『近頃自立できない若者が増えていると話題になっています。また、本人には自立していないという自覚もなく……』
何気なくかかっていたテレビを見て、光香は青ざめた。
(これはまずいかもしれない)
「モモ、今日から家事の分担をしようと思う」
「えっ、なんで!?」
「私も働いてて遅くなるときもあるし、今の生活は正直アンフェアでしょ? (ここはモモの自立心を養うためにも、心を鬼にしなきゃ!)」
「やだよ、めんどくさい」
「めんどくさくないよ。はい、まずはお昼の準備ね。じゃがいもの皮むきから……」
「うーい」
そして。
「ぎゃあ! 指切ったぁ!」
「モモ!?」
流血。
「ごめん、モモには野菜を洗ってもらうことにしようかな」
「なんかトゲみたいなの刺さったぁー!!」
「モモッ!」
流血。
「モモ! なんで牡蠣揚げてるの!?」
※しかも殻ごと。
「え、料理とか知らんし、揚げればなんでも美味しくなるかなって」
「…………」
※光香が用意した牡蠣は生食用でした。
***
結果。
「モモは大人しくしてて。ご飯は私が作るからね」
「お願いしまぁす」
※モモは基本、なにごとも戦力外。
「こらモモ、いつまでゲームして遊んでるの! そろそろ原稿やらなきゃまずいって言ってたでしょ! 大丈夫なの!?」
「大丈夫大丈夫〜。明日から本気出すって〜」
「明日じゃ締め切り過ぎてるでしょ!!」
※締め切りは今日。
「とにかく、原稿終わるまでゲームは没収します!」
「あっ! 私のゲームがぁっ!」
※モモ、光香にゲーム没収される。
「いいから原稿やりなさい!」
「見くびらないで! 今からやろうとしてたとこなんだよ!」
※もちろん嘘。
「れいちゃんにはなんにも考えてないように思えるかもしれないけどねぇ、私だっていろいろちゃんと考えてるんだから! もう頭のなかではお話も完成してるもん! 傑作間違いなしだもん!」
「……そう。じゃあ締め切りは間に合うのね?」
「うん! よゆーよゆー!」
「そう」
「だから、はよゲームを……」
「ダメ。先に原稿終わらせちゃいなさい?」
「や、でもそれはあとからでも……」
「物語完成してるなら、文字に起こすだけだものすぐ終わるでしょ? 物語が、本当に、完成してるなら」
「う……ま、まぁね? でもほら、今は気分じゃないっていうか……」
「もし締め切りに間に合わなかったら、今日のじゃがいもは抜きにします」
「れいちゃん、じゃがいもだけはどうか……どうかっ……!!」
※結局間に合わなくてスミィに怒られた。でもじゃがいもは食べた。
朝、光香が大学へ行くと、研究室の前にゼミ生たちが固まっていた。光香を出待ちする光香ファンクラブのメンバーである。
光香は彼女たちに気が付くと、笑顔を向けた。
「おはようございます、みなさん。今日もお早いですね」
「はいっ! 朝早く、少しでもテストの勉強をしたくて!」
「さすがです。でも、あまり無理はしないようにしてくださいね?」
「はっ、はいぃ〜……」
光香は麗しい笑みで女学生たちを悩殺すると、颯爽と研究室へと入っていく。
「はぁぁ……光先生、朝から美しいが過ぎる……」
「分かる……あたし、もう昇天しそう」
「光先生って、家ではどんなかんじなんだろうね?」
「きっと、優雅にクラシック聴きながらティータイムをしてらっしゃるのよ」
「似合う〜っ!」
――昼休み。
学生食堂で弁当を食べながら、光香は深いため息をついていた。
「れーい先生っ」
声をかけられて光香が顔を上げると、同僚の安西ミコトがB定食のトレイを持って立っていた。
「安西先生」
「えへへっ、となりいいですか?」
「どうぞどうぞ」
「ため息なんて珍しいですね。どうかしたんですか?」
「あー。実はちょっと寝不足で」
「へー飲みにでも行ってたんですか?」
「いえ。実は、モモと遊び過ぎてしまって」
