夏休みの間中、恵介は部活の練習がある日以外、本当に毎日一晟の家へ通った。はじめは苦痛でしかなかった勉強も夏休みが終わる頃にはだんだんと楽しくなっていった。
一晟の教え方がうまかったのだろう。
夏休み明けの校内テストで、恵介はなんと三十位以内に滑り込んでしまった。
廊下に張り出された成績上位者の中に自分の名前を見つけ、信じられなくて、恵介は何度も目を擦った。
確かに手ごたえはあったが、まさかここまで順位を上げているとは思わなかった。
「い、一晟、ありがとう。おまえのおかげだ! おまえの教え方がうまかったから……」
震える声で一晟の両手を握りしめる。
「いや、別に俺の教え方がうまかったわけじゃない。恵介が集中力を切らさずに毎日頑張ったからだ。……正直、俺も恵介がここまで頑張ると思わなかった」
嫌な顔をせず、毎日せっせと一晟の家に通った恵介に一晟は驚いていた。
そりゃそうだ。
夏休みに毎日一晟に会えるなんて圭介にはご褒美のようなものだ。しかも一晟の部屋で二人きりで過ごすなんて。
……内容が勉強じゃなければもっと嬉しかったけれど、とは言いたくても言えないが。
しかも時々一晟はご褒美に頭を撫でてくれた。日菜や塁と同じ扱いなんだろうな、と思うと少し複雑ではあったが、それよりも喜びのほうが勝った。
「うあ~、これじゃさわやか王子の人気もっと出ちゃうなあ」
隣で戸田が眼鏡のブリッジをクイッと押し上げながら悔しそうに言う。
夏休み明けから、急に眼鏡をかけはじめた戸田を見た時は驚いたが、なかなか似合っている。
戸田いわく、「めがね王子」を目指しているらしい。視力が悪く今までずっとコンタクトをしていたのだが、夏休み中に研究して「めがねの需要に気付いた」などと言っていた。
「戸田もまた順位上げたじゃん」
「まあな」
クク、と喉で笑う戸田のキャラ作りは完璧だ。
どこまでも面白いやつだ。
「……石塚はまた二位か。一位とは今回三点差なんだろ。一位のやつすげえな。……どんな顔してるんだろうな」
戸田の言葉に一晟がぎゅっと口を引き結んだのが見えた。心底悔しい、という時にしかしない一晟の表情だ。
「次は絶対に負けない」
まるで剣道の大会に挑む時の迫力のある顔つきで、一晟はボソリと呟いた。
*
休み時間に前の席のやつと話しているとクラスの女子から声をかけられた。
「ねえ、葉山くん。葉山くんを呼んできて欲しいって言われたんだけど。……どうする?」
ちらっとドアの方に視線を送ると、恵介の方を熱心に見つめている女子がいる。後ろにその女子の友達らしきひとたちもいて、恵介が見るとキャーっと声をあげた。がんばって、という声も聞こえてくる。
「ああ……うん。ありがとう」
「もしあれなら、私が代わりに断ってくるけど」
「いいよ。……迷惑かけらんないし」
戸田の予言があたってしまった。
今までは遠巻きで噂をするだけだった女子たちから、恵介はたびたび告白されるようになり、そのたびに「悪いけど……」と同じ言葉で断る日々だ。
告白するのはとても勇気のいることだから、断るたびに申し訳ないな、と罪悪感でいっぱいになるがそれでも受けることはできない。
だって自分が好きなのは一晟だから。
それ以外の人間をすきになることは絶対にありえないから。
どんなかわいい子に告白されても恵介が断ってしまうことはクラスの女子に知れ渡っていて、こうして時々気を遣ってくれることもあるが、せっかく勇気を出してくれているのに他のひと任せにするのは失礼だろう。
「葉山」
戸田が痛ましそうな顔でこちらを見ている。
はじめは「すげえ!」と恵介を揶揄ってきたが、告白を断るたびに、「自分のほうが断れたような傷ついた顔をしてる」らしい恵介を心配するようになった。
「葉山くん……あのね、私、ずっと葉山くんのことを前から見てて」
廊下の端に行き、真っ赤な顔で震えながら必死に告白してくれる女子に「……悪いけど」と小さな声で切り出すと、「……ううん、いいの! ごめんね、聞いてくれてありがとう」と言われて「こっちこそありがとう」とぺこりと頭を下げた。
俺よりもっといいやつでこの子を一途に思ってくれるひとが見つかるといいな、と思いながら。
「さわやか王子は告白の断り方もさわやかだって噂されてるぞ~」
昼休みに屋上で、パックのジュースをちゅるちゅる吸っていると、戸田に言われた。
「……さわやかな断り方ってなんだよ」
今日はいちごオレだ。戸田が購買でパンを買ってくるついでに買ってきてくれたので、代金を支払おうとしたら「今日はおごり」と渡されてしまった。
「わかんないけど。なんか告白してよかったってみんな思っちゃうらしいぜ。俺が聞いたところによると」
「えええ?」
断ってるのに?
