村上は血走った目で力の限りオレの顔を踏み付けてきた。圧倒的で残酷な暴力は果てしなく続くように思われたが、ふと、村上の攻撃が止まった。静寂の向こう側から人の声が響いた。誰かが通報したのだ。おまわりさんが駆け付けてきた。病院で検査してもらうとオレの鎖骨が折れていた。ホームレスのおっさんは先に逃げていた。
結局、ニ千円を返せなかった。
『誠に申し訳ありませんと、村上さんの親御さんもおっしゃっておられます』
後日、治療費は、村上の父親がよこした弁護士が払ってくれた。しかし、村上本人からの謝罪は一言も無かった。示談にする代わりに他言無用と言われているので、甲斐には転んで怪我をしたと告げるしかなかった。
『甲斐、おまえ一人でオーディションを受けてくれ。頑張れよ』
オレは、総合病院の公衆電話から連絡をした。本音を言うと、オーディションを受けたかった。
甲斐は、ボーカルコンテストで優勝はしなかったが、才能が認められて研究生になった。そして、その一年後に歌手としてデビューを果たしている。
あれ以後、オレとは別の高校に通っている事もあり甲斐とは疎遠になっているのだが、もしも、あの日、最終審査の会場に向かっていたならオレも研究生になってデビューしていたのだろうか。
ただし、研究生になるには月額二万円ものレッスン料を支払う事になる。どっちみち、オレには無理だったのかもしれない。
それにしても、一方的に殴られた夜の事を思い返すと胸がざわつくような痛みを感じる。
後で分かったのだが、村上は親が事業に失敗して破産宣告を受けた直後だったそうだ。せっかく合格した私立の高校への進学も諦めた村上は絶望しており、ムシャクシャしてホームレスを片っ端から襲っていたというのである。とんだ災難だ。
オレの怪我もいつしか癒えたのだが、心にはかさぶたのようなものが残っていた。そして、村上に殴られた事件の翌年。つまり、オレが高校一年を終える直前の三月、オレの家族に転機が起こる。母がマッチングアプリで知り合った元公務員の老人と再婚したのだ。
義理の父となる彼は、都内に一戸建ての古い家を持っていた。奥さんとは随分前に死別していおり子供はいない。貯蓄と年金は充分にあった。しかも、彼は駅前に小さなビルを所有している。
七十歳という高齢なので、美人の母と並ぶと親子のようにも見える。義父は真面目過ぎて面白味には欠けるようだが賭け事もしない。暴力や暴言とは無縁のまっとうな人だ。母にキラキラした恋愛感情があるようには見えないが、それでも幸せそうだった。
母の再婚を機にオレ達家族のギリギリの生活が劇的に変わった。母は専業主婦になり、生活の苦労から解放されており、以前のように帰宅後に座り込んで一人で泣き出すような事もなくなっている。
結局、ニ千円を返せなかった。
『誠に申し訳ありませんと、村上さんの親御さんもおっしゃっておられます』
後日、治療費は、村上の父親がよこした弁護士が払ってくれた。しかし、村上本人からの謝罪は一言も無かった。示談にする代わりに他言無用と言われているので、甲斐には転んで怪我をしたと告げるしかなかった。
『甲斐、おまえ一人でオーディションを受けてくれ。頑張れよ』
オレは、総合病院の公衆電話から連絡をした。本音を言うと、オーディションを受けたかった。
甲斐は、ボーカルコンテストで優勝はしなかったが、才能が認められて研究生になった。そして、その一年後に歌手としてデビューを果たしている。
あれ以後、オレとは別の高校に通っている事もあり甲斐とは疎遠になっているのだが、もしも、あの日、最終審査の会場に向かっていたならオレも研究生になってデビューしていたのだろうか。
ただし、研究生になるには月額二万円ものレッスン料を支払う事になる。どっちみち、オレには無理だったのかもしれない。
それにしても、一方的に殴られた夜の事を思い返すと胸がざわつくような痛みを感じる。
後で分かったのだが、村上は親が事業に失敗して破産宣告を受けた直後だったそうだ。せっかく合格した私立の高校への進学も諦めた村上は絶望しており、ムシャクシャしてホームレスを片っ端から襲っていたというのである。とんだ災難だ。
オレの怪我もいつしか癒えたのだが、心にはかさぶたのようなものが残っていた。そして、村上に殴られた事件の翌年。つまり、オレが高校一年を終える直前の三月、オレの家族に転機が起こる。母がマッチングアプリで知り合った元公務員の老人と再婚したのだ。
義理の父となる彼は、都内に一戸建ての古い家を持っていた。奥さんとは随分前に死別していおり子供はいない。貯蓄と年金は充分にあった。しかも、彼は駅前に小さなビルを所有している。
七十歳という高齢なので、美人の母と並ぶと親子のようにも見える。義父は真面目過ぎて面白味には欠けるようだが賭け事もしない。暴力や暴言とは無縁のまっとうな人だ。母にキラキラした恋愛感情があるようには見えないが、それでも幸せそうだった。
母の再婚を機にオレ達家族のギリギリの生活が劇的に変わった。母は専業主婦になり、生活の苦労から解放されており、以前のように帰宅後に座り込んで一人で泣き出すような事もなくなっている。