うつろをたゆたう夢見鳥は最愛のつがいを甘く取り戻す

 銀の蝶は羽月を待っていたかのように空中に羽ばたいていており、彼女が手を伸ばすと、はらりはらりと奥へ進む。
「駄目よ、早く出て」
 通じるわけもないのに語りかけ、羽月は蝶を追う。
 蝶は厨子へと飛び進み、中へ吸い込まれていった。
 羽月は目をしばたたいた。
 厨子の扉は閉まっている。だが、蝶は間違いなく中へ入っていった。
 羽月はおそるおそる厨子に近付き、厨子の扉に手をかけた。封印をそっとはがしてそろそろと開いた直後。
「ひっ!」
 羽月は短く悲鳴を上げた。
 中にあったのは女性の木乃伊(ミイラ)だった。
 女性だと判別できたのは長い髪とその着物によるものだった。厨子の壁によりかかるように座っている。
 どうしてこんなものがここに。
 思って、記憶の隅に、木乃伊が薬になるという迷信を思い出す。
 これもまた薬の材料にされていたのだろうか。だから蔵の中にしまっておいたのだろうか。
 大燕の家は薬問屋だから、その可能性は否定できないように思えた。
 ふと見ると、再び蝶が厨子から現れた。心なしかさきほどより強く銀色に輝いているように見える。
 だが、もはや蝶になど構ってはいられない。
 震える手で扉を閉め、急いで外に出て蔵の扉を閉め、南京錠を締める。
 羽月の血を薬とするくらいなのだから、木乃伊が薬でも不思議はないのかもしれない。買って飲む人がそれを知っているのかどうかはわからないが。
 これは大燕家の秘密なのだろうか。だから当主しか入れないのだろうか。もし羽月が知ったとわかったら、どういう処罰を受けるのだろうか。
 知られてはいけない。凪のためにも、なおさら早く家を出なくては。
 そう思い、羽月は慌てて門へ向かった。
 手持ちの金銭はまったくない。風呂敷の中の古着は泥で汚れてしまっているが、売ればいくばくかにはなるだろうか。
 養い親の家に戻ったらどう対応されるのだろう。使用人してしばらくおいてはくれないだろうか。いや、すぐに大燕の家に連絡が行って連れ戻されてしまうのだろうか。やはり矜持を折ってでもお金の入った小袋をもらうべきだろうか。
 鬱々と考えながら門を出ると、またしても銀色の蝶が舞い飛んできた。
 蝶は羽月の目の前で銀色の輝きを強くして、気が付くと背の高い青年になっていた。
 歳の頃は正一と同じ二十五歳くらいだろうか。
 腰まである白銀の長い髪を垂らしていて、その瞳もまた銀色をしていた。細おもての顔は美しく、どこかこの世の人ならざる雰囲気をまとい、内側から光り輝いているようにも見える。
「会いたかったよ、私の夢見鳥」
 男性は彼女を見て愛し気に目を細める。
「さあ、行こう」
 彼に差し伸べられた手をなんの迷いもなくとる。
 どうしてだか、彼が「あの人」に違いないのだと感じていた。

***

 周之助は南京錠を開けて蔵に入った。
 なんだか嫌な胸騒ぎがして、いてもたってもいられずに確認に来たのだ。
 まっすぐに厨子に向かい、封印が剥がされていることに気が付いた。
「なんということだ」
 木乃伊を餌にして、あいつ(・・・)を閉じ込めていた封印だった。
 封印が剝がされた今、貴重な夢見鳥を奪われるかもしれない。
 慌てて離れに行くと、すでに羽月はいなかった。
 周之助はぎりっと奥歯を噛み締めた。
 あの血があればこそ周之助は生き延びることができていた。
 妹もまた夢見鳥の力の片鱗を持っているようだが、本物に比べたら微々たるものだ。
 妹は癒しの力を、姉はその血の力を利用するつもりであったというのに。
「次はいつ現れるかわからない……逃すものか、なんとしてでも探し出す」
 周之助はぎらぎらと目に欲望をたぎらせた。


