約束の日がやってきた。
浮かれすぎるなよ。目的をちゃんと果たせと、金井は自身の頬をぺちんと叩いた。
小沢に呼ばれた理由は、衣装の資料を得るためのアニメ鑑賞である。金井は知らない作品の衣装を作りたくないのだ。コスプレ界隈では、好きでもない作品や、知らない作品のコスプレをすること、つまり、愛のないコスプレをすることを『着ただけレイヤー』と言う。金井もコスプレをするなら、愛があればいいなと思う口なのだ。
今日のアニメ鑑賞で金井なりの『好き』が見つかればいいなと思っている。
小沢の家の最寄り駅に降りて、メッセージアプリに送られてきた地図を便りに、住宅街を歩いていく。
半袖Tシャツに七分丈パンツというラフな格好だというのに、額から汗が吹き出す。間もなく夏休みだから、暑いのは仕方がない。
歩けば歩くほど、金井が住む住宅街とは雰囲気が違うのがわかる。何か上品オーラがすみからすみまで漂っているような。
犬の散歩をしているおばさんだって品がにじみ出ている。おばさんなんて失礼だ。マダムがふさわしい上品さ。
何だか場違いに思えてきてしまい、つい猫背になって歩く。
おっと、ここか?
目的地を過ぎてしまい、慌てて戻ると、地図の場所には庭付きの大きな家があった。
金持ちか!
金井は家を見上げ、固まった。美しいクラシカルな窓枠に視線が釘付けだ。更に視線を動かせば、庭の木々は手入れされ、綺麗な白い花が咲いている。
確かにここらへんは金持ちが多いと聞いたことがある。
小沢はセレブか!
表札は間違いないく、お洒落にローマ字で『OZAWA』と書いてある。
金井の家から準急で三駅ほどの距離しかないのに、どうしてこんなにも貧富の差を感じるのか。
例えるなら、門からジョセフだとか、カロリーヌだとかのカッコいい名前を付けられた毛並みが豊かな大型犬が出てきそうな、そんな雰囲気。
インターフォンを押そうものなら、家政婦さんが取り次いでくれそうな、そんな雰囲気。
インターフォンを前に、付き出した指が緊張で震え始めた。
そんな時、ポケットに入れていたスマホが震えた。
ゲームアプリの通知であった。
「あ、メッセージ送ればいいんだ」
『今、家の前にいるよ』
そう送ると、すぐに既読がついた。
それから十秒ほど待つと、玄関が開き、小沢が出てくる。彼も金井と同じくらいのラフな格好で出迎えてくれた。こんなに暑い日にはセレブも庶民も関係なくラフな格好したいよな。と親近感がわいた。
「上がれ」
小沢がにこやかに迎え入れてくれた。
外観が広ければ、玄関も当然広い。金井の家の倍はあるだろうか。何だか柑橘系のようなさっぱりとしたいい匂いがする。暑さが和らぐような。香りの正体は、下駄箱の上に置かれたリードディフューザーからだった。
好きな香りだったので、鼻をすんすんと動かすと、
「好きな香り? 家に誰かを招くのは久々だから置いてみたんだ」
小沢が照れ臭そうに笑った。
「上品な匂い」
「それはよかった。靴は適当に脱いでいいから」
「お邪魔します」
金井はスニーカーを脱ぐと、隅に整えた。
家の中は静かで何となく薄暗く、小沢以外の気配がない。
廊下には、綺麗な絵や木の彫刻が飾られていたり、やはり裕福な家だということがわかる。
小沢の寝室は二階にあった。
ドアが開くと、部屋の明かりだけでなく、カーテン越しに日差しが優しく部屋を照らす。
クーラーによって部屋は冷えており、砂漠にオアシスだと一種の感動すらも覚えた。
「おお……」
金井は部屋の様子に釘付けになった。
小沢の部屋はまるで、小さなミュージアムのようだ。
ガラスの扉がついた飾り棚には、金井の拳くらいの大きさの顔を持つ人形が六体いた。
飾り棚の高さにあわせて、立っていたり座っていたりしている。
以前画像で見せてもらった『ヤミくん』のコスプレ衣装を纏った人形もいる。
他にはザ・女の子なドール、中性的な美しさを持つ男の子のようなドール、腐女子なら好みの顔を選んで二体同時に購入しそうな顔面偏差値が高い男性的なフェロモンを醸し出したドール、そして、古めかしいドールが一体。
どれも、ガラスの瞳を持ち、真夜中に棚から抜け出しておしゃべりをしそうな、そんな存在感を放っていた。
「綺麗だねぇ」
鼻息がガラスの扉にかかるのではないかというほど、興奮気味に顔を近づけた。
「そうだろ? そうだろ? さ、適当に寛いでいてくれ。飲み物、コーラでいい?」
小沢は褒められて嬉しかったのか、少し早口だった。
「あ、ありがとう」
改めて小沢の部屋をぐるりと見渡すと、ベッドに勉強机にローテーブルと本棚がある。壁には美少女アニメのタペストリーがでかでかと飾ってあった。さすが、家が大きければ、部屋もやはり大きい。大きめな飾り棚があるというのに、狭さを感じないのだ。
