はじめに

この物語はフィクションです。
実在する登場する人物、組織及び団体とは関係はありません。

 佐々山電鉄株式会社は、実在しておりませんが昭和31年12月で廃止になった東武鉄道伊香保軌道線(渋川駅前~伊香保)がモデルです。小説内では、同線が佐々山電鉄として、現在も運行されている架空の世界です。
   表紙イラスト・イケノウエ様

    もくじ 

 プロローグ

1.群馬県庁へ

2.あぶない!駅構内での歩きスマホ

3.反感応式心霊レーダー

4.交通安全教室の開催



  登場人物

佐藤美佳
 主人公。佐々山電鉄職員。
元・高校生応援団のリーダー

鈴木優
 美佳の相棒。大学生
 交通政策とまちつくりを学ぶ学生

雨宮京子
 女子高生。天才美少女
 交通政策とまちつくりの専門家



 【プロローグ】

関東地方北部に位置する群馬県。

JR上越線・吾妻線の分岐駅である渋川駅。

佐々山電鉄株式会社は、榛名山の麓の都市・渋川駅前から温泉で有名な伊香保までを結ぶ全長12kmの単線・電化鉄道だ。

人口減少、少子高齢化、マイカー保有率が全国トップレベル。鉄道利用者減少。

御多分に漏れず経営がピンチの鉄道だ。

 伊香保温泉のホテル・旅館街の入口にある“峠の公園”にある茶色とクリーム色の小さな路面電車をご存じだろうか?

 昭和三十年後半までは大手私鉄の東武鉄道が経営していた路面電車。前橋駅前や高崎駅前から渋川市を経て、榛名山の伊香保温泉までの急勾配区間を登坂していた。

自動車の普及と道路整備で、路面電車は廃線になる。地元企業や観光関係者の起案で渋川駅前から伊香保温泉間のみ佐々山電鉄としてほぼ同じルートの線路跡を利用し改軌、電圧昇圧などを行い継続した。

ただ、自社で車両の新造が出来なかった。

 榛名山の急勾配を運行するため西武鉄道のパワーのあるモーター。抑速ブレーキ搭載の中古車両を譲渡して運行している。


【群馬県庁へ】

 七月初旬。

JR上越線・渋川駅前。

梅雨らしい雨の日が続いていた。

曇り。

天気予報では、今日は雨が降らないらしい。

 渋川駅前プラザの横にある昭和レトロな木造駅舎。 佐々電渋川駅の駅舎だ。

 カンカンカンカン……。

離れた場所から踏切警報音が聞こえる。

 黄色の二両編成の電車が、前照灯を点灯させガタンゴトンと車体を揺らしながら行き止まり式のホームに、ゆっくりと進入して所定の停止位置に停車した。

 到着した列車からは、セーラー服の女子高生が下車していく。

殆どの生徒が、スマホの画面を見ている。

 佐々電渋川駅の構内にも、歩きスマホに対するマナーアップポスターは掲示してあるが、そもそも歩きスマホに夢中な人間が、ポスターなどを見る事は絶対に無いし、歩きスマホをする誰もが自分は絶対に安全という根拠のない自信を持っている限り改善など期待は出来ない。

 最後に下車したビジネス鞄を片手に持ったスーツにスカート姿の女子社員。

佐々山電鉄・電鉄部運輸課の佐藤美佳。

今年二十歳になる女性社員。身長は160cm。容姿も特徴も無く、セミロングの髪を今日は束ねている。

「藤原さん。お疲れ様です」

乗務員室に居る若い運転士に声を掛ける。

「あっ。美佳ちゃん。出張?」

「前橋。群馬県庁で会議」

「お疲れ様。気をつけて」

「ほい」

 この運転士は藤原という。

 四年前に発生した佐々山電鉄脱線事故の当該運転士だ。

 当時、運転士に成りたての藤原運転士が咄嗟に線路の異変に気が付き、直ぐに停止手配を施したので先頭車両脱線で済んだが、少しでも躊躇していたら全車両が崖下に転落して大勢の死傷者がでる大惨事になっていた。

