はじめに

この物語はフィクションです。
実在する登場する人物、組織及び団体とは関係はありません。

 佐々山電鉄株式会社は、実在しておりませんが昭和31年12月で廃止になった東武鉄道伊香保軌道線(渋川駅前~伊香保)がモデルです。小説内では、同線が佐々山電鉄として、現在も運行されている架空の世界です。
   表紙イラスト・イケノウエ様

    もくじ 

 プロローグ

1.群馬県庁へ

2.あぶない!駅構内での歩きスマホ

3.反感応式心霊レーダー

4.交通安全教室の開催



  登場人物

佐藤美佳
 主人公。佐々山電鉄職員。
元・高校生応援団のリーダー

鈴木優
 美佳の相棒。大学生
 交通政策とまちつくりを学ぶ学生

雨宮京子
 女子高生。天才美少女
 交通政策とまちつくりの専門家



 【プロローグ】

関東地方北部に位置する群馬県。

JR上越線・吾妻線の分岐駅である渋川駅。

佐々山電鉄株式会社は、榛名山の麓の都市・渋川駅前から温泉で有名な伊香保までを結ぶ全長12kmの単線・電化鉄道だ。

人口減少、少子高齢化、マイカー保有率が全国トップレベル。鉄道利用者減少。

御多分に漏れず経営がピンチの鉄道だ。

 伊香保温泉のホテル・旅館街の入口にある“峠の公園”にある茶色とクリーム色の小さな路面電車をご存じだろうか?

 昭和三十年後半までは大手私鉄の東武鉄道が経営していた路面電車。前橋駅前や高崎駅前から渋川市を経て、榛名山の伊香保温泉までの急勾配区間を登坂していた。

自動車の普及と道路整備で、路面電車は廃線になる。地元企業や観光関係者の起案で渋川駅前から伊香保温泉間のみ佐々山電鉄としてほぼ同じルートの線路跡を利用し改軌、電圧昇圧などを行い継続した。

ただ、自社で車両の新造が出来なかった。

 榛名山の急勾配を運行するため西武鉄道のパワーのあるモーター。抑速ブレーキ搭載の中古車両を譲渡して運行している。


【群馬県庁へ】

 七月初旬。

JR上越線・渋川駅前。

梅雨らしい雨の日が続いていた。

曇り。

天気予報では、今日は雨が降らないらしい。

 渋川駅前プラザの横にある昭和レトロな木造駅舎。 佐々電渋川駅の駅舎だ。

 カンカンカンカン……。

離れた場所から踏切警報音が聞こえる。

 黄色の二両編成の電車が、前照灯を点灯させガタンゴトンと車体を揺らしながら行き止まり式のホームに、ゆっくりと進入して所定の停止位置に停車した。

 到着した列車からは、セーラー服の女子高生が下車していく。

殆どの生徒が、スマホの画面を見ている。

 佐々電渋川駅の構内にも、歩きスマホに対するマナーアップポスターは掲示してあるが、そもそも歩きスマホに夢中な人間が、ポスターなどを見る事は絶対に無いし、歩きスマホをする誰もが自分は絶対に安全という根拠のない自信を持っている限り改善など期待は出来ない。

 最後に下車したビジネス鞄を片手に持ったスーツにスカート姿の女子社員。

佐々山電鉄・電鉄部運輸課の佐藤美佳。

今年二十歳になる女性社員。身長は160cm。容姿も特徴も無く、セミロングの髪を今日は束ねている。

「藤原さん。お疲れ様です」

乗務員室に居る若い運転士に声を掛ける。

「あっ。美佳ちゃん。出張?」

「前橋。群馬県庁で会議」

「お疲れ様。気をつけて」

「ほい」

 この運転士は藤原という。

 四年前に発生した佐々山電鉄脱線事故の当該運転士だ。

 当時、運転士に成りたての藤原運転士が咄嗟に線路の異変に気が付き、直ぐに停止手配を施したので先頭車両脱線で済んだが、少しでも躊躇していたら全車両が崖下に転落して大勢の死傷者がでる大惨事になっていた。

 それでも、列車の先頭車両は線路脇の架線柱に衝突して大破。現場解体になる事故だった。

 当時、高校生だった美佳とクラスメートの鈴木優という男子生徒も軽傷を負った。

 美佳にしてみれば、藤原運転士は命の恩人でもある。

 改札口でも初老の定年延長のベテラン駅員にも挨拶をする。

 駅前にでると周囲を見渡す。

車内でも、女子高の生徒が居たので気にはなっていた。

「今日は、学校が終わるのが早いなぁ」

 昼前なのに、制服姿の地元高校生達が駅前や待合室に居る。

教科書や参考書を片手に持っている事からテスト期間中らしい。

「学生はいいなぁ。テストは嫌だけど」

 大きな溜息を吐いて憂鬱な顔で駅前のバスターミナルに向け俯き歩きだした。

「はぁ。好きな事を仕事にするモンじゃないねぇ」

再度、深い溜息を吐く。

美佳は、いま大きな悩みを抱えていた。

美佳は、子供の頃からの鉄道好きが高じて地元の赤字ローカル鉄道会社・佐々山電鉄に入社した。

 入社後、大好きな鉄道に囲まれて、「天職だぁ」と喜び仕事に邁進していていた時期は短く、入社後半年位で苦痛に変わった。

 仕事は徐々に責任が重くなる、初めての人身事故対応で遺体処理の途中で倒れた。

楽しいことしか期待していなかった鉄道業界。鉄道趣味の延長戦上にしか見て居なかった美佳にとって落差が激しかった。

 そして、今は周囲の期待に応えられなかった精神的な苦境に立たされている。

 「勝手に期待されて、勝手に失望されてもなぁ。アタシの所為じゃないよ」

ふと、心の中で呟いた筈が声に出ていた。

 人間には、自分の生命を守る為に、危険な状況回避から身を守る為に五感がある。

 美佳は、考え事をしながらボーッとしていた。注意力散漫な状態も同じだ。

ある意味では、危険を察知する思考を自ら塞いだことになるのだろう。

ふと、顔を上げると、目の前に人が居た。

「おっ」と思わず声をあげた。

歩きスマホをしている女子高生。

美佳は、慌てて肩がぶつかる寸前に避けた。

 それでも、美佳の肩に相手の背負うリュックが軽く当たった。

「いたっ」

 美佳は、即座に

「ねぇ。ちょっと!当たったよ」

 美佳は、相手に向かい大声で言うが反応がない。

「コラ。危ないよ。前見て歩いて!」

しかし、女子高生は謝罪どころか、立ち止まらず歩いていく。

 最初は無視されたと思ったが、相手の耳にイヤホンが見えた。

「あー。怒るのが馬鹿らしいなぁ」

 モヤモヤした気持ちになったが、自分も考え事をしていて注意力が散漫になっていたので、お互い様だと反省する。

「歩きスマホかぁ……」

 でも、その一件で忘れていた仕事の依頼を思い出す事が出来た。 

「歩きスマホ。依頼の件!」

先月、渋川警察署と携帯電話会社から“駅構内での歩きスマホについてのマナーアップキャンペーン協力のお願い”という依頼があった事を思い出す。

 佐々山電鉄からも、何かアイデア的な提案をして欲しいという依頼だった。

 忙しくて何も手を付けていなかったが七月の月末に回答をする事になっていた事を思い出した。

 美佳が悩んでいる現状。

佐々山電鉄では高卒なら現場採用で駅員からスタートするのだが、入社時から美佳だけは本社採用が前提になっていた。

 美佳は、経営再建に必要な人材。

佐々山電鉄だけでなく渋川市や伊香保温泉組合、渋川市の観光関係者だけでなく群馬県職員までもが、美佳の本社採用を望んでいた。

 当時の美佳は、意味も解らず喜んで入社した。

なぜ、美佳が期待の人材なのか?

 佐々山電鉄の四年前の事故原因。

それは、公的支援を受けている企業にあるまじき不正工事で発生した脱線事故。

乗客・乗務員二十一名が重軽傷。損傷の激しかった先頭車両が現場解体という大事故だった。

国交省や管轄の関東運輸局から事業改善命令(運行停止処分)が下され三か月間、佐々電は列車による運転が出来なくなり全線でバス代行輸送を行った。

 しかし、バス代行輸送で問題が発生。

 バスが運転士不足で手配できない。

手配できても、乗客の積み残しが多発した。

鉄道輸送力をバスに換算すると、二両編成の列車と比較して、一列車につき着席式の観光バスが三台から四台ほど必要になる。それが各列車分に一台だけで三十分ヘッドでローテーション。

 いくら、乗客が少ないといえども、簡単に鉄道輸送をバスに移行するのは困難だ。

朝夕のラッシュ時は、明らかな輸送力不足。

駅前と道路沿いにある臨時のバス乗降場では、乗客の積み残し遅延を出した。

まして、バス会社では自社の運転士不足で減便する状況。他社の鉄道輸送力をカバーするだけの人材を割くのは無理だ。

 バスが時間通りに来ない、来ても満員で乗れない。一度でも、不利益を感じた利用者が考える事は自動車に乗り換える事だ。

高校生の保護者は、各家庭で我が子を学校までマイカーで送迎する。

想像するまでもなく、並走する県道は大渋滞になり、高校生だけでなく通勤や観光客なども影響が出て移動が出来なくなる。

 佐々山電鉄は不要。

公的支援や補助金を出す位ならバス転換をするべきと主張していた地元の人達や議員達ですら、現実に起きている地域経済の影響や移動の自由を破壊的に追い込んでいる酷い現状を目にして、自らの主張の甘さを訂正しはじめた。

『佐々山電鉄の負の社会実験』と言われた。

しかし、運行再開は容易ではなかった。

佐々山電鉄は、航空鉄道事故調査委員会での調査指摘された不安全な施設、事故再発防止処置でリストアップされた保安設備改善費用を捻出する力は無かった。

 公的な支援も、自治体や議員からの反対意見が多く、市民の一部からも不正工事で事故を起こすような鉄道会社に救いの手を差し伸べるほど世の中も甘くなかった。

 佐々山電鉄が加盟する全国組織の労働組合も署名活動や関係各所に請願書を提出したりしたが簡単に話が進まなかった。

 意外にも、この難局で鉄道運行再開に向けて活躍したのが地元高校生組織。

 佐々山電鉄応援団の活躍だった。

美佳は高校生応援団を結成して署名活動だけでなく、交通政策とまちつくりに精通する鈴木優の知恵を借り交通政策とまちつくりという、財政支援は鉄道会社の救済ではなく地域課題解決の為の社会投資という提言で大人達を動かした。

