累くんのお部屋で高熱を出してしまった僕は、恭くんに自室のベッドへ運ばれ伊織くんが呼びに行った白井先生に診てもらうことに。
 寝不足とストレスでの熱。風邪の症状も無く、胸の音も、呼吸状態も正常だから、と白井先生の診断です。解熱するまで休むよう指示された僕はゴロンとベッドへ横になっています。点滴も無いですが、38.7℃もあったので念の為解熱剤を処方され、ゆっくりと休みなさいとのことです。
 それが昨晩のこと。今は、1日寝たことと解熱剤を服用したので微熱くらいには解熱しました。
 相変わらずの脆く弱っちい僕の体です。でも、初めて本心を口に出せて、伊織くんと仲直りできた僕はちょっとは強くなれたのではないでしょうか。
 意地っ張りで強情だと呆れながら伊織くんに言われてしまいましたが。そう言う伊織くんも同じ性格をしていると思います。僕達2人は従兄弟同士似たような性格ってことなんでしょう。だからこそ、こんなに長い時間を経ってからでしかお互いの本心を言えなかったと。拗らせていたとも言えますが。もつれた僕達の関係を玄くんがいとも簡単にするする解いてくれました。 
 あの日偶然玄くんに出会ったことで僕はいろんなことに気づくことができました。感謝してもしきれないくらいです。ノラさんと玄くんと一緒に過ごすお昼休憩は、陽だまりの温もりが染み込むような体も心も包み込む優しい時間だったはずなのに。
 玄くんのことを考えると胸が苦しくなります。発作のときも胸が苦しくなるけど、全然違う。発作の時は、冷たくてただひたすら苦しいだけなのに。奥底に熱を秘めながら、とっても甘いんです。
 頭の中はその温もりを感じる甘さに絡めとられたみたいに玄くんでいっぱいで。いきなり僕の中で玄くんの存在が大きくなってしまったんです。
 しかし、もう一人の自分が囁きます。怖い。おぼろげな恐怖。一緒に過ごす時間は楽しくて、時間を忘れてしまうくらい。名前を呼ばれただけや手作りクッキーを褒められて泣きそうになる自分、優しい指先に触れられたいと浅ましく欲する自分。大切なお友達と思っていたノラさん、大切な家族である伊織くんにヤキモチを焼く自分。それに、こんなに僕を乱すお兄さんが。もう絶対に持たないと決めているものにまで、手を伸ばそうとしてしまいそうで。今までの自分にはない、まとまりのない感情が手に余っていたんです。
 お母さんの事故から『わがまま』を言ってはいけないと決め付け、心の声を押し潰し逃げるしかできない、身動きを拒むように過去の記憶の中に閉じこもった僕の思い込み。呪いのように独りよがりで卑屈なその思い込みが、玄くんへの気持ちを心の奥に潜む暗闇に引きずり込みそうだったんです。
 でも、玄くんは僕へとんでもない優しく眩しいくらいの言葉を力強く手渡してくれました。その言葉は僕の心に降り積もり、温かくて眩しい光を放ち、深く沈みながらも輝き続けます。だから今、こうして本心を言えるようになったんです。
 もらった言葉のもつ光と玄くんのことを考えるだけで惑わせるような甘さがふわりと溶けるよう胸に広がります。背徳感さえ感じてしまうくらい自分の中をかき乱す熱の滲む甘さを大切にしたい、手放したくない、育っていったらどうなるのか見てみたい思ってしまいました。
 僕が知らないだけで、怖くて目を向けていなかった気持ちを大切にしたい。温もりを伴う心地よさや優しく眩しい気持ちだけじゃなく、どろどろした心にいくつもの波紋を立て自分ごと壊れてしまいそうな激しい気持ちも。これまで押さえ込んだ気持ちを拾い上げて、真正面から向き合う。欲を持つことが生きるという玄くんを幸せにしたいんです。
 この少しだけわがままな欲望に、気付けたのは玄くんのおかげですね。
 頑張って。すいなら出来る。当然のようにそう言ってくれる玄くん。皆が心配し熱心にお世話を焼いてくれるから、自分の行動に自信が持てなかった僕です。僕でさえ信じられない僕を信じ、背中を押して応援してくれるんです。ついネガティブ思考にとらわれやすい僕に、いつも冷静に物事の見方や受け取り方を正すように軌道修正してくれます。
 いつも玄くんの迷いの無い口調に、勇気づけられた気がしました。何気なく放つ揺るぎない言葉が、嬉しかったです。頼もしかったんです。玄くんは手助けは手を引くだけ。僕自身が立ち上がって歩けるように隣で教え、見守ってくれる。そんな厳しい優しさがあります。いつも僕を信じて、やってみろって玄くんは言ってくれて、良くできたら頭を撫でて褒めてもくれました。…………どうしようもなく嬉しかったんです。
 だから、まずは一回だけ。勇気をかき集めて、一歩踏み出したいです。今まで玄くんが沢山くれたものを糧にして僕なりに伝えたいです。
 ⸺『好きです』