戸田の言葉に恵介はぎょっと目を剥いた。
「……恵介はやさしいからな」
一晟が弁当を頬張りながら呟く。
「石塚の断り方を見習えば、もう告白されなくてすむんじゃないか?」
一晟もついこの先日、他クラスの女子から告白されたらしい。
でもその一回きりで「武士王子」への告白はきれいさっぱりおわってしまった。
「一晟、なんて言って断ったんだよ」
「武士王子らしく、こう……ザクッといったんだろ」
戸田が刀を振る真似をした。
一晟の返事を待っていると「秘密だ」と顔も上げずに言う。
ますます一晟が何と言って断ったのか知りたくなった。
でも一晟が一度「秘密だ」と言ったあとに教えてくれることなどなかったので、仕方なく恵介は口を噤む。
「もう葉山はこの際だから、誰かと付き合っちゃえばいいんじゃないか。そしたら、断る必要もなくなるし」
「……なに言ってるんだよ」
「ちなみに葉山の好みってどんなかんじの子? どんな子ならオッケー出す?」
興味津々に戸田に訊かれたので恵介は少しだけ考え込むふりをした。
「たとえば、女優とかモデルで言ったら……」
女優? 思いつかない。
モデルはもっとわからない。
一晟に似ているのは……。
ちらりと一晟を見ながら「シベリアンハスキー?」と首を傾けた。
「ぶはッ! なんだよ、まさかの犬? てか、疑問形だし」
「他には思いつかない」
「シベリアンハスキーって、けっこう怖い顔している犬じゃなかったっけ」
携帯でさっそく検索し始めた戸田が恵介に画面を見せてくれる。
「おい、こんな顔した子……いるかあ?」
「なんで? 可愛いじゃん」
一晟も弁当を頬張るのをやめて、興味深そうに画面を覗き込んできた。
「……もう顔はいいよ。んじゃ、他にはなにかないの」
「え? ……えっと、頭がいい子?」
「なんかまた疑問形だし。……へえ、でもそうか。頭がいい子かあ」
いつも石塚と一緒にいるから葉山のそれはハードル高いな、そんな子はなかなか見つからないかもなあ、と戸田が残念そうにぽつりと呟いた。
ところがその翌々日。それらの条件にぴったりあう子に出会ってしまった。
昼休みに屋上でいつものように三人で弁当を食べていると、その子は突然現れた。
――なぜか腰に両手をあてた仁王立ちの恰好で。
「少しだけ時間くれる?」とおっかない口調で言われて、恵介は最初は戦いでも挑まれているかと怯んでしまった。
(……でえええ。葉山の好みにビンゴじゃん)
小さな声で戸田が呟く。
確かに戸田の言う通りだった。
一目その子を見た時の恵介の感想は(日菜ちゃんに似てる……?)で、ということは一晟たち兄弟と顔のパーツが似ているということだ。
きりりとした眉と口を引き結んだ顔に恵介はつい、じっと見入ってしまった。
日菜ちゃんが大きくなったらこんな感じかな? ……などと思っていると、ずんずんとその子が大股で歩いてきて恵介の腕を掴んだ。
「え、なに、なに?」
思いがけず強い力で引っ張られて恵介がふらつくと、隣にいた一晟がゆらりと立ち上がる。
「……おい」
「ちょっとだけだから! お願いっ!」
不穏な空気を醸し出す一晟の顔が怖い。
でも、自分の腕を掴んでいるその手が小さく震えていることに気付いてしまった。
「だ、大丈夫。……一晟、俺、この子とちょっとだけ話してくるよ」
鋭い目つきで睨みつけてくる一晟に落ち着くように言うと、ひとまず恵介はその子について行くことにした。