 特に、沿線の中高生生徒会を訪問して、学校単位で簡易的なモビリティマネジメントという交通移動についての学習や意識改善の授業を開催して生徒が自ら行動変容を促す取り組みを展開した。

美佳の本社採用は、その功績が高く評価されたのだ。

 榛名地域では、地元高校生応援団・佐々山電鉄応援団の活躍は語り草になっている。

そのリーダーは佐藤美佳。

確かに、美佳は応援団のリーダーで司令塔だったが、実際に応援団の頭脳でありブレインとして知識や技術を提供していたのは鈴木優という男子生徒だった。

 鈴木優は、高校を卒業して大学に進学。

自動運転次世代交通の研究をしている。

 入社三年目にして、美佳だけの尽力では佐々山電鉄の再生が難しいと周囲が理解してきた段階で、鈴木優に期待を始める。
美佳は、世の中の世知辛さを感じていた。

「はぁ。お払い箱になっちゃう」

また深い溜息を吐く。

ピッ。

バス乗車ドアの脇にある交通系ICカードのカード読み取り機にタッチする。

 渋川市の隣市である前橋市へは、電車でも行けるが目的地が群馬県庁なので路線バスでの移動を選択した。

 バスは動き出し国道17号線に沿った利根川沿いの化学工場が立ち並ぶバイパスを南下、昔は利根川に架かる阪東橋という古びた橋を渡り、遠くに水力発電所のサージタンクが見えると、渋川市から前橋市へ入るという軽い越境感を味わえた。

現在は路線バスのルートが変わり高速道路と遜色のないバイパスを進み、気づくと前橋市という味気ない移動となった。

 群馬大学荒牧キャンパスに立ち寄る系統らしく、途中からバスは学生達で立ち席がでるほどになった。

 遠くに群馬県庁の33階の庁舎が見え隠れしてくる。

 前橋市内に入ると、バスの車窓から見える街並みが賑やかになる。

 でも、街並みは賑やかだけど歩道には殆ど人は歩いていない。

 中心市街地空洞化で、建物は多いが買い物客や観光などの街歩き回遊性が少ない。

 前橋市に限らず、群馬県内の中心市街地は同じような地域課題を抱えている。

 美佳は、本町バス停のアナウンスで、降車ボタンを押した。

美佳は交通系ICカードをタッチした。ピッと軽快な電子音がした。


水と緑と詩の街。

県庁所在地の前橋市。

梅雨時、前橋も薄曇りの天候。

 二年ぐらい前は、前橋市の中心商店街、アーケード街はシャッター通りで、日中は殆ど人が歩かない寂しい街並みだった。

 それは、今では少しずつだが変化を遂げている。

 優秀な行政担当者、大学の教授陣、そして地元企業や市民が様々なアイデアを出し合い、それを実行している。

 いまでは、新しい店が開店、街並みも整備され賑わいを取り戻しつつある。

 そういう前橋市の変化を観察する事は渋川市や佐々山電鉄に対して参考になるべきものがあればと考えて居た。

 整備された馬場川の遊歩道を歩いた。

 少し離れたバス停から、程よいウォーキング感を得た処で目の前に群馬県庁の建物が近づいてくる。

 前橋市役所、群馬会館の信号手前で、美佳は群馬県庁を見上げる。

地上33階。

「相変わらずデカいな」

 毎年、元旦に行われるニューイヤー駅伝のスタート地点でありゴール地点でもある群馬県で一番高い建物だ。

美佳は、会社ではパンツスタイルの制服で家でもスカートは殆ど着用しない。

 そんな美佳ですら、今日の会議ではスカートやワンピースを着て、女子力を見せ付けないといけない理由があった。

 美佳にとって、応援団でのブレインであり大事なバディである鈴木優が、大嫌いな ライバルに奪われる危機。

「ここで優を持って行かれたら困るのよ」

絶対に負けてはいけない宿敵が同じ会議に参加する為だ。

「どうせ、京子の奴は可愛い恰好で来る」

 美佳とは逆で、フェミニンな服を好んできていて、アイドルみたいな可愛い容姿。

 実際に、彼女にはファンクラブもある。

雨宮京子。

現役の女子高生。

容姿端麗、頭脳明晰。

日本屈指の交通経済学者である父親を持ち、自らも天才美少女と名高い逸材だ。

 確実に、鈴木優を雨宮京子が狙っている事だ。

「優の奴。可愛い服が似合う女が好きだからな。しかもロリコンだし」

 しかし、スーツの地味な濃紺のスカートが美佳には精一杯の抵抗だった。

誰かの為に、着たくない服を着るという行動に追い込まれている自分に笑った。

「何かを得る為には、何かを犠牲に。等価交換」と何処かの漫画で読んだ主人公の言葉を口にして気合を入れる。

 今日、美佳が出席する会議は、群馬県庁本庁舎ではなく手前にある昭和庁舎と呼ばれるレトロな庁舎で行われる。

 館内は、さすがに現役時代と比べて改装はされているが、風格のある階段など主要施設は当時のままだ。テレビや映画のロケでも使用されるらしい。

 着慣れないスカートなので女子高生みたいに手で押さえながら階段を登った。

「三十四会議室は何処かな?」

美佳は、案内板を確認する。

 普段は、高層階の本庁舎での会議が多いので昭和庁舎の会議は久しぶりだ。

「おっ。あった」と呟く。

 会議室のドアを開ける。喧騒が漏れる。

「お世話になります」

既に、群馬県庁職員や大学の教授や学生が集まって挨拶や名刺交換をしている。

 群馬県庁の職員が「佐々山電鉄の佐藤さん。お待ちしていました」と挨拶に来た。

「お世話になります」と美佳は頭を下げる。

「こちらが今日の資料になります」

「ほい。ありがとうございます」

 美佳と初対面の人は、美佳の返事に戸惑う事が多い。

 美佳は「はい」という返事をする時に「ほい」と相手に聞こえてしまう事がある。

 悪意が無いと解れば問題は無いのだけど不快感を持たれる事も過去にもあった。

 殆どが、スーツやワイシャツの男性が多い中、私服の学生や市民団体の人も居る。

 その中でも際立って目立つ二人。

 美佳の美佳の名前の書かれた指定された座席から対面に可愛らしい顔と容姿の二人が座っている。

美佳に、可愛く手を振っている白のワンピースを着た女子高生。

それが雨宮京子だ。

美佳は、引きつった顔で軽く会釈した。

もう一人は鈴木優。

佐々山電鉄応援団として共に戦った戦友。

美佳の到着を待ちわびていたようで、鈴木優は席を立ち駆け出してきた。

 美佳は、満足そうに雨宮京子を見た。

(心配して損した。優はアタシにゾッコンだからねぇ。向こうから駆け寄ってくる)

少し不満そうな顔をして鈴木優の背中を見送っている様子を見て美佳は心の中でガッツポーズをした。

鈴木優は、遠目から見れば、可愛い女子に見える。でも男性。

「美佳ちゃん」と美佳の隣に座る。

「イヒヒ。久しぶり。電話位しろよ」

「美佳ちゃんこそ。今日はスカート。彼氏でもできたの?」

「出来る訳ないだろ。イメージチェンジ」

「かわいい」

「当然だ」

鈴木優を女性だと勘違いしている人達は多い。

 それは、鈴木優にしてみれば辛い事だ。

 親から授かった顔が、一般的な女子よりも可愛いため、見た目の容姿だけで理不尽に勘違いされる。特に女性から嫌われる。  

男子も勝手に勘違いして、鈴木優が男子と解れば手のひらを返す。迷惑で酷い対応は美佳も気の毒に思うほどだ。

 鈴木優は、中学校の時にイジメに遭って美佳の住む地域に転校してきた。

 転校前に、スクールカウンセリングで家に引き篭もりの際、交通とまちつくりをする市民団体を紹介された時に基礎を学んだらしい。

 雨宮京子には劣るが、鈴木優も専門的知識を持つ人材。雨宮京子が同年代の鈴木優に興味を持つのは自然な事だった。
気づくと、美佳の隣に雨宮京子が居た。

 雨宮京子が美佳を見て笑う。

「へぇ。美佳さん。似合いますね」

「なんか。嫌な言い方だね」

「美佳さん。意外と足は綺麗ですね」

「足は?意外と?」

雨宮京子は鈴木優を連れて自分達の席に戻っていった。

 美佳は闘争心に火が付いた。

 今日の会議の議題。

 まず、山岳部が多い群馬県はマイカーの保有率が高い、道路網が整備されると同時に鉄道やバスの公共交通が衰退していく。

 佐々山電鉄も、経営が逼迫して群馬版上下分離方式という公的支援対象路線。経営と線路や電気設備など会計分離する鉄道経営支援を受けている。

 最近では、地域公共交通活性化再生法という枠組から法定協議会が発足、鉄道として存続するか、鉄道を廃止してバス代行や他の交通モードに切り替えるかの協議が行われた。

 佐々山電鉄は、単体での自主採算性が地域人口減少、マイカー依存関係、観光等の定期外収入など統計的データ、クロスセクター分析からは現状のままでの存続は難しいと厳しい評価をされた。

ただし、アメリカ・ドシキモ社が日本国内で実証実験を行うRRMS(Rail & Ride Mobility System)計画という自動運転LRT(Light Rail Transit)、および自動運転バスBRT(Bus Rapid Transit)による線路を埋め込んだ専用道路を、同じ環境下で相互運行をする次世代交通網研究を佐々山電鉄に誘致すれば、鉄路での存続は認めるという結論になっていた。

