事件があった宴会から一夜明け、朝一に帰って来た天馬と太陽、それと美晴に昨夜伊織と話した内容を聞かせた。美晴は既に知っている内容だったので驚きはないようだったが、天馬と太陽は顔色を悪くした。
「つまり、まだ犯人はまだどこかにいるってこと?」
「その可能性があるだけだよ。千年もたっているからもう私なんて忘れているかもしれないし、そもそも生き残っているかすらわからない」
 あやかしは長寿だが、不死ではない。
 前世の琉歌のように殺されれば死ぬし、力の弱いものは寿命が短い。鬼は全体的に力が強いので特に寿命が長いが、終わりは来る。
「ていうか、なんで琉歌は狙われたの? 身の程知らずだから? それとも鬼の家の怨恨?」
「さあ、それも全くわかってないよ」
 どちらの理由でも犯人を特定するのは難しそうだ。
「まぁ、警戒するしかないってことか」
 今のところ犯人について何もわかっていないのだ。無駄に思考しても仕方がない。
「安心したらお腹減って来た。朝食何かな?」
 元気を取り戻したらしい天馬が食事をとる部屋へかけていく。その後ろを四人もついて行った。
 使用人が作った料理を囲み、食事をとり始めたのは午前十時のこと。朝食にしては遅い時間だ。
「ごめんください」と玄関の方から女性の声が聞こえたのは、それからすぐにことだった。
 皆玄関の方を警戒し、ぴんと空気が張り詰める。
「来客予定は?」
「ない」
 美晴の質問に伊織が短く答える。
「ごめんください。鬼の次期当主様はいらっしゃいますか?」
 再び聞こえてきた声は、聞き覚えがある気がする。一体誰の声だっただろうか。
 応対していた使用人が部屋に入ってきて言った。
「伊織様、天狗の当主様とその奥方がいらっしゃいました」
「え?」
 天狗の当主と言えば、世代交代していなければ琉歌の前世の父親だ。琉歌達は顔を見合わせた。
「前世の琉歌が死んでから天狗の家との交流はない。今更、何の用だ?」
 伊織も天馬ですら関わりがないという。
 一体何の用があって来たというのだろうか。伊織が対応するために立ち上がり、玄関へ向かった。部屋に残った面々は耳を澄まして伊織達のやりとりを盗み聞く。
 玄関から遠いので大きな声で話していない限り聞こえて来ないのだが、両親の声はよく聞こえた。
「琉歌の親、声大きすぎね」
「ヒステリックになってるんじゃねえの」
 美晴と天馬が呆れた様子で言う。
 伊織の声は聞こえて来ないので、話の内容までは分からない。断片的に聞こえている単語の中に自分の名前を含まれていた。
「琉歌が生まれ変わったのを聞きつけた両親が娘を取り戻しに来たに一票」
「いや、生まれ変わった琉歌が鬼と結婚したらしいからあやかりに来たに一票だな」
 美晴と天馬が無感情に考察する。
「ただ顔を見に来たっていうだけじゃないかな?」
 と太陽がにこにこと笑うが、琉歌は両親がそんな甘い考えをしないと知っている。
 恐らく天馬の考えで間違いないだろう。
 どこまでも利己的で、死んだ娘すらも利益のために使う姿に呆れを通り越して感心する。
「琉歌、両親が会いたいと言っているが、どうする?」
 両親と話をして戻って来た伊織の表情は疲れていた。
「追い返しなよ」と天馬が伊織を睨むが、伊織は首を振る。
「それは俺が決めることじゃない。琉歌の意思を尊重する。会いたいなら会えばいい。会いたくないなら追い返す。どちらでもいい」
 琉歌は少し悩んで、会うことにした。

 客室で琉歌は伊織と共に両親と相対した。
 両親は、記憶よりもずっと老け込んでいた。細く綺麗だった母親は萎びていて、顔には疲れの色がくっきりと出ている。父親は溌溂とした雰囲気が鳴りを潜め、目の周りにできた隈や眉間にしわが彼の苦悩を映していた。
 前世時点での天狗の家は裕福で、上級のあやかしだった。しかし、今は細々と暮らしているらしい。