 それでも、列車の先頭車両は線路脇の架線柱に衝突して大破。現場解体になる事故だった。

 当時、高校生だった美佳とクラスメートの鈴木優という男子生徒も軽傷を負った。

 美佳にしてみれば、藤原運転士は命の恩人でもある。

 改札口でも初老の定年延長のベテラン駅員にも挨拶をする。

 駅前にでると周囲を見渡す。

車内でも、女子高の生徒が居たので気にはなっていた。

「今日は、学校が終わるのが早いなぁ」

 昼前なのに、制服姿の地元高校生達が駅前や待合室に居る。

教科書や参考書を片手に持っている事からテスト期間中らしい。

「学生はいいなぁ。テストは嫌だけど」

 大きな溜息を吐いて憂鬱な顔で駅前のバスターミナルに向け俯き歩きだした。

「はぁ。好きな事を仕事にするモンじゃないねぇ」

再度、深い溜息を吐く。

美佳は、いま大きな悩みを抱えていた。

美佳は、子供の頃からの鉄道好きが高じて地元の赤字ローカル鉄道会社・佐々山電鉄に入社した。

 入社後、大好きな鉄道に囲まれて、「天職だぁ」と喜び仕事に邁進していていた時期は短く、入社後半年位で苦痛に変わった。

 仕事は徐々に責任が重くなる、初めての人身事故対応で遺体処理の途中で倒れた。

楽しいことしか期待していなかった鉄道業界。鉄道趣味の延長戦上にしか見て居なかった美佳にとって落差が激しかった。

 そして、今は周囲の期待に応えられなかった精神的な苦境に立たされている。

 「勝手に期待されて、勝手に失望されてもなぁ。アタシの所為じゃないよ」

ふと、心の中で呟いた筈が声に出ていた。

 人間には、自分の生命を守る為に、危険な状況回避から身を守る為に五感がある。

 美佳は、考え事をしながらボーッとしていた。注意力散漫な状態も同じだ。

ある意味では、危険を察知する思考を自ら塞いだことになるのだろう。

ふと、顔を上げると、目の前に人が居た。

「おっ」と思わず声をあげた。

歩きスマホをしている女子高生。

美佳は、慌てて肩がぶつかる寸前に避けた。

 それでも、美佳の肩に相手の背負うリュックが軽く当たった。

「いたっ」

 美佳は、即座に

「ねぇ。ちょっと!当たったよ」

 美佳は、相手に向かい大声で言うが反応がない。

「コラ。危ないよ。前見て歩いて!」

しかし、女子高生は謝罪どころか、立ち止まらず歩いていく。

 最初は無視されたと思ったが、相手の耳にイヤホンが見えた。

「あー。怒るのが馬鹿らしいなぁ」

 モヤモヤした気持ちになったが、自分も考え事をしていて注意力が散漫になっていたので、お互い様だと反省する。

「歩きスマホかぁ……」

 でも、その一件で忘れていた仕事の依頼を思い出す事が出来た。 

「歩きスマホ。依頼の件!」

先月、渋川警察署と携帯電話会社から“駅構内での歩きスマホについてのマナーアップキャンペーン協力のお願い”という依頼があった事を思い出す。

 佐々山電鉄からも、何かアイデア的な提案をして欲しいという依頼だった。

 忙しくて何も手を付けていなかったが七月の月末に回答をする事になっていた事を思い出した。

 美佳が悩んでいる現状。

佐々山電鉄では高卒なら現場採用で駅員からスタートするのだが、入社時から美佳だけは本社採用が前提になっていた。

 美佳は、経営再建に必要な人材。

佐々山電鉄だけでなく渋川市や伊香保温泉組合、渋川市の観光関係者だけでなく群馬県職員までもが、美佳の本社採用を望んでいた。

 当時の美佳は、意味も解らず喜んで入社した。

なぜ、美佳が期待の人材なのか?

 佐々山電鉄の四年前の事故原因。

それは、公的支援を受けている企業にあるまじき不正工事で発生した脱線事故。

乗客・乗務員二十一名が重軽傷。損傷の激しかった先頭車両が現場解体という大事故だった。

国交省や管轄の関東運輸局から事業改善命令(運行停止処分)が下され三か月間、佐々電は列車による運転が出来なくなり全線でバス代行輸送を行った。

 しかし、バス代行輸送で問題が発生。

 バスが運転士不足で手配できない。

手配できても、乗客の積み残しが多発した。

鉄道輸送力をバスに換算すると、二両編成の列車と比較して、一列車につき着席式の観光バスが三台から四台ほど必要になる。それが各列車分に一台だけで三十分ヘッドでローテーション。

 いくら、乗客が少ないといえども、簡単に鉄道輸送をバスに移行するのは困難だ。

朝夕のラッシュ時は、明らかな輸送力不足。

駅前と道路沿いにある臨時のバス乗降場では、乗客の積み残し遅延を出した。

まして、バス会社では自社の運転士不足で減便する状況。他社の鉄道輸送力をカバーするだけの人材を割くのは無理だ。

 バスが時間通りに来ない、来ても満員で乗れない。一度でも、不利益を感じた利用者が考える事は自動車に乗り換える事だ。

高校生の保護者は、各家庭で我が子を学校までマイカーで送迎する。

想像するまでもなく、並走する県道は大渋滞になり、高校生だけでなく通勤や観光客なども影響が出て移動が出来なくなる。

 佐々山電鉄は不要。

公的支援や補助金を出す位ならバス転換をするべきと主張していた地元の人達や議員達ですら、現実に起きている地域経済の影響や移動の自由を破壊的に追い込んでいる酷い現状を目にして、自らの主張の甘さを訂正しはじめた。

『佐々山電鉄の負の社会実験』と言われた。

しかし、運行再開は容易ではなかった。

佐々山電鉄は、航空鉄道事故調査委員会での調査指摘された不安全な施設、事故再発防止処置でリストアップされた保安設備改善費用を捻出する力は無かった。

 公的な支援も、自治体や議員からの反対意見が多く、市民の一部からも不正工事で事故を起こすような鉄道会社に救いの手を差し伸べるほど世の中も甘くなかった。

 佐々山電鉄が加盟する全国組織の労働組合も署名活動や関係各所に請願書を提出したりしたが簡単に話が進まなかった。

 意外にも、この難局で鉄道運行再開に向けて活躍したのが地元高校生組織。

 佐々山電鉄応援団の活躍だった。

美佳は高校生応援団を結成して署名活動だけでなく、交通政策とまちつくりに精通する鈴木優の知恵を借り交通政策とまちつくりという、財政支援は鉄道会社の救済ではなく地域課題解決の為の社会投資という提言で大人達を動かした。

 特に、沿線の中高生生徒会を訪問して、学校単位で簡易的なモビリティマネジメントという交通移動についての学習や意識改善の授業を開催して生徒が自ら行動変容を促す取り組みを展開した。