 LRTとは、簡単に言えばカッコイイ路面電車。栃木県宇都宮市の黄色い車両を想像して貰えればイメージは掴めると思う。

 BRTとは、専用道路や専用レーンなどを使い道路渋滞など避けて定時制を確保した路線バス輸送システムだが、日本国内では定義が曖昧なので解説は難しい。

 RRMSとは、その両方の交通モードを同じ区間で道路に埋め込んだ線路を使い需要に応じて車両を使い分けるレベル4相当の自動運転システム。

 佐々山電鉄の線路を使いRRMS実証実験をする事で高崎や前橋などの都市と榛名山周辺の交通を軸とした生活圏・観光の輸送形態のスマートシティ化を図る。

 人口減少や少子高齢化、医療、福祉、通勤・通学の地域課題を解決するのと同時に、鉄道やバスの働き手不足による交通機関の運転士不足も緩和できる。

 改善基準告示(自動車運転者の労働時間等の改善の為の基準)がバス運転士不足に併せてバスの減便や路線廃止に拍車を掛けていた群馬県内のバス事情に期待されている。 

このため、鈴木優は大学に通いながら、研究施設で雨宮京子と一緒に実証実験を行っている。RRMS計画は、佐々山電鉄の起死回生の虎の子だ。

 いわゆる、今日の会議はRRMS計画絡みで、鈴木優と雨宮京子が主役なのだ。

       ◇

 会議が終わり、帰路も路線バスで渋川駅まで戻り、一駅だけ佐々山電鉄の佐々電渋川駅から本社のある渋川新町駅まで向かった。

 本社に着いたころは、ちょうど退社時刻だったけど課長に会議の報告書やら、残った自分の仕事を片付けてキリの良い処までは終わらせて帰ろうと思った。

 小暮課長という元・自衛官だったガタイの良い上司は美佳から報告書を受け取ると「オッケー」とハンコを押した。

「鈴木君か。美佳ちゃんも可愛い処あるね」と美佳のスカート姿を見て笑った。

 なんか見透かされているようで美佳は「セクハラです」と微笑んだ。



【あぶない!駅構内での歩きスマホ】

 群馬県渋川市。

八月初旬の平日。

その日は、朝から暑かった。

美佳は、日焼け止めローションを塗り、日焼けをしないように、あえて長袖のブラウスを着こんだ。

榛名山付近は快晴に近い青空だが、明らかに午後には雷雨を予想させる勢いで入道雲が発達している。

「雷雨で停電とかは勘弁してください」

美佳は榛名山に向けお祈りポーズをした。

 美佳は、渋川新町駅の構内踏切を渡り、待合室に入った。

 冷房も無い待合室では、扇風機が生暖かい風をかき回している。

半袖セーラー服、部活のジャージ姿の女子高生の笑い声が響く。

普段は、この駅を最寄り駅とする女子高の生徒達だ。

夏休み中は部活の練習や自主学習に通う生徒、病院通いの高齢者が数人いる程度。

 駅事務室のドアをノックする。

「ほい。駅長さん。おはようございます」

「はい。美佳ちゃん、今日も元気だね」

「今日は、午前中に構内で警察の人と、消防の人と来週実施する事故復旧訓練の下見と手順の説明。構内立ち入りするから承知してお
いてください。終わったら電話します」

「了解。暑いけど頑張ってね」

「ほい」

駅長が「麦茶を飲むかい?」と勧めてきた

「うわっ。飲みたい」

駅長は、駅の奥にある御勝手の冷蔵庫を開けて冷えたペットボトルを美佳に渡す。

「貴重な人材だからね。熱中症は禁物だ」

 相変わらず現場は美佳を持ち上げる。

「御馳走様です」と受け取る。

 少し話をしようとしたときだった。

駅長が「消防署の人達は来たね」と指さす。

 本社前に赤い消防署の大型作業車両と白いワンボックスの救急車が見えた。

 美佳が、準備をすると制服警官二名が駅の待合室に入って来た。

「お世話になります」と互いに挨拶をする。

美佳は、ペットボトルを自分の鞄にタオルで包んで仕舞うと、手板を持って駅舎を出た。

 警察官は、駅前の交番から徒歩で駅に来たので美佳と一緒に構内踏切を横断して本社前の消防署のレスキュー隊と合流。

 朝ラッシュを終えて入庫した黄色い一般形の車両が一編成。そして唯一、観光列車にも通勤列車にも使える300型というJRから譲渡され改造された車両の横で美佳は説明を始めた。

「ほい。では説明をはじめます」

 美佳は、思い出したように

「あっ。資料渡さないと」

慌てて資料配布した。

「事故想定訓練当日は、2両編成の黄色い方の予備車両を使います。事故車両に見立てて使用する予定です」

 警察官が「確認ですが黄色の車両で訓練を行う訳ですね」と確認をする。

「はい。観光用の300型だと座席配置がセミクロスシートで向かい合わせなので、ロングシートの一般車両と異なります。通常使用する車両で訓練を行う予定です」と返答した。

 消防署のレスキュー隊は「座席配置が違うのなら、救助用のドアコックの場所や車内構造などで救助手順が変わりますね。観光型の車両構造も見学したいのですが」と見学を申し出た。

「わかりました。車両区長に許可を取ってきます」と美佳が業務用携帯電話を制服のポケットから取り出そうとしたときだった。

プワーンと長い汽笛が構内に鳴り響く。

何かが起きる独特の嫌な空気を感じた。

美佳は、反射的に汽笛が鳴る方向を見た。

渋川新町駅の営業線。

プワーンと汽笛を鳴らしながら下り列車はガタンと急停止した。

明らかに、ホームの通常停止位置より手前の中途半端な場所。

鉄道係員なら誰しも感じる嫌な瞬間だ。

乗務交代する運転士が緊急停止した電車に向けて急いで駆け寄っていく。

電車を待っていた女子高生達の悲鳴。

全員が線路を見下ろしている。

警察官とレスキュー隊のチームも、プロ集団だ。異変に気が付いている。

「佐藤さん」と美佳に状況確認を求める。

 美佳は、業務用携帯電話で佐々山電鉄の運転指令所を呼び出すが通話中だった。

「無線が入るかもです。傍受しましょう」

 美佳は、自分のスマホを手にしたまま、自分達の隣にある留置車両の運転台に向かい早歩きをした。

ピピピピピッ……。

留置してある運転台から断続音がもれている。

「ちっ。防護無線か!」

 思わず美佳は舌打ちをした。

 緊急時に周囲の列車に危険を知らせ、傍受した列車は速やかに停止手配を執る防護無線と呼ばれる装置の断続音だ。
間違いなく事故が発生した。

『こちらは佐々山指令。防護無線を操作した列車は佐々山指令を呼び出してください』と列車無線からは緊急時のお決まりのセリフが
聞こえてきた。

 ホームに中途半端な場所に停止中の電車運転士は興奮した口調で第一報を指令所に報告しているが聞き取れなかった。

美佳だけでなく、警察官と消防署のレスキュー隊チームも聞き入る。

聞こえた部分だけで内容は想像できた。

「ホームから乗客が転落……らしいです」

 無線通話が終わると、美佳は諦めに似た溜息を吐いてからスマホを取り出して佐々山電鉄の運転指令所に連絡をした。

「あー。繋がった。佐藤です。状況は?」

「ほい……ほい」と相槌を打つ。

そして「はい。消防と警察の人も居ます」

美佳は諦めに似た顔をする。

「現場責任者ですね。直ぐ向かいます」

 美佳が電話を切ると、警察官と消防署のレスキュー隊チームにも詳細を説明する。

「ホームから女子高生が線路に転落。当該列車は非常ブレーキで5m手前に停止。接触なしです。ですが女子高生は負傷。あと車内で下車準備の高齢女性が転倒して負傷。二人とも痛みを訴え搬送は困難です」

 レスキュー隊の隊長は、「二名とも意識はある訳ですね。転落した要救助者は搬送困難。車内の要救助者は高齢女性。現場を見ないと判断できないが、とりあえず俺達の出番か」と呟くと他の隊員に「訓練じゃない。気持ちを切り替えろ」と指示を出す。   

隊員たちは「よし」と力強く返事をする。

「とりあえず佐々電さんの方からも消防指令に出動要請してください。私たちは消防指令の指示を待ちます」

 そして隊長は本社前の作業車両に向けて走り出そうとして一旦、立ち止まり振り返りざまに「佐藤さん。周辺の列車の抑止を必ず確認してください。あと機材の準備と消防車両の進入できる踏切、駅の侵入経路が解れば指示をください」と大声で怒鳴るようにして再び駆け出して行った。

 美佳は「ほい。了解」と叫んだ。

駆け出す隊長や隊員の背中を見て

「急に顔つきが変わった」

警察官は「解る気がします」と苦笑した。

「私達も現場に向かいましょう」と美佳と一緒に構内通路を使い渡り駅に向かう。

美佳の携帯が鳴り、佐々山電鉄指令所から『佐藤さん。駅からで要救助者は痛がって担架で線路外に出せない状況』と連絡。

「ほい。承知。それ消防にも連絡して」

 美佳と同行している警察官二名も、美佳の返事が少しおかしいことに気がついている。美佳の“ほい”という返事に対して悪ふざけではなく言語障害的な触れてはいけない部分だと感じ始めていた。