「んんっ」
金井は両手を天井に向けて伸びをすると、ローテーブルのそばに座った。昨晩は遠足を楽しみにする子供のようになかなか寝付けなかったのである。お一人様でコスプレイベントに行く前日は楽しみであってもすんなり眠れるというのに。
落ち着きなく、そわそわキョロキョロしていると、小沢がビニール袋を腕にぶら下げて戻ってきた。
「ほら」
「あ、ありがとう。いただきます」
渡されたのは500ミリのペットボトルだった。
てっきり、コップについでくるものかと思ったから、何ともワイルドな男なんだと思った。
ボトルはキンキンに冷えており、外の暑さにくたくたになった金井の体を、中から優しく冷やした。
生き返るぅ。
袋からは次々と小分けされているお菓子が出てくる。ローテーブルはお菓子の山が出来上がった。まるでビニール袋が四次元に繋がっているみたいだ。
「好きなの食え」
「あ、うん。いただきます」
ふと部屋にかかる時計を見れば、午前十時。あまり食べ過ぎるとお昼までにお腹がいっぱいになってしまいそうだ。
ふいに、小沢が菓子を少しだけ袋に戻し始めた。何故だろうと見ていると、ノートパソコンを設置し始めた。そして、Blu-rayを棚から取り出して、ROMドライブに読み込ませた。
シュイーンとディスクを読み込む音がする。暫く待つと、映像が流れ始めた。
「よっこいせ」
小沢が金井の横に座ると、ベッドを背もたれがわりに脱力する。袋に手を突っ込み、菓子を頬張りながら寛ぎ始めた。
対して金井は画面に釘付けだ。
作品はセルアニメが全盛期の頃の、昔のSFアニメだった。
凄くぬるぬる動いて一秒たりとも目が離せない。
声優さんだって、今も活躍するレジェンドばかり出演している。声が若い! 興奮しないわけない!
宇宙で男たちがそれぞれ求めるものに向かい、戦う内容だった。
何でも金井にして欲しいコスプレと、作って欲しいドール衣装はやや脇役よりの少年兵のキャラクターだそうだ。
孤独を愛している所がとてもカッコいいと小沢は言った。
華奢で体型はこのままで問題なさそうだ。ウィッグも、自分で加工出来そうだ。メイクもどうにか。そのキャラクターは目力が強いから、そこを強調して……。
衣装も手持ちの学ランの型紙の流用でどうにかなりそうだ。
持ってきたメモ用紙に使いそうな材料を書き込んでいると、小沢が覗き込んできた。
「おー、さすが手作り派のレイヤーはすげぇな」
なんだか声が嬉しそうだ。
「だ、だってこれ、面白い! キャラデザで敬遠してたけど、人生の半分損してたなぁ! 衣装作るの楽しみ!」
「わかるかぁ。さすが俺が目を付けて脅しただけあるな」
「何だよその言い方!」
楽しい時間は早く流れるものだ。あっという間にお昼になった。
近所のスーパーでお弁当を買って食べる。
家族以外と食事を共にするのは、まだまだ緊張するが、不快ではない。
「小沢くん。ドール服作りの件だけど、どのドールに作ればいいの?」
「んー……」
小沢は、口いっぱいに頬張った焼き肉弁当を咀嚼して飲み込む。金井のように小鳥がついばむ食べ方ではなく、男らしく豪快に食べている。
「あの一番顔面偏差値が高いの」
「どれも綺麗だよ」
「中性的な美青年のやつ」
「あの、金髪ショートで癖毛の?」
「うん。出来そうか?」
「あのサイズのドール服の型紙って持ってたりする?」
ネット書店で、型紙付きのドール服の作り方の本がないかと金井も調べていた。だが、サイズが様々で、どれを買えばいいかわからず、結局買わず仕舞いだった。
「ある。ドール服作りに挑戦しようとしたとき、型紙買ったから。ちょいまち……」
小沢は残ったご飯を口にかきこんで、コーラで流し込むと、近くの本棚から一冊の本を取り出した。本の間には何枚かのクリアファイルが挟まっている。そのクリアファイルを取り出すと、既に切り取ってある型紙が出てきた。ファイルにはサイズが分かるるように、六十センチドール、男子用と書かれていた。
金井は慌てて幕の内弁当を食べる。その時、おもいっきりむせてしまった。
「げほっ、げほっ!」
「焦らなくていいから、ゆっくり食えよ」
小沢が背中をトントンとさすってくれた。
「ご、ごめん。小沢くんは本当にドールが好きなんだなって思ったら、はやくしなきゃって。げほっ」
「あー……急かしてしまったみたいで悪かった」
金井もコーラで弁当を流し込む。さすがに温くなっており、甘さを強く感じた。