美佳の本社採用は、その功績が高く評価されたのだ。

 榛名地域では、地元高校生応援団・佐々山電鉄応援団の活躍は語り草になっている。

そのリーダーは佐藤美佳。

確かに、美佳は応援団のリーダーで司令塔だったが、実際に応援団の頭脳でありブレインとして知識や技術を提供していたのは鈴木優という男子生徒だった。

 鈴木優は、高校を卒業して大学に進学。

自動運転次世代交通の研究をしている。

 入社三年目にして、美佳だけの尽力では佐々山電鉄の再生が難しいと周囲が理解してきた段階で、鈴木優に期待を始める。
美佳は、世の中の世知辛さを感じていた。

「はぁ。お払い箱になっちゃう」

また深い溜息を吐く。

ピッ。

バス乗車ドアの脇にある交通系ICカードのカード読み取り機にタッチする。

 渋川市の隣市である前橋市へは、電車でも行けるが目的地が群馬県庁なので路線バスでの移動を選択した。

 バスは動き出し国道17号線に沿った利根川沿いの化学工場が立ち並ぶバイパスを南下、昔は利根川に架かる阪東橋という古びた橋を渡り、遠くに水力発電所のサージタンクが見えると、渋川市から前橋市へ入るという軽い越境感を味わえた。

現在は路線バスのルートが変わり高速道路と遜色のないバイパスを進み、気づくと前橋市という味気ない移動となった。

 群馬大学荒牧キャンパスに立ち寄る系統らしく、途中からバスは学生達で立ち席がでるほどになった。

 遠くに群馬県庁の33階の庁舎が見え隠れしてくる。

 前橋市内に入ると、バスの車窓から見える街並みが賑やかになる。

 でも、街並みは賑やかだけど歩道には殆ど人は歩いていない。

 中心市街地空洞化で、建物は多いが買い物客や観光などの街歩き回遊性が少ない。

 前橋市に限らず、群馬県内の中心市街地は同じような地域課題を抱えている。

 美佳は、本町バス停のアナウンスで、降車ボタンを押した。

美佳は交通系ICカードをタッチした。ピッと軽快な電子音がした。


水と緑と詩の街。

県庁所在地の前橋市。

梅雨時、前橋も薄曇りの天候。

 二年ぐらい前は、前橋市の中心商店街、アーケード街はシャッター通りで、日中は殆ど人が歩かない寂しい街並みだった。

 それは、今では少しずつだが変化を遂げている。

 優秀な行政担当者、大学の教授陣、そして地元企業や市民が様々なアイデアを出し合い、それを実行している。

 いまでは、新しい店が開店、街並みも整備され賑わいを取り戻しつつある。

 そういう前橋市の変化を観察する事は渋川市や佐々山電鉄に対して参考になるべきものがあればと考えて居た。

 整備された馬場川の遊歩道を歩いた。

 少し離れたバス停から、程よいウォーキング感を得た処で目の前に群馬県庁の建物が近づいてくる。

 前橋市役所、群馬会館の信号手前で、美佳は群馬県庁を見上げる。

地上33階。

「相変わらずデカいな」

 毎年、元旦に行われるニューイヤー駅伝のスタート地点でありゴール地点でもある群馬県で一番高い建物だ。

美佳は、会社ではパンツスタイルの制服で家でもスカートは殆ど着用しない。

 そんな美佳ですら、今日の会議ではスカートやワンピースを着て、女子力を見せ付けないといけない理由があった。

 美佳にとって、応援団でのブレインであり大事なバディである鈴木優が、大嫌いな ライバルに奪われる危機。

「ここで優を持って行かれたら困るのよ」

絶対に負けてはいけない宿敵が同じ会議に参加する為だ。

「どうせ、京子の奴は可愛い恰好で来る」

 美佳とは逆で、フェミニンな服を好んできていて、アイドルみたいな可愛い容姿。

 実際に、彼女にはファンクラブもある。

雨宮京子。

現役の女子高生。

容姿端麗、頭脳明晰。

日本屈指の交通経済学者である父親を持ち、自らも天才美少女と名高い逸材だ。

 確実に、鈴木優を雨宮京子が狙っている事だ。

「優の奴。可愛い服が似合う女が好きだからな。しかもロリコンだし」

 しかし、スーツの地味な濃紺のスカートが美佳には精一杯の抵抗だった。

誰かの為に、着たくない服を着るという行動に追い込まれている自分に笑った。

「何かを得る為には、何かを犠牲に。等価交換」と何処かの漫画で読んだ主人公の言葉を口にして気合を入れる。

 今日、美佳が出席する会議は、群馬県庁本庁舎ではなく手前にある昭和庁舎と呼ばれるレトロな庁舎で行われる。

 館内は、さすがに現役時代と比べて改装はされているが、風格のある階段など主要施設は当時のままだ。テレビや映画のロケでも使用されるらしい。

 着慣れないスカートなので女子高生みたいに手で押さえながら階段を登った。

「三十四会議室は何処かな?」

美佳は、案内板を確認する。

 普段は、高層階の本庁舎での会議が多いので昭和庁舎の会議は久しぶりだ。

「おっ。あった」と呟く。

 会議室のドアを開ける。喧騒が漏れる。

「お世話になります」

既に、群馬県庁職員や大学の教授や学生が集まって挨拶や名刺交換をしている。

 群馬県庁の職員が「佐々山電鉄の佐藤さん。お待ちしていました」と挨拶に来た。

「お世話になります」と美佳は頭を下げる。

「こちらが今日の資料になります」

「ほい。ありがとうございます」

 美佳と初対面の人は、美佳の返事に戸惑う事が多い。

 美佳は「はい」という返事をする時に「ほい」と相手に聞こえてしまう事がある。

 悪意が無いと解れば問題は無いのだけど不快感を持たれる事も過去にもあった。

 殆どが、スーツやワイシャツの男性が多い中、私服の学生や市民団体の人も居る。

 その中でも際立って目立つ二人。

 美佳の美佳の名前の書かれた指定された座席から対面に可愛らしい顔と容姿の二人が座っている。

美佳に、可愛く手を振っている白のワンピースを着た女子高生。

それが雨宮京子だ。

美佳は、引きつった顔で軽く会釈した。

もう一人は鈴木優。

佐々山電鉄応援団として共に戦った戦友。

美佳の到着を待ちわびていたようで、鈴木優は席を立ち駆け出してきた。

 美佳は、満足そうに雨宮京子を見た。

(心配して損した。優はアタシにゾッコンだからねぇ。向こうから駆け寄ってくる)

