流星が、シャワーを浴びて出て来た。部屋では光輝が待っていた。
「大丈夫?痛くなかった?」
光輝が問いかけた。
「ああ。背中は水で流しただけだから。」
流星が答える。
「じゃあ、座って。」
流星はベッドに座り、光輝の方へ背中を向けた。
「うわ。」
背中のやけどを見て、光輝は顔をしかめた。まずはタオルでそっと拭き、それから薬を塗った。その上にラップを乗せ、包帯を巻く。包帯を巻くとき、胸の前で包帯を右手から左手に持ち替えるので、いちいち後ろから抱き着くような格好になる。
「ねえ、どうしてこんな無茶したの?」
光輝が聞いた。
「え?そりゃあ、光輝に怪我させたくなかったから。」
流星が答える。
「でも、流星くんが怪我したらダメじゃん。」
「さっきも言ったけど、俺が多少怪我しても損失はほとんどない。でもお前が怪我して踊れなくなると、STEとしても損失が大きいだろ。」
「そんな事ないよ。もし、流星くんが頭に怪我していたら、僕たちにとって相当の損失だよ。」
流星の頭脳がないと、大変困る。英語をしゃべってくれる人がいなくなるだけでも辛い。
「ああ……まあ、そうかな?」
流星にも自覚はある。
「だから、STEの損失がどうとかっていうのは、関係ないでしょ。」
光輝は包帯の終わりをテープで留めた。
「ねえ、流星くんは、僕の事が好き、なんだよね?」
「え……。」
光輝は、両手を流星の前へ持って行き、背中から抱きしめた。
「こうすると、胸がぎゅっとなる?」
流星はちらっと振り返ろうとしたが、そう聞かれて、動きを止めた。
「瑠偉がね。」
光輝が言った。
「え?瑠偉?」
流星が聞き返す。
「うん。瑠偉が言ってたんだ。近くにいると、胸がぎゅっとしたりキュンとしたりするのが恋、なんだって。」
「……。」
光輝の言葉に、流星は黙った。
「僕、今すごく、ぎゅっとなってる。」
「光輝?」
「流星くんは?」
流星はごくりと唾を飲み込んだ。
「ああ、ぎゅっとしてるよ。痛いくらいに。」
そう言って、流星は目の前にある光輝の手に自分の手を重ねた。そうしてしばらくの間、2人ともじっとしていた。ただ、お互いの呼吸の音だけが聞こえる。
流星が体を動かしたので、光輝は手を放した。流星は体を反転させ、光輝と向き合った。
「ずっと前から、光輝の事を考えると、胸が痛い。」
「痛いの?」
光輝は流星の心臓の辺りに触れた。そして、そのまま腕を背中に回し、今度は前から抱きついた。
「こうしたら、痛いの治るかな?」
「もっと痛くなるよ。でも、幸せな痛みだ。」
流星は、腕を光輝の背中に回し、ぎゅっうと抱きしめた。
「光輝、好きだよ。」
「僕も、流星くんの事が好きだよ。本当だ、痛いけど、幸せな痛みだね。」
2人は、更にぎゅうっと力を込めて抱きしめ合った。恐らく、流星は背中も相当痛かったに違いない。
流星の部屋の外では、瑠偉がジーっとドアを見つめていた。
「お前、こんな所にいたのか。何してるんだ?」
瑠偉がいつの間にかいなくなったので、碧央は探しに来たのだ。
「しっ!」
瑠偉が人差し指を口に当てた。碧央が首を傾げると、瑠偉は碧央の腕を引っ張って、少し離れた所へ連れて行った。
「今、光輝くんが中にいるだろ?どうなったかなと思って。」
「どうなったか?ああ。」
マダガスカルの出発前夜の誤解を解くため、瑠偉は光輝が流星の事で悩んでいる話を碧央にしていた。
「だからって、そんなに見張ってなくても……。あ、お前まさか。」
碧央は目を吊り上げた。
「え?なんで怒るの?」
「まさか、流星くんを取られたくないとか、思っているんじゃないだろうな。」
「はあ?何言ってんの?」
「だってお前、流星くんの事が好きだろ。」
「ああ、好きだよ!すっごく好きだよ!」
瑠偉はムキになって言った。
「くーっ、お前は、もう!」
「ふん!」
瑠偉がぷいっと顔を背け、スタスタと歩いて行くので、
「ちょ、ちょっと待て、瑠偉!」
碧央は瑠偉の腕を掴んだ。だが、瑠偉は碧央を睨みつける。
「あ……そんなに怒るなよ。な、俺の部屋に来いよ。」
「やだ。」
「るいぃ、瑠偉ちゃーん。」
碧央が瑠偉の腕を両手でぶんぶん振っているところへ、光輝が流星の部屋から出て来た。
「何やってんの?お前ら。」
「あ、光輝くん!あの……どうだった?」
瑠偉が遠慮がちに聞く。すると、光輝はボッと顔を赤くした。それを見た碧央と瑠偉は顔を見合わせた。
「もしかして……2人は?」
瑠偉がそう言うと、
「いや、別に。ただ、ちょっと、その。ああ、もう恥ずかしいよぅ!」
光輝は顔を両手で隠した。
「わーい、おめでとう!光輝くん。」
瑠偉は光輝の背中をバンバン叩いた。碧央はその様子を見て、ふふふっと笑った。
成田空港には大勢の人が詰めかけ、STEが現れるのを今か今かと待ち構えていた。7人のメンバーが姿を現した途端、大きな歓声とフラッシュが飛び交う。
「お帰りなさーい!」
「キャー!!」
報道陣も多数詰め掛け、各局のテレビ中継がなされた。ちょうど午後のワイドショー番組の時間帯で、この様子を中継したあるテレビ局では、キャスターと芸能評論家の間で次のような会話がなされた。
「STEがやっと帰ってきましたねー。」
「いやー、帰ってきましたねー。フェローのみなさんも待ちに待ったと言ったところでしょうね。」
「彼らをご覧になって、いかがですか?先生。」
「そうですね。まず、7人ともすごく日焼けしましたね。赤道付近の国にずっといたからでしょうかね。」
「そうですね、かっこいいですよね。あれじゃないですか、植樹作業などで日中外にいる事が多かったのではないでしょうか。」
「そうでしょうね。それと、彼らが最近作った曲にも変化が感じられますね。」
「と言いますと?」
「初期の頃の、尖った感じが取れてきたように思われますね。アフリカで作った楽曲は、何かを攻撃する内容ではなく、地球のすばらしさを歌ったものが多いです。「Wonder(ワンダー、不思議)」とか「Source(ソース、起源)」なんかがまさにそうですね。」
「なるほど。」
すると男性タレントが言った。
「Sourceいいですよねー。僕らはこの大地から生まれたんだっていうサビの部分がすごく素敵なんですよ。ダンスもエレガントな感じで、また新しいSTEを見た気がしますね。」
「そうですよね。彼らは毎日のように動画を配信していました。テレビ番組にもよく出演していましたね。」
