大人になってから新たに同性の友人を作ることは、恋人を作ることよりも難しいことだと思う。
 

「お待たせしましたあ!新潟県産の新米でーす!」

 ダイニングテーブルの中央に置かれた土鍋の中には、まるで宝石のような輝きを放つお米たちがたっぷりと詰め込まれていた。湯気と共にほわっと甘い匂いが漂ってくる。

「ん〜幸せな匂い」

 すん、と鼻を鳴らして幸せな匂いを身体全体に取り込む。目を閉じながら頬を緩ませていると、次いで香ばしい匂いが近付いてきた。

「今日はねえ、赤出汁のお味噌汁にしてみたの」

 この家の主であり友人の大賀陽菜(おおがはるな)は、お味噌汁の入ったお椀を三つ、テーブルの上に並べた。

「葱と茄子と三つ葉って、具材のチョイスが最高すぎる」

 私の隣に座るもう一人の友人、天木汐梨(あまきしおり)の言葉に私、永瀬寧子(ながせねいこ)も激しく同意する。

「葱と茄子はちょっと焼き目を付けてみたの」

「ほんとだ!だから香ばしい匂いがするんだ」

「こういう一手間を惜しまないところ、さすが陽菜ね」

「ふふ。舌の超えた二人には中途半端なものは食べさせられないもん。さ!食べよ食べよ」

私と汐梨の正面に陽菜が座る。ギリギリまで冷凍庫で冷やしておいた缶ビールをそれぞれ注いで「「「乾杯!」」」とグラスを鳴らした。

 友人歴二年目の私たち三人には、共通点が多い。今年で三十歳になること。独身で恋人がいないこと。管理栄養士として働いていること。そして、美味しいものを食べるのが大好きなこと。

 食に対する価値観が合う私たちは、月に一度、こうしてお互いの家に集まって食事会を開いている。毎月テーマを決めていて、今月は "新米を楽しむ会"

 先月、九月は "炊き込みご飯を楽しむ" がテーマだった。

 私は国産栗を使った栗おこわ。陽菜は牛肉と牛蒡の炊き込みご飯。汐梨は秋刀魚の炊き込みご飯。それぞれ自宅で調理したものを持ち寄った。

 今日の "新米を楽しむ会" では、陽菜が新米選びと調理、私と汐梨はお米に合うご飯のお供の調達という役割をだった。

 広いダイニングテーブルの上には、赤身と中トロの鮪盛り合わせと昆布締めされた鯛の刺身。それと瓶詰めされた牛タンラー油、めんたい鮭フレーク、雲丹めかぶ、ご飯のお供三銃士が並べられている。