早速ドール服の作り方の本をぱらりとめくる。これから作るドール服は、ドール用としては大きい方だが、人間用と比較するとはるかに小さい。三分の一スケールらしい。金井は手先が器用な方だが、この細かさはなかなか骨が折れそうだ。
「出来そう?」
「頑張ってみるよ。バイトのシフトが入っていないとき、手芸屋さんにいってみるね」
「……俺も行く。行く日が決まったら教えて」
「えっ?」
意外な小沢の発言に、つい驚きの声を出してしまった。
「俺が手芸屋に行っちゃダメなのかよ。俺も理想の生地選んでみたいし、知りたい」
小沢は少し拗ねたように口を尖らせた。
手芸の知識がないから全てお任せだと思っていただけに、意外に思った。
だが、また遊ぶ機会があると理解すると、自然に笑みがこぼれる。
「うん。一緒にいこ。夏休み序盤どこかで」
「普段からもっとそうやって笑っていれば可愛いのに」
「……あはは」
顔が熱くなっていくのがわかる。クーラーで冷え冷えのはずなのに。可愛いだって? 冗談よせよ。
その冗談にどう答えればいいかわからず、金井は適当に笑い、場を濁した。
そしてその後、アニメの続きを見たり、スマホでゲームをしたりして、時間を過ごした。
空が夕焼けに染まり、今日はお開きとなった。
アニメは楽しかったし、しょーもない話もした。メッセージアプリで話している話題とそう変化はなかったが、充実した一日だった気がする。
小沢の部屋から出る前に、もう一度飾り棚を見つめる。小声でまたね、ドールさんと言った。
小沢からドールのことを聞かされると、なんだかただの物には思えなくてつい声を書けてしまったのだ。
「すっかり金井もドールの虜だな」
背中から小沢の声が聞こえてくる。声音が弾んでいる。
「うん。小沢くんが色々教えてくれたから。ねぇ、このアンティークな感じの子、メーカーさんが違うの?」
金井は気になっていた古びたドールを指差した。
「メーカーは同じ。だけど、作られた時代が違う。初期に作られた子で、母さんが可愛がっていたんだ」
小沢は古びた子をしみじみと眺めた。
「お母さんの影響を受けて? そういえば、お母さんもお仕事忙しいの?」
「小学生の時に事故で死んだ……」
いつも明るい小沢の顔に影が落ちた。
「ご、ごめん!」
小沢の過去にそんなことがあったなんて。
金井はただただ謝ることしか出来なかった。
そして、自分には彼を慰めるための気の効いた言葉がでないことに、悔しささえ感じた。
「いや、別にいい。母さんのドールを飾っていたら、そのドールが寂しそうに見えてな。お友だちをお迎えしてやろうと思って。こうしたらこんなに増えてえしまったぜ! 知ってるか? ドールは仲間を呼ぶんだぞ! それより、手芸屋に行く日決めようぜ」
ドールのことを語り始めると、顔が明るくなり、いつもの調子に戻った。金井はほっとひと安心して、
「うん、またメッセージ送るね!」
なるべく明るい声で約束した。
二人はその夜のうちに、手芸屋に行く日を決めた。
手芸屋に行く約束の日がやってきた。
夏休みに入り、うだるような暑さで気が滅入ってしまう。Tシャツは軽く絞れば汗が滴りそうだし、少し歩いただけで汗で溺れそう。
だが、小沢と会えると思うと、そんな暑さも吹き飛ぶ気がする。小沢のおかげで日々充実していると思うと感謝しかない。
待ち合わせは、手芸屋に現地集合。
到着すれば、小沢がいた。時計を見れば、待ち合わせ時間、十時半の十分前。
「小沢くん、待たせちゃった?」
「一時間は待った」
さらっと言うものだから、「えっ?」と本気に受けとれば、小沢はくくっと笑った。
「冗談だよ」
小沢は黒いキャップにラフなTシャツを着ていた。二人は似たようなコーデなのに、華奢でいまいち様に金井に対して、そこそこ筋肉をつけて健康的な小沢は様になっている。夏はそういうコーデに限るよね。うんうんと一人で金井は納得した。
入店すると、何度来ても圧倒的な商品数で目が回りそうだ。
「しかし、でっかいなぁ……」
小沢はそう言いながら、あたりをキョロキョロ見渡していた。
普通の手芸屋はショッピングモールのすみっこにあったりとか、あまり目立つ存在ではない。
ここはただただデカイ。ビル一棟が手芸屋なのだ。手芸好きなら一日中楽しめる夢のような場所なのだ。
「ここはドール服向けから、コスプレ衣裳向けまで生地からパーツまでなんでも揃うから凄いんだよ!」
「今日はよろしくな。先生」
「せ、生徒よ。私に任せるのだ」
金井は、誇らしげにどんっと胸をたたいた。
一直線にドール用品売場に行き、ボタンを初めとした細々としたパーツをかごに入れていく。
「ほつれ止めって?」
小沢がかごの中の商品を指差した。小さな透明のボトルが気になるようだ。