キャスターが言うと、その男性タレントは、
「そうなんですよね。だから、ずっと遠くにいたという感覚は正直ないですね。今や、そう簡単にコンサートに行ったり、握手会に参加したりという事が難しくなっていますからね。何しろ人気がありすぎて、チケットの倍率が高すぎるものですから。」
と言った。芸能評論家も、
「そうなんですよ。日本でイベントをしても、海外からフェロー達が押しかけてきて、倍率が100倍くらいになってしまうんです。その事と、今回日本を離れた事と、もしかしたら関係があるのかもしれませんね。」
と言った。
「そうなんですか?100倍とは驚きですね。そういうシステムを変えようとして、ボランティアの旅に出たと?」
キャスターが尋ねると、芸能評論家は言った。
「一部のフェローから、不満の声が上がっていたのは事実です。ただ、どこへ向けていいのか分からない不満ですから、いっそコンサートや握手会を辞めてしまえば、という手段に出たとしてもおかしくありませんよ。」
キャスターはそれを受け、
「確かに。」
と言った。
帰国したSTEは、やっと我が家であるSTEタワーに帰って来た。
「あー、我が家だあ!」
「やっぱ落ち着くなあ。」
「うんうん。そうだねー。」
涼、篤、光輝がそう言い、メンバーは共同リビングのソファに倒れ込むようにして座った。
「みんな、お疲れさん。これからしばらくは、またアルバム作りに専念してもらおうか。1か月後くらいに完成させて、その後2カ月くらいで発売というところかな。」
社長の植木が言った。
「はい、了解です。」
代表して流星が答える。
「それで、楽曲を作る上でちょっと参考にしてもらいたい事があるんだが。」
と、植木が言った。流星が、
「何ですか?」
と言うと、植木は説明を始めた。
「うん。ここのところ、世界でも日本でも、だいぶ脱炭素社会を目指そうという意識が高まっているとは思うんだ。二酸化炭素の排出量を実質ゼロにする、と政府も宣言している。だが、これを見て欲しい。」
植木は切り取った新聞記事を広げた。
「日本の二酸化炭素排出量の4割が、製造業によるものだ。物を作る際に大量の電力を消費するそうで、ここを何とかしないと排出量ゼロにはとてもできないのだ。今は二酸化炭素を排出しない発電方法などが開発されているが、企業がそういったものを採用する場合、今までよりもコストがかかり、国際競争力が下がる懸念がある。つまり、企業努力だけでは、なかなか脱炭素社会実現は難しいのが現状だ。そこで、国によるエネルギー政策が必要だ、というのがこの記事に書いてある。」
「エネルギー政策って、例えばどういう?」
瑠偉が質問した。
「まあ、要するに電力を安くしてほしいという事だろうな。今は、日本の発電は火力発電の割合が高い。だが、これは二酸化炭素排出量が多いものだ。もっとクリーンエネルギーの割合を多くし、そういった電力を製造業界が今以上のコストをかけずに手に入れられるようになる事が必要なんだ。」
植木が説明した。瑠偉は、
「はあ。分かったような、分からないような?」
と言うと、流星が、
「それを、俺たちの歌の歌詞に盛り込めということですか?」
と言った。植木は、
「そうなんだが、難しいだろうな。楽曲としてかっこよく、楽しくしなくてはならないし、無理にとは言わないが、少し頭の片隅にでも入れておいてくれ。」
と言った。
「分かりました。考えてみます。」
流星が躊躇なくそう言ったので、瑠偉は羨望の眼差しを流星に向けた。つまり、(流星くん、すごーい!)と目が訴えていた。
STEは、アルバム作りを始めた。会議室などもあるが、基本リビングでそれぞれ紙に書いたりノートパソコンに打ち込んだりして作業していた。
何度も言うが、光輝はメンバーとの接触が多めである。なので、光輝が誰にくっついていても、メンバーは気にしない。だが、ふと大樹が思いを留め、こっそり涼にこう言った。
「なあ、光輝と流星くんって、最近ギクシャクしていたんじゃなかったっけ?」
「え?」
そう言われて、涼は部屋の中を見回し、光輝を見つけた。すると、流星にべったりくっついて、流星が打ち込んでいるパソコン画面を見ていた。時々言葉を交わしているようで、仕事をしているのだろうが、2人の表情は穏やかだった。
「そういえば、そうだよな。仲直りしたのかな……って、おい、流星くんは光輝の事を……。」
涼が思い出した、という風に言った。
「ああ。」
大樹が頷く。
「じゃあ、もしかして、2人は両想いに?」
大樹と涼は改めて流星と光輝を見た。すると、2人は顔を見合わせて笑い合っていた。
「2人の世界だな。」
大樹が言った。
「へえ、光輝は篤くんだと思っていたけどな。」
涼が言う。
「篤くんは、相変わらず瑠偉だもんな。瑠偉は相手にしてないけど。」
大樹が言った。
「瑠偉は碧央だもんなぁ。たぶん、あれは本物だよ。みんな、一時期ギクシャクしてからラブラブになるんだなあ。」
と、涼が言った。
「本当だな。しっかし、再びギクシャクして欲しくはないもんだ。グループ内でくっついたの離れたのってされたんじゃ、困るよ。」
大樹がそう言うと、
「まあまあ、若いんだからいいじゃないの。」
涼はそう言って大樹の肩をポンポンと叩いた。
STEは、平和祈念コンサートを終えて帰国したが、それは植木が元々計画していた事だった。つまり、政府との交渉の結果、アフリカ滞在を辞めて帰国したというわけではなかった。だから、政府が約束を全て守っていなかったのを不問にして、帰国したのである。
STEの新たなアルバムが発売された。売上のほとんどを寄付に回すのは、今までと同じ。STEには事務所の後輩というものがいない。植木は、芸能事務所を発展させていこうとは考えていないのだった。もしアイドルとしてやって行けなくなったら、STEメンバーを含めた事務所のスタッフ全員で、また新たな事を始めればいいと思っていた。やる事はただ1つ、地球を守る事。「Save The Earth」の名でずっと続けていくつもりだった。
「さっすが、流星くん。こういう歌詞にするとは!」
そう、瑠偉が絶賛、感嘆したのは「Energy(エナジー)」という新曲。その歌詞の一部が以下である。
― energy energy energy!
