「紬乃、どうかした?」



 あたしの顔を心配そうに覗く藍に向かって、何でもないよ、と言った。

 藍は、そっか、といって、あたしの頭をやさしく撫でる。



 あの日、千歳色から、森田が売春してる、と伝えられたときは、そんなの嘘にきまってる、だなんて思ったけれど、いつの間にか交換した連絡先から、森田が相手を探すために使っているSNSアカウントのリンクと、森田が中年くらいの男性と腕を組んでいる写真が送られてきたとき、これは本物だ、と確信して、やけに興奮したのを鮮明に覚えている。



 とはいえ、そんな情報をあたしが広めたら、まあ、あからさますぎるっていうか、あたしと千歳色との繋がりだって、誰にも知られたくなかったから、そこは、陽世を利用した。



 誰とも繋がっていない、あたしともわからないようなSNSのアカウントを使って、「これって、あなたの学校の生徒ですよね」という文言とともに、森田の例のSNSアカウントのリンクと、男性と腕を組んで歩いている写真を、ダイレクトメッセージで陽世に送りつけた。


 うちのグループの中で一番おしゃべりな陽世は、絶対にそのことを黙っているわけがなかった。

 実際に、森田が売春していた、という情報は、陽世の口からあたしたちに伝えられ、それからは静かに、だけどものすごいスピードで、学年中に広まった。


 森田の売春、という情報は先生たちの耳にも入って、先生たちは、いかんせん売春は犯罪だとわかっているから、生活指導と称して、森田から事情聴取をしたみたいだけど、森田は口を割らなかったらしい。


 結局、森田がそのあとどうなったかはわからないままだけれど、森田はその一件から、学校に来なくなった。









「紬乃は、聞いた?」



 藍が、ひとつ言葉足らずな質問を投げかけてきたので、何が? と問う。

 藍は、あたしの隣にぴったりとくっつきながら、



「森田さんの話」



とあたしに投げかけてくる。

 森田が売春していた、だなんていうセンセーショナルなニュースは、すでに藍の耳にも入っていたらしい。

 あたしは、ああ、と相槌を打ちながら、



「びっくりだよね。そんなことする子だと思ってなかったから」



と、白々しく答えてみせた。


 藍はそのあと、森田さんが学校に来なくなったから、藍のクラスの体育祭実行委員に穴が空いた、ということを伝えてきた。


 どうやら、体育祭直前になって実行委員を代えることは難しいらしく、本来は各クラス男女1名ずついなきゃいけない実行委員なのに、藍のクラスの女子の実行委員は穴が空いたまま、体育祭に臨むことになってしまうらしい。


 大丈夫だよ、藍。それで無事に体育祭を終えたら、藍は、たった1人でクラスを回した、体育祭実行委員の委員長になるんだから。

 みんなはきっと、藍のこと称賛するよ。

 藍がそんな称賛を欲しているかは、わからないけれど。


 森田の件が思ったよりも燃え上がってしまって、罪悪感がないといったら嘘になるけれど、でも、噂を広めたのは、あたしだけじゃないでしょう?


 森田の秘密がみんなに知られるようになったのは、確かに、あたしが陽世に匿名で情報を流したことが一端だけど。

 陽世も、ひそひそと噂をし始めたクラスのみんなも、面白おかしく森田のことを馬鹿にし始めたくだらない男子も、そして、あたしに森田の秘密を教えた千歳色も、全員、共犯者だから。







 藍は、森田さんがいなくなって困るよね? と悲しそうな顔を作りながら問いかけてみる。

 こういうふうに、藍を試すような真似しかできない自分が嫌になるけれど、あたしにはこうするしか方法がない。

 藍は、すこしだけ考えたあと、



「確かに実行委員の仕事は大変になったけど、
でもさ、どんな理由があったにせよ、それが犯罪行為だったんなら、反省、しなくちゃいけないとは思う」



と、そんなことを言った。

 あたしは心の中で勝ちを確信して、そうだよね、と言いながら、藍の肩にもたれた。


 売春は、被害者のいない犯罪、と思われているけれど、売春の被害者は、社会全体なんじゃないかって、あたしは思う。


 だって、森田みたいなやつが、やすやすとその辺のおじさんに股を開いたせいで、何の罪もない女子高生がおじさんたちの性欲の捌け口になって、電車で痴漢でもされようものなら、溜まったもんじゃない。


 あたしは、藍にやすやすと近づく森田が大嫌いだったし、私怨は大きかったけれど、でも、売春の噂が回るのは、自業自得でしょって思う。



「……怖いよ。身近でそういうことが起きてたなんて」



 藍に向かってそう言うと、藍はあたしを抱きしめて、大丈夫だよ、となだめてくれる。


 あたしの心は、これで大丈夫になったよ。あとは藍が、どこにも行かなければ良いだけ。


 抱きしめられた腕の中、大して感じてもいない恐怖を感じたふりをして、

あたしは藍を、抱きしめ返した。









「やば。クシどっか行ったんだけど」

「ここにあるじゃん」

「あ、あった」



 日菜が陽世から白いクシを受け取りながら、鏡を覗き込んだ。

 日菜の目元には、体育祭のとき以外は絶対につけないであろう、きらきらしたスパンコールがアイプチの糊で綺麗につけられていて、いつもより濃いアイメイクが、日菜の気合いを表している。