少し不満そうな顔をして鈴木優の背中を見送っている様子を見て美佳は心の中でガッツポーズをした。

鈴木優は、遠目から見れば、可愛い女子に見える。でも男性。

「美佳ちゃん」と美佳の隣に座る。

「イヒヒ。久しぶり。電話位しろよ」

「美佳ちゃんこそ。今日はスカート。彼氏でもできたの?」

「出来る訳ないだろ。イメージチェンジ」

「かわいい」

「当然だ」

鈴木優を女性だと勘違いしている人達は多い。

 それは、鈴木優にしてみれば辛い事だ。

 親から授かった顔が、一般的な女子よりも可愛いため、見た目の容姿だけで理不尽に勘違いされる。特に女性から嫌われる。  

男子も勝手に勘違いして、鈴木優が男子と解れば手のひらを返す。迷惑で酷い対応は美佳も気の毒に思うほどだ。

 鈴木優は、中学校の時にイジメに遭って美佳の住む地域に転校してきた。

 転校前に、スクールカウンセリングで家に引き篭もりの際、交通とまちつくりをする市民団体を紹介された時に基礎を学んだらしい。

 雨宮京子には劣るが、鈴木優も専門的知識を持つ人材。雨宮京子が同年代の鈴木優に興味を持つのは自然な事だった。
気づくと、美佳の隣に雨宮京子が居た。

 雨宮京子が美佳を見て笑う。

「へぇ。美佳さん。似合いますね」

「なんか。嫌な言い方だね」

「美佳さん。意外と足は綺麗ですね」

「足は?意外と?」

雨宮京子は鈴木優を連れて自分達の席に戻っていった。

 美佳は闘争心に火が付いた。

 今日の会議の議題。

 まず、山岳部が多い群馬県はマイカーの保有率が高い、道路網が整備されると同時に鉄道やバスの公共交通が衰退していく。

 佐々山電鉄も、経営が逼迫して群馬版上下分離方式という公的支援対象路線。経営と線路や電気設備など会計分離する鉄道経営支援を受けている。

 最近では、地域公共交通活性化再生法という枠組から法定協議会が発足、鉄道として存続するか、鉄道を廃止してバス代行や他の交通モードに切り替えるかの協議が行われた。

 佐々山電鉄は、単体での自主採算性が地域人口減少、マイカー依存関係、観光等の定期外収入など統計的データ、クロスセクター分析からは現状のままでの存続は難しいと厳しい評価をされた。

ただし、アメリカ・ドシキモ社が日本国内で実証実験を行うRRMS(Rail & Ride Mobility System)計画という自動運転LRT(Light Rail Transit)、および自動運転バスBRT(Bus Rapid Transit)による線路を埋め込んだ専用道路を、同じ環境下で相互運行をする次世代交通網研究を佐々山電鉄に誘致すれば、鉄路での存続は認めるという結論になっていた。