もっとだ もっとだ まだまだ足りねえ
クリーンenergy Come on!
今のままじゃ ゼロになんてできないぜ
企業努力次第? それじゃダメだ 間に合わねえ
どこに金を使うんだ? 使うとこはここだぜ
頭を使え! 悪いこたぁ言わねえ 使うとこはここだぜ!―
「最近のSTEは、図に乗っているよね。」
閣議が始まると、総理大臣はまずこう言った。
「は?」
文部科学大臣が反応した。
「新曲のエナジー、聞いたか?あれはどう考えても、政府を批判しているじゃないか。」
「はあ。」
文部科学大臣が渋々答えると、経済産業大臣が、
「総理のおっしゃる通りです。私も聴いて驚きましたよ。」
と言った。
「アイドルのくせに、政治に口を出すとは小賢しい。」
総理大臣が言うと、防衛大臣も、
「全くです。核禁条約に関しても、暗に批准しろと言っているようなものです。その圧力がすごい。ファンを使ってくるのですから、始末が悪い。」
と言った。総理大臣が、
「ファンを使ってくるとは?」
と聞くと、防衛大臣が説明した。
「夏のコンサートツアーの辺りから、防衛相のホームページに、日本も今すぐ核禁条約に批准しろという内容で、毎日1万件の苦情が寄せられているんです。」
「1万件も?毎日ですか。」
経済産業大臣が驚いた声を発した。防衛大臣は、
「同じ人物が何回も書き込んでいるのだとは思いますがね。」
と答えた。総理大臣は、
「それもこれも、あの植木とかいう社長が入れ知恵しているんだろうね。彼さえいなければ、STEはもっと使えるんじゃないのかね。」
と言った。文部科学大臣が、
「いなければ?」
と質問すると、総理大臣は、
「彼を消してしまえば、STEはどうなる?」
と、逆に質問した。すると防衛大臣が答えた。
「他の芸能事務所に行くのではないでしょうか。そうしたら、環境問題だ何だと言わずに、普通にアイドル活動をするのではないでしょうか。」
「そうすれば、またインバウンド効果が期待できるよね。」
総理大臣がそう言うと、文部科学大臣は、
「ですが、消すというのは……。」
と、冷や汗をかきながら言った。総理大臣は、
「社会的に抹殺すればいいのだよ。人間、叩けば埃くらい出るもんだ。徹底的に調べ上げて、逮捕しちゃえばいいんじゃないの?」
と言った。文部科学大臣は少し顔を明るくさせ、
「な、なるほど。分かりました。調べさせます。」
と言った。総理大臣は、
「うん、そうしてくれ。」
と答えた。
1週間後の閣議。総理大臣が言った。
「まだ、STEの社長が捕まったというニュースを聞かないけど?」
すると文部科学大臣が、
「は、それが、いくら調べても植木氏については何も出てきませんでした。」
と答えた。総理大臣が、
「そんな事はないだろう。過去まで遡ったのか?」
と言ったが、文部科学大臣は、
「はい、もちろんです。」
と答えた。経済産業大臣も、
「あれだけ成功して、大きな額の金を動かしているんだ。何かあるでしょうよ。」
と言ったが、文部科学大臣は、
「いえ、それが、何も。」
と答えるしかなかった。総理大臣は、
「本人になければ親とか、妻とか。」
と言ったが、
「両親は既に他界しています。一応調べましたが、これと言って何も出ませんでした。妻はいません。独身です。」
と、文部科学大臣は答えた。総理大臣は更に言った。
「隈なく調べた上で、ないというのだな?そんな奴がいるのか……。では仕方がない。なければ作るのみだ。脱税とか横領とか、適当に作りなさい。そして、芸能プロダクションにはSTEを引き取るように差し向けてさ。」
そんな総理大臣の発言で、実際に植木は逮捕されたのである。
「そんな、何かの間違いでしょ?」
「社長に限って、法律に触れるような事をするはずがない。きっとすぐに帰って来るよ。」
光輝と流星がそんな会話を交わした。
植木が逮捕され、報道陣がSTEタワー前に群がっていた。STEのメンバーたちは仕事どころではなく、いつものリビングに集まって、頭を抱えていた。
「みんな、心配かけてごめん。」
対応に追われていた内海が、やっとメンバーの所へやってきた。
「内海さん!」
「社長はどうなるんですか?」
瑠偉、碧央が内海に問いかけた。
「みんな、まずははっきり言っておこう。植木は脱税も横領も決してしていない。この俺がよく分かっている。」
と、内海が言った。
「じゃあ、すぐに帰ってくるんですよね?」
涼が言うと、内海は、
「そうだといいんだが……。実は、以前政府から、君たちを日本に戻せ、平和祈念コンサートを日本でやれと再三打診されていたんだ。だが、結局政府の要請には従わなかった。帰国はしたが、その為に政府に条件をつけた。それも政府は全て守ってはいなかったのだが。」
と言った。
「そうだったんですか。それで、まさか政府が復讐を?」
流星が問うと、
「復讐というわけではないだろう。何か思惑があるに違いない。」
と、内海が言った。大樹が、
「思惑って、何ですか?」
と問うと、
「それはまだ分からないが。政府は君たちを、国益や日本経済の為に利用しようとしているんだ。うちの事務所は利益を求めない分、政府の言うことにも従わない。君たちの歌には国政批判も含まれる。うちの事務所のやり方が気に食わないのだろう。」
と、内海が言った。篤が、
「言う事を聞かないからって、無実の罪を着せるなんて、ひどい事するなあ。」
と言い、光輝も、
「本当だよ。でも、いくら政府だからって簡単に罪を着せる事なんて出来るの?」
と憤った。
「脅しの為に、とりあえず逮捕しておいて、証拠不十分とかで不起訴になるんじゃないのか?」
大樹がそう言うと、
「脅しだけならいいんだが。とにかく、また何か分かったら知らせるから。」
内海はそう言って、忙しそうに出て行った。
その直後から、メンバーに他の芸能事務所からオファーが入り始めた。事務所から直接連絡は出来ないので、友人を介して連絡が来るのだ。例えば、碧央の友達の歌手から電話がかかってきて、出ると友達は自分の会社の社員と代わり、碧央に直接うちの事務所に来ないかと誘って来る。そのような電話が他のメンバーにもじゃんじゃんかかってきた。