 両親は顔を合わせるなり琉歌に縋りついた。
「ああ、琉歌、会いたかった」
 涙を流し琉歌に抱き着くふたりに対して琉歌は気味の悪さを覚えた。
 前世で琉歌が死んだところで両親が悲しんだとは到底思えなかったのだ。それくらいの扱いは受けていた自覚がある。
 両親は自分たちの行いなど忘れて、涙を流し始めた。
「お前が死んでから、ずっと会いたいと願っていたんだよ」
 父親が琉歌の頬を撫でようとしたので、顔を反らした。伊織に視線で助けを求めると両親をどかしてくれた。
「それで、今日はどういった用で?」
 隣に座っている伊織は冷たい口調で問う。すると両親は前のめりになりながら答えた。
「先程も申し上げましたが、娘に会いに来ただけです」
「それならもう目的は達成できただろう」
「そんな冷たくしないでくださいよ、伊織様。死んだ娘が帰って来たんです。もっと再会を喜んでもいいじゃないですか。ねぇ、琉歌」
 母親は伊織の無表情を見て、何を言っても無駄だと感じたのか、琉歌に話を振った。
「家族だけで話がしたいんですよ。お願いします、伊織様」
 父親が誰かに頭を下げるのを琉歌は初めて見た。
 前世の父親は高圧的で、母親は明らかに姉の未来と比べて琉歌を蔑んでいた。傲慢な様子は今のふたりには見る影もない。
 ちらちらと見てくるふたりの視線から逃れ、首を振った。
「伊織様が一緒にいてください。何か話があるのならこのまま聞きます」
 伊織の手を握りしめると両親は一瞬憎々し気に顔を歪めた。化けの皮が剥がれる瞬間を目の当たりにした琉歌は内心「やっぱりな」とため息を吐いた。彼らはただ娘に会いに来たわけではない。
 すぐに笑顔で取り繕った父親が口を開く。
「あのですね。私達は琉歌の親なわけですよ。それなのに結婚祝いの宴会に呼ばれなかったのはどういう了見でしょうか?」
「鬼の身内だけで行われた宴会だから天狗を呼ぶ理由はない」
「いや、琉歌の親として参加するべきでした。それにですね、琉歌がそちらに嫁いだというのに家に何の報告もなかったのはどうしてですか? 他のあやかしの噂話を耳にしなければ私どもは一生知らなかったかもしれません。琉歌が嫁いだのですから、天狗と鬼は良い関係を築いていくべきでしょう。それなのに私達を無視するなんて、裏切りですよ」
 父親は自分の意見を押し通そうと大きな声で言い切る。
 自分が間違っているとは思っていない言葉の真っすぐさは昔と何ら変わっていない。
「そもそも、もう琉歌は天狗じゃない。あんた達に報告する義理がどこにある?」
「え?」
 その時になって漸く両親は琉歌の背に羽がないことに気が付いた。
「天狗の琉歌はもういない。人間として生まれ変わったんだ」
「う、うそ、そんな……じゃあ、私達はどうすればいいの? これだけが頼りだったのに」
 母親が目を見開き、希望を失ったと嘆く。本音が口から零れ落ちた。
 鬼に嫁いだ娘にあやかろうとしていたのだろう。天馬の予想が当たったのだ。
「未来もどうしようもないからこっちに来たのに」
 俯き打ちひしがれる母親から出た言葉に首を傾げる。
「未来に何かあったんですか?」
「……しょうもない男と結婚して家を出たのよ。家柄も何もない男。長く付き合っていた幼馴染に捨てられたからって何もあんなにすぐに結婚しなくても良かったのに。私達がもっとちゃんとしたあやかしを選んで結婚させる予定だったんだから」
 前世で未来は恋人に捨てられて絶望していた。天狗の家の雰囲気は最悪でどうなるかと思ったが、どうやら幸せになったようだ。
 親が子供の選んだ道を間違っているなどと言っていいわけがない。
「当てが外れたようだな。分かったらさっさと帰れ」
 伊織が顎で玄関の方を指す。
 両親はいつまでも渋っていたが、取り付く島もないと感じると立ち上がって玄関に向かった。
「琉歌って、本当に恩知らずよね」
 家から出る直前、母親は振り返りながら琉歌に向かって言った。