 もとよりそれは、あたしも、真昼も、陽世だって同じ。全員、似たようなアイメイクと、スパンコールで目元が彩られている。


 体育祭当日の朝は、あたしたちにとっては戦場、といっても良いくらい慌ただしい。


 Tシャツはクラス全体で統一だけど、それのほかにあたし達は、靴下と、ショートパンツと、あとはメガホンをお揃いにして、それぞれ買ったものを忘れずに着用して登校するのが第一段階。

 髪型は、お揃いのリボンを三つ編みに編み込むというデザインのヘアアレンジを、それぞれ代わる代わるに編みあう。

 目の下に入れるスパンコールは、あえてバラバラの色にしたら写真が映えるから、なんて言って、あたしはピンク、真昼は水色、陽世はオレンジ、日菜は緑のスパンコールを乗せる。


 そうしているうちに時間はものすごいスピードで流れて行くから、後半はもう、さっきの日菜みたいに、あれがない、これがないとバタバタしてしまう。


 あたしたちにとってはこれが最後の体育祭だから、おのずと入る気合いの熱量は、去年なんかの比にならない。


 こんなこと、誰かはくだらないって言うかもしれないけれど、あたし達はあたし達なりに、楽しもうとしてるんだから、放っといてよ、だなんて思う。




 結局、あたしたちは朝のSHRが始まるギリギリまで外見を整えて、化粧が崩れる前に少しだけ写真を撮りあった。


 校庭に出て開会式を迎えるまでの間、他クラスにいる仲の良い友達や知り合い達に、可愛い、だなんて一通りの褒め言葉のシャワーを浴びて、あたしの体育祭がはじまる。


 体育祭にはこんなに気合い満タンって感じだけど、あたしはバドミントンとリレー以外の種目には出ない。

 あとは基本的に、自分のクラスの応援と、藍が出る種目は藍の応援、あとは出会った人たちと写真を撮りまくるって感じで、まあ、何が楽しいのかって言われたら困るけれど、とにかくあたしはこういう学校行事は好き。


 開会式では、実行委員代表の挨拶として、委員長である藍が壇上に上がり、「全力で楽しみましょう」みたいな、そんなことを言って、みんなから大きい拍手をもらった。


 近くにいた真昼から小突かれながら、彼氏かっこいいじゃん! みたいなだる絡みをされるたび、ちょっとやめてよ、なんて口先では言うけれど、実際のところあたしの心は高揚していて、なんだか誇らしい気持ちにもなる。


 だってやっぱり、体育祭実行委員の委員長で、背が高くて、格好良くて、運動神経も抜群で、社交的な藍なんて、どう考えてもみんなの注目の的になってしまうけど、その人の彼女が自分だっていう事実は、やっぱり気持ちが良い。


 藍が好きなんじゃなくて、藍と付き合ってる自分が好きなんでしょ、なんていうばかばかしい陰口を叩かれそうな気もするけれど、それは少なからずそうだし、だから何って感じだし。


 もちろん、藍のことはしんから愛しているし、格好いいって思うけど、みんなから憧れられる人と付き合えるのが誇らしいって思うのは、おかしいことじゃないと思う。








 体育祭1日目は、ほぼ球技大会みたいなもので、午前中は自分のクラスの、ドッジボールの試合の応援に行ったり、真昼たちと写真を撮って過ごした。


 午後は、藍と真昼の彼氏がバスケの試合に出る予定だったから、あたしと真昼は、一旦他のみんなとは別行動になって、体育館に向かった。


 藍と真昼の彼氏はクラスが同じで、しかも2人ともバスケの試合に出るっていうから、あたしたちはすでに上がっているテンションをさらに上げていく。

 楽しみだね、とか、たくさん写真撮らなきゃ、とか言っちゃって。


 体育館に着くと、藍のクラス、C組は、2年生のクラスとの試合をちょうど始めたばかりといったところで、すでに体育館には、C組のクラスTシャツを着た応援の人で溢れ帰っていた。


 けれど、C組のクラスTシャツ集団の中に、1人だけ、あたしたちと同じ赤色のTシャツを着ている女の子がいる。



「あれ、坂下っち来てたの?」



 その子に話しかけたのは真昼の方で、坂下っちと呼ばれた女の子、あたしはそこまで仲良くないから坂下ちゃんと呼んでいるが、その坂下ちゃんが真昼の声に反応した。



「真昼! やっと会えた〜! (あつし)くんの応援?」



 真昼は、そうそう! と言いながら話を合わせている。


 坂下ちゃんはあたしとは同じクラスの女の子だ。真昼とは中学時代の部活が一緒だったらしくて、真昼と彼女はそこそこ仲が良い。

 ふたりはお互い、クラス内で所属しているグループは違うし、休日に遊びに行く程の仲ではないけれど、たまに会っては恋バナをしたり、行事で写真を撮るくらいの関係、のようだ。