 鮪と鯛のお刺身は私がデパ地下のお魚屋さんで買ってきたもの。ご飯のお供たちは汐梨がこの日のためにお取り寄せしてくれたものだ。

「いただきます」と手を合わせて、まずは赤出汁のお味噌汁を一口。次に陽菜が土鍋で炊いてくれた新米をそのまま口へと運ぶ。

「うわー……美味しい」

 噛めば噛むほど口の中に広がるやさしい甘み。一粒一粒が大きくてもっちりとしていて、ずっと噛んでいたくなるほどの美味しさ。

「やっぱり新米は最高ね」

「うん、最高!上手に炊けてよかった〜」

「水加減もバッチリだよ。本当に美味しい」

みずみずしい新米の美味しさに、全員で舌鼓を打つ。

「じゃあ私は早速、寧子が買ってきてくれた鮪をいただきます」

「どうぞどうぞ。××の地下のお魚屋さんだから味は間違いないと思う」

「あそこのお刺身ってどれも美味しいよねえ。私は鯛の昆布締めからいただこうかな」

「んー、この赤身すごく味が濃くて美味しい」

「鯛もいいお味してる〜!」

美味しいおかずに全員の箸が止まらない。お茶碗にこんもりと盛られたお米たちはあっという間に減っていき、早くも二杯目に突入。

 三人で二号のお米をぺろりと完食させた。

 「――で、皆最近はいろいろどうよ~?はい、寧子からどうぞ」

 三人の中で一番お酒の弱い陽菜は、とろんとした目を私へと向けた。

 ビールと残っているおかずをつまみに、ガールズトークの幕が開ける。

 「実はつい先週、仕事帰りの東京駅で元彼に偶然会っちゃったんだけどね。結婚したみたいなの」

 グラスの底に僅かに残っていたビールを一気に呷った。

 「元彼って、一番直近の?」

 「うん。直近っていっても二年以上前の話だけどね」

 「その元彼と何か話したの?」

 「ううん。お互い「あ……」ってなって、そのまま会釈だけし合って通り過ぎた。その時に左手の指輪が見えたんだよね」

 「寧子と元彼って長かったんじゃなかった?」

 「うん。知り合ったのは大学生の時。付き合い始めたのは社会人になってからだけど、五年くらいは付き合ってたかな」

 「それだけ長く付き合って、結婚適齢期に別れたわけじゃん?その元彼が結婚したってなったら、何かこう、思うことがあったりするの?」

 チビチビと雲丹めかぶをつまんでいる汐梨からの質問に、三本目のビールを片手に首を振った。

 「それがさ……何とも思わなかったんだよね」

 強がりでもなんでもなく、本当に、何の感情も湧かなかった。

 
▶︎
 元彼の西矢翔(にしやしょう)とは同じ大学で同じ学部だった。大学四年間は友人として過ごし、社会人一年目の夏、翔からの告白で恋人関係に発展した。

 付き合い始めは彼のことが本当に好きだった。実年齢より若く見られる童顔な顔立ちも、笑った時の八重歯も、子供っぽい性格も、ちょっと口が悪いところも。いいところも悪いところも含めて、彼のすべてが好きだった。

 ただ、私と翔は絶望的に好みが合わなかった。

 私は何よりも食べることが大好きで、美味しいものには時間もお金もかけたいタイプ。反対に翔は食には全く興味がなくて、口に入れば食事なんてなんでもいいタイプだった。

 美味しいものになら長時間並ぶことも苦じゃない私と、どんな食事でも10分以上は並びたくない翔。

 ホテルのランチビュッフェに5000円かけることも厭わない私と、ランチで1000円以上かけるのはあり得ないという翔。

 旅行に行ったらご当地のものを食べ歩きしたい私と、旅館やホテルからできるだけ出ずゆっくり過ごしたい翔。

 ''食''に対する価値観は正反対だった。

 だけど価値観が合わないのはしょうがないことだと思っていた。翔といる時は、翔の食事スタイルに合わせた。

 外食は基本的にファミレスかファストフード店。美味しいものを食べるために遠出をしたり、お店に並んだり、翔とはそういうことをほとんどしなかった。

だけどそれは私にとって、苦ではなかった。好きという気持ちがあったから、私が合わせればいいと思っていた。

――価値観が合わないだけなら、まだ、よかった……。




 『は?そんなただの食パンに2時間も並んだの?時間の無駄じゃん』

 『また昼飯に5000円もかけたん?金の無駄じゃん』

 付き合いが長くなってくるにつれて、翔は私の食に対する価値観に文句をつけてくることが多くなっていった。

 私の価値観が一般的ではないことくらい、自分でもよく分かっている。だから私はこの価値観を翔に押し付けるようなことはしなかったし、翔の価値観を否定したことは一度もなかったのに。

 誰にも迷惑をかけず、一人で過ごす時間の中で大好きな食にお金や時間を費やしていただけなのに。

 だけど翔はそんな私を否定し続けた。否定の言葉を投げかけられれば投げかけられるほど、翔への恋心はどんどん擦り減っていく。

 悲しかった。あんなに大好きだった人への気持ちが、穴の開いた風船のように萎んでいってしまうのが。萎んでしまった気持ちは元に戻らないことが。ものすごく、悲しかった。

 だけど性格上、自分から別れを告げることがなかなかできなくて。

 約五年の交際期間のうち、一年くらいは惰性と情で付き合いを続けていた。


 二十七歳の秋。別れは突然やってきた。

 その日は休日で翔が私の家に遊びに来ていた。

『寧子、何この高そうな卵』

 キッチンから聞こえてきた声にドクっと心臓が嫌な音を立てた。

 冷蔵庫の中には、木箱に入った卵が入っていた。6個入りで900円。鹿児島県からお取り寄せしたその卵は翔の言うとおりお高いもの。テレビ番組で芸能人が卵かけご飯を大絶賛していて、気になって購入してみたものだった。

『あー……うん。美味しそうだなって思って、通販で買ってみたの。翔も食べてみる?』

『いくらしたの?』

『……6個で900円』

『たっか!寧子さ、金銭感覚狂いすぎじゃね?』

 確かに6個で900円はかなりの高級品だ。だからといって、私だって常にこんな高いものを食べてるわけじゃない。普段はスーパーで売られている一番安いミックス卵を買っている。たまの贅沢をしているだけなのに……。