 LRTとは、簡単に言えばカッコイイ路面電車。栃木県宇都宮市の黄色い車両を想像して貰えればイメージは掴めると思う。

 BRTとは、専用道路や専用レーンなどを使い道路渋滞など避けて定時制を確保した路線バス輸送システムだが、日本国内では定義が曖昧なので解説は難しい。

 RRMSとは、その両方の交通モードを同じ区間で道路に埋め込んだ線路を使い需要に応じて車両を使い分けるレベル4相当の自動運転システム。

 佐々山電鉄の線路を使いRRMS実証実験をする事で高崎や前橋などの都市と榛名山周辺の交通を軸とした生活圏・観光の輸送形態のスマートシティ化を図る。

 人口減少や少子高齢化、医療、福祉、通勤・通学の地域課題を解決するのと同時に、鉄道やバスの働き手不足による交通機関の運転士不足も緩和できる。

 改善基準告示(自動車運転者の労働時間等の改善の為の基準)がバス運転士不足に併せてバスの減便や路線廃止に拍車を掛けていた群馬県内のバス事情に期待されている。 

このため、鈴木優は大学に通いながら、研究施設で雨宮京子と一緒に実証実験を行っている。RRMS計画は、佐々山電鉄の起死回生の虎の子だ。

 いわゆる、今日の会議はRRMS計画絡みで、鈴木優と雨宮京子が主役なのだ。

       ◇

 会議が終わり、帰路も路線バスで渋川駅まで戻り、一駅だけ佐々山電鉄の佐々電渋川駅から本社のある渋川新町駅まで向かった。

 本社に着いたころは、ちょうど退社時刻だったけど課長に会議の報告書やら、残った自分の仕事を片付けてキリの良い処までは終わらせて帰ろうと思った。

 小暮課長という元・自衛官だったガタイの良い上司は美佳から報告書を受け取ると「オッケー」とハンコを押した。

「鈴木君か。美佳ちゃんも可愛い処あるね」と美佳のスカート姿を見て笑った。

 なんか見透かされているようで美佳は「セクハラです」と微笑んだ。



【あぶない!駅構内での歩きスマホ】

 群馬県渋川市。

八月初旬の平日。

その日は、朝から暑かった。

美佳は、日焼け止めローションを塗り、日焼けをしないように、あえて長袖のブラウスを着こんだ。

榛名山付近は快晴に近い青空だが、明らかに午後には雷雨を予想させる勢いで入道雲が発達している。

「雷雨で停電とかは勘弁してください」

美佳は榛名山に向けお祈りポーズをした。

 美佳は、渋川新町駅の構内踏切を渡り、待合室に入った。

 冷房も無い待合室では、扇風機が生暖かい風をかき回している。

半袖セーラー服、部活のジャージ姿の女子高生の笑い声が響く。

普段は、この駅を最寄り駅とする女子高の生徒達だ。

夏休み中は部活の練習や自主学習に通う生徒、病院通いの高齢者が数人いる程度。

 駅事務室のドアをノックする。

「ほい。駅長さん。おはようございます」

「はい。美佳ちゃん、今日も元気だね」

「今日は、午前中に構内で警察の人と、消防の人と来週実施する事故復旧訓練の下見と手順の説明。構内立ち入りするから承知してお
いてください。終わったら電話します」

「了解。暑いけど頑張ってね」

「ほい」

駅長が「麦茶を飲むかい?」と勧めてきた

「うわっ。飲みたい」

駅長は、駅の奥にある御勝手の冷蔵庫を開けて冷えたペットボトルを美佳に渡す。

「貴重な人材だからね。熱中症は禁物だ」

 相変わらず現場は美佳を持ち上げる。

「御馳走様です」と受け取る。

 少し話をしようとしたときだった。

駅長が「消防署の人達は来たね」と指さす。

 本社前に赤い消防署の大型作業車両と白いワンボックスの救急車が見えた。

 美佳が、準備をすると制服警官二名が駅の待合室に入って来た。

「お世話になります」と互いに挨拶をする。

美佳は、ペットボトルを自分の鞄にタオルで包んで仕舞うと、手板を持って駅舎を出た。

 警察官は、駅前の交番から徒歩で駅に来たので美佳と一緒に構内踏切を横断して本社前の消防署のレスキュー隊と合流。

 朝ラッシュを終えて入庫した黄色い一般形の車両が一編成。そして唯一、観光列車にも通勤列車にも使える300型というJRから譲渡され改造された車両の横で美佳は説明を始めた。

「ほい。では説明をはじめます」

 美佳は、思い出したように

「あっ。資料渡さないと」

慌てて資料配布した。

「事故想定訓練当日は、2両編成の黄色い方の予備車両を使います。事故車両に見立てて使用する予定です」

 警察官が「確認ですが黄色の車両で訓練を行う訳ですね」と確認をする。

「はい。観光用の300型だと座席配置がセミクロスシートで向かい合わせなので、ロングシートの一般車両と異なります。通常使用する車両で訓練を行う予定です」と返答した。

 消防署のレスキュー隊は「座席配置が違うのなら、救助用のドアコックの場所や車内構造などで救助手順が変わりますね。観光型の車両構造も見学したいのですが」と見学を申し出た。

「わかりました。車両区長に許可を取ってきます」と美佳が業務用携帯電話を制服のポケットから取り出そうとしたときだった。

プワーンと長い汽笛が構内に鳴り響く。

何かが起きる独特の嫌な空気を感じた。

美佳は、反射的に汽笛が鳴る方向を見た。

渋川新町駅の営業線。

プワーンと汽笛を鳴らしながら下り列車はガタンと急停止した。

明らかに、ホームの通常停止位置より手前の中途半端な場所。

鉄道係員なら誰しも感じる嫌な瞬間だ。

乗務交代する運転士が緊急停止した電車に向けて急いで駆け寄っていく。

電車を待っていた女子高生達の悲鳴。

全員が線路を見下ろしている。

警察官とレスキュー隊のチームも、プロ集団だ。異変に気が付いている。

「佐藤さん」と美佳に状況確認を求める。

 美佳は、業務用携帯電話で佐々山電鉄の運転指令所を呼び出すが通話中だった。

「無線が入るかもです。傍受しましょう」

 美佳は、自分のスマホを手にしたまま、自分達の隣にある留置車両の運転台に向かい早歩きをした。

ピピピピピッ……。

留置してある運転台から断続音がもれている。

「ちっ。防護無線か!」

 思わず美佳は舌打ちをした。

 緊急時に周囲の列車に危険を知らせ、傍受した列車は速やかに停止手配を執る防護無線と呼ばれる装置の断続音だ。
間違いなく事故が発生した。

『こちらは佐々山指令。防護無線を操作した列車は佐々山指令を呼び出してください』と列車無線からは緊急時のお決まりのセリフが
聞こえてきた。

 ホームに中途半端な場所に停止中の電車運転士は興奮した口調で第一報を指令所に報告しているが聞き取れなかった。

美佳だけでなく、警察官と消防署のレスキュー隊チームも聞き入る。

聞こえた部分だけで内容は想像できた。

「ホームから乗客が転落……らしいです」

 無線通話が終わると、美佳は諦めに似た溜息を吐いてからスマホを取り出して佐々山電鉄の運転指令所に連絡をした。

「あー。繋がった。佐藤です。状況は?」

「ほい……ほい」と相槌を打つ。

そして「はい。消防と警察の人も居ます」

美佳は諦めに似た顔をする。

「現場責任者ですね。直ぐ向かいます」

 美佳が電話を切ると、警察官と消防署のレスキュー隊チームにも詳細を説明する。

「ホームから女子高生が線路に転落。当該列車は非常ブレーキで5m手前に停止。接触なしです。ですが女子高生は負傷。あと車内で下車準備の高齢女性が転倒して負傷。二人とも痛みを訴え搬送は困難です」

 レスキュー隊の隊長は、「二名とも意識はある訳ですね。転落した要救助者は搬送困難。車内の要救助者は高齢女性。現場を見ないと判断できないが、とりあえず俺達の出番か」と呟くと他の隊員に「訓練じゃない。気持ちを切り替えろ」と指示を出す。   