「何の事でしょうか?事務所の移籍?考えていません。はい、はい、確かに社長は今いませんけど、事務所がなくなるわけではありませんから。」
碧央はそう言って電話を切った。
「なあ、俺の所に芸能事務所からのオファーが2件も来たんだけど。」
篤がそう言うと、涼も、
「俺のとこにも来たよ!」
と言い、光輝も、
「僕のところにもさっき来たよ!」
と言った。流星が、
「どうなっているんだ?これも政府が仕組んだ事なのか?」
と言うと、大樹が、
「多分そうだな。社長を逮捕して、俺たちが動揺しているところへ、他の事務所からのお誘いがあれば乗るかもしれない、という考えなんじゃないか?」
と言った。瑠偉は、
「冗談じゃないよ。他の事務所になんて行くわけないじゃん。俺たちはただ芸能活動しているわけじゃないんだ。地球を救うために活動しているんだから。」
と息巻いて、涼も、
「そうだよ、そうだよ。みんな、裏切らないよな?」
とメンバーの顔を見回しながら言った。すると流星が言った。
「当たり前だろ。金が欲しいんだったら、とっくにここにはいなかっただろうよ。でも、俺たちはたくさんの賞をもらい、多くのフェローがいて、このメンバーがいる。どんなに金を積まれたって、俺たちのやり方を変える気はない。これからもボランティア活動をするし、売り上げは寄付するし、平和を訴えるし、地球環境を守る。だろ?」
メンバーはみな、力強く頷いた。
あまりに芸能事務所がうるさく、世間でもSTEの社長逮捕のニュースで持ち切りで、メンバーはどうなってしまうのか、他の芸能事務所に移るのか、と噂されるので、STE側は、記者会見を開く事にした。
記者が質問した。
「今回、社長が脱税、横領の疑いで逮捕されました。この件に関して、どう思われますか?」
流星が答える。
「はい。植木社長は決して罪を犯してはいません。僕たちはただそれを信じているだけです。嫌疑が晴れて、社長が戻ってくるのを待ちます。」
「もし、嫌疑を晴らす事ができず、社長が帰って来なかったら、どうしますか?」
「たとえ、社長が帰って来なかったとしても、僕たちは今まで通りの事をするだけです。」
「しかし、今まではほぼ全ての方針を、社長が決めていたと聞きます。社長がいなければ、芸能事務所は解散という事になるのではないでしょうか。」
「いいえ。社長がいなくてもマネージャー始め信頼できるスタッフがいますから、会社は存続します。」
「もし、社長ではなく、会社に罪があるとしたら、会社がなくなってしまいますよ。そうしたら、他の芸能事務所に移るという選択はあるのでしょうか。」
「ご心配、ありがとうございます。ですが、たとえ会社が無くなったとしても、僕たちが他の芸能事務所に所属することはありません。」
「それはなぜですか?」
「僕たちのやり方は特殊です。他の事務所のやり方にはそぐわないと思います。もし会社が無くなったなら、自分たちで新たに立ち上げます。」
「そこまでの覚悟があるのですね。」
「はい。」
メンバー全員が返事をした。
「総理、STEの記者会見をご覧になりましたか?」
「ああ、見たよ。植木を逮捕しても、意味がなかったのか?」
総理大臣室に、法務大臣が尋ねて来たのだった。
「我々の働きかけ以上に、どの芸能事務所も必死に勧誘したようですが、全く取り合ってもらえなかったそうです。」
法務大臣が言う。
「意志が固いのね。STEは生かしてやろうと思ったけど、社長が操っているというのでもなく、彼ら自体が日本の敵というわけか。」
かつて、日本の宝だと言っていた総理大臣。その同じ人物が、今度は日本の敵だと言う。
「どうしますか?植木の罪もでっち上げですから、そろそろ拘束しておくのも限界です。」
法務大臣が言うと、
「仕方ない。利用しようと思っても、懐かない虎は飼えない。STEのメンバーを逮捕しようじゃないか。」
と、総理大臣が言った。
「メンバーを、ですか。」
「そう。全員ね。そうしないと、彼らは独りになっても続けそうだから。」
「分かりました。手を打ちます。」
「るいぃ、こんな時にあれなんだけど。」
光輝が瑠偉の部屋を訪ね、遠慮がちに相談を持ち掛けた。
「えっ?まだしてないの?」
「しー、大きい声出すなよ。」
「ああ、ごめんなさい。」
瑠偉は口を手で覆った。
「瑠偉と碧央は、その、初めてしたのって、どんなタイミングで?」
「俺たちは……告白と同時って言うか……。」
「そ、そうなの……?まあ、そうか。お前たちは既に寸前まで行ってたからなあ。」
「寸前までって。」
瑠偉は苦笑いした。以前から、ステージやカメラの前で、キスする真似をしていた碧央と瑠偉。だから、本当にしてみないと本気度が分からなかったと言える。
「ねえ、どっちから告白したの?」
急に、嬉しそうに光輝がそう聞いた。
「えっと、碧央くんから。」
「へえ。告白されて、びっくりした?」
「そりゃあ、もう。ずっと俺の片思いだと思っていたから。」
「それで、好きだって言われて、キスされたわけ?」
「いや、キスしたのは俺の方からで。ああ、いろいろあったの!キスしていいかって聞かれて、碧央くんが望むならどうぞって言ったら、碧央くんが振られたって言ってしなかったから、そうじゃないよっていう意味で、その……。」
瑠偉はアタフタしながらそう言った。
「そうなんだ、瑠偉からしたんだ。尊敬するな……。両想いって分かっていても、なかなかできないよ。」
光輝が嘆息しながらそう言う。
「俺たちの場合、命の危機に直面していたから。今しなかったら、後悔するって。」
「命の危機?あ、あの無人島の時?」
「そう。もう死ぬかもしれないって思ったから、碧央くんも告白してくれたし。あの事件がなかったら、どうなっていたんだろう。でもさ、明日どうなるか分からないのって、いつだって同じだよね。社長だって、何も悪い事してないのにいきなり逮捕されたしさ。俺たちだって、明日も一緒にいられるかどうかなんて、本当は分からないじゃん。だから光輝くんも、勇気を出して。」