 銀髪の青年は鳳羽(あげは)と名乗った。
 鳳羽に連れられてしばらく歩いた先で、彼は羽月に目を閉じるように言った。
 言われた通りに目を瞑ると、彼は羽月を抱きかかえる。
 思わず目を開けると、
「まだ閉じていて」
 と彼は優しく微笑んだ。
 どうしたらいいのかわからず、羽月はとりあえず目を閉じる。
 鳳羽がそのまま歩く気配がする。ふわりと温かな風が全身を撫でるような感触があった。
「もう目を開けていいよ」
 言われて目を開けると、見覚えのない場所に来ており、目の前には見上げるばかりの荘厳な四脚門(しきゃくもん)があった。
 大燕の家の近くにこんなお屋敷があったなんて知らなかった。
ろくに外出をさせてもらえなかったから知らなかっただけなのだろうか。
 羽月は首を傾げ、鳳羽について行く。
立派な門をくぐると、両脇には揃いの着物を着た女中が両側にずらりと並んでおり、面くらった。
「よくぞお帰りくださいました」
 先頭にいた黒い着物の男性が深々と頭を下げ、女中たちも頭を下げる。
「長く留守にしてすまない」
 鳳羽が答えると、男性はこぼした感涙をそっと拭って鳳羽を見る。
 羽月は戸惑って鳳羽を見るが、彼はにこりと笑うだけでなんの説明もしない。
 手を引かれて女中たちの間を歩き、式台玄関に案内されてまた戸惑った。このような玄関は貴賓客だけが通される玄関のはずだ。襤褸(ぼろ)をまとった自分にはふさわしくない。穴を何度も繕った足袋もまた恥ずかしい。
 躊躇なく上がる鳳羽は、立ちすくむ羽月の手を引く。
「おいで」
 言われて、仕方なく羽月は草履をぬいで上がった。
 式台玄関から続く畳の部屋には両側に花と蝶の描かれた金の屏風が飾られ、その奥へと客をいざなうように並べられている。欄間にも美しい花と蝶の彫刻。
 手を引かれて上座敷へと導かれ、鳳羽とともに座る。
 女中がお茶を運んできてふたりの前に出して下がった。
「今の名は……羽月か」
「そうですけど……」
 ためらいながら答えると、鳳羽はにこりと笑ってお茶を飲んだ。
 おずおずと手を出して、羽月も飲む。
「おいしい……!」
 思わず羽月はつぶやいていた。旨味と甘みの調和がとれており、なんとも言えずにおいしい。
 大燕家で彼女が飲めるのは水か白湯で、お茶はめったに飲めなかった。飲めたとしても出がらしの、渋みすらない味のしないお茶だった。
「どうして私を?」
「なにも覚えておらぬか。……仕方あるまい、それがそなたの宿命ゆえ」
 羽月は首をかしげる。
 鳳羽は羽月の額に手をかざした。
 直後、羽月は眩暈がしてふらりと前のめりに倒れかかる。
 鳳羽はそれをしっかりと抱き留めた。

 夢の中で、時間は巻き戻る。
 生まれる前、さらにその前に。
 羽月は自分が別人になっていることに気が付いた。他人の体に精神だけが寄り移ったかのうようだ。
 自分は今、金の髪をして見慣れぬ着物を着ていた。
 咲き誇る桜の下にいて、隣にいるのはやわらかく微笑む鳳羽。
 彼はそのときもまた銀の髪を長く垂らしていた。
「……、愛しているよ」
 彼は自分の名を呼んで愛を囁く。自分はふふっと笑って彼の口づけを受け取る。
 胸の中には彼への愛があった。
 自分たちは愛し合っているのだ、とわかった。
 やがて時を経て自分は老いたが、彼は若い姿のまま、彼女の手をとる。
「ごめんね、私、もう……」
 自分の口から意図せず言葉が出た。
「しばしの別れだ。すぐにそなたを見つける」
 彼は彼女のしわくちゃになった手を取り、愛おしそうに頬に寄せる。
「愛しているよ」
「私も」
 それがふたりがかわした最後の言葉となった。
 羽月はなんども生まれ変わり、そのたびに彼と巡り合い、愛し合った。
 そうする中で、羽月は知った。
 彼は死を司る夢見鳥、自分は生命の夢見鳥。死を司る彼は不変だが、自分は人として生まれ、必ずその生命を終える。命は巡り行くものだから。
 だがあるとき、彼女は奪われた。
 人間の策略によって彼女は連れ去られ、隠された。
 その策略を働いた者こそが大燕の祖先だった。
 生命の力を手に入れた彼の一族は繁栄した。
 妻とさせられた自分は命の力をすすり取るように血を奪われ、早々と命を落とした。
 鳳羽が取り戻しに来たときにはすでに遅く、彼は彼女の体ともども封印された。
 その後、自分の血を引いた女性には命の力が顕現することとなったが、その血は万能薬として高額で売られた。血を奪われるゆえに大燕家の娘は短命だった。
 大燕家は力のある血を守り、外に出さないために血族婚を繰り返した。
 姓を持つことを許されたときには蝶を喰らう燕を苗字として、家紋もそのように変えた。
周之助が生まれたとき、その血の濃さゆえに彼は病弱だった。
 彼の家に女性が生まれず、遠縁の女性を妻とした。
 彼女にはなんの力もなかったが、周之助は彼女の血をすすってなんとか体を維持し続け、彼女が死したのちは息子の妻の血もすすった。
 彼は伝説にある夢見鳥そのものを探した。
 そうして執念で羽月を探し出し、手に入れた。
 彼女は力を発現させていなかったが、その血はやはり万病に効果を発揮し、周之助の体を癒した。
 血の力は富を維持するためにも利用した。政府高官や財閥のお偉方、華族たちに万病の薬と高値で売りつけると、実際に病気が癒されたとして評判は高まった。
 表立っては売らず、口づてにそれを広め、門外不出の秘薬として隠すふりをして値を吊り上げる。
 経年劣化した鳳羽の封印が弱まり、あの日、彼は銀の蝶となって彼女の前に姿を現した。
 彼女をいざなって封印を完全に破らせ、ようやく彼は彼として姿を現すことができた。