 美佳は、過去に人身事故の処理もしたことがある。経験と度胸は場数を踏めば慣れる。もう倒れるような事は無い。

 今回は、死亡事故じゃないので気は楽だ。

 どんなに鉄道が好きでも、仕事として従事するとなると、目を覆いたくなる惨状や嫌な事も我慢して処置しないといけない。

 しかし、事故って奴は経験や体験を積んでも毎回、処置や手順が違う。

 まず、最初に事故現場を見て、その時の状況に応じて最善な策を講じる。

 今日も、これから何が起きるか解らない。

 線路を横断する際に、美佳は「右よし、左よし」と指差し確認をして渡る。

警察官も美佳の真似をして渡る。

 中途半端な場所に停車している当該列車が美佳達の渡る踏切を塞ぐように停車していて渡れないので迂回して車両の後部に回って横断する。

「お巡りさん。足元が悪いから気を付けてください」と砕石と呼ばれる石の上を歩く。

 車内の乗客が美佳を見て窓を開けた。

「佐々山電鉄の人?何が起きたの?人身事故?急いでいる。早く動かしてよ」

 サラリーマンが窓を開けて美佳に怒鳴る。

「お急ぎの処、申し訳ございません。現場確認しますので、暫くお待ちください」

 美佳は、平謝りする。

「伊香保で会議がある。JRや大手はテキパキしているよ。タクシーとか振替とか無いの?」

「すいません。直ぐに処置しますので」

 美佳は、深々と頭を下げて現場に向かう。

 警察官の姿を見て、サラリーマンは、何か言い足りなそうだが怒鳴るのを止めた。

反対側のホームに入ろうとしていた対抗電車も反対側の踏切手前で防護無線を傍受した事で緊急停車している。

 佐々山電鉄は、単線だが上り列車と下り列車との交換駅では一部が複線になっている為、周囲の踏切が開かずの踏切になってしまう。踏切では自動車が渋滞を起こしている。

「うわっ。県道の踏切を塞いでいるなぁ。時間が掛かるようなら踏切鳴り止めしないと交通渋滞でクレームの嵐だなぁ」

 美佳は、取り急ぎ事故現場に向かう事を最優先にする事にした。

 同行している警察官も「交通誘導手配しましょうか?」と美佳に進言してくれた。

「助かります」

警察官は無線で警察の指令に問いあわせてくれた。

 同時に佐々山電鉄の運転指令所から電話があり『全列車の抑止完了。消防指令には連絡してある。救急車が一台追加でくるので承知して』

「ほい。了解。あと県道踏切。上り列車が接点踏んでいるから消防車が通れない状況です。消防車は渋川駅方面の踏切を迂回して貰ってください」

『了解。助かるよ。電力区に鳴り止め手配したけど接点踏んでいるなら遮断機は上がらないかも。助かるよ。情報が頼りだ』

 ウゥゥー。ウゥー。ピーポーピーポー。

 通話が終わるとサイレンが鳴りだす。

 隊長達に、正式に出動命令が下ったらしい。

 美佳と警察官が当該列車側面を駆け足で通り抜け、先頭車両の前まで向かう手前で。時々、若い女性の声で「痛い。痛い」と悲痛な声が聞こえてくる。

 緊急停車している列車の最前部まで来て初めて現場を目視した。

 当該列車の運転士と駅員、そして交代の為ホームに居た運転士が女子高生の救護していた。

女子高生は線路に横たわったままだ。

「あっ美佳ちゃん。ご苦労様」

「うん。それで?」

「見ての通り意識はある。でも動かそうとすると痛がるので担架搬送できない」

 美佳は、痛がる女子高生に駆け寄ると声を掛けた。「大丈夫だよ。直ぐに救急車が来るから頑張って」

 よく見ると、左手が変な方向に曲がっている割に、その左手にはスマホが握らたままだ。しかもラインが送受信状態だ。

「歩きスマホが原因だなぁ」

駅員が「命よりもスマホが大事なのかねぇ」と呟いた。

スマホを放り出して受け身を取れば少しは怪我も軽かったのだろう。

 セーラー服なので近くの県立の女子高校の生徒だと直ぐに解った。

 制服の短いスカート。左手を右手で抑えながらバタバタと足を動かしている。

 短いスカートなのでホーム上の人達からは丸見えだ。

 警察官が「写真撮影は止めて」と叫ぶ。

もう一人の警官に「交番に戻ってブルーシート持ってこい」と指示をだしていた。

 美佳は、自分が着ていたベストを上から掛けてみたが足をバタバタさせるので意味をなさなかった。

「足が動かせるって事は骨折の心配は無いか。とりあえず足もと見えないように毛布かタオルとか無いかな」と美佳が呟く。

ウゥー。ピーポーピーポー。ウー。

 ようやく迂回してきた消防署のレスキュー隊と救急隊員が駅前に到着した。

 駅員が、駅の事務所から「佐藤さん、ちょっと来て」と大声で叫んでいる。

 美佳は、駅事務室の方まで駆け寄る。

踏切を塞いでいる対抗列車だけでもホームまで引き込めればと美佳は考えた。

(レスキュー隊が救助を始める前に動かせるか聞いてみよう)

 消防のレスキュー隊が改札口に居た。

ブルーシートを抱えてきた警察官が、レスキュー隊に「踏切が渋滞していています。事故車両でない対抗列車をホームまで進入させたいのですが可能ですか?」と隊長に進言していた。

 隊長は烈火のごとく警察官に怒鳴りだす。

「こっちは、隊員の命を預かっている。救助活動中の隊員の隣で電車を走らせて、仮にウチの隊員が触車災害に遭ったら責任とれるのかよ!」

 警察官が言わなければ、美佳が怒鳴られていた筈と思うと背筋がゾクッとした。

人身事故の現場で本当に怖いのは、命がけで処理に当たる関係者達の熱量だ。

警察官が言わなければ、美佳が怒鳴られていた筈と思うと背筋がゾクッとした。

人身事故の現場で本当に怖いのは、命がけで処理に当たる関係者達の熱量だ。

 美佳は「ほいっ。電車は動かしません。全部抑止しています」と泣きそうな声で返答した。

 隊長は、厳しい視線で美佳に「当該車両の前と、後で発煙筒を焚いてください」

 美佳は、ムッとした。

(抑止したって言ったのに)

 でも怒鳴られるは怖いから「列車防護手配します」と敬礼して駅から発煙筒を借りて発火させた。美佳の世界では、発煙筒を信号炎管と呼んでいる。発火の色が自動車搭載だと青紫が多いが、鉄道用は赤い炎がでる。

戻ってきて、ようやくハンドマイクを片手にレスキュー隊が救助活動の準備に入る。

 美佳は、信号炎管着火後に現場に戻った。

 消防車や救急車がサイレンを鳴らして駅前に現着して、列車が中途半端な場所に停車していれば野次馬が集まる。

「人身事故?」

「女子高生がホームから落ちたらしい」

 彼らは、殆どが好奇心や怖いもの見たさで高みの見物をする。そして必ず笑いながらスマホで動画撮影をする。

美佳にとって、それが不謹慎極まりない行動に思えて腹立たしくなる。

 厳密には、人身事故ではなく旅客ホーム転落による救助活動なのだけど、鉄道に詳しくない一般の人から見れば人身事故だ。

 いや、車内にも転倒して高齢女性が負傷している段階で、これは人身事故に分類されるのかも知れない。

 美佳は、初めての人身事故対応では、線路上にブルーシートに覆われて散らばっている中身を警察官が捲った時に見えた塊を見て衝撃を受けた。異臭が酷くて、何よりも何から手を付けて良いのかの作業手順が解らず、現場で見ているだけだった。

 なにも出来ないのに、それでも気分が悪くなって倒れた。

慣れとは恐ろしいモノで、今では陣頭指揮を執る立場だ。美佳も成長した。

美佳の知らないうちに若い女性の警察官も現場に加わっていた。

ただ、指導教官みたいな年配の警察官が「鉄道事故の現場は場数を踏まないと慣れないからな」とか小声で指導している。

(新人さんか。昔のアタシみたいだ)

 そして目撃証人の取り方を女性警察官に言っていたのでリアルな現場教育の場として招集されたみたいだ。

 何から手を付けて良いのか解らない時期の自分を見ているようで美佳は少しだけ先輩的な優越感を覚えた。

 女性警察官も指導されながら、ブルーシートで現場を隠す作業を行い、線路上に散乱している女子高生の所持品とかを回収しているので役には立っていたようだ。

 未だに男性駅員が多い地方鉄道では、下手に女性の身体を触る事が出来ないので、痴漢や今回みたいな事故の際、女性が絡む事案では対応や細かい配慮の遅れが課題。

女性警察官が増えるのは歓迎だ。

 逆に、慣れた感じでオレンジ色の作業着に水色の感染防止衣姿でハンドマイクを持った隊長が、数名の隊員を連れて現場に来た。

「佐々電の駅の人、警察官の人も現場をブルーシートで覆い隠しますので協力願います」

 美佳も率先して手伝った。

「加藤と青木。車内の要救助者。かかれ」

「よし」

 隊員が停車中の電車の運転台から車内に入っていく。

 佐々山電鉄の職員だけだと何もできなかったのにホンの数分で搬送していく様は、さすがにプロだと美佳は感心した。

 今度は、警察官が目撃者や、電車の運転士から状況を聴き取る作業に入る。

 美佳は、監視カメラの場所など聞かれた。

 手際よくストレッチャーに載せ変えて救急車に搬送したけど、暫く救急車は発車しなかった。

 女性警察官も、歩きスマホによるホーム転落を疑っていたらしいが、個人のスマホを勝手に押収出来ないらしく、美佳に「動作しているのを見ましたね」と証言を求めた。そして監視カメラの録画画像の任意提出を求められた。

車内で転倒したお客さんも車外に運び出されたとの連絡が入る。

美佳は、時計を見た。

発生から、十分。

 まだ、運休を出さずに遅延だけで大事にならずに済ませられると少し安心した。

 ホームから女子高生が心配そうに美佳に声を掛けてきた。

「あのっ。沙也加。大丈夫ですか?」

「友達?」

「グループは違いますがクラスは同じです」と女子高生らしい回答に美佳は笑った。

 不謹慎だけど、呆れて笑ってしまった。

美佳は、高校時代は男女共学だった。

確かに、美佳の時も女子は仲良しグループと友達枠は別物という独特の考え方をしていた。鉄道マニアの美佳は浮いていた。

「学校は女子高だよね。連絡したいけど?」

「学校に連絡ですか。それ困ります」

「そうはいかないよ」

 この時、美佳は学校に連絡されることを困る理由が呑み込めていなかった。

「じゃ。本人の家の連絡先は?」

「知りません。ラインも友達じゃないから」

「学校に連絡するしかないか」

 女子高生達は、物凄く困った顔をして他の仲間の女子と「学校に言うって」とか「迷惑な事してくれたよ。沙也加の奴」とか囁きだした。

 彼女達の回答は「すいません。佐々山電鉄さんの方で学校に連絡してください」

 関わりたくないと言わんばかりに退散。

 (世知辛いなぁ)

