さて、これは今年の夏頃、実母の生家である星名家に行った時の思い出だ。
 この時私は私宅監置について調べており――ずっと虐げられて閉じ込められていたヒロインについて空想しており――それには、“倉”というのは、なにやら怖くてぴったりではないかと考えて、『倉ならお祖父ちゃんの家にあるじゃん!』という思いつきから、星名家へと向かうことにした。

「藍堂くん、車を出してくれてありがとう!」
「いつものことすぎる。でもな……あのさ? 祖父の家に男を連れていくって、結婚の挨拶みたいだろ……」
「そうなの? 結婚? なにそれ面白そう。私と星名くんが?」

 私が吹き出すのを堪えると、藍堂くんが目を据わらせた。

「お前にその気が無いのはよく分かってる。ほら、行くぞ。俺は川口駅で姫ます寿司を丁度買いたかったから、そのついでだ」

 藍堂くんがシートベルトを締めたのを、私は確認した。
 私たちが暮らす明倉町から三桧村へは、会津鉄道の只見線の沿線を通っていく。
 只見線は近年では海外からの観光客も多く、有名な路線で、写真家も多く来る。
 だが専ら現地住民は、車を主体に生活しているので、国道を行く。

 途中には、霧幻峡と呼ばれる、川の上に霧が出て、まるで雲の上にいるかのような幻想的な気持ちになる場所がある。



 本当に秘境中の秘境というような土地柄だ。しかし私から見るといつもの風景なので、どうして皆が立ち止まって写真を撮っているのか、最初は分からなかったほどである。

 こうして星名家へとついた。
 星名家は、俗に言う地主の家系であり、三桧村には昔ながらの区長様や寺の人をはじめとした有名な家系が三つあるのだが、その内の一つで、この家が明治に立った時も、村で三番目の大きさにしたのだという。

 江戸の昔から一風変わった人が多く、比叡山まで修行にいった人もいれば、新聞社を起こして失敗した人もいて、東京の大学で某歴史上の偉人と学んだ人もいれば、自殺する人も多いという家系だった。私もそう言った部分があるのだが、元気な時はどこまでもやり、元気じゃない時はぐっと落ち込み寝たきりになってしまうタイプの人間が血筋に多いと言われている。

「ここがお祖父ちゃんの家」

 私は、玄関を見た。この玄関は、昭和に改築されたと聞いている。なお平成になっても、私が小さい頃は和式のボットン便所であり、いつ落下するか私は常々恐怖を覚えていた。



「ごめんください」
「よく来たな」

 中に入ると、かつては掘りごたつだった居間に、祖父が座っていた。

「こちらは藍堂くんです」
「お前も男を連れてくるようになったのか。これはまぁ男前だ」
「――藍堂です」

 藍堂くんが愛想笑いをした。藍堂くんはお年寄りと子供には特に優しい。

「電話で話したとおり、倉を見せて欲しいの」
「好きに見て構わんよ」

 ニコニコしている祖父に頷き、私たちは早速倉へと向かうことにした。倉は、居間の隣の仏壇の間の先にある。



 すると藍堂くんが、仏壇を見て足を止めた。上方を見ている。

「おい、あれ……」
「うん?」



「あれがどうかした?」
「いや、あれ……ちょっと神聖すぎるだろ。なんでお前の家にあるんだよ?」
「どういうこと? あれは比叡山まで修行に行った人が預かっていつか近所のお寺に返すとしか聞いてないけど?」
「まぁ……あれがあるから、今、お前と弟は無事なんだろうな」
「へ?」
「自殺してるだろ、お前の一番下の叔母さん」

 藍堂くんがいつになく怖い顔をしていた。
 私の母は三人姉妹の長女で、本来であれば婿を取って家を継ぐはずだったのだが、水鳴家の父と結婚した。そして真ん中の叔母は、京都で暮らしている。そして三番目の叔母・加奈子叔母さんであるが……確かに亡くなってはいるが、私は病死としか聞いたことがなかった。なお私は二人姉弟で、弟がいる。

「おい、本当に倉に入るのか?」
「それが目的だからね。その前に、ここの二階も見る」

 なお、藍堂くんが私にはさっぱり分からない怖いこと……オカルト的な発言をするのは、比較的よくあることなので、私はツッコミを入れなかった。

 こうして私は、とりあえず仏壇の間の二階へと向かった。



 ここは嘗て、祖父母が煙草農家をしていた際に、煙草の巨大な葉を干していた場所だ。小さい頃は急な階段が危ないため行ってはダメだと言われ続けていたし、私も入ってはダメだと思っていたが、何回かは見たことがあった。

「二階に座敷牢ってありえると思う?」
「さぁな」

 私たちは写真を撮り終えたので、いざ倉へと向かった。すると長持が最初に目に入ってきた。



「おい」

 手を伸ばして鍵に触れようとした私の手首を、ぐっと藍堂くんが掴んだ。

「開けるな」
「? どうして?」
「見ない方がいい」
「だからどうして?」
「お前に簡単に説明するなら、“悪意”みたいなものを感じる」
「さっぱり分からないから開けるね」
「自己責任だからな」

 藍堂くんが肩を落として溜息をついた。私は基本的には心霊現象といったものを信じないので、鍵をあけた。すると、中には着物が入っていて、加奈子叔母さんが昔着ていたのを見たことがあるなと思った。じっくり見れば、それはマタニティ用の服だった。

「……?」

 加奈子叔母さんに子供がいたという話は聞いたことがない。
 それを手に取っていると、はらりと一枚の写真が落ちてきた。



 顔の部分が黒く塗りつぶされている、私と弟の写真だった。
 驚いて後ろ側を見てみると、こう書かれていた。

『諒ちゃんと義野くんが死ねばよかったのに』

 義野というのは、私の弟の名前だ。私は背筋をひやりとした手で撫でられた気がした。

「藍堂くん、どう思う?」
「お前の叔母さんは、流産したんだよ。それを苦にして自殺した。相手はとっくに離婚してる。言いたくはないが、お前の母親はともかく、お前と義野は連れていかれそうになっただろうな、小さい頃は頻繁に――いいや、それはないか。仏壇のところにあった、アレが多分、抑えてくれてたんだろう。それだけじゃない、この倉、他にも神聖なものがある。二階だな」

 つらつらと語る藍堂くんを見て、私は怖くなった。だが元来好奇心旺盛な私は、それらを長持にしまい、立ち上がる。目指すは、二階だ。先に藍堂くんが歩きはじめたので着いていくと、藍堂くんが倉の二階のある部屋をあけた。そこには、鏡と桐箪笥、そして。



 獅子舞の首があった。

「これだな」
「これ? 確かにうちが代々管理はしてるけど、これ?」
「おう。お前の家、やばい怨念だらけだけど、神聖なものも溢れてるから、なんとかなってるんだろう」

 そういうものなのだろうかと私は思った。
 自分ではさっぱり分からないが、私は恨まれ、そして守られていたのだろうか。

 祖父に叔母のことを聞くか迷ったが、さすがに言いだしにくかったので、それは後日母に聞くと決めて、この日は私たちは星名家を後にした。

 その後、帰宅して母から聞いた。

「あら……お祖父ちゃんが話したの?」
「ま、まぁ、そんなところ」
「……ええ。加奈子は自殺したのよ。子供が生まれるのを楽しみにしていたんだけれどね。諒と義野のことを見る度に、こんな服を着せたいなって話していて」

 追憶に耽るような母の瞳が忘れられなかった。