昨晩、モモに誘われてゲームをしたのだが、モモにボロ負けしたのが悔しくて、勝つまで何度も挑戦を繰り返してしまったのである。
「あぁ、なるほど(モモってたしか、れい先生が溺愛してるペットの名前よね?)」
※光香のペット溺愛誤報は、大学教職員の間にも浸透している。
「はぁ……(眠い)」
光香はため息をつきながら、憂いげに目を伏せた。光香の周囲をとり囲んでいた女学生たちがざわめき出す。
「やだ、なんて色気なの……」
「ペットと遊んで寝不足の光先生、尊いっ!」
女学生たちの囁きに、安西も心のなかで大きく頷く。
「……なるほどなるほど。たまには寝不足というのもいいですね(アンニュイれい先生も萌えだわ)」
※安西ミコトは良き同僚の面を被っているが、光香狂い。ちなみに光香ファンクラブ会長を務める。
「えっ、ぜんぜんよくありませんよ……!?」
「あっ、いや、そうですよね! 寝不足は身体にも悪いですしね! (やだ、私ったら)」
「はい……モモは昼間、いつまでも寝ていられるからいいけど」
「そうですね(やだ……れい先生ったら、拗ねた顔して。もうモモちゃんが恋しいのかしら? 可愛い)」
「それに、学生に示しがつかない生活はするべきじゃないですよね」
「そうですね」
「よし。しばらくモモと遊ぶのは控えます」
「えっ!?」
その瞬間、周囲にいた光香ファンクラブ会員全員が思った。
《それだと、今後アンニュイれい先生が見れなくなってしまう!!》
ファンクラブ会員たちが待ったをかけようとしたとき、
「待ってください、れい先生!」
「は、ハイ?」
だれより早く、ミコトが立ち上がった。光香は驚きつつ、ミコトを見上げる。
「そんなことしたら、モモちゃんが拗ねちゃいますよ!?」
「え」
「れい先生、昼間ずーっと仕事でお家空けてること分かってますか? モモちゃんは毎日、ひとりで寂しくお留守番してるんですよ。それなのに夜帰っても遊んであげないなんて、あんまりじゃないですか!」
「た、たしかにそれはそうですけど……でもモモは(あれでも一応社会人だし)」
「モモちゃんは寂しいって言えないだけなんです! 本当は寂しいって思ってるんです!」
「えっ、いやぁ……(モモは思ったことはぜんぶ口に出るタイプだし)」
「れい先生、それでも飼い主ですか!?」
「……?? (飼い主?)」
「もっとモモちゃんのこと、大事にしてあげてくださいよッ!」
「安西先生……!」
それは、かなり光香の胸に刺さった。
(たしかに、近頃はモモをないがしろにしているところがあったかもしれない。あの子もあの子なりに頑張ってるのに……)
なんて素晴らしいことを言ってくれたのだろう、と、ファンクラブ会員一同、心のなかでミコトに合掌。
「そうですよね、安西先生。モモのこと、もっとちゃんと真剣に考えます」
「いえ、私としたことが恥ずかしい。あ、でも、モモちゃんとはこれからも遊んであげてくださいね?」
「はい。(……それにしても、安西先生ってたまに謎のスイッチが入るような)」
「あっ、れい先生のお弁当もしかして手作りですか? 美味しそうですね!」
「ありがとうございます。(……しゃーない。帰りにじゃがりこ買っていってあげるか)」
※一方その頃、モモは。
「…………」
ピコピコピコピコ……。
ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ。
「…………チッ。うるさいな」
ツー、ツー、ツー。
※担当編集からの連絡を無視して、無心でゲーム中だったとさ。
「光先生、今日も麗しいわ」
「眼鏡姿も決まるわぁ」
「あぁ、私、光先生のパソコンになりたい」
「クソ分かる」
光香の研究室の前で、女学生たちが光香の一挙手一投足に黄色い歓声を上げている。
「真面目なお顔が素敵」
「あっ、光先生がスマホを見たわ! だれかからメッセージかしら」
