青山永子です。読んでくださり、本当にありがとうございました。
普段、短編にあとがきをつけることはないのですが、この作品については、今、物語の外で言葉にしたいことがあったので、こうして書いております。完全に蛇足なので、読んでいただかなくても問題ないですが、読んでいただけると嬉しいなあと思います。
鯨座のニーナは数年前に違う筆名で書いた小説です。ずっと非公開にしていたのですが、最近(二〇二四・十一月上旬)読み返して、この小説はいいなと思えたので、再公開することにしました。
物語に救いばかりを求めている時期がありました。自分の物語がだれかを救えたらと思っていたし、そのために書こうとも思っていました。今は、そんな傲慢なことはあまり考えていないし、直接的な救済よりも物語自体の面白さの方が大切だと考えています。メッセージ性なんて、物語自体の面白さがあれば今の私には必要ない。
でも、救いばかりを求めていた時期だって振り返ればいとおしいです。ニーナは、だれかではなく、ただ、他でもない「自分」を救うために生まれた小説でした。
別の筆名で書いていたにも関わらず仲良くしていただいている作家さんが見つけてくださったり、何人かの読者さまが感想をくださったりしたのですが、ニーナはほとんど「自分」だったから、見つけていただいたことも読んでくださったこともありがたいと思う以上に恥ずかしくて、怖くて、私ではないとくだらない嘘を吐いて、すぐに非公開にしました。
ニーナと同じように私も、小さく思えるような物事、自分をケアするための些細なこと、そういったことがどうしてもできないことがありました。
今も、何もかもできなくなることが時々あります。年を重ねても、頭の中はよく散らかるし、優先順位をつけられないし、これが怠惰なのか特性なのかはっきりしない。理想通りに生きられたためしはなく、自分を嫌い憎みながら歪な自己愛だけを膨らませています。
そういう私みたいな、だけど、私ではないだれかが、この世界のどこかにはいる気がしています。
あなた、かもしれません。しっかりしている方のあなたなら、そういう人もいるのかと呆れてさくっと許してほしいです。
私やニーナのようなあなたに、大丈夫ですよ、と簡単に言うことはできないけれど、でも、ニーナがいて、私もいて、あなたもいて、どの部屋にもあかりはついているから、今はそのあかりが消えているかもしれないけれど、そのあかりは生きている限り、ときどき、必ずつくのかなと思います。
ニーナにしかオータはいないから、ニーナが羨ましいなとは思うけど。私の中にはニーナとオータの両方が一緒の部屋に住んでいます。
私は私、ニーナはニーナ、あなたはあなた。たとえば、部屋のベランダに素足で立って、きれいな夜明けを眺めるみたいに、ちいさな再生を何度もくりかえしながら、別々の世界で、それでも一緒に、生きていけたらいいよね、と思っています。それが言いたくて、このあとがきを書きました。
それでは、このあたりにしておきます。
また、別の物語でもお会いできたら嬉しいです。
青山永子