「学校に電話してください。下の名前は沙也加さん。上の名前は……」

 助役は「生徒さんがホームから落ちて緊急搬送って事は伝えるよ」

「お願いします」

 美佳は、改めて女子高生に駆け寄る。

「とりあえず救助完了。早期運転再開!」

 当初、警察官も「まもなく運転再開できます」と美佳に告げ、美佳も佐々山電鉄の運転指定所に「最終確認後。運転再開予定」と運転再開準備の連絡を入れていた。

運転士が、運転席に戻り運転再開の準備を始めた。

美佳が「転動防止外すよ」と運転士に声を掛けた。

レスキュー隊の隊長もハンドマイクで「まもなく運転再開!電車動くぞ!線路外退避」と隊員達の退避を指示していた。

美佳が、運転指令所に連絡を入れて、警察官に最終確認を求めた。

しかし警察官が申し訳なさそうに

「佐藤さん。申し訳ありませんが、しばらく運転再開はできません」と言ってきた。

「えっ」

「渋川署から鑑識と刑事課の刑事が来ます。運転再開は少しかかります」

「ちょっと。なんで?」

「事故を目撃した複数の証言と稼働中のスマートフォンの状況からして、歩きスマホで第三者に怪我を負わせた過失傷害事件と列車往来危険罪の可能性が出てきまして」

「どれくらい?」

「そうですね。いまから十分ぐらい掛かります。刑事と鑑識は署を出ています」

 美佳は、スマホで佐々山電鉄の運転指令所に連絡をした。

「現場検証するって。刑事さんと鑑識の人が来ないと運転再開許可だせないって」

『線路が開通すれば動かせる筈じゃ?』

「現場検証だって」

『歩きスマホで怪我人を出したからか』

「運転再開は十分後だって。全部で三十分」

『参ったな。運休がでるよ』

「警察の許可が出ないと動かせないよ」

 レスキュー隊の隊員達は、困っている美佳を気の毒そうな顔をしながらブルーシートを片付けている。

 事故発生時、鉄道会社の社員なら一分一秒でも早く運転再開をしたい。

 都心部みたいに近くを走る同業他社に振替輸送の依頼も出来ない田舎の鉄道は車内に缶詰めになっている乗客や、駅で待たされている乗客からの苦情や怒りの集中砲火を受ける。

 まして今回は、踏切も開かないので道路も大渋滞だ。

 美佳は「たかが、歩きスマホって考えて居る奴ら許せん」と拳を握りしめた。

 黒塗りの覆面パトカーと鑑識のワンボックス車が到着した。

 美佳は、当てつけに腕時計を見た。

 あとは、佐々山電鉄と警察の問題だ。

救助を終えたレスキュー隊の隊長が、手際が悪いなと言いたそうな顔をしている。

 暫くして、刑事が運転士やホームでの乗客からの目撃者証人、鑑識が線路の写真を撮影したりしている。

 美佳としては、一分一秒でも早く運転再開したいとイライラしていた。

暫くして、タクシーで乗り付けてきた女子高校の男性教諭二名が駅事務室に駆け込んできた。

「当校の生徒が、ご迷惑をお掛けします」

教頭先生と学年主任の肩書がある名刺を出される。

駅前の消防車や警察車両を見て「偉い騒ぎになってしまって」肩を落としていた。

当直の教諭が怪我をした女子高生の保護者に連絡を取った旨の報告を受けた。

「搬送先の病院が解らないので、一旦は駅に来るそうです」と教頭先生が言った。

 ジャージ姿の体育教師っぽい教諭が「原因はなんですか?」と美佳に問う。

「警察が実況見分と現場検証をしていますので、まだ判りませんが多分、歩きスマホによるホーム転落の可能性が」と答えた。

 体育教師は、その様子を待合室で恐々とみていた女子高生達に視線を送る。

 生徒達は、慌てて自分達のスマホを後ろ手に隠した。

 救急隊員は「搬送先。決まりました。どなたか一緒に救急者に同乗してください」

 教頭先生が救急車に乗り込んだ。

ピーポーピーポー……。

救急車は、直ぐにサイレンを鳴らして駅前を出て行った。

 車内で転倒した高齢者もストレッチャーに載せられて待機していた別の救急車に載せられた。80歳代の女性。

何やら凄く怒っていて救急車の隊員がなだめていた。

 こちらは、佐々電の助役が乗り込んで病院まで付き添う事になった。

 現場検証が終わったのは事故発生から三十分後。

 美佳は、運転指令所に連絡をして順次、運転を再開した。

 この影響で佐々山電鉄は、定期列車二本が全線で運休、二本が佐々電渋川駅と渋川新町駅間で区間運休となってしまった。

 佐々山電鉄本社には、踏切が閉まったままで誘導が遅かったとか、JRの乗り換えに間に合わなかったとか、お客様から苦情やお叱りの電話が沢山あった。

 美佳が、本社から帰れたのは夜の八時過ぎになってしまった。

 【半感応式心霊レーダー】

 あの事故から一週間後。

確か金曜日だった。

 美佳は、会社の退社時間になると、珍しく定時に帰れるように手配していた。

 課長や課員の人達も「優君によろしく」と美佳を見送ってくれた。

徒歩で、渋川市内のファミリーレストランに足取りも軽く向かっていた。

 一応、美佳も通勤用の軽自動車を所有していて、いつもは自動車通勤だ。

 公共交通に従事しているのにマイカー通勤は良くないと思われがちだけど、列車が緊急時や異常時に、事故現場などに移動する足が他に無いので許可されている。

 美佳は、可愛い系のミニのワンピース姿。

今夜は、渋川市内で美佳と食事をする。

 雨宮京子は、父親と学会の基調講演に助手として参加するので来ない。

  渋川市の市内。

 交差点の角にある一階が駐車場で、二階に店舗があるファミレス。

ドアを開ける。

ザワザワと話し声が騒がしい店内。

「いらっしゃいませ」

 店員の声に迎えられる美佳。

「先に連れが居る筈ですが……鈴木」

「鈴木様は……奥のお席でお待ちです」

「ほい」

鈴木優は本を読んでいた。

「ごめん。遅れた」

 美佳の服装をみて鈴木優は

「うわっ。可愛い」

「イヒヒ。その言葉を待っていた」

「スカート短すぎない?」

「そうか?」

「目のやり場に困るよ」

 美佳はにっと笑う。

「ほう。優もアタシで興奮する訳だ」

 優は顔を赤くした。

「なんか不思議と悪い気はしないな」

 いままで美佳は、メカっぽいモノや鉄道にしか興味が無かった。

 人間に興味が無かった。

 それが、いつも隣にいるのが当たり前と思っていた人物が他の女の子に奪われてしまう危機に直面して、初めての感情に戸惑っている。

 美佳なりに、危機を脱する作戦を模索していたが、少なくとも気をひく事は成功したようだ。

 美佳は「アタシ。アルコール飲むけど」

鈴木優は「僕は食事だけで良いや」

「付き合い悪い奴」

「ごめん」

「すぐ謝る。優は謝る必要はないよ」

 美佳は、テーブルの呼び出しボタンを押す。

美佳は、メニューなど見ないで押した。

美佳の好物であるフライドポテトを注文するのだと鈴木優は予想を付けていた。

 店員が来ると「生ビールとフライドポテト」と嬉しそうな顔で注文した。

 注文した後に、美佳はテーブルの窓際にある注文用のタブレットを発見する。

「なんだよ。ピンポン押さなくてもタブレットで注文できたのか。ほう」と手に取る。

 鈴木優は、「スマホやタブレットで何でもできるようになったよね」と言い出す。

 美佳は「あぁ。でもさ。スマホ事故も多いよ。先日もさ……仕事の話は止めるか」

 鈴木優は「いいよ。差し障りのない程度で美佳ちゃんの仕事ぶりを聞きたいよ」

「歩きスマホって、後処理が面倒なのよ」

 美佳が語りだす。

「駅とか、殆どの人が普通に歩きスマホしているよね」

「危機感無いっていうか。当事者にならないと理解できないのよ。皆がしているからオッケー程度の認識」

 美佳は仕事のストレスを愚痴った。

「好きな事を仕事に選ぶとギャップがね」

「あはは」

「ストレスが溜まる。今晩は呑むよ」

 店員が美佳のオーダーを持ってきた。

「生ビールとフレンチポテトです」

 美佳は「よし。優は何頼んだ?」

「あっ。忘れていた」

「早く頼め」

鈴木優は、タブレットでハンバーグライスを注文した。

「子供みたい。ハンバーグだって」

「ハンバーグは大人も食べるよ」

「まぁ。いいけどさ」

「美佳ちゃん。ポテト好きだよね」

「あぁ。コレがあればとりあえず飲める」

 鈴木優は、「乾杯」と既に飲んでいたソフトドリンクバーの紅茶のカップを美佳に向けて差し出してきた。

美佳もジョッキを持ち上げコツンと音を立てて乾杯をした。

「そうだ。美佳ちゃん。コレ」

鈴木優は美佳に奇妙な装置を見せた。

 白くてパソコンのマウスみたいな楕円形でボタンが3つくらいついている装置。

「おい。コレって」

 美佳は、目をキラキラさせて奪い取った。

「前から美佳ちゃんが欲しがっていた半感応式心霊レーダー」

「えっ。よく智ちゃんが手放したな」

 智ちゃんとは、優が所属しているRRMSチームリーダーだ。

 南場智子という女性は大学生だが、奇妙なメカを自作する技術者でもある。

美佳は、まるで子供が玩具を貰ったように喜んでいる。

「南場さんが、GPSバージョンの高性能な新作アプリを作ったから半感応性の旧型は要らないって破棄しようとしたから貰った」

 この装置。半径一キロ以内の心霊を探知した時に動作する。

事前に遭遇しないように迂回、もしくは回避処置が可能な指示を教えてくれる心霊レーダー。

 田舎の通行量の少ない交差点の信号機と同じ理論。対象物をセンサーが感知した時だけ作動させる原理に似ている為、半感応性と名
付けられている。

美佳は「GPSとかアプリとか心霊もハイテクな奴に検知できるのか?」

不思議そうな顔で鈴木優に質問した。

「良く判らないけど衛星から測位した情報を、心霊レイヤっていう層にオーバーレイさせてデータを可視化するって」

 美佳は「解らん。アタシにも解るように」

「えっ」

「一言で説明するには?」

「スマホがあれば半感応レーダーは不要」

「なるほど、最初からそう言えよ」

「それで説明になるのかな?」

「兎に角。半感応性がお役御免か」

「うん」

「なんでも便利になっていくな」

 美佳は腕組をして

「新型は、スマホアプリで使える訳か」

「うん、スマホ見ながら検知できるって」

「それ、歩きスマホにならないか?」

「あ。そうだね」

「でも、凄い発明品だな」

鈴木優も「でも欠点があって、経度とか緯度を使って心霊を判断するから、常に同じ場所に居る位置情報が明確な地縛霊しか感知できないとか言っていたよ」

