冬真と並んで、渡り廊下を歩く。

冬真――(うしお) 冬真は、おれの幼馴染だ。

もう十二年くらいの仲になる。

隣の空き家に冬真の家族が越してきたのは五歳の時で、おれたちは気が付けば十七歳になっていた。

おれのそばで冬真は、ぐんぐんと背を伸ばし、美しく、凛々しい男に変わっていった。おれは冬真が変わっていくさまを、変われない野暮ったいおれのままでずっと見ていた。

「爽やか」という言葉を擬人化したら、今の冬真になる。それでも時々、冬真の爽やかさには胡散臭さを感じることがあって、その度におれは、またそうやって冬真相手に劣等感を抱いて情けないやつだな、と自分に辟易する。そこまでがうんざりするためのセットだった。

「今日、書店寄って帰っていい?」
「いいけど、何で」
「ヤンチューズ」
「あれ、今週、俺じゃなかったか?」
「先週買ったの、秋だよ」
「やば、おれ、記憶力死んでる」
「自分の名前は」
八角(ほすみ)秋」
「おれの名前は」
「潮冬真」
「ん。それだけ覚えていれば、問題ない」
「おい、適当言うな。全く大丈夫じゃねーだろ」

隣を見上げたら、冬真は片笑みながら、「大丈夫じゃなくていいよ、別に」とまた適当なことを言って、おれを軽く小突いてきた。


渡り廊下の窓は夕方から夜にかけてのグラデーションを作っていて、校舎にはもう人がほとんどいないからか、おれと冬真の声がよく響く。

週刊の少年漫画雑誌を一週ごとに買い合って読む。金曜日の放課後だけ二人で一緒に帰る。おれと冬真の間にはそういう約束事がいくつかあって、守り合ったり、たまにどちらかが破ったりしながら、おれたちはここまできた。

でも、それがいつまで続くか、おれには分からない。おれには決定権がない気がする。

「そういや、おれ、水曜日に秋の夢見たよ」
「それをなんで金曜日に言ってくるかね」
「記憶力がよすぎるアピール?」
「子憎らしいな」
「マシュマロの食べ放題で食べすぎて吐いてる秋をおれがよしよししてた」
「勝手に吐かせるなよ、おれが可哀想だろ」
「秋は、最近、おれの夢見てないの?」
「どうだろ。記憶力死んでるから、忘れた」
「じゃあ、今日見てよ」

嫌だよ。現実のお前でもういっぱいいっぱいだから、夢の中くらい穏やかな気持ちでいさせてくれよ。

おれだったら絶対に口にできないようなお願いを、冬真は平気でおれにする。その軽やかさは、気持ちの軽さにきっとひとしくて、でも、重く濁ったおれの気持ちよりはずっといい。

「まあ、あれだ。気が向いたらな」
「ん。楽しみ」
「あと、書店寄るついでに、コンビニも寄って」
「いいよ。何買うの」
「……マシュマロ」
「ふは。マシュマロ」
「冬真のせいだろ。急に食いたくなった」
「りょーかい」

冬真が目を細めて笑みをこぼす。

冬真は笑うのが上手いから、おれは別に比べなくてもいいのに、どう笑っても不合格になる気がして、結果、仏頂面しかできない。

マシュマロはおれの好物で、それを自分以外に知っているのは冬真しかいない。

冬真のことで、おれだけが知っていることが今どれだけあるのかは分からないけど、おれのことで冬真しか知らないことはたくさんある。冬真にだけは知られたくないことも、たくさんある。


二人で生徒玄関を出ると、正門のところに男女数人が屯していて、こちらに向かって手を振ってくるから、冬真の知り合いだってすぐに分かった。

おれは冬真の隣から一歩下がって、俯いて歩く。空気になりたいとか透明になりたいとか、そういうことを強く思うけど、神様も信じてないおれの願いを叶えてくれる存在なんていないから、とにかくおれは黙ったままやり過ごす。

学校で冬真といることなんて、金曜日のこの時間くらいしかないけれど、今までにもこういうことは何度かあった。

「冬真、帰り?」
「うん」
「今から駅前のカラオケ行こって話してたけど、冬真も来る?」

あかるくて陽気な冬真の知り合いたちは、おれに心があるなんて思わないらしく、おれといる冬真を平気で誘う。

「いや、今日は帰る日」
「うわ、おれの美声が聞けなくていいのか」
「それは全然いいよ」
「おい」
「はは。うそうそ。また、近いうちにたっぷり聞かせなさい」

じゃあね、と、冬真はひらひらと手を振って正門を通り過ぎた。おれは、誰とも絶対に目を合わせないように俯いたまま、冬真に続く。

お前みたいな地味な眼鏡の根暗のチビが、なぜ、冬真と一緒にいる。つーか、誰だよ。カラオケ、お前のせいで断られただろ。何様だ。

おれは自意識が化け物だから、冬真の知り合いからのおれに対する悪口をたくさん捏造できてしまう。

でも、全部が全部、間違いってわけでもないと思う。

だって、おれは、地味で眼鏡で根暗で背が低い。ルッキズムの呪いは毒りんごよりも強烈で、おれの劣等感をここぞとばかりに煽る。

冬真には、おれの劣情は決して分かるまい。分からなくていい。

「秋、今度、久しぶりに二人でカラオケ行こうよ」

正門を出て一つ目の角を曲がったところで、おれは再び冬真の隣に並んだ。

気を遣っているのか、同情しているのか、どちらにせよありがた迷惑な冬真の提案におれは首を横に振る。

「そういうのいいから」
「そういうのって何。おれ、あれ聞きたい。秋の童謡メドレー」
「五千円とるけど」
「高いなあ。バイトしようかな」
「嘘。するなよ。行かないし歌わない」
「前に行ったの、中学入ってすぐの時だったよね」
「そうだったっけ。忘れた」
「秋、のりのりで歌ってたよ、おれのタンバリンに合わせて」
「忘れたって」
「だめ。思い出して」
「忘れました」
「じゃあ、思い出させてやる」

そう言ったかと思えば、冬真がおれの頭を両手で挟んで、ぐわんぐわんと軽く揺する。

「おいっ、やめろよ」
「どう、秋。思い出した?」
「思い出した!」
「じゃあ、今度の週末、おれと二人でカラオケ行く?」
「じゃあってなんだよ」
「行く?」
「あー、もう、行くよ、分かったよ!」

よし、と冬真は満足げに頷いて、おれの頭から手を離す。

おれは、数秒間のうちにどっと疲れて、ぜえぜえいいながら、冬真を眼鏡越しにきっと睨んだ。

でも、効かない。知ってた。冬真は、おれを舐めきっているから。

「お礼にコンビニで、マシュマロ、おれが買ってあげるよ」
「いい。自分で買う」
「おれが買う」
「じゃあ、十個な」
「個包装タイプの売ってたらね」

学ランのポケットに手を突っ込んで、冬真はほおっと息を吐き出す。

まだ、息が白く染まるほどに寒くはないけれど、冬はもうすぐそこまで来ていた。

あと何度、冬真のそばで四季はめぐるだろう、とおれは最近よく考える。