「瑠偉……。そうだな。明日もチャンスがあるなんて、誰にも分からないよな。だから、今日勝負をかけないと。」
「光輝くん、頑張って!」
「おう!……って、どうやって?うわぁ、もう緊張してきちゃったよ。ダメ、僕からなんてできないよ。」
光輝は両手で胸を押さえた。
「ちょっと、練習させて。」
光輝はそう言うと、瑠偉の両肩に手を置いた。
「え?練習?」
光輝はじっと瑠偉の唇を見つめた。
「ちょっと、光輝くん?ダメだよ?わあ、ちょっと!」
光輝が顔を近づけてきたので、瑠偉が慌てて逃げようとすると、ドアがバンと開いた。
「こらぁ、光輝!何してんじゃ!」
碧央の登場である。
「あははは、冗談だよぅ、冗談。瑠偉、いろいろありがとな。」
光輝はそう言って、去って行った。
「瑠偉、大丈夫か?!光輝に何されたんだ?!」
碧央が血相変えて瑠偉の両腕を掴んだ。
「え?えっと、何もされてないよ。うん。」
瑠偉が目を泳がす。碧央がじっと瑠偉の顔を見るので、瑠偉は泳がせていた目を碧央の目に戻した。
「本当だよ。光輝くんがね、まだ流星くんとキスした事がないんだって。それで、練習させてって、ああ、いやいや、冗談だったみたいで、未遂だよ。」
途中、碧央の目つきが変わったので、瑠偉は慌てて冗談だと付け加えた。
「あんのやろ、俺が入って来なかったらどうしていたか。瑠偉、光輝にあんまり気を許すなよ。」
「でも、光輝くんは流星くんの事が好きなんだよ?それなのに、俺に何かするなんて事、ないでしょ?光輝くんの事、信じてないの?」
「あのな、普通は他に好きなやつがいれば大丈夫だと思うだろうが、お前は格別に可愛いんだからさ、お前に隙があれば誰だって何かしちゃうんだよ。」
「いやあ、そんな事はないと思うけど?少なくとも、うちのメンバーは何もしないと思うよ?」
「とにかく、誰であっても気を許すな。分かったか?」
「……はい。分かりました。」
「よし。じゃあ、ご褒美。」
碧央は瑠偉にキスをした。結局、自分がしたいのである。
その夜、まだ光輝が決意を実行する前に、STEは逮捕されたのである。
STEは7人まとめて留置場に入れられた。よく、街で喧嘩をしていて捕まると、入れられるところである。
「何が詐欺罪だ。ろくに説明もないし。」
流星が毒づいた。
「俺たち、また檻の中に戻っちゃったな。なんか笑える。ははは。」
涼がそう言って笑った。
「あの時は生命の危機と、貞操の危機があったもんな。それに比べたら、今は余裕じゃないか?」
大樹も笑いながら言った。
「ああ、本当だ。あん時は怖かったもんなあ。あの時、お前たちが俺を守るって言ってくれたっけ。」
篤はそう言うと、大樹と涼の肩を抱いた。
「篤くん、覚えていてくれたんだ。へへ。」
涼が鼻の下を指で擦ると、
「守るって言ったのは俺だぜ。」
と、大樹が言った。
「分かってるよ、大樹。」
篤は大樹の頭を撫でた。いつもしっかり者の大樹。普段、誰も頭を撫でたりしない。
「あー。」
涼が大樹を指さしてニヤニヤと笑った。
「なんだよ。」
大樹は口を尖らせた。大樹の顔は赤くなっていた。
一方、大樹が「貞操の危機」と言った時、光輝がビクンと体をこわばらせていた。光輝はかなり危険な状態まで行き、顔が腫れるほど叩かれたのだ。
「光輝。」
流星は、そんな光輝の肩をそっと抱き、手でポンポンと肩を叩いた。光輝は、流星の方へ寄りかかった。
「あの時、僕を助けようとして頑張ってくれたよね。」
光輝が小声でそう言うと、
「いや、あれは俺にとって、ものすごく苦い思い出だよ。結局みんなの命の為だからって、光輝を犠牲にする事になって。」
流星は手をぎゅうっと握り締めた。
「ねえ、また脱走でもする?」
瑠偉が急にそんな事を言った。
「あの時は、外に出たら誰もいなかったけど、今度は外に出れば東京の街だぜ。必ず人がいる。」
碧央も続けて言った。しかし流星が、
「いやいや、あの時俺たちは人質だったから、人がいれば助けてくれただろうけど、今回は一応合法的に捕まっているんだ。誰も助けてくれないよ。」
と言った。
「そっか。」
ははは、と碧央は笑った。
「そもそも、ここから出るなんて無理だろ。」
大樹が言うと、
「また、歌でも披露しますよって?」
篤が冗談を言った。
「ははは、案外いけるかもよ?何しろ、僕たちは世界のスターだからさ。ははは。」
光輝がそう言って笑うと、メンバーもみんなで笑った。
だが、本当にそんな事になった。翌朝、留置場担当警察官から提案があったのだ。
「あなたたちもお暇でしょうから、どうですか、あちらでダンスなど披露していただくというのは。」
STEメンバーたちは、鋭く目を見交わした。これは、ひょっとすると逃げるチャンスかもしれない。
「そうですね、僕たちもここにじっとしているよりは、その方がありがたいです。ぜひ、そうさせてください。」
流星が答えると、
「よかった。それでは、どうぞ。」
担当官はそう言って鍵を外し、STEを檻から出した。
「あまり広い部屋はないのですが。」
担当官に案内された先には、多少踊れるスペースがあり、窓もあって明るい部屋だった。そして、数人の担当官が後からその部屋にやってきた。1人がスマホを取り出す。
「あの、本当にここでダンスを?」
流星がおずおずと尋ねる。
「お願いできますか?」
すると、担当官たちが拍手をした。STEのメンバーはびっくり。さっきまで威圧感を感じていたが、急に彼らに親近感を覚える。この人達、フェローかな?と思い始める。
7人は、急にスターの顔になった。最新曲をリクエストされ、ダンスの始まりの位置にそれぞれが付く。
担当官のスマホから流れる曲に合わせ、ダンスパフォーマンスを披露した。担当官は男性ばかりだが、みな目をキラキラさせて見ていた。曲が終わると、歓声が上がった。
「いやー、すごいです!本物を目の前で見させてもらえるなんて、夢みたいですよ。」