 目を覚ました羽月は、自分を見つめる鳳羽の銀の目に労りと慈愛が満ちていることに気が付いた。
「鳳羽……鳳羽」
 名を呼ぶだけで胸に歓喜が満ちる。手を伸ばすと彼が握り返し、そのぬくもりに涙があふれる。
 母が言っていた「あの人」が鳳羽のことであると、今ならしっかりと理解することができる。
 運命(いのち)が巡るたびに自分を探し、見つけてくれる鳳羽。
「羽月」
 玲瓏たる声が耳に甘く響く。
「鳳羽、会いたかった……ずっと」
「私もだ、羽月」
 その手を頬に寄せて、鳳羽は愛おし気に押し付ける。
 羽月は大燕の祖先に捕まって命を落としたあと、なんども生まれ変わった。だが、彼は迎えに来なかった。封印されていたために来られなかったのだ。
 そして、その間、羽月はなにも知らずに寿命まで過ごした。羽月は新しい命を受けるたびに記憶をなくし、鳳羽に出会うことで記憶を取り戻す。
「ここで共に暮らそう」
「はい」
 羽月は頷き、ふたりは口づけを交わした。
 鳳羽が羽月を連れて来た屋敷は常春(とこはる)のように穏やかで、季節に関係なく花が咲き乱れていた。
 東に大きな桜と菜の花、南に滝、そのかたわらには幹をくねらせた藤、西には紅葉に大輪の菊、北には松と鮮やかな牡丹。どれも見事に咲き誇り、枯れることがない。
白い玉砂利や大きな庭石、緑の苔が花々の華やかさを引き立てる。
 屋敷は外の世界から隔絶されており、人間が入って来ることはなかった。
 女中たちはみな蝶の化身であり、鳳羽の配下でもある。
 鳳羽は羽月にべったりと侍り、片時も離れようとしなかった。
 鳳羽は羽月を自由にさせたが、ただふたつ、鏡を見ること、門の外に出ることだけは禁じた。
 どうしてなのかは教えてくれなかったが、羽月は了承した。愛しい人の禁じることなのだから、理由を聞くまでもない。なにか良くないことがあるのだから禁じているのだと、盲目的に従うことができるほど彼を信じ、愛している。
 彼と過ごす日々は苦しかった羽月の過去を洗い流してくれるかのようだった。
「そなたが一時(いっとき)あの下等な男とでも夫婦であったかと思うと憤激をおさえられない」
 彼はそう口にしたことがあった。目には地獄の炎を映したような怒りが渦巻く。
「まあ、そのような」
 羽月はなだめるのだが、心のどこかでその嫉妬を嬉しく感じてしまっていた。
「いつか私たちを死が別つさだめ。それまでは決して離さない。どこへも行くな」
「行きませんとも」
 必ず羽月はそう答え、鳳羽は羽月を確かめるように抱きしめる。
 その口づけは甘く羽月に降り落ちる。