 南原智子は、心霊が見えてしまう体質の為、自らが心霊に遭遇しないようにレーダーを開発して常に身に着けていた。

 鈴木優の話だと、半感応性は新型には劣るが移動する心霊でも、対象物にあたり情報が跳ね返る事でレーダーが感知するので都合の
良い面もあるとの事だ。

 美佳は「メカも個体ごとに利点や欠点もあるよ。人間と同じだ」と持論を語った。

心霊に遭遇しない為のレーダー。

ただ、美佳の場合は逆で、怖いもの見たさで欲しがっていた。

「よし。優。今晩。早速。試してみるか?」

「いやだよ」

 美佳は、言い出すと絶対に曲げない。

早々に会計を済ませ店を出る。

美佳が反感応式心霊レーダーのスイッチを入れた。

『このさき、100m左折後200m先に心霊が居ます。地縛霊の為。動けませんので回避可能です。迂回を推奨します』

 合成音声が流れてきた。

『おおっ。早速ヒットした』

 本来の目的は、心霊に遭遇しないように設定されているのだ。

 美佳は「これは行くしかないよね」と駆け出す。

「美佳ちゃん。ダメだよ」

「ほい。100m先左折」美佳は走る。

「美佳ちゃん。待ってよ」

『あと100mで心霊に遭遇。引き返してください』

「ほいほい。あと100mで御対面」

 美佳は、50m先で立ち止まった。

50m先にあったのは佐々山電鉄の踏切だった。踏切は不気味に佇んでいる。

電柱の下には、枯れた花、朽ち果てた菓子やジュース、たばこの箱が置いてある。

「八墓踏切だ。此処は洒落にならない」

 佐々山電鉄では、ダントツの事故発生件数の多い魔の踏切。

 美佳は、「怖っ。優。此処だけはヤバイ」

立ち去ろうとする美佳。

むしろ鈴木優が逆に何かに取りつかれた様に踏切に向かって駆け出した。

「おい。優。どうした」

カンカンカンカン……。

警報機が鳴りだし、遮断機が下りていく。

鈴木優は、踏切の遮断桿を潜る

美佳は「おい。優、戻れ」

 鈴木優より先に線路内に先客がいた。

「そういう事かよ」

美佳も慌てて駆け寄る。

 この踏切は高低差があり、まだ列車は見えないが明らかに接近しているのが煌々と列車のライトで解る。

 事故が多いのは、心霊の所為ではなく運転士から見て踏切上に支障物を認識した際にブレーキを掛けても制動距離が間に合わない事
が多いからだ。

 そのため、この踏切は非常ボタンがある。

非常ボタンが出来ても、自殺を考える人は何処かに隠れていて、絶対に列車が止まれない距離で線路に躍り出る。

 それで“列車にはねられ”とマスコミは鉄道側が人を轢いたという見出しをつけたがる。

 それが、美佳にしてみれば理不尽なのだ。

(頼む。止まってくれよ)

 美佳は、踏切の非常ボタンを叩いた。

ビーという甲高い鳴動音。

踏切から少し離れた場所に停止信号を発光する灯火が激しく点滅しだした。

 それは、踏切に居る鈴木優と美佳にも解るほど周囲を赤く染め、激しく点滅する。

 プワーンと列車の汽笛が鳴り響く。

「よし、運転士が気付いた」と美佳はホッとした顔で鈴木優に告げた。

 カンカンカンカン……。

美佳は、列車が視認できる場所まで駆けると「停止確認」とガッツポーズをする。

 鈴木優が救助した人物を確認した。

遮断機手前で鈴木優が抱きかかえている。

 胸のふくらみがある。

女性だ。

 カンカンカンカン……。

薄暗い中で踏切の警報機が交互に赤く点滅する中、美佳が改めて顔を確認した。

「まさか。アンタ」

 あの渋川新町駅でホームから転落した女子高生だった。

相手も美佳の顔を思い出したらしい。

「佐々電の人?」

「そうだよ。いま飛び込もうとしただろ!」

「なんで止めたのよ」と沙也加が呟く。

「ふざけるな!迷惑を考えろ」

 沙也加は、大声で叫びだし暴れだした。

 訳の解らない事を叫びだしている。

鈴木優を払いのけて逃げ出そうとする女子高生。

「逃がすかよ。他で死なれたら困る」

慌てて押えようとした美佳を跳ね返した。

「この野郎」と美佳が追いかけ前に回り込む。

 美佳は、物凄い形相でパンと沙也加の頬を平手打ちした。

 乱暴な話に思えるけど、自殺を考えて居る人間に正論や説教、なぐさめは逆効果だ。

 逃がしたら再度、別の方法で自殺を試みる。人命救助の為の暴力は仕方がない。

 美佳は、馬乗りになる。

 兎に角、頭が冷えるまでは逃がせない。

 美佳が、もう一度構えると、鈴木優が「美佳ちゃん。ダメ」と静止した。

 沙也加は泣き出した。

「死にたくない。でも……」

 そして

「歩きスマホでホームから足を踏み外しただけなのに……こんな事になるなんて」

 鈴木優が「相談にのるよ」と語りかける。

 突然、泣き出して美佳に抱きついてきた。


美佳は「こりゃ。学校で何かあったのかも」

 カンカンカン……。

踏切の鳴動音で美佳は我に戻った。

「電車!止めたままだ」

自分のスマホで佐々山電鉄の運転指令所に連絡を取り始めた。

 美佳は「優。この子。頼む。今度は逃がすなよ」と鈴木優に託した。

 美佳は、少し離れた場所で現状を説明して、現在は運行に支障が無い旨を連絡した。

 列車は、運転を再開した。

美佳が戻ると「アブねぇなぁ」と呟く。

 鈴木優が沙也加の隣に座り

「美佳ちゃん。この子、むかしの僕と同じ目をしている。僕に少し話をさせて」

 鈴木優は、中学生時代に女性みたいな外見でクラスメートの女子達から壮絶なイジメを受けていた。

 暴力的なイジメではなく、殆ど精神的なイジメだったり、根も葉もない嘘を拡散されたり、鈴木優が陰で誰かの悪口を先生に密告しているとかの陰湿な仲間外れ工作。

 鈴木優は、自殺までは考えなかったが、人との関りを嫌い、自分が世の中で要らない人間に思えて仕方がない鬱病手前の苦しい時期を経験した。

 スクールカウンセリングを受けたので、そういう心境の人間の感情は理解できる。

「沙也加ちゃんだったよね」

 鈴木優が、優しく声を掛け、沙也加の気持ちを落ち着かせる試みを始めた。

 美佳は、それを黙ってみている。

鈴木優は、沙也加が逃げないように軽く手をつないだ。

 事故が多い踏切だけに近隣住民は、列車が停止すると即座に家を飛び出してくる習性が身についてしまったらしい。家々の玄関の灯りが点き、人々は踏切で何が起きたのか遠巻きに見ている。

 出来るだけ穏便にしたかったけど、既に警察を呼ばれたらしく遠くからサイレンの音が響く。

「大騒ぎになっちゃった」と震えだす沙也加に、鈴木優は「大丈夫」と答えた。

 泣きながら沙也加が鈴木優に語りだす。

 やはり、学校だけでなく何処で調べたか解らないけど、沙也加の個人情報が何者かに拡散され、自宅に嫌がらせ電話が掛かって来るようになった。SNSで全く知らない人達から歩きスマホで電車を緊急停車させた迷惑な女子高生として吊し上げを喰らっているという。

 沙也加の家には佐々山電鉄からの損害賠償請求、怪我をさせた高齢女性の治療費、刑事罰などの罰金が科せられる。

 なによりも沙也加を、こういう手段に追い込んだのは、大好きな他校の彼氏からの別れを告げられた事だという。

 近隣住民が見守る中、警察のパトカーが到着した。

 警察官に状況を説明して、そして沙也加と一緒に美佳と鈴木優も警察署に行く事になった。

 上手くすれば賠償の方は何とかなりそうだ。

 美佳と鈴木優は、警察官に事情を説明する。

しかし、流石に半感応性心霊レーダーなる胡散臭い装置に導かれたなんて言える筈も無い。

 警官は、美佳と鈴木優に人命救助の感謝状モノだと称賛したが、もし貰えるなら半感応性心霊レーダーの開発者にも送って欲しいと
思っていた。

 警察署という場所は、夜は意外と静かで当直の刑事や警察官は事務仕事をしている。

美佳と鈴木優は別室で待機。

 自殺未遂という案件から事情聴取的な部分は沙也加のみで警察官と行われる。

 沙也加の両親がタクシーで到着した。

 美佳と鈴木優は、深々と頭を下げられ娘の命を救ってくれた事への感謝をされる。

 その後に、警察官から美佳と鈴木優が聞いた内容では、沙也加が、なぜ踏切に入ったのかを問うと、病院で治療後に家に戻り部屋でスマホをみたら学校の裏サイトで沙也加バッシングや虐め予告が多く記載されていたそうだ。

 それと、やはり慰めてくれると信頼していた彼氏からの別れがトドメの一撃だった事を聞かされる。彼氏の件は、美佳と鈴木優では何も出来ない。

 警察官から「佐藤さんと鈴木さんは、高校時代は佐々山電鉄応援団で活躍していたそうだけど」と切り出してきた。

そして「交通安全教室をしたいのだが」と相談を持ち掛けてきた。

 そもそも、彼女の通う女子高校は進学校。学業に関係ない私物持ち込みに厳しい。

 いままで学校にスマホを持ち込み禁止だったのを、生徒会が何度も学校側と交渉して、ようやく持ち込みが出来るようになった経緯から、生徒間の沙也加を憎む心情は理解できる。

 学業に支障を及ぼさない、歩きスマホはしない、授業中の使用は厳禁などのルールを守る事で認可され、四月に解禁になったばかりだという。

 なのに、沙也加が今回の案件を起こしてしまった為、校長や教頭が学校へのスマホ持ち込み禁止を再検討する流れになってしまったようだ。

歩きスマホで電車を緊急停止させた挙句、無関係な乗客に怪我をさせた事案は間違いなく保護者会で問題になる。

同時に、学校側もマスコミ対策などで再発防止を宣言するには当然の対応だろう。

それは、全校生徒が一斉に沙也加をターゲットに、攻撃をしてくる地獄の日々を容易に想像させる最悪のシナリオだ。

 交通安全教室の提案は、沙也加の件での再発防止だけでなく、県内で多発する歩きスマホ事故の抑止も兼ねているという。

 美佳は「了解です。やってみましょう」と快諾した。

 佐々山電鉄の最終電車に間に合うという事で、一番近い駅まで歩く事にした。

 夜の道を歩きながら美佳は「日本のマスコミって鉄道事故への報道の認識が歪んでいるよな」と突然喋りだした。

 鈴木優は「何を突然言い出すの」

美佳の言い分は次の通りだった。

 マスコミが当然のように新聞記事やテレビニュースでアナウンサーが発言する「列車に轢かれる」「列車にはねられる」という慣例的な報道用語が見直されれば鉄道人身事故は減少するのではないかと美佳は主張する。