感激して、はしゃいでいる。
「ありがとうございます。」
留置場に入れられている事も一時忘れ、STEはにこやかにお礼を述べた。そこへ、どこからともなく歌が聞こえて来た。外から、アカペラで大勢の人が歌っているような声が。
その歌は、STEが初期の頃に出したアルバムの中に収められている「We are fellow(僕たちは仲間だ)」だった。よく、コンサートの最後にフェローと一緒に歌う歌である。
「あ!これを見てください。」
担当官の1人が、スマホをSTEのみんなの方に向けた。それは、ニュース映像だった。今、この留置場の周辺にはたくさんの人が集まって、We are fellowを歌っている。その人の輪がどんどん広がって行く様子が映し出されていた。STEのメンバーはその映像を見て息をのんだ。
「みんな……。」
「うそ、だろ……。」
「俺、涙出そう。」
光輝、涼、瑠偉がそう言うと、流星が、
「俺は出た。ううっ。」
泣き出した流星の背中を、光輝が微笑みながら撫でた。
ニュース映像の中で、アナウンサーが言った。
「STEのファンたちが、次々にやってきます。あ、横断幕を掲げている人もいますね。えー、私たちはSTEに騙されてなどいない、と書かれています。」
ニュース映像を改めて見ると、フェローたちは横断幕や画用紙を掲げている。STEを解放して、などと書かれていた。
「騙されてなどいない、か。俺たちが詐欺罪で捕まったから。」
大樹が言った。
「ありがたいね。」
光輝が言う。碧央は、
「俺たち、ここから逃げる必要なんてなさそうだな。フェローを信じていれば、きっと出られるよ。」
と言い、瑠偉も、
「うん、そうだね。」
と言った。
そして、ニュースは植木社長を映し出した。STEメンバーと入れ違いに釈放された植木は、STEタワーの前で記者に囲まれている。
「私や会社がどうなっても構いませんが、STEのメンバーだけは守りたい。彼らは一生懸命にやってきました。この地球を守るために、そして、フェローの想いに応えるために。」
植木がそう話した。更に、ニュースでは外国のメディア映像を流した。
「海外でも、STE逮捕のニュースが大きく取り上げられています。そして、続々と各国首脳や国連、NGO関係者からSTEの解放を求める声明が出されています。これは、日本政府がどう対応するのかが注目されます。」
アナウンサーがそう言っている。篤は、
「何か、集まってくれたフェローのみんなの為に出来る事はないかな。」
と言った。
「お礼を言いたいよね。今すぐに。」
光輝もそう言った。すると担当官が、
「では、ここから配信しますか?」
と言った。
「え?いいんですか?」
流星が驚いて聞くと、担当官は、
「どうぞ。僕のスマホを使いましょう。」
と言った。
「でも、そんな事をしてあなたは大丈夫ですか?後でお咎めを受けるのでは?」
流星が言うと、
「いいんです。実は僕もフェローですから。」
担当官がそう言うと、光輝はその担当官に抱き着いて言った。
「ありがとうございます!」
「わあ、いやあ、役得だな。さあ、それでは早速やりましょう。」
STEメンバーは、ササっと1分くらいで打ち合わせをし、スマホに向かって並んだ。
「こんにちは!Save The Earthです。」
皆で挨拶をし、更に流星が続ける。
「僕たちの為に行動してくれたみなさん、祈ってくれたみなさん、気にかけてくれたみなさん、本当にありがとうございます。僕たちは見ての通り、無事です。」
続いて篤が言う。
「集まってくれたみなさんの為に、僕たちがここからパフォーマンスを披露します。外には聞こえないかもしれないけど、心は一つ!」
そして涼も続ける。
「それでは、energyとWe are fellowの2曲、歌います。」
もう1人の担当官のスマホから曲を流してもらい、STEは歌いながらダンスを披露した。外にいるフェローたちにもすぐにこの情報が伝わり、皆スマホで配信を見た。そして、歌が終わると外からの大きな歓声がSTEの耳に届いた。
海外のニュースでも、このSTEのパフォーマンスと集まったフェローたちの映像が流れた。SNS上でも、たくさんの人が日本政府を非難した。中には著名人の投稿もあった。
「総理、このままではまずいのでは?」
総理大臣室で官房長官がそう切り出した時、外務大臣が入って来た。
「失礼します。各国大使館から抗議の電話が殺到しています。いかがいたしましょう?」
「うーむ。忌々しいSTEめ。これではまるで私が悪者ではないか。」
総理大臣が言う。
「やはり、すぐに釈放した方がよろしいのでは?」
外務大臣が言うと、総理大臣は、
「だが、周りに言われてほいほいと釈放したのでは、政府の威信が保てないではないか。」
と言った。だが官房長官が、
「ですが、結局罪状もでっち上げですから、そう長くは拘留しておけません。」
と言うと、総理大臣は、
「何か、やつらの弱みはないのか?何か悪い事の1つや2つ、しているだろう。」
と叫ぶように言った。しかし官房長官は、
「いえ、調べさせましたが、何も出ませんでした。」
と言った。
「政治家なら、必ず何か出るのだがな。」
総理大臣は腕組みをして目をつぶった。そして、そのまま天井を仰いだ。
「記者会見を開く。手配してくれ。」
総理大臣がそう言い、
「はい。」
官房長官が答えた。
そうして、総理大臣の記者会見が行われた。
「たった今、STEを解放するよう警視庁に通達致しました。多くの方にご心配をおかけしました。日本国を代表して、陳謝いたします。」
総理大臣はそう言って頭を下げた。記者が質問する。
「詐欺罪という事でしたが、疑いは晴れたのですか?」
「はい。この度は、警視庁の早合点と申しますか、勇み足と申しますか、大変遺憾ではありますが、合法的な措置であったという事ですので、どうか皆様にはご承知おきくださいますよう。」
それから、記者からいくつもの質問を浴びた総理大臣だったが、ろくに答えず早々に立ち去ってしまったのであった。