「折角生んでやったのに鬼と結婚する前に死んだ挙句、生き返っても私達を邪険にするのね。自分だけ幸せになって。国利はあんたのせいで不幸になったのにね」
「え?」
 国利、という名前に琉歌ははっとした。
「どうして国利さんが? なんで、不幸になったんですか?」
「琉歌、落ち着け」
 伊織が止めようとしてくるが、その手を振り払い母親の肩を掴んだ。
 嫌な予感に胸がざわついていた。
 母親は琉歌の不幸をあざ笑うように口角を上げて言った。
「そりゃ、あんたが毒を入れた水は国利があんたの部屋に用意したものなんだもの。自分が水を用意しなければってずっと言っていたわよ」
 呆然とするしながら琉歌は震える声で聞いた。
「こ、こくりは、今どこに?」
「未来が嫁ぐときに一緒に行ってからは知らないわ」
 それだけ言うと両親は帰って行った。
「琉歌、大丈夫か?」
 伊織に背を撫でられ、はっと我に返る。
 心配そうに見下ろしてくる瞳に頷き、何とか皆がいる部屋まで戻った。
「どうした、なんかあったのか?」
 部屋に入ると顔色の悪い琉歌を心配して真っ先に天馬が寄って来た。
「大丈夫だけど、ちょっと待って」
 琉歌はよろけながら席に着き、ぐるぐると回る思考を整理しようと頭に浮かぶ言葉を口に出していく。
「前世の私が死んだのは、部屋に置いてあったグラスに毒が盛られたからで、その水を用意したのは国利さんだった。国利さんが毒を? いや、国利さんに私を殺す動機はないはず……それに殺意の件も……」
 とそこまで考えて、はっとした。
「もし、毒だと知らなかったら?」
 目の前に座る伊織は琉歌の思考が落ち着くのを待っていてくれた。
「犯人はそれが毒だと知らずにに入れた場合、殺意はないから反応もしないですよね」
「しない」
 伊織が肯定する。
「でも、事情聴取をした時に国利は水以外入れていないって言っていたよ」
 天馬の言葉に前世の記憶を必死に頭に浮かべた。
 飲み水は今のように新鮮なものではない。溜めていたものを使っていたはずだ。そこに毒を入れていたのなら天狗は全滅している。それがないということは、毒が入れられたのは、国利が水を入れた後。
「つまり、国利という使用人が琉歌の部屋に水を置いた後に何者かが部屋に侵入し、毒を混入したってことだな」
「多分、そうだと思う」
 国利は何も悪くないと言いたいのに手の届く範囲に彼女はいない。
 もしかしたらもう既に亡くなっている可能性は高い。自責を抱えたまま逝かせてしまったとぐっと胸が詰まった。
「その何者かは、それが毒だと知らなかったかもしれないのか」
「まぁ、それぐらいしか殺意を込めずに毒を入れるなんてできないよね」
 太陽と美晴が納得した様子で頷いた。
 しかし、肝心の犯人については決定的な考えは誰からも出なかった。

 外の空気を吸いたくなり、伊織と共に庭を歩く。
「昔、あまりにもやることがなくて、ひとりで散歩していたのを思い出します」
 庭には季節の花が咲いている。使用人は変わったというのに、育てている花の種類は全く変わっていない。庭の一角に赤い小さな花が咲いているのに気が付いた。何の花だろうか。名前は知らないが、頭にとある記憶が蘇る。
「この花、天狗の家にも咲いていたんです。国利さんが花に詳しかったから教えてもらって、確か絵を描きました。私は羽が見すぼらしかったから、あまり家から出られなくて、国利さんはそんな私の遊び相手になってくれました」
「琉歌にとって、本当の親みたいなものだな」
 伊織の言葉に国利の笑顔を思い出した。
 いつも優しく、柔らかい笑みを浮かべた老齢のあやかしは琉歌にとって唯一信頼できる親だった。琉歌にとって一番親に近い存在だったのだ。
「国利さんが不幸になっているなんて、知らなかった」
 ぽつりと言葉が漏れた。
「あんなによくしてもらったのに、全てを思い出せないんです」