「これは、切った布のすみっこに塗って糸がほつれてこないようにするもの。ミシンでジグザグ縫いでもいいけど、ドール服は細かいから自信ないんだ」
「便利な道具があるもんだな」
「本当便利だよね。次は布を見に行こうか」
二人は生地売場に移動した。
生地売場は、カラフルでまさに地上に表れた虹のよう。
「同じ色なのに、どうして違う種類の布を買うんだ?」
金井があーでもないこーでもないとぶつくさ言いながら、生地売場をうろちょろするからか、小沢は疑問に思ったようだ。
「布の厚さが違うんだよ。ほら、触ってみて。この厚手の生地を使ったらドールのポージングが上手くいかないと思う」
「本当だ。これは勉強になるな」
さっきから小沢は質問ばかりしてくる。それに対し、金井は答えるの繰り返し。
自分でも誰かの役にたつことがあるんだなぁ。
説明は嫌じゃないし、好きなことが語れて楽しくて仕方がない。
手芸の話題なんて、自宅で母親とするばかりだった金井にとって他人に説明するのが新鮮だった。
「あ、小沢くん。鉗子って持ってる?」
鉗子とは、ハサミ型のクリップである。球体関節人形は、中がゴムでつながっているため、ゴムを交換したり、ハンドパーツを交換するために鉗子を使っているのだ。ドールを愛する小沢なら持っていそうだと、金井は思ったので聞いてみた次第だ。
「鉗子? 何に使うんだ?」
小沢は首をかしげた。ドールオーナーでもない金井が鉗子を使って何をするのだろうと思われても仕方がない。
「ドール服をひっくり返すために必要なんだ。人間サイズだと、細い部分でも手首が入るけど、ドール服は難しいでしょ? 持ってたら借りたいんだけど」
「あぁ、ドールメンテナンスの予定はないから。いいよ。帰り、俺の家よれる? あと、予備のドールボディあるからマネキン代わりにかすよ」
「うん。寄れる。トルソーなしで作るの不安があったからボディ貸してもらえるのはありがたいな」
必要なものは全て揃え、支払いは小沢がした。
そういえば、ドールってお金がかかる趣味だよな。小沢はバイトをしている様子はないし、一体月にいくらおこづかいをもらっているんだ……
ドール服とコスプレ衣裳を作るのだ。拘れば拘るほどお金がかかる趣味だ。
小沢は撮影のときに使うスタジオ代も出すと言っていた。セレブって凄い。顔色変えずに手芸用品の支払いをする小沢を見て、金井は驚くことしかできなかった。
その後、カフェで軽くお茶をして、小沢に鉗子とドールのボディを借り、帰路に着いた。
金井は夏休みの間、バイトと課題の合間に、自宅でミシンに向かった。その間も小沢からは、まめに連絡が入った。
時間に余裕があれば、音声通話やビデオ通話をした。ミシンをかけているときは音がうるさくてできないが。
手縫いの時、何もしゃべらなくても、彼がそばにいる気がして、何だか楽しい。
無言で作業する金井に、小沢は時々からかってくることもある。
「おーい。居眠りしているのか?」
「今細かい作業しているの!」
「うん、知ってる。ははは」
時々、通話中に母親が入ってくることもあった。
「陽、晩御飯冷めちゃうわよ?」
「か、母さん! いつもノックしてから入ってって言ってるのに……ごめん。小沢くん」
「あ、金井くんのお母さん? どうもー、いつも仲良くしてもらってます!」
丁度その時、ビデオ通話だったため、お互いの顔が丸見えだった。
「あらー! 最近、陽が楽しそうだと思ったら、こんなイケメンのお友だちがいたなんて!」
「金井くんのお母さんなだけあって、とても可愛いですね! いつもお世話になっています!」
「まー! 可愛いだなんて言われるの何年ぶりかしら! 今度うちに遊びにいらっしゃいな!」
母親は自身の頬を押さえ、興奮気味に体を揺らした。よほど可愛いと言われたのが嬉かったようだ。
陽キャ同士の会話、しゅごい。
「陽、キリのいいところで下に降りていらっしゃいね!」
母親はスキップするんじゃないかという勢いで部屋を出ていった。その後の静けさはまるで嵐がさったようだ。
「な、なんかごめんね。うるさくて」
「いいよ。さ、ごはん食べてきなよ」
「うん。またね」
数日後、そんな騒がしかったりした衣裳作りの日々は終わりをむかえた。
ドール服は借りたボディにぴったりだった。
金井が着る衣裳もどこから見ても、小沢の推しだ。
普段衣裳が完成した時は、イベントに間に合った気持ちと、達成感で飛び上がるほど喜ばしいことだが、何かが引っかかる。
もやもやした気持ち。これは何だろうと考えた末、気付いた。
あぁ、これは、不安な気持ちだ。
学校でまたひとりぼっちに戻ってしまう?
