の高い雑草が生い茂っている。
「ありがとうございます」
二人に頭を下げ、さっそく向かう。
不意に背後に強い視線を感じた。振り返ると、さっきの二人組の男のうち、粗野な雰囲気の男が立ち止まってじっとこちらを見ていた。
「鬼形村に泊まるなよ」
「は?」
「長く居れば居るほど、危険だからな」
大真面目な顏でそれだけ言うと、男は背中を向けて足早に離れていった。
やたらと深刻そうな男の声と顔がひっかかったが、男を追いかける気にはなれず、私は違和感を捨てて鬼形村に向かった。
道の途中にぽつりとあった小さな商店にふらりと立ち寄り、パンや握り飯、缶詰などの食料を買い込んだ。
まるで、男の忠告に反発するような行動だが、その時の私には何の意図も無かった。
ただ、なんとなくそうしたとしか言いようがない。
この本にはわたしが調べた、地図にも載っていないような、とある山奥の村の昔話と、そこを訪れたわたしの忌まわしい体験が綴ってある。
その村は怪奇に塗れていた。
自己紹介をしよう。わたしは西園寺悟朗、書き物を生業とする、しがない小説家だ。
いや、今となっては小説家と名乗るのもおこがましい。
稼ぎはスズメの涙で、親が残してくれた遺産を切り崩しながら糊口をしのいでいるのだから。
このままでは、行く末に待ち受ける運命は浮浪者か、ケチな盗みでお縄となった犯罪者か。
どのみちろくな将来は待っていないだろう。
一念発起し、わたしは小説にとりかかった。だが、困ったことになんの案も浮かんでこない。
わたしの創造の泉は枯れ果てていた。
「悟朗、いい場所を紹介してやるよ」
久しぶりにわたしの家を訪ねてきた記者の友人、大川が手土産の日本酒を飲みながらにやりと笑った。
「けっこうだ、どうせくだらん場所だろう。女遊びをしたって、わたしの気は晴れないし、ロマンス小説を書く気にはならんぞ」
「馬鹿だなあ、お前さんにロマンスなんざ誰が期待するかい。お前さんの本領はあの鮮烈なデビュー作のような怪奇小説よ」
「ああ、怪奇小説か―…」
「最近じゃあさっぱりじゃねえか。なんでだい?」
「かつては、まだ若く感覚も鋭かった。だから色々と感じることができたし、それを物語に生まれ変わらせることもできた。だが、最近では近代化の波に加え、誰も彼もが怖いものなど無くなってきた。もう、怪奇小説はお払い箱だ」
「そんなこたあねえよ、俺は必要としてる」
私は日本酒を一気に呷った。喉をひりついた酒が焼いていく。
「そんな変わり者、おまえぐらいだ」
「いやいや、ブームは再来するもんよ。いいから、聞きなって。損はさせないよ」
「わかった、聞こう。それで、どこなんだ?」
「M県鬼形村さ」
「聞いたことがないな」
「そらそうさ、地図には載ってない秘境だからなあ」
カラカラと笑う大川にのせられ、わたしはひとり、その鬼形村とやらに行くことになった。
独り身で職も無い、時間だけは腐るほどあった。
わたしは翌週さっそく、旅行鞄を手に一張羅を着てM県行きの列車に乗った。旅費は大川がカンパしてくれた。
鬼形村への旅行で啓示がおりていい小説が書けたらまっさきに読ませてくれ、そういう約束で、いくらか金をくれたのだ。
旅するにあたって調べたが、大川の言うとおり鬼形村は地図に載っていなかった。
正確な場所は分からないが、M県の最南端にあるK町の外れ、トンネルを抜けた先にあるという。
「おや、お兄ちゃん。こんな場所にひとりでどうしたんだい?」
わたしの年齢は三十路を過ぎていた。
お兄ちゃんと呼ばれる年齢ではなかったが、声をかけてきた海女さんは七十はとっくに越えているであろう年齢だったので、彼女から見ればわたしはただの若造だったのかもしれない。
「村を探していまして」
「村?」
「鬼形村という村は御存知でしょうか?」
そう尋ねた瞬間、朗らかだった海女さんの顔は青褪めて引き攣った。
「その村を探すのはやめとき」
「何故ですか?」
「鬼形村は呪われた村で有名なんやよ」
「呪われた村―…」
大川からおおざっぱな話は聞いていた。
鬼形村は昭和初期に地図からその名を消した村らしい。
なんでも村に鬼が出て、多くの村人が殺される事件があったそうだ。
その後、生き残った数少ない村人や新しく越してきた村人が移り住んだが、血生臭い事件や怪奇現象が起きて、けっきょく村人は一人残らずいなくなって廃村になった。
そんな呪われた村だそうだ。
「あそこに行くと、呪われてしまうんやよ。悪いことは言わん、お兄ちゃんも行くのはやめとき」
頑なな態度だった。
この海女さんから情報を仕入れるのは難しいと判断して、わたしは物わかりのいい顔で「わかりました」と頷いて、漁港を離れた。
さて、どうしたものか。
ふらふらしていると、同年代の猟師らしき二人の男が歩いてくるのが見えた。
一人は背が高くて粗野な雰囲気であり、もう一人は中背で飄々とした雰囲気の凸凹コンビだった。
私は人見知りであり、自分から初対面の人間に話しかけるのを苦手としている。
だが、そんなことは言っていられない。この辺りは人が少なく、彼らを逃せば次にいつ誰が通りかかるかわからない。
意を決してわたしは彼らに近づく。
「すみません、お尋ねしたいことがあるのですが」
「アンタ見ない顔だな。洒落た服着て、旅行者か?」
背が高い粗野そうな男のほうに警戒した顔で尋ねられ、わたしは小さく頷いた。
「はい。ある村を探していまして、鬼形村という村なのですが」
二人の男は顔を見合わせた。
そして、二人そろっていたずらっ子のような顔でまたこちらを見る。
「鬼形村とは物好きだな。あんなところに行くのは、肝試しをする輩くらいだ」
「そうそう。シャレになってないホラースポットなんやって」
「意気揚々とやって来たわりに、たいていすぐ逃げ帰ってくる。村に行くにはトンネルをくぐらなくてはいけないんだがな、それがまず怖いんだってよ」
「場所を教えてもらえますか?」
「やめとけよ、無駄足になるって」
「いいやん、教えたれば。この道をまっすぐ歩いて二十分ぐらいで、トンネルが見えてくる。トンネルを抜けた先が鬼形村やで」
飄々とした男が車一台通るのがやっとの道を指さした。
私道なのかいっさい舗装されておらず、道の左右は背の高い雑草が生い茂っている。
「ありがとうございます」
二人に頭を下げ、さっそく向かう。
不意に背後に強い視線を感じた。振り返ると、さっきの二人組の男のうち、粗野な雰囲気の男が立ち止まってじっとこちらを見ていた。
「鬼形村に泊まるなよ」
「は?」
「長く居れば居るほど、危険だからな」
大真面目な顏でそれだけ言うと、男は背中を向けて足早に離れていった。
やたらと深刻そうな男の声と顔がひっかかったが、男を追いかける気にはなれず、私は違和感を捨てて鬼形村に向かった。
道の途中にぽつりとあった小さな商店にふらりと立ち寄り、パンや握り飯、缶詰などの食料を買い込んだ。
まるで、男の忠告に反発するような行動だが、その時の私には何の意図も無かった。
ただ、なんとなくそうしたとしか言いようがない。