 それに、届いてすぐこの卵で卵かけご飯を作ってみたけど、黄身がプリッとしていて濃厚で、感動するくらい美味しかった。

 この卵を食べて貰えば、翔にも納得してもらえるかもしれない。そんな思いで、卵かけご飯を用意した。

『どう?すごく美味しくない?』

『んー。俺にはスーパーで売られてる安い卵と何が違うのかわかんねぇ』

『……』

『それに1個150円って考えながら食うの、なんか嫌だわ』

 あー……この人とは、根本的に考えが合わないんだな。

 茶碗をかき込む翔の姿を見ながらそう思った。心のシャッターが何重にも閉まる音がした。

『寧子さ。こういう風に散財するの、いい加減辞めたら?』

『……え、』

『金の使い方を考え直してくれって言ってんの。もっと有意義なことに金は使おうぜ』

 私にとって美味しいものにお金をかけることが、何よりも有意義なことなのに。有意義なことの正解は、人それぞれ違うんじゃないのかな。

 口に出せないもやもやが心に積もっていく。

 それに、翔は私が散財しているとよく言うけれど、私は自分のお給料の中で上手くやりくりをしてお金を捻出している。大学を卒業後は給食委託業者に就職し、企業の社員食堂で管理栄養士として働いている私は、決して高級取りなわけではない。

 家賃や光熱費、携帯代や交際費それに貯金。手取りからそれらを引いて自由に使えるお金たちを、食に優先的に使っているだけだ。

 美容にお金をかける人。洋服にお金をかける人。車やバイクにお金をかける人。様々な人がいる中で、私は食にお金をかけているというだけ。借金をしているわけでもなければ、誰かに迷惑をかけているわけではないのに。

 どうしてそんなことを言われなくちゃいけないんだろう。

 もう無理だ。もう限界だ。

 理解してほしいわけじゃない。ただ、私の趣味を、私の生きがいを否定しないでほしかった。

『結婚したらそういう無駄遣いは無しだかんな』

 翔のその言葉が、別れのトリガーとなった。

 この人と結婚なんて、絶対無理。心の中でハッキリとそう思った。

 我慢の糸がぷつりと切れた私は、そのトリガーを引いた。五年間の交際にピリオドを打った。


 陽菜と汐梨に出会ったのはそれから数ヶ月後のことだった。

 参加した食事摂取基準の研修会。三人がけのテーブルで一緒になったのが陽菜と汐梨だった。

 フードコーディネーターとしてCM制作や雑誌で活躍する陽菜と、クリニックで特定保健指導に従事している汐梨。ジャンルは違えど管理栄養士という立場で働いていること、更に同い年ということもあって、私たちはすぐに意気投合した。

 休憩中だけでは話し足りず、研修後には近くの居酒屋に飲みに行った。

 美味しいものには時間を使うこともお金をかけることも厭わないこと。お取り寄せやデパ地下巡りが趣味なこと。食の催事や物産展が大好きなこと。

 話してみると、私たちの食への価値観は驚くほどに一致していた。

 同じ趣味や価値観を持っているとそれだけで仲は急速に深まっていく。

 それからはテーマを決めた食事会を開催したり、デパートの催事に一緒に行ったり、グルメ旅行に行ったり。最低でも月一、多い時は週一で集まるこの関係になった。二人との友人歴はもうすぐ三年目を迎えようとしている。

 まさか大人になってから、こんなにも価値観が合って心を開ける友人が二人もできるとは思ってもいなかった。

 去る縁もあれば、来たる縁もあるのだなと身をもって感じた。



▶︎
「――で、その後輩の子。相手と結婚相談所で出会って、二ヶ月で成婚までいったらしいの」

 話は数珠繋ぎで広がっていき、話題は翔から年内で寿退社するという汐梨の職場の後輩の子へと移った。

「ええー!結婚相談所って、その子何歳?」

 陽菜が驚きの声を上げる。

「確か、私たちよりも二つか三つ下だったかな?」

「まだ若いじゃーん!」

「その若さでも結婚相談所に登録するんだね」

「今は若い子でも入会する子は多いらしいよ。そこらへんのアプリより安全だし、相手の身元もしっかりしてるし」

「最近のアプリって既婚者が隠れてたりするらしいじゃん?こわいよねえ」

「マルチの勧誘とか、ホストの勧誘もあるって聞くよね」

「そうそう。その点相談所は独身証明とか、年収証明を提出するみたいだし、相手も高い入会費を払ってるから本気で結婚した人たちが集まってくる。だから早く結婚したければ結婚相談所に入るのがベストなんだと思うよ」

 お酒が進んでいくにつれて、独身アラサー女子たちの話題は結婚や婚活が中心となる。

「結婚かー……」

 嘆くように呟いた。

 正直私はまだ、結婚をしたいと思わない。
 
 三十歳のゴールテープを切るまであと数センチ。手を伸ばせば届きそうな距離まで近付いている。結婚願望があるのなら、そろそろ真剣に動き出さなければいけない年齢である。

 学生時代の友人たちが適齢期に結婚、出産の波に乗っていく中、少しばかり肩身の狭い思いをしていた。

"この人と結婚がしたい" ではなく、"皆が結婚しているから結婚しなきゃ" そんな風に思っていた時期もあった。

 翔と別れてから、ただでさえ低かった結婚願望がほとんど皆無になった。自分の好きなことにお金を使える自由な今の生活が何よりも幸せだったから。

 それに、陽菜と汐梨に出会ったことも私の中では大きかった。

 歳を重ねていくにつれ、妻になったり母になったりれぞれライフスタイルが変化していく。同じライフスタイルの友人の存在の貴重さを、アラサーになって痛感した。
 

「私はまだまだ結婚はいいかな」

 プシュッと缶ビールを開けた汐梨が静かに声を落とした。

「私も〜!まあ、二人がもしも結婚しちゃって、寂しくなったら相談所も考えてみようかな!」

 右手を挙げながら陽菜は明るく言い放つ。

 二人とは食の価値観だけじゃなく、結婚に対する価値観も似ている。

「私も。今の生活が楽しすぎて、結婚は考えられないな」

 私も淡々と二人の意見に同調する。

「東京はおひとり様でも生きていきやすいから楽だよねえ。実家が地方の友達が言ってたんだけどね、この年齢で結婚してないと親戚とか近所の人から腫れ物扱いされるらしいよ。その子も結婚願望がない子なんだけど、周りが勝手に独り身でかわいそうって目で見てくるんだって」

「うわーそれは最悪。そういう話って本当にあるんだ」

「上の世代の人たちの中には、結婚することも子供を産むことも当たり前だって考えてる人がたくさんいるだろうからね」

「うんうん。結婚したら一人前。子供を産んだら一人前。って空気は未だに根強いんだろうねえ……」

 ビールとおつまみを交互に食しながら、「難しいねー」と口を揃えた。自然と視線もテーブルの隅へと下降する。

「けど、周りにどう見られようとどう思われようと、私は今のこの生活が本当に幸せだって、心の底から思う。独身最高!って胸を張って言えるわ」

 汐梨の言葉に、私と陽菜の顔が同時に上がった。

「超わかる!いいねボタン100、いや、1000は押したい!」

 陽菜はテーブルをボタンに見立てて、トントントンと手を連打させている。

「そもそもの話、結婚してたら私たち、こんな風に自由に集まれないよね。こんな贅沢な会を月一で開催することだってできない。そう考えるとほんと、独身最高!独身万歳!だよね」

 私の言葉に二人は満面の笑みで頷いてくれた。

「そうなのよ。仕事終わりにデパ地下にふらっと寄ってみたり、値段を気にせず好きなお惣菜を大人買いすることも難しくなる」

「ホテルのアフターヌーンティーに6000円出すことも、表参道のパン屋さんとか、中目黒のドーナツ屋さんに何時間も並ぶこともできなくなっちゃーう」

「美味しい湯葉が食べたいってだけで京都に旅行に行くことも!」

 赤くなった顔を三人で見合わせて、ふふ、と笑い合う。

 幸せの価値観も人それぞれ違う。結婚して家庭を持つことが何よりも幸せだと考える人もいれば、ひとりでいることが何よりも幸せだと考える人もいる。幸せの価値観に正解も不正解もない。

 子供を産まない選択も、籍にこだわらずパートナーシップを結ぶことも、当人が幸せならそれが正解なわけで。外野がとやかく言う必要はないのだ。

 好きなことにお金と時間を自由に使えて、大好きな友人たちと美味しいものを共有できる今の生活が、私の幸せだと思う。
 
「寧子と汐梨に出会えてよかったなあ」

「私も。陽菜と寧子と美味しいものが共有できて幸せ」

 くだらない話、ヘビーな話、真面目な話。会話がどんな方向へと進んだとしても、私たちの会話は毎回ここに終着する。

「陽菜、汐梨。友達になってくれて、ありがとう」

 
  
 大人になってから新たに同性の友人を作ることは、恋人を作ることよりも難しいことだと思う。
 
 だからこそ私は、二人との縁を一生大事にしていきたい。
 

「ねえ、そろそろデザートの時間にしない?」

「賛成!」

「本日のデザートは、山梨県産のシャインマスカットと長野県産の巨峰でーす!」

「わ、最高」

「せっかくだから私が買ってきたワインも開けちゃおうよ」

「いいねいいね。陽菜はまだ飲める?」

「よゆー!明日も休みだしたくさん飲んじゃお!」

 美味しいものと美味しいお酒と共に、今宵のガールズトークはまだまだ終わらない。