近いが違う。
ひとりぼっちじゃなければ、誰とでもいい?
違う。今気づいた。あの時きっと誰とでもよかったから、つるんでいたオタク友達と、クラスが離れて疎遠になってしまったのだろう。
撮影が終わったら小沢と関われなくなってしまう?
そうだ。
小沢と関わっている間は、自分がひとりぼっちだということをすっかり忘れていた。
学校でも、端から見ればひとりぼっちだったが、水面下でメッセージをやりとりしており、孤独を忘れていた。
小沢くんと離れたくない!
だけど、自分は小沢にとって願いを叶えられるだけの存在だけでしかない。
用が済めば、全て終わりなのだ。
作り終わったよと完成した衣裳の画像を送ろうと、メッセージアプリを立ち上げるが、もう一息のタップが出来ない。
ドールボディが服を着ている画像と、金井が試着している画像の二枚を送れない。
『出来たよ、ウィッグはこれから整えるね。ドールのウィッグは用意出来ているの? よかったら、俺がセットしようか?』
ダラダラと先延ばしにしても、いつかはしびれを切らして嫌われてしまうだろう。
深呼吸を一つ、思いきってタップした。
直ぐに既読がつき、返事が来た。
『凄いな。推しそのものだ。ドールウィッグの件は似たようなもの見つけたから大丈夫。ありがとう』
メッセージアプリの通知がまるで、終わりのカウントダウンをしているようだった。
夏休みも終盤に差し掛かった頃、小沢が撮影スタジオを手配してくれた。
そのスタジオは、様々なブースがある。
造花がこれでもかと壁に敷き詰められていたり、カラフルポップで可愛いかったり、ゴシックな教会風だったり。何より近未来風のブースがあるのが小沢の決め手だったそうだ。
一瞬この背景SNSで見たことある! と興奮したが、これで小沢とのやりとりが終わるという絶望が、金井の心を黒く上書きした。
更衣室に入り、衣裳を着てメイクをする。最後にウィッグを被って完成だ。
更衣室から出ると、小沢は造花を背景にドールを撮影していた。
勿論着ている衣裳は金井が作ったものである。
衣裳を受け取った小沢の目は星よりキラキラと輝き、作って良かったと心の底から思った。
「小沢くん。準備出来たよ」
「ん、写真で見るより本物だ! やば、言葉がでねぇ!」
「へへ……」
好きなことを誉められるのは純粋に嬉しい。その嬉しさで、胸のもやもやを吹き飛ばそうかと思ったが、難しかった。
「あのさ、体調悪い? 待ち合わせ場所から俺ばかり喋ってるけど」
小沢が金井の頬をそっと触った。彼の指先から心地よい熱がじんわりと伝わってくる。
触らないで欲しい。お一人様に戻るのが怖くなるから。
視線を顔ごと反らす。こっちを見ないでくれ。
このままでは雰囲気が悪くなる。どうしよう。何かいい言い訳ないだろうか。
ふと、小沢にコスプレをしていることがバレた日を思い出した。
ミハルになりきって、強気でいたあの時を。
「あ……ほら! コスプレ界隈にはこんな言葉があってね! コスプレするなら心まで飾れ! ってね!」
確か何かの漫画の台詞だっただろうか。今はそんなことどうでもいい。
「面白い言葉があるんだな」
「そ、そう! だってこのキャラ、影があるじゃない? だからいい表情が出るように昨日からイメトレしてたんだ!」
白々しい嘘だ。そんなわけあるか。
これからも仲良くしてくださいなんて言っても困らせるだけだ。仲良くしてくれたのも、自分の衣装作りのモチベーションを保つため。いわば彼自身のためだ。
「さすが!」
「ほら、このスタジオ安くないんだから早く撮影しちゃお!」
せめてこの撮影が楽しく終われますように。
ドールを抱っこすると、ずしりと重い。緊張感から余計にそう感じさせるのだろうか。
「まずはそこの椅子に座って」
小沢はアンティーク調の椅子を指さした。
言われた通りに座ると、小沢はこちらに近づいてくる。
小沢は白い手袋をしている。何でも、素手でドールの顔に触れたくないのだそうだ。金井の前に跪くと、ドールの顔の角度を変えたり、腕の関節の微調整を始めた。
ドールじゃなくて、こっちを見てよ。この日のために沢山頑張ったのに。
そう思ったところで、ふと気付いた。まるで片思いしているみたいじゃないか。