「なーにが勇み足だよ。政府が無理やり逮捕させたくせに。」
STEを迎えに行くために車を運転していた内海が、ラジオで会見の様子を聞いてそう独り言ちた。
そうしてSTEは無事に家に帰って来た。
「あー、疲れた。早くベッドで寝たいよ。」
篤が言った。瑠偉が、
「一日で帰って来られてよかったねー。」
と言うと、涼は、
「人生、何が起こるか分からないねー、ほんとに。」
と言った。碧央が、
「また、フェローのありがたみを強く感じたよね。」
と言うと、大樹がそれを受け、
「ああ。これからもいい歌を作って、いいパフォーマンスをして行かないとな。」
と言った。ソファにぐったり座り込んでいた面々だったが、大樹の言葉によってまたやる気がみなぎる。内海が、
「また明日から仕事だからね。今日はゆっくり休んで。」
と言い、メンバーはそれぞれ、
「はーい。」
と返事をした。お開き、の雰囲気になった時、流星が無言で立ち上がり、
「光輝、ちょっと俺の部屋に来て。」
と言って、すぐに自分の部屋に向かって歩き出した。
「うん。」
光輝がその後を歩いて行った。
「なんだ?2人して深刻な顔しちゃって。まさか、別れ話?」
「もしかして、今更告白だったりして?」
「まっさかー。」
涼と大樹は、あはははと大笑いした。瑠偉は苦笑い。みんなにバレてるじゃないか、と。だが、実際あの2人に何があったのか、心配でもあった。
「あの、流星くん?どうしたの?」
流星の部屋に入り、ドアを閉めると、光輝が不安そうに尋ねた。
「光輝、俺は気づいたんだ。」
「何を?」
「俺たちの時間は無限ではない。明日、どうなるかも分からない。」
「そうだね。明日も同じ明日が来るとは限らないよね。」
「だから、大事な事を先延ばしにしてはいけない、と気づいたんだ。」
「なるほど。それで、大事な事って?」
「それは……。」
流星は突然、光輝を突き飛ばした。光輝はすっとんで、ベッドの上でバウンドした。すかさず、その上に流星が乗っかって来た。
「うわー、ちょっと待って!流星くん!」
「待てない!今しないと後悔するかもしれない!」
「いや、待って!ダメだって!いくらなんでも、段階ってもんがあるでしょ!」
「光輝!」
「やーだっ!」
しばらくもみ合ったが、光輝があまりにジタバタするので、流星も諦めざるを得ず、光輝の上からどいた。光輝が涙目になって流星を睨んでいる。それを見た流星は、ハッとして、急に冷や汗をかいた。熱に浮かされていたのが、突然目が覚めたような、冷や水を浴びせられたような感覚。
「こ、光輝、ごめん。その……焦り過ぎたよ。」
流星が光輝の方に手を伸ばすと、光輝はその手をぴしゃりと叩いた。
「あ……俺、嫌われた?ど、どうしよう、光輝、ほんとごめん!何やってんだろ、俺。光輝に嫌がられたら元も子もないのに。ただ、大切だからっていつまでも手を出さずにいたら、後で後悔するって思って、それで……。」
しばし沈黙し、2人は見つめ合った。
「……もう、分かったよ。」
光輝はお山座りになって、膝をぎゅっと抱いた。
「光輝?」
「嫌いになんて、なってないよ。」
「でも、怒った?」
「うーん、怒ってはいないよ。びっくりしただけ。でも、ああいうの、流星くんらしくない。ちょっと怖かったもん。だから、嫌だ。」
「うん、ごめん。」
「僕も、同じことを思っていたよ。明日何が起こるか分からないから、後回しにしていちゃいけないって。だから、昨日は僕から……しようと思っていたんだ。」
光輝の最後の言葉は、消え入りそうな程小さくなった。
「え?何?」
よく聞こえなかったので、流星が顔を近づけた。その時、光輝は流星に、キスをした。
「まずは、ここからでしょ?」
流星は、一瞬面食らって目をパチパチさせたが、その後でふっと笑った。
「そうだよな。」
2人はふふふ、と笑い合った。そして、流星は光輝の肩に手をかけ、2人はもう一度口づけを交わした。
「まぁた、ここにいるし。」
碧央が呆れてそう言った。流星の部屋のドアに、瑠偉がへばりついていた。
「そんなに、あいつらの事が気になるわけ?」
瑠偉は、そうっとドアから離れ、碧央の所へ行った。
「だってぇ、気になるよぅ。碧央くんは気にならないの?」
「別に、気にならないね。」
「碧央くんはクールだねえ。」
そう言われて、碧央は顔を曇らせた。碧央は、昔からあまり人に関心がなく、何度も友達から「冷たい人」だと言われてきた。瑠偉には特別な関心があるのだから、今は「冷たい人」ではないと思っていたのに、その瑠偉からクールだと言われてしまった。胸に冷たいものが降りて来た。
「碧央くん、どうしたの?クールでかっこいいって意味だよ?」
瑠偉は碧央の表情を見て不安になり、碧央の腰に手を回して、ぎゅっと引き寄せた。そして顔を覗き込む。
「俺は冷たい人間か?」
「え?そんな事ないよ、全然。碧央くんは温かい人だよ。」
「でも、今クールだって言ったじゃないか。」
「冷たいんじゃなくて、涼しいんだよ。暑苦しくないの。」
「は?何それ。」
「もう、その言い方は冷たいよ。人の事を詮索するのはカッコ悪いし、暑苦しいよね。反省します。」
「いや、お前は下世話な興味じゃなくて、あいつらの事を心配しているんだよな。」
「まあ、心配もしているけど……興味もあるんだよね。」
瑠偉はそう言って、ペロッと舌を出した。
「まあ、後で光輝くんに聞けばいいや。行こう行こう。」
瑠偉はそう言うと、今度は碧央の肩に手を置き、自分の部屋の方へ促した。
翌朝、瑠偉はリビングに到着するなり、光輝を探した。夕べから、流星との事を聞こうとこの機を待ち構えていたのだ。
「あ、いた。光輝く……。」
声を掛けようとして、思いとどまった。コーヒーを飲んでいた光輝の隣には、同じくコーヒーを飲んでいる流星がいて、ちょうど瑠偉が光輝に声を掛けようとした時、光輝が流星の耳元に口を寄せ、何かを囁いたのだ。そして、2人はくすくすと笑う。
「ありゃ、聞くまでもないか。」
そっと呟いた。
「瑠偉、どうしたんだ?」
碧央が現れた。