隊員たちは「よし」と力強く返事をする。

「とりあえず佐々電さんの方からも消防指令に出動要請してください。私たちは消防指令の指示を待ちます」

 そして隊長は本社前の作業車両に向けて走り出そうとして一旦、立ち止まり振り返りざまに「佐藤さん。周辺の列車の抑止を必ず確認してください。あと機材の準備と消防車両の進入できる踏切、駅の侵入経路が解れば指示をください」と大声で怒鳴るようにして再び駆け出して行った。

 美佳は「ほい。了解」と叫んだ。

駆け出す隊長や隊員の背中を見て

「急に顔つきが変わった」

警察官は「解る気がします」と苦笑した。

「私達も現場に向かいましょう」と美佳と一緒に構内通路を使い渡り駅に向かう。

美佳の携帯が鳴り、佐々山電鉄指令所から『佐藤さん。駅からで要救助者は痛がって担架で線路外に出せない状況』と連絡。

「ほい。承知。それ消防にも連絡して」

 美佳と同行している警察官二名も、美佳の返事が少しおかしいことに気がついている。美佳の“ほい”という返事に対して悪ふざけではなく言語障害的な触れてはいけない部分だと感じ始めていた。

 美佳は、過去に人身事故の処理もしたことがある。経験と度胸は場数を踏めば慣れる。もう倒れるような事は無い。

 今回は、死亡事故じゃないので気は楽だ。

 どんなに鉄道が好きでも、仕事として従事するとなると、目を覆いたくなる惨状や嫌な事も我慢して処置しないといけない。

 しかし、事故って奴は経験や体験を積んでも毎回、処置や手順が違う。

 まず、最初に事故現場を見て、その時の状況に応じて最善な策を講じる。

 今日も、これから何が起きるか解らない。

 線路を横断する際に、美佳は「右よし、左よし」と指差し確認をして渡る。

警察官も美佳の真似をして渡る。

 中途半端な場所に停車している当該列車が美佳達の渡る踏切を塞ぐように停車していて渡れないので迂回して車両の後部に回って横断する。

「お巡りさん。足元が悪いから気を付けてください」と砕石と呼ばれる石の上を歩く。

 車内の乗客が美佳を見て窓を開けた。

「佐々山電鉄の人?何が起きたの?人身事故?急いでいる。早く動かしてよ」

 サラリーマンが窓を開けて美佳に怒鳴る。

「お急ぎの処、申し訳ございません。現場確認しますので、暫くお待ちください」

 美佳は、平謝りする。

「伊香保で会議がある。JRや大手はテキパキしているよ。タクシーとか振替とか無いの?」

「すいません。直ぐに処置しますので」

 美佳は、深々と頭を下げて現場に向かう。

 警察官の姿を見て、サラリーマンは、何か言い足りなそうだが怒鳴るのを止めた。

反対側のホームに入ろうとしていた対抗電車も反対側の踏切手前で防護無線を傍受した事で緊急停車している。

 佐々山電鉄は、単線だが上り列車と下り列車との交換駅では一部が複線になっている為、周囲の踏切が開かずの踏切になってしまう。踏切では自動車が渋滞を起こしている。

「うわっ。県道の踏切を塞いでいるなぁ。時間が掛かるようなら踏切鳴り止めしないと交通渋滞でクレームの嵐だなぁ」

 美佳は、取り急ぎ事故現場に向かう事を最優先にする事にした。

 同行している警察官も「交通誘導手配しましょうか?」と美佳に進言してくれた。

「助かります」

警察官は無線で警察の指令に問いあわせてくれた。

 同時に佐々山電鉄の運転指令所から電話があり『全列車の抑止完了。消防指令には連絡してある。救急車が一台追加でくるので承知して』

「ほい。了解。あと県道踏切。上り列車が接点踏んでいるから消防車が通れない状況です。消防車は渋川駅方面の踏切を迂回して貰ってください」

『了解。助かるよ。電力区に鳴り止め手配したけど接点踏んでいるなら遮断機は上がらないかも。助かるよ。情報が頼りだ』

 ウゥゥー。ウゥー。ピーポーピーポー。

 通話が終わるとサイレンが鳴りだす。

 隊長達に、正式に出動命令が下ったらしい。

 美佳と警察官が当該列車側面を駆け足で通り抜け、先頭車両の前まで向かう手前で。時々、若い女性の声で「痛い。痛い」と悲痛な声が聞こえてくる。

 緊急停車している列車の最前部まで来て初めて現場を目視した。

 当該列車の運転士と駅員、そして交代の為ホームに居た運転士が女子高生の救護していた。

女子高生は線路に横たわったままだ。

「あっ美佳ちゃん。ご苦労様」

「うん。それで?」

「見ての通り意識はある。でも動かそうとすると痛がるので担架搬送できない」

 美佳は、痛がる女子高生に駆け寄ると声を掛けた。「大丈夫だよ。直ぐに救急車が来るから頑張って」

 よく見ると、左手が変な方向に曲がっている割に、その左手にはスマホが握らたままだ。しかもラインが送受信状態だ。

「歩きスマホが原因だなぁ」

駅員が「命よりもスマホが大事なのかねぇ」と呟いた。

スマホを放り出して受け身を取れば少しは怪我も軽かったのだろう。

 セーラー服なので近くの県立の女子高校の生徒だと直ぐに解った。

 制服の短いスカート。左手を右手で抑えながらバタバタと足を動かしている。

 短いスカートなのでホーム上の人達からは丸見えだ。

 警察官が「写真撮影は止めて」と叫ぶ。

もう一人の警官に「交番に戻ってブルーシート持ってこい」と指示をだしていた。

 美佳は、自分が着ていたベストを上から掛けてみたが足をバタバタさせるので意味をなさなかった。

「足が動かせるって事は骨折の心配は無いか。とりあえず足もと見えないように毛布かタオルとか無いかな」と美佳が呟く。

ウゥー。ピーポーピーポー。ウー。

 ようやく迂回してきた消防署のレスキュー隊と救急隊員が駅前に到着した。

 駅員が、駅の事務所から「佐藤さん、ちょっと来て」と大声で叫んでいる。

 美佳は、駅事務室の方まで駆け寄る。

踏切を塞いでいる対抗列車だけでもホームまで引き込めればと美佳は考えた。

(レスキュー隊が救助を始める前に動かせるか聞いてみよう)