「マスコミ報道での鉄道事故。抑止力か」

 鈴木優も、言われてみればマスコミ関係者の立場からすれば先輩諸氏や研修で覚えた慣例的な報道用語なのだろうけど、コンプライアンスが重視される世の中で時代錯誤な言葉を使い続けている現状は面白いと感じて、美佳の主張に興味を持った。

 コンプライアンス的なとは、警察が現場検証、実況見分で偶発的な不幸な事故なのか、相手が故意に列車の運行妨害を起こす身勝手な理由での事故なのか、それを正式に発表する前に、回避不能な状況下で損害を被った鉄道企業に責任があるかの如く報道を行う事で、鉄道会社に信頼失墜、不利益を起こす報道姿勢には疑問がある。

 特に、SNSだと自殺での事故を、悲劇とか飛び込んだ側が可哀そうという美談化な見出しで閲覧や動画再生回数を増やす傾向がある。

 美佳は「マスコミが報道姿勢を変えれば鉄道事故が大きく減少するかもしれない」と言い放つと、鈴木優も真剣に美佳の意見に耳を傾けた。

警察や消防、鉄道会社や多くの利用者に迷惑を掛かる鉄道事故。遺族にも多額の賠償金を背負わせる。何よりも運転士からすれば絶対に止まれない速度。トラウマ。

 単に「列車に接触」とか「〇〇駅構内で人身事故」という報道で誰にでも充分に通用し伝わるのに、なぜ「列車にはねられ」とか「列車に轢かれて」という無駄に鉄道側に非があるような報道をするのかが解らない。報道の自由を語る前に、誰も日本語が間違っている事に改善を行わないのかも謎な話だ。

 鉄道事故報道を変えるだけでも事故未然防止の抑止力は期待できる。

 鈴木優も「歩きスマホも同じだね。報道の仕方で、逆に安心して歩きスマホが出来ない駅環境の鉄道会社側が悪いってなる」

 美佳は「実際さ。ホームドアがあれば事故は防げたって苦情は来るよ」と嘆いた。

「一部のルールやマナーを守れない人の為にホームドアって抗議の電話。田舎の潰れそうな会社に導入できる訳ないよ」

 美佳は、佐々電で苦情対応もしている。

 そういう誰にも言えない愚痴を聞いてあげるのも鈴木優の役割でもある。

 美佳は、溜まっていたものを吐き出すように喋り続けると急に立ち止まった。

 美佳は、ようやく鬱憤がはれたらしく。

「悪いな。優。厄介ごとに付き合わせて」

「いいよ」

「半感応式心霊レーダーが無ければ人身事故が起きていたと思うと怖いよ」

美佳は「違う。マジで八墓踏切ってレーダーが反応しただろ。あそこ居るよ」

「そういえば。沙也加ちゃんは生きていた訳だから。別の何かに反応した訳だね」

佐々電の線路に向かう道まで来ていた。

 あろうことか、八墓踏切に向かう道だと気が付く。

「うわっ、やっぱり引き寄せられている」
【交通安全教室の開催】
 
 九月。

 「さて、どこから手をつけようかな」

美佳は、小学生相手の交通安全教室や、中学生のおしごと体験は経験があった。

 しかし、高校生相手にした交通安全教室は全く経験がない。

 鈴木優に相談したら、モビリティマネジメント的な課題を与えてグループワーク形式にしたら生徒も本気で取り組んで貰えるのではないかと提案を受けた。

 モビリティマネジメントとは、環境や交通に関するレクチャーを定期的に数回受けた後、アンケートや行動プラン表を作成、自主的にマイカー依存から公共交通への利用促進に向けて行動変容を促す手法。

 四年前、美佳と鈴木優が高校一年生の時に結成した佐々山電鉄応援団。

 その時に、モビリティマネジメントの手法を実践した経験があった。

 現在でも、美佳は沿線の小学校や中学校で実行していたが、高校生にアレンジするという発想には至らなかった。

 美佳は、「それか」とポンと手を叩いた。

早速、美佳は実行に移す段取りをする。

 過去に、モビリティマネジメントの講師役をお願いした先生方に連絡を取る。

当時、沿線の工業高校の土木科教師だった田島教諭は伊勢崎市の別の高校に転任していた。個人情報とか面倒な話になった。

理由を話したら、なんとか新しい連絡先を教えてもらい美佳は現状を説明した。

 やはり、田島先生側も生徒の歩きスマホについて心配していて、なんらかの対策を考えようとしていた事から快諾を得た。

埼玉交通短大のモビリティマネジメントの専門家である長瀞教授。

同じく、今回の件に協力して貰える事になった。
 
       ♢

 打ち合わせの日、佐々山電鉄本社会議室で行った。

 美佳と鈴木優、佐々山電鉄、渋川警察署、渋川広域消防本部、渋川市役所、沿線高校の校長、群馬テレビや上毛新聞社などの県内マスコミ関係者が招かれている。

 会議に臨席する警察署長と学校の校長先生達は、可愛い服を着た美少女に夢中だ。

 そして、美佳は不機嫌。

「なぜ。雨宮京子が居る。学校は?」

 雨宮京子はニコッと笑いながら

「ウチの学校。成績上位者は事前申請すると授業出席しなくても単位さえ取れれば自主研究課題の方が優先されるのです」

「これ許可証です」

「ほう」と美佳は差し出された用紙を見た。

「そうなんだ」

 雨宮京子は「高校生相手の交通安全教室。現役のアタシが居た方が良くない?」

 校長先生は、「そうですね。優秀な女子高生の参加は他の生徒の刺激になります」

 雨宮京子は、美佳にピースサインを出す。

 美佳は「ほいほい。解りました。出席を認めます」と諦めた顔で承諾した。

 会議の内容として、佐々山電鉄沿線にある3つの高校から「総合的な探求の時間」を活用して同じテーマで共通課題として取り組ませたいという提案があった。

総合的な探求の時間とは、生徒が自主的に課題を設定し、情報の収集や整理・分析をする時間。

 警察署長からは、パワーポイントのスライドで歩きスマホのショートムービーが公開され、それを受けて渋川広域消防本部も過去の歩きスマホに関する事故の救助状況の生々しい写真資料が公開される。

 校長先生達から「実際はモザイクを掛けるとしても生徒達には刺激が強すぎるよ」という声もあった。

 現実問題として、先日の渋川新町駅構内での沙也加の事故の写真もあった。

 特に美佳は「当事者も社会的制裁を受けて自殺未遂まで起こしています。アタシも見せしめみたいな画像はどうかと……」

 消防本部も「いや。あくまでも教材的な利用で個人攻撃やプライバシーにまで立ち入る意図は毛頭ありません」と詫びた。

 警察署長も、消防本部をフォローする感じで「でも、消防さんの方法も間違いじゃない。歩きスマホの怖さ、責任、歩きスマホで多くの人が迷惑をして、本人自らも危険と隣り合わせという認識を持たせるには、ある程度の現実は知っていた方が良い」
と厳しい顔で発言した。

 「駅構内に貼って貰っている啓蒙ポスターも、肝心な歩きスマホをする学生はスマホに夢中で見る事すらありませんからね」

 美佳は悩んだ。

「確かに、歩きスマホは危ないよって言葉で言うと軽く聞き流されてしまう。身の危険、相手への危害、損害賠償とかリアルな方が伝わる訳かぁ」

 ここにいる会議のメンバーは全員が、歩きスマホによる事故を減少させ、二度と沙也加みたいな辛い思いをする生徒を無くす為に集まっている。

 本気ゆえに、タブー的な解決策も躊躇なく提案して貰えるのは有難い事だ。

 鈴木優が挙手をした。

「啓発用の架空設定ドラマ動画作成は?」

 美佳は、少し呆れた顔で鈴木優を見た。

「ほい?架空設定のドラマ動画だぁ?」

 予想外の提案に美佳は、何を言っているのだといわんばかりの顔で睨んだ。

 雨宮京子が、割り込んできた。

「さすがです」

 雨宮京子はノートパソコンを開く。

「スクリーンをお借りします」

 既に仕込んであるデータを使い器用にプレゼンを始めた。

 科学的根拠を持った解説に見入る。

 プレゼンが終わると質疑応答の時間まで設けている辺りが場慣れしている。

「動画って動画サイトか何かで公開?」

 美佳が、雨宮京子に問う。

「そうです。渋川市が全国に歩きスマホの危険性を啓発する。出来れば市のサイトでもフリー動画として、渋川市以外、群馬県に留ま
らず全国の自治体が渋川市発信の啓発動画を無条件で活用できる」

