やっちゃった。社交辞令を真に受けちゃったんだ。
 紗都はすぐさま帰りたくなった。だが、それを実行するのもまた後日にいたたまれなくなりそうだ。

「那賀野さん、着物で来てくれたんだ!」
 明るい声が後ろから響いた。

 振り返るまでもなく、千与加だった。
 隣に並んだ彼女がコートを脱ぐ。黒いニットには白兎が手鞠(てまり)とともに描かれ、黒いスカートには赤い牡丹の花が咲いていた。

「先輩に合わせて和風なんですよー。ってどうしたんですか?」
 硬直している紗都と周囲の目に気づき、千与加が言う。

「だって、着物を着てくるなんてさあ」
 マウントさんがくすくすと笑う。

「私がリクエストしたんです。それに私も和っぽい服着てるんですけど」
 千与加がむっとして言う。

「それは和風の洋服じゃん。着物じゃないし」
「なになに、もうケンカしないでよ、ふたりとも俺のためにおしゃれして来てくれたんだ?」
 チョモヤさんがとりなすように言う。

 だが。
「違います!」
 反射的に否定してしまった。
 直後に、ジョークで濁してくれようとしたのに、と気づいて紗都は青ざめる。

「すげえ否定されてやんの!」
 マウントさんがまぜっ返して、チョモヤさんは恥ずかしそうに、はは、と笑う。
「でもさ、気合いれて振袖なんか着てさあ、目当ての人でもいるわけ?」
 マウントさんが言う。
「そういうのセクハラ!」
 千与加がすかさず返す。

「那賀野さん、年下の谷部さんとばっかりつるんでるよね。同年代と仲良くできないタイプ? 精神的に幼いんじゃない?」
 にやにやと言うマウントさん。

 確かに最近仲良くしているのは黎奈とか千与加とか、年下ばかりだ。
 やはり自分は実年齢より精神的に幼くて、だから年下としか仲良くできないのだろうか。
 いや、そんなことはないはずだ。ちゃんと同年の友達だっている。最近は連絡をとっていないのだけど……。

「それはラッキーですね。那賀野さんのこと好きなんで。っていうか、そういうの失礼だと思うんですけど」
 不快そうに千与加が言う。

「冗談だよ、冗談」
 マウントさんが慌てて言い繕う。

「冗談って言えばなんでも許されるわけじゃないですよ」
 まっすぐに言い返す千与加が、紗都には眩しい。

 かばわれてばっかりだ、と紗都は自分にげんなりした。
 もっとしっかりしないと。

 大丈夫、今日はいつもより綺麗に着れてる。
 拳をぎゅっと握り、紗都は顔を毅然と上げる。
「この着物は振袖じゃなくて袷です。袷は秋から冬、春先まで着るものなんですけど、今日着ているのは種類的には小紋といって普段着の部類で、第一礼装である振袖とはまったく着るときのシチュエーションが違います。振袖は袖丈百十四センチのものが大振袖、百センチくらいで中振袖、八十五センチくらいで小振袖とわけられます」

 電車の中で一度空想していたからか、すらすらと口に出てきた。
 頭の中には、いつか着物警察を撃退した黎奈の姿が浮かんでいた。

「すごい詳しいんだね」
 メガネの女性が目を丸くすると、
「そうなんですよ、着物のプロなんで」
 なぜか千与加が得意げに言う。

「プロじゃないから」
 紗都は慌てて否定する。

「着物がほんとに好きなんだね」
「なんかごめん」
 さきほど笑っていた同僚たちに謝られ、紗都はにこっと笑みを返した。

 きっと自分は今、千与加だけじゃなく黎奈にも助けられた。電車の中で黎奈なら……と思ったからこんなにすらすら出てきたのだ。
 友達って、目の前にいなくても助けてくれるんだ。
 なんだか胸が熱くなる。

 チョモヤさんがマウントさんをつつくと、マウントさんは、
「悪かったよ」
 と弱々しく言った。
「みんな揃ってるかー? って那賀野か!?」
 声をかけたのは最後に到着した課長だった。着物姿の紗都に目を丸くしている。