 僕が差し出せるものはこれだけ。でも自分の弱さも醜さも、前向きに変わりたいと願うきらめきも、すべてをこの1言にぎゅうとまるごと僕を詰め込んだ特別な言葉。
 正直、まるごと心を預けてしまうのは怖いです。同性からの好意に嫌悪感を抱かれるたり、拒まれたりするかも、しれません。ですが、玄くんは僕の心の声を大切にしたいとまで言ってくれる優しい人です。それに僕でさえ気づかなかった心の傷をすくい上げ労ってくれた玄くんが真剣に向けられた想いを軽んじたりするわけありません。彼の人となりに惚れこんでいる僕はそう確信できます。玄くんだからこそ僕は好きになりましたし、告白する勇気が持てます。
 温かくて大きくて強い玄くん。いっぱいいっぱい持っているひとなんです。弱くてちっこくて、脆い自分。僕なんかじゃ釣り合いません。隣にいたい。ただそれだけを望むことすらおこがましい。だけど、僕を前向きでかっこいいと言ってくれた玄くんに少しでも釣り合うようになりたいんです。この重くて切なくなるほど愛しい想いを伝えきれるかわかりませんが。
 ベッドの上で横になりつつ悶々と長考していましたが、頭がズーンと重くなって来てしまいました。またお熱出そうですかね。お熱が治らないことには告白もできませんし、ましてやそれ以前の問題で、玄くんに会うことすらできませんからね。
 それにこれでは白井先生とのお約束を守れません。「今日はなんにも考えず、ぼんやり天井の模様でも見て寝なさい」白井先生曰く、早く治すためのかなり独特かつ具体的なアドバイスですよ。
 ころりと仰向けに向きを変えて、天井の模様を見てみます。真っ白の壁紙かと思いましたが、淡いクリーム色で、ハケで刷いたような掠れた凹凸感が……。鎮痛剤が効いてきたのか、白井先生のアドバイスの効果なのか意識がぼんやりしてきます。目蓋がとろりと重くなっていくままにいつ眠りに落ちたのかわかりませんでした。

「……ん」
 カサ、カサと紙を静かに捲る音に緩やかに意識が上昇します。そっと目蓋を開くと、手元に持つ紙束から顔を上げた玄くんの優しいお顔です。
「翠? 起きたか?」
「……げ、んくん?」
 寝起きで声がしゃがれます。ひゅっと喉が乾いていて音が鳴ると、心配そうに眉を下げる玄くん。
 これは夢ですかね。そうですね。僕のお部屋に玄くんがいるなんてありえません。寝る前に玄くんのことを考えていたので夢にまで召喚してしまいました。ぐっじょぶ自分です。
 もう少し寝てるか? と聞かれますが、首を横に振ります。喉が乾いていたので、お水飲みますと答えると、玄くんはチラっと手元の紙束へ視線を落とします。扉からいそいそと出ていった玄くんの背中を起き上がりながらぼんやり見送ります。うう。心配そうにしてくれるお顔でさえかっこいいです。憂いを帯びながら低く潜められた声はなんだかえっちな気がして、ドキッとしてしまいます。すぐに玄くんはミネラルウォーター片手に戻って来てくれました。
「……ん。これでいいか?」
「ありがとう……ございます」
 ペットボトルの蓋を外し、渡してくれた玄くんは、ベット脇の床へあぐらをかいて座ります。
 触れたペットボトルは冷たく、自分の夢の解像度に驚きます。一口、こくりと飲めば、喉へするする染み込んでいく水。ほうっと息をつくと、改めて玄くんを見やります。いつもは高い位置にあるお顔が真正面の同じ位置。控えめに言って最高です。
「翠?」
 じっと僕が見つめているからか、頬を淡く染めながらこてりと首を傾げる玄くん。その動きに合わせゆらゆらするピアスです。へにゃんと頬をだらしなく緩めながら手を伸ばそうとした途端、ぐいっと顔ごと体を近づける玄くん。いきなりの至近距離に近づくお顔です。びっくりして動きを止めた僕を抱きしめるような格好の玄くんです。
「みず……溢すぞ」
 安堵の吐息が耳にかかり、頬が擦れ合い甘い香りの体温を直に感じます。ん? 温かいですね。……もしや夢では無いです? ぎくしゃくとした動きで視界にあるもの全てを検分します。ペットボトルを持つ僕の手を覆う玄くんの手。顔を動かしたためにさらに頬へ触れることになった滑らかな玄くんの頬。近すぎてピントが合わないピアス。
「夢では……ない? え? え?」
 わたわたと独り言を呟いていたら、玄くんが僕の首元へ顔を埋め、震えています。
「うん。夢じゃねーよ……ぶふっ」
 首筋に当たる吐息が熱を伴いながら肌をくすぐります。お顔がかっと熱くなります
「あの、その僕……えっと……臭くないですか?!」
 昨日あれからすぐに大騒ぎでベットへ強制連行されたのでお風呂を入っていないことを思い出しました。
「……濃い翠の匂いがするからすっげぇ旨そう」
 余計にすんすん匂いを嗅ぐように首元へお鼻を寄せられてしまいました。濃い僕の匂いとは? それダメじゃないですか?! 旨そうとか食べられます?!