 消防のレスキュー隊が改札口に居た。

ブルーシートを抱えてきた警察官が、レスキュー隊に「踏切が渋滞していています。事故車両でない対抗列車をホームまで進入させたいのですが可能ですか?」と隊長に進言していた。

 隊長は烈火のごとく警察官に怒鳴りだす。

「こっちは、隊員の命を預かっている。救助活動中の隊員の隣で電車を走らせて、仮にウチの隊員が触車災害に遭ったら責任とれるのかよ!」

 警察官が言わなければ、美佳が怒鳴られていた筈と思うと背筋がゾクッとした。

人身事故の現場で本当に怖いのは、命がけで処理に当たる関係者達の熱量だ。

警察官が言わなければ、美佳が怒鳴られていた筈と思うと背筋がゾクッとした。

人身事故の現場で本当に怖いのは、命がけで処理に当たる関係者達の熱量だ。

 美佳は「ほいっ。電車は動かしません。全部抑止しています」と泣きそうな声で返答した。

 隊長は、厳しい視線で美佳に「当該車両の前と、後で発煙筒を焚いてください」

 美佳は、ムッとした。

(抑止したって言ったのに)

 でも怒鳴られるは怖いから「列車防護手配します」と敬礼して駅から発煙筒を借りて発火させた。美佳の世界では、発煙筒を信号炎管と呼んでいる。発火の色が自動車搭載だと青紫が多いが、鉄道用は赤い炎がでる。

戻ってきて、ようやくハンドマイクを片手にレスキュー隊が救助活動の準備に入る。

 美佳は、信号炎管着火後に現場に戻った。

 消防車や救急車がサイレンを鳴らして駅前に現着して、列車が中途半端な場所に停車していれば野次馬が集まる。

「人身事故?」

「女子高生がホームから落ちたらしい」

 彼らは、殆どが好奇心や怖いもの見たさで高みの見物をする。そして必ず笑いながらスマホで動画撮影をする。

美佳にとって、それが不謹慎極まりない行動に思えて腹立たしくなる。

 厳密には、人身事故ではなく旅客ホーム転落による救助活動なのだけど、鉄道に詳しくない一般の人から見れば人身事故だ。

 いや、車内にも転倒して高齢女性が負傷している段階で、これは人身事故に分類されるのかも知れない。

 美佳は、初めての人身事故対応では、線路上にブルーシートに覆われて散らばっている中身を警察官が捲った時に見えた塊を見て衝撃を受けた。異臭が酷くて、何よりも何から手を付けて良いのかの作業手順が解らず、現場で見ているだけだった。

 なにも出来ないのに、それでも気分が悪くなって倒れた。

慣れとは恐ろしいモノで、今では陣頭指揮を執る立場だ。美佳も成長した。

美佳の知らないうちに若い女性の警察官も現場に加わっていた。

ただ、指導教官みたいな年配の警察官が「鉄道事故の現場は場数を踏まないと慣れないからな」とか小声で指導している。

(新人さんか。昔のアタシみたいだ)

 そして目撃証人の取り方を女性警察官に言っていたのでリアルな現場教育の場として招集されたみたいだ。

 何から手を付けて良いのか解らない時期の自分を見ているようで美佳は少しだけ先輩的な優越感を覚えた。

 女性警察官も指導されながら、ブルーシートで現場を隠す作業を行い、線路上に散乱している女子高生の所持品とかを回収しているので役には立っていたようだ。

 未だに男性駅員が多い地方鉄道では、下手に女性の身体を触る事が出来ないので、痴漢や今回みたいな事故の際、女性が絡む事案では対応や細かい配慮の遅れが課題。

女性警察官が増えるのは歓迎だ。

 逆に、慣れた感じでオレンジ色の作業着に水色の感染防止衣姿でハンドマイクを持った隊長が、数名の隊員を連れて現場に来た。

「佐々電の駅の人、警察官の人も現場をブルーシートで覆い隠しますので協力願います」

 美佳も率先して手伝った。

「加藤と青木。車内の要救助者。かかれ」

「よし」

 隊員が停車中の電車の運転台から車内に入っていく。

 佐々山電鉄の職員だけだと何もできなかったのにホンの数分で搬送していく様は、さすがにプロだと美佳は感心した。

 今度は、警察官が目撃者や、電車の運転士から状況を聴き取る作業に入る。

 美佳は、監視カメラの場所など聞かれた。

 手際よくストレッチャーに載せ変えて救急車に搬送したけど、暫く救急車は発車しなかった。

 女性警察官も、歩きスマホによるホーム転落を疑っていたらしいが、個人のスマホを勝手に押収出来ないらしく、美佳に「動作しているのを見ましたね」と証言を求めた。そして監視カメラの録画画像の任意提出を求められた。