勝ち目のない片思い。
きっとこれは、少女漫画で、お似合いのカップルを見つめるヒロインみたいな気持ちだ。
小沢はスタジオ備え付けのライトを手慣れた様子でつけた。
煌々と照らされ、眩しい。照らされない場所は、くっきりと黒い影が浮かび上がる。影の部分はクラスでぼっちを極める自分を眺めているようだった。
「こっち向いて」
「うん」
カメラのレンズに目線を向ける。
すると、一眼レフのシャッター音がカシャカシャと鳴った。
デフォルトが無表情キャラで良かった気がする。こんな暗い気持ちの状態で笑えと言われてもきっと無理だから。
無機質な白い壁を背景に、ドールと自分のシンメトリーな立ちポーズをして写真を撮ることになった。
相変わらず、小沢はドールにつきっきりだ。
ドールに嫉妬心がむくむくと沸いてくる。
「小沢くん……! 僕にもポージング指定してよ……! もっといい写真撮れるよ!」
つい声を張り上げてしまった。普段の自分ではありえない。そんな声を出してしまった自分に驚いた。
小沢は手を止め、こちらを見つめてきた。
「あ、ごめん……急に大声出して」
すかさず謝ると、視線をそらした。ドールに嫉妬なんてみっともない。ドールは自分では動けないし、喋れない。だから小沢の手が必要なのに。
「少し、表情が固い」
小沢はそう言うと、こちらにやってきた。
金井の頬を手のひらでつつみ、見下ろしてくる。
目と目が合う。小沢の顔が近づいてきた。
いつもと違う雰囲気を感じ、ぎゅっと目を閉じると、唇に柔らかい感触が伝わってきた。
金井は目を見開いた。
小沢はいい写真を撮るために、キスまでする男なのか!
「な、な……!」
金井はただただ狼狽えることしか出来ない。
「俺は推しの色んな表情が見たい」
そう言いながら、ドールそっちのけで、シャッターを切った。
確かに捏造なんてジャンルもある。もしも推しが○○だったらみたいな。捏造の為だけにキスをするのか!
「残り時間少ないから、ポーズとって」
「あ、う、うん」
ドールをちらりと見て、同じポーズをとった。
スタジオ予約時間終了三十分前に撮影は終わった。金井の着替え時間を考慮しての事だった。
小沢は、一眼レフの液晶画面を見て写真をチェックしながら「いい写真が取れた」と満足げに笑っていた。
「あ、そうそう。動画はさっき準備中に消したし、あと、例の痴漢、捕まったらしいぞ。結構色々とやらかしていたらしい。これで安心してコスプレイベント行けるな」
金井は突き放すような言葉を聞いて、絶望に打ちひしがれた。もう楽しい時間は終わったのだ。一緒に買い物に行ったり、通話をしたりする時間はもうやってこない。
薄々わかっていたことだが、改めて現実を認識すると胸が痛い。目の前がぼやける。これは、涙だ。
「金井。この写真よくとれて……って、どうした?」
小沢が金井の顔を見て、驚いたような顔をした。
「め、めに、ゴミが……」
嗚咽をもらして、泣いている。全くもって酷い嘘だ。目にゴミが入ったくらいでそうはならない。
「嘘をつくなよ。目にゴミが入ったくらいでそうはならない」
小沢は、人差し指で金井の涙をすくった。
涙が止まらない。次はどうやって言い訳しよう。何も思い浮かばない。
「悩みならなんでも聞くぞ?」
小沢が金井を抱きしめ、背中をとんとんと抱きしめた。どうせ一緒にいる時間なんてなくなるのに、どうしてそんなに優しい言葉をかけてくるのか。
「なんでも……?」
「うん」
「……俺、もうぼっちは嫌だ。そう思ったのは小沢くんの、せいだ」
そう言いきると、スタジオは沈黙によって支配された。小沢もきっと困っていることだろう。
自分が発言した言葉で困っていると、突然ぎゅっと力強く抱きしめられた。
「俺は、金井がぼっちでも楽しんでいる所を見るのが好きだった」
小沢は金井の耳元で囁いた。思いがけない告白だった。
「え……?」
「俺は寂しさを紛らすために群れていないとダメみたいで」
小沢は寂しがりやであったことを知り、金井は意外に思った。
「うん……」
「最初はその強さの秘密が知りたかった。だけど、そんなのどうでもいい。二人で沢山遊んで楽しかった。キスしてみて確信したよ」
「……!」
この続きの言葉を期待してもいいのだろうか?