「後生ですっ! 距離を! 距離をとってくださいっ!」もう羞恥心でパニックになった僕は子供のように頼み込みます。玄くんは渋々といった様子で、ベッド下部僕の足元へ腰掛けます。
「あ、の玄くんはなんでいるんですか?」
「……佐倉に翠が熱で寝込んだって聞いて」
「あ、伊織くんからですか……その昨日連絡できなくてすみません」
 昨晩は熱を出してしまい、玄くんに連絡できなかったんです。ん? でもなんでお家に入れたんですか?
「気にすんな。昨日は大変だったんだろ? 佐倉から聞いた……」
 なぜか伊織くんの話題になったときから玄くんの表情が曇りだしたような。
「あの……」
「あ! 佐倉から『翠の看病のしおり』と合鍵渡されてんだよ。で? 次は何して欲しい?」
 床へ置きっぱなしになっていた紙束を拾った玄くんはパラパラ捲りながらやる気いっぱいに僕へ聞きます。聞かれた僕は、しおりという単語と玄くんが持つ紙束を見て伊織くんに謎の憤りを感じました。
 手に持っているしおりを今から破り捨ててくださいという言葉を飲み込み、代わりに答えます。
「玄くんと……お話したいです」
「ん。わかった。しんどくなったら遠慮なくいえよ」
 玄くんは表情を綻ばせ、しおりをそっと置きました。
「えっと。昨日伊織くんと無事に仲直りできました。ありがとうございます。あのそれで……」
 いざ玄くんに出会えてしまったら、告白しようとした気持ちが揺れてしまいました。とりあえず協力してくれた伊織くんとのお話をしようとしましたが。
 玄くんと視線が合いません。いつだって僕のたどたどしいお話を目をまっすぐ見つめる漆黒の瞳が伏せっています。見つめる先は硬く組まれた指先です。
 心臓がひやりと痛み出します。
「……つまらないお話でし……たね」
「は? あ? ちげ……」
 顔を上げた玄くんのお顔が見れません。わざわざお見舞いに来てくれた玄くんに話す内容では無かったかもしれません。それともお見舞い自体が伊織くんに頼まれたからいやいや来てくれていたのでしょうか。どうしましょう。怖いです。さっきまで告白するとか意気込んでいた気持ちが一気に萎んでいきます。
「あー! もー!! くそっ!」いきなり叫びだした玄くんが頭をグシャグシャにかき回します。
 大声に驚いた僕は顔を上げ、いつのまにか滲み瞳へなんとか留めておいた雫が頬へ滑り落ちます。
 玄くんが苦しげに顔を歪めます。
「嫉妬したんだよっ! 佐倉が翠の部屋の合鍵持ってんのを!」
 嫉妬? 合鍵を持っていて? もしや玄くんは鍵マニア?