「碧央くん、おはよう。あの2人、喧嘩でもしたかと思ったけど、問題ないみたいだね。」
瑠偉は目線で2人を示し、小声で言った。
「ああ……問題ないというより、進展したって感じだな。」
「えっ、そう?……本当だ。そっか、つまり……むふふ。」
瑠偉が笑うと、碧央もふっと笑って瑠偉の頭に手を置いた。
「変な笑い方してぇ。……可愛いけど。」
「え?」
「何でもないよ。」
「えへへ。」
そこへ、篤が現れた。
「おう、瑠偉。今日も可愛いな。」
そう言うと、篤は瑠偉の腕をさっと引っ張って、自分の腕の中に収めた。
「篤くん、おはよう。篤くんも相変わらずイケメンだね。」
「そうだろう?よしよし。」
篤が瑠偉の頭を撫でると、碧央が瑠偉の腕を引っ張って、篤から引きはがした。
「瑠偉、コーヒー淹れて。」
「はいはい。」
「あ、俺にも淹れて!」
めげない篤であった。
「みんなに相談がある。」
植木が現れて、そう言った。
「何ですか?」
流星が問うと、植木が話し出した。
「今回の事で、俺もいろいろ考えた。君たちが、思うように音楽を作って、世界に発信していくには、この日本を出た方がいいのではないかと思うんだ。どうだろう?」
「日本を出て、またアフリカとかに行くんですか?」
大樹が聞いた。
「今度は永住ってこと?」
涼も質問した。植木は、
「いや、どこかの国に永住すれば、やがてそこも日本と同じになってしまう。この際、島でも買ってしまおうかと。」
と、植木が言った。
「え!?島を買う?無人島ですか?」
篤が驚いて言った。
「そんなお金、あるんですか?」
流石の流星も驚いて聞いた。
「そう、無人島だ。まあ、君たちならすぐに稼げる額なのだろうが、そうすると今までのようにチャリティーコンサートではなくなってしまう。だから、このSTEタワーを売って金を作ろうと思うんだ。」
と、植木が言った。
「俺は、どこにいてもSTEでいられるなら、いいですよ。」
と、碧央が言った。
「でも、テレビ出演が難しくなりますよね?リモート出演は出来るけど、他の出演者との交流が一切なくなりますよ?」
瑠偉がそう言うと、涼は、
「元々飲食店に行く機会もないけど……デリバリーとかも出来なくなるんですか?」
と言った。
「まあ……そうだな。うっかり、君たちがアフリカにいても問題なかったものだから、大丈夫だと思ってしまったが、永住となるとやはり問題があるか。」
植木が頭をかく。すると光輝が、
「僕は、やっぱり日本にいたいです。デリバリーとかの問題じゃなくて。僕たちのフェローは世界中にいるけど、やっぱり日本には一番たくさんいて、僕たちを支えてくれています。僕たちは日本人なのに、遠く離れてしまっては、日本にいるフェローが悲しむのではないかと思うんです。」
と、言った。
「うーん、確かにな。」
植木がうなる。
「今回の騒動で、政府も僕たちをまた逮捕しようとは思わないんじゃないですか?」
流星がそう言うと、
「あはは。誰も、もう政府にたてつくような歌は作らないようにしよう、とは言わないんだな。」
部屋にいてうろうろしていた内海が、突然笑ってそう言った。
「そりゃあ、そうですよ。そんな事をしたら、俺たちの存在意義がなくなってしまう。」
大樹がそう言い、涼も、
「そうですよ。ただのアイドルになってしまいますよ。そんな事になったら、賞味期限を切られた気がしてぞっとしますよ。」
と言った。
「賞味期限か、あははは。まあ、政府の事もそうなんだが、世界中から君たち目当てに人が殺到する事も問題なんだ。チケットの倍率があまりにも高くなってしまうし。」
植木が言った。
「普通、そうなればチケットの値段を上げるところなんだけどね。そうしたくはないだろ?」
内海も言った。
「そうか、チケット代が高ければ、申し込みも減るし、それだけこっちも儲かるってわけか。」
光輝が納得した、という風に言った。
「普通なら、そうするが、俺たちはしない。だろ?」
植木がもう一度聞くと、メンバーは皆、微笑みながら頷いた。
「そうしたら、オンラインライブがいいんじゃないですか?それなら、人数は無制限ですよね?」
瑠偉が提案した。
「常に、オンラインでやるって事か?観客を入れずに?」
植木が問うと、
「はい。」
と、瑠偉が答えた。すると、
「だが、そうすると歌番組の観覧とかに人が殺到するんじゃないか?それしか生でパフォーマンスを見られないとなると。」
と、大樹が言った。
「そっか。」
瑠偉が頷く。
「じゃあ、もっともっと、たくさんコンサートをやればいいんじゃないですか?そうしたら、倍率は下がるでしょ?」
碧央が言った。
「そうですよ、海外を回るというよりは、日本でたくさんコンサートをやる方がいいのかもしれませんよ。」
流星もそう言った。植木は、
「そうか、確かにたくさんコンサートをやるというのは、ありだが……疲れるぞ?」
と言った。すると碧央が、
「あ……そうかな。」
自信なさげに言った。
「いいじゃないか、移動がそれほどなければ、きつくないかもよ?それに、練習で散々疲れているんだからさ、本番をたくさんやっても同じ事だよ。」
しかし涼はそんな事を言う。瑠偉は、
「そうかなぁ。」
と、首を傾げた。すると大樹が、
「回数をたくさんやるなら、1回の公演を短めにすればいいんじゃないか?そうすれば疲れないよ。」
と言った。瑠偉は、
「そうだよね、いつもは20曲とかぶっ通しでやるから疲れるけど、10曲で一度休憩が入れば、楽だよね。次の10曲も同じものをやるわけだし。」
と言った。しかし篤は、
「でもさ、日本でばかりやって、海外にあまり行かなくなったのでは、時代の流れに逆行していないか?俺たちはワールドワイドなスターなのに、また国内に閉じこもるのか?」
と、疑問を呈した。涼も、
「たまには、ヨーロッパとかアメリカとかにも行くべきだよね。」
と言う。光輝は、
「アフリカだって、中東だって、行くべきだよ。」
と言った。植木は、
「うーん、難しい問題だな。また少し考えてみよう。」
と言った。