「これは友達に持つ感情じゃない。その先を考えてくれない?」
こんなご都合展開があってたまるか! それが小沢の告白を聞いた時に脳裏に浮かんだ金井の感想だった。
「ば、罰ゲームじゃない? ゲームに負けてないよね? 陽キャがよくやるアレ!」
よく漫画なんかであるじゃないか。ゲームに負けたら陰キャに告白して弄ぶ遊びが。ご都合展開に頭がパニックになってしまい、ついそんな言葉が出てしまった。
「ふっ、はははっ! 罰ゲームで夏休み丸々お釈迦にする奴がいるかよ。なんなら、もう一回キスする? 次は舌絡める奴で」
舌を絡めるって! エッチな漫画で見かけるアレをするというのか!? そんなことされたらきっと気絶してしまう!
「信じる! 信じるから! こ、恋人になるし!」
「じゃ、学校でもイチャイチャしようね?」
「みんな、からかったりしない?」
「あー、あいつらな、別にそんなことはしないよ。もしかして、陽キャに警戒心持ってる?」
「うん、幼稚園の時、そういう奴らにいじめられてからどうしても」
金井はいじめの経験からコスプレを始めたきっかけを話した。
「大丈夫だから、良い陽キャがいること証明してやるから、新学期始まったら俺たちの所来いよ」
小沢はは金井の頭をぽんぽんと撫でた。ウィッグ越しに撫でられたため、ウィッグを装着していることが、こんなに嫌だと思った事は初めてだった。
「が、頑張る!」
スタジオの時間が残り僅かとなり、滅茶苦茶頑張ってメイク落とし、着替えを済ませた。
新学期が始まった。
スタジオでの撮影が終わっても、小沢は変わらずメッセージアプリで接してくれた。
次はコラボカフェに出掛けようだとか、特典目当てに映画を何回見に行ったとか、オタクな話から、本当にお前の家に遊びに行ってもいいのか? とか、バイトでもやってみようかななどのプライベートの話もしてくれる。
だから、もう怖いものなんてない気がする。きっと失敗しても小沢がどうにかしてくれる、そんな気がした。
陽キャは怖くない。あれだけ小沢と関わったんだ。と金井は自分に言い聞かせた。
教室に入るが、誰も気に止めない。相変わらず自分は空気だということが嫌というほど、身に染みる。
コスプレなんてしなくても、小沢が背中を押してくれるから、大丈夫、大丈夫。
金井は席に着いた。小沢はまだ学校に来ていない。
スマホで漫画を読んでいると、小沢のあいさつをする声が聞こえた。そして、陽キャの群れの中へ当たり前のように入っていく。
やっぱり怖い。
群れの中へ飛び込むことを躊躇っていると、メッセージが届いた。
小沢からだった。
『早く来いよ。怖くないから。お前をフォローする準備は出来ている』
視線を陽キャの群れへ向けると、小沢と目が合う。その目は、金井を見守るように優しかった。
金井は立ち上がり、小沢がいる群れに向かって歩き始める。足が震え、まるで生まれたての小鹿のようだ。
誰かと何かをするのを、楽しいと自分に教えたてくれたのは小沢だ。これからも沢山教えてほしい。
そういえば、好きな作品でも、小沢が見せてくれた作品でも、仲間がいるからキャラクターが強くなる描写が沢山あったなと思い出す。
いつも他人事のように思えていたけれど、何だか自分にも当てはまっている気がする。
小沢と過ごした夏休みは嘘じゃない!