「いや、見違えた。着物が似合うんだなー」
「ありがとうございます」
 紗都は照れながら頭を下げた。さきほどのやりとりを知ってか知らずか、課長は続けて言う。

「今度は全員着物で新年会やるか!」
 えー、とあちこちから声が上がる。
「嫌です」
「課長、権力を振りかざしちゃだめですよ」
「冗談だよ、冗談!」
 抗議の声に笑いながら答え、課長は座敷に上がる。

 課長が場の空気を変えてくれたことでようやく紗都はほっとした。
「行きましょっか」
「……うん」
 千与加に言われ、紗都は彼女と並んで席に着いた。



 明けて月曜日はクリスマスだった。
 出勤した紗都は、席で眠そうにパソコンを立ち上げている千与加を見つけ、そばに寄る。

「おはよ」
「おはよーございまーす」
 千与加がだるそうに答える。
「朝から疲れてるね」
「昨日は友達と盛り上がって、寝不足です。寝坊して朝ごはん抜き」
 溜め息をついて頬杖をつく千与加に、紗都はラッピングされたプレゼントを差し出す。

「ちょうどよかったかも。おなかの足しにして」
「わ、なんだろ!」
 喜んで包みを受け取った千与加は、中から現れた白いものをしげしげと眺める。使い捨てのプラスチックのケースに三角のぷるぷるした食べ物がふたつ入っている。

「……ようかん?」
「ういろう。うちで作ったの」

「ういろうって自宅で作れるんだ!?」
「簡単だったよ」
 材料は米粉、砂糖と水、少々の塩の四つだけ。米粉から順に入れて水を混ぜ、タッパーにラップを敷いてから生地を入れて、上からもラップをかける。レンジアップしたら完成だ。

「でもクリスマスにういろう!? ケーキでもクッキーでもなくてういろう!?」
「二回言った」
「大事だから!」
 言った直後、ういろうにがぶっとかぶりつく。

「あまーい! 沁みる~!」
「喜んでもらえて良かった。私の好物なの。この前のお礼に」

「なんかありましたっけ」
「忘年会のとき、かばってくれたから」

「原因が私なんで当然のことです。でもありがとうございます」
 千与加は嬉しそうにさらにかぶりつく。気持ちのいい食べっぷりだ。
「ういろう独特のねっちょりした触感にこの甘さ。米粉だし三角だから、もうこれはおにぎり!」
「無理矢理すぎる」
 紗都は苦笑した。

「私、子供の頃は大人になったら自然に強くなれるんだと思ってた。ぜんぜん変わってなくて弱いままでだめで、助けてもらってばっかり」
 千与加の明るさに、つい愚痴がこぼれてしまった。

「あー。それ類友ですねー」
「え?」
「類は友を呼ぶ。那賀野さんがふだん人を助けてるから、助けてくれる人がいるんですよ。まあ、助けてもらってるのは私なんですけどね」

「私が助けたことあったっけ?」
「仕事でよく。ありがたく思ってます」
 仕事を手伝うなんて当たり前だと思っていたから、彼女がそんなふうに思ってくれていたなんて想像もしなかった。

「ああいうときに言い返せないのは優しいからですよ。私は優しくないんで言い返しますけど」
「そんなふうに考えたことなかった」
 意気地なし、根性なし、そんなふうにばかり考えていた。

「昔から空気読めないとかはっきり言い過ぎとかいろいろ言われて来たんで、那賀野さんみたいに周りに合わせられる人がうらやましいんですよね」
 照れ臭そうにそっぽを向いて言う千与加に、紗都は目を丸くした。

「そういえば、私、一言投稿サイトで面白そうな人をフォローしたんですよ。那賀野さんも好きになりそうな人」
 千与加はスマホを片手に持ち、もう片手を口に当ててもごもごと言う。

「この人なんですけど」
 見せられたスマホを覗いて驚いた。黎奈のアカウントだったからだ。

「和風の服を買っちゃったのは、那賀野さんとこの人の影響です」
「きっと仲良くなれるよ」
 紗都は苦笑した。すでに友達だと知ったら、千与加はどれだけ驚くだろう。

「どうかしました?」
 不思議そうな彼女に笑みを返しながらも、頭の中には三人で初詣に行く姿を思い描いてしまっている。
「実はね……」
 紗都はいたずらっぽく目を輝かせた。






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