車内で転倒したお客さんも車外に運び出されたとの連絡が入る。

美佳は、時計を見た。

発生から、十分。

 まだ、運休を出さずに遅延だけで大事にならずに済ませられると少し安心した。

 ホームから女子高生が心配そうに美佳に声を掛けてきた。

「あのっ。沙也加。大丈夫ですか?」

「友達?」

「グループは違いますがクラスは同じです」と女子高生らしい回答に美佳は笑った。

 不謹慎だけど、呆れて笑ってしまった。

美佳は、高校時代は男女共学だった。

確かに、美佳の時も女子は仲良しグループと友達枠は別物という独特の考え方をしていた。鉄道マニアの美佳は浮いていた。

「学校は女子高だよね。連絡したいけど?」

「学校に連絡ですか。それ困ります」

「そうはいかないよ」

 この時、美佳は学校に連絡されることを困る理由が呑み込めていなかった。

「じゃ。本人の家の連絡先は?」

「知りません。ラインも友達じゃないから」

「学校に連絡するしかないか」

 女子高生達は、物凄く困った顔をして他の仲間の女子と「学校に言うって」とか「迷惑な事してくれたよ。沙也加の奴」とか囁きだした。

 彼女達の回答は「すいません。佐々山電鉄さんの方で学校に連絡してください」

 関わりたくないと言わんばかりに退散。

 (世知辛いなぁ)

「学校に電話してください。下の名前は沙也加さん。上の名前は……」

 助役は「生徒さんがホームから落ちて緊急搬送って事は伝えるよ」

「お願いします」

 美佳は、改めて女子高生に駆け寄る。

「とりあえず救助完了。早期運転再開!」

 当初、警察官も「まもなく運転再開できます」と美佳に告げ、美佳も佐々山電鉄の運転指定所に「最終確認後。運転再開予定」と運転再開準備の連絡を入れていた。

運転士が、運転席に戻り運転再開の準備を始めた。

美佳が「転動防止外すよ」と運転士に声を掛けた。

レスキュー隊の隊長もハンドマイクで「まもなく運転再開!電車動くぞ!線路外退避」と隊員達の退避を指示していた。

美佳が、運転指令所に連絡を入れて、警察官に最終確認を求めた。

しかし警察官が申し訳なさそうに

「佐藤さん。申し訳ありませんが、しばらく運転再開はできません」と言ってきた。

「えっ」

「渋川署から鑑識と刑事課の刑事が来ます。運転再開は少しかかります」

「ちょっと。なんで?」

「事故を目撃した複数の証言と稼働中のスマートフォンの状況からして、歩きスマホで第三者に怪我を負わせた過失傷害事件と列車往来危険罪の可能性が出てきまして」

「どれくらい?」

「そうですね。いまから十分ぐらい掛かります。刑事と鑑識は署を出ています」

 美佳は、スマホで佐々山電鉄の運転指令所に連絡をした。

「現場検証するって。刑事さんと鑑識の人が来ないと運転再開許可だせないって」

『線路が開通すれば動かせる筈じゃ?』

「現場検証だって」

『歩きスマホで怪我人を出したからか』

「運転再開は十分後だって。全部で三十分」

『参ったな。運休がでるよ』

「警察の許可が出ないと動かせないよ」

 レスキュー隊の隊員達は、困っている美佳を気の毒そうな顔をしながらブルーシートを片付けている。

 事故発生時、鉄道会社の社員なら一分一秒でも早く運転再開をしたい。

 都心部みたいに近くを走る同業他社に振替輸送の依頼も出来ない田舎の鉄道は車内に缶詰めになっている乗客や、駅で待たされている乗客からの苦情や怒りの集中砲火を受ける。

 まして今回は、踏切も開かないので道路も大渋滞だ。

 美佳は「たかが、歩きスマホって考えて居る奴ら許せん」と拳を握りしめた。

 黒塗りの覆面パトカーと鑑識のワンボックス車が到着した。

 美佳は、当てつけに腕時計を見た。

 あとは、佐々山電鉄と警察の問題だ。

救助を終えたレスキュー隊の隊長が、手際が悪いなと言いたそうな顔をしている。

 暫くして、刑事が運転士やホームでの乗客からの目撃者証人、鑑識が線路の写真を撮影したりしている。

 美佳としては、一分一秒でも早く運転再開したいとイライラしていた。

暫くして、タクシーで乗り付けてきた女子高校の男性教諭二名が駅事務室に駆け込んできた。

「当校の生徒が、ご迷惑をお掛けします」

教頭先生と学年主任の肩書がある名刺を出される。

駅前の消防車や警察車両を見て「偉い騒ぎになってしまって」肩を落としていた。

当直の教諭が怪我をした女子高生の保護者に連絡を取った旨の報告を受けた。

「搬送先の病院が解らないので、一旦は駅に来るそうです」と教頭先生が言った。

 ジャージ姿の体育教師っぽい教諭が「原因はなんですか?」と美佳に問う。

「警察が実況見分と現場検証をしていますので、まだ判りませんが多分、歩きスマホによるホーム転落の可能性が」と答えた。

 体育教師は、その様子を待合室で恐々とみていた女子高生達に視線を送る。

 生徒達は、慌てて自分達のスマホを後ろ手に隠した。

 救急隊員は「搬送先。決まりました。どなたか一緒に救急者に同乗してください」

 教頭先生が救急車に乗り込んだ。

ピーポーピーポー……。

救急車は、直ぐにサイレンを鳴らして駅前を出て行った。

 車内で転倒した高齢者もストレッチャーに載せられて待機していた別の救急車に載せられた。80歳代の女性。

何やら凄く怒っていて救急車の隊員がなだめていた。

 こちらは、佐々電の助役が乗り込んで病院まで付き添う事になった。

 現場検証が終わったのは事故発生から三十分後。

 美佳は、運転指令所に連絡をして順次、運転を再開した。

 この影響で佐々山電鉄は、定期列車二本が全線で運休、二本が佐々電渋川駅と渋川新町駅間で区間運休となってしまった。

 佐々山電鉄本社には、踏切が閉まったままで誘導が遅かったとか、JRの乗り換えに間に合わなかったとか、お客様から苦情やお叱りの電話が沢山あった。

 美佳が、本社から帰れたのは夜の八時過ぎになってしまった。