うちには、紫式部がいる。そんな事を言っても誰も信じないだろう。だが、実際に今僕の目の前にいるのだ。かの有名な紫式部が。

 そうは言っても、僕だって、初めて師匠 紫式部を目にした時は、全く信じなかった。

 大学を卒業後、定職にもつかず僕は作家の真似事をしていた。そんな生活が許されたのは、僕の実家が《《少々》》裕福だったことと、そして叔父が出版社の《《少々》》偉い人だったからだ。

 全く鳴かず飛ばずの無名作家生活を送ること二年。25歳の春。僕の前に師匠は突然現れた。

 その日、新作小説の展開に行き詰まっていた僕は、アイディアが一向に浮かばず、きっかけを求めて、父の書斎を訪れた。その部屋には、古書や古美術、骨董品など、いろいろな物が置いてあった。

 書斎に入ると僕は、何か小説のネタになるものはないかと、室内を物色した。何が書いてあるのか分からない掛け軸や、黒光りする器、どんな価値があるのだろうと思わざるを得ないような硯といったものが、それぞれ大切そうに桐の箱に納められている。そうかと思えば、ミミズの這ったような字で書かれた書物や、黄ばんでボロボロになった紙の束が、これまた厳重に密閉された箱に保管されていた。しかし、どれもこれも僕には全く価値の分からない物ばかりで、興味も湧かず、残念ながら、ほとんどの箱を開けてはすぐに閉めた。

 何度目かのその動作の後、僕の目を引いた物があった。それは、卓上サイズの紫水晶(アメジスト)の結晶だった。僕はそれを手に取ってみた。よく見てみると、ドーム状になっている紫水晶(アメジスト)の中には、小さな煌きがいくつもあった。埃だろうかと思い、それを払おうとさっと撫でると、水晶の色が幾分濃くなったような気がした。そして気がつけば、埃っぽい臭いに紛れて、書斎には甘い薫香が微かに漂い始めた。

 どれくらいの時間そうしていたのか、水晶ドームの不思議な魅力に魅入られたかのように無心で眺めていた僕は、ふと我にかえると、それを木箱へ戻そうとした。その時、背後から突然、声がした。

「これ。せっかく外に出られたのじゃ。戻すでない」
「!?」

 突然の声に驚き、僕は水晶ドームを取り落としそうになった。しかし間一髪、それをしっかりと握り直して、僕は慌てて振り向いた。そして、自分の目を疑った。そこには、十二単を纏い、引きずるほど長い髪をゆったりと背中で一つに纏めた、いわゆる平安美女がいたのだ。

「誰!?」

 僕の失礼極まりない問いを、平安美女は意にも介さない様子で聞き流した。そして、手に持っている扇子で口元を隠しながら、気怠そうに言葉を放った。

「まずは、水晶を机の上に置くのじゃ。宣孝」
「!!」
「それが割れてしまっては、私が困る」

 平安美女の言葉にハッとなった僕は、促されるまま、机の上に水晶を慎重に置くと、さりげなく後ずさり、彼女から距離を取った。それからもう一度尋ねる。

「あんた、誰!?」

 そんな僕のビビリっぷりがおかしいのか、平安美女は、扇子で口元をしっかりと隠したまま、たっぷりと間を置いてから僕の問いに答えた。

「私は、お前の先祖じゃ。宣孝よ」
「はぁ? だから、誰だよ?」