「余裕なくてごめん。我慢できなかった。俺だけが翠の世話を……優しくしてやりたい。俺だけが翠が苦しんでいるときに駆けつけたい。家族の佐倉より先に……。合鍵も欲しい」
「な、あ、なんでですか?」
 玄くんの言葉を反芻します。胸に芽吹くかすかな期待を抑えこんで聞きます。鍵マニアではないのなら、そんなことがあるんでしょうか。
「翠が好きだ」
 差し出された揺るぎない言葉に、僕は一瞬言葉を失ってしまいます。
「真っ直ぐ素直なところが可愛くて俺には眩しいくらい羨ましい。それにな、世界救えるくらいちっちゃく可愛いいくせに意外に行動力あるし、前向きに変わろうとする強さも俺は憧れる。あとは……上手く言えねえけど一緒にいるとなんかこうふわふわもふもふしてほっとする」
 甘く蕩けるように笑う玄くん。包まれるような甘さと温もりを含んだ優しい笑顔はあのときと同じです。で、でも見たことのないくらい昏く絡めとるような熱を潜ませた瞳です。
 本当に玄くんが僕のことを好き、という実感が湧いて来ます。そして、胸と息が苦しくなります。
 嬉しいばかりではなく、なぜだか胸が痛いです。悲しいわけではないんです。感情が追いつかず、ひたすら驚いたせいで体も心もパニック状態。何かを言いたいのに、何も浮かばないからもどかしい。それなのに甘い感情がとぷんと溢れていきます。この気持ちは言葉だけじゃ足りない。
「あの! 待っててくだちゃい!!」
 ベッドから飛び降り、目当てのものをめがけて一目散に走ります。リビングのテーブルの上にあるそれを掴むとすぐに踵を返そうとすると、ばふんと顔と体全体が衝撃に襲われます。
 甘い香りに優しく包まれた僕を玄くんが見つめます。そのお顔は眉が下がった不安なお顔。
「……嫌だったなら」
 優しいのに諦めや切なさを無理やり閉じ込めた声の響き。衝動的にどんと手の中のものを玄くんの胸に押し付けます。
「これれすっ!」
 思いの外僕の力が強かったのか玄くんはふらりと後退ります。噛んだのは無視です!
「僕も玄くんが好きです。玄くんがいたから僕はやりたいこと、なりたい自分を見つけることができました。僕の微かな心の声を拾い上げて大切にしてくれる、厳しくも優しいあなたとずっと一緒にいたいです!」
 噛まずに言えた安堵の息をつきます。目を大きく見張ったまま動かない玄くんの手を掬います。力が抜けきった大きな手の平の上へ、取りにいったシルヴァニアさん付きマスターキーをそっと載せます。
「わがままを一つ言います。1番早くこの鍵で玄くんに僕は駆けつけてもらいたいです。家族より……先に。玄くんに看病してもらいたいです」
 とろりと溶け出してしまいそうなくらい玄くんは破顔します。無邪気なのに甘さが加わった笑みに見とれた僕に玄くんは腕を伸ばします。優しいのに、性急に閉じ込めるように腕に力が入ります。
「すいが困った時は絶対に駆けつけてやる。好きだ。愛してる」
 嬉しそうな玄くんの声に、しがみつくように腕を背中に回します。息もできないくらい堪らなく幸せで。
 ただ頷くことしかできない僕の髪へキスを落とす玄くん。おずおずと顔を上げると、玄くんと視線が絡んで口元に浮かぶ笑みが艶っぽく変わります。ふと空気が濃いというのか甘ったるくなりました。
「……キスしていい?」
 どっぷり甘い声で囁く玄くん。嫌では無いですが。まだ熱が風邪では無いと確定もしていません。玄くんに移してはいけませんよね。
「お口は……熱があるので……」
 ふっと目を細めた瞳が甘さを孕んだ熱をぐっと深めました。脳を揺さぶられたような衝撃で僕は熱がぐわとあがります。玄くんは身を屈め頬へ唇を押し当てます。ふんわりと柔らかな唇の感触の気持ちよさに、くたりと体の力が抜けてしまいます。僕を抱き留めた玄くんは、そのまま抱き上げベッドへ運びます。
「す、すみません。……」
「いいよ。これ以上続きすんの危ねーからな。俺が」
「え?」
 言われた意味がわかりません。僕に頬ずりしながらにっこり笑う玄くんです。
 そのままベッドへ寝かされ、首元までお布団をかけられます。
「もう寝ような」
「…………」
 このまま寝てしまったら、この嬉しい出来事が泡沫のように消えてしまいそうです。無意識に玄くんのシャツを握ります。
「……どこか行っちゃ嫌です」
 初めて自分からわがまま言いました。
「いるから………」
 シャツを握りしめる手を包み込む大きな手。温かいです。マットレスがギシ、と沈み込み、玄くんが端へ腰掛けます。握った手はそのままに、寝かしつけるように髪をさらさらと撫でてくれます。気持ちよくて、ついうっとりと目蓋を閉じました。急激な眠気に襲われます。とろんと重い意識の中、最後になんとか唇を動かします。
「……玄くん……大好きです」
「俺も翠が好き」
 眠りに落ちる瞬間、小さく優しく笑う声と玄くんの手の平の温もりを確かに感じました。