「やだ、もしかして彼氏?」
「うそ!」
女学生たちは食い入るように光香の様子を見守る。
そうとは知らず、光香は届いたメッセージを見て、くすりと笑う。
「やだっ! 笑ったわ! 光先生が笑ったわよ!?」
「可愛い可愛い死ぬ可愛い」
「神さまありがとう」
「あぁもう、相手はだれなのッ!」
※メッセージはモモからだった。
※大学にて。
「あっ、おはようございます、れい先生♡」
「安西先生、おはようございます。今日は早いんですね」
「そうなんですよ。なんか今日は早く目が覚めちゃって……」
「あれ? なんかいい香り……安西先生、もしかして香水変えました?」
「あ、いえ。実は最近いい香りのボディクリームを見つけて……シトラスなんですけどどうですか……?」
「すごくいい香りですね!」
「ぐはっ……」←光香の微笑みにやられたミコト。
「安西先生?」
「おかまいなく……(一生つけますこのボディクリーム)」
※その後、光香ファンクラブ内部ではシトラスの香りが大流行したという。
シトラスの香りに包まれながら、ミコトは光香と出会ったときのことを思い出していた。
『安西先生。もしかして、なにかありましたか?』
『えっ?』
それは、ミコトが以前香水を変えたときのことだ。当時ただの同僚でしかなかった光香が、ミコトに突然そう問うたのだ。
『なんで……』
『だって、女が香水を変えるのは、なにかあったときだから』
驚くミコトに、光香は柔らかく微笑んだ。
『……実は、恋人と別れるか悩んでて』
『…………』
『彼、私に隠れて女の子と浮気してたんです。もうしないからって言われたんですけど……』
『…………』
『……すみません、いきなりこんな話。迷惑ですよね……(ぜったい変に思われた……)』
『……あの、安西先生。私、今からとても無責任なことを言います』
『! (ドキリ)』
『私は安西先生に、その恋人とは別れてほしいと思います』
『えっ……どうしてですか?』
『私も昔、似たような失恋をしたことがあるから』
『れい先生が!? (マジで!? 相手何者やねん!!)』
『そのとき、あるひとに言われたんです。じぶんを大切にしてくれないひとを大切にする意味があるのかって。そのひと曰く、人生ってすごく短いんだそうです。短い人生のなかで、私はじぶんを大切にしてくれない人間を大切にする時間なんてないって、言っていました。私そのとき、たしかにそのとおりだなって思って。それで気付きました。じぶんを大切にしてくれないひとといっしょにいたって、ぜったい幸せにはなれないんだって』
『…………(い、イケメン……!)』
『だからね? 私は安西先生のことが大切だから、安西先生を心から大切にしてくれるひとと幸せになってほしいんです』
『……れい先生……(一生着いていきますっ……!)』
※ミコトが新しい扉を開いた瞬間であった。
某日。
「ううう。外出たくないよ〜」
「サイン会なんだから仕方ないでしょー! ほら、ファンのみなさん待ってるんですから、いつまでもわがまま言ってないで早く行きますよ!」
「歩く歩道が会場まで繋がってればいいのにな〜」
「それを言うなら動く歩道でしょ」
「おぉ。そうとも言う〜」
「そうとしか言いません(このひと、なんで作家になれたんだろ……)」
※モモは外出が超きらい。
理由:めんどくさいから。
***
「うわっ、見てみてあの子。めっちゃ美人」
「芸能人かな? お人形さんみたい!」
「あのとなりのひとだれだろ。お姉さんかな?」
「いや、似てないし単なる付き人とかじゃない?」
(モモ先生が美人の類だってこと、そういえばすっかり忘れてた……!)
※モモは黙っていると光香に負けず劣らず美人。
(納得いかねー!!)←スミィ。
(こうなったら、さっさとサイン会済ませて家に送り返してやる!)