 快活な子だし、ちゃんと距離感わかってるタイプの子だから、あたしは別に坂下ちゃんのことは嫌いじゃなくて、こうやってばったり出くわしたときにでも、お疲れ様、だなんて挨拶をするくらいの関係性だ。







「坂下ちゃんも、誰かの応援?」



 C組の群れの中にわざわざ入ってまでバスケの試合を見ようとするくらいだから、きっと坂下ちゃんも誰かの応援に来ているのだろうと思って問いかけると、坂下ちゃんは少し恥ずかしそうな顔をしながら、そんな感じ、と言った。


 すかさず真昼が、え、誰! と騒ぎ始めて、周囲からの注目を浴びてしまいそうになったから、真昼をなだめて黙らせる。


 おおかた、今真昼の彼氏とボールを取り合ってる2年生の男の子といったところだろう、と勝手な予想を立ててみる。

 あたし的に、あの中だったら、藍の次にかっこいいと思う。真昼の彼氏には申し訳ないけど。


 まああたしは別に、坂下ちゃんの恋愛事情にはてんで興味もないので、ふたりの会話を片耳で受け流しながら、藍の姿を目で追った。


 ボールを持っていなくても、そこに立ってるだけで格好いいだなんて、藍だけだと思う。


 そのうち、藍が真昼の彼氏からパスを受けて、流れるようにシュートを打って、それがゴールの中にきれいに収まったとき、きゃああ、と耳をつんざくくらいにうるさい黄色い声が上がる。


 みんな、藍があたしの彼氏だとわかってはいても、元々格好いいのに加えて、体育祭なんかじゃ余計、フィルターがかかって2割増くらいに格好良く見えるのだから、そりゃあ、みんながそういう声を上げて騒ぐのは無理ないって思う。


 少し、癪だけど。









 そのうち、真昼が体育館に響くくらいに大きい声で、



「藍くーん! 紬乃が見てるからがんばってー!」



と叫び始める。

 ついでに(あつし)も! と真昼は自分の彼氏のことをおまけみたいな扱いまでし始めたものだから、応援席にいたC組の子達は笑っていた。


 真昼の無駄に大きい声のせいで、藍がこちらを向いたので、「よそ見すんなー!」と真昼同様に大きな声を出すと、藍は少しだけにやにやしながら、2年生のイケメンくんのパスをカットして、ドリブルしながら走り始める。

 そのまま2年生たちのディフェンスを掻い潜ってゴール。あらやだ、格好いい。



「紬乃ちゃん、今の動画撮れたから、後で送るね!」



 真昼を挟んだ向こう側から、坂下ちゃんが何とも気の利いた言葉を発してくれたから、あたしはわざとオーバーに、「うそ! 本当に助かるありがとう!」だなんて反応をしてみせた。


 坂下ちゃんの言葉で、藍の姿に夢中で写真を撮るのを忘れていたことに気づき、あたしはスマホのカメラ越しに藍をとらえた。


 藍の不思議なところは、写真なんかよりも実物の方が何倍も格好いいってところで、今日もやっぱり、レンズ越しに見る藍なんかよりも、実際に生で見る藍の方が輝いて見えたから、

あたしは写真と動画をすこしだけ撮って、あとはスマホを仕舞った。








 藍が出ている試合を見ながら、真昼とだらだらおしゃべりをした。


 「自分の彼氏が体育祭で活躍するのは嬉しいけど、みんなから格好いいって思われるのは複雑!」とこぼしたのは真昼の方で、「彼氏がみんなから黄色い声援を浴びたとしても、それが自分の彼氏だったら優越感あるよね」だなんて言ったのはあたし。


 真昼はそんなあたしに、性格わっる、とにやにやしながら言ってきたけど、それは本心から言ってる訳じゃないっていうのはわかる。

 何なら、あたしと馬の合う真昼だって、同じように思っているはず。

 だって人間なら、そんな醜さは当然誰でも持っているだろうから。


 お喋り3割、観戦3割、藍の観察が4割って感じで応援しているうちに、あっという間に試合が終わって、結果は藍のクラスの勝ち。


 トーナメントだから、次は確かD組と対戦するはずだろうけど、あいにくあたしは、次のスケジュールでバドミントンの試合に出なくちゃいけないから、藍の応援はここでお終い。



「藍、おつかれ」



 試合を終えて、大きな拍手をもらったC組のメンバーたちは、その辺にした女子たちから、写真撮りましょう、とか、そういうことを言われていたけれど、藍は真っ先にあたしのところに来てくれたので、あたしは素直に、藍にお疲れさまっていう。


 藍は、応援来てくれて嬉しかった、と爽やかな顔で言いながら、いつも部屋でするみたいに、あたしの後頭部を撫でた。


 すると周りから、きゃああ、とまた黄色い声があがった。声の方向を認識する。

 それは、あたしたちふたりに向けて放たれた声であると、すぐにわかった。