 大切な思い出のはずだったのに、うすぼんやりとしか輪郭を捉えられない。
 前世の記憶は昨日のことのように思い出せると思っていたのに、人間として生まれ変わってからの記憶とこんがらがって、どれが前世なのかわからない時がある。
 国利との記憶を忘れていると気が付いた時、自身の薄情具合に絶望した。
 しかし、そんな琉歌に伊織はあっさりと言った。
「当たり前だ。記憶なんてものはそんなに万能じゃない。時間を重ねれば記憶は増え、古いものはどんどん思い出せなくなる。皆そうだ、琉歌だけじゃない」
「でも」
 俯く琉歌の頬を伊織が優しくなで、持ち上げる。
 視線を上げた先で伊織がそっと微笑んでいた。
「申し訳ないと思うのなら会いに行けばいい」
 反論しようとしていた口が止まる。
「国利さんはまだ生きているんでしょうか」
「まだわからない。今、太陽に調べさせている。もし、姉の所にいるのなら会いに行くか?」
 その提案に強く頷いた。
 国利の所在を調べていた太陽から報告が上がったのは、次の日の昼だった。
「国利という名前の使用人は現在、琉歌さんの姉である未来さんの自宅で生活しているみたい。未来さんは数百年前に旦那さんをなくしていて、今はお子さんと国利さんの三人で暮らしているみたい。琉歌さんのことを伝えた所、会いたいって言っていたよ」
「会いたい? 本当に未来が言っていたんですか?」
「うん」と太陽が頷く。
 前世の未来は琉歌に会いたいなどとは絶対に言わなかった。
 結婚して子供を授かってから彼女の中で何か変化があったのだろうか。
「今日か明日の午後なら予定が空いているらしいよ。どうする?」
 出来るだけ早く会いたかった琉歌は今日の午後に早速行きたかったが、伊織は多忙ではないかと前世の記憶が過った。思い返してみれば伊織は、琉歌がかくりよに来てからずっと一緒にいてくれたが、仕事は大丈夫なのだろうかと今更ながらに心配した。
「大丈夫だ。休暇をもらっているから当分は休んでいられる」
「新婚ということで当主様が配慮してくれているんだよ。それに琉歌さんは生まれ変わりというイレギュラーだからね、落ち着くまでは仕事もセーブしてくれるって」
 琉歌のせいで誰かが迷惑を被るのは申し訳ないと思ったが、伊織に「俺が一緒にいたいんだ」と言われてしまえば、それ以上は何も言えなくなった。
 かあっと顔を赤くした琉歌を見て、太陽がおやと何か察した様子を見せた。
「もしかして、心の整理が付いた?」
「ま、まあ、はい」
 現世で心の整理がついていないから結婚しないと言っていたのに、かくりよに来て数日で陥落しているのを揶揄われているようで恥ずかしくなった。
「伊織様が逃がすわけないし、琉歌さんも最初から好意的だったから恋仲になるのは秒読みだと予想できていたよ」
 自分ではわかっていなかったが、周りから見れば琉歌の気持ちなど分かりきっていたようだ。
「琉歌、押しに弱いから」
 話を聞いて天馬が呆れた様子で言う。
「いや、誰にでもじゃないから」
「俺にだけ、な」と伊織が嬉しそうに顔を覗き込んくると、周りの空気が生ぬるいものに変わる。
「そうですけど……近いです、伊織様」
 密着してくる伊織から逃れる。肩を強引に押しても伊織は嫌な顔をせず体を離した。上機嫌な様子に太陽がそっと口角を上げた。
「良かったね、伊織」
 とかける言葉は柔らかい。
「ああ」と答える伊織の声も優しかった。
「改めて、伊織をよろしくね、琉歌さん」
 差し出された手を握る。
「伊織をもうひとりにしないで」
 太陽が真剣な声で言う。
 握手をした手は予想よりもずっと力強く、伊織を残して逝ってしまった琉歌を責めているようだ。
「はい。絶対に一緒にいます。誰にも負けません」
 それは、太陽にはもちろんだが、伊織に向けての言葉でもある。
 もう離れないように琉歌は自ら伊織の手を握った。