「あっ! 猫だ!」
「ちょっ……モモ先生!? 会場はそっちじゃないですよ!?」
「ちょっとだけ〜」
「時間ないって言ってるでしょーがっ!」
※モモは基本、自由。
「まぁいいじゃん、スミィ。ほら見て! にゃんころ〜可愛いにゃん〜?」
にゃあ〜。
「ぐっ……(たしかに可愛い)」
「にゃんころ、ウチくる〜?」
にゃあ〜。
「はっ? ちょ、なに言ってんですか、モモ先生! 仔猫はいいから、早く会場行かないとですって!」
「よし決めた! 名前はおいもにしよう!」←無視です。
「おいも!? モモ先生、猫においもって付ける気ですか!?」
「え? うん」
※モモは以下略。
「もう! モモ先生〜っ! サイン会〜!!」
「あっ」
※あ、じゃない。
※結局、仔猫はモモんちで飼うことになった。
※もちろん世話は光香。
無事原稿が終わったモモを労い、光香とモモ、鷲見は、お茶会をしながら談笑していた。
「そういえばずっと気になってたんですけど、光香さんって恋人とかいないんですか?」
カボチャタルトをつつきながら、鷲見が光香に問いかける。
「なにいきなり。スミィキモいんだけど」←※モモ
光香はモモをこら、とたしなめつつ、
「いませんよ」
と答える。
「…………ずっと気になってたんですけど、光香さんはなんでモモ先生といっしょに住んでるんですか?」
「えっ、なんですか、急に」
「いやぁ……だってぶっちゃけ、モモ先生ってワガママだしぐーたらだし、今は小説家で成功したからいいものの、ついこのあいだまではガチのニートだったわけでしょ? いっしょに住んだって、良いことなんて一個もないと思うんですけど」
「失礼だな、おい」←※モモ。
「すみません(笑)」
「スミィのくせにムカつく〜」
「だってどーしても謎なんですよ。光香さんほどの美人なら、結婚して幸せな家庭を作っててもおかしくないのになーって」
「お前マジでそろそろ帰れ!」←※モモ
「いたっ! 痛いっ! モモ先生なにするんですか! ぎゃあ! 痛いっ!」
※スミィは常識人の面を被っているが、ハラスメント常習犯。
――光香ちゃんはとってもきれいな子だね。頭もいいし、将来が楽しみだ。
私は幼い頃から、いつもまわりにそう言われて生きてきた。
家のなかだけでなく、学校でも先生やクラスメイト、下級生たちにちやほやされるのが日常。
だから、まわりの期待に応えるのは当たり前で、そのためにじぶんを犠牲にすることなんて、なんてことないと思っていた。
大人になったら親が望んだ仕事について、そのうち私を好きって言ってくれる男性のひとりと結婚して家庭に入るんだろう。
それが私の人生なんだと、そう信じていた。
あの子に出会うまでは。
これは、大学生の頃、私が運命に出会った話。
***
藤城光香、大学三年。二十歳。
「見て〜光センパイ、めっちゃ美人!」
「脚長〜」
「あたし昨日ハンカチ拾ってもらっちゃったんだ。家宝にするの」
「えっ、なにそれずるーい! ぜったいわざとでしょ!」
「えへっ、バレた?」
「もー! サイテーじゃん! でもあたしもやりたい……」
※光香、ガッツリ聴こえてます。
私はひとよりきれいだ。
昔から羨ましがられてきたし、みんなちやほやしてくれるから、じぶんは恵まれているのだと自覚している。
私はじぶんの容姿が好きだし、感謝もしてる。……だけど、たまーに苦しくなる。
ひとよりきれいだと、どうしたって期待される。
少しでも期待はずれな面があると、幻滅される。
だからずっと、みんなの理想を演じなきゃいけない。
だけどこの気持ちを言ったら、それこそ贅沢だって笑われる。
私は笑顔を崩さないまま、現在は使われていない大学構内の外れにある研究室へ向かった。
鍵を開けてなかに入り、内側から鍵をかける。
ようやくひとりになれた、と息を吐いた瞬間、目の前にひとがいた。
「――!?」
驚きのあまり、思わず噎せ込む。
「だっ、だれ!?」
「いや、こっちのセリフでしょ。おねーさんこそ、だれ?」
よく見ると、そこにいたのは少女だった。それも、とびきり可愛らしい美少女だ。
ふわふわと柔らかそうなマロン色の髪に、目はぱっちりしていて、まるで人形だと言われたほうがしっくりくる。近くの公立中学校のセーラー服を着ているから、中学生だろうか。
ふつうならこの時間は学校にいるはずだけど……。
じっと彼女を見つめたまま考えていると、彼女が不意に瞬きをした。その瞬間、我に返る。
「あ……えっと、私は藤城光香。ここの大学に通ってる大学生だよ」
「ふぅん。私はモモ」
「モモちゃんか。可愛い名前だね」
「でしょ」
「……それでえっと、モモちゃんは中学生だよね?」
おそるおそる訊ねると、モモちゃんは素直にうん、と頷いた。少し安堵して、続けて訊ねる。
「そっか。モモちゃんは、こんなところでなにしてたの?」
「見て分かんない? サボってるの」
やっぱりか、と思いつつ、一応確かめる。
「学校を?」
「うんにゃ、受験を」
「ちょっと待って!?」
※その日は公立高校の受験日だったとさ。