アニメの夏休みじゃなくて、自分は現実の夏休みを過ごしたのだと。
いつの間にか、足の震えはおさまり、真っ直ぐと陽キャの群れへ向かっていった。
何と声をかけたらいいのだろうか?
無難におはようだろうか?
「お、小沢くん……! おはよう!」
突然声をかけたからか、小沢と共にいた陽キャは、驚いたようにこちらをじっと見た。今まで関わりのない人が突然声をかけてくれば当然の反応だろう。
「おはよ、金井。椅子がないな。こっちに来い」
そんな中、約束通り小沢だけが普通に接してくれた。
「う、うん」
小沢の横へ移動すると、彼に腕を引かれた。よろけた先は、小沢の膝の上だった。つまり、小沢にだっこされる形になったのだ。小沢の腕の中にすっぽり収まって、嬉しいやら恥ずかしいやら、心臓がどきどきと煩い。
「小沢、いつも間に金井と仲良くなったんだよ?」
陽キャのうちの一人が口を開いた。悪意はなさそうで、ただ単に疑問からの発言に見える。
「色々あって」
小沢はスマホをポケットから取り出し、画像を漁り始めた。
「これみろよ。このドール服、金井が作ったんだぜ?」
一枚の画像を見せびらかした。それは、金井が作った服を着たドールの写真だった。
「器用なもんだな……」
「すげー」
「他の画像も見せろよ」
皆口々に金井を誉めた。
「細かい作業好きで、洋服作りとか好きなんだ」
コスプレ趣味だからなんて言う勇気はないが、自分の好きなことを誰かに言えるのは少し嬉しいかもしれない。自分の趣味を好意的に受け入れてくれる人が身近にいたと学んだから。金井は嬉しさから頬が熱くなるのを感じた。
「俺はガサツだからさそういうの出来るのうらやま……ってかそういう写真あるってことは、そのドール、小沢の?」
また別の陽キャが口を開いた。
「そうだ! 可愛いだろ」
小沢は得意気な顔をした。
「それを言うなら、俺んちの子も可愛いぞ!」
今度は別の陽キャがどや顔でスマホの画面を見せてきた。小沢のドールとは違う、フィギュア的なスタイルかつ、アニメチックな顔のドールで、露出度の高い衣裳を着ていた。
「なんだと! お前もドールオーナーだったのか!」
小沢は画面に釘付けだ。
「かわいいねぇ」
金井はアニメチックなドールについての感想を述べた。そのドールは二次元的な衣裳か映えそうだなとしげしげと見つめた。
すると、小沢は金井の心を読み取ったかのように「そのドールも衣裳の作りがいありそうだよな」とすねた様子で抱きしめてきた。どうやら金井が他のドールを誉めたものだから、焼きもちを焼いたようだ。
金井はすねられたら困ると、今の気持ちを小沢の耳元で話した。
「あ、あのね。俺、バイト代ためてドールお迎えしたいんだ。ドールの可愛さに気付けたのも小沢くんのおかげ」
「……! 金井、可愛すぎかよ」
小沢が上ずった声を発した。
金井は小沢のドールに嫉妬していたのも事実だ。だって気合いを入れてメイクした自分よりずっと可愛かったから。だけど、ドール服を作るのが楽しく、可愛くしてあげたいと思ったのも事実だ。
何より、小沢が自分を好きだと言ってくれた。結果、ドールに対する嫉妬心が消し飛んだ。それにより、今自分が何をやりたいのか見つかったのである。
一人で楽しむコスプレよりも、小沢とドールを楽しみたい。やや不純な動機であるが、誰かと何かをする楽しみを教えてくれた小沢と楽しいをまた共有したいと思ったのだ。
小沢のドールを思い出す。あのこにはああいう服が似合いそうだなだとかそんな妄想まで膨らんでしまう余裕まである。正妻の余裕ってやつだろうか?
口許が喜びで自然に緩んでしまう。
「何? お前らそういう関係なの?」
その言葉を聞いた金井は不安にかられた。この後に続く言葉は「気持ち悪い」だろうか? だが、その不安はあっけなく覆された。
「付き合ってるけど何か?」
小沢が金井の肩に顎をのせ、さも当たり前のように言った。すると、誰からともなく、
「よっしゃ! 初めて恋人が出来た小沢を祝うぞ! 金井、放課後暇か? カラオケでお祝いだ!」
そんな声が沸いた。
「う、うん!」
放課後、みんなで滅茶苦茶歌いまくったし、小沢とポッキーゲームをやる羽目になった。
ポッキーゲームという、合法的にキスが出来る遊びをやらされるなんて、陽キャ集団も悪くないなと思った金井だった。