「それで動画の予算は?」

 渋川市の担当者が興味津々で質問した。

「すでにRRMSの広報室と話をつけてあってRRMSの全額支出です。代わりに動画撮影は全てRRMS車両で撮影」

 美佳は「RRMSの宣伝をしたいだけでしょ」と商業的な話に釘をさした。

「確かに、一企業のPR動画より群馬県や自治体単位でフリー動画の方が県下全域で小学校から高校まで授業でも使えます」

 雨宮京子は「えー。RRMSの提案よ」

不満そうな顔で、美佳を睨んだ。

「京子に借りを作る訳にはいかない。アタシも嫌だからね。ちゃんと見返りは与えてやるわよ」と言う。

 会議は終わった。

 美佳と、鈴木優、雨宮京子だけが残る。

「で?京子。そのドラマとやらのシナリオ」

「考えていませんよ。通るかも解らない奴」

「無責任な奴だな」

「人の企画を引用する人に言われたくありません。アタシもRRMSの広報に報告する都合で、ウチの顔も立ててくださいね」

「ほい。承知」

    ♢

 数日後。

動画配信用のドラマは10分で起承転結を行う事になった。

「10分かぁ。短いなぁ。せめて20分」

美佳は、シナリオに悩んでいると雨宮京子から連絡が来た。

「優さんから聞きました。やっぱり、アタシがメインで主演を任せて貰えればシナリオはアタシの方で出しますけど」

美佳は「はぁ主演?何様気取りだ?」と悪態をついた。

「えー。見ている方も現役女子高生で可愛い方が視聴率アップ間違いなしですよぉ」

 美佳は、まったく何もシナリオが出来てない事から「いいよ。とりあえず出して」と渋々ながらデータを送って貰った。

 美佳は、一読してから、間をおいて再度読み直した。

 内容は、沙也加の件がベースだ。

「悔しいけど、京子のシナリオは面白い」

 描写もストーリーも良く出来ていた。 

     ♢

 撮影当日。

手直しが入った。

沙也加の両親から、娘の事故を連想させる画像にならないように請願された。

ただ、別の鉄道会社の車両で撮影するならと問題は無いとの条件が付いた。

 最初は、渋川市が主体となって渋川市内での撮影で終わらせる予定だった。

鉄道のロケも、当初は佐々山電鉄だけを使った撮影を行う予定だった。

渋川警察署の署長が群馬県警からも歩きスマホ対策は渋川市内のみではく群馬県全域での取り組みで行いたいとの要望があった。

 まして、県警としては“移動中のスマホ閲覧厳罰化”で何らかの対策が急務になっていたので、美佳の駅構内で歩きスマホ危険性をテーマにした動画は好都合だったらしい。

 また、行政も群馬県全域で行いたいとの要望があり、歩きスマホ問題は全県エリアで足並みを揃えて実施する流れになった。

 結果、前橋市と桐生市を走る県内の私鉄、上毛電鉄の中央前橋駅が候補にあがった。

 動画は、前橋市内で活動する市民団体の動画作成チームがロケを担当した。

 群馬県警、前橋市消防本部、そして前橋市から、みどり市を抜け桐生市に向かう上毛電気鉄道の中央前橋駅で撮影が行われた。

 朝と臨時列車入線時のみ使用する日中は列車が入線しない広瀬川に沿ったホームで実際の列車を停車させてロケをした。

 導入部分から、エキストラのサラリーマンや高校生達は日常的に歩きスマホをしている撮影になる。

 架空の女子高生(雨宮京子)は学校や部活でも人気者で楽しい学園生活を送り、イケメンの彼氏、優しい両親に囲まれた幸せな日常を送っているというナレーション。

そんな、ある日のこと中央前橋駅構内を歩きスマホで、バランスを崩しホームから転落してしまう。

幸せだった生活が崩壊してしまうという内容だ。

 わずか10分の動画だけど、二日間かけて撮影をした結果、観た人の心には刺さる内容だと確信した。

 試作動画は、関係者のみで視聴された。

 ただ、一部の鉄道会社からは「悪戯に恐怖心を与えるのは」と心配の声もあった。

 逆に、駅構内でポスター掲示、キャンペーン等でチラシやテッシュペーパー配布などの効果が無い中で、むしろ怖いくらいが抑止力
になると支援する声で採用。

 動画は、群馬県の公式サイトで放映され、群馬テレビ、上毛新聞社でも報道された。

 NHK前橋放送局も関東エリアの情報番組で取り上げ、一部の東京をキー局とする民法も取材の話が舞い込んできた。

 群馬県発信の実際にあった事故を基にした動画は、まずまずの出だしだった。

 実話が基になった動画。

 単に、「あぶない」では伝わらなかった部分が大きく評価された。

 この動画は、無償で学校教材、各鉄道会社の公式サイトからもアクセスできる。

    ♢

  交通安全教室の開催日

 美佳は、体育館のステージに居た。

一学年ごとに、日程を変えて二時間の枠で交通安全教室を開催する。

 一時間は美佳の講習、もう一時間は校庭で自動運転バスRRMSを使った実習だ。

 美佳なりに、雨宮京子の顔を立てた策だ。

 美佳の講習は、動画を見せて体育館に島のように設置された会議室用のテーブル上に大きな模造紙を置いて各クラスでグループ分け
したチームで、美佳がデータを基に問題点を抽出して、チーム全員が何かしらの提案や改善点を付箋に書いて模造紙に張り付けてリーダーが纏めて提案する。

 作業させて、自分の事として考えて貰う。

当然ながら、沙也加も参加している。

 既に、美佳は学校側に根回ししていて、スマホ持ち込み禁止ではなく、なぜ危ないか、何をしたら生徒達は自分の行動に責任を持て
るのかを指導、教育する方が再発防止になるのではないかという提案をしていた。

 沙也加の件も、学校側は知っていて歩きスマホの案件よりも、集団心理で仲間を迫害、無意識にイジメが正当化される環境を学校側の配慮で防げるのではないかと事情を説明した。

 学校側も、保護者会や教員達との会議を数回繰り返し、交通安全教室の開催をもって処分やスマホ持ち込みの件は、今回に限り不問
にすると確約を得ていた。

 生徒達も、趣旨を理解し真剣に取り組む。

 校庭でも、鈴木優と雨宮京子が活躍していた。黄色い声が飛び交っている

「雨宮京子だ」

「京子ちゃん。実物?マジ可愛いよ」

 コミュニティバスで多く使われている日野ポンチョと呼ばれる小型路線バス。

 女子高生達は、殆どがバスの車体に興味を持たなかった。雨宮京子に夢中だ。

理工系の女子達はバスの方を見ている。

 雨宮京子は、ニヤッと笑い「さすが地元の進学校ね。解っている子いるね」と囁く。

 鈴木優も「理解している子は目つきが違う」と手ごたえを感じていた。

 鈴木優は、「RRMSについて説明します」とマイクで話をすると歓声が沸く。

「えっ。あの女の人。男性なの?」

 鈴木優は、慣れているので説明を続けた。

「今回は、交通安全教室ということで、歩きスマホの危険性というテーマで実施します。なぜ?歩きスマホと自動運転RRMSが関係あるのかという話から」

バスの前面に生徒達を移動させた。

「まず、自動運転に必要なカメラ、センサーです。障害物検知、信号確認などをします。私達と同じ自動運転も前を見て、信号を確認、障害物を避ける行動をします」

 雨宮京子も「もう。言いたいことは解りましたよね。どんなに最新技術でも、自分の進む進路に危険は無いか?信号は青なのか赤なのかを判別しないと安全は確保できないのです」と補足した。

 生徒達を、RRMSバスに乗せる。

 レベル4といえども、基本的にはドライバーが乗る運転席は残してある。

 いくら技術がレベル4に準拠していても、法令や自動車保険の兼ね合いで何処でも、好き勝手に自動運転で走行できないのが現状だからだ。

 実際にRRMSの試験走行区間であっても、ドライバーが直ぐに運転を代われる体制に居るか、保安要員が緊急停止できるように乗
車、遠隔制御の管理室からの徹底的な監視、緊急時の制御など厳しいルールが無ければ自動運転が成立しない。

運転席の背後に、モニターがあり『充電中』『放電中』という電池みたいなマークに矢印が交互に向いた画像がある。

 鈴木優は「通常のポンチョは軽油で走るディーゼル車です。RRMSは電気バスです。ただ充電時間やら急勾配を走行、緊急時のバッテリー容量とか現在の課題です」

 雨宮京子が補足するように

「優さん。今日は技術的な説明よりも、自動運転も人間と同じで自分の安全を守る、対向車や歩行者など相手への安全についての話を優先しましょう」と釘を刺された。

 凹む鈴木優を見て生徒達が笑った。

 雨宮京子は「人間も同じです。危険や普段と違う異常時に目で見て危険を察知。耳で異音を感知る。それを歩きスマホでは予想以上
に視野が狭くなる。オマケに耳にイヤホンして歩けば?」

 マイクを持つ手を生徒に向けた。

「うふふ。即答できませんよね」と微笑む。

 鈴木優が「実験してみましょう」と3Dゴーグルを出してきた。

「日常の動画を加工して、ゲーム感覚で突然、危険な状態に陥るようにプログラムされたデータが組み込んであります」

 雨宮京子は「一人ずつ体験して貰いましょう。注意配分や危機管理能力が解ります」

 雨宮京子は、淡々と語る。

「人間の能力には個人差、適正があります。同じ歩きスマホでも本人の咄嗟の判断で自ら危険を回避できる人も居れば、周囲が危険行為をしているアナタを相手が避け、ぶつからないようにしてくれるからアナタは安全で居られる。その能力差を丸裸に出来る測定なの」

 高校生が恐々と挙手をした。

「それって、個々の能力が数値化される?」

雨宮京子はニコッと笑い。

「データは個人情報を厳守した形で私達の研究に寄与されます。学校にも渡します」

 高校生達は「ムリ。それは嫌」と拒否。

「自信ないよぉ」

「悪い数値だったら歩きスマホ禁止?」

「根本的に、鉄道の駅にホームドア付ければ良いだけでしょ。安全に歩きスマホできる社会環境を提言する」

 生徒達は、好き勝手に反論を口にした。

雨宮京子は「静粛に」と女子高生達に言い放つ。

「さっきの質問の回答。実は能力差ありません。歩きスマホは必ず他の歩行者が退いてくれている。それを自分は安全に歩きスマホし
ているとか勘違いしている段階でダメな訳」

 鈴木優は、「でも正直な意見が数件あったよ」と笑った。

 最後の十五分は、関係者との意見交換や所感が語られた。

 二時間の交通安全教室の終盤に校長先生から総括があった。

 いままで、警察や鉄道会社、スマホの通信関連企業が何度も“歩きスマホの危険性”をPRするイベントやポスター掲示、広報活動をしても事故が減少しない理由。

 それは、誰もが他の人もしている、自分だけは安全という根拠のない自信からだ。

 しかし、安全が確保されていない事で事故を起こした後の賠償や責任を問う動画は、「軽く考えて居た歩きスマホだが、今回の交通安全教室で怖さに気付いた」「親に迷惑が掛かるような事になるとは考えて居なかった」など後始末を知った事で、自ら行動変容をする生徒がアンケートでは圧倒的に多かった。


 美佳は、多くの関係者から交通安全教室の成功を評価された。

他校での講習も続々と依頼される。

 自分は、佐々山電鉄に不要な人材と悩んでいた七月からは、嘘のように多忙で多くの人から美佳は